407:◆yufVJNsZ3s 2012/09/28(金) 14:48:22.78 ID:KyMiL0240


最初から:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【1】

前回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【2】
――――――――――――――

 ゆっくりと扉が押し開かれる。入ってきたのは老婆で、その顔色は優れない。
 言葉を聞かずとも、芳しい結果でなかったのは明らかだった。

勇者「だめだったか」

老婆「一応考慮に入れておくとは言っていたが、本当に『一応』だろうな」

狩人「あの人なら、攻められても倒せばいいとか思ってそう」

勇者「それはありうるな」

老婆「あいつは勝ち目のない戦いをするような男ではない。それに賭けるしかないじゃろう」

 そうして老婆は椅子へと腰を下ろし、

老婆「で、孫娘の話なんじゃが」

 やおらに三人が真剣な顔つきとなる。
 それまでが真剣でないとは決して言えないが、それでも表情のほどは異なっている。

 少女が必氏の塔にいるとアルプは言った。その点についてアルプが能動的に嘘をつく必要はないため、真実であろうと三人は判断している。
 問題は、なぜ必氏の塔にいるのか、である。理由がわからければ優先順位もつけられない。
葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)

408: 2012/09/28(金) 14:49:08.66 ID:KyMiL0240
 生命が危険に晒されているならば一刻も早く助け出しに行かねばならない。が、価値ありとして囚われているだけならば、決して拙速を尊ぶ必要はないだろう。
 すでに少女が姿を消してから半日以上が経過している。行動は起こさないまでも、行動の方針を固める必要があった。

勇者「どう思う?」

狩人「アルプが事件を起こしたのは、そもそも少女を攫うのが目的だったのかな?」

勇者「そんな感じはしなかったな」

狩人「うん。多分、利害が一致したんだと思う」

老婆「攫うということは、あやつに対して用があったんじゃろうな」

狩人「その用について何も思い当たることはないの?」

 老婆は顎に手を当てて暫し熟考していたが、やがて首を横に振った。

老婆「有り得るのはミョルニルじゃが……あれはあやつにしか使えない。そういう術式が組まれている」

勇者「それを何とかするために、って可能性はないのか」

老婆「ないわけではない、が……そんじょそこらの武器ではないといえ、あの強さは腕力に起因する部分が多いからのぅ」

老婆「魅力がある武器かと尋ねられると、どうだろうな」

409: 2012/09/28(金) 14:51:04.31 ID:KyMiL0240
狩人「でも、ミョルニルが目的にしろそうでないにしろ、攫われたってことは何らかの用があった。それは確か」

 勇者と老婆は頷いた。その意見に否やはなかった。
 少女は決して恨みを買うタイプの人間ではない。もしどこかあずかり知らぬところで恨みを買っていたとしても、その場で頃してしまえばよかっただけだ。

 わざわざ手間をかけてあの膂力の持ち主を攫ったのは、それに値する目的が犯人にはあったに違いない。三人の考えは同じだった。

勇者「っていうことは、すぐに殺されたりは、しない、か……?」

老婆「氏ぬよりも辛い目にあっている可能性はあるが」

狩人「拷問とか、そっち系」

勇者「……やめろよ、そういうの」

 露骨に嫌そうな顔をしたのは勇者である。が、老婆も狩人も、あくまで可能性として淡々と進める。

老婆「何度も氏んだくせに、こういう話に耐性はないんじゃな」

勇者「氏ぬことと痛みを伴うのは別だ」

勇者「俺だって情報を得るためにそれくらいしたことはある。けど……冷静になって言葉として聞くのは、なんというか、威力が違う」

老婆「いいか、よく聞け」

 勇者にずいと顔を近づけ、目を見開き、老婆は言う。

410: 2012/09/28(金) 14:51:45.18 ID:KyMiL0240
老婆「目的のためなら手段を択ばないということは往々にして有り得る。そして情報は一人の苦痛を犠牲にしても手に入れる価値がある」

勇者「……わかってるよ」

老婆「いや、お前はわかっておらん」

老婆「より大きなもののためにより小さなものを犠牲にする。その生き方から目をそらすでない」

狩人「おばあさん、勇者はそれでも、みんなを守りたいんだよ」

老婆「わかっている、わかっているが!」

 老婆は思わず手を振り上げ、そしてその手の振り下ろし場所をついに見つけることができなかった。
 挙げた右拳をぶらりと降ろし、息を吐く。

老婆「一人も犠牲にせず、全員を助けられれば、それがいいに決まっている。しかし、それだけを目指すのは、視野狭窄じゃ」

狩人「……何があるかわからないし、なるべく早く助けに行くってことでいいんだよね」

老婆「……まぁな」

勇者「けど、タイミングが悪い」

 そう。国王が戦争を始めようとしている現在、そうおいそれと自由行動などとれたものではない。
 老婆ならばまだしも、勇者も狩人も、所詮一兵卒に過ぎない。そして囚われの少女もまた。彼女を助けに行くことが理由になる現状ではなかった。

411: 2012/09/28(金) 14:52:30.01 ID:KyMiL0240
 だが少女を助けに行かないという選択肢が彼らにあるはずもない。理屈ではなしに、思考ではなしに、胸の奥から衝動がこみあげてくるのだ。

――衝動。それは生物ならば全てが持つもの。
 そして全ての生物は、それを御し、それに御され、何とか生きている。

 ある種「その生物」らしさを形作る部分であるといってもよいだろう。

 鬼神ならば破壊衝動。ウェパルならば入手衝動。デュラハンならば戦闘衝動。
 人間の場合なら、恐らくそれは、誰かの無事を願う衝動なのだろう。そしてそのために己が身すら犠牲にするという、強烈な仲間意識。

 どうしようもないほどに彼らは人間なのだ。あまりに人間らしく人間なのだ。

 衝動がもたらす理想主義に苛まれることもあろう。たとえばそれは勇者や少女のように。けれど、打ちひしがれても泥に突っ込んでも前を向くその姿は、何よりも美しいものだ。
 少なくとも、そう思えて仕方がない。

勇者「……しょうがねぇか」

 軽い口調で、重々しく、勇者が立ち上がる。

勇者「俺が行く」

412: 2012/09/28(金) 14:53:03.25 ID:KyMiL0240
狩人「そっか」

老婆「まったく……」

 女二人は反応するが、必要以上に声を荒げることはなかった。この中で真っ先に声を上げるとしたら、それは勇者であるだろうと二人は思っていた。そしてその予想は当たった結果になる。

勇者「何があるかわからないなら、俺が行くのが安全だろ。氏んでも生き返るし」

 それは一面の事実であるが、勇者の偽りない本心ではない。
 勇者はただ、もう自分の大事な仲間が危険な目に合うのは嫌なのだ。

 全てを救うことはできない。であるならば、自分の目の届く範囲、手の届く範囲をちまちまと救っていくしかない。
 逆説的にその誓いは目と手の届かない人々を見頃しにすることと同義である。いまだにその事実は彼を苛むが、彼は決めたのだ、強く在るのだと。

 少なくとも今は、なのだと。

老婆「出発は」

勇者「今晩か、明日の夜明け前にでも出ようと思う。人の少ない時間帯を見計らってな」

狩人「私も行く」

勇者「いや、やめとけ」

狩人「どうして?」

 真っ直ぐ勇者の顔を覗き込む狩人。そこに詰問の様子は見られない。
 ただ単純に彼女は勇者の力になりたかっただけなのだろう。

413: 2012/09/28(金) 14:53:40.80 ID:KyMiL0240
勇者「あのガキが捕まってるのは必氏の塔とか言ってた。お前の弓は確かに凄いけど、建物の中じゃ限界があるだろ」

狩人「まぁ……いや、でも」

勇者「大丈夫。俺は必ず戻ってくる」

 頭の上にぽんと手を乗せる。狩人は恥ずかしそうにはにかみつつも、その手を除けることは決してしなかった。

狩人「うへへ……」

勇者「キャラが変わってるぞ」

狩人「そんなことない」

老婆「あー、すまんが、二人とも」

 直視するのも恥ずかしい様子で老婆が声をかける。

老婆「勇者よ、必氏の塔の場所はわかるのか?」

勇者「いや、わかんねぇな。共和国連邦のそばだろ、そっちにゃ行ったことないんだ」

勇者「転移魔法で送ってもらえたりするのか?」

老婆「すまんが、儂もそちらには行ったことがない。移動するだけなら、最寄までは転移魔法で連れて行くこともできるんじゃがな」

414: 2012/09/28(金) 14:54:40.24 ID:KyMiL0240
 共和国連邦は、大森林を抜けた先、かつて焼打ちにされた町をさらに超えたところに国境がある。
 基本的に「隣国」と言った場合、小都市の集合であるこちらよりも、より長い国境を接している隣の王国を指す。統治機構も、共和国連邦は各領主による分割統治が行われているが、この国と隣国は王政である。

老婆「大体の場所は予想がつくが……ここからだと二日。最寄からでも一日はかかるぞ」

勇者「待てよ。ここから二日かかるところにあいつはいるのか? まだ一日も経ってねぇぞ」

老婆「つまりはそういうことなのじゃろ」

 そういうこと――高速移動か、瞬間転移か、またはそれらに準じた能力の持ち主が、少女を攫ったということ。イコールで、必氏の塔にいるのは実力者に違いないということ。
 塔の名称の由来から察してはいたが、やはりというところだろう。

勇者「とにかく、出発は今日の二時にする。中庭に出るから、悪いけどばあさん、転移魔法で連れて行ってくれ」

老婆「承知した」

狩人「私も見送りに行く」

勇者「あぁ。悪いな」

狩人「別に。勇者はいつも心配ばっかりかけるから」

415: 2012/09/28(金) 14:55:34.31 ID:KyMiL0240
勇者「悪いとは思ってるんだけどなぁ」

老婆「各自解散としよう。勇者は準備をしてくれ。狩人もそれに付き添って」

老婆「儂は、少し情報を集めてくるよ」

勇者「ありがとう」

 老婆は莞爾と笑って、

老婆「なぁに、いいってことよ。不肖の孫娘を代わりに救ってもらえるんじゃ」

老婆「深夜二時まで、それじゃあの」

―――――――――――――

416: 2012/09/28(金) 14:56:34.32 ID:KyMiL0240
―――――――――――――

 狩人の部屋で二人は見つめあっていた。いや、見つめあっていたという表現はロマンティックに過ぎる。かつ、恣意的に過ぎる。
 正鵠を得る表現をするならば、こうだ。

 二人は顔を突き合わせていた。

勇者「さて……どうしたもんかな」

狩人「私は勇者に従う。勇者が行くところに行くよ」

 ぎゅっと勇者の手を握り締める狩人。

 本来ならば良い雰囲気であってもおかしくはないのだろう。が、二人のそれは決して恋人のものではなく、冒険者のそれであった。
 いや、二人は過去から現在に至るまで冒険者である。冒険者以外の何物でもなかった。少なくとも彼らは自分たちが王城に務めている兵士などとは思っていなかった。

 彼らの目的は魔王を倒すこと。
 そして世界を平和にすること。
 それだけなのだから。

 当面の目的は無論少女を必氏の塔より救い出すことである。しかし、それですべてが終わるわけでは、当然ない。四天王はまだ健在。国の情勢も不安。戦争はすでに着火され、沈下などできそうにもない。
 少女を救ったのち、どうするのか。
 二人はそれを話し合っていた。

417: 2012/09/28(金) 14:57:23.55 ID:KyMiL0240
 否。話し合う必要など二人にはなかった。狩人が勇者の顔を確認する動作だけですべてのコミュニケーションは終わっていたからである。

狩人「難儀な性格してる」

勇者「ついてこなくっても、」

狩人「やだ」

 勇者は苦笑した。彼が狩人をこうしたのか、狩人がこうであるからこうなっているのか、判断が付きかねた。
 彼女の幸せを願うならば彼女こそ置いていくべきなのかもしれなかったが、勇者は結局そうしなかった。エゴイズムだと罵られても彼は彼女と一緒にいたかったのだ。

勇者「お前も随分難儀だよ」

狩人「かな。かもしれない」

勇者「ま、ばあさんには迷惑かけられねぇしな」

 狩人は無言で首を振る。縦に。

 彼らの決断は、旅人の外套を脱ぎ捨てて、兵士の鎧を着ることだった。

418: 2012/09/28(金) 14:58:27.35 ID:KyMiL0240
 勇者はわからなかった。どうしても、彼には理解できなかった。
 なぜ人が人を頃すのか。

 さんざん仲間を見頃しにしてきた自分が言うのは間違っていると知っている。それでも、こんなことは間違っていると思った。国同士が総力を挙げて水や、資源や、領土を奪い合おうとしているなど。
 二人を助けるために一人を頃すことを勇者は否定しない。国だって恐らくそういうものなのだろう。

 けれども、わからないものをわからないままにしておくのは、どうにも居心地が悪かった。
 癪だったのだ。――何に? と尋ねられれば、恐らく二人は逡巡し、こう答えるだろう。

 自分より遥かに巨大な何かに対して。

 それは国か、政府か、あるいは運命という名前のものかもしれない。

 とにかく、勇者は何がそうさせているのかをこの目で確かめたかったのだ。
 いままで幾度も戦いに身を投じてなお、彼にはわからない。どんな原理が争いに導いているのか。生物を頃し合いに突き動かしているのか。

 戦いではなく戦場でならばそれの正体にも判断が付くのではないか。

419: 2012/09/28(金) 15:00:08.89 ID:KyMiL0240
 魔王を倒すためにひたすら冒険してきた。頃し、殺され、頃してきた。が、世界は一向に平和になる気配がない。そもそもが見当違いであるかのように。
 魔王を倒せばイコールで平和になるなんて状況ではない。ならばどうすれば世界は平和になるのか。
 勇者はその方法を探そうというのだった。

 なんと――途方もない、ばからしい、夢物語。
 だがしかし、それでこそ勇者である。身の程を知らない傾奇者。世界を変える権利を持つのは、やはり彼のような人物であるべきなのだ。

勇者「今晩あのガキを助けに行く。何日かかるかわからないけど、そうしたら、戦争にいこう」

勇者「一体何が人を頃すのか、見極めないと」

 人を頃すのではなく、あくまで彼は戦争を止めに――出来うる限り被害者を少なくするために戦場へ身を投じる覚悟であった。

 一介の兵士に何ができよう。勇者自身そう思っていたが、それでもやらなければならない。
 居ても立っても居られない。

420: 2012/09/28(金) 15:00:59.46 ID:KyMiL0240
勇者「魔王退治から随分と離れちまったけどな……」

狩人「魔王退治は目的じゃなくて手段」

勇者「あぁ、そうだな。世界を平和にしないと」

 彼の脳裏に去来するかつての仲間たち。
 自分より若い者も、自分より老いた者も、皆等しく氏んでいった。
 勇者は、自分が生き残ったのは不氏の奇跡のためだということをよく理解している。運命という言葉で華麗に装飾しようが、偶然という言葉で地べたに放り投げようが、本質は変わらない。

狩人「……」

 そんな勇者を見て、狩人は複雑な表情を浮かべている。彼女は彼の仲間と面識がない。彼の思う大事な仲間を、彼女は知らない。
 なんだか置いてきぼりを食らっている感覚なのだった。

勇者「どうした?」

狩人「なんでもない」

勇者「ほんとに?」

狩人「ほんと、ほんと」

 勇者は黙った。これ以上言っても無駄だと悟ったからだ。
 黙った勇者を見て、狩人もまた黙る。

421: 2012/09/28(金) 15:01:54.60 ID:KyMiL0240
勇者「……」
狩人「……」

 自然と二人の視線があった。ゆっくりと二人の唇が近づき、

 そして、

 唐突に部屋がノックされる。

二人「!」

 思わず跳ね上がる二人だった。
 消灯時間は過ぎている。勇者が狩人の部屋にいることが知られては、どちらも懲罰だ。勇者は慌ててベッドの陰に隠れる。

??「おーい、入るぞー」

 入ってきたのは隊長であった。洞穴を探検していたのがつい一昨日のことだというのに、どうにも久しぶりの感を二人は感じた。

狩人「隊長? どうしたの」

隊長「どうしたっていうか……勇者いるべ? 出てきていいぞ、わかってるから」

勇者「?」
狩人「?」

422: 2012/09/28(金) 15:02:51.82 ID:KyMiL0240
 二人は不可思議な空気を感じ取った。部屋を抜け出した懲罰でもなければ、そもそも狩人を呼んでいるわけでもないのだ。なぜ彼は勇者がここにいることを知っているのか。

隊長「部屋に行ってもいないなら、ここにいるしかねぇだろ」

勇者「それで、どうかしたのか」

隊長「どうかっていうか……二人とも、ちょっと来てくれ」

 隊長が手招きする。二人は首をかしげながらもついていくしかない。
 部屋を出ようとしたところで隊長が振り返り、

隊長「二人とも、武器を持ってきてくれ」

 なおさら怪しい。勇者は唾をごくりと飲み込んだ。

 案内された先は儀式用の魔方陣が描かれている部屋で、すでにその中には老婆がおり、ほかに数名の兵士がいた。老婆と隊長、狩人と勇者を含めて十人。

 勇者は老婆がひどくばつの悪い顔をしていることに気が付いた。不本意極まりないという表情である。

 兵士の一人、暗い顔をした男が一歩歩み出る。

暗い顔の兵士「あなたたちが、噂の……」

暗い顔の兵士「初めまして。今回の作戦で参謀を務めることになりました。以後お見知りおきを」

423: 2012/09/28(金) 15:03:36.29 ID:KyMiL0240
勇者「作戦?」

 勇者は思わず尋ねた。そんな話は聞いていない。しかも今は深夜ではないか。
 そこまで考え、急遽飛来した想像に、勇者は自らの思考を打ち消す。

勇者「まさか、夜襲か」

 暗い顔の兵士――参謀は表情を変えずに頷いた。

参謀「えぇ、まぁそういうことになりますかねぇ……」

参謀「いやね、あんまり僕としても望んでないんですが、統括参謀殿から言われちゃどうしようもないんですよ、すいません。あぁ……氏にたい」

勇者「どういうことだ」

隊長「これから俺たちは転移魔法で前線基地に移動する。そこからさらに移動し、宣戦布告、本隊の準備完了とタイミングを合わせ、敵の前線基地を可及的速やかに制圧する、だそうだ」

参謀「僕の仕事を取らないで下さいよ……もう」

 鬱々とした様子で参謀は続ける。

参謀「氏にたくなりますよ、本当に。急ピッチで軍備を整えている最中らしいんですが、その前に敵の補給の経路を断っておきたいそうで」

参謀「前線基地って言っても、まぁいわゆる食料庫ですね。兵站が詰まってます」

424: 2012/09/28(金) 15:04:26.68 ID:KyMiL0240
勇者「……話を聞く限り、開戦の口火を切る大事な役目みたいだが」

参謀「はい。重要、かつ極秘の任務です。宣戦布告をしていない状況なので」

 遍くところにルールは存在する。戦争もまた然りで、すべからくルールが存在する。
 人頃しに規則を守る誠実さが求められるなど自家撞着も甚だしいが、それを順守しなければ戦争に勝利しても得られるものは何もない。正当な手続きを踏んだ勝利でなければ他国が許さないためである。

 正当な手続きによって得た物のみが国家ないし個人の所有物となる。それは資本主義の大原則であるが、正当な手続きであるかどうかは客観的にしか判断できない。
 ゆえに、誰もが違反を知らなければ、それは正当であり続けるのだ。

 例え宣戦布告をせずに敵国を襲っても、である。

 だからこその夜襲。だからこその少人数。

勇者「それに、なんで俺とか狩人とかが選ばれるんだ? もっといいやつがいるんじゃないか?」

 なんだかんだ言っても二人はまだ新米兵士である。こんな重要な任務に赴任される謂れが彼には想像できなかった。

425: 2012/09/28(金) 15:04:55.73 ID:KyMiL0240
参謀「隊長殿と、あとは僕もですが、独断ですね」

参謀「先日の鬼神討伐の一件、伺いました。僕らはたぶん、きみたちが思っている以上にきみたちを戦力として考えています」

参謀「奮励してください」

 たった十人で敵の補給所を襲うこの作戦は、迅速かつ的確に行えるかが肝となる。余計な人数をかけられない分だけ一人一人の力量が求められるのだろう。

 無論十人では継戦能力などないし、ゲリラ活動に身を窶せるわけもない。本隊とうまくタイミングを合わせる必要がある。
 理想は作戦終了とほぼ同時に宣戦布告を開始、攻撃を始めること。

 僅かばかりのフライングスタートだが、それが与える影響は存外重大である。

勇者「……拒否権はないんだろ」

参謀「拒否したいんですか?」

 少女のことを言うかどうか、躊躇われた。
 鬼神討伐について触れられているということは、当然少女の存在も知っているだろう。が、ここに少女はおらず、また少女の不在についての言及もされていない。
 老婆がある程度事情を説明しているのだろうか。勇者はそこまで考え、結局言うのを辞めた。軍隊の中にあって少女の存在など歯牙にかける必要もないのだと思ったからだ。

426: 2012/09/28(金) 15:06:03.81 ID:KyMiL0240
 勇者は結局首をふるふると横に振った。参謀は細い目をわずかに歪めたが、あえて何も言わずに魔方陣の中心へと移動する。

参謀「さ、皆さん、乗ってください。転移魔法を起動します。……厄介な作戦に引きずり込んで、申し訳ないです」

老婆「準備はできたぞ」

参謀「そうですか。では、行きましょう」

 魔方陣が起動する。空気が振動する音とともに光が部屋中に満ち、次の瞬間十人の姿が消えうせる。

――――――――――――――――

427: 2012/09/28(金) 15:06:32.33 ID:KyMiL0240
――――――――――――――――

 夜でも部屋の中は陣地構築のおかげで明るい。九尾も生物の宿命として食事や睡眠はとらねばならないが、ある程度は魔力で補える。今は寝る間も惜しかった。

アルプ「ただいまー」

九尾「おかえり」

アルプ「やっぱりガチで戦争始めるみたい。勇者くんたちは先遣隊で、ちょっかいかける役目だってさ」

九尾「あぁ、それは見ていた」

九尾「宣戦布告の前にアドバンテージを稼いでおきたいということなのだろう。浅ましいというかなんというか」

アルプ「今勇者くんたちは国境沿いの河川をずーっと下ってるね。あと二日か三日くらいで目的地に辿り着くかな」

九尾「本隊の準備はどれくらい進んでた?」

アルプ「練度の高い部隊はもう作戦の確認に移ってる。歩兵の一個大隊と儀仗兵の一個中隊。ただ、医療班がまだ揃ってない」

アルプ「国中から急いでかき集めてるみたいだけど、そこ待ちじゃない? あんまり急いでもほかの国に悟られちゃうし」

428: 2012/09/28(金) 15:08:21.26 ID:KyMiL0240
 かの国の戦法は極めてオーソドックスで、前衛に歩兵、後衛に儀仗兵を置き、圧倒的な物量で殲滅するというものだ。
 歩兵の種類も騎馬をあまり用いず、軽歩兵を多用する。質より量、そして小回りの利く遊撃隊が別働で戦果をあげている。

 対する隣国は重歩兵による密集戦法と、後方にいる儀仗兵からの魔法が強力とされている。また隣接している宗教国から派遣されている僧兵も侮れない。

九尾「気に食わないな。あの王、九尾の忠告を丸無視する気か」

アルプ「どうする? 数十人くらい頃してこようか?」

九尾「いや、最早戦争を止めるつもりはない。が……あんまり少女を拘束しておくのも厄介だな」

アルプ「あー、デュラハン? 厄介ってどういうこと」

九尾「戦争に出るべきか、助けるべきか、悩んでばかりいられるのも扱いづらい。方向性をはっきりさせてやらねばならん」

九尾「アルプ、やれるか?」

アルプ「うーん、できなかないと思うけどねー。どっちがいい?」

九尾「どうせ戦争と言っても些細なものだ。別段九尾は望んでいない」

アルプ「あいよ。じゃ、先にあの女の子助けに行かせるねー」

429: 2012/09/28(金) 15:08:57.45 ID:KyMiL0240
九尾「待て」

 踵を返して部屋を出ようとしたアルプの姿に、なんだか九尾は嫌な予感がして声をかける。

九尾「どうするつもりじゃ」

アルプ「え? 兵站基地の敵兵全員わたしがぶっ頃してくるよ。それでいいでしょ」

九尾「……」

 返答に困った。確かにそれは一番手っ取り早い方法であるが……。
 とはいえ、九尾が動くことはできない。九尾にはまだやることがたんまり残っていて、だからこそこの部屋に籠っているのだから。

 自然と漏れる溜息を放置して、手をひらひらと振る。

九尾「あー、まぁそれでいい」

アルプ「うわ、適当な感じ!」

九尾「一応デュラハンにも声をかけておいてくれ。手練れがたくさんいるぞ、と」

アルプ「りょーかい」

 今度こそアルプは扉から出て行こうとして、先ほどとは逆に、反転して九尾へ声をかけてくる。

アルプ「そういえばさ」

九尾「?」

430: 2012/09/28(金) 15:09:30.56 ID:KyMiL0240
アルプ「その血、どうにかしたほうがいいよ」

 言われて自分の服を見る。流しの着物は本来薄い青であったが、前の部分が真っ赤に染まっていた。
 部屋の隅に視線をずらす。そこには先ほどとった「食事」の残骸がまだ転がっている。陣地構築のおかげで氏体が腐敗することはないにしろ、生肉を食わないアルプからしてみれば気になるのだろう。

九尾「と、言われてもな。誰かに会うわけでもなし。構わんよ」

アルプ「魔王様が生きてたらなんていうかな」

九尾「氏んだやつのことなど、どうでもいい」

 強がりであった。アルプは少し表情を歪めるも、それ以上は何も言わない。

アルプ「んじゃ、まぁ行ってきますにゃー」

九尾「おう。任せたぞ」

 蝶番の軋む音すら立てず、アルプは部屋を後にする。

 静寂が部屋を満たす。壁が光るこの部屋は、蝋燭のにおいも、ランプの炎が縮れる音も、何もない。ただ血流の微かな音だけが五感を刺激する。

 もう一度九尾は部屋の隅の残骸に目をやった。人間であったもの。そのなれの果て。

 目的をしっかりと確認し直し、また机に向かう。

――――――――――――――――

433: 2012/10/05(金) 16:44:15.89 ID:l/mMv4+i0
――――――――――――――――

 老婆は、王城の者からは賢者と呼ばれている。彼女はその呼称を否定こそしないが、いい気もしていなかった。自身にわからないことも力の及ばないことも山ほどあると知っていたから。
 しかし、今までのどんな奇問難問でさえ、これほどまでに彼女の眼を見開かせたりはしなかった。そう、故郷を魔族とならず者が結託して襲ってきた時でさえも。

 なぜ――兵站基地が壊滅しているのか。
 なぜ――アルプと、物々しい鎧を着けた漆黒の首無し騎士が、その前に立っているのか。

 転移魔法で移動し、そこから急いで一日と半分。強行軍でやってきたためか十人に疲労の色は濃い。
 しかし、向かえばすでに、簡易であるが基地は構築されているのだという。辿り着けば作戦の前に休息は得られる。それだけを杖に全員歩いていた。

 老婆は疲労の中で不安を覚えていた。それは、予想と言い換えてもよい不安であった。どうか的中して欲しくないというレベルの。

 大陸の東、海岸沿いに巨大な山脈がそのまま海に落ち込んでいる。そこから流れた河川を辿っていくと、王国を横に横切り、宗教国に行きつく。件の必氏の塔や焼打ちされた町もこの河川のそばにある。

434: 2012/10/05(金) 16:48:33.03 ID:S3Fp1WnN0
 兵站基地が隣国の中心部、王都付近ではなく外縁に存在しているのは、大きく二つの理由がある。

 一つは、兵站基地は輸送のコストを軽減するものであるから、なるべく大都市が存在しない、補給の難しい地点を見据えて設置するため。
 もう一つは、宗教国から輸入したものを一時保管しておくため。

 戦争を見越していようが見越していなかろうが、魔族討伐のための駐屯を考えたとき、どうしても兵站基地は必要になる。それは老婆の国でも同様だ。
 兵站基地の場所は周知だ。だから、あらかじめそこを攻めるための陣地を構築するのは、なんら難しいことではない。
 そう、露見することを考えなければ。

 老婆は下唇を強く噛み締めた。背筋を悪寒が走る。そんなことあるはずがないと、否定しきれない。

 陣地構築、基地の設営は、何とかして秘密裡に行われなければいけない。戦争の準備を進めているということが周辺国に、また自国民にばれてしまえば、一気に問題となって国王たちに噴出するだろう。
 国民は戦争を望んではいない。望むのは平穏な生活だけだ。
 だからこそ、彼らは平穏な生活の護持のためには、鍬や槌を剣に持ち替えることを厭わない。

435: 2012/10/05(金) 16:49:18.31 ID:S3Fp1WnN0

 嘗て老婆たちが遭遇した、焼けた町。そして問答無用で襲ってきた兵士の一団。
 彼らは恐らく、基地の設営に携わっていたのだ。
 そして守秘のために町を焼いた。

 指示を出したのは、恐らく王だ。

老婆「……」

 この事実を――否、こんな反逆的な妄想を、勇者に垂れ流していいものだろうかと、老婆は逡巡する。が、すぐに首を振った。知らないほうがよいこともあるだろうと判断したのだ。

 だから、老婆は基地でも決して休まらなかった。それ以上に休まらないのは焼かれた町の民の魂だろうとも思った。

436: 2012/10/05(金) 16:49:46.29 ID:S3Fp1WnN0
 そして、現在である。
 攻める対象である兵站基地は壊滅状態で、空恐ろしくなる静けさを背中に負って、怪物が二人立っている。
 なぜこんなことになっているのか、理解できるものは誰一人としていない。

隊長「お前ら、なんだ?」

 隊長が問答無用で彎刀を抜いた。自ら襲い掛かる気概ではなく、警戒の表れなのだろう。彼ほどの実力者が彼我の力量差を判断できていないとも思えない。
 それに反応したのはデュラハンである。一歩前に出て、気色の良い声を出した。

デュラハン「おっ、あなた見るからに強そうだ。どうです? 俺と一戦」

隊長「は?」

デュラハン「いや、強いんでしょ? いいじゃない、俺と戦いましょうよ」

アルプ「デュラハン」

 アルプに窘められ、デュラハンは肩を竦めて見せた。はいはいわかりましたよ、とでもいう風に。

437: 2012/10/05(金) 16:50:47.58 ID:S3Fp1WnN0
参謀「……王様の言っていたことは正しかったということですか」

参謀「やはり、隣国は魔族と手を組んでいるようですねぇ」

 参謀らにとっては二人が兵站基地を守っているようにすら見えたのだろう。アルプは苦笑しながら手を顔の前で振って、

アルプ「あー、それは誤解だよ。私たちはただここを潰しただけ」

参謀「潰した……?」

アルプ「そう。もう誰もいないよ――生きている人間はね」

狩人「なんでまた私たちの前に? 答えなければ、撃つ」

 きりりと弓を引き絞りながら狩人は言った。

参謀「狩人さん」

狩人「あなたは黙ってて。私は、こいつと因縁がある」

アルプ「こんなことで時間を使ってる場合じゃないんだってさ」

狩人「『だってさ』……また、九尾の指示?」

アルプ「ま、そういうことだね」

438: 2012/10/05(金) 16:51:24.79 ID:S3Fp1WnN0
狩人「こんなことをして何の利益があるの」

アルプ「それは言えないねぇ。言う理由もないし」

 二人の間にピリピリとしたものが走る。
 焦れた狩人がついに番えた矢を放とうとしたとき、絶妙なタイミングで参謀が割って入った。

参謀「ストップ、ストップ。そちらの首無し騎士……デュラハンと呼ばれてましたね。ということは、四天王の?」

デュラハン「その通りだね。俺としては肩書きなんて興味ないんだけど」

参謀「ということは、あなたがアルプ?」

アルプ「そうだよ」

参謀「あなたたちの行動の理由はわかりませんが、とりあえず兵站基地の中に入れてもらえませんか。こちらも『はいそうですか』で終わらせられる案件じゃあないので」

隊長「お前、マジで言ってるのか」

参謀「大マジです。この二人が隣国の味方である可能性は十分にあり得ます」

隊長「じゃなくて。こいつらに話を通じると思ってるのか」

老婆「Aのことを忘れたわけではないじゃろう」

 老婆が小声でぼそりという。魔族と言えども意思があり、行動原理がある。何より彼らはしっかりとした思考回路を持っている。闇雲に兵站基地を襲ったりはしない。

439: 2012/10/05(金) 16:51:56.97 ID:S3Fp1WnN0
 隊長は僅かに逡巡して、

隊長「味方だったとしたら、すぐに襲ってきてるんじゃないのか?」

参謀「それを含めても、です。面倒くさいんですけどね、本当は。ドンパチやってるほうが楽なんですが……氏にたい」

参謀「ま、四天王が先に潰してましただなんて王国に報告もできませんし。時間はまだあります。確認を惜しむ必要はないでしょう」

アルプ「へー、慎重派なんだね」

参謀「そうじゃないと氏ぬだけですから」

 アルプはにやにやと下卑た笑いを口元に浮かべている。
 勇者も狩人も嫌な予感しかしていなかった。そもそも四天王が二人、こんなところに出張ってくる時点で常軌を逸しているのだ。

 無論、常軌を逸しているとはいえ、九尾にもきちんとした考えがあった。まるで絡繰り人形のように歯車が噛みあう、長い長い先を見据えた考えが。

440: 2012/10/05(金) 16:52:24.08 ID:S3Fp1WnN0
 九尾の暗躍を知らない勇者たちではない。兵士たちとて警戒を解いているわけではないが、勇者たちはもっと大きなスパンで警戒をしていた。
 明日か、来週か、一か月後か、それはわからないにせよ、何かがあるのだと。

 アルプは依然として不気味な笑みを湛えていたが、それでも行動は起こさなかった。ちらりと隣のデュラハンに視線を向けてから一瞬で消え失せる。

アルプ「ま、好きにしたらいいよ。私の案件はこれでおしまいだからね」

アルプ「好きにできれば、の話だけど」

 虚空から聞こえてきた声を受けて動いたのはデュラハンであった。亜空間に腕を突っ込み、日本刀を引き抜く。
 西洋式の甲冑に東洋式の刀剣はちぐはぐであったが、デュラハン自身は全く気にしていない。彼にしてみれば使いやすいものを使うだけなのだろう。

デュラハン「ここで会ったも何かの縁! 俺と心行くまで戦おう!」

 気骨満面の声音が響きわたる。

441: 2012/10/05(金) 16:52:50.68 ID:S3Fp1WnN0
 すっと一歩前に出たのは隊長であった。細く睨み付ける形で、デュラハンの一挙手一投足に注目している。
 そんな姿を見たデュラハンは小さく「ほう」と声を上げる。

デュラハン「確かに手練れだ。九尾の口車に乗った甲斐があるってもんだね」

隊長「お前、戦闘狂か?」

デュラハン「そんなつもりは決してないんだけどね。ただ……そういう存在ってだけで!」

 語る間も惜しいとデュラハンが駆けた。
 気合の踏込。それは一歩で世界を限りなく縮める速度を誇る。

デュラハン「大丈夫! 命を取るぐらいしかしないさっ!」

 頸を狙った一閃をなんとか隊長は回避した。頃しに来ているというのは語弊がある。あの攻撃なら、頸でなくともどこを切られたって致命傷だ。

 返す刀が煌めく。

勇者「氏ね」

 雷撃を帯びた剣が頭上から落ちてくる。柄をしっかり握った勇者の眼は見開かれており、怒りに打ち震えている。
 まさかの位置からの攻撃に、さしものデュラハンも反応が遅れる。回避行動は間に合いきらない。肩当が大きく抉られ、弾き飛んだ。

442: 2012/10/05(金) 16:53:36.36 ID:S3Fp1WnN0
 反撃に備えて勇者は素早く飛び退く。デュラハンも追撃を回避するために距離を取っており、勇者、隊長、デュラハンで三つ巴の形になっていた。立ち位置も三角形。

 少し離れた場所では老婆が魔方陣を展開している。簡易の転移魔法陣だ。

老婆「無茶しおって……何を怒っているんだか」

参謀「逃げることはできないんですか」

老婆「転移魔法が妨害されてる。距離が制限されすぎてて、無理だな」

 参謀は大きくため息をついた。しかし、その姿勢とは裏腹に、瞳の奥は高揚に彩られているように思えた。

参謀「隊長と勇者さん、僕とおばあさんで行きます。残りの者は兵站基地の確認を」

兵士「で、ですがっ!」

 四天王に人間四人で挑もうというのだ。そのあまりの無茶に、流石に彼の部下も驚きの声を上げざるを得ない。
 けれど参謀はあくまで落ち着いた、というよりも陰気な声を出す。

参謀「氏にたくないでしょ……巻き添えなんて、ごめんでしょ」

443: 2012/10/05(金) 16:54:15.60 ID:S3Fp1WnN0
 その言葉に兵士は息を呑みこんだ。僅かにおいて、頷く。
 兵士たちが走り出す姿を、デュラハンは泰然自若で過ごした。もとより彼には兵站基地などどうでもよい。その有り様は当然だ。

参謀「……なんであなたもいるんですか?」

狩人「私も、戦う」

 参謀は眉をわずかに動かし、頷く。

参謀「氏んでも責任取りませんから」

狩人「うん」

デュラハン「もういいかな? 俺はそろそろ、待ちきれないんだけどな!」

 再度デュラハンの踏込。狙うは狩人、老婆、参謀の遠距離組。
 黒い疾風となったその姿はわずかな時間も与えてくれない。蹴り上げた土が舞い上がるよりも素早くデュラハンは参謀に切迫する。

デュラハン「っ!」

 声にこそ出さないが、驚きが伝わってくる。
 刀を握る右手の手首、肘、肩の各可動部に、鏃が突き刺さっていた。

 血液は飛び散らない。そもそも彼に暖かな血液が流れているかも定かではない。が、少なくともダメージは受けているようだ。無理やり振るった刀の速度は明らかに落ちている。

444: 2012/10/05(金) 16:54:45.04 ID:S3Fp1WnN0
 きりり、と弓を引き絞る音。

狩人「隙間だらけの甲冑なんて」

 胸板と腹当ての隙間を縫うように矢が突き刺さる。

 さすがのデュラハンも体が揺らいだ。そしてその揺らめきを見落とすほどの素人は、この場にはいなかった。

 帯電した剣が足を、業物の彎刀が胴体を、それぞれ獣の獰猛さで襲いかかる。

デュラハン「いいね、いいね、いいよきみたちっ!」

 体勢を崩しながらデュラハンが叫ぶ。その間にも、当然危機は迫っているというのに。

デュラハン「――認めたっ!」

 デュラハンの足元に、突如として無骨な魔法陣が浮かび上がる。
 ペンタグラムを基にしたその魔方陣は最初淡く光っていたが、すぐにその輝きを強め、そして一際明るく輝いた。
 そして、

445: 2012/10/05(金) 16:55:16.14 ID:S3Fp1WnN0

 刃。

 刃、であった。

 刃が地面から――魔方陣から、突き出しているのだ。

 いや、より正確な表現をするならば、こうである。

 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が

――突き出しているのだ。

 しめて六十本の刀剣はまるで初めからそこに鎮座ましましていたかのごとく、襲撃者の体を傷つける。
 足と言わず手と言わず胴といわず、それら全てを突き刺し、切り裂いた。

446: 2012/10/05(金) 16:56:04.87 ID:S3Fp1WnN0
隊長「ぐっ……くぅ、うっ!」

 間一髪のところで致命傷を避けられた隊長であるが、それでもなお被害は甚大だ。大小細やかな傷からは血液がとめどなく流れ出している。

 狩人「ゆ、勇者っ!」

 叫び声で、その場にいた全員が彼のほうを向く。
 突き出た剣が腹にきっちりと食い込んでいたのだ。

 突き刺さったそれ自体が栓となって、出血自体はそれほどひどくない。が、一度体を動かせば、腹からの出血はすぐさま氏に直結するだろう。

 デュラハンはそんな二人の姿を見て、ない顔を顰める。

デュラハン「もしかして、きみが勇者?」

勇者「それ、が……なんだ」

 息も絶え絶えとした様子で勇者はデュラハンをにらみつける。喋るたびに口の端から逆流した血液が滲んで垂れていく。

デュラハン「あ、きみの仲間の女の子を攫って閉じ込めてるの、俺だから」

デュラハン「でも、九尾もなんできみみたいな雑魚に――」

老婆「余所見をしていていいのか?」

447: 2012/10/05(金) 16:56:52.95 ID:S3Fp1WnN0
 大きな爆発がデュラハンのそばで起こった。指向性を持つ爆発は、焦げの臭いを振りまきながらデュラハンのみを大きく吹き飛ばす。
 が、デュラハンは重量を感じさせない体運びで苦も無く地面に着地した。

 そこを狙うは傷だらけの隊長。体を動かすたびに血が垂れていくが、そんなことはお構いなしに刀を握り締めている。

 デュラハンは刀でそれを受け止めた。刃毀れすら恐れない重たい一撃に、魔族の彼ですら思わず手が痺れそうになるが、基本スペックの違いはどうにもならない。次第に隊長は押し返されていく。

 が、それはつまり反対ががら空きであるということだ。

 拳を固く握りしめた参謀が、まるで地面を滑るようにデュラハンへととびかかる。

 しかしデュラハンもその程度が予測できていないわけではない。彼の鎧に魔方陣が浮かんだかと思えば、次の瞬間にはそこから刀剣が生えてくる。
 参謀を串刺しにしようと刀剣が逼迫したが、参謀はそれらを全て自らの拳で叩き折っていく。

448: 2012/10/05(金) 16:57:20.36 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「はぁっ!?」

 まさか、という声をデュラハンは挙げた。

 参謀の拳がデュラハンを確かにとらえる。かなりの硬度を有する鎧を、参謀はまるで気にせず殴りつける。
 デュラハンは住んでのところでその拳を左手で受け止めたが、大きく上へと弾かれた。
 今度こそ大きく開いた懐に、彼は拳を握りしめて潜り込む。

 デュラハンの鎧に刻まれた魔方陣が輝く。

 刃が大きく参謀の体を貫いたが、握り締められた拳が開かれることは、ない。

 参謀が口を大きく開いて息を吸い込んだ。涎に塗れた犬歯がのぞく。

 参謀は腰を落とし、デュラハンを真っ直ぐ突いた。

 鉄で鉄を打ったかのような轟音。
 デュラハンが大きく、地面と垂直に飛んでいく。

 接地とともに大きな砂埃が舞った。濛々とあがるそれを、全員が大きく注目している。

 倒したわけではないと誰もが感じていた。特に参謀を除く者らは、嘗て戦った白沢、そして何よりウェパルを思い出し、気を引き締める。四天王はこんなものではないと。
 果たして砂煙の中よりデュラハンが現れる。鎧は大きくへこんでいるが、足取りは依然として軽い。

449: 2012/10/05(金) 16:58:00.74 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「あんた参謀じゃないの、俺びっくりしたよ」

参謀「魔法使いが近接に弱いなんてのは幻想です」

デュラハン「うん。いい勉強になったよ」

デュラハン「じゃあ勉強代を支払おうかな。楽しませてもらったしね」

 空気を震わせる音が響いた。
 特に魔法使いには聞き覚えのある音。魔方陣が起動する際の、独特の音だ。

 しかし。

老婆「どこだ……?」

 魔方陣が起動したということは、必ず陣本体が存在するはずなのである。しかし、目の前のデュラハンに変化はない。地にも、空にも、描かれていない。

 身構える彼らをよそに、デュラハンはまたも虚空に手を突っ込んだ。右手に握っているそれとは違う刀が一本、左手に新たに握られる。

 そしてそれを投擲した。

 高速で飛来する鉄塊は、刃の有無を問わず凶器である。狩人はそれを何とか回避し、矢を番える間すら惜しいとナイフを数本引き抜いた。

450: 2012/10/05(金) 17:00:10.44 ID:S3Fp1WnN0

狩人「不気味」

 そう、確かに無気味であった。デュラハンの攻撃意図がわからない。
 それでも戦うしかない。
 恐らく彼は逃がしてはくれない。

 突っ込む狩人に合わせ、囲むように残りの面子もかかっていく。魔方陣から突き出される刃のことも考え、素早く、けれど慎重に。

 応対するデュラハンの反応は素早かった。というよりも、投擲からすでに一連の流れとして動いていたといったほうが正しい。
 地を蹴り、片手で握った刀を隊長に向ける。この中で一番の手練れだと踏んだのだろう。顔のないのに心なしか嬉しそうだと感じるのが実に不思議である。

 横の一線を隊長は身を屈めて避ける。と同時に、強い踏込から必殺の居合抜き。

 甲高い金属音。甲冑ではなく、地面から生えている刃が攻撃を防いでいた。

 隊長が舌打ちをする。その間にも刀は軌道を変えて脳天めがけて振り下ろされるが、今度は隊長が守る番であった。
 素早く引き抜かれたのは小太刀。弾くのではなく受け流す形で、デュラハンの攻撃は無力化される。

451: 2012/10/05(金) 17:00:40.00 ID:S3Fp1WnN0

 背後から襲う参謀と狩人。限りない前傾姿勢で突っ込んでくる参謀の背後では、氏角を除すためにナイフを握った狩人が控えている。
 ダッキング気味に加速する参謀。腹の大穴はいつの間にか修復されていた。

デュラハン「遅いっ!」

 振り向きざまに今度は右手に握っていた刀すら投擲した。驚愕しながらも参謀はそれを打ち落とすが、デュラハンから視線を移動させたその瞬間、反転したデュラハンが向かってくる。

 狩人の投擲。寸分違わず関節を狙う正確さは、しかし地面から生える刃の壁で妨げられた。そのまま迂回しながら投擲用の鏃を取り出す。

 参謀とデュラハンが一瞬で肉薄した。

 震脚とともに重たい拳が構えられる。
 参謀は己の体を限界まで使役するつもりで魔力を充填、解放、体を駆け巡らせた。

 同時に刀が数本地面から生える。今度は刃ではなく、柄を上にした状態で。
 デュラハンは素早く新たに現れた柄を全て掴んだ。そのうち一本を右手、残りを左手で握り、突貫する。

 拳と刃がかち合って歪な音を奏でる。

452: 2012/10/05(金) 17:01:18.19 ID:S3Fp1WnN0
 デュラハンが大きく下がると、それに追いすがる形で参謀は前進していく。拳と刃は数度ぶつかり合って、ついに刃が根元から折れた。

デュラハン「どんな体してるんだ、あんた!」

 叫ぶ彼の声は愉悦に満ちている。まるで今が世の春とでも言うように。

 参謀はあくまでも無言で、ここが好機と加速した。摩擦がないかのような動きでデュラハンの懐に潜り込み、溜めを作る。

 デュラハンの体から生えた数十もの刃が、そうはさせじと襲いかかる。
 絶妙なタイミングで参謀は後ろに跳んだ。
 途端にデュラハンの視界が白く染まる。あまりの光量に立ちくらみさえ覚えるほどの。

 参謀の背後から巨大な火球が向かっていた。

デュラハン「あ、まぁああああああいっ!」

 左手の刀を全て投擲する。
 火球にそれらは当然飲み込まれていくが、あまりの質量と速度が巻き起こす旋風に、火球が大きく揺らめいて拡散。そこにデュラハンが突っ込む。

 ほとんど無傷で抜けたデュラハンの目の前には老婆がいる。

453: 2012/10/05(金) 17:06:05.90 ID:S3Fp1WnN0
 爆裂音。爆裂音。爆裂音。
 老婆の魔力が爆発という形でデュラハンを襲う。生身の人間ならひとたまりもないそれであるが、しかしデュラハンの勢いを頃すには足りない。たった数秒で切迫が完了し、

 地面から生える刀をデュラハンが手に取る。

 流れる動作で投擲。

 そして、大上段からの一撃。

 音のない衝撃が空間を揺らす。
 咄嗟に老婆が張った十枚重ねの障壁を、デュラハンは八枚まで刀で叩き割った。そこで刀の動きこそ止まったが、デュラハン自身の動きは止まらない。

 地面から生えた刃が老婆の体とローブを引き裂いていく。さらに持っていた刀を捨て、新たに生えた刀を握り、そのまま襲いかかる。
 間に隊長が割って入る。

 横への一閃。バックステップで回避してもデュラハンは止まらない。退避よりもはやい速度で迫る漆黒と刃を、隊長はがっちりと受け止める。
 人外と力比べなどするつもりはなかった。が、それはデュラハンも同様だった。刀を捨てて左手の刀を振るう。

 小太刀で防ぐが勢いを頃しきれない。力に負けて思わず後ろへ押し出される。

454: 2012/10/05(金) 17:06:31.69 ID:S3Fp1WnN0
 デュラハンの投擲。回避し、体勢のさらに崩れたところへ、新たな刀を両手に握ってデュラハンが来る。

 唐突にデュラハンが反転、両手の刀をまたも投擲。背後から近づいてきた参謀がそれを打ち落とす。

 地面から近づかせまいと刃が無尽に生える。さながら金属の薄野原の上を参謀は走り、デュラハンへと蹴りを繰り出した。
 その足すらも叩ききろうと地面より刀を抜いてデュラハンが迫る。
 足と刃が邂逅する寸前で、唐突に参謀の体が後ろへと急激な移動をする。まるで見えない手か、おかしな重力に引きずられるように。

 デュラハンの刃が大きく空振る。

 と、彼は自らの頭上がいきなり翳ったことに気が付いた。
 肩の上に、デュラハンの無い首を跨ぐ形で、狩人が弓をその鎧の内部に向けている。

 弦の風を切る音。

狩人「っ!」

 放たれた矢は殆ど動かず、デュラハンによって掴まれていた。そればかりではなく狩人の足も同様に。

 力一杯に狩人は放り投げられる。地面で数度跳ね、木に激突してようやく止まった。

455: 2012/10/05(金) 17:07:09.19 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「数的有利はあるとはいえ、俺と対等なんてね。驚きだよ」

デュラハン「見せてあげよう――この俺の刃を!」

 言い終わると同時に、地面から鋭い光が発せられる。
 光の粒子が下から上へと吹き上げられ、掻き消えていく。

老婆「く――うぅうううっ!」

 全てに合点がいった老婆は大至急、かつ大規模の障壁を展開しようと試みる。が、それよりも圧倒的にデュラハンのほうが早かった。

 魔方陣は展開されていた。ただ巨大すぎただけで。

 ヘキサグラムの中心、六角形の空白地点で、彼らは戦っていたのだ。

 俯瞰すればおおよそ1キロメートルの直径を持つ魔方陣が、デュラハンを中心にして描かれているのが見える。光を抱くその魔方陣は、規模こそ巨大であるけれど、魔法陣としては何ら珍しいものではない。
 デュラハンが見せ続けていた召喚魔法の正体。召喚対象を刀のみにすることによって、数、速度を飛躍的に増幅させる工夫がなされている。

 無差別的に刃を生やせばどうなるか――単純な答えだ。魔方陣に含まれる部分が全て刃の林となるだけである。
 が、そこで原形をとどめていられる生物が、いったいどれだけいるだろうか?

デュラハン「生き残って見せてくれよぉおおおおおっ!?」

 魔力の奔流が陣に流し込まれる。

 ずぐん、と地面が揺れた。

456: 2012/10/05(金) 17:07:39.31 ID:S3Fp1WnN0
 老婆と狩人は地面に落下した。老婆が、なんとか距離の近かった狩人とともに、可能な限り遠くへと転移したのだ。
 とはいっても魔方陣の半径から逃げ切ることはできなかった。比較的密度の薄い部分を択んだはずではあったが、それでも体中は傷だらけで、何より老婆の左足の先がなくなってしまっている。

 激痛に顔を歪めるが、命があっただけでも僥倖である。狩人は急いで止血帯をし、上部をきつく縛って応急処置を施す。

 デュラハンの姿は刃の林で見えなくなっている。隊長と参謀の姿も。

狩人「二人は……大丈夫かな」

老婆「なんとか生きてるじゃろ。参謀に酷使されてれば、そのはずじゃ」

老婆「あいつらは氏んでも氏なぬ。勇者と同様にな」

狩人「勇者も……生き返ると思うけど、どうかな」

老婆「あー、そのことなんじゃが」

 老婆は脂汗をぬぐい、言う。

老婆「あいつなら必氏の塔に飛ばした」

――――――――――――――――

459: 2012/10/15(月) 11:27:44.86 ID:nvk55JaF0
――――――――――――――――

参謀「……無茶苦茶しますね」

 突き立つ剣先に立つ参謀。その脇には隊長が抱えられている。

デュラハン「それは俺の台詞だよ。期待以上の強さで、俺は嬉しい」

 林の中心でデュラハンは剣を生み出し、柄に手を添える。

デュラハン「迸りが止まらないよ。強い存在と戦うために俺はこの世に生を受けた。複数とはいえ、こんな良い戦いができたのはいつぶりだろう」

隊長「四天王ってのは全員ストイックなのか」

デュラハン「魔族はどうしても本能に縛られてる。抗えない性質が、確かにあるんだ」

デュラハン「でも、人間だってそれは同じだろう? 個体が多いからバラけているように見えるだけさ」

 デュラハンは戦わずにはいられない。アルプは刹那の享楽に身を投じずにはいられない。ウェパルも、鬼神も、程度の低い魔物でさえも、本能からは逃れられない。
 理性の有無は問題ではないのだ。たとえ血の涙を流しながらでも為さねばならぬ心的脈動。睡眠、食事、性交、そしてもう一つの衝動は、確かにある。それは人間も例外ではない。

460: 2012/10/15(月) 11:28:15.30 ID:nvk55JaF0
 人間は限りなく利己的だ。いや、生物が遺伝子の乗り物である以上、利己的でなければいけない。
 大のために小を犠牲にする残酷さが人間の本質であり、衝動である。

 参謀は一歩前に出た。ちらりと兵站所を見やって、無事であること、即ち彼の部下の生存を確認する。

参謀「十分戦ったんじゃないですか。はっきり言って、僕たちを見逃してもらいたい」

 彼らの任務は決してデュラハンを倒すことでも、ましてやデュラハンの衝動を満たしてやることでもない。その申し出は当然であった。

 デュラハンは無言で剣を投擲した。
 高速で迫る剣を、参謀は剣の林の上を走って避ける。同時に隊長は反対方向へと刀を抜きながら飛ぶ。
 彼の傷はあらかた塞がっていた。血の飛沫は飛び散らないにせよ、痛みは依然として尾を引いている。逐一歯を食いしばらなければならない程度には。

 飛び上がったデュラハンの一閃。隊長が刀で滑らせて防ぎ、その間に、背後へ参謀が音もなく滑りこんでいる。

461: 2012/10/15(月) 11:29:17.24 ID:nvk55JaF0
 魔法陣が光った。デュラハンの体から生えた幾つもの刃が参謀の体を貫くが、参謀は止まらない。重要な器官だけを守りながら足を掬う。
 バランスを崩したデュラハンへ隊長が刃を叩きつける。大上段に振りかぶった、速度と重量のある攻撃。

 急遽生やした刃ではそれを完璧に受け止めるには至らない。三本まとめて叩き負って、漆黒の鎧の右腕部に半分ほどの切り込みを入れる。

 驚愕と舌打ちは両者ともにであった。隊長はまさか両断できなかったと、デュラハンはまさかここまで深く切り込まれたと。
 血液は出ない。デュラハンの鎧の中身がどうなっているのかはわからないが、さもありなんというところではある。

 ぞくり。
 隊長の全身を怖気が貫く。

 あるはずのないデュラハンの瞳が光って感じられた。

 思わず飛びのこうとするが、それよりも早く鎧より刃が生える。

隊長(間に合わねぇっ!?)

 内心の絶叫。
 と、途端に重力の方向が変わったような、襟首を引っ張られたような力が隊長にかかる。

462: 2012/10/15(月) 11:29:52.68 ID:nvk55JaF0
 刃を間一髪で回避した体は不自然なまでのスムーズさで剣山の上に収まった。

隊長「ありがとよ」

参謀「僕一人じゃ勝てませんから」

 言って、二人は半身になった。

 参謀の魔法は人体操作。単純な強化から運動神経の支配まで、一通りはこなせる実力者である。だからこそ剣山の上にも立てれば痛みに怯まず殴りかかることもできる。
 先程彼は、隊長の身体を一瞬支配し、無理やりに退避の行動をとらせたのである。

デュラハン「俺は君らを見逃すつもりはない」

参謀「それでも逃げたら」

デュラハン「部下を頃すよ」

参謀「……」

デュラハン「それでも足りないなら、周囲の街を襲う。そうすれば強い兵士が派遣されてくるんだろう?」

隊長「この戦闘狂が!」

デュラハン「なんとでも言うがいいよ! 俺は、今この瞬間を生きる!」

 二刀を振ってデュラハンは地を蹴った。

463: 2012/10/15(月) 11:30:48.75 ID:nvk55JaF0
 急激な加速。素人目には転移魔法にしか見えない速度で、隊長ににじり寄る。

 縦横無尽の剣戟が降り注ぐ。手数は多いが、見合わないほどの重さと速度を誇る攻撃を、隊長はなんとか捌くことしかできない。
 刃と刃がぶつかるたびに火花が散り、肌を傷めつけていく。

デュラハン「この世は腐ってる! 腐って腐って腐りきって、もうどこもかしこもぐずぐずじゃないか!」

デュラハン「甘ったるいあの腐敗臭が鼻を突くんだ! 政治とか、未来とか、考えることにどんな意味がある!?」

デュラハン「結局争いの中でしか存在は保てない! だからっ!」

 横から突っ込んでくる参謀に対して剣を投擲して牽制する。稼げたのは一秒程度だが、鈍化しつつある時間の中では、その一秒の価値は絶大だ。
 左右から袈裟切り。隊長を確実に頃しにくる一手。
 人間相手ならば空いた懐に刃を突き立てればいい。しかし、対峙しているのは魔族の貴族たる四天王。どうやって殺せば氏ぬのかすら曖昧だ。

 隊長の判断は、それでも、攻めることだった。

デュラハン「刃物で語ろう! 存分に!」

464: 2012/10/15(月) 11:31:20.58 ID:nvk55JaF0
 全てが色を失っていく。流れる景色。溶け出していく思考。
 見ているものと見ていないものの境界線は模糊としている。そこに頭脳の余地はない。骨と筋肉と、それらをつなぐ神経だけが、強酸で焙られた果てに残っていた。

 高揚! 高揚! 高揚!

 抜刀。
 無駄のない動きで放たれた刃は、デュラハンの胸を貫通する。

 ほぼ同時にデュラハンの刀が首を刎ねようと迫る。息を吸い込みつつ紙一重で回避するが、左の耳が吹き飛ばされた。

 デュラハンはたった今振った剣を捨てた。軽くなって素早く動く右手を、返す刃で逆方向へと持っていく。
 虚空より現れる刀。繰り出される速度は迅雷。

 大きく刀が宙を舞った。

 デュラハンの右腕を参謀が力一杯に蹴り上げ、その軌道をずらす。

 隊長は刀を捩じりながら力を籠める。
 鉄を引き裂きながら、隊長の握る刃が抜けた。隙間からは暗黒が見えるばかりで、肉も、血も、窺い知ることはできない。

465: 2012/10/15(月) 11:32:09.67 ID:nvk55JaF0
 漆黒の騎士はひるまない。力任せに動かす左手はそれでも十分必殺の一撃。
 それは今度こそ弾かれなかった。身体操作すら間に合わない刹那で、参謀は己の左手を捨てる覚悟を決め、隊長との間に割って入る。

 痛覚に触れない鋭さの断裂。

 参謀の血飛沫が舞う中を隊長の咆哮が劈いた。

 右から左へ斬撃。突き。突き。大きな一閃。
 流れるような連撃は防御に用いた全ての武器を使い捨てにしていく。デュラハンは新たに二刀を生み出しながら攻勢に出た。

 片方で攻撃を捌きながらの唐竹割り。

 一歩下がって回避される。追撃のための踏み込みを狙って、背後から参謀が飛び込んでくる。
 踵を使った打ち下ろし。鎧が大きくぐらつくが、倒れる気配はない。しかしぐらつきさえあれば今の二人には十分だった。

 視線の交差。意思の疎通。
 殺せぬモノすら頃すべしという。

466: 2012/10/15(月) 11:32:37.70 ID:nvk55JaF0
 不安定な剣山の上で、人間二人が大きく踏み込んだ。
 体は止まらない。止める気もない。
 彼らは感じていた。ひしひしと感じていた。デュラハンが確実に人間の敵であるという事実は、最早疑うことはなかった。

 魔族がどうとか、四天王がこうとか、そういうことではない。

 デュラハンの衝動。強者との戦いのためならば手段を問わないその性向こそが、人類の敵なのだと。

 彼ら二人は別段愛国者ではない。無論愛国心はあれど、それは一般人程度にであって、ゆえの兵士であるとか、逆に兵士ゆえのであるとかはなかった。
 最早作戦の遂行を鑑みる余裕もない。畢竟、部下である兵士たちや周辺住民よりもさらに遠いところまで来ていると言ってしまってもいいだろう。
 そんな目先の人命よりも遥か先の脅威が、眼前には立っているのだ。

 だからこそ止める。
 今、ここで、頃しきる。

 参謀の正拳突き。深く腰を下ろした体勢から放たれる、必殺の一撃。
 大きくデュラハンの体が吹き飛ばされた。地面とほとんど水平に飛んでいくその先には、隊長がいる。

 白刃が煌めく。昼の太陽を反射し、弧を描く刃。

 無言と無音が、極僅かな時間、空間を支配する。

467: 2012/10/15(月) 11:33:24.69 ID:nvk55JaF0
 信じられないほどの驚愕がもたらすそれら。たっぷり一分ほどの一秒が経過して、隊長はようやく、自らの右腕が存在しないことに気づく。
 目の前の巨大な刃に視線を奪われていて。

 巨大な刃――そう、三十センチはあろうかという幅広の刃が地面から生えていた。
 デュラハンは吹き飛ばされながらもそれを踏み台にして攻撃を避け、上空高くから隊長の腕を切り落としたのであった。

 着地したデュラハンは「レ」の字に形を振るった。隊長は目を見開くばかりで対処できない。
 震脚とともに参謀の突進。しかし焦燥は攻撃を直線的にしすぎる。片手しかないのも大きなハンデであった。

 左手でデュラハンが拳を受け止める。腕を円運動させぐるりと回すと、たやすく参謀は体勢を崩す。
 刃と刃の隙間に落ち込んでいく参謀。鋭い刃先が体中を切り刻んでいく。

 同時に、デュラハンの刀が隊長を大きく切り裂いた。剣圧で肋骨の部分が大きく抉れ、血と肉の交じり合った赤黒いものが、べちゃべちゃと地面にまき散らされる。

隊長「――ッ!」

468: 2012/10/15(月) 11:34:04.57 ID:nvk55JaF0
 足に力を籠めようとするが、できない。
 上半身と下半身の接合があいまいだった。足はしっかり地面を踏みしめているのに、上半身が揺らぐ。
 いや、揺らいでいるのは彼の意識か?

 口から血が伝って落ちる。何か言おうとするたびに、空気の混じった血が口角から吐き出され、言葉にならない。

 そんなはずはなかった。このままではいけなかった。
 それだのに。

隊長(こんなところで、氏ぬのか?)

 しかし発奮にも限界がある。体が頭の言うことを聞かない。まだ戦えるのに。デュラハンをここ頃しておかなければ、のちの脅威になるのはわかりきっているのに。

デュラハン「きみたちは実にいい戦士だった。――無様な最期を遂げるのは本懐ではないと思う。一思いに終わらせてあげよう」

デュラハン「さらば。実に楽しいひと時だったよ」

 刀を構えたデュラハンが、無慈悲の一撃を放つ。

469: 2012/10/15(月) 11:34:55.88 ID:nvk55JaF0

 頽れたのはデュラハンのほうだった。

 鎧の脇腹が大きく抉り取られ、ぽっかりと穴が開いている。
 そこからは、恐らく血液に類似した存在なのだろう、黒い靄が空気に流れて溶けていく。

 デュラハンの体がついにバランスを崩した。膝を折り、刀すら取り落とす。
 その一撃で決まったわけではない。が、デュラハンは身に起こったことが理解できなかった。いったい何が起こったというのか。

デュラハン(二人とも戦闘不能なはず――!?)

 視線を向けた先で、デュラハンは全ての合点がいった。
 同時に、いまだ嘗てない高揚のこみあげてくるのも感じられた。
 言うなればこれは隠しステージだ。エクストラステージだ。終わっても終わらない、醜く浅ましい、けれども神秘的な生命の生き様。

 もしくは生命に対する冒涜かもしれない。

デュラハン「と、言うことはっ!」

 背後からの剣戟をぎりぎりで弾き、横へいったん逃げた。虚空から刀を取り出して構える。

 視線の先には参謀と隊長が立っていた。

470: 2012/10/15(月) 11:36:20.74 ID:nvk55JaF0

 二人の背後に、黒い屍と、彼らに巻きつく黒い糸が見える。
 切り落とされたはずの二人の片腕は、黒い糸で接合される形で復元されていた。抉られた隊長の腹部こそ戻っていないが、どうやら痛みは感じていないようである。

デュラハン「自動操作……人ならざる領域じゃないの、それ」

隊長「往生際の悪い男なんだよ、俺たちは」

参謀「王城に召し上げられてなければ、今頃は禁術の罪で氏刑ですよ」

参謀「あぁ――氏にたい」

 三人が飛び出すのはほぼ同時であった。

――――――――――――

471: 2012/10/15(月) 11:37:13.79 ID:nvk55JaF0
――――――――――――

 森の中、刃の林が遠くに見える位置で、老婆の通信機が震えた。

 老婆は眉を顰める。早く二人に加勢しなければいけないというのに、魔法経路は王族直轄のものであったからだ。

老婆「なんじゃ! こっちは今取り込み中じゃ、要件なら早く済ませていただきたい!」

国王「作戦の途中経過を聞きたい。参謀にも隊長にも連絡がつかないのだが」

 老婆は通信機から顔を離し、舌打ちをした。

老婆「……補給基地は無事殲滅、占領に完了。現時点では外部に漏れていないと思われます。が……」

国王「が?」

老婆「……魔族の襲撃を受けました。四天王、デュラハンです」

 通信機の先から国王の驚きは伝わってこない。一秒ほどおいて老婆は続ける。

老婆「魔法妨害を受け、満足に転移魔法が使用できません。また、敵の巨大な魔法使用を確認、いったん退避しています」

老婆「隊長と参謀は現在継戦しております。私たちもここから合流し、デュラハンの討伐を」

国王「いい」

472: 2012/10/15(月) 11:38:52.36 ID:nvk55JaF0
老婆「いい、とは」

 俄かには王の真意が辿れず、老婆は思わず聞き返す。

国王「いい、ということだ。魔族、しかも四天王の相手など、無理にする必要はない。ここで今そなたを失うつもりはない」

老婆「しかし、王。隊長と参謀は」

国王「あの二人ならば善戦してくれるだろう。氏んでも戦い続けてくれる。そのためにあいつを雇っているのだ」

老婆「お言葉ですが! あの二人ではデュラハンに勝ち目がないかと存じます」

国王「問題は二人の兵士を失うことではない」

 「兵士」という言葉を強調して、王は続けた。

国王「戦争に勝つためにはお前の魔法力が必要だ。イレギュラーな事態が起こったならば仕方がない。帰還し、合流してくれ」

国王「こちらもそろそろ準備が整う。攻めるぞ」

老婆「……わたしの、魔法力、ね」

国王「いつぞやのようにな」

473: 2012/10/15(月) 11:39:45.94 ID:nvk55JaF0
老婆「……」

国王「この国のためだ」

 視線を刃の森のほうに向ける。そこではデュラハンと二人がいまだ戦い続けているはずだった。

 二人の命よりも大局的なものが重要であるという意見に老婆も否やはなかった。
 なかったが……。

 喉元まで出かかった言葉を嚥下する。個人のほうを重視するなら、なぜ嘗てそうしなかったのか。
 何千という敵兵を国のために頃しておいて、今更国を蔑にすることは、比類なき大逆ではないのか。

老婆「……わかりました」

国王「ご苦労。なるべく早い帰還を待つ。それでは」

 音もなく通信が切れる。

 傍らでは石に腰かけた狩人が老婆を見ている。その瞳に映るのは心配の色だ。
 狩人はあくまで口数が少ないだけで、心がないわけではない。老婆はなんだか心がほっこりするような気がした。

474: 2012/10/15(月) 11:41:43.27 ID:nvk55JaF0
狩人「行くの?」

 声音に詰問は感じられない。狩人は所詮部外者で、単なる旅人だ。兵士のしがらみなどとは無縁の世界に生きてきた。
 彼女にとって老婆の住む世界は理解できなかったが、だからといって無意味だと切り捨てるほど愚かでもなかった。

老婆「あぁ」

狩人「私は、行かない」

老婆「そうか」

 そうなのではないかと思っていた。そもそも国王は老婆についてしか言及していない。その他大勢に含まれる狩人のことなど、当然覚えてもいないのだろう。
 だからこそ彼女は二人に合流しようというのだ。助けに行こうと。
 例え敵が強大だとしても。

老婆「ここで、お別れじゃな」

狩人「お別れ」

 狩人が手を出す。老婆はきょとんとした顔をするが、笑ってその手を握った。

狩人「また、今度」

老婆「また、今度」

―――――――――

479: 2012/10/19(金) 13:22:12.00 ID:itCyvvs/0
―――――――――

 剣が舞う。
 それは字面の上では剣舞と酷似しているが、決して剣舞そのものではない。というよりも、寧ろ優雅さとは対極に位置するものだ。

 猛獣のような咆哮。

 野生の猛りが空気を震わせる。

隊長「うぉおおおおおおっ!」

 自慢の彎刀はなまくらになっている。しかし、そんなこと委細構わず、彼はひたすらにそれを振り回す。
 縦横無尽の攻撃を、デュラハンは軽傷で何とか済ませる。鎧の端ががりがりと削り取られていくが、そんなことを気にしている隙に鉄はデュラハンの体を叩き切るだろう。

デュラハン(だからと言って――!)

 背後からの気配を察し、視線すら向けずに体を逸らす。刃を展開しながら、自身も傷つきながらの無理やりな回避。

480: 2012/10/19(金) 13:23:08.89 ID:itCyvvs/0
 間一髪で背後から突進してくる参謀とかち合わずはすんだ。そのままバックステップで距離を離し、手を一振り。

 剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が!

 銀色に鈍く光る驟雨が二人に降り注ぐ。

 隊長が大きく剣を振るった。剣圧で十八本中の十五本を両断し、残りを参謀が砕く。

 二人が翳る。上空へ視線を向ければ、大きく飛び上がったデュラハンが大上段に構えた大剣を――

 振り下ろす。

 大地が揺れた。
 刃の林が軒並み吹き飛んで、数多の破片が平原へと散らばる。
 重力の力を借りているとはいえ、受け止めることを考えさせない破壊力を有していた。あまりの衝撃で二人は攻撃することすらできない。

 大量に舞い上がる土煙の中より腕が伸びた。
 漆黒のそれはそばにいた参謀の手首を掴み、そのまま関節を折りにかかる。

参謀「――っ!」

 皮膚の下から尋常ならざる音が響いた。まるで飴玉を噛み潰したようなざらりと耳に障る音だった。
 参謀の目が大きく見開かれる。

 が、しかし。

 次に驚愕を覚えたのは、あろうことかデュラハンのほうだった。

481: 2012/10/19(金) 13:23:37.09 ID:itCyvvs/0
 参謀が、折れた腕をそのまま叩きつける。

 デュラハンの鎧が大きくひしゃげ、同時に参謀の左腕が衝撃に負けて千切れ飛んでいく。
 舞い散る鮮血。皮膚の破片と肉の欠片。
 そんなことをできるのが人間であるはずなどないほどに、目の前の存在は殺意を漲らせていた。

 試合に勝って勝負に負けたような納得のいかなさが、漆黒の騎士を支配する。
 否。彼が気づいていないだけで、すでに彼はおおよそ不利な戦いに身を投じていた。何故ならば彼が好むのは戦いであり、命の削りあいであるからだ。
 そしてそれらは決して戦略的ではない。

 すでになまくらを握った隊長が逼迫していた。
 突き出される剣先をデュラハンは手刀にて叩き折ったが、決して勢いは止まらない。腹部に食い込んだ鋼がそのまま吹き飛ばしにかかる。

 足を引いて踏みとどまった先にはすでに隊長はいない。

 ぎらりと地面すれすれで何かが光る。
 それが、デュラハンが今まで使い捨ててきた刃だと判明するのに、そう時間はかからない。しかしその一瞬で隊長はデュラハンの胴体へと鋭い斬撃を放っていた。

 間に合わない。

 デュラハンの判断は迅速で、冷静で。
 だからこそ誰にも共感されない。

 しかし、彼は言うだろう。共感に一体どんな意味があるんだい? と。
 俺たちはでたらめに走り続ける矢印なんだから、と。

482: 2012/10/19(金) 13:25:46.07 ID:itCyvvs/0
 右腰から左肩にかけて大きく刃が躍る。
 隊長は自らの右手に確かな手ごたえを感じていた。何千何万と巻き藁を切り倒し、何百も魔物を切り伏せてきた感覚が、確かに頃したと告げている。

 ずしゃり。
 地面に漆黒の鎧、その上半分が落ちて散らばる。
 鎧の中には何もなかった。

隊長「どういう――!」

参謀「上です!」

 見上げる先に黒い何か。

 その「何か」は一見すると人の形をしていた。筋骨隆々の大男。身長は二メートルはあるだろうか。腕も、胸板も、太く厚い。
 ただし、その「何か」は決して人ではなかった。光をどこまでも吸収する漆黒。そして霧状に溶けている下半身。

デュラハン「こんな姿を見せるなんてね」

 手を振ると空気を震わせて光がまとわりついた。そうして、すぐに光は漆黒の鎧へと変化する。

 足首に手が巻き付いた。

デュラハン「――っ!?」

 垂直跳びで数メートルを飛びあがった――肉体操作で無理やり体を使役しているだけで、体をつなぐ黒い糸すらぶちぶちと音を立てている――参謀は、そのまま刃の林へと投げ飛ばす。
 金属の砕ける音と土煙。二人は瞬きすら待たずにその中へと突進していく。

483: 2012/10/19(金) 13:26:52.04 ID:itCyvvs/0
 デュラハンを庇うように刃の壁が続々姿を現す。それすら気にせず参謀は体ごと突っ込んだ。体に刃が食い込むことなど気にもせず。
 切り裂かれ、落ち、欠けた個所は即座に黒い糸が補修する。すでに彼らに痛覚はない。鼓動すら魔法で補っている状況なのだ。人間と呼べるものではない。

 前を行く参謀の背中を蹴って隊長が飛び出した。手にはまたも拾った剣がある。

隊長「潰すっ!」

 五月雨切り。
 前後左右の見境なし、出せる限りの手数を出し切る子供の喧嘩染みた斬撃は、まるで無策のそれであった。
 デュラハンは衝撃に目を丸くしながらも、あくまで静かな思考で向かってくる二人を分析する。

 だからこそ、彼には焦燥が生まれていた。

 デュラハンの手刀が隊長の左外耳を切断し、肩を粉砕する。体は大きくぐらつくも剣の軌道だけは唯一安定している。
 剣がデュラハンの腹を裂いた。横から入った剣先は、けれど横に抜けることはなく、円の軌道を描いて臍のあたりから抜けていく。

484: 2012/10/19(金) 13:28:03.82 ID:itCyvvs/0

 黒い靄が霧散する。

隊長「うぉああああああっ!」

 雄叫びとともに隊長は両手で剣を握った――両手で!
 折れて使い物にならないはずの肩は、確かにひしゃげた外見をしている。どうやってもそこから先など動きそうにない。
 それでも彼は、彼らは、動けるのだ。最早彼らの体は彼らのものではなく、魔法のものなのだから。

 霊視によってかろうじて見える、体内を駆け巡る黒い糸。それが筋繊維と神経系の代理をして健常に見せかけているのだ。

 返す刃の速度は神速。
 長年の鍛錬のみが可能にする、生物の反応速度を上回る必殺の一撃。

 デュラハンは長らく味わったことのない恐怖を感じた。それは焦燥をさらに煮詰めた先にあるものだ。
 なんだかわからないがやばいと、彼はそう思ったのだ。

 魔方陣が作動する。淡く光を生み出し、さらにそこから派生して、大量の刃先が隊長へと向かっていく。

隊長「知るかぁっ!」

 隊長はそのまま剣を振るった。

 デュラハンの足が両方消え去り、遠く離れた地面へと転がっていく。

485: 2012/10/19(金) 13:43:56.32 ID:pPv+eC4q0

 肉を裂き、骨を砕く音。串刺しになりながらも、それを力技で引き抜いて、地面に倒れ伏すデュラハンへ隊長が飛びかかっていく。

 なんだかわからないがやばいと、彼はまた思った。

 よくわからないが、これはこのままではいけないと。
 氏ぬことはないが、負けるのではないかと。
 背中を見せて無様に逃げるのは自分なのではないかと。

 眼前に迫る隊長と切っ先。

デュラハン「頭おかしいだろ君らっ、勝てないとわかってるのに――」

 剣を生成、黒い靄を足の形に再形成して、デュラハンは鋭く後ろへ跳んだ。

参謀「勝てます」

 背後で参謀が呟いた。
 すでに参謀はデュラハンの後ろに切迫している。

デュラハン「――っ!?」

参謀「僕らが例えここで氏んだとしても――兵士が例え何千人氏んでも、国民が一人でも残っていれば」

参謀「最後に残ったのが僕らの国民であるなら」

 参謀は感慨深げに、もしくは吐き捨てるように、繰り返した。

参謀「それは僕らの勝ちです」

486: 2012/10/19(金) 13:45:53.20 ID:pPv+eC4q0
 デュラハンは今度こそ耐え切れなくなった。参謀の左ストレートを防御し、その勢いを使って距離を取る。

デュラハン「気が、狂ってる」

隊長「戦いを楽しむために何でもする、そんな存在には言われたくないな」

 二人が飛びかかってくる。あくまで真剣な表情で、魔法に操られながら。

デュラハン(駄目だ、こいつら話にならない!)

デュラハン(何度頃してもこいつらは突っ込んでくる! 肉と骨を犠牲にして、俺の一秒を稼ぎに来る!)

デュラハン(物理攻撃で俺が氏ぬことはないけど、あまり魔力を浪費させられるのも、また不味い)

デュラハン(最悪自分と一緒に俺を磔にするくらいはやってのけるだろう。目の前の二人からは、そんな凄みを感じるっ!)

デュラハン(そして何より……今更気が付いたが、こいつは、そうなのか?)

デュラハン(だからあいつが向かって……)

デュラハン(もし本当にそうだとしたら、なおさら不味い!)

デュラハン(自動操作ごと切り捨てなければっ!)

 二人の攻撃を捌き、受け、時に喰らいながら、デュラハンは魔力を貯めていた。このいつ終わるかも知れない地獄から脱するために。

487: 2012/10/19(金) 13:47:03.40 ID:pPv+eC4q0

 魔方陣が、そしてそれが刻まれている大地が大きく光を放ち始める。
 しかし二人の攻撃が休まる様子はなかった。最早彼らは防御を考える必要がないのだ。生き残ることを考える必要がないのだから。

 デュラハンは大量の剣を空中に出現させ、それを二人目がけて発射する。それで二人の足止めができるとは思っていない。が、攻撃を受けた際に起こる数秒のラグを期待してのことだ。

 二人は体を切り刻まれながらも決して止まらない。傷ついた部分はすぐさま現れた体内の黒い糸が修復していく。
 その間、僅かに全身の動きが鈍った。

 そしてその刹那を見逃すデュラハンではなかった。

デュラハン「来いっ! 天下七剣の壱、破邪の剣!」

 虚空からデュラハンが抜き出したのは、一本の細身の剣である。それまで彼が使っていた無骨な刀や剣とは違う、レイピアに近い、細剣だ。
 刀身にはルーンが刻まれ、淡く光を放っている。魔族によっては見ることすら嫌がるものもいるだろう、それほど強い破邪のルーン。

 精緻な細工の刻まれた柄をデュラハンは掴んで、それを構える。

 破邪のルーンは、どんな魔法すらも切り裂く。

 例え自動操作だろうとも、黒い糸が切れてしまえば。

488: 2012/10/19(金) 13:48:13.39 ID:pPv+eC4q0
 デュラハンは渾身の力で剣を振るった。裂帛の気合いを叫ぶ余裕などなかった。ただ一刻も早くこの終わりない戦いから身を引きたいと願っていた。
 そんなことは初めてだった。

 いや、彼は信じていた。こんなものは戦いではないと。
 彼が相手にしているのは個人であって、決して国家ではないのだ。

 それでも、驚愕と恐怖の中に、確かに興奮があった。今まで会ったことのないタイプの敵に、どうやっても抑えきれない昂ぶりの萌芽が、漆黒の中にひっそりとあった。
 デュラハンは、存在しない自分の口角が上がるのを、確かに感じる。

 衝撃がデュラハンを襲った。

 手首に突如受けた衝撃によって、剣の軌道が大きく逸れる。
 地面を大きく切り付け、そこから眩いほどの光が立ち上った。天まで届かんばかりの光のヴェールに、デュラハンは自ら体をよろめかせる。

 手には矢が三本突き刺さっていた。

狩人「間に合った」

デュラハン「もう手遅れだ!」

 デュラハンは叫んで、彼方を向いた。
 狩人でも隊長でも参謀でもないほうを。

 狩人は彼が何を言っているのか全く理解できず、つい同じ方向を向いてしまう。

489: 2012/10/19(金) 13:50:18.60 ID:pPv+eC4q0
 船が。

 空中に、浮いていた。

 何十という魔法で編まれた武装船団。
 その集団に囲まれた、黒い瘴気の塊。

「あははははははははははははははははははははははははは」
「けたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけた」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」

 吐き気のするほど凄絶な笑顔を浮かべて、ウェパルが立っていた。
 体から顔にかけて刻まれた文様が、赤紫色にどす黒く発行している。

ウェパル「デュラハン」

 一言一言が呪詛であった。
 一文字一文字が刃であった。

 狩人は、そして隊長と参謀の二人でさえも、自分がこの場にいてはならないことをすぐさま感じ取る。
 言葉のやり取りを聞くだけで蒸発するなんて、そんなことは願い下げなのだ。

 考えるよりも体が動いていた。狩人は大地を蹴って二人の元へと移動し、なんとかここから逃げ出そうと試みる。

 しかし。

490: 2012/10/19(金) 13:51:37.73 ID:pPv+eC4q0
 激痛でもって初めて、狩人は自分の体に鏃が突き刺さったことを知った。
 緑色のオーラが弾け、鏃は空気中に霧散する。魔法で編まれたウェパルの武器だ。

 即座に洞窟で見たウェパルの力、腐敗を一瞬で進める力を思い出し、狩人は氏を覚悟する。が、ウェパルは狩人に一瞥をくれただけで何も行動に起こそうとはしなかった。

ウェパル「あんまり隊長には近づかないでね」

 そう言うだけで。

 ウェパルはデュラハンに向き直る。

ウェパル「なんで隊長殺そうとしてんの? もう氏んでるの? どっちでも、いいんだけどさ」

デュラハン「……」

ウェパル「なんか言ったらどう」

 デュラハンは大きくため息をついた。

デュラハン「そいつが君の言う『隊長』だとは知らなかった。さっき思い出したくらいだ」

ウェパル「そんなことはどうでもいいの。氏んで、って言ってるの」

ウェパル「隊長はボクのものなの。ボクのものなんだから。海の底に沈んだものは全部ボクのものだ」

ウェパル「だからデュラハンは手を出さないで。氏んで」

デュラハン「断ったら?」

ウェパル「氏ね」

491: 2012/10/19(金) 13:52:37.54 ID:pPv+eC4q0
 全砲門が弾けるような音を上げた。
 目に見えない、魔法で編まれた弾丸。質量が存在せず、それでいて物理法則を完全に無視するそれは、どんな身体能力でも逃げることはできない。

 土煙の中からデュラハンがぬっと顔を出した。鎧はぼろぼろだが、中の黒い靄には揺らめきひとつ見いだせない。

デュラハン「どうにもそいつらとの戦いは楽しくて仕方がないんだ」

 言って、デュラハンは虚空に手を突っ込む。

デュラハン「天下七剣、竜頃し‐ドラゴンキラー‐」

 大仰な名前とは裏腹に、小さなカタールであった。しかし刃に内包された弾けそうなエネルギーは、遠くから見ているだけでもすぐにわかる。

デュラハン「天下七剣、隼の剣」

 羽と猛禽をあしらった剣であった。破邪の剣と同様に細身だが、すらりと長い。
 二振りの剣を握り締め、デュラハンは懐かしむように言う。

デュラハン「いつぶりだっけ、きみと戦うのは」

ウェパル「きみが生まれた日に一回、これが二回目」

デュラハン「そうか。あのときは魔王様もいたんだよな」

ウェパル「何百年前だったか――」

492: 2012/10/19(金) 13:54:23.56 ID:pPv+eC4q0
 と、唐突にウェパルが膝をついた。
 苦悶の表情を浮かべ、隊長をちらりと見やる。

ウェパル「ボクは……人間に……」

 なりたかった、のか。

 ウェパルはそれ以降口を噤んだ。いつの間にか文様の発光がおさまっている。

 いや、違う。
 顔を上げたウェパルの瞳は、すでに黒く濁り始めていた。

 狩人は今しかないと判断した。隊長はデュラハンを止めたそうにしていたが、膨れ上がるウェパルの圧力に、それ以上前に進むことはできない。

参謀「部下たちは……」

狩人「気になって、見てきた。出るに出られなくなってたから、事情を説明したら、本当に危なくなったら転移石を使うって」

狩人「そのせいで助けに来るのが遅くなった。ごめん」

参謀「いや、いいんです。ありがとうございます」

参謀「これ以上の作戦の続行は不可能と判断します。帰還しましょう」

493: 2012/10/19(金) 13:55:11.26 ID:pPv+eC4q0
参謀「隊長さんも」

 ウェパルに対して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている隊長は、参謀に声をかけられてびくりと体を震わせた。が、たっぷり一秒使って、首を縦に振る。

デュラハン「俺を忘れちゃいないかい?」

 二刀を構えた状態でデュラハンが迫ってきていた。
 三人が迎撃態勢を作る。

ウェパル「させない!」

 砲弾がデュラハンを襲う。デュラハンは剣を破邪の剣に持ち替え、素早くそれを両断した。

ウェパル「隊長を、隊長をぉおおおおおっ! こ、ころっ、こ!」

 言葉を何とか押しとどめようとするウェパル。しかし言葉はどんどん胸から湧き上がってくる。コールタールの泉が、そこにある。
 文様が妖しく光り始める。

ウェパル「うっ、うっ、うぅうううぅううっ! こ――ころ、頃すのは!」

ウェパル「ボクだっ!」

参謀「ポータル、用意できました。早く!」

494: 2012/10/19(金) 13:55:50.63 ID:pPv+eC4q0
 空間にぽっかりと開いた穴に参謀、狩人と飛び込んでいく。

狩人「早く!」

 服を掴んだ狩人の手を、隊長はにこやかに笑って、そして、

 振りほどいた。

 穴に吸い込まれていく狩人。戻ろうと思えば当然戻れるのだろうが、あまり長くつなげていられない。参謀の残存魔力的にも、外界の脅威的にも。

隊長「俺は、だめだな。あいつの辛い顔、見たくねぇんだよなぁ」

 そう言って、駆け出していく。

参謀「何してるんですか!」

狩人「隊長が!」

 参謀は一瞬息を呑んで、そしてわずかに視線を下に向けた後、反転する。

参謀「行きましょう」

狩人「でもっ」

参謀「僕の仕事は、最後に自国民が立ってるようにお膳立てすることです」

狩人「……」

 狩人は振り返って、穴の外に出ていく。

狩人「私には、そんな生きかた、できない」

 穴が急速に縮小していく。もう時間がないのだ。
 飛び込むタイムリミットが近づいても、狩人はもう振り向かない。隊長の姿も、穴の中からは見えない。

 参謀は大きくため息をついた。

参謀「あぁ――氏にたい」

――――――――――――――

498: 2012/11/08(木) 02:39:49.36 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――

 勇者は目を覚ますと同時に腰の剣を抜いた。

勇者「……?」

 おかしい。自分は氏んだはずだ。デュラハンと戦っている最中、剣に腹を突き刺されて。
 しかし、だとするならば、なぜ自分が大森林の中にいるのだ?
 混乱はしていたが、それもまたコンティニューの力だろうとは想像できた。復活する際に必ずしも氏んだところでは復活しないのは、これまでの経験からも明らかだ。

 とりあえずは現在の位置を把握する必要がある。狩人たちにも合流しなければいけない。

勇者「四天王、デュラハンか」

 武人という言葉がしっくりとくる佇まいだった。そして四天王という立場がしっくりとくる手強さでもあった。生半可では勝てそうにもない。

 少し歩くと川があった。遡上なり下降していけば、自分たちがいたところに戻れるだろうか。
 勇者は考え、ひとまずあたりを見回す。

勇者「なんだ、あれ」

 視点が定まる。
 大森林の奥、木と木の隙間にうっすらと、明らかに場違いな建物が見えた。
 象牙色した尖塔である。決して大きい建物だとは言えない。が、仮に宗教公国のそばであるとしても、こんな森の中にまで信仰施設を立てるだろうか。

499: 2012/11/08(木) 02:40:21.12 ID:i6iad9cF0
 とにもかくにも現在の位置がわからなければ、どこに向かうべきかもわからない。勇者は誘われるように象牙の塔へと歩いていく。

??「くきぃえええええぇいいいぃっ!」

勇者「!?」

 突如として近くの茂みが大きく揺らぎ、中から黒い巨大な影が勇者へと飛びかかる。

 咄嗟に勇者は剣を突き出した。がきん、と剣先に衝撃を感じる。
 見れば一匹の猪であった。瘴気に侵され、歪んだ口の端から止め処なく涎を零している。黒くまだらになった皮膚も瘴気の影響なのだろう。

 猪は地面を擦り付けながら勇者を押し込んでくる。口から生えた牙は鋭く、突かれれば感染症の危険性は大いにあり得た。

 勇者は目を細める。今はこんな畜生に構っている暇など、ない。

 森の中を一瞬だけ閃光が照らす。鋭く音が二、三度弾けたかと思えば、猪は全身から煙を噴き上げて倒れる。
 勇者お得意の電撃魔法である。今更野生動物に毛の生えた――野生動物には無論体毛はあるのだが、言葉の妙だ――程度の存在に後れを取るような勇者ではなかった。

??「ひっひっひ、流石に一筋縄ではいかぬか」

500: 2012/11/08(木) 02:41:50.83 ID:i6iad9cF0
 木々の隙間からしわがれた老人が現れる。濃い緑のローブの向こうの顔は窺えないが、瘴気を確かに感じる。人間か、それを辞めた存在か。

老人「これ以上先には行かせんぞ。ここから先は必氏の塔。武人以外が入れる場所ではない」

勇者「必氏の塔」

 勇者は反芻した。なるほど、象牙の塔は決して信仰施設ではないのだ。

老人「親切心じゃ。デュラハン様の機嫌を損ねる前に――」

 老人に構わず勇者は駆けだした。慌てた老人が火炎魔法を放ってくるが、勇者はそれを容易く回避し、剣で老人の腹を貫く。

 声にならない声を老人が挙げた。勇者はそれを聞いて、随分と汚い声で叫ぶものだなと感じた。
 彼には使命があるのだ。囚われの少女を助けるという、重大な使命が。
 必氏の塔に辿り着いたことを勇者は運がいいとも偶然だとも思っていなかった。そして、だとするならば、恐らくは老婆の意思が働いたのだろう、と思った。

 老婆は勇者に少女を助け出してほしいのだ。
 勇者はそれに否やはなかった。もとより初めからそのつもりである。老婆の気持ちがわからぬほど、そして少女を見捨ててもいいと思うほど、彼は二人と短い時間を過ごしていない。

 老人の体を蹴って刃を引き抜く。絶命した老人の体は存外重く、どさりと地面に倒れた。

501: 2012/11/08(木) 02:42:51.95 ID:i6iad9cF0
 倒れた「ソレ」に一瞥もくれず、勇者は真っ直ぐ必氏の塔へと歩いていく。腰には愛用の剣が一振り、短剣が二振り。
 また道具袋を括り付け、中には魔法の聖水が入っている。

 行く手を阻むように鎧が現れた。一瞬デュラハンかとも思ったが、鎧の色が違う、大きさも違う、何より迫力が違う。眷属か、ただの無関係な衛兵か。

さまよう鎧「ココカラ、サキ、トオサナイ」

 剣を抜いた鎧が、地面と水平に伸ばす。勇者は何かの気配を感じて視線を横へやる。

勇者「仲間か」

 スライムが数匹周囲に漂っていた。青い、透き通った体。クラゲのようなフォルムで、黄色い触手が伸びている。

 一直線に勇者は駆けた。走りながら剣を振ると、鎧はそれを剣で受ける。
 鎧の力は十分にあった。重量がある。動く気配のないのを悟ると、反撃を想定して一歩後ろに下がる。

 鎧は追ってきた。見かけどおりの鈍重な足運び。
 周囲を見回し、スライムたちの攻め気がないのを確認して、勇者は剣から片手を離す。

 呪文の詠唱。左手に雷撃が溜まっていく。

502: 2012/11/08(木) 02:43:21.04 ID:i6iad9cF0
 打ち下ろしを剣で守るが、両手と片手ではやはり満足に防ぎきれない。弾かれ、剣先が地面に食い込むが、カウンターで電撃を鎧に叩き込む。
 鎧は衝撃でわずかによろめき、木にぶつかる。

 光が鎧を包んだ。

 すぐさま立ち上がり、勇者へと剣を突き出してくる。
 予想しない速度での復活に、勇者は完全に反応が遅れた。体をねじってかわすが、腰骨の上を刃が通っていく。

 ぬるりとした液体が地面に落ちる。痛みはある。が、氏なないと思えば恐怖はない。

 勇者は鎧よりもまず周囲のスライムたちへと視線をやった。恐らく、あの光は回復魔法のそれだ。そして鎧が魔法を使ったようには見えないので、スライムたちが術者なのだろう。
 多勢に無勢の戦いなど、勇者は今まで幾度となく繰り返した。回復魔法を使う敵との戦いもまた。

 殺気を向けられたことに気付いたのか、スライムたちが一斉に触手を伸ばしていく。自在にうねる触手は一見回避が不可能そうに見えるが、なんてことない。
 勇者が剣を振るって、向かう触手を切り落としていく。

 触手はどうやら再生するようだが、その速度は遅々としている。触手を切り落としながらスライムたちへと進んでいく。
 背後からの鎧の攻撃もケアしながら、勇者はまず一匹、スライムを切り伏せた。

 断末魔は聞こえない。両断すればどろりと溶けて、地面に落ちる。

503: 2012/11/08(木) 02:43:52.39 ID:i6iad9cF0
 氏んでしまえば回復魔法など意味がないのは承知の通りだ。そのまま鎧と数度打ち合い、蹴り飛ばして距離を稼ぐ。
 触手がその隙をついて右手首に巻きついた。ギリギリと締め上げるその力は、ともすれば骨すら砕きかねない力だ。

 もしもそれが勇者でなければ十分に効力を発揮しただろうに。

 ごぎん、という音とともに勇者の右手があらぬ方向へと折れ曲がった。勇者の神経を激痛が引っ掻き回すが、しかし彼にとっては痛みなど慣れっこだ。

 一刀のもとにスライムが両断される。

勇者「お前らにかかずらわってる暇はねぇんだよなぁ」

勇者「ぶすぶす焦げとけ」

 閃光が迸った。
 勇者から放たれた魔力の波動、それは雷撃の性質を持って、スライムたちを一斉に打ち落とす。
 スライムたちは雷撃を受けたところから溶けていき、消失する。

 けたたましい音を立てて向かってきた鎧が、大きく剣を振りかぶった。しかし、デュラハンと先ほどまで戦っていた勇者には、その動きがあまりにも鈍重に思えて仕方がない。

 リーチを読み切って、半歩後ろに下がるだけで攻撃を回避する。そうして剣に雷撃をまとわせ、無造作に鎧の腰を断絶させる。

 上半身と下半身が分離した鎧は、けれどどうやら生きているようではあった。もがいているが起き上がれないようで、無力化に成功したといってもいいだろう。

504: 2012/11/08(木) 02:48:31.20 ID:i6iad9cF0
 勇者は刃毀れがないかを確認し、道具袋から薬草を取り出して食んだ。苦いこの草は全く得意ではなかったが、それでも覿面に聞くため文句は言えない。

勇者「……」

 前方で、何か大軍の蠢くのが見えた。

 魔物の軍勢だ。
 恐らくは、必氏の塔を守護する、デュラハンの配下。

 ふつふつと込みあがってくるものを勇者は確かに感じていた。そしてそれは、その存在だけなら遥か昔から感じていたものだった。

勇者「上等だ」

 勇者は口を大きく開いて、唾を吐き捨てる。

勇者「俺の前をふさぐんじゃねぇ!」

―――――――――――――――

505: 2012/11/08(木) 02:49:22.86 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――

 土煙が立ち込め、戦況の確認は氏角では難しい。老婆と、そして参謀は、儀仗兵たちからの報告を逐一羊皮紙と地形図上にまとめ、リアルタイムで指揮を執っていた。

 大陸の中心から東北にずれた位置にある山岳地帯。王都から隣国の王都へとつながる最短経路であると同時に、交通の要衝でもある。
 本来ここは単なる関所であるのだが、隣国の采配によって、現在要塞化されていた。その手筈の見事さに、老婆も参謀も、隣国もまた戦争の臭いを嗅ぎつけ準備をしていたのだと悟る。
 ゆえに、これからの戦いが決して楽ではないことも。

 デュラハンとの戦いから二日を経て、王国軍と隣国軍はついに衝突した。各国から忠告などがあったようだが、両軍ともそれを聞き入れることはなかった。

 老婆は羊皮紙と地図に視線を落とす。

老婆「彼我の戦力差は800対1500。戦力の内訳は、歩兵が800、儀仗兵400、救護兵150、技術兵150か」

老婆「戦力差は二倍以上だが、防衛されている拠点の攻略には三倍程度の兵力が必要だという。このままだと膠着状態だな」

老婆「ぐずぐずしていると隣国の王都から本隊が到着する。また、迂回ルートで別の地点から攻め込まれるかもしれない」

506: 2012/11/08(木) 02:50:03.20 ID:i6iad9cF0
老婆「現在、戦況はどうだ?」

儀仗兵長「まさしく膠着状態という形です。白兵戦では優勢を保てていますが、敵は要塞に障壁を張っているため、儀仗兵の魔法は遮断されます」

儀仗兵長「逆に一方的にあちらは魔法を打ち込んでくるため、あまりアドバンテージはありません」

老婆「負傷者については」

儀仗兵長「適宜後方に送って回復を待っています。氏者の数はそれほど多くはありませんね。ただ、これから増えるとは思われます」

 老婆は息を吐いた。高台にある会議所からは、戦況が一望できない。凹凸に囲まれてわかりづらいのだ。

老婆「本当にこれは必要な戦いなのだろうか」

参謀「それ以上はダメです」

 参謀はいつもより薄暗い顔をして、ぎょろついた目を老婆に向ける。

参謀「考えちゃダメです。それは、僕らの仕事じゃないです」

老婆「……」

507: 2012/11/08(木) 02:50:31.87 ID:i6iad9cF0
 参謀は先日ぼろぼろになりながらも帰ってきて、ぽつりと一言「隊長は氏にました。氏ぬつもりです」とどっちつかずのことを言ったのだった。
 それ以上老婆は尋ねるつもりもなかったし、そうしてはいけないのだと思っていた。彼の全身に自動蘇生を酷使した跡が残っていたことも含めて。

参謀「けど、障壁ですか。厄介ですね」

儀仗兵長「現在後方部隊が解除を試みているようですが、まだ時間はかかりそうです」

参謀「老婆さんなら壊せませんか」

老婆「実力行使で、か? やれなくはないが……被害が出る」

 参謀はゆっくりと立ち上がった。首を回し、肩と足首も次いで、ほぐしていく。

老婆「行くのか」

参謀「はい。ま、五十人位なら殺せるでしょう」

儀仗兵長「ちょっと、勝手な行動は!」

参謀「大丈夫ですよ、僕は前線で指揮してるほうが性に合ってます。それに、隊長さんの代わりも、務めないとですし」

儀仗兵長「あなたの白兵能力は買ってるけど、戦争は一人でやるものじゃないわ」

儀仗兵長「勝手な動きをしたら、軍法会議にかけられることだってあるのよ」

参謀「そんなのわかってますよ」

508: 2012/11/08(木) 02:52:17.81 ID:i6iad9cF0
老婆「行かせてやれ」

儀仗兵長「でもっ!」

老婆「儂らがいなくとも、王城で見ているやつらがなんとかする。そういうものじゃ」

儀仗兵長「それは、そうですが……」

参謀「では、行ってきます」

 参謀は地面に薄く粉を撒いた。そこが淡く光ったかと思うと、参謀の姿が一瞬で消える。

 老婆と儀仗兵長は遠くの土煙を見た。鬨の声と地鳴りがここまで聞こえてくる。あそこで戦いが行われているのだ。換言すれば頃し合いが。
 こうしている間にも通信は入り続けている。老婆はそれを無心で羊皮紙に書き写し、そして地図に今後のプランをくみ上げていく。

 勝敗は細い綱を渡っているようなものだ。どちらに落ちてくるか、誰にもわからない。ちょっとのそよ風で変わることすらも有り得る。

 老婆は自分が唇を噛み締めていることに気が付いた。
 勇者の志は、彼女にはとてもよくわかった。

―――――――――――――――

509: 2012/11/08(木) 02:52:46.11 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――

 剣戟。剣戟。剣戟!

 最早前後不覚も極まれる。自分が東西南北どちらを向いているのか、わからない。疲労困憊ですぐにでもたたらを踏んでしまう。
 額から流れてきた汗が目に入り、刺激に思わず目を顰める。間の悪いことに視界の端で緑色の鎧――敵国の歩兵の鎧が近づいているのを捉えてしまった。

 振り上げられるロングソード。俺は氏を覚悟する。せめて一思いにやってくれよ、と。

兵士「ぐあああああっ!」

 血飛沫を上げて緑の鎧が倒れこむ。その背後からは同僚のビュウが現れた。剣を振り下ろした状態で止まっている。
 兜の隙間から流れる金髪が顔に張り付いていた。端正な顔も歪んでいる。優男のくせに役に立つ男なのだというのは年上に対して言い過ぎだろうか。

 ビュウ・コルビサ。軍人で、俺と同じマズラ王国の第三歩兵大隊第五班に所属している。階級のついていない下っ端であるというのも俺と同じ。

ビュウ「大丈夫か、ポルパ」

ポルパ「名前を略すな。俺はポルパラピム・サングーストだ」

ビュウ「命の恩人になんてー口の利き方だよ」

ポルパ「それとこれとは」

 俺は地を蹴って、ビュウの背後に忍び寄っていた敵兵の刃を弾く。
 ビュウがその場で反転、体を捩じって刃を放った。敵兵は左腕を落とされて地面に伏せる。

510: 2012/11/08(木) 02:54:07.46 ID:i6iad9cF0
ポルパ「……これでおあいこ、だろ」

ビュウ「大体ポルパラピムって言い辛いんだよな」

ポルパ「そんなことを言われても困る」

??「おう、二人とも無事か!」

 騎馬に跨って現れたのは、直属の上司であるコバ・ジーマ。幾つもの戦の経験を持つ、初老の戦士だ。そして俺たちの戦闘教官でもある。

コバ「戦場を移すぞ。東の部隊が押されている」

ビュウ「いいんですか、基地を目指さなくて」

コバ「砦には防御魔法がかけられている。迂闊に手を出せん」

ビュウ「了解しましたよ」

ポルパ「ルドッカは?」

 俺は同僚の女兵士の名前を出した。彼女もまたコバを師とする下っ端兵士だ。
 俺と、ビュウと、ルドッカ。俺たちは年齢こそ違えど同期で、入隊からこれまで、いくつもの過酷な訓練を乗り越えてきた血盟の同志である。

コバ「ルドッカには殿を務めてもらっている。じきに追いつくだろう」

コバ「俺は先に行っている。お前らも早く合流してくれ。密集地帯だとどうしても魔法は使えないからな」

511: 2012/11/08(木) 02:54:39.30 ID:i6iad9cF0
 騎馬に鞭を入れ、コバが砂煙をあげながら駆け出していく。
 現在、攻城戦は俺たちマズラ王国軍が優勢であるようだが、あちらの基地はどうにも堅守だ。兵は拙速を尊ぶ。それは何もせっかちというわけではなく、兵站や、戦略的意味もある。……のだという。受け売りだ。

 長くとどまればとどまるだけ兵站も必要になる。時間を稼がれている間に別働隊がこちらの都市を攻めてくる可能性だって有り得る。
 攻城戦は防御側が有利なため、攻める側はどうしても多くの人数を攻城に割かなければならない。それはつまり、ほかの防御が手薄になるということだ。

 また、密集状態での乱戦ともなれば、儀仗兵たちが後方で唱える魔術もどうしたって難しくなる。俺たちは敵の剣で命を落とすことはよしとしても、仲間の火球を背中に受けて氏にたくはない。

 儀仗兵は集団で呪文を唱え、ある程度広範囲に兵器としての魔法を降らせる。混戦になってしまえば味方まで薙ぎ払ってしまう。それは当然向こうも同じだが……。

 そういっている間にも、流れ火球が俺たちに向かって飛んできた。それは十メートルほど離れた地点に落ち、大きな爆発音とともに土塊を巻き上げる。

ビュウ「……早めに行くか」

ポルパ「そうだな」

 俺たちは駆けだした。

 砂煙の中を突き進み、対峙した敵兵と剣を交えながら、俺はどうしても故郷のことを思っていた。正確には、故郷においてきた幼馴染のことを。

512: 2012/11/08(木) 02:55:29.71 ID:i6iad9cF0
 口うるさい女だ。同い年のくせに、半年ばかり早く生まれたことを理由に、俺に対して姉さん面するのだ。子供のころこそ仲は良かったが、今ではもうそれほど話すこともない。

 決して美人ではなかった。くせのある髪の毛で、本人はそれを嫌がっていた。俺もその意見には同意だった。
 肌だって農作業のせいかいつも日焼けで赤く、おしゃれでもない。

 それでも、なぜか愛嬌はあった。ただいつも元気でにこにこしていたからだろうか?

 王様が映像魔法で国内に声明を発表した日、俺は道場で剣の修業をしていた。幸か不幸か、俺は辺鄙な田舎の農村にあって、大人を圧倒できるくらいには強かった。
 兵士に志願すれば金が手に入る。それも、数年分の収入に匹敵するくらいの大金だ。農家の二男坊の命の値段にしては破格だと言える。

 兵士になると言い出したのは俺からで、両親はそれを止めはしなかった。ただ小さくうなずいて、「そうか」と言っただけだった。
 国のために戦うといったが、それは嘘だ。ただ俺はあんな娯楽も何もない村を飛び出して、都会でうまくやりたかっただけなのだ。酒と女を味わって、自分の腕を試したかっただけなのだ。

 戦争なんて起こらない。起こったとしても氏ぬはずはない。さすがにそこまで楽観的ではなかった。けど、俺は全然そんなことはどうでもよかった。
 そう、どうでもよかった。

ビュウ「ポルパ!」

 ビュウの声がかかるとともに、兵士が三人、こちらに向かってくる。長剣、長剣、メイス。ビュウが長剣へと向かうので俺はメイスへと向かった。

513: 2012/11/08(木) 02:56:05.83 ID:i6iad9cF0
 メイスが振り下ろされる。鈍重だが、重い。剣で受けてもこんなオンボロすぐにぽっきり折れてしまうだろう。そう判断して回避した。
 風を切る音が俺の耳に届く。思わず息を細く吸い込んでしまう。

 カウンターで剣を突き出す。切っ先がメイスの皮鎧を突き破って肩口に食い込む。しかしメイスの動きはちぃとも鈍らず、なかなかの速度でメイスを振り上げてきた。

 視界が赤くなる。

 それが、近くに火炎弾が着弾したのだと理解した時には、すでに俺たちは吹き飛ばされた後だった。
 魔法の火炎の独特なにおい。プラスして、これは……そうだ、反吐の出るにおいだ。皮膚が燃えるにおいだ。

 幸いにも燃えているのは俺の皮膚ではない。そして不幸にも、メイスの皮膚でもなかった。誰かわからないが、太った人間の焼氏体が転がっている。
 いや、ソレはまだ熱にもがき苦しんでいた。決して氏体ではない。

 が、最早戦えない存在など一顧だにする価値はなかった。そして自分のそんな考えにすら反吐が出かける。人間のクズじゃないかこれは。
 いや、今更か。したたか打ち付けられて痛む左半身を無視して俺は立ち上がった。

 剣がない!

 どこへ行った? 今の爆発で手を離してしまったのか。なんていう失態だ、命綱を自ら話しちまうなんて!

 メイスを殺さなければいけないのに……ん?
 あった。

514: 2012/11/08(木) 02:56:37.33 ID:i6iad9cF0
 俺は素早く火達磨が握っていたのであろう剣を拾う。メイスは今まさに立ち上がろうとしている最中。
 メイスが手を出して顔面を守ろうとする。それは殆ど反射だったのだろう。斬撃を手のひらで受けられるわけがないのだから。

 両手に力を籠め、俺は大きく振り上げた。
 肉と骨を断つ、固く、重い感触が確かに伝わる。剣は確かにメイスの手を切断し、顔面に食い込んだ。
 血と歯が舞った。メイスはびくんびくんと痙攣して地面に突っ伏する。

  剣がひん曲がってしまった。別の剣を探さないと。

 最初に思ったことがそれで、また血と炎の臭いで、吐き気がヤバイ。戦争が始まって二日。昨日の時点で胃の中は空っぽになって、もう何も残ってないというのに、これ以上何を絞り出すんだ俺の体よ。

 体と頭は別だった。もしくは、俺の精神だけが浮遊していた。
 えずく。

 朝からステーキを食わされたみたいな最悪の気分だ。

 戦場は地獄。だからこそ俺たちがいる。この世に地獄があることを一般に広く知らしめないためにも。
 幼馴染の幻影が見える。頑張れ、頑張れと応援してくるが、うるさい、黙れ。
 あいつの姿をこんなところに持ち込むな。

 あいつは平和な村で平和に生きて、適当な奴と結婚して、子供を産んで、氏んでしまえばいいんだ。

515: 2012/11/08(木) 02:57:15.23 ID:i6iad9cF0
 拳を振った。あいつの姿は掻き消える。
 ざまぁみろ。

ビュウ「ポル、パ」

 足元でビュウが俺を呼ぶ声がした。

 足元?

ビュウ「くそ、いってぇ、なぁ」

 ビュウの脇腹に、剣が突き刺さっている。

 俺の剣だ。

 いやいやまさかそんなと頭を振っても現実は変わらない。偶然? 必然? そんな理由に何の意味がある?

 ビュウが全く困ったもんだぜと言った。そんなんじゃないだろうと俺は思った。なんなんだお前はと、俺は思った。

ビュウ「そんなこと言われても」

 どうやら口に出していたらしい。ビュウは眉根を寄せて俺に微笑んだ。こんな時まで優男風だ、くそ!

 俺には何もできない。救護班まで送り届けるか? どうやって? 転移石の支給なんて下っ端の俺たちにはされてないのに!

516: 2012/11/08(木) 02:57:41.16 ID:i6iad9cF0
 剣を抜くべきじゃないのはわかった。俺はとりあえず、本当にとりあえず、わからないながらもビュウの肩の下に体を入れて、足に力を込める。
 細身のくせに重たい。筋肉がしっかりついているのだ。なんだこれ。なんでこんなに重いんだよ。
 冗談じゃない。冗談じゃねぇぞ。

 力の入っていない人間は軽いなんて、俺は信じないぞ!

 思わず足を滑らせて俺はビュウごと地面に倒れた。体に力が入らない。疲れてるのだ。仲間一人支えてやれないなんて仲間失格だ。

 ちらりと見えた俺の手のひらは真っ赤だった。ビュウの体も、また。

 え?

 俺の体も?

 なんで俺の体に。
 剣、が。

 あ――?

 ぐらりと空転する視界。ビュウから地面へ。地面から空へ。空から、緑の鎧へ。
 いつの間に出てきたんだお前は。
 卑怯者め。

 剣を抜かなきゃ。

517: 2012/11/08(木) 02:58:25.82 ID:i6iad9cF0
 いや、そんなことができるはずはないのだ。だって俺の剣はビュウの腹に突き刺さってるから。
 何より、俺の右手はたったいま、俺の支配下から逃れたから。

 手首から鮮血が噴き出る。もぎたてのトマトみたいな色。幼馴染のあいつが、好きだった色。
 それでもあいつはきっと血は好まない。俺には分かる。

 ……夜這いでもかけとくんだったなぁ。

 急速に視野が狭まっていく中、さらに緑の鎧が頽れたのを、俺は見た。
 血にまみれた拳の、噂にしか聞いたことのない、参謀殿のご尊顔を拝見した。

 ひたひたと足音が聞こえる。

 ひたひたと。

 俺は手を伸ばした。そこに誰かがいるような気がしたから。人間ではない何かが。

 でもきっと、そんなのは俺の気のせいだと思う。いや、絶対にそうだ。

参謀「あなたたちの犠牲は無駄にしません」

 そんな言葉が聞こえる。こいつは俺の名前を知ってるんだろうか? 知っているはずがない。だって、所詮俺たちは雑兵なんだ。

 いいか、最後に教えてやろう。俺の名前はポルパラピ

――――――――――――――――――

518: 2012/11/08(木) 02:59:03.99 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

 着弾確認の合図が届く。自軍も巻き添えにしたようだが、なに、どうということはない。ここからでは人の氏はわからないし、いずれそれは数字に変換されるだけだ。

 観測手がタイミングと方角の指示を出す。次撃、南南西に二度調整、三秒後に詠唱開始、一種三級魔法火炎礫を三連。オーダー。

 詠唱開始。

 発射。

 着弾確認。

 次撃指示。調整なし、五秒後に詠唱開始、魔法種同上、単発。オーダー。

 魔力の枯渇の合図があった。後方支援大隊一種魔法隊第十四班は一度下がり、代わりに十五班が詠唱を開始する。

セクラ「先輩、戦争ってこんなもんなんですか」

 一年坊のセクラだった。回復用の聖水を呑みながら、あっけらかんとした様子で俺に言う。

セクラ「ハーバンマーン先輩が驚かすから、どんなふうかなって思ってたんですけど」

519: 2012/11/08(木) 02:59:39.71 ID:i6iad9cF0
 ハーバンマーン。俺と無意味に張り合ってくる、あの出来の悪い男のことを想像するだけで顔が歪む。やめてくれ。
 俺のそんな表情を読みとったのか、セクラは慌てて頭を振って、

セクラ「ジャライバ先輩の機嫌を損ねるつもりはなかったんですよ?」

 俺はわかっているという風に頷いた。名門ムチン家の流れを汲むこのジャライバ・ムチンがあんな男に気を取られるはずもないのだ。
 そこをあえて言葉には出さず、態度で示してやるというのがいわゆる嗜みというやつである。

儀仗兵長「調子はどう」

 休憩所の扉をくぐってやってきたのは儀仗兵長だ。初老のおばさんで、物腰柔らかな淑女。魔法の力も理論も確かにずば抜けて凄いが、一つだけ言わせてもらえば、他国の出自というのが惜しい。

ジャライバ「特段異常はないです。前線のやつらの頑張り次第じゃないですか」

ジャライバ「前線はどうなんですか」

儀仗兵長「押しつ押されつ、といった感じらしいわ。均衡しているというよりは、ある個所で前進、ある個所で後退、というような」

ジャライバ「基地に手さえかかれば攻城槌で一発なんですがね。あんな障壁さえなければ、俺一人で壊滅させられますよ」

520: 2012/11/08(木) 03:00:14.88 ID:i6iad9cF0
儀仗兵長「……そうですか。頑張ってください。尽力、期待してます」

ジャライバ「言われなくてもそうしますよ。こんな埃っぽいところにはあんまり長く居たくないですし」

儀仗兵長「前線の一部で後退が始まっています。サポートをお願いします」

ジャライバ「兵長は?」

儀仗兵長「お手伝いをしたいのはやまやまなのですが、各部隊の報告の集積があります。これで失礼します」

 儀仗兵長が外へと出ていく。忙しいのは確かなのだろう。疲労の色が濃い。
 とはいえ、そんなの俺だって同じだ。朝から魔法を唱えっぱなし。単純な火炎魔法なのが不幸中の幸いだろうか。

セクラ「先輩、いきましょうよ」

 セクラが急かす。ほかにもぞろぞろと外へと向かっていく。全く、慌ただしいやつらだ。庶民はゆとりを生活に持たないから困る。
 しかし庶民に付き合うのも集団の中では悲しいかな必要なのだ。俺は椅子から腰を下ろし、外へと続く。

521: 2012/11/08(木) 03:00:43.64 ID:i6iad9cF0
 外にはすでに十三班、十五班の面々が立っていた。どうやら三班合同での詠唱らしい。それまで巨大な魔法を唱えるとは考えにくい。質より量だろうか。

 十三班の隊長が指揮を執り、通信機を基にして方向、強さ、魔法種を指定していく。俺たちはそれに従って詠唱を開始、魔力を練る。

 三十数人の中心で魔力の塊がうねりを上げていた。渦巻く光。それに働きかけて炎の性質を付与していく。
 詠唱も終盤に差し掛かる。すでに何度も唱えている詠唱を、俺は無難に終わらせた。

 魔力の塊が一層の光を放ち、砕け散る。
 失敗ではない。粉々となった魔力の欠片が、拳ほどの散弾となって、細かく、しかし殺傷力も十分に、敵の陣営へと降りかかるのだ。

 丘の上からでは大して戦況を見ることはできない。しかし、今の俺には目をつむっていてもわかる。降り注ぐ炎に為す術もなく逃げ惑う敵兵の姿が!

 第二射の用意。俺は杖を握り、精神を集中させる。

 と、その時、生ぬるい風が吹いた。

 俺は思わず風上を向く。なんだかとても嫌な雰囲気が流れてきている。

 衛兵が氏んでいた。

 え?

522: 2012/11/08(木) 03:01:13.60 ID:i6iad9cF0
 思わず喉から変な声が出る。詠唱も止まる。止めてはいけないと、理解はしているのだが。
 魔力が不安定になって歪み始める。俺だけのせいじゃない。その証拠にほら、ほかのやつだってそちらを見て――

 セクラが倒れた。うつぶせに倒れたその背中に、大ぶりのナイフが一本、深々と突き刺さっている。
 いやいや、まさか、そんな。

「敵襲、敵襲ッ! 敵しゅ――!」

 叫んだやつもまた氏んだ。人海を割ってナイフを振り上げる、黒い装束に身を包んだ数人が、俺の視界目いっぱいに入ってくる。

 太陽光がまぶしい。刃に反射したそれで、目が痛い。

 嫌だ、嫌だ! こんなの、嫌だ!

 衛兵め、衛兵め、俺を守ることすらなく氏んでいきやがっ

―――――――――――――――――

523: 2012/11/08(木) 03:01:42.54 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――――

ルドッカ「遅い……」

 嫌な予感を押し込めて私は槍に突き刺さった兵士の体を捨てる。だいぶ切れ味は鈍い。殆ど棍棒に近くなっている。それでも、大事な武器には変わらない。
 ルドッカ・ガイマン、二四歳。鍛冶屋の両親に作ってもらったワンオフを片手に、私は今日もまた、人を頃す。

 合流地点では自軍が大きく後退を余儀なくされていて、私はその殿を務めていた。追っ手の前に立ちふさがって、何とか時間を稼ぐ。

 刃を柄で弾き返し、そのまま遠心力を保って脳天へと打ち付ける。
 確かな手ごたえ。目の前の兵士は昏倒し、地面に倒れこんだ。じわりじわりと地面に鮮血が広がっていく。

 同じく殿を務める者たちの、鉄をぶつけ合う音がそこらで聞こえる。それに交じって、悲鳴や怒声や怨嗟、そして鬨の声も。

524: 2012/11/08(木) 03:02:09.33 ID:i6iad9cF0

「痛ェ、いてぇよぉっ!」

「走れ! 右だ右だ右だ、そう、早く!」

「全員突っ込めぇっ!」

「欠員多数、どうしましょうか!?」
「てめぇの胸に手ェ当てれや!」

「誰か助け――ぐぇ」

「このまま攻め込むぞ!」
「そうはさせん!」

「早く救援を!」

 その救援が私なんだけど、声の主なんてわかりっこない。そもそも敵なのか味方なのか。
 友軍なら命を懸けて守り抜かなきゃならないし、敵軍なら命を懸けて追い返さなきゃならな。それが私の仕事なのだ。

525: 2012/11/08(木) 03:02:39.48 ID:i6iad9cF0

 通信機からは依然何の連絡もない。泥仕合だ。せめて、せめて現状の把握さえできれば、この先の見えない戦いに希望も持てるんだけど。
 通信兵は恐らく氏んだのだと思う。所詮私は遊撃隊で、便利な手ごまに過ぎない。頼れるものは仲間よりも自分の技術。

 もしかしたらここは切り捨てられたのかもしれなかった。ここを餌にして、大きく別働隊が今まさに切り込んでいるのかもしれなかった。シビアな考えこそが生存戦略なのかもしれなかった。
 かもしれない、と続けたところで不毛なのはわかっている。私だって、普段ならこんな堂々巡りを考えたりはしやしないのに。くそっ!

 火球が飛んでくる。十メートルほど先で炸裂したそれは土塊を巻き上げ、火が産毛を焼いて吹き飛んでいく。
 思わず細く息を吸った。下手したら氏んでいた可能性もある。

 ぐ、と槍を握りなおす。力は入る。確かに私は、生きている。

ルドッカ「ケツに喰らいつきたきゃ、私を倒してからにしなっ!」

 煙を抜けてやってきた兵士を三人、真正面に見据え、大見得を切る。こちらもぼろぼろだがあちらもぼろぼろ。鋭い動きなんてできやしないだろうに。

ルドッカ「氏ね!」

 それでも体は動くのだ。動いてしまうのだ。
 まるで黒い糸に操られるように。

526: 2012/11/08(木) 03:03:13.87 ID:i6iad9cF0
 剣で肉を削がれながらも三人を倒す。倒れ伏した三人に、念には念を入れて槍の穂先を突き刺した。

参謀「お疲れ様です」

 音もなく、陰気な男が現れた。一瞬身構えるが、見たことがある。確か……そうだ、自軍の参謀だった、はずだ。
 参謀なのに前線に出る不思議な男として有名だった。茫洋としてわからないが、どうも実力のある魔法使いらしい。近接格闘タイプの。

ルドッカ「全然、状況がっ……はぁ、わからないん、ですけど」

 喋ると思わず噎せ返りそうだ。体が奮い立ってくれないのはもどかしすぎる。

 参謀は遠くを見据えるように目を細めた。

参謀「互いに戦線が伸びきっていて、このままでは敵の本隊が間に合ってしまいます。可及的に速やかに攻略する必要がある」

ルドッカ「そんなことはわかってるんですよ!」

 思わず大きな声が出た。

ルドッカ「……指揮系統が崩壊して、乱戦になってます。体勢を立て直さないと」

参謀「そう、ですね。三十分だけ持ちこたえてください。こちらも切り札を抜きます」

527: 2012/11/08(木) 03:04:51.53 ID:i6iad9cF0
 この戦いは、否、この戦争は電撃戦でなければいけない。相手に対策の余地がないほどに素早く攻め込み、粉砕する必要がある。そんな目的なんて私は何度も聞いた。
 長引けば長引くほど不利になるんですよと、言葉が口元まで出かかった。三十分あればどれだけの数の命が失われるのかわからないのか。切り札とやらがあるなら、抜けるなら、今だろうに。

 わかっているのだ。参謀は恐らく、適当なことは言っていない。私は敵を一人でも多く頃して、味方を一人でも多く生かすのが役目。彼はこの戦争を勝利に導くのが役目。その差は大きくそして深い。

ルドッカ「三十分、ですね。本当に三十分あれば」

 突如背後から飛び出した黒装束の男――敵軍の特別遊撃隊の首根っこを捕まえ、へし折って、そのあたりに放り投げてから、参謀はこちらに顔を向けた。

参謀「……あれば?」

ルドッカ「……!」

 言葉も出ない。
 黒装束が手練れなのは明らかだった。そしてそれを容易く撃墜した参謀の鮮やかさは、私の技量を軽く上回る。人間業でないかのように。
 私は微動だにできてないというのに!

ルドッカ「……あれば、なんとかなるんですね」

参謀「それは、もちろん。保証します。だからあなたはこれ以上敵を進行させないでください。広がられると、厄介だ」

528: 2012/11/08(木) 03:05:20.05 ID:i6iad9cF0
 私は槍をぐっと握り締めた。私には私にしかできないことがある。今は参謀を信じるしかない。
 頷いた。参謀に対してというよりは、自分の中での決意を確かめるため。

ルドッカ「わかりました。任されました」

 参謀は軽くうなずいて、奥歯を噛み締めた。苦痛に歪んだ理由に思い当たる節はないが、指摘するよりも先に、彼は風だけを残して姿を消した。転移魔法か、ポータルを使ったのだろう。
 少し遅れて、蹄鉄が地面を打ち鳴らす音が聞こえてきた。コバ。コバ・ジーマ。歴戦の強者で、私たちの指導教官でもある。
 彼は返り血に塗れていた。きっと私だってそうなんだとは、思うけど。

コバ「生きていたか」

 ぶっきらぼうにコバはそう言った。普段からこんな人柄だけど、戦場の彼は、いつもよりもっと無機質だ。心を努めて掻き消そうとしているのが見て取れる。

ルドッカ「参謀が来ました。暗い感じの男性で」

コバ「あいつか……何かされなかったか」

 眉間にしわが寄せられる。私はコバの背後にあるものを理解できない。

529: 2012/11/08(木) 03:05:49.89 ID:i6iad9cF0

ルドッカ「三十分でいいから持ちこたえてくれ、と。切り札があるから、と」

コバ「いや、そういうことでは……まぁいい。それで、なに? 三十分だと」

ルドッカ「はい」

コバ「……」

ルドッカ「あの、教官?」

コバ「あいわかった」

 コバは手綱を引いた。途端に馬がのけぞり、大きく嘶く。
 戦場を劈く大きな嘶きだ。
 
 風が吹いた。ずぉおおおと音を立てて耳元を過ぎていくそれは、単なる風ではない。周囲の――敵も味方も問わない兵士たちの視線が練りこまれた風だ。
 コバが手に持ったハルバートを高々振り上げ、叫んだ。

コバ「やぁやぁ! 我こそは歩兵部隊第二中隊隊長、コバ・ジーマである! この殿を努めさせてもらう!」

コバ「友軍の背中を狙う者ども! 俺を乗り越えてからゆけぇええええっ!」

 栗毛の馬が地を蹴った。軽快な音とともに砂が舞う。
 振り回されるハルバート。当然剣の先はコバと、彼の足である馬に向けられる。それらを軽快なステップで回避し、もしくは無理やり馬ごと突っ込み、コバは友軍に追いすがる敵兵を蹂躙していく。
 私は自分の体が動いていないことにようやく気が付いて、びくっと振るわせる。

530: 2012/11/08(木) 03:06:22.81 ID:i6iad9cF0
 コバの頭に矢が命中する。矢は大きな音を立てて弾かれこそしたけれど、その衝撃は消しきれるものではない。コバは思わず前後不覚になってぐらついた。
 そこを見逃さず敵兵たちは剣を向けてくる。私はとっさに彼らに指を向け、呪文を詠唱した。

 ぽすん!

 あまりにも幼稚な爆発だった。子供だましの、花火にも劣る白煙が、コバを中心として起きた。しかし、どんなちゃちな爆発だとしても、それは敵兵の動きを一秒止めるには十分だ。
 そして、一秒動きを止めていられたなら、詰めるにも十分すぎる。

 無我夢中で突き出した穂先が敵兵の喉を貫く。ぐぇ、という声、妙に固く、かつ柔らかい感触。体中を虫が這いずり回る――不快感が全身を支配するのだ。

 人なんて頃したくないのに!

 それでも、私は、

ルドッカ「氏にたくない。殺させも、」

 しない!

531: 2012/11/08(木) 03:06:52.39 ID:i6iad9cF0
 そのまま大きく槍を振って、近くの兵士をなぎ倒す。頃すことはできないまでも距離さえ取れれば問題はない。

ルドッカ「大丈夫ですか」

コバ「お前は逃げろ!」

ルドッカ「は?」

 何を言っているのかわからなかった。コバは優しい人だ。だからといって、職務放棄を促す人物ではない。それに、自惚れだとはわかっていても、言ってしまう。

ルドッカ「私がここを離れたら、誰が殿を守るんですか!」

コバ「俺がなんとかする。三十分間。お前はだから、できるだけ遠くへ逃げろ」

ルドッカ「ほかの皆は!?」

コバ「戦場でほかの皆とか考えてるんじゃあねぇ!」

ルドッカ「おかしいですそれは矛盾です! だって、教官――」

 ――自分一人で氏ぬつもりじゃないですか!

532: 2012/11/08(木) 03:07:22.37 ID:i6iad9cF0
コバ「うるせぇ! こちとらそんなこたぁ百も承知の上だ!」

コバ「この世にはな、大局的に物事を見られるやつがいる。その中には、見すぎちまうやつも、いる」

コバ「俺たちがそんな奴らのために何かしてやる必要はねぇ」

ルドッカ「意味がわかりません!」

コバ「それは俺がまだ軍人だからだ。喋りたくても喋っちゃならねぇことは喋らねぇもんだ。だけど、ルドッカ。何をやっても勝てればいいだなんてのは思い上がりだ。それは所詮人間の考えにすぎねぇ」

コバ「俺たちは確かに人間だ。神様じゃない。できることには限界がある」

コバ「だけど、だからこそ、俺たちは人間並みでないことを目指すべきなんだ。そうだろう」

コバ「目的を達成できないのは三流だ。目的を達成できて、まだ二流」

コバ「目的のために手段を選んで一流になる。それはつまり勇気があるってことだ。お前には勇気がある。俺には分かる。あっついハートが俺には見える」

コバ「だから、行け。手段を選んで勝て」

ルドッカ「いつか手段を選ぶために、今手段を選ぶなと!?」

コバ「そういうことじゃ――」

533: 2012/11/08(木) 03:08:49.37 ID:i6iad9cF0
 コバが勢いよく振り向いた。怒りの冷めやらぬ中、それでも私も反射的に振り向いてしまう。長年の訓練の賜物というやつで。

ルドッカ「……なに、あれ」

 明らかに異様な存在がいた。丸太のように太い腕。樽のようなシルエット。白銀の甲冑に、長い剣。
 身の丈は約1・8メートル。兵士としては普通だけれど、気当たりのせいかもっと大きく見えた。

 コバの舌打ちが聞こえた。

コバ「来ちまったか」

ルドッカ「教官!」

 あれの正体を聞くより先に、コバが飛び出していく。最後に私に声をかけて。

 逃げろ、と。

 あれから逃げればいいのですか? それとも、もっと大きなものから逃げればいいのですか?
 どのみちあなたとみんなを置いて?

534: 2012/11/08(木) 03:09:33.56 ID:i6iad9cF0
 そんなことできるはずがなかった。できるとも思えなかった。
 私はわかってしまった。私が加勢しても、あの白銀には勝てない。あれは恐らく人間でこそあるが、もっと次元の異なる存在だ。煌めく魔法のヴェールを身に纏った至高の戦士だ。

 子供だましな爆発呪文しか使えない私とは、天地ほども差がある。

 もう一度柄をしっかりと握って、地面を踏みしめていることを確かめた。踏んばらないと倒れてしまう。
 わけがわからない。この世には私のわからないことが多すぎる。コバが言っていたことの意味も、何よりこの戦争の意義も、私は何一つわからないのだ!
 それらは大事なことのはずなのに、大切なことのはずなのに。

 私は周囲を見回した。歴々たる氏体が築かれている。四肢の欠損、鼻っ柱に叩き込まれた刀剣、血の海、身体の痙攣、様々な形のグロテスクがそこには山積していた。
 敵軍も友軍もいる。彼らはわかっていたのだろうか? この戦争の意義を。なぜ自分たちが人を頃し、人に殺されなければならないのかを。

ルドッカ「っ!」

 物思いに耽っている暇などありはしないのだった。友軍は今も逃げ続けているが、まだ背中は近い。それに追いすがる敵の姿も見える。
 コバへと視線を向けた。白銀との氏闘が、僅かに、見える。劣勢だ。当然だとも思う。あの白銀は、風に聞こえる豪の者に違いない。隣国にそのような魔法剣士がいると、確か聞いたことがある。

 頭がぼーっとする。
 私は何をやっているんだ?

535: 2012/11/08(木) 03:10:48.10 ID:i6iad9cF0

 敵兵の刃が味方の背中を切り裂いた。その敵兵もまた、味方の矢に顔を穿たれて氏ぬ。

 何もわからないんなら考えるだけ無駄なのかもしれない。

 ふと浮かんだその考えを振り払う理由を私は持っていなかった。

 こんなはずじゃあなかったなどと泣き言を言うつもりはない。だけど、それにしたって、私たちは所詮一つの駒に過ぎないのだという考えを受け入れるほど、人間ができているわけでもない。
 あぁ――それだのに、どうしてこんなに思考停止がしたいのだろう。

 無我夢中で走りだした。逃げるつもりは毛ほどもなくて、ただひたすらに、槍を振るって敵陣中央へ特攻していく。
 同じく殿を務めている一団と合流した。数は三十前後といったところだろう。対して敵は百近くいる。なぜこんなにと思うが、白銀の部下に違いない。確かに練度も段違いだ。

 その中には少年兵がいた。新進気鋭の兵士なのだろう。幼いながらもその面構えは戦士のもので、二回りは年上の兵士と剣を交えあっている。

 彼の頭が炸裂した。

 至近距離からの石弓による狙撃――いや、狙撃と呼べるほど精度の高い射撃はこちらにはできない。流れ弾に被弾したに過ぎないのだ。
 それでも人は氏ぬ。

536: 2012/11/08(木) 03:11:15.92 ID:i6iad9cF0

 視界が歪む。滲む。気が付けば私は泣いていた。

 私たちは、敵も味方も、どこへ向かっているのだろうか。
 約束の地は見えてこない。ただ、先頭の旗手が振る御旗を目指して、がむしゃらに走っているだけだ。

 逃げることなどできるものか。
 叶うことなら一刻も早く、一秒でも早く、

ルドッカ「誰か私を……」

 楽にしてくれ。

ルドッカ「うぉああああああっ!」

 走った勢いで兵士たちの顔面を穿っていく。最早槍は捨てた。信念も、誇りも、この手には重すぎる。

 目玉と脳漿を横目で流しながら、兵士が取り落とした剣を拾った。敵兵が眼を剥いてこちらに迫ってくる。獣のような風貌。私も、もしくはそうなのだろうか。
 しかし、だとすれば随分と楽だ。こちらも向こうも。

 獣が相手ならばそれこそ何も考えなくてもいいのだから。

537: 2012/11/08(木) 03:11:49.21 ID:i6iad9cF0

 振り下ろされる剣。振り上げる剣。私の剣は後者で、そして前者を叩き折って、そのまま敵兵の肋骨すらも叩き折る。
 体の中央で刃が止まった。敵兵はがひゅ、がひゅ、と不規則な呼吸を発し、最後の力を振り絞って一歩前に出たが、そこで倒れる。

 私は剣から手を離す。頼れるものは何もない。
 せめて味方が私を頼ってくれさえすれば。

 激痛が走った。それだのにどこかその痛みは体から分離されていて、あくまで客観的に、私は激痛の発生地である脇腹を見る。
 腹から刃が突き出ていた。

 刃が捩じられる。ぐじゅ、という不快な音とともに肉が捻られて、思わず私は歯を食いしばる。

 反転。

 聞くに堪えない音が耳へと届くが、それの発生源が私であろうとなかろうと、そんなことはどうだっていいのだ。
 僅かでも味方を避難させられれば、それで。

538: 2012/11/08(木) 03:12:35.65 ID:i6iad9cF0

 振り返った先には老兵がいた。驚いた様子でこちらの顔を見ている。失礼な。
 私は別に幽霊じゃないというのに。

 拳を振り上げて老兵の顔面へと叩きつける。一発目は防がれたので、もう一度。今度こそ鼻っ柱へとクリーンヒット。
 倒れた老兵の腹に馬乗りになって、ひたすらに顔面を殴打し続ける。

 殴打。
 殴打。
 殴打!

 次第に手の感覚がなくなってくる。手甲に守られた拳が痛い。いや、拳というよりは手首だろうか。

 老兵が動かなくなっているのに私が気が付いたのは、地面に血まみれの歯が散らばり始めてからだった。まるで呆然として、縁側で一息つくように「ほう」と息を吐く。
 口の端から伝うものは、血だ。

 地面には血が海のようになっていて、恐らくそれは、老兵のものだけではないのだ。

 思わず地面に倒れた。視界の中では氏屍累々。そしてさらにその中で、遠くから白銀が近づいている。
 あぁ、コバは氏んだのだな、と悟った。

539: 2012/11/08(木) 03:13:08.47 ID:i6iad9cF0

 右手は動かない。左手も動かない。
 足は……左だけが、僅かに動く。

 だけれどそれにどんな意味があるのだろう。ただ座して氏を待つだけの最期を汚す必要はあるまい。

 意識に段々と靄がかかっていく。これで大丈夫だ、もう楽になれる。私は十分頑張った。仲間が逃げる時間も、ある程度は稼げただろう。だから、おやすみなさい。

ルドッカ「――」

 私は、何かを言った。のだと、思う。

 あぁ、眠い。

 私はもう一度呟く。内心で。

 おやすみなさい。

――――――――――――――――――

540: 2012/11/08(木) 03:13:42.96 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

「寝るのにはまだ早いですよ」

――――――――――――――――――

541: 2012/11/08(木) 03:14:09.20 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

 なぜだか俺は生きていた。ポルパの剣に腹をぶち抜かれて、それで……?

 それで?

 手を見る。体を見る。確かにぼろぼろで、生きているのが不思議なくらいで、それでも確かに、生きている。

 いや、生きているのか?

 仮にも自分の体だ。そこはかとない自覚はあった。体の奥からの鼓動が感じられない。かといって現状は戦場で、夢にも見えない。夢だとしたらこれは、あれだ。

ビュウ「悪夢だな」

 ずらりと目の前に兵士の大軍。
 その数、およそ二百。

542: 2012/11/08(木) 03:14:57.34 ID:i6iad9cF0

 対するこちらは数十名。参謀を先頭にして、コバ、ルドッカ、そして……なんだ、ポルパもいるじゃないか。ほかには、どうしてだ? 儀仗兵のやつらも前線に出て来てやがる。

 参謀が指を前に示した。

 ぐん、と俺の体が前につられて動き出す。

 え?

 なんだ、これは。

 それは俺だけじゃない。周りの人間も顔だけがひきつった様子で、それでも体は真っ直ぐに、引きずられるように、前へと突き進んでいく。

ビュウ(なんだよこれぇっ!)

 声は出ない。先ほどまでは動いていたのに!?

ビュウ(なんだこれ、なんだ、なんだこれ!)

ビュウ(なんだなんだなんなんだよぅ!)

 思考は止まらない。体も止まらない。
 こうしている間にも体は勝手に敵兵をなぎ倒していく。おおよそ今までの俺とは違う、素早い動き。力強い剣の振り。そして何より、

ビュウ(痛みがねぇ!)

543: 2012/11/08(木) 03:15:35.56 ID:i6iad9cF0

 怖い怖い怖い怖い怖い!
 全てが糸で操られてるみたいだ!

 俺が一人を切り伏せる間に、三人が俺の体を切りつける。だけど俺は倒れない。どういうことだ? お前ら、そんな不思議そうな顔をして、困惑した顔をして、俺を切るんじゃない!
 俺だってわかんないんだから!

 嫌だ嫌だ嫌だ、だって俺はこんなの知らない!
 こんなの望んでない!

 ちらっとでも、楽になれるんだと思ったのに!

 大軍は強い。強すぎる。煌めく粒子をその身に纏った兵団は、身体能力が向上しているのか、おおよそ人間離れした動きを見せてくる。
 だけど、悲しいかな、人間離れっぷりではこっちのほうが数段上をいっている。

 これほどまで悲しいこともそうそうない。

544: 2012/11/08(木) 03:16:02.23 ID:i6iad9cF0

 だけれど、事実として俺たち三十人が、人間離れした二百人と渡り合えているのもまた事実なのだ。

 みんなが地獄のような顔をしている。
 ルドッカも、コバも、残らず。
 きっと俺だって。

 戦場の中心で白銀と参謀が戦っているのが見えた。どちらにも疲労の色が濃い。いや、白銀に関しては、純粋な驚きと恐怖か? そりゃそうだろうな。俺だってそうだ。

 どうだっていいことを考えている間にも体は敵兵を頃していく。眼に血液が入って視界が赤く染まっても、自動的にターゲッティング、アタック。
 そして俺の顔面に剣が叩き込まれて、一瞬だけ意識が

――はぁ、この通りだ。嫌になる。
 ちなみにこうしている間にも俺は氏んで? いる。

参謀「もうそろ、時間ですか。時間切れでも、ありますけど」

 参謀の声が遠巻きながら聞こえた。時間。タイムリミット。いったい何がそこにあるというのか。

 空が唐突に光を放った。

545: 2012/11/08(木) 03:16:36.83 ID:i6iad9cF0

 戦場のど真ん中に、突如としてばあさんが――国王様のそばでよく見かける、険しい顔をしたばあさんだ――現れた。
 緑色の光を放ち、力に満ち満ちていて、

 ?

 俺は首を捻った。つもりだ。
 なぜなら、ばあさんがあまりにも、虚ろな顔をしていたから。

 ばあさんが杖を天に突きだした。

 緑の波動が、迸る。

―――――――――――

546: 2012/11/08(木) 03:17:04.68 ID:i6iad9cF0
―――――――――――

 老婆が放った波動は、その場にいた有象無象の人間を、

 ……単純に表すならば、「頃した」。

 老婆は確かに数百の人間を頃しはしたが、それは決して殺戮ではなかった。血みどろの、惨たらしい、殺人ではなかった。
 単に彼女は「氏」を与えただけだ。

 敵と味方の区別なく、老婆が放った緑の波動は、あたり一帯を森へと変えた。
 全ての人間は、老婆を除いてその養分となった。

 緑の波動は敵拠点の障壁すらも吸い取って、打ち砕く。
 老婆の血に刻まれた、長き肉体改造の果ての、膨大な魔力。それによってはじめてなしえる特大魔法。例え九尾でも真似は到底できないだろう。

老婆「……」

 彼女はあくまで無言であたりを見回した。嘗ても彼女は同様の魔法を唱え、大森林の拡大に一役買ったことがある。思うことは、数十年たった今でも変わらない。

 こんなことによって得られる平和に意味があるのか?

547: 2012/11/08(木) 03:17:32.48 ID:i6iad9cF0

 いや、わかっているのだ。彼女には力がない。彼女にあるのは人を頃して平和を勝ち得る能力だけで、人を殺さずして、もしくは最小限の犠牲で平和を勝ち得る能力はない。
 だからこそ彼女は勇者に期待をせずには――否。願わずにはいられなかった。
 全てを救うと嘯く彼が、自分の夢をかなえてくれると。

「また、派手に、やりました、ね」

 樹木が声を発していた。参謀の声である。
 全てを気に吸い尽くされても、まだ自動操作は健在らしい。全くしぶとい人間である。

老婆「派手にやることしか、できないのでな」

「ともかく、敵の進軍は、水際で、止められまし、た。あとは、第二軍を出して、攻めれば、ひとまずは」

老婆「勝ち、か」

「はい」

老婆「お前はどうするんだ」

「僕は、もう無理ですね。氏んでる体を、動かすのも、限界です」

老婆「魔力を回復してやろうか?」

「勘弁、して、くださいよ」

「魔力が切れたら、隊長も、本当に氏にます」

「けど、それでいいような気も」

老婆「そうか」

548: 2012/11/08(木) 03:18:01.02 ID:i6iad9cF0
「勝って、ください」

老婆「わかった」

「最後に、立ってさえ、いれば。それで、勝ちなん、ですから」

老婆「何千何万氏んでも」

「はい」

老婆「儂もずっとそう思っていたよ。そう思い込もうとしていた」

「勇者、さん、ですか」

老婆「……」

「図星、ですか」

老婆「あいつなら、できる気がするんじゃ」

老婆「根拠など何もないんじゃがな。限りない愚か者のあいつなら、きっと、いつか、必ず」

老婆「そう思うのは、このババアの勝手じゃろうか」

老婆「……」

老婆「参謀?」

 木は喋らない。当然である。氏んだ人間が動かないように。
 それが自然の摂理というものだ。

549: 2012/11/08(木) 03:19:13.79 ID:i6iad9cF0

 だが、それを曲げようとする者がいるのもまた、自然の摂理と言える。

 老婆は通信機を取り出した。

老婆「全隊へ次ぐ。ただちに敵拠点を攻撃し、制圧してくれ。兵站を断っている今が勝負じゃ」

老婆「攻められるかぎり、攻めろ」

 通信機をそう言って切って、空を仰ぐ。

老婆「くそ」

―――――――――――

555: 2012/11/10(土) 02:25:38.29 ID:vmtqTpQG0
―――――――――――

 振動で少女は目を覚ました。

 カーテンの隙間から朝日が漏れ、差し込んできている。名前のわからない鳥の声も聞こえてきた。
 どうやら昨晩は泣き疲れてそのまま眠ってしまったようだ。顔を見ればきっとひどい顔になっているのだろうと少女は思う。

 部屋の隅には見るからに上等そうな化粧台が置いてある。少女はそもそも化粧などしたことがない。それに、泣き腫らした顔を見るのも嫌なので、見なかったことにしてベッドから立ち上がった。

 いい部屋で、いい空気である。ここが敵地ではないのならば最高だっただろうに。

少女「地震……?」

 やはり、床が揺れている。自らの呟きを、少女はすぐに撤回した。揺れが地震のそれとは違う。
 地震ならば継続した揺れのはずだ。しかしこの揺れは、短く、断続的で、しかも存外に強い。

 まさか塔が崩壊することはないだろうが、いったい外で何が起こっているのか。
 少女は思わず早足になってカーテンを開いた。

556: 2012/11/10(土) 02:28:24.05 ID:vmtqTpQG0
 あたり一面の森が広がっている。深い深い森だ。葉の色も、緑というよりは黒に近い。
 視線を下せば河川が見えた。それを追っていくと、はるか遠くに見える山々と、その中間地点あたりに城壁が見える。

 隣国にはあのようなものを建造する文化はないし、かといって少女の国にもああやって都市を防衛するところは少ない。共和国連邦か、宗教公国か、どこかだろう。
 そこまで考えて少女は随分と遠くに連れ去られたものだと感じた。同時に、自分が諦念を覚えているということもまた。

 窓からは一体何が起きているのかを把握することはできなかった。窓の向きが違うのだ。
 部屋から出られないか――そう思ってドアノブを回すが、やはり回らない。

少女「当然か……」

 厳密な意味での人質ではないにしろ、少女が囚われの身であることに変わりはない。そう簡単に出してもらえるはずもなかった。

 そうしている間にも断続的に揺れは続いている。

 気になる。気になるが――今の彼女にできることなど何一つない。
 そしてそれが無性に彼女を刺激するのだ。

 彼女の劣等感を。

 お前にできることなど何一つないのだと言われているようで。

557: 2012/11/10(土) 02:31:18.46 ID:vmtqTpQG0

??「どうした」

 突然の声に振り向けば、漆黒の甲冑が立っていた。首から上のないその姿は、塔の主、デュラハンである。

 少女は警戒こそすれど、彼が見境なしに襲ってくるわけではないと理解していた。一定の距離を取りながら尋ねる。

少女「何か、起こってるの?」

デュラハン「あぁ、そこで戦があるらしい」

少女「いく、さ?」

 たった三文字の言葉だのに、頭にすっと入ってこなかった。

デュラハン「二つの王国がぶつかっているようみたいだね。名前は……何と言ったかな。俺はほら、この通りだから、どうにも物覚えが悪くて」

 緊張をほぐすつもりの冗談だったのか、デュラハンはにこやかに言ったが、少女としては気が気でなかった。
 なぜなら、王国はこの大陸に二つしかないから。

 少女の故郷を含む王国と、隣国。

 それらが、戦争をしている。

558: 2012/11/10(土) 02:31:54.32 ID:vmtqTpQG0

 理解できなかった。
 確かに危険な雰囲気はあった。どちらの国も旱魃による凶作で、食料が足りなくなっている。鉱山や水資源の小競り合いも、最近は多い。

 それに輪をかけた魔族の活動の活発化。地力を確保するためには合法、非合法問わない成長戦略がとられていたとも聞く。

 だからこそ少女たちは魔王を倒すために出たのだし、勇者たちもそうである。

 が、王城の中にいてなお、少女はそんな話を聞いたことがなかったし、予感もなかった。密かに準備を進めているという噂はあったものの、いったい何が火をつけたのか、判然としない。

 無論少女は知らない。アルプが王城にてしでかしたあの一件が、王の口実として掬われてしまったのだと。

少女「まだ、アタシと戦いたいの?」

デュラハン「もちろん!」

 ご機嫌にデュラハンは言った。

559: 2012/11/10(土) 02:32:31.27 ID:vmtqTpQG0

デュラハン「……と、言いたいところだけど、もうくたくたでね。いや、楽しかった。だけどやっぱり、疲れるもんは疲れるもんだ」

 この異形の者が何を言っているのか少女には皆目見当がつかない。ただ、デュラハンが至極機嫌がよいのだな、ということは伝わった。

 少女はかねてから疑問に思っていたことがあった。それは、魔族と魔物の違いについてである。
 人間の中では魔族は魔物の上級としての扱いをされている。それはつまり、智慧の有無を指している。具体的には意思の疎通、ある程度の将来を見通した行動などが含まれる。また、純粋な戦闘力も。

 その差は一体どこで生まれてくるのか。少なくともデュラハンをはじめとする四天王が、瘴気に侵された野生動物と根を同じくするものだとは思えなかったのだ。

 デュラハンには喜怒哀楽がある。意思の疎通もできる。ジョークを介し、好む。自らの嗜好を理解したうえで存在している。そんな存在がいったいどこから生まれるのか。
 人間のような生殖をするとは、どうしても彼女には思えなかった。血脈の存続を目的とした機能がそもそも備わっているようには見えない。

デュラハン「どうかした?」

少女「……妙に人間臭いんだな、って」

 少女はデュラハンが所謂「悪人」だとは思っていなかった。自らの戦闘欲求を満たすために人身を誘拐するのは確実に「邪悪」な行いであるが、それでいて彼はどこまでも紳士的であったから。

560: 2012/11/10(土) 02:33:02.34 ID:vmtqTpQG0

 少なくとも少女のその認識は、彼女にデュラハンとの会話を成立させる程度には警戒心を解かせていた。

デュラハン「人間臭い、人間臭い、か」

 デュラハンは得心が言ったような笑みを浮かべている。

デュラハン「ま、それはしょうがないだろうね。俺たちは魔族だから」

少女「魔族だから、どうなの」

デュラハン「人間がどう分類してるかわからないけど、俺たちが使う『魔族』ってのは、魔王様から直々に生み出された存在のことを指してる」

デュラハン「種族ごと生み出すこともあるし、単一の存在として生み出すこともあるね」

少女「……」

 いつの間にか少女は黙っていた。もしかすると、自分はかつてない情報を手にしたのではないか、魔族研究者が苦心しても手に入らない情報を、いともたやすく手に入れてしまったのではないかと思ったからだ。

561: 2012/11/10(土) 02:33:33.92 ID:vmtqTpQG0

デュラハン「それにしても」

 デュラハンは器用に鎧の指を鳴らした。いつの間にそこにいたのか、子供程度の大きさの妖精が、部屋の隅でかしこまっている。

デュラハン「俺は疲れた。ひと眠りするよ。ウェパルに負けたのは悔しいけど――楽しかったなぁ」

少女「せっ、戦争って、どういうこと」

 部屋を出ようとするデュラハン相手に少女は慌てて尋ねた。ここ数日で激変してしまった世界。彼女だけがそこから取り残されている。

 それが怖いのだ。

 肥大化する自尊心。誰だって自分が特別な存在でありたいと願うし、誰かにとって――もしくは世界や社会にとってかけがえのない存在でありたいと願う。それはちいともおかしなことではない。
 人間の思春期にはありがちだという現象だ。だが、ゆえに根源的なものである。承認欲求はいつだってどこにだって付きまとう。

 「ここ」にいる理由がほしいのだ。誰かとつながっている実感がほしいのだ。こんな自分でも生きていいのだと、存在してもいいのだと、誰か太鼓判を押してくれ!
 と、思う。誰が? 別段彼女に限らない、世界中の人間が。

562: 2012/11/10(土) 02:34:17.21 ID:vmtqTpQG0

 今まではそんなことを少女は思わなかった。彼女の世界は故郷の村で、家族と防人を務めていれば十分満足だったからだ。そこでは、彼女は確かに世界を守れていた。
 しかし世界の外には更なる大きい世界が広がっている。そこへと足を踏み出したのは彼女の意思だ。その選択を彼女は後悔したことはなかったし、これからも後悔することはないと感じていた。
 それでも現実は彼女を苛む。彼女は何も守れていない。そして、守れないことを正当化できるだけの論理も、無恥も、持っていない。

 そんなことは無視してしまえばいいのだと心無い人間は言うだろう。そして彼女は言うのだ。無視できるものならしたい、と。
 そうだ、あいつが悪いのだ、と彼女は思った。全てあいつが悪いのだ。全てあいつが悪くて、あいつのせいで、あいつがいなければこんな弱さを感じることもなかったのだ。
 弱さを認めて、見つめて生きるなんて、そんなことはできない。

 それだけが存在意義だったのだから。

 何に縋り付けばいいというのだろう。誰がこんな自分の手を取ってくれるのというのだ? 中途半端にしか人を救えない、こんな半端者の手を。

 思わず伸ばしてしまった手を思わず引っ込める。敵に対して手を伸ばすだなんてありえないことだ。考えられないことだ。

563: 2012/11/10(土) 02:34:47.67 ID:vmtqTpQG0

 デュラハンは少女の瞳を見つめていた。それに気が付いて、少女は慌てて視線を逸らす。

デュラハン「……戦争のことは、俺にはわからないんだ。あの二人以上に強い存在がいるとも思えないし、興味はないね」

少女「だったら、早く戦って。あなたが満足するまで戦うから。だから、早くアタシを外に出して。戦争なんて放っておけない」

デュラハン「……」

 デュラハンは無言のままに踵を返す。

少女「ま、待ってよ!?」

デュラハン「今の御嬢さんには戦う価値なんてない。参ったね。鈍った心じゃ誰も切れないよ」

 そのまま音を立てて扉が閉まった。がちゃがちゃとドアノブを回すが、開かない。それはそうだ。監禁なのだから。

少女「待ってよ……」

少女「待って!」

 そのままぺたんと地面に座り込む。なんで? 頭の中はそれでいっぱいだった。戦う価値なんてないと、なんで言われてしまったのか。

 戦争に行かなければいけないのに。
 この手で誰かを救わなければいけないのに。

564: 2012/11/10(土) 02:35:17.58 ID:vmtqTpQG0

少女「うぅううう……」

 喉の奥から嗚咽が漏れる。少女は歯を食いしばるが、体の奥底からこみあげてくるものは到底堪えきれるものではない。

 もしも、もしも自分が祖母のように強かったのなら、きっと何も悩む必要はなかったのだろう。誰かを守れないことに苦悩するなんてことは無縁の生活がおくれたのだろう。
 しかし、現実として、自分は弱い。弱すぎる。
 満足に誰かを守ることもできない、ちっぽけな人間だ。

 少女は、けれど、知らなかった。彼女の祖母、老婆の苦悩を。
 弱き者には弱き者の、そして強き者にだって、強き者なりの苦悩がある。彼女はそこにまで思い至らないが、それによって彼女が愚かだと断定するのは早計だろう。

少女「……!」

 まとも地面が揺れた。どこかで、こうしている間にも人が氏んでいる。自分は何もできない。それがもどかしくてもどかしくて、少女は思わず絨毯に爪を立てる。

少女「アタシは、無力だ」

 何もできない。誰にも認めてもらえない。それはそうだ、何もできないのだから。
 何かができれば、誰かに認めてもらうことだってできるだろうに。

565: 2012/11/10(土) 02:36:02.14 ID:vmtqTpQG0




 あいつのように。
 勇者のように。




566: 2012/11/10(土) 02:36:40.64 ID:vmtqTpQG0

 思わず少女は自嘲が浮かんでいるのに気が付いた。嗚咽は止まらない。涙も止まらない。それでも口元は歪んで口角が上がる。
 あまりにも愚かしかった。愚かしくて、おかしかった。これではまるで道化師ではないか。出口のない網の中でもがき続けるさまを誰かがどこかで笑って見ているのだ。

少女「なに見てるのよ、アンタ」

 部屋の隅でたったまま微動だにしない妖精を見て、少女は不愉快そうに顔を歪めた。

妖精「マスターよりあなたの周りの世話を仰せつかっておりますので」

少女「アタシは客人ってわけ? さっきのアンタの主人の態度、見た?」

妖精「マスターはあなたを認めていらっしゃいます。機会を待っているのです」

少女「は! 認める? ふざけんじゃないわよ!」

 少女はミョルニルを抜いて壁へと叩きつけた。壮絶なる破壊力でも壁は傷一つついていない。

少女「おべんちゃらはいいのよ。こんなアタシに何ができるっていうの」

少女「戦うことしかできないアタシが! 戦っても意味がないんだっていうなら! アタシに意味なんてないでしょう!」

妖精「申し訳ありませんが、あなたのおっしゃっていることが、妖精であるわた」

 妖精の肩から上が吹き飛んだ。光る粉を霧散させて、妖精の姿が溶けていく。

567: 2012/11/10(土) 02:37:28.44 ID:vmtqTpQG0

 ミョルニルを振りぬいた少女は、「は」と小さく顔を歪めた。
 答えを持たない相手と会話をしても無駄だと判断したのだった。

 手の中にずしりと重いミョルニルだけは、決して彼女を裏切らない。彼女はその重みだけを信じていた。自分すら信頼できない中、確かなものはそれだけだった。

 こんな自分に何ができるのだろう。
 人を頃すことしかできない人間に。

 絨毯の上に横になった。体を起こす気力すらもない。
 何をしても全て無駄なのだという確信があった。戦争は起こった。自分は塔に囚われている。今更できることなどない。そして、戦争にたとえ出陣したとしても、人を頃すことしかきっとできないに違いない。
 救うことすら中途半端未満にしかできない、愚か者なのだ。

 掬い上げようとした命は指の隙間から溶けて流れ出していく。手のひらに残るのは、救いきれなかった命の残滓ばかり。目に映るのも、また。

 何もできないこの手を誰か取って、お願いだから。
 それができないなら、いっそアタシを頃して。
 こんな無力さを味わうなら、氏んでしまったほうが幾分かマシだ。

 こんなに辛いのもあいつのせいなのだ。
 勇者のせいなのだ。

568: 2012/11/10(土) 02:37:54.75 ID:vmtqTpQG0

 だって、だって、だって!

 だって!

少女「なんで――!」

 少女の言葉の先を掻っ攫っていったのは、耳を劈く爆裂音。そしてその音は確かに階下から聞こえてきていた。

少女(砲弾?)

 少女がそう考えたのも仕方がない。なぜならすぐそばでは戦争の音が聞こえてきていて、明らかに森の中で必氏の塔は異質だ。ここが狙われたとしてもおかしくはない。
 けれど、爆裂音はそれにしたってすぐ階下で聞こえていたのだ。少女が囚われているのが何階かはわからないが、景色から鑑みても、三階より下ということはない。塔の中に砲弾が着弾するなんてことは、恐らくあり得まい。

少女「どういうこと……?」

 これがイレギュラーであることは想像に難くない。その証拠に、扉の向こうの恐らく廊下では、魔物の唸りや人語が飛び交っているからである。
 侵入者なのだと少女が判断するのはすぐだった。

「ここが四天王、デュラハン様の住まう塔だと知ってか知らずか、どのみち命知らずなやつめ!」

「実に。首と体を切り離したうえで、デュラハン様に献上しよう」

「そうだな。どうやらお疲れのご様子でもある。邪魔をさせぬ」

569: 2012/11/10(土) 02:38:30.30 ID:vmtqTpQG0

 扉越しにそんな会話が聞こえてきたものだから、少女はまさしくその通りだと思った。必氏の塔に攻めてくるなんて、命知らずというか、そうでなければ最高に不幸なやつだ。

 爆裂音。

 どうやら順調に侵入者は突き進んでいるようである。なるほど、流石に単なる雑魚ではないようだ。でなければここまですらたどり着けなかっただろう。
 扉の向こうは次第に騒然としてくる。どうやら侵入者はたった一人で、それだのにざくざくと向かってくるのだから当然だろう。

少女「ま、アタシには関係ないことか」

 もうどうにでもなってしまえばいいのだ。世界も、この身も。

 そして、その考えがあまりに楽観的過ぎたことを、少女はすぐに身をもって知ることとなる。



 部屋の壁が大きく吹き飛んだ。

570: 2012/11/10(土) 02:38:59.15 ID:vmtqTpQG0

 あまりの大きな破壊に、少女は思わず両腕で身を守る。土塊や木材、砂埃が部屋中を満たす。
 こんな状況でもミョルニルを握り締めているのが悲しいサガだ。

??「やーっと見つけたぞ、この野郎、迷惑掛けやがって」

 聞きなれた声。大嫌いな声。気に食わない声。

少女「なんで……」

 なんで、アンタがいるのよ。

 その言葉を少女は飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
 薄れる煙の中に見えた勇者の姿は、なんで生きているのかわからないくらいの重傷だったから。

 いや、勇者は氏なない。氏んでも生き返るという意味で、彼は不氏だ。だからそんなことを心配する必要は、本当ならばないのだ。少女だってそれはわかっている。
 それでも痛みは感じるだろう。気を失ってもおかしくないのに、勇者は立っていた。

571: 2012/11/10(土) 02:40:02.48 ID:vmtqTpQG0

 左腕の肘から先がない。

 左肩が大きく噛み砕かれている。

 右脇腹に大きな穿孔があって、向こうの景色が見える。

 剣を握る右手も、親指と人差し指、そして薬指だけがあって、中指と小指はあらぬ方向にひん曲がっていた。

 脚こそは両方健在だが、酷く焼け爛れている。鮮やかな皮下組織の桃色が痛々しい。

 外耳も両方失われていて、そこから垂れた血液が頬を真っ赤に濡らしている。

 右目も潰れていた。縦に一本、大きな切り傷が走っている。

572: 2012/11/10(土) 02:40:58.54 ID:vmtqTpQG0

勇者「ここに来るまでに3Lvくらいアップしたわ」

少女「そっ、そういうことじゃないでしょぉおおおおっ!?」

 彼の背後に迫る敵影。思わず体が反応した。
 少女は跳ね、魔物を数匹まとめて砕き飛ばす。

少女「アンタなんなの、バカじゃないの、なんで一人で、こんなっ、アタシ、アタシなんか、アタシなんて!」

勇者「ばあさんと狩人は、よくわからん。はぐれた」

少女「はぐれたって」

勇者「デュラハンと戦っててな。俺だけ氏んで、まぁいろいろとな」

少女「ここがデュラハンの住処よ!?」

勇者「あ、やっぱりか。どいつもこいつもデュラハン様が、って言ってたからな。そうなんじゃないかとは」

少女「なんでそんな軽い反応なのよっ、アンタはっ!」

勇者「いやーなんていうかさぁ、もう笑うしかねぇって感じ?」

少女「感じ? ってアタシに聞かれても……」

勇者「ま、お前に会えたからいいや」

少女「は、はははは、はあっ!?」

573: 2012/11/10(土) 02:41:27.80 ID:vmtqTpQG0

勇者「帰るぞ」

 勇者は剣を鞘に納めて少女に手を伸ばした。

 手。

 少女は思わず体を強張らせ、息を呑んだ。
 壁には穴が開いている。廊下が見えていて、このままもしかすると、逃げることはできるのかもしれない。

 デュラハンは出てこない。休んでいるのか、それとも、勇者にも少女にもすでに興味は尽きたのか。

少女「やだ。帰らない」

 自然と言葉が出ていた。いや、出てしまっていた、というべきだろう。
 勇者は当然のように顔を顰める。

勇者「お前、何言ってんだ?」

少女「ここから出たら戦争に参加しなきゃならなくなる。アタシはもう、人を頃したくない」

勇者「……お前が参加しなきゃ、もっと人が氏ぬ」

少女「なにそれ、脅し?」

勇者「そうだな。そういうことに、なるか」

少女「そりゃアンタはいいでしょ、人を守りたいんだから。十人氏んでも十一人助けられれば十二分」

574: 2012/11/10(土) 02:42:12.01 ID:vmtqTpQG0

――なんで怒ってくれないのか。ふざけるな、馬鹿にするなと叫んでくれれば、こっちだって本望なのに。
 どうしてそんな、可哀そうな目でこちらを見てくるのだ。

勇者「お前だってそうじゃないのか?」

 はっとした。心の奥底を見透かされたようで、苛立ちが喉を突き破る。

少女「わかったような口を利くな! アンタに何ができる!」

勇者「俺を信じろ」

少女「は。誰がアンタなんて信じるのよ。うじうじうじうじ悩んでたくせにっ! アンタなんてアタシと同類じゃないっ!」

少女「――同類のはずなのに、どうしてアンタだけ強くなってんのよっ! そんな強い生き方できんのよっ!?」

 そうなのだ。全てはこいつのせいなのだ。
 こいつがあまりにも前向きだから。
 例え弱くても、強く在るから。

 例え弱くなくとも、強く在れない少女には、あまりにも勇者の姿は眩しすぎる。

575: 2012/11/10(土) 02:42:44.83 ID:vmtqTpQG0

 見ているものは同じはずなのに。叶うはずもない夢を見ているはずなのに。
 世界のすべてを救うなんてことは、とても人の身で実現できることではない。それこそ神か、統べる側に回らなければ。

 勇者は少女よりは弱いのに、彼女より強い。それが彼女には癪に障るのだった。
 同類なのに、なぜ自分はこうなのか。
 なぜ彼はああなのか。

 ああなることができたのか。

 八つ当たりだ。八つ当たりなのだ、そんなことはわかっているのだ。
 わかっているのだ!

 だけれど、わかっていたところでどうにもならないのだ!

少女「アタシにはできない、世界を救うなんてできっこない! もうやだ、もうアンタと一緒にいたくない!」

少女「キラキラしないでよ! なんでそんな笑顔でいられるのよ! 叶わない夢を真っ直ぐ見続けて、それで平然としてられるのよ!」

少女「アタシにはできない! アタシは十人頃しても九人しか救えない!」

 地面を叩く。叩かずにはいられない。高ぶった感情を、振り上げた拳を、ぶつける先がないと壊れてしまいそうだった。

576: 2012/11/10(土) 02:43:14.09 ID:vmtqTpQG0

勇者「うるっせぇ!」

 勇者の体から発せられた雷撃が、背後の敵を軒並みなぎ倒す。それが最後の一団だったようで廊下はしんと静まり返った。
 勇者はけれどそんなことお構いなしで、少女を真っ直ぐと見ながらまくし立てる。それこそ少女に負けないくらい。

勇者「気に食わねぇんだよ全部! 戦争も、九尾の暗躍も、お前が苦しんでるのも、全部だ!」

勇者「ずーっと前から俺ははらわたが煮えくり返ってるんだ!」

勇者「俺が気に食わねぇから、気に食うようにしてやろうってんじゃねぇか!」

少女「な、なにそれ。そんなの単なる我儘じゃん。我儘じゃんっ!」

勇者「そうだ」

 短く言って、勇者は再度手を差し伸べる。剣を握ってできたマメの目立つ、武骨な、けれど優しい手のひらだった。

577: 2012/11/10(土) 02:43:50.06 ID:vmtqTpQG0




勇者「手を取れ! 俺が勝手にお前を幸せにしてやる!」




578: 2012/11/10(土) 02:44:19.20 ID:vmtqTpQG0

 勇者はそう言い切った。到底信じられない、信じたくなる、大風呂敷だった。

 少女はついぞ彼のことを我儘だと言ったが、それはまさしくその通りなのである。なぜなら、彼はこれまで、彼の気に食わないものを気に食うようにするために旅をしているようなものだったからだ。
 つまるところそうなのだ。誰かのためではない、自分のために、彼は世界を平和にしたがっている。

 誰かが悲しむなんてことはあってはいけないし、無辜の民が苦しむなんてことも、彼は許容しがたかった。
 明確な堅苦しい理論なぞそこにはない。ただ彼の「気に食わなさ」だけがある。

579: 2012/11/10(土) 02:45:17.31 ID:vmtqTpQG0

 彼は戦争が嫌いだった。
 自国民を幸せにするために他国民を不幸にするなんてことは、本来あってはならないことだと思っていた。
 魔王を倒す途中で、戦争をなくす方法が見つかりはしないかと、彼は常々思っていた。

 彼は九尾が嫌いだった。
 会ったこともない傾国の妖狐にいいように扱われるのは癪だった。ウェパルもアルプもデュラハンも、恐らく彼女の差し金のいったんなのだろうと思っていた。
 いつか一矢報いてやるのだと、彼は常々思っていた。

 彼は少女が苦しんでいるのが嫌いだった。
 無論、誰かが苦しんでいること自体、彼には耐えられないことだった。それが仲間ともなればなおさらで、彼は仲間のためにではなく、自分のために、全てを擲ってどうにかしてやると思っていた。
 そのためなら瀕氏の怪我などはどうでもいいのだと彼は常々思っていた。

580: 2012/11/10(土) 02:45:50.73 ID:vmtqTpQG0

 愚か者なのだ。少女に輪をかける形で愚か者なのだ。
 だからこそ九尾は彼に目を付けたといっても過言ではない。

 それくらいでなければ、九尾の計画には力不足だった。

少女「信じて、いいの?」

勇者「……」

 勇者は頷くだけで、あくまで無言だった。これ以上の言葉はいらないとでもいうように。

 彼を信じれば、本当になんとかなるのではないか。少女はそう思わずにはいられなかった。思いたかったということも含めて。

 いや、違う、と少女は瞬きをして、滲んだ涙を押しやる。勇者は手を引き上げてはくれない。立ち上がるのは自分の力でなければいけない。

 二人の手が重なった。

少女「信じたから」

勇者「おう」

少女「アタシのこと、幸せにしなさいよ」

 そう言って、少女は立ち上がる。

勇者「おう」

少女「いい返事ね」

 少女は勇者の手を握ったまま、左手でミョルニルを握り締める。

 左手の重さと右手の暖かさ。どちらも確かにそこにある、大事なもの。

581: 2012/11/10(土) 02:47:08.61 ID:vmtqTpQG0
少女「さ、アンタの鎧、粉々に砕いてあげるわ。――アタシ、ちょっと戦場まで用事があるから」

 いつの間にか部屋の中にいたデュラハンは、腕組みを解いて、にやりと笑った――気がした。

デュラハン「実にいい表情だ。――天下七剣、全召喚」

―――――――――――――――

586: 2012/11/12(月) 15:20:14.51 ID:CXr9lpy/0
――――――――

 全てが静まり返っていた。

 砲弾と剣がぶつかり合い、ウォーターカッターと天下七剣が切り結ぶ、空前絶後の争いにも終止符が打たれている。デュラハンの敗走という形で。
 それでも、そもそもウェパルとデュラハンでは目的が異なっていた。デュラハンはただ戦闘欲を満たせればよかっただけであるので、彼の負けとは言い難い。その点では両者の勝ちとも言えた。

 そうして対峙するウェパルと狩人。隊長は、すでに事切れている。ウェパルの腕の中で。

狩人「……氏んだの?」

ウェパル「氏んだっていうか、もともと氏んでたよ。糸が切れただけだね。多分術者が氏んだか、魔力が切れたか、じゃないかな」

狩人「そう」

ウェパル「ふふ。これで隊長は、僕のもの。永遠に、ずっと」

ウェパル「ね。だから、さ」

 ウェパルは触手の左手を狩人に向けた。禍々しいその左手からは、紫色の瘴気が立ち上っている。

ウェパル「僕の目の前に立ちふさがるの、やめてくれない?」

狩人「……」

587: 2012/11/12(月) 15:21:08.02 ID:CXr9lpy/0

狩人「別に、もうあなたを止めるつもりは、ない。けど」

ウェパル「けど?」

狩人「それで、いいの?」

ウェパル「……」

 ウェパルは大きく息を吐いた。すでにその姿は人間であった頃のそれに半分戻りつつある。

ウェパル「そんなわけないでしょ」

ウェパル「でもね、これはどうしようもないんだ。これはボクの、ウェパルの、衝動」

狩人「衝動?」

ウェパル「そ。人間にもあるけど、魔物と魔族のそれは一段と強い。抗おうと思っても抗え切れないもの。それが、衝動」

588: 2012/11/12(月) 15:22:09.45 ID:CXr9lpy/0

ウェパル「だめなんだ。頭では分かっていても、だめなんだ。手に入れたいと思ったものはどうしても手に入れたくなっちゃう。自分だけのものにしたくなる」

ウェパル「衝動が強いってことは、存在として強いってことさ。強い衝動――我を通すためには強い力が必要ってことでもある」

ウェパル「僕は一族でも特にそうでね。こんな左手を持って生まれたせいで、忌み嫌われて、困ったよ」

ウェパル「顔の呪印もそうさ。危険人物の恥晒し。ま、その一族も今はもうないんだけど」

狩人「そ、か。ないんだ」

ウェパル「うん。僕が皆頃しにしちゃったから」

狩人「……」

ウェパル「狩人、きみは気をつけなよ。人間は衝動に飲まれない強い生き物だ。だけど、たまに衝動に飲まれるやつもいる。目的のために手段を択ばないやつが」

狩人「魔族に心配されるのって、不思議な気分」

ウェパル「ここまで堕ちても、人間だった時の記憶はあるからね」

ウェパル「それに――九尾の思惑は、僕にもわからない」

589: 2012/11/12(月) 15:23:10.10 ID:CXr9lpy/0

狩人「九尾」

ウェパル「アルプと組んで何やらやらかしてるらしいけど、ね。あの快楽主義者は不気味だ。九尾のほうがまだかわいげがあると、僕は思うよ」

狩人「あのクソ夢魔には借りがある。絶対に返す」

ウェパル「うん、うん。あいつが命乞いをするところは見てみたい気もする」

狩人「九尾ってのはどんなの?」

ウェパル「わかりやすく言うなら最強の魔法使いってとこ。千里眼、読心術、空間移動、なんでもござれ」

ウェパル「定期的に人を食べたくなる衝動に駆られるらしくてさ。そこだけ魔物っぽいんだけど」

狩人「魔物っぽい?」

ウェパル「そ。僕ら魔族――魔王様から直々に生み出された存在って、別に人を喰いたくならないから」

狩人「なんでそんな情報をくれるの?」

ウェパル「敵なのに、ってこと? 別に意味はないよ。隊長を手に入れられた今、ほかの存在なんて些末だもん。どうだっていい。どうだって」

ウェパル「九尾にもアルプにもデュラハンにも与するつもりはないし、単なる気まぐれさ」

590: 2012/11/12(月) 15:24:19.53 ID:CXr9lpy/0

ウェパル「ってことで、そろそろ僕は行くよ。邪魔したら頃すから」

 ぎろりと、そこだけ途方もない圧力を発揮して、デュラハンは空間に穴を開ける。空間に指を突っ込んで力任せにこじ開ける、老婆の空間移動よりは随分と乱暴な開け方である。

 さすがに狩人にもそれを邪魔しないだけの分別はあった。一人でウェパルに挑んだところで勝ち目はない。そもそも勝ち目を語ること自体がおこがましいほどの実力差がある。
 数秒も経たずに消し炭にされるのは、狩人とて本意ではない。それに収穫はあった。

 音もなくウェパルと、腕に抱かれた隊長の姿が消える。

 狩人は耳をぴくりと動かした。遠くで戦争の音が聞こえる。
 それは最も恐れていたものだ。同時に、どうしたって避けられないものでもある。

 だからこそ何とかしなければならないのだと狩人は思っていた。たとえ避けられなくとも、状況を改善することならまだできるのではないか。
 そしてそれが勇者の望むことだと考えていたから。

 狩人は地面を蹴って、大急ぎで戦場へと向かう。彼女の健脚をもってすれば数時間あれば戦場へとたどり着けるだろう。

 全ては始まったばかりである。

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591: 2012/11/12(月) 15:25:33.17 ID:CXr9lpy/0
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デュラハン「うーん、この、ね」

 必氏の塔の一室、破壊の限りを尽くされた、もとはかなりの豪奢な部屋の中央で、デュラハンは困ったように呟いた。
 いや、彼は事実困っていた。

 鎧を木端微塵に破壊され、本体も原形をとどめられないほど消耗している。氏とは縁遠い身であるが、ここまで完膚なきまでにしてやられたのは、本当に久しぶりであった。

 自分の目は正しかったのだとデュラハンは確信する。あの少女は宝石だ。鬼神の如き強さを誰かに渡すつもりは毛頭ない。
 彼女と、そして勇者は、すでに部屋を出て行った。満足そうな顔つきで。デュラハンもまた満足している。Win-Winの関係である。

 ただ一つ問題があるとするならば……

デュラハン「動けん」

 そう、動けないのだ。
 デュラハンの鎧や運動機能はそのほとんどが魔法によって補われている。五人との戦闘、その後のウェパル、少女とのそれもあって、デュラハンの魔力は底をついていた。

 時間が全てを解決してくれるのはわかっているので、この満足感を十分味わって損はない。とはいえある程度の暇も確かにあった。

592: 2012/11/12(月) 15:27:09.72 ID:CXr9lpy/0

妖精「何やってるんですか、マスター」

 彼に仕えているうちの一匹、羽の生えた小柄な妖精が、殆ど霧になっているデュラハンを見やりながら言った。屈んだ状態で彼の鎧をつついている。

デュラハン「のんびりと昼寝さ」

妖精「マスターはどうしてそんなバカなんですか?」

デュラハン「酷い言われようだな」

妖精「自分で自分のことがわからないんですか? 魔力が枯渇してるから塔に戻ってきたのに、連戦だなんて」

デュラハン「ちょっと興奮しちゃって」

妖精「別にわかってますよ、マスターのことは。わざわざあの男性をここまで誘導したりなんかして」

デュラハン「あれ、ばれてた?」

妖精「ばればれです。もう。お掃除するのはわたしたちなのに」

妖精「そんなにあの女の子と戦いたかったんですか」

593: 2012/11/12(月) 15:30:11.78 ID:CXr9lpy/0

デュラハン「そうだね。そういうにおいがしたよ。強い人間だけが持つにおいが」

デュラハン「それに……俺は今日、人間に初めて恐怖したんだ。彼らには凄みがあった。俺を頃すために命を擲つ覚悟があった。またあれを見たいっていうのも、あったかな」

妖精「まったくもう」

デュラハン「悪いね。お前らには迷惑をかけるよ」

妖精「本当です。天下七剣も結局出せなかったじゃないですか。格好悪い」

妖精「ばたーんって倒れて。……召喚失敗するくらいなら寝てればいいんです。全力で戦えないのは不本意でしょう?」

デュラハン「あぁ。また今度、絶対にお相手してもらわないと」

妖精「そのために、今は寝てください。マスターが寝てる間に、お掃除と、ご飯の支度、済ませちゃいますから」

デュラハン「わかった。頼んだよ」

妖精「いいえ。それでは、おやすみなさい」

デュラハン「おやすみ」

 妖精に手を取られ、デュラハンは意識を解き放った。
 水中に沈む感覚。そのまま思考は白く染まっていき、眠りに没入するまでにそう時間はかからなかった。

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594: 2012/11/12(月) 15:32:00.10 ID:CXr9lpy/0
今回の更新は、短いですが、以上になります。

595: 2012/11/12(月) 16:48:50.85 ID:9uwmmdUso
乙乙乙

596: 2012/11/12(月) 19:12:11.99 ID:Hqws7ucC0
おつ

597: 2012/11/12(月) 22:10:34.94 ID:I2JPZS5y0
いきなりデュラハンが空間をこじ開けた件について

次回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【4】


引用: 勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」