1: 2010/09/03(金) 11:33:13.74 ID:oGxd2nsF0
違いは始まりを表す言葉… 同じは終わりを表す言葉… なら同じは始まりを表す言葉でもあるのではないだろうか。
「ヒュー、熱いね」 青いつなぎを着た自動車修理工の阿部高和は、太陽がサンサンと照り付ける田園風景を眺めながらそう呟いた。
雛見沢村…彼の目的地でもあり、新天地でもあった。 彼はここで自動車修理工場を営むのだ。
くそみそテクニック スクリーンクリーナー 阿部さん
3: 2010/09/03(金) 11:34:25.55 ID:oGxd2nsF0
ふと…古びたバンを転がす彼の右手に女の子が立っているのが見えた。


薄紫色の髪に角を生やして、後ろの髪を腰の辺りまで伸ばしている…。


その女の子はこちらを向くとニコリとほほえんだ。


阿部はその女の子が気になり、ふと車を止めて、まどから振り返った。


そこには女の子の影も形も無かった。


まるで狐につままれたようだ。 阿部は首を傾げると、車を再発進させ、雛見沢への畔道を砂埃を巻き上げながら進んで行った。



阿部高和が雛見沢村に引越して来たようです・阿部曝し篇

4: 2010/09/03(金) 11:35:48.98 ID:oGxd2nsF0
丁度修理工場なのか廃屋なのか分からないあばら屋に車を止めると、阿部は車を降りた。

「ボロボロじゃないか…」 そうつぶやくと阿部はあばら屋の中へと足を踏み入れた。

あばら屋の中には人…それも少年少女の子供がいて、中の古テーブルでトランプをやっていた。

阿部がはいるやいなや皆が目を丸くしてこちらの方を向いて。

近所のガキどもか? 阿部はそう思った。

「あっ…」

栗色の髪をした男の子が何か言おうとしたのを、緑色の髪をポニーテールにした勝ち気な女の子が遮り、言った。

「もしかして…ここの管理人の方ですか…?」

6: 2010/09/03(金) 11:37:19.01 ID:oGxd2nsF0
その場に居た全員がキョトンとした目で阿部を見るものだから、阿部は二の句が継げなかった。

「あ…ああ、ここは今日から阿部自動車修理工場だ。オーナーは俺だ。阿部高和だ。」

すると緑色の髪をした子が椅子から立ち上がり、阿部の前まで歩いて来た。

「所有者がいたなんて知らなくて…すいません。」

緑色の髪の子は深々とお辞儀をして詫びた。

他の面々も立ち上がると同じようにお辞儀をした。

栗色の髪の毛を首まで伸ばした女の子、金髪をショートカットにした勝ち気そうな女の子、同じく栗色の髪の毛の5年後が楽しみな男前な男の子、そして黒髪を腰の辺りまで垂らした少し影のある女の子。そして、双子だろうか…緑色の髪の毛を後ろに垂らした女の子。

「所有者がいたなんて知らなくて…すいません。」 緑色の髪の子は深々とお辞儀をして詫びた。

他の面々も立ち上がると同じようにお辞儀をした。

8: 2010/09/03(金) 11:39:40.30 ID:oGxd2nsF0
「すいません…今から場所を移動しますんで…」

緑色の髪をした女の子が急いでテーブルに散乱したトランプをかき集めようとした。

「待てよ」

阿部はその子の手首を掴み、驚いた表情の女の子の目をじっと見つめた。。

静寂と緊張が辺りを包む…。

「詫びもせずに出て行くつもりかい?」

阿部は静かにそう言った。

皆気まずそうに下を向いたまま押し黙っていた。

まるで蛇を前にした蛙の様だ。

「詫びついでに、俺も仲間にいれてくれよ。就業初日で暇なんだ。いいだろ…な?」

阿部はニコニコしながらそう言った。

10: 2010/09/03(金) 11:41:10.84 ID:oGxd2nsF0
その時の六人の表情と言ったら無かった。

話を聞くとどうやらこの六人は地元の学校に通う部活仲間らしい。

部活と言っても別段特別な事をするでも無く、ただテーブルゲーム等をするらしい。

五年後が楽しみな青年は圭一、おてんばそうないたづらっ子の金髪娘は沙都子、どこか暗い影があるおっとりした黒髪の梨香、普段は温厚だが、どこか筋が通っている栗色の髪の毛の少女がレナ、ここらの名家、園崎家の跡取り娘が魅音と詩音…双子だそうだ。

その六人と、しがないゲイの自動車修理工、阿部高和は時が経つのを忘れて談笑し、テーブルゲームに興じた。

日も暮れかけ、夕日が山谷に落ち、紺色の空が広がり始めた頃、ふと気付いたように魅音が沙都子に言った。

「沙都子…大丈夫なの?」

魅音のその言葉に沙都子は、我に帰ったかの様に、怯えた表情を見せ始め、皆に言った。

「ご…ごめんあそばせ…わたくしちょって用事を思い出して…行かなくてはなりませんの…皆さん…また明日…」

12: 2010/09/03(金) 11:42:48.64 ID:oGxd2nsF0
沙都子は顔を青ざめさせたまま、席を立つとパタパタと工場から駆けて行った。

阿部は怪訝に思い、皆の方を向いた。

皆表情が暗い。

何かありそうだ。阿部はそう直感した。
「おい…沙都子…何かあるのか…。」

阿部は内心心配しながらも、他人行儀の姿勢を務めた。

何せ知り合ってから一日も立っていないのだ。
突っ込んだ話は無理には聞けない。

暫く沈黙が続き、そしてレナがゆっくりと話始めた。

「沙都子ちゃん…実は特別な事情があるんだよ…だよ。」

独特の口調のままレナは続けた。

「沙都子ちゃん…鉄平っていう叔父さんと二人でくらしてるんだ…それでね…その叔父さんが沙都子ちゃんを苛めるの…。毎日…毎日…」

レナは表情を曇らせる。それは皆も同じだ。

13: 2010/09/03(金) 11:44:19.02 ID:oGxd2nsF0
勿論…先生にもいったよ…役場にも…児童相談所にも…。でも何の解決にもならなかった。」

「沙都子が…虐待の事実は無いって…撥ね付けるからね。」

そう魅音が続ける。

「耐えてるんだよ…この試練に耐えれば一年前に失踪した悟史が帰って来るってね。あの子は信じてる。だから撥ね付ける。」

魅音は俯きながら言った。

「悟史君は沙都子の兄です…昨年突然失踪したんです。」

詩音が椅子から立ち上がると、遠い目で埃と錆で濁った窓の外を見ながら魅音の話を続ける。

「私も待ってます…彼が帰って来るのを…。」

詩音は目を瞑ると、自身の拳を握り締めた。

何か固い決意があるかのように。

「…皆…よそ者の俺に…そんな突っ込んだ話をしてもいいのかい…?俺は今日越して来たばかりなんだぜ?」


阿部は皆を見渡すと、そう言った。

14: 2010/09/03(金) 11:46:06.52 ID:oGxd2nsF0
「構わないよ。」

遮る様に圭一が挟みかける。

「阿部さん…アンタは俺達の部活に参加したんだ。アンタは立派な仲間だ。それにアンタには人を引きつける不思議な力があるみたいだしな。」

それを聞いた梨香が一瞬表情を崩したのを阿部は見過ごさなかった。

圭一は続ける。

「俺達は戦いつづける…仲間が苦しんでる時に黙っていられるかよ!俺達は仲間だ!そうだろ、皆!」

圭一の言葉に賛同するかのように皆がうなづく。

どうやら部活仲間の結束は相当な物らしい。

「俺達で沙都子をたすけるんだ!」

圭一は劇場めいた芝居の様な立ち振る舞いで熱を込める。


まだ現実を分かって無いケツの青いガキどもだ…阿部は冷静にそう思った。

16: 2010/09/03(金) 11:48:12.14 ID:oGxd2nsF0
「分かった…俺にも協力させてくれ…だか、今日はもう遅い。親が心配するからお前らは帰れ。」

阿部は古びた椅子に座りながら静かに言った。

会場のオーナーにそう言われてはたまらない。

皆は静かに立ち上がると、阿部に黙礼をして、各々の帰路に着いた。

阿部は座ったまま考えた。


児童相談所ですら匙を投げた哀れな少女…昨年失踪してしまったその兄…鉄平という叔父…。

17: 2010/09/03(金) 11:49:44.07 ID:oGxd2nsF0
いつもそうだ…いつも余計な事に要らないせっかいを焼いてしまう。 阿部はとある予備校生を思い出しながら一人ほくそ笑んだ。

まさき…確かそんな名前だったかな…。

阿部は一人で含み笑いをした。

「すいません…。」

唐突に入口から顔を出した見知らぬ女に声を掛けられ、阿部はとびあがりそうな程驚いた。

「何だい?」

阿部は冷静に務めたが、それでも目を丸くして尋ねた。

「車の調子が悪くて…ここ…修理工場なんでしょ…?ちょっと直して下さらない?」

明るいグレーのズボンに緑色のカーディガンを羽織った金髪の美人だ。

「どれ…見せてみな。」

18: 2010/09/03(金) 11:50:52.46 ID:oGxd2nsF0
阿部は工具箱を持つと立ち上がり、その女の後に付いて行った。

女は表に止めてある白いバンの前で止まった。

「これなんです…」

華奢で美人な女に似合わないバンだと思いながら阿部はフロントを覗き込み、ゾッとした。

そこにはまだ真新しい血が飛び散り、バンパーから滴っていた。

フロントライトの辺りに人毛らしき毛の束もこびりついていて、ライトは衝撃のためかヒビが入り、フロントも微妙に歪んで塗装が剥げている。

「鹿をはねてしまって…何とかなりませんか…?」

女は淡々とそう言った。

「ああ…少し見てみようか。」

19: 2010/09/03(金) 11:52:08.82 ID:oGxd2nsF0
阿部は吐き気を堪えながら、フロントをあけ、調子がおかしくなった原因をマグライトで照らしながら探る。

原因はすぐに分かった。

何かを轢いた衝撃の為か、ヒューズの一部がイカれていた。

これでは満足に走る事も出来まい。

阿部は工具箱から新しいヒューズを取り出すと、すぐに付け替えた。

「ちと…洗車が必要だか…これで大丈夫だろう。」

阿部は表情を引きつらせながら言った。

「ありがとう御座います…助かりましたわ…。」

女はニコリと微笑んだ。

「あの…私がここにいた事は決して口外なさらないで下さるかしら。」

20: 2010/09/03(金) 11:53:53.45 ID:oGxd2nsF0
女はほほ笑みながらそう言うと、わざとらしく大きい胸を強調させるように腕を組んだ。

「他の人に知られると都合が悪いのよ…だから…ね?」

女は腕を組みながら、カーディガンから覗く胸の谷間をわざとらしく見せつけた。

そう言う事か。

阿部は悟った。

「心配しなさんなお嬢さん…無理をしなくても、俺は何も言わんさ。」

「あら、そうですか…。」

女は胸を強調させるのを止めると、ポケットをまさぐり、阿部に近付いた。

「修理代と口止め料です…これだけあればたりるでしょ?」

女はそう言うとズボンのポケットから紙の束を取り出し、無理矢理阿部の手に握らせた。

「いいですか…決して口外なさらないでね。」

21: 2010/09/03(金) 11:55:10.04 ID:oGxd2nsF0
女は再びそう言うとバンに乗り込み、サッサと行ってしまった。

阿部は何かで車のナンバーを隠していたのを見過ごさなかった。

それから阿部は手渡された紙の束を改めて眺めた。

ざっと三十万前後はありそうな額の札束だった。

阿部はフンと鼻を鳴らすと、工場の中へと戻って行った






「阿部高和…今日雛見沢に越して来た小悪党ね」

鷹野三四はバンを運転しながら不敵な笑みを漏らした。

「高校卒業後、都内の自動車修理工場に就職するものの、上司を殴って傷害で逮捕…その後転々として、今度はよりによって雛見沢…今の時期に越して来るなんて運が悪いわ。」

23: 2010/09/03(金) 11:56:31.52 ID:oGxd2nsF0
「これを見られて…消さなくていいんですかい?」

後部座席から髪を後ろで縛った人相の悪い男がヌッと顔を出した。

「つまらない事にむやみに山狗は使わない事よ、小此木。どうせ他の村人と同じ運命をたどるわよ。」

さもつまらなそうに鷹野は言った。

「おっしゃるとおりで…。」

小此木と呼ばれた男はニヤリと口許を歪ませた。

「一応山狗に監視させときます。なに…あんな男の一人や二人…何か嗅ぎ付けた所で一捻りですよ。」

「でも注意することね…あの男…結構やるわよ…ゲイだし。」

不敵な笑みを崩さず、鷹野はこたえた。

暗い山道を干た走るバンはさらに山奥へとその暗い身を進めた。

24: 2010/09/03(金) 11:58:02.74 ID:oGxd2nsF0
時刻…北条家




北条沙都子はこぼれた味噌汁とお椀を前に子犬の様に震えていた。


「のお…沙都子。きさん分かっちょるやろな。」


金髪パンチパーマに強面の彼女の叔父、北条鉄平は彼女の後ろから胸に手を回し、ナメクジが這う様に胸をなで付けながら、粘液の様にねっとりとした口調で言った。

「粗相一回でビンタ…二回で縄縛り…三回で…のお、沙都子。」

「ごめんなさい…許して下さい…もうしません…しませんから…。」

顔面蒼白の沙都子は蚊の啼く様なか細い声で繰り返し、繰り返し呟いた。

鉄平はニヤニヤしながら、彼女の頬を流れる冷や汗を嫌らしくベ口リと舐めて言った。

「沙都子…わしも辛い…しつけは保護者の役目じゃからのお…仕方のないことじゃけぇ…。のお…沙都子…。」

沙都子の胸をなで付けていた鉄平の手が、沙都子の半ズボンへと伸びた。

「…あ」

かすれた声を漏らした沙都子の顔が紅潮していく。

25: 2010/09/03(金) 11:59:31.12 ID:oGxd2nsF0
鉄平の手が沙都子の半ズボンの中に進入し、しきりに中をまさぐる。


「もう気持ち悪いのやだぁ…」

沙都子は顔を赤らめながら涙を流した。


鉄平の指が、まだ毛も生え揃わない沙都子の湿りかけたクレバスを押し広げんとした刹那、突如として玄関から轟音がした。


戸が破られたようだ。


「なんね…こんな時間に…。」


鉄平は沙都子から手を放すと、居間から玄関へと向かった。


玄関には一人の漢が立って居た。


鉄平は忌々しそうに怒鳴った。


「おんどりゃあ!何の用じゃい!」

26: 2010/09/03(金) 12:02:11.31 ID:oGxd2nsF0
青いつなぎを着た男前はそのまま玄関に立ちすくみ、言い放った。

「今晩は…阿部自動車修理工場の者です。今日越して来たので挨拶に来たよ。よろしくお願いします、鉄平さん」

「きさん…なめとんか…戸壊かしよってからに…。」

「閉まってたから開けたまでだ。」

阿部は不敵な笑みを浮かべたまま、土足で家に上がり込んだ。

「靴を脱がんか!」

鉄平が怒鳴るのなどかまうものか。

阿部はツカツカと前進した。

すると居間の隅で怯えてうずくまっている沙都子と目が合った。

「やあ沙都子こんばんは。」

放心しているのか、はたまた驚いているのか、返事は無かった。

鉄平は沙都子を一瞥すると、阿部に近付き、胸倉を掴みあげた。

「おいおい…放さないと酷いぜ。」

阿部は掴みあげた鉄平の手を逆に掴むとギリギリと締め上げた。

不敵に笑みを浮かべる顔とは裏腹に物凄い力だ。

27: 2010/09/03(金) 12:03:44.80 ID:oGxd2nsF0
鉄平の顔が苦痛で歪む。

「い…一体何の用ね…。」

顔に脂汗を浮かべながら鉄平が再び尋ねた。

「沙都子は俺が預かる。なぁ…いいだろ?」

互いに睨み合いながら、詰め寄る。

「こんなガキん子一人の為にお前は来たんか…?」

鉄平の問いに阿部は無言でうなづいた。

「え…ええよ。好きにせいや。」

鉄平は怯えた顔に脂汗を滴らせ、そう答えた。

「ありがとう…感謝するよ。」

阿部は掴みあげた鉄平の手首を、汚物でも放る様に放し、言った。

「ああ…忘れてた。引越しの挨拶にきたんだったな。」

ヒイヒイと喚きながら赤くなった手首を擦る鉄平の顔面のど真ん中に豪拳が振り降ろされ、鼻血を噴出して失神したのはそれからすぐの事だった。

30: 2010/09/03(金) 12:08:51.25 ID:oGxd2nsF0
阿部は居間まで行くと放心しきった沙都子を抱き抱え、玄関まで歩いて行った。

「これはほんの気持ちだ。氏ぬまで大切にとっとけよ。」

最後まで粋な計いを忘れない阿部であった。





自宅に戻ってから阿部は、隣りに住む知恵留美子とかいうカレー臭い変な女にお裾分けされたカレーライスを沙都子に振る舞ってやった。

まだ現実を把握しきって無いのか、沙都子は無表情のままカレーライスを食べ始めた。

「腹一杯食えよ沙都子。今日からお前は俺の妹分だ。よろしくな。」

阿部は優しく沙都子にそう言った。

その言葉を聞いて沙都子はやっと現実を理解したのか、はたまた別な何かがあるのか…沙都子は阿部に抱き付くと、大声をあげて泣き始めた。

「いいんだよ沙都子、グリーンだよ。」

阿部はいつまでも沙都子の頭を撫でてやった。

31: 2010/09/03(金) 12:10:23.16 ID:oGxd2nsF0
シナモンのような甘い香りがする彼女の髪の毛を阿部はいつまでもいつまでも撫でてやった。

と、不意に玄関がノックされた。

誰だろうか…阿部はすすり泣く沙都子を一旦引き離すと玄関の戸を開けた。

そこには、黒いワイシャツに赤いサスペンダーを付け、ダンディズム溢れる顔付きのガッシリずんぐりとした男が立っていた。

「こんばんは、わたくし興宮署の大石と申します…。」

黒い警察手帳を手の中でプラプラとさせながら、その男は続けた。

「北条の件でうかがったのですが…もう、分かりますよね。」

阿部は観念したように、コクリとうなづいた。

「しかし、鉄平側がいかにも殴られた顔の傷は転んでつけただの、沙都子ちゃんは自分であなたに預けたと言い張ってましてね…。その件は目を瞑りましょう。ただ問題は…」

大石が続けた。

「彼の立ち位置なんですよ、阿部さん。彼はとある殺人事件の重要参考人としてマークされてましてね…あなたに下手に関わってもらいたくないんですよ…分かりますか?」

大石は阿部をねめつけるように言った。

32: 2010/09/03(金) 12:12:01.15 ID:oGxd2nsF0
「たかが底辺労働者の一人が正義漢ぶるな…そう言いたい訳です。このヤマを逃したら阿部さん…あなた責任がとれますか?」

阿部は頭に血が上りかけたが、二の句が継げなかった。

「これ以上騒ぎをおこすと阿部さん…あなたを逮捕します。これは警告です。」

大石はジッと阿部の目を見て、阿部の出方を探った。

だが阿部は大石の目を見つめ返すだけだった。

大石はクスリと笑うとフウと息を吐いて言った。

「まあいいでしょう。今日はこのくらいにしておきます。それではおやすみなさい。」

大石はそう言うと踵を返し、帰って行った。

阿部はその背中をただじっと見つめていた。

イヤミったらしくてクセのあるいい男じゃないの…。

33: 2010/09/03(金) 12:13:22.48 ID:oGxd2nsF0
阿部さん!」

不意に横から大きな声で呼び掛けられて、阿部は心底驚いた。

阿部が横を向くと、隣りの家の玄関の前で口の端にカレーを付けた知恵留美子が腰に手を当てて、眉を尖らせていた。

「実は私、沙都子ちゃんの担任なんです!阿部さん!全部聞いてましたよ!」

怒った顔のまま知恵は続けた。

「暴力なんて…理由はどうあれ許されません…それに警察に目をつけられて…あなたはいいでしょうけど沙都子ちゃんはどうなるんですか!」

知恵先生の剣幕に阿部は恐縮しっ放しだった。

「すいません先生…だけど今日皆から沙都子の事を聞いていてもたってもいられなくて…。」

35: 2010/09/03(金) 12:14:37.59 ID:oGxd2nsF0
「皆って誰の事ですか!?」

「前原圭一と竜宮レナ、園崎魅音と詩音…それから古手梨花です。」

阿部は俯きながらあっさりとゲロッた。

「全くあの子達は…。明日私から言っておきます!それから阿部さん!」

「はい」

「沙都子ちゃんは寝る前に必ず歯を磨かせて下さい…いいですね!」

知恵先生は一段と凄い剣幕で阿部に言いつけた。

「…分かりました。だけど先生…一ついいですか…。」

恐る恐る阿部が言った。

37: 2010/09/03(金) 12:15:35.57 ID:oGxd2nsF0
「なんですか?!」

阿部は自分の口の端を指でさしながら言った。

「カレー付いてますよ。」

知恵先生はハッとして口を拭うと、顔を真っ赤にした。

「どうして最初に言ってくれないんですか!!もう!!」

知恵先生はこれまた一段と凄い剣幕でそう言うと大股でスタスタと帰って行った。

やっぱり変な女だな。阿部はそう思った。

39: 2010/09/03(金) 12:16:34.88 ID:oGxd2nsF0
同時刻…鷹野邸




鷹野三四は出来の悪い粗末な木彫りの人形をいつまでもいつまでも見つめていた。

まるでそれが一つの恋愛小説かのように、熱心にそれを眺めていた

あの男の子…生きて居れば今は私ぐらいの年だろうか…。

鷹野は葉に蝶が止まるかのように静かに目を閉じた……。

41: 2010/09/03(金) 12:17:38.80 ID:oGxd2nsF0
十数年前…とある孤児院にて




「ごめんなさい…ごめんなさい…」

今日も夜通し聞こえる弱々しい懇願の声をBGMに粗末な二段ベットで美代子は眠りに付いて居た。

ここでの楽しみと言えば食事と眠る事だけだった。

絶望と職員の暴力だけがここを支配していた。

そんなとある日の事だ。

その夜は雨が降っていた。

いつもの四人部屋の中で美代子だけは眠れぬ夜を過ごしていた。

「この野郎!こっちに来い!」

遠くから聞こえる職員の怒声が美代子の耳に吸い込まれる様に入って来た。

42: 2010/09/03(金) 12:19:05.20 ID:oGxd2nsF0
床に入っていた美代子はどうしてもそれが気になり、床を出て、薄暗い廊下を覗いてみた。

そこには坊主頭の如何にもいたづら小僧風の男の子が、職員に何度も足蹴にされて居た。

「また就寝時間に抜け出しやがって…今度という今度は許さん!」

職員はそう怒鳴ると、その子のズボンとパンツを脱がし、棍棒を手にした。

「貴様を女にしてやるよ!このオカマ!」

職員はそう言うとズボンのファスナーを開け、自身を取り出した。

そして、男の子を四つん這いにさせると、棍棒で打ち据えながら、美代子の到底想像に及ばない様な蛮行を繰り広げた。

余りの惨状に美代子は言葉を失った。


それから数日というもの、美代子はそのことが頭から離れなかった。

それと同時に、その坊主頭の男の子の事も美代子の意識にこびりついた。

そして数日後の掃除の時間…美代子はその月の掃除区域が割り振られた。

そこは普段職員の目が届かない用具倉庫だった。

43: 2010/09/03(金) 12:20:43.92 ID:oGxd2nsF0
それだけで普段厳しい監視の目を逃れられて儲け物だったが同じく配属されたのが、その男の子だったのだ。

だが、美代子は困惑した。

それもそうだ。なにせ美代子が人生で始めて意識した異性なのだ。

どうしていいか分からないのも無理は無かった。

そして掃除の時間。彼女は狭い用具倉庫で彼と二人きりになった。

何故か美代子の胸は高鳴り、あの日の壮絶な光景と重なって、彼をまともに見れなかった。

彼女は黙々と掃除をする。 彼を見ずに。

意識するがゆえ、彼を見れない美代子に彼は歩み寄った。

何故か赤らめながら掃除をする美代子の肩を彼はトントンと叩くと、笑顔で何かを差し出した。

懐かしい甘い香り…どこから仕入れて来たのかそれはチョコレートの欠片だった。

こんな厳しい生活で、久しい甘い甘いお菓子。

美代子はチョコレートの欠片を摘むと、改めてかれの目を見た。

曇りのない純粋な笑顔、どこか茶目っ気のある純粋な笑顔。

彼は食べろ、と言わんばかりにしきりにうなづいた。

44: 2010/09/03(金) 12:22:12.85 ID:oGxd2nsF0
彼女は彼の目を見ながらチョコレートの欠片を口に含んだ瞬間、生まれて始めて恋に落ちた。甘い味覚にだまされない純粋な恋。

も金も何もかもが絡まない純粋な恋だ。

幼稚で不器用で、山岩からわき出る清水が如く純粋な恋…。

幸い、建物から遠く遠く離れた用具倉庫までは職員の目は届かなかった。

彼らは気の許す限り、お互いを語り合った。

出身から生い立ち、好きな色から何もかも。用具倉庫は笑顔で包まれた。

唯一つ分からなかったのは、お互いの名前…。

これは最後の最後まで分からなかった。

しかし、美代子はその月の掃除の時間が楽しみで楽しみで仕方が無かった。

彼に会える…彼と話が出来る…それだけで美代子は舞い上がった。

しかし、美代子の生まれて初めての恋は儚く、そして白昼夢のように短い物だった。




彼らはそこの掃除当番最後の日…生まれて初めて口付けを交わした。

45: 2010/09/03(金) 12:23:54.40 ID:oGxd2nsF0
美代子にとって口付けなど、生前父に連れて行って貰った西洋のトーキー映画で見たぐらいだった。それを今美代子は体験している。

美代子ははち切れそうになるのをしきりに我慢した。

長くそして短い口付けの後に彼から手渡されたのが、現在三四が持って居る粗末な木彫り人形だった。

彼からすれば手切れのようなプレゼントだったのかもしれない。

だが、彼女にとっては一生のプレゼントとなった。

こうして掃除終了のサイレンとともに彼女の短く儚い恋は終わった。

それから彼とは二度と会わなかった…いや、会えなかった。

孤児院脱出劇の際に少し欠けてしまったが、社会的に大成した今でも大切に保管してある。

彼女は時々思った。彼はどうなったのだろうか…。

孤児院で殺されてやいないだろうか…否、今は幸せに暮らして居るのだろうか…。

彼女の想いは尽きなかった…現在も。

彼女はそっと目を開けた。そこには変わらずに粗末な木彫りの人形があった。

47: 2010/09/03(金) 12:25:20.16 ID:oGxd2nsF0
それは彼女の生きがいでもあり、糧でもあった。

「三四さん…まだ起きてたのかい?」

ふと…背後から声がした。

「ジロウさん…。」

三四は即座に答えた。

彼の名は富竹ジロウと言った。

三四も所属している東京という組織から配属された工作員だったが、名目上は彼と交際関係にある事になっている。

彼女の雛見沢風土病研究上重要な位置にある男だが、所詮彼女にとって駒の一つに過ぎなかった。

肉体関係にはあったが、それだけの男だ。

向こうはどうおもっているのかは知らないが…。

「突然背後から話しかけるなんて、紳士にあるまじき行為よ。」

49: 2010/09/03(金) 12:26:36.37 ID:oGxd2nsF0
「心配なんだよ…三四さんの体が…。」

そう言うと富竹は三四の体を抱き寄せた。

「ジロウさんたら…。」

三四はさも甘えた様な猫なで声でそれに答えた。

「今日は研究詰めだったじゃないか…それに来週は綿流しもある…今日はもう寝よう…布団敷こう…ね?」

富竹が鷹野の肩を揉む。

鷹野はそれを無視するかのように木彫り人形を見つめていた。

「それは…?」

「言ってなかったかしら…私の大事な大事な御守りなのよ。いつもこうして寝る前に眺めてるの…。」

「随分と不細工な人形だねぇ。まるで子供が作ったみたいだ。」

鷹野は目を細めた。

51: 2010/09/03(金) 12:27:53.22 ID:oGxd2nsF0
「ええ…そうね…。」

「さあ…行こうか。」

鷹野と富竹は寄り添うように部屋を出た。

木彫り人形は机の上で静かに佇んでいた。







沙都子が阿部の妹分になってからというもの、七人はベーコン、レタス、トマトのBLTサンドイッチの如く、楽しい時間を過ごした。

ただ気になったのは梨花とレナが時折暗い表情を見せ、詩音と魅音が口喧嘩をしていた事だった。

お互いを信頼し、何事もざっくばらんに相談出来る【仲間】の存在があるにもかかわらず、こころに何か陰りがあるかのようだ。 阿部はそう思った。

「阿部のおじ様…どうしまして…顔色が御悪い様でしてよ?」

テーブルの向かいで御飯のお椀を持ちながら、沙都子が心配そうな顔で覗き込む。

52: 2010/09/03(金) 12:29:30.42 ID:oGxd2nsF0
「何でもないよ。」

阿部は浮かない顔でそう答えた。

「でも全く召し上がってらっしゃらないではないですか…。」

「ちょっと散歩してくるよ。夜風に当たって来れば少しはマシになるよ。」

そう言うと阿部は立ち上がり、玄関から出て行った。





阿部は田んぼの脇の砂利道を歩いていた。

数日前から思って居たのだが、誰かに見られて居る気がしてならない…。

阿部は青い作業服のポケットに手を入れると、口ずさんだ。

「か~ご~め~かご~め~、鶴と亀が滑った…。」

丁度阿部の後ろで砂利が騒々しい音を立てて転がる音がした。

確かに誰か居るらしい。

「後ろの正面…だあれ…。」

阿部は振り向いた…。

53: 2010/09/03(金) 12:30:59.04 ID:oGxd2nsF0
その三十分前…入江医院




「はい…阿部高和ですね…御心配なさらずに…きちんと監視してます…。」

鷹野三四からの電話にため息交じりに、若き医院長の入江京介は答えると、静かに電話を切り、改めて梨花と向き合う。

「それで梨花ちゃん…お話しって一体何かな?」

「僕が言える事はただ一つなのです…阿部高和には気を付けて欲しいのです…。」

梨花は浮かない顔でそう言った。

「どうしてそう思うのかな…だって彼はただの自動車修理工だよ…。」

「…そんな気が…するからですよ…入江…。僕はもう帰るのですよ…僕のお腹の虫さんがグーグー鳴いてるのです…みぃ…。」

梨花はそう言うと俯きながら診察室から出て行った。

「…梨花ちゃん……どうして突然そんな事を…」

54: 2010/09/03(金) 12:32:25.23 ID:oGxd2nsF0
入江は梨花の突然の発言に困惑した。

入江自身、阿部は何ら問題の無い人物だと思っていたからだ。

マークの必要も無いとさえ思っている。

ただ単にここに越して来た時期がわるいだけで…。

入江はふう、とため息をつくと、窓の外を見た。

丁度そこには診療所の前の山道を歩く阿部の姿が見えた。

入江はハッとして、窓に飛び付き、彼を目で追った。

ふてくされた様な粗暴な印象を受ける歩き方をしてるものの、どこか憎めない優しさをにじませる彼の顔を、入江は嫌いになれなかった。

入江は急いで山狗に電話をした。

「入江先生…どうしました?」

相手はすぐに出た。

「阿部高和への監視は続けてる最中ですか?」

55: 2010/09/03(金) 12:33:32.30 ID:oGxd2nsF0
「はあ…それが何か?」

「監視を一時中断して下さい。」

「…えっ?」

「監視を一時中断して下さい…暫くは私が監視を引き継ぎます。」

「しかし入江先生…!」

「鷹野さんには話を通してあります。それじゃあよろしくお願い致します。」

口からの出任せを言うと、半ば強引に電話を切った。

そして、備え付けの鏡で髪型をサッと整えると、診察室を飛び出して、阿部を追った。

だが入江は知らなかった。

待合室に梨花がまだ居て、一部始終を眺めていた事を…。

梨花は皮肉るようにクスリと笑うと、入江の後から診療所を出て、闇へと消えて行った。

56: 2010/09/03(金) 12:34:45.46 ID:oGxd2nsF0
監視を継続する…とは言ったものの入江は阿部の後を付けながら途方に暮れて居た。

なにせ下は砂利道なのだから、注意して歩かないと阿部に感づかれてしまうし、何より街灯一つ無いので暗い…。

入江は四苦八苦しながら、砂利道を歩き、やっとこさっとこ付いて行った。

すると阿部が突然、ポケットに手を入れて立ち止まり、カゴメカゴメを歌い出す、どこかの渋川のような真似をしだしたからたまらない。

普段歩き慣れない格好で歩いて居た入江は驚いて尻餅をついてしまった。

程なくして振り返った阿部に、彼は見つかった。

「…良い男が俺に何か用かい?」

阿部は怪訝そうに入江を見ながら言った。

入江はただただ唖然としていた。

57: 2010/09/03(金) 12:36:12.43 ID:oGxd2nsF0
三十分後…阿部自動車修理工場




「いやぁ、驚かせて申し訳無かった入江先生…。」

阿部は入江先生の手のひらの擦り傷にオキシドールを塗りながら謝った。

「いえ、こちらこそ後ろを歩いているのに挨拶もしないで…」

オキシドールがしみるのだろうか…時折顔をゆがませながら入江が答えた。

「しかし、ここらの名士の入江さんが俺に何か用かい?」

オキシドールを塗り終わった阿部は、脱脂綿を捨てると改めて入江に向き直った。

「いえ、ただ近所同士の付き合いを…」

阿部は入江に何かしら裏がある事を見て取り、戸棚から焼酎の瓶とグラスを取り出すと、乱雑に入江の前に置いた。

「勤務時間外なら是非つきあって貰いたい物ですが…。」

阿部は入江のグラスに焼酎を注いで、入江を見た。

入江はニコリと微笑むと、一気にグラスを扇いだ。

58: 2010/09/03(金) 12:37:45.10 ID:oGxd2nsF0
阿部はニヤリとほくそ笑むとチビチビとグラスを傾けて、入江を見つめた。

「入江先生…あんた欲しいモンがある顔をしてる。そうだろ?」

不敵な笑顔を顔に浮かべながら阿部は囁くように呟いた。

薄暗い裸電球がより一層淫靡な空気を醸し出す。

「阿部さん…。」

入江が顔を赤らめて、俯いた。

「分からないんです…阿部さんを見てると、何故か胸が苦しくなって…ドキドキして…私はメイドさんが好きなのに…何でこんな…。」

「入江先生。」

阿部は真っ直ぐと入江を見つめて言った。

「そりゃ恋ってヤツですよ…アンタ俺に惚れてる。」

59: 2010/09/03(金) 12:41:25.82 ID:oGxd2nsF0
阿部は入江の目を見つめながら、机に乗り出し、口づけをせんと入江の唇に自分の唇を近づけた。

顔を赤らめて戸惑っていた入江だが、仕舞いには目をつむり、阿部を受け入れんと唇をツンと差し出した。

「あうあう…。」

まさに唇が触れんとした刹那、戸口から奇妙な声が聞こえた。

戸口から恐る恐るひょこっと顔を出して、不安げな顔をしている紫色の長い髪に角のような髪飾りを付けた可愛らしい女の子だ。

阿部と入江は面食らって、慌てて離れた。

「珍しいお客さんだな…。」 阿部が呟く。

「こんな遅くに一人でどうしたんだい?名前は?」

入江がニコリと微笑むと、その女の子に言った。

「ボクは羽入…古手羽入と申します。」

「古手…?梨花ちゃんの親戚かい?」

「そ…そうなのです…あうあう」

60: 2010/09/03(金) 12:44:05.65 ID:oGxd2nsF0
相変わらず不安げな顔をしながら羽入と名乗った少女が答えた。

「家は…?」

「家は…無いのです…」

入江と阿部は困った顔をした。

はて、どうしたものか…。

「何なら、俺の家に来るかい?沙都子も喜ぶ…どうだい?」

阿部が腕を組み、笑みを浮かべながら言った。

「でも…迷惑なのです…今日は梨花の所に…」

「…羽入…こういう時は遠慮せずにホイホイついて来るもんだぜ?何なら梨花ちゃんも連れて来な。」

入江は阿部を見ると笑みを浮かべ、ふぅと息をついた。

「阿部さん…私はそろそろ診療所に帰ります。焼酎御馳走様でした。」

「ん…もうか?案外早いんだな。」

「やり残した仕事がありますので、では。」

そう言うと入江は診療所に向かってフラフラと歩き始めた。

61: 2010/09/03(金) 12:45:36.78 ID:oGxd2nsF0
羽入は相変わらず不安げにモジモジしている。

「梨花ちゃんは後から迎えに行く…どうだい?」

優しく阿部は言うと、羽入はようやくコクリとうなづいた。

二人は手を繋いで、カエルの声がうるさい畦道をとぼとぼと歩いていった。

羽入と阿部が家に帰ると、既に沙都子は寝ていた。

無理もない…テレビでは久米さんがニュースステーションをしている真っ最中だ。

「遅かったのです…高和…。」

キッチンから声がした。梨花の声だ。

「梨花ちゃん来てたのかい?」

ダイニングテーブルに腰掛けて、不敵な笑みを浮かべた梨花がこちらを見つめていた。

「あうあう…」

羽入が申し訳なさそうに阿部の後ろからひょっこり顔を出して梨花を見つめた。

「羽入!」 梨花は大層驚き、目を丸くした。

62: 2010/09/03(金) 12:46:43.32 ID:oGxd2nsF0
どうしてここに…。」

「ボクはもう逃げないのです。運命に必氏で抗うのです。」

「羽入…。」

「話の途中で悪いんだが、お二人さん。寝る時間だ。歯を磨いて寝るんだぞ。梨花ちゃんも遅いから泊まってけ泊まってけ。」

沙都子が寝息を立てて眠る中、阿部は静かに言った。

静かに見つめ合う梨花と羽入とは対照的に、外ではカエルが騒々しい鳴き声を上げていた。





梨花と羽入が寝かし付けてから、阿部は外に出て、タバコをふかした。

星と月以外明かりと言っていいモノが無い中、タバコの火が煌々と燈っている。

カエルと隣の知恵先生の寝息を聞きながら、阿部はふと畦道に視線を走らせた。

63: 2010/09/03(金) 12:47:58.48 ID:oGxd2nsF0
人影がモソリと動き、こちらに向かって来ている。

何事かと阿部は身構えた。

「うぅ…。」 聞き覚えのある声だ。

「…レナか?」 阿部は囁くように言った。

「…阿部さん…。」

一呼吸置いてからレナの声がした。

随分と疲弊した印象を感じる。阿部はフウと息を付くと、レナに近づいて行った。

「どうしたんだ…こんな時間に…。」

徐々にレナに近付くにつれ、阿部はレナの様子がおかしい事に気が付いた。

全身泥だらけで、服は所々破けて白い肌を覗かせている。
破けて開けた胸を恥ずかしげに隠すように手を胸に置いていた。

64: 2010/09/03(金) 12:49:27.64 ID:oGxd2nsF0
顔や身体は傷だらけ、顔は殴られたのか…目が腫れ上がり、唇は切れて血を滲ませている。

フラフラと歩くレナに阿部は慌てて駆け寄ると、肩を抱き、その場に座らせた。

「レナ!何があった!?」 阿部がさぞ驚いたように尋ねた。

「…今日ね学校から帰る途中でいきなり殴られたの…沙都子ちゃんのおじさんに…それから森に引きずられて…また殴られた。」

大粒の涙を流しながら、たどたどしい口調でレナは続けた。

「それから…何度も殴られた…途中で阿部と一緒につるんでる報いだって、また殴られて…気を失って…それで…。」

「レナ…もういい…。もういい。」

嗚咽を漏らしながらも必氏で言葉を繋ぐレナを阿部は制し、静かに抱きしめた。

この少女に起きた惨い出来事を想い、自分の無力さと愚かさを呪った。

「レナ…すまない…。」

自分があの時…後先考えずに行動していなければ…余計な事に首を突っ込まなければ…レナはこんな事にはならなかった。

65: 2010/09/03(金) 12:50:49.24 ID:oGxd2nsF0
「…家に帰りたい…帰りたいよ…。」

嗚咽を堪えて静かに囁かれたレナの言葉に阿部は心が引き裂かれんばかりになった。

「ごめん…ごめんなレナ…。」

月明かりが照らす蒸し暑い夜の畦道で、二人は抱き合い、長い間動けなかった。。



「言わんこっちゃ無い…阿部さん。」

唐突に声がした。阿部は声がする方を向いた。

タバコをくわえた大石がノソリとした様子でこちらに向かって来るのが見えた。

「余計な事に首は突っ込まない…それが大人のルールってもんです。」

大石は煙を燻らせて、阿部に抱き着くレナを優しく離し、地面に座らせた。

「辛かっただろうに…。」

大石はレナにそう言うや否や、押し黙る阿部に強烈な右フックを叩き込んだ。

鈍い音がして、阿部の口の中に塩辛い血の味が広がった。

66: 2010/09/03(金) 12:52:10.74 ID:oGxd2nsF0
「阿部高和!彼女の痛みはこんなもんじゃあ済まされない!仲間を、何より自分自身を大切にしろ!」

激昂した大石が阿部を怒鳴り付けた。

阿部は口から血を滲ませながらも、大石をジッと見つめた。

「…弱いからこそ暴力に頼る、無力だから暴力を振るう…。暴力だけではなにも解決しない。」

先程とは打って変わって静かな口調で大石は続けた。

「しかし、無力な暴力が正しい事もある。正しい事とそれ以外の事はほんの僅かな差なんです、阿部さん。」

「暴力が無力な事ぐらい、何も生み出さない事ぐらいとうに分かりきってるさ…だからこそ許せない事があるんだ…。」

「阿部さん…あんたまだ…。」

大石が拳を握り、再び一撃を加えんと、胸倉を掴んだ。

「もう止めて!」

レナが叫んだ。

67: 2010/09/03(金) 12:53:30.15 ID:oGxd2nsF0
「…もういいよ…阿部さんは悪くないし、大石さんも正しい…。」

「レナ…。」 大石は阿部の襟から手を離すと、フウと息をつき、阿部の肩に手を置いた。

「…さっきは殴ってすいません…つい頭に血が昇ってしまってね…。」

大石が照れ臭そうに、下を向いて言った。

「…あなたの行動は確かに勇気があって…正しかったのかもしれません…だけどその結果レナちゃんが酷い目にあってしまった…阿部さん私はあなたが個人的に好きだ…だからこそ許せなかったんです。」

「大石さん…。」 阿部はほくそ笑むと、レナの方を向いた。

「レナは…?」

「…私は…私は大丈夫だよ…だよ…。」 レナが弱々しく言った。

「彼女は家に帰します。今はなにより休んだ方がいい。調書はレナちゃんが落ち着いてから取ります。とにかく休養が必要です。」

68: 2010/09/03(金) 12:54:25.46 ID:oGxd2nsF0
大石はレナの肩を抱いてやると、歩く補助をしてやった。

「阿部さん…無力が正しい事もあります。言ってる意味が分かりますか?弱けりゃ弱いなりの意地をみせてやって下さい。」

大石の力強い言葉に阿部は大きくうなづいた。

「レナ…安心しろ、お前の笑顔は俺が責任を持って取り戻す。必ずな。」

煌々と照る満月が三人の前途に光りを照らす。

光によって出来たかげさえも、ちっぽけに思えた。

一部始終を玄関から眺めていた梨花と羽入は、顔を見合わせると、再び床へと戻っていった。

「羽入…歯を磨きましょ。」

羽入はコクリと頷いた。

69: 2010/09/03(金) 12:55:36.88 ID:oGxd2nsF0
翌日…阿部は力強い歩を持って再び北条家を目指して歩いて行った。

その顔には一片の迷いも無かった。

北条家に着くと、閉まりきった玄関の扉を蹴り破り、大声を張り上げた。

「鉄平!レナに代わって昨日のお礼を言いに来てやった!来なよ!」

不意に奥から鉄平が現れ、便所にこびりつい糞の如き小汚い笑みを携えて歩いて来た。

「…来るのを待っとったよ…阿部高和…。」

鉄平の手にはギラギラと光るドスが握られていた。

「…そんな立派なイチモツを持ってちゃ手加減はできないな…いいのかい?」

「望むところやんね。」

二人は互いにニヤリとほくそ笑むと、見つめ合った。

「ここは狭すぎる。表へでよう、な!」

阿部と鉄平は無言て外へと行き、互いに向かい合った。

70: 2010/09/03(金) 12:57:03.52 ID:oGxd2nsF0
カラリとした沈黙が二人を包む。

「ボケが!この前の礼じゃ!」

鉄平が先に仕掛けた。鉄平は阿部に突進すると、ドスをドテッ腹に突き立てんと勢い良く走って来た。

阿部はヒラリとそれを避けると、強烈なジャブとブロウを叩き込んだ。

ガタガタになった鉄平の鼻の軟骨に引導が渡され、大量の鼻血が鉄平の鼻から吹き出した。

だが鉄平はドスを払い、阿部を切り裂かんとしたが、寸でで避けられ、青いつなぎの肩口を切り裂くだけで終わった。

阿部は鉄平のドスを持つ手に中段回し蹴りをお見舞いし、ドスは離れた地面にザクリと鋭い音を立てて突き刺さった。

阿部は手を休めずに、更に反対の足で鉄平の顎に渾身の上段回し蹴りを食らわせた。

ガチリと歯と歯が噛み合わさり、鉄平の奥歯は粉々に砕けた。

ここで勝負はついたが、阿部は手を緩めずに、この前よりも更に強い力を込めて、鉄平の顔のど真ん中に拳をえぐり込んだ。

ゴキリと鈍い音がして、ついに鉄平は砂埃を盛大に巻き上げて倒れた。

真昼の決斗に決着がついた。

71: 2010/09/03(金) 12:58:42.59 ID:oGxd2nsF0
「そこまでだ、北条鉄平!貴様を殺人未遂と傷害の容疑で逮捕する!」

唐突に怒号が響き渡り、北条家の周りのから制服警官が飛び出して、鉄平と阿部を取り囲んだ。またア0ルはお預けだ。

「この間殺害された間宮リナの件でもタップリ話を聞かせてもらえますよ…ンッフッフ。」

森の茂みから悠々とした歩みで大石が出て来て、倒れ伏す鉄平の襟首を掴んで引き起こし、乱暴に手首を後ろへと捻って手錠をかけた。

鉄平は血の泡を吐きながらただぐったりとしていた。

「大石さん…あんた…。」

阿部が驚いた表情で大石を見つめた。

「熊ちゃん、何か聞こえましたか?」

「いえ、何も…大石さんはどうですか?」

「きっとオヤシロ様が鉄平に天罰を加えたんでしょうね…ボロボロですよ。」

72: 2010/09/03(金) 13:00:40.17 ID:oGxd2nsF0
二人の刑事は互いに顔を見合わせて笑った。

阿部は何が起きたかすぐに悟ったがまだ信じられずにいた。

警官隊は鉄平を拘束すると、パトカーに乗せてすぐにその場を後にした。

「それでは我々もおいとましましょうかね。」

大石はほくそ笑むとパトカーに向かって歩きだした。

「もし、誰かがいるんなら言っておきます。あなたは手段や理由はどうあれ正しい事をしたはずです。ただ今後は危ない事は無しですよ。
もし今度おいたをしたら、個人的に逮捕して取り調べをしちゃいますよ。」

振り返りもせずにそう言うと大石ともう一人の刑事は、パトカーに乗り込み、砂埃を巻き上げて行ってしまった。

まるで嵐が過ぎ去ったかのようだ。

阿部はしばらくその場で立ち尽くし、一人でクスクスと存分に笑うと、満足げに家に帰ろうとした。

「あの…阿部さん。」

何者かに呼び止められ、阿部は再びその場に立ち止まり、後ろを振り返った。

そこには下を向いて手をモジモジさせている魅音と、困った顔をした詩音が並んで立っていた。

「ちょっといいですか?」

73: 2010/09/03(金) 13:02:05.64 ID:oGxd2nsF0
詩音が困った顔に少し笑みを浮かべて言った。

阿部はしばらく考えてから、飄々と言った。

「ああ、もちろんいいとも。」




沙都子達三人が学校に行って誰もいない家に、阿部は魅音と詩音をあげてやり、冷たいアイスティーをだしてやった。

ダイニングテーブルに座る二人に向き合うように阿部は座ると改めて尋ねた。

「それで学校休んでまで一体どうしたんだ?」

「阿部さん、実は…お姉の事で相談があって…。」

詩音が神妙な面持ちで言った。

魅音は顔を赤らめながら床を見つめるばかりだ。 何事かと阿部が身構える。


「実はお姉…圭ちゃんの事が好きなんです…。」

75: 2010/09/03(金) 13:03:23.97 ID:oGxd2nsF0
「それで?」

更に顔を赤くして押し黙る魅音を尻目に、阿部は尋ねた。

「お姉…普段は豪傑なんですけど、圭ちゃんの事になるとてんで駄目で、この有様なんです。昨日も告白しようとしたけど、噛み噛みで会話にならないし…圭ちゃんは圭ちゃんで鈍いし…お姉はお姉でヘタレだし…毎日圭ちゃんの写真で練習する有様…。」

「だーーっ!そこまで言わないで!」

下を向いていた魅音が手足をバタバタさせて、詩音を制止した。

「…恥ずかしいから…もういいって!」

暴れる魅音を押さえながら、詩音が阿部を見据えて言った。

「阿部さん、圭ちゃんと仲いいし、男同士だから何かと都合がつきますよね…だから阿部さんに都合をつけて貰いたいと思って相談に来たんです。」

「なんだ…もっと深刻な事だと思ってハラハラしたぜ。」

ホッとして椅子にもたれ掛かり、胸を撫で下ろす阿部に、詩音は机をバンと両手で叩くと、おもむろに立ち上がり、声を荒げた。

76: 2010/09/03(金) 13:10:47.84 ID:oGxd2nsF0
「十分深刻な問題です!」

阿部はビクッとすると、姿勢を直した。

「…詩音…おじさん恥ずかしいよ…。」

魅音の顔は真っ赤っ赤だ。

「お姉もお姉です!イザと言うときに本当によわいんですから!」

「二人の言い分はわかった…微力ながら協力しようじゃないか。」

阿部は半分ニヤつきながらも快諾した。

「ありがとうございます!私の分もお姉には幸せになって欲しいんです!良かったですね、お姉。」

「う…うん…ありがとう阿部さん。」

「私は阿部さんと詳しい打ち合わせをするからお姉は先に帰ってて下さい。」

詩音は快活な表情で魅音に言った。

魅音は未だに顔を赤くしながらも、会釈をして、足早に家を後にした。

77: 2010/09/03(金) 13:12:11.28 ID:oGxd2nsF0
「で、どう魅音と圭一をくっつけるんだ?」

詩音は口を押さえ、しばし考え込んで言った。

「二人きりになった所が勝負だと思うんですよ…問題はどうやって二人きりにするか…。」

「上手くセッティングするわけか…どうなるか見物だな。」

阿部はニヤニヤしながら言った。

「圭ちゃんの鈍さと、お姉のヘタレがフュージョンすると最強ですからね…。ある意味厄介です。」

「しかし、詩音はなぜそこまで魅音の背中を押すんだ…?」

阿部が怪訝な表情で尋ねた。

「…お姉には、私のような思いをさせたくないからです。」

「…悟史か?」 阿部がそう言うと、詩音はゆっくりとうなづいた。

「去年の綿流しの事件の後に、まるではかない氷の粒の様にどこかへ消えてしまいました…それ以来会いたくても会えない…。」

78: 2010/09/03(金) 13:13:41.01 ID:oGxd2nsF0
急に悲しげな声色で詩音は言った。

「本当に愛したい時に、想いたい時に…私は相手がいないんですよ…?それがどんなに苦しいか…。」

「…詩音。」 阿部はなんとも言えない表情で悲しげな詩音を見つめた。

「会いたい…会いたいよ…悟史君…。」

阿部は椅子から立ち上がると、詩音の頭に手をおいて、撫でた。

「心配しなさんな…悟史だってこの青空の下のどこかでお前を思ってるはずさ。第一こんな可愛いお前をほっとくはずがないだろ。」

詩音の目からこぼれ落ちる涙をすくいながら阿部は続けた。

「こんな詩音を蔑ろにしちまうようなら、この阿部さんが悟史の所まで行ってお仕置きしてやるさ。」

「その涙は悟史に会えるまで俺が預かっておこう。それでいいな?」

詩音はコクリと頷くと、堪えきれなくなり、阿部に抱き着いて、胸に顔を埋めて盛大に泣き出した。

阿部は詩音の頭を撫でてやりながら、いつまでもいつまでも詩音の涙を青いつなぎに溜め込んでいた…。

79: 2010/09/03(金) 13:15:04.43 ID:oGxd2nsF0
翌日…綿流しの日が近付き、村は祭の準備で活気づいていた。

阿部は工場を一時休業にして、祭の準備に勤しんでいた。

阿部は材木を古手神社まで運び終えると、汗を拭い、ふうと一息ついた。

「おーい、阿部ちゃん!休憩しよう!」

既に麦茶を飲んでくつろいでいる公由村長が汗を流す阿部に言った。

「ああ。お言葉に甘えさせて貰うよ。」

阿部は笑顔で麦茶を受け取ると、喉を鳴らして飲み干し、顔を綻ばせた。

「しかし、阿部ちゃんは良く働くねぇ。お陰で準備がはかどっとるよ。」

「ああ、精力が有り余ってるのさ。発散させて貰ってるよ。」

阿部は爽やかに言い放った。

「そんなに精力持て余してるんなら結婚して、子作りでもすりゃあいい。ほら阿部ちゃん家の隣の知恵先生なんかを嫁にもらって…。」

「ははぁ…それはお似合いですなぁ。」と校長。

80: 2010/09/03(金) 13:16:14.69 ID:oGxd2nsF0
その話を奥で聞いていた知恵留美子は、驚いて顔を真っ赤にして食べていたカレーを吹き出した。

「ゲホッ、ゲホッ…ちょっと村長さん変な事言わないで下さいよぉ、もうっ!…阿部さんからも何か言ってやって下さい!」

「まあ…三食カレーを食わされるのはさすがに勘弁だな。」

阿部がニヤニヤして言った。

「そりゃそうだな…ハハハハハ!」

阿部を含めた村の皆が笑う中、知恵はプリプリと怒りながら、カレーを食べた。

「皆さん馬鹿にしてますけど、カレーは美味しいんですよ!」

知恵は眉毛をハの字にして、抗議した。 快活な笑い声が神社を包む。

「阿部さん、来てたんだ。」

不意に声をかけられて阿部は振り返った。

81: 2010/09/03(金) 13:17:30.40 ID:oGxd2nsF0
そこには部活メンバー五人と羽入が立っていた。

「おお、お前ら手伝いに来たのか…レナ、具合はどうだい?」

「うん、大分良くなったよ…たよ。」

手首に包帯を巻いて眼帯をしているものの、表情は明るかった。

「阿部さん、俺達に手伝える事があったら何でも行ってくれ!」

圭一が腕を曲げて、二の腕をパンパンと叩く仕種をした。

その隣で落ち着かない様子の魅音と、さりげなくウィンクで合図を出す詩音がいた。

阿部は心得たと、コクリと頷いた。

「そうだな。梨花ちゃんと沙都子と羽入はあそこの材木を切ってくれ、詩音とレナは三人が鋸で怪我しないように監督、魅音と圭一は俺と一緒に境内の掃除だ。」

「了解!」 七人はそれぞれ分担された仕事場に散らばった。

82: 2010/09/03(金) 13:18:44.82 ID:oGxd2nsF0
詩音は阿部に笑顔で親指を立てた。

阿部は再び笑顔でコクリと頷いた。




人が滅多に来ない神社の境内の掃除をしながら、阿部はちらりと二人の様子を見た。

圭一は黙々とほうきを振るっているが、魅音はやはり圭一を意識してか、ソワソワしている。

「圭一、ちょっといいか。」

阿部は少し離れた所に圭一を呼び出した。

「なにか用かい?」 圭一が何も知らずにヒョコヒョコと近付いて来た。

「俺はこれから下で残した仕事を片付けるからここには戻らん。お前らはあそこにある倉庫の中を掃除してくれ。終わったらそのまま帰っていい。どうせここいらには誰も来ないしな。」

阿部は平屋の民家程の大きさの倉庫を指差して言った。

86: 2010/09/03(金) 14:03:14.28 ID:oGxd2nsF0
「ああ、わかったよ。二人でやっておく。」

「それからだ、魅音がお前に何か言いたそうだったぜ。…それじゃあ、二人仲良くちゃんと掃除をするんだぞ。」

阿部はそう言うと、石段を軽快に駆け降りて行った。

圭一は振り返ると、ソワソワ掃除をする魅音に言った。

「ここは終わったから次はあそこの倉庫を俺達で掃除しろってさ。行こうぜ。」

「わ…わかったよ!」

スタスタと倉庫へと歩く圭一の後ろから、チョコチョコと歩く魅音がつづいた。




日も暮れて、空がいよいよ紺色と朱に染まる頃、二人はロクな会話もないまま倉庫をあらかた整理し終えた。

87: 2010/09/03(金) 14:04:41.71 ID:oGxd2nsF0
「よし、大体終わったな。」

「そ…そだね!」

腰に手を当てて満足げな圭一と落ち着かない魅音。

「さて、帰るか!」 圭一はそう言うと倉庫の引き戸を開けようとした。


だが戸はびくともしなかった。

「…あれ?」 押しても引いてもびくともしない引き戸と格闘していると、魅音が後ろから不安げな顔をして覗き込んでいた。

「圭ちゃん、どうしたの?」

「戸が開かないんだ。」

「ええっ!そんな…マズイよ圭ちゃん!」

夕方と夜の境目の時間に倉庫に閉じ込められた二人は不安になった。

「おい、誰か!開けてくれ!出してくれ!おーい!」

88: 2010/09/03(金) 14:05:41.15 ID:oGxd2nsF0
圭一が戸を叩き、大声で助けを求めるが、祭の準備をしていた人達はとっくに帰っていて、人っ子一人いない状態だ。声が届くはずもなかった。

引き戸に細工をして開かなくした阿部と詩音以外は…。

阿部と詩音は顔を見合わせてクスクスと笑うと、静かにその場を後にした。




学園ラブコメの王道、密室閉じ込めを喰らった二人は薄暗い倉庫の中でプラトニックな距離を置いて座り込んでいた。

会話は無かった。

「なあ、魅音…あのさぁ…。」

最初に沈黙を破ったのは圭一だった。

90: 2010/09/03(金) 14:11:27.26 ID:oGxd2nsF0
「阿部さんが、俺に魅音から言いたい事があるって聞いたんだけど、一体なんだ?」

「ふぇ…な…何って、それは…。」

急にオドオドし始めた、魅音は言葉を濁す。

「魅音ともあろうものが、もしかして、怖がってんのか?」

圭一が茶化す様に言った。

「そ…そんな…こ…怖くなんかないよ…ハハッ…。」

相変わらず鈍い圭一に、魅音の心臓は早鐘を打ち、体がフルフルと震えた。

「心細いんだろ?無理すんなよ。」

圭一はそう言うと、魅音のすぐ隣に座って肩を密着させた。

「ひゃあ!」 いつもの魅音からは考えられないような、華奢で可愛らしい声が漏れた。

「まさか…本当に怖がってんのか?」

圭一が怪訝な面持ちで尋ねた。

91: 2010/09/03(金) 14:12:31.39 ID:oGxd2nsF0
「そ…そんな事ないよ…あは…あはは…。」

体が火照り、汗をかきはじめた魅音はしきりに汗を拭った。

暑そうに汗を拭っているように見えたのか、圭一が気を使って体を少し離した。

「ゴメン…暑かったか?」

少し体を離した圭一の肩を魅音が掴んだ。

「いや…いいの…このままいさせて…。」 魅音が俯きながら言った。

「あ…ああ…。」 今度は圭一の方が顔を赤くし、頷いた。

二人は無言のまま、体育座りをして、いつまでもちょこんと並んで座っていた。

93: 2010/09/03(金) 14:13:16.31 ID:oGxd2nsF0
そのまま月が出て、星が出て、陽は沈み夜になった。

田んぼの蛙が各々の愛を奏で始めた頃、二人はお互い寄り添う様に眠ってしまっていた。

頭をくっつけてスヤスヤと眠る様はまるで長年寄り添った夫婦のようだ。

「ちょっと、二人とも眠って居ますわよ阿部さん。」

窓から眺めていた他六人のうちの沙都子がたまり兼ねて呟いた。

94: 2010/09/03(金) 14:14:16.90 ID:oGxd2nsF0
「まぁ、これも有りさ。」

阿部は困った笑みを浮かべながら、言った。

「はう~圭一君と魅ぃちゃんの絡みかぁいいよぉ。」

「あうあう…。」

「みぃ…。」

「お姉はあれでいいのでしょうか…」

「あの顔、随分と幸せそうじゃないか。今の二人にはあれが充分幸せなのさ。幸せは高望みするもんじゃぁない。向こうからこっちに寄ってくるもんだ。」

阿部はニコリと微笑み言った。



三者三様、それぞれ想いを抱きながら、雛見沢の夜は更けて行った。

95: 2010/09/03(金) 14:15:39.12 ID:oGxd2nsF0
その夜、魅音と圭一を小屋に残し、他の六人はそれぜれ帰路についた。

詩音は暗い夜道を、いつもの様に歩いていた。

今日は何かと気疲れをする日だった。

家に帰って、お風呂にゆっくり浸かって休もう。

詩音は軽く伸びをした。 ふと、前を見ると誰かが立っているようだ。

こんな遅くに雛見沢を歩くのは狂人か泥棒ぐらいなものだ。

詩音は咄嗟に身構えた。

「誰ですか?」

人影は何も答えなかった。

その代わり、こちらにゆっくりと近付いて来るのが見えた。

「詩音ちゃん…?」 人影が不意に声をかけてきた。

月明かりに照らされ徐々に人影の姿が照らしだされていく。

「どうしたの?こんな遅くに…。」

それは入江診療所の看護婦鷹野三四だった。

96: 2010/09/03(金) 14:17:06.34 ID:oGxd2nsF0
「鷹野さんだったんですか…脅かさないでください。てっきり変質者かと…。」

詩音はホッと胸を撫で下ろした。

「そうでも無いわよ…。」 鷹野が月を仰ぎながら言った。

「随分と遅かったみたいね…阿部さんとでも遊んでいたの?」

落ち着きを払いながらも、異常なまでの不気味な雰囲気を纏う鷹野に、詩音は再び身構えた。

「いえ…祭の準備で…遅くなって…。」

「そう…まあいいわ。所で魅音ちゃんは?一緒じゃないの?」

こちらに向き直り、詩音を冷たい目線で、値踏みでもするかの様に言った。

詩音は咄嗟に嘘をついた。 「…知りません。」

「嘘ね。」

淡々とそう言い放った鷹野に、ついに耐え切れず詩音はその場から逃げようとした。

「あなたには関係ありません。もう遅いのでこのくらいで…。」

詩音は鷹野とすれ違い、先を急ごうと早足でその場を去ろうとした。

99: 2010/09/03(金) 15:02:36.23 ID:oGxd2nsF0
その時であった。詩音の後頭部に筒状の金属の棒がコツンと押し当てられた。
冷たい金属の感触がうなじを襲う。
「園崎家の娘ともあろう人物が、これが何なのか分からない筈は無いわよね。」

悠々とした鷹野の声が詩音の背後から聞こえる。

詩音は観念したかのようにため息をつくと手を上げた。

「もう一度聞くわ…園崎魅音はどこ?」

少し強い語気で、鷹野が再び尋ねた。

「お姉はさっき遠くに旅行に行きました。一足遅かったわね、この年増!」

詩音がさも冗談でも言うように言い放った。

鷹野は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、拳銃のグリップで詩音の後頭部をしたたかに打ち付けた。

小さい悲鳴とともに詩音が前のめりに倒れて、地面に手をついた。

徐々に血が滲み、目の前の地面にポタリポタリと垂れる。

「小娘風情が頭に乗るんじゃないよ!」

鷹野は手をつく詩音の脇腹を蹴り上げた。

肺の空気がグッと押し出され、内臓が内側から押し潰されるかのような苦しみが詩音を襲った。

「もう一度だけ聞くわ…園崎魅音はどこ?」

100: 2010/09/03(金) 15:04:14.93 ID:oGxd2nsF0
腹を押さえて苦しむ詩音の頭に銃口を向け、撃鉄をガチリと起こしながら、静かに尋ねた。

詩音は苦しみに顔を歪めながらもキッと鷹野を睨みつけ、口をつぐんだ。

鷹野は怒りに顔を引き攣らせ、今度は顔面を蹴り上げた。

「もういいわ…小此木、園崎詩音だけでも確保するわよ。」

いつの間にか、鷹野の横にいた男に、鷹野は言った。

「魅音はいいんですかい?」

「背に腹はかえられないわ。とにかく詩音を確保よ。」

「へい。」 小此木は威勢よく返事をすると、指を丸めて口元に持って行き、ヒュウと吹いた。

途端に道の向こうから白いバンがやって来て、詩音のすぐそばに止まった。

「この小娘は診療所に運んで。その後でその女を燃やすのよ。」

鷹野はそう言うとバンの 助手席に乗り込んだ。

小此木は詩音を乱暴に掴み上げると、バンの後ろに放り込んだ。血生臭い空気が詩音の鼻孔を包む。

101: 2010/09/03(金) 15:08:35.33 ID:oGxd2nsF0
「後でたっぷり可愛がってやる。」

乱暴に荷台に載せられて、めくれ上がったスカートからのぞく太ももを凝視しながら、小此木は言った。

ひとしきり眺め終えると、小此木はバンの戸を閉め、後部席に乗り込み、バンを出した。

詩音は口の脇から流れる血を拭い、改めて荷台を眺めた。

隅の方に誰か寝ているようだ。

「誰?…誰か居るの?」 詩音は声をかけた。

「きさんは黙っとれ!黙らんと頭くらつけっぞ!」

小此木が声を張り上げた。

詩音は口をつぐみ、倒れている人物に近付き、肩を揺すった。

異常に冷たい。まるで氷のようだ。

詩音は驚いて手を離し、その人を凝視した。

102: 2010/09/03(金) 15:09:44.49 ID:oGxd2nsF0
皮膚が白を通り越して青くなった女性の氏体だ。

青白い皮膚に木の根のようにどす黒い血管の筋が浮いて、全身を染め上げている。

頭に大きな傷が出来、そこの髪の毛が一房分、まるで雑草を地面から引っこ抜いたかのように無くなっていた。

どうやらそれが致命傷になって氏に、氏後冷凍庫かどこか寒い所に放置されていたようだ。

髪に固まった白い塗料が付着している。

この白いバンの塗料だろう。 この人達が轢いたのだろうか。

これからどういう目に会うのか…詩音は心底震え上がった。

103: 2010/09/03(金) 15:13:06.31 ID:oGxd2nsF0
翌日…今日も清々しい程に薄青い空が広がっていた。

夏の朝は爽やかで心地好くて最高だ。

登りたての日の光の中で大きく伸びをしながら阿部は思った。

綿流しを明日に控え、阿部は工場の掃除をしようと、シャッターを開けた。

だが、朗らかな夏の朝の雰囲気が阿部の労働意欲を完膚無きまでに叩きのめし、粉砕した。

コーヒーでも飲んで日光浴をしよう。

阿部はつなぎを上半身まで脱ぐと、コーヒーミルを引きはじめた。

香ばしい珈琲の芳香が工場を包み込む頃、阿部は外が騒がしい事に気が付き、おもむろに外を眺めた。

村人が慌てた様子で畦道や畑を駆け回り、しきりに誰かを探しているようだった。

105: 2010/09/03(金) 15:17:45.80 ID:oGxd2nsF0
その中に、この間ベンツの点検修理をしてやった葛西の姿を見て取ると、話し掛けた。

「やあ葛西さん、その後ベンツの調子はどうだい?」

「阿部さん…大変です。」

葛西は慌てた様子で阿部に駆け寄って来た。

阿部が一回り小さく見えるほど、彼のガタイは良かった。

アッチの方もさぞかし極道だろう。

「何かあったのかい?」

「詩音さんが鬼隠しにあったみたいで、昨日の夜から行方が分かりません。阿部さん何かご存知無いですか?」

額に汗の玉を浮かべながら、必氏な形相で阿部に尋ねた。

「詩音がいなくなったって…?俺が最後に見たのは昨日の夜だ。」

「それはわかってます…昨日見たという者を園崎家で尋問しましたから。」

106: 2010/09/03(金) 15:21:09.28 ID:oGxd2nsF0
「なんだって!一体誰を?」

「前原の若造と魅音さん、それから古手の親戚とかいう角娘です。」

と、葛西。

阿部は葛西の肩を掴むと言った。

「あいつらは何も知っちゃいない!代わりに俺をつれてけ!あいつらを放してやってくれ…。」

阿部は力強い目で葛西を見た。

葛西はサングラス越しにしばらく阿部を見つめ返すと、冷めた声で言った。

「…いいでしょう…その代わり阿部さん、園崎家に入ったからには覚悟をして下さい。」

「とうに覚悟はしてるさ。」

阿部はつなぎを着て、首までキッチリとファスナーを上げると、葛西に合図をした。

「行こう。詩音をさがしてやろう。」

107: 2010/09/03(金) 15:25:02.75 ID:oGxd2nsF0
阿部は馬鹿でかい園崎家の門をくぐると、葛西の後に続いて大邸宅の美しい日本庭園の中を歩いて行った。

玄関まで辿り着くと魅音を除いた二人が俯きながら出てきた。

殴られたのだろうか圭一は腫れた頬を濡れた布で冷やしていた。

「阿部さん…!」 「阿部なのです!」

二人は阿部の姿を見るなり表情を綻ばせた。

「心配しなくていい。後は俺が引き継いで必ず詩音を見つけ出してやる。」

力強く阿部は二人に言った。

「さあ阿部さん、こちらです。」 葛西が阿部を促す。

阿部は二人に親指を立てると玄関から邸宅へと入って行った。

この時ばかりは普段大きい阿部の背中が若干小さくなっているように二人は感じた。

108: 2010/09/03(金) 15:32:29.47 ID:oGxd2nsF0
阿部はしばらく長い廊下を歩いて行き、とある部屋の前で立ち止まった。

「こちらです。」 阿部は小さくうなづくと、襖を開けて、中へと入った。

そこには正座する魅音、その隣に魅音と詩音に良く似た緑色の髪を簪で結わえた、黒い和服の美人とスーツ姿の恐持て、そして公由村長と梨花が座っていた。

そして、部屋の一番奥には、もうすぐくたばりそうなほど年老いたヨボヨボの老婆が物々しい雰囲気を漂わせて座っていた。

「この男が阿部かいな。」

開口一番その老婆が、阿部を鋭い眼光で睨みをきかせて言った。

「最近ここに越して来た自動車修理工の阿部ちゃんだよ、おりょうさん…。」 と、公由村長。

「まあ、阿部ちゃん座って挨拶を…。」

「圭一を殴ったのはどいつだ?」

公由を遮って阿部は仁王立ちし、静かに、だが凄みのある声で言った。

109: 2010/09/03(金) 15:37:34.51 ID:oGxd2nsF0
「こら、阿部ちゃん…。」

公由があたふたした様子で阿部を制止した。

「どいつだ。名乗り出ろ。」 阿部は公由を無視して続けた。

「私が殴った。それがあんたに何か関係があるのかい?」

「茜さん…。」 公由はあたふたし放しだ。

「何故殴った…詩音がいなくなっちまって、団結しなきゃいけない時に、何故波風立てるような真似をする。」

「おみゃあみたいに小生意気な事言うたんね…若造のくせにしゃしゃりでよっちゃ。」

おりょうと呼ばれたその老婆が以前として阿部に睨みを効かせたまま言った。

「とりあえず座らんね…無理矢理押さえ付けてもええんよ…。」

111: 2010/09/03(金) 16:03:07.33 ID:oGxd2nsF0
おりょうがうなづいて合図をすると、後ろに控えていた葛西が阿部の横に立ち、肩を掴んだ。

「葛西さん…俺にあんたを殴らせないでくれないか。一度しか言わん、手を離せ…。」

阿部の凄みのある声に、葛西は一瞬たじろいだが、それでも一歩も引かず、命令に忠実であった。

自身の身を挺して命令を忠実にこなす兵隊ほど厄介な存在はない…阿部は素直にその場に胡座をかいた。

「で、修理工。あんた詩音を最後に見たのはどこだい?」

茜と呼ばれた美人が阿部に尋ねた。

「古手神社の前だ。そこで俺達は別れて、竜宮レナは自宅に、俺と北条沙都子と古手梨花、それから羽入は俺と一緒に住んでるから俺の家へ四人で帰った。
詩音も何も変わらない様子で帰っていったよ。魅音と圭一はその夜はしばらく神社の横の物置小屋に居た…。俺が見た時には全く変わった様子も無かった事だけはいえる。」

阿部はおりょうを今だに睨みながら言った。

「そんなら、そのまんま突然消えた…鬼隠しにあったと…そういう事かい?」

112: 2010/09/03(金) 16:08:08.96 ID:oGxd2nsF0
公由村長が怪訝な面持ちで尋ねた。

「いや、鬼隠しではない…そんな馬鹿馬鹿しい…居なくなったとおぼしき場所を見せてくれ…おそらくこれはそんなお伽話のような物じゃぁない…人為的に拉致されたんだ。」

力強い阿部の言葉に、今まで微動だにせず座っていた梨花がピクリと動いて阿部を見つめた。

「じゃあ詩音は誰かに誘拐されただけなんだね?」

魅音が身を乗り出して声を荒げて尋ねた。

「ああ、まだ確証は無いが、その可能性が高い…仮に鬼隠しがあったとして、昔からこの土地に存在する大地主の園崎家の娘は狙わないはずだ。
いくらオヤシロ様が馬鹿でもそれぐらいは分かってるはずさ。」

淡々と語る阿部の言葉に梨花がクスリとしたが、阿部はつづけた。

「なら、何らかの目的を持った者が誘拐した可能性が高い。それも抵抗した様な話は聞かないから顔見知りの犯行かもな。…もしかしたら過去にここいらで起きたオヤシロ様関係の事件は全てそいつの仕業かもしれん…
いや、一人ではなく組織で動いてるのかもな。」

阿部の推理は続く。 「とにかくデカイ山なのには違いない。俺に詩音捜査を一任してはくれないか。必ず詩音を取り戻す。約束だ。」

「嫌だと言ったら?」 老婆がすぐさま阿部に尋ねた。

まるで阿部そのものを試すかのような勢いだ。 阿部は即答した。 「あんたを永久に黙らせて一人でやるさ。」

113: 2010/09/03(金) 16:11:54.17 ID:oGxd2nsF0
「口の聞き方に気をつけけんかい!わりゃ誰にものいっとんのか分かっちょるんか!」

おりょうが声を張り上げた。流石園崎家の頭だけあって、物凄い迫力と気迫であった。

だが阿部はどっしりと構えた胡座を崩さなかった。

「誰だかは知ってるし、とんでもない存在だという事も知っている…だがアンタの首をへし折るぐらい簡単さ。…さて返事を聞こうか…。」

老婆は舌打ちをして、阿部を見つめると、ため息をついて言った。

「好きにせぇ…ただ詩音が五体満足で帰ってこんかったら、ただしゃおかん。分かったんならさっさと去ね…。」

老婆はそれきり黙り込み、布団に臥してしまった。

「ありがとう!詩音は必ず無事にアンタの元に帰してやる。約束だ。」

阿部は深々とその場で頭を下げると、立ち上がり、襖を開けて行ってしまった。

「…魅音…。」

おりょうが布団に臥してそっぽを向きながら魅音に言った。

「あの若造を助けちゃんない。一人じゃ何かと難儀じゃろうて。梨花ちゃまも…。」

「…ありがとう。」

魅音と梨花はそう礼を言うとすぐさま阿部の後を追った。

115: 2010/09/03(金) 16:17:33.18 ID:oGxd2nsF0
「おりょうさん…阿部ちゃんに任せて大丈夫なのかい?」

公由が不安げにおりょうに尋ねた。

「…あの若造なら心配いらんて。必ず無事に戻って来るちゃ。あの目と肝っ玉…気に入った。男色の気があるのは気に入らんが…。」

おりょうは何でもお見通しであった。

「阿部ちゃんはゲイだったのか…少し怪しいとは思ってたんだがな…。」

公由が頭をポリポリと掻きながら呟いた。




阿部は園崎家から歩いていき、最後に見た古手神社を目指して畦道を歩き始めた。

その途中の何処かにあるはずの手がかりを見逃さない様に注意をして…。

辺りを見回しながら歩く阿部の後を魅音達が歩く。

ふと、阿部がある場所で立ち止まり、地面に膝を付いた。

レナが怪訝に思い尋ねた。

117: 2010/09/03(金) 16:21:06.79 ID:oGxd2nsF0
「阿部さん、何かあったのかな…かな…。」

「こいつを見てみろ…ここでタイヤの後が途切れてる。」

そこには確かに真新しいタイヤ痕があり、ある一点で途切れている。

「それに古手神社の方角から足跡がある…足跡の大きさから考えて恐らく詩音の物だ。魅音…ちょっと足跡に足を合わせてみろ。」

「う…うん…」 魅音はそう言うと足跡に足を添えた。

大きさから幅からぴったり一致する…双子の片割れである詩音の足跡に間違いないようだ。

「ここで複数の足跡があって、詩音の足跡がタイヤ痕から途切れている…車で拉致されたな。」

阿部は更に周りを見回した。 畦道の乾いた土の上に、争った形跡である、人が倒れたような跡、詩音の物とおぼしき若干の手形…やはりここで拉致されたのだ。

と、ここで阿部は畦道の脇の草むらに何かあるのを見つけた。

それは紺色のリボンだった。

「あっ!…それ詩音のだ!」

118: 2010/09/03(金) 16:24:58.36 ID:oGxd2nsF0
魅音がリボンを指差して声を荒げた。

「やはりな…。ただ一つ残念なのが、タイヤ痕がこの先のアスファルトで途切れちまってる事だ。このタイヤ…そして車幅は多分バンかなにかだな。」

「て事は、やっぱり鬼隠しじゃなくて、人間の仕業…?」

魅音が言った。

「今のところ分かるのはそれぐらいかな…圭一…長いの髪の毛をした金髪美人を知らないかい?オッOイが結構でかい…」

「金髪の巨O美人…さぁ…。」 圭一は首を傾げた。

「もしかしたらそれは鷹野かもなのです!入江診療所の鷹野三四!」

羽入が声を荒げた。

「鷹野…?巨Oの金髪美人なのかい?」 阿部は羽入の前に屈み込むと、目を見つめて尋ねた。

「阿部!間違いないのです!鷹野なのです!オッOイ大きいのです!大きいのです!」

羽入が手足をバタバタと動かしながら言った。

「…高和…もしかしたら診療所に答えがあるのかもしれないのですよ…。」

梨花が羽入の隣で含みのある言い方で言った。

119: 2010/09/03(金) 16:29:00.79 ID:oGxd2nsF0
「入江先生か…よし、行ってみよう。」

阿部はそう言うとノシノシと診療所を目指して歩いて行った。




「鷹野さん…本当に詩音ちゃんが末期感染者なんですか…?私にはそうは思えませんが…。」

椅子に縛られてうなだれる詩音をマジックミラー越しに、口元を押さえながら鷹野に尋ねた。

「ええ、間違いなく感染しているわ。このままじゃ危険だからつれて来たのよ。」

「しかし、主とする症状である精神錯乱や過剰な攻撃反応も見られません…心拍数や脳波、血液検査の結果を見てみても異常は見られません…。」

入江が鷹野を見据えて言った。

「入江先生…少し黙ってて下さらない?彼女を拉致して痛めつければ、雛見沢研究におけるしこりである園崎一派を少し黙らせる事が出来るのよ。
それに、ここの責任者は実質私ですもの…あなたは口を閉じて研究してればいいのよ。」

入江の方を見もせずに、鷹野が言い放った。

123: 2010/09/03(金) 16:34:57.23 ID:oGxd2nsF0
「私は…もうこれ以上はあなたに付き合いきれません…この事は東京に報告させていただきます!」

入江は眉をしかめながら、振り返って研究室から出ようとした。

「いいわ、出来るものならしてみなさい。そのかわりここにいる、悟史や小娘をなぶり頃した後に、古手梨花の内臓をえぐって犬の餌にするわよ…
女王が氏んだら、この村がどうなるかぐらい、短気な貴方でも分かるわよね?貴方は殺さない…でも貴方がおイタをしたら、貴方が助けたがってた連中を皆頃しにするわよ…貴方がみてる前でね…。」

まるで氷の微笑のシャロン・ストーンのような、妖艶な口ぶりで恐ろしい事を口走る…。

入江は歯を食いしばり、込み上げる怒りを押さえながら静かに言った。

「…すみません…研究を続けます…。」

そう言うと入江は足早に、その場を離れ、地上の診療所へと向かう。

「…遅かれ早かれ貴方も入江先生も用済みになるわね…。貴方の息の根を止めるのが楽しみだわ。」

入江が去った後、鷹野はマジックミラー越しに詩音に呟くと、クスリと笑い、施設の奥へと消えて行った。

126: 2010/09/03(金) 16:38:59.23 ID:oGxd2nsF0
「おい、入江先生!居ないのかい?」

診療所の入口で阿部が大声を上げたが、誰かが出てくる様子も無ければ、気配も無かった。

休診してるのかな…。 阿部は困ったような様子で腕を組んで、玄関のガラス戸にもたれ掛かる。

「阿部さん!阿部さん!」 不意に沙都子が阿部を呼んだ。

「どうしたんだ、沙都子」 「診療所の裏に、変なバンが止まってますわよ!」

沙都子が診療所の裏手に繋がる小路を指差しながら言った。

「様子を見てくる…お前らはここにいるんだぞ。」

他の五人にそう言うと、阿部は沙都子が指差す方向へと歩を進めた。

確かにバンがある…それも、この前の夜にヒューズを交換修理したバンだ。

この前の血の汚れや毛髪らしき物、果てはへこみや傷まで綺麗さっぱり無くなっていた。

133: 2010/09/03(金) 18:24:16.57 ID:oGxd2nsF0
やはり診療所に来て正解だった…。

阿部は周囲を警戒しながら、そのバンに近付いていく。

幸い誰も居ないようだ。

阿部はゆっくりとバンの後ろに回ると、荷台のドアをそっと開けた。

中はがらんどうだったが、何かしら手掛かりがあるはずだ。

阿部は注意深く、荷台の中を見回す…すると一本の髪の毛が落ちているのを見つけた。

風で飛んでしまわないように、慎重につまみ上げると、日の光りに透かしてみた。

まごうこと無き緑色の髪の毛だ。

間違いない…詩音はこの近くにいる…。

阿部はすぐさま六人の元に駆け寄ると静かに言った。

「この診療所はクロだ…レナと沙都子は警察へ連絡、羽入と梨花ちゃんは園崎家に行って、有力な情報が診療所にあったって事を伝えてくれ…圭一と魅音は俺と一緒に来い。皆、くれぐれも気をつけてな。」

阿部はそう言うと、診療所の中へスッと入って行った。

圭一と魅音は慣れない様子で阿部について行った。

134: 2010/09/03(金) 18:30:56.07 ID:oGxd2nsF0
阿部は診療所の中に入ると、診察室の扉を乱暴に開け放った。

そこには面食らった様子の入江先生と、黒いタンクトップにミリタリーなキャップ、そして眼鏡をかけたガタイの良い、旨そうな男が居た。

「富竹さん…こんな所で何してんのさ…。」

魅音がその富竹と呼んだ男を見て、驚いた様子で言った。

「詩音は一体どこだ!」 一拍子置いてから、阿部は二人に問い質した。

「急に入って来て失礼じゃないか…。一体何なんだ。」

富竹が仏頂面で言った。

富竹とは対称的に入江は顔を青くした。

「…何故それを…。」

「外に停まってたバンさ。タイヤ痕が一致する…そして詩音の髪の毛が荷台から出てきた。…入江先生…一体どういうことだい?」

富竹は何の事だか分からないような怪訝な顔をしながら、入江を見つめて言った。

135: 2010/09/03(金) 18:34:55.79 ID:oGxd2nsF0
「入江先生…詩音ちゃんに一体何を…。」

入江は眼鏡を外すと、眉間を揉みながら言った。

「話さねばなりませんね…阿部さん、助けて下さい。」

「…訳を話してみろ…。」 阿部達三人は診察室にあるベッドに腰掛けると、入江の話を静かに聞いた。




阿部達三人は一通り入江先生の話を聞いた後、にわかには信じられないでいた。

「そんな絵空事がこの雛見沢でかい…?まるで映画か漫画の世界だ…。」

阿部は富竹と入江を交互に見ながら呟いた。

圭一や魅音も同じ意見だった。

「確かに…おかしな話だと思いますよね…この雛見沢で巨大な組織が動き、風土病の研究をして、雛見沢の闇を跋扈している…。
我々は国から派遣された工作員と言ってもいい。それが入江機関です。」

136: 2010/09/03(金) 18:36:53.82 ID:oGxd2nsF0
「…で、本当に鷹野さんがそんな事を?」

富竹が鷹野の言動を未だに信じられずにいた。

「ええ…事実です…恐らく彼女は我々を亡き者にして、全てをひっくり返そうとしている…この雛見沢を全滅させようと…彼女と一部の東京の派閥…そして山狗部隊で…。」

「しかし、せっかくの研究がそんな事したら水の泡になっちまうんじゃないのかい?鷹野も心血を注いで来たんだろ?」

阿部が伸びをしながら尋ねた。

「ええ…表面上はそう思うのが一般的だと思われます…しかし彼女は先の通りに派閥争いに巻き込まれ、そうなる事で利益を得る連中の手中に入り込んでしまいました…もしそうならなくても緊急マニュアルを自暴自棄になって実行する可能性も高い…。」

「だけど、まさか沙都子と梨花ちゃんが寄生虫の薬をね…。」

魅音が俯きながら呟いた。

「我々は狡かった…沙都子ちゃんの両親の事件を揉み消し、梨花ちゃんの母親をモルモットに、父親を病氏に見せかけて頃しました。数年前に起きた現場監督殺害事件でも、犯人の一人をモルモットにして切り刻んだ…
正気の沙汰とは思えないし、もう思いたくもない…。」

入江はうなだれた様子で椅子にもたれ掛かる。

137: 2010/09/03(金) 18:38:29.53 ID:oGxd2nsF0
申し訳ないです・・・次の更新はおそらく深夜になります。


138: 2010/09/03(金) 18:38:41.59 ID:CDOHDDFT0
これ阿部さんじゃなくてTさんだろ

139: 2010/09/03(金) 18:41:56.85 ID:A+ttMxIt0
なんか重いな。
もっと気楽に!気楽に!

次回:【阿部曝し篇】阿部高和が雛見沢村に引越して来たようです【後編】


引用: 阿部高和が雛見沢村に引越して来たようです・阿部曝し篇