173:◆yufVJNsZ3s 2013/05/24(金) 23:30:15.30 ID:Rwr0Gpnq0


最初から:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【1】

前回:勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【6】

――――――――――――――――

エド「アルス・ブレイバ?」

 怪訝な顔をしてエドが尋ねる。

エド「それもしかして、『あの』アルス・ブレイバか?」

アルス「……俺は寡聞にして、俺以外のアルス・ブレイバを知らん」

エド「失礼した。俺はこれでも元軍人で、一度聞いたことがある。先の大戦の際に活躍した小隊……遊軍、そのリーダーの名前を」

アルス「さぁな。人違いだろう」

 あっさりと答えて、しかしそれがあまりにもあっさりしすぎていたから、俺は逆に不思議に思った。この反応があまりにも厭世的すぎるんじゃないかと。

 立ち上がろうとするアルスへと慌ててホリィが声をかける。

ホリィ「ちょ、ちょっと待ってください! この森は、なんか、変です! 危険ですよ!」

アルス「大丈夫だ」

 確かにあれだけの強さがあれば危険なことなど皆無に違いない。それでも放っておけないのはホリィの仁徳だ。
葬送のフリーレン(1) (少年サンデーコミックス)

174: 2013/05/24(金) 23:30:57.98 ID:Rwr0Gpnq0

ホリィ「待ってください!」

 あまりにホリィが引き止めるものだから、アルスは浮かせた腰を石の上に戻し、溜息をついた。

アルス「なんだ。なんなんだ、お前は」

ホリィ「……特に、なんていうことはないんですけど、その……」

 そして、だんまり。
 居心地の悪い空気が場を支配し、そのまま数秒が経過した。誰かが口を開かねばならないのはわかっているけれど、いざそうするには勇気が足らない。
 そしてその静寂を破ったのは、やっとこ続きを口に出せたホリィ自身だった。

ホリィ「あ、あっ、そうです。とりあえず近くの町まで一緒に行きましょう! ね!」

 別に俺たちの護衛を頼みたいだとか、きっとそういう打算的なもろもろはないのだと確信できる。ホリィがそういう駆け引きや機微と言ったものを捉えるのが不得手なことは一目でわかる。
 恐らくアルスもそれは一瞬で分かったはずで、だからこそ顔を顰めて首をかしげた。何を言っているんだ、というふうに。

175: 2013/05/24(金) 23:31:36.30 ID:Rwr0Gpnq0

アルス「近くの、町?」

ホリィ「そ、そうです! 多分あと数時間も歩けば森を抜けられるはずで――」

アルス「あぁ」

 合点のいった顔をアルスがする。

アルス「お前ら、わかってなかったのか」

 嘆息。
 俺たち四人はアルスの言うことが何一つわからず、きょとんと顔を見合わせるばかり。しかしそうしていたって答えが落ちてくるはずもなくて。

 そんな俺たちを見て、アルスはもう一度嘆息した。

アルス「ここは惑いの森だ」

ケンゴ「迷いの森?」

アルス「『惑い』だ」

 訂正を入れて、続ける。

176: 2013/05/24(金) 23:32:21.70 ID:Rwr0Gpnq0

アルス「字面は似ているが中身はまるきりの別物だ。惑いの森は、迷わせるんじゃない。惑いを持った人間をおびき寄せ……喰う」

リンカ「喰う、って、どういうことですか」

アルス「そのままの意味だ。この森の養分にするのさ。魔物はうようよしている。出口を見つけるのは至難の業だ。行き倒れになって、分解されて、栄養になる」

アルス「森自体が何かするわけではない。ただ、森自体が一つの生き物なんだろうな。一種の魔法的素地をもった」

 俺はいまだにアルスの言ったことの重大さを理解しかねていた。
 恐らく、ある種の魔法的に隔離された空間に、俺たちは迷い込んでしまった。出る方法はわからない。が、とにかく、この森自体が俺たちの命を直接的にではないにせよ奪おうとしているのは確からしい。
 その事実を理解してなお俺が重大さを理解しかねているのは、同じく巻き込まれたアルス自身が、まったく慌てていないということだ。

 だから俺はこう思う。もしかしたら彼は脱出方法を知っているのではないのか、と。

アルス「四人パーティ全員が、か。因果めいたものを感じるな……」

 アルスがぼそりと呟いた。

177: 2013/05/24(金) 23:32:51.05 ID:Rwr0Gpnq0

 惑い。アルス曰く、この森は惑いを抱えた人間しか取って食わない。それはつまり俺たち四人――アルスも含めて五人――に、人知れず惑いがあるということだ。
 そこまで考えて立ち尽くした。俺が抱く惑いとは一体何か。
 そう。俺には惑いの自覚がないのだ。

 エドも、ホリィも、リンカも、あるいは思当たる節があるのか、視線を下に向けている。だが、俺は?

 アルスは今度こそ立ち上がった。ホリィの制止を喰わないように、さっと踵を返して、

アルス「じゃあ、俺は行く」

ホリィ「待ってください!」

アルス「しつこいな! なんだってんだ!」

ホリィ「アルスさん、あなた、その、し、氏ぬ、おつもりでしょう!?」

アルス「     」

 気が付けば彎刀を抜いていた。
 それは図らずとも、エドやリンカも同様であった。ホリィを守るように、三人、アルスに対峙する。

178: 2013/05/24(金) 23:33:22.08 ID:Rwr0Gpnq0

 汗がぽたりと手の甲に落ちる。

 目の前の青年、アルス・ブレイバは、空虚な表情で俺たちを見つめていた。ただ口だけが小さく動いている。声にこそ出ていないが……なんだ? 「心が」?

 ……「心が読めているのか?」?

 一体どれくらいそうしていただろうか。張り詰める空気と緊張で瞬きすらも許されず、ついに涙が眦にたまってきたころ、ようやくアルスへと表情が戻ってくる。
 肩を僅かに竦めて、

アルス「何を言っているんだか」

 鼻で笑ってそのまま歩いていく。しかしホリィは追撃の手を休めない。まるでそれこそが役目であるかのように、走って、走って、前へと。

アルス「……退けろ」

 低い声。地獄の鋏を一蹴して見せた膂力を用いれば、ホリィなど容易く蹴散らすことができるはずだ。それをあえてしないのは彼なりの自制なのかもしれない。

ホリィ「い、いやです!」

179: 2013/05/24(金) 23:33:50.07 ID:Rwr0Gpnq0

 ホリィは退かない。弱気なくせに、ここ一番では誰よりも頑固なのだということを、俺はなんとなく知っている。
 リンカが普段からホリィを庇うようにするのは、こうなったホリィを表に出さないようにするためでもあった。

 拳を握りしめるアルス。不穏な気配が漂うが、エドやリンカと目配せして、まだ大丈夫だと合図を送りあう。

アルス「いいか、これはお前らのためを言っているんだ。俺から離れろ。お前ら、氏ぬぞ」

アルス「俺は追っ手がいる。追っ手は惑いとは無縁の二人だ。この森には入ってこれないだろう」

アルス「けど、あいつらはどんな方法だってとる。お前らが巻き添えになる可能性は十分にある」

 アルスの言うことの意味を俺たちは理解できなかった。しかし、彼がナルシシズムでそう言っているのではないことは確かだった。本心からの忠告だ。嘗て酒場で名も知らぬ戦士が俺にしてくれたような。

ホリィ「い、いやです!」

 ついにアルスの手がぴくりと動いた。俺たちは反射的に二人の間に割って入る。

180: 2013/05/24(金) 23:34:38.19 ID:Rwr0Gpnq0

ケンゴ「ま、ま。アルスさんも落ち着いてください」

エド「ホリィもだ。押し付けがましいのはよくない」

ホリィ「で、でも! 悩みのある人を放ってはおけません、聖職者として!」

アルス「おま」

 おま?

アルス「……厄介な女だ」

アルス「昔、同じことを言うやつもいた。そいつはあっけなく氏んだ」

アルス「放っておいてくれ。俺はいるだけで誰かを不幸にする」

 踏み出すアルスの服の裾を、むんずとホリィが掴んでいる。

181: 2013/05/24(金) 23:35:47.36 ID:Rwr0Gpnq0

 リンカが一歩前に出て、苦笑しながら提案した。

リンカ「悪いけどさ、あと一晩くらい、どう?」

 そうでもしなきゃあ、この娘、梃子でも離れないよ。

 なるほどそれは確かに説得力のあるセリフだった。根拠はない。しいて言えば、今のホリィの言動が根拠というべきか。
 アルスは暫し顔を顰めていたが、やがてどうにもならないことを悟ったのか、肩の力を抜く。どうなっても知らないぞ、と呟いて。

 あの身体能力なら恐らくちょっとの隙をついて逃げ出せるはずだ。それでいい。俺たちはホリィをこそ止めるけれど、彼を止める理由なんてないのだから。
 ……あの戦力はかなり有益ではあるとしても。

――――――――――――――――――
   

182: 2013/05/24(金) 23:36:13.17 ID:Rwr0Gpnq0
――――――――――――――――――

 そうして俺たちは森の中を歩き回った。けれどやはり出口は見えず、本来ならとっくに出ていてもいい頃合いだというのに、切れ目すら見つからない。
 どこまで行っても木が生い茂っていて、そもそも距離の感覚があやふやだ。アルスの言った「惑いの森」、最初は半信半疑だったが、なるほど確からしい。

 魔物との戦闘も何度か経験した。そのたびにアルスが一蹴し、正直俺たちは巻き添えを食わないようにするのが精いっぱいだ。
 この森で僅かばかりレベルがあがったけれど、その程度で彼との距離が埋まるとは決して思えなかった。こちらが10だとすれば、あちらは……どうだろう。考えも及ばない。カンストしていてもおかしくはない。

 そして、現在。
 惑いの森でも日は暮れる。俺たちは野営をすることとして、まず女性二人が休憩、男性三人が見張りをすることとなった。

エド「……行っても、いいんだぞ」

アルス「言われなくてもそうするつもりだ」

 ぴしゃりとアルスは言った。が、「ただ……」と言葉を繋げる。

アルス「半日いて、感じた。心配すぎる。それは、なんていうか、気分がよくない」

183: 2013/05/24(金) 23:37:16.60 ID:Rwr0Gpnq0

 つまり、俺たちが弱すぎるからと言外に言っているのだ。しかし事実であるため怒る気にもならない。
 エドは僅かにほころんで、

エド「優しい人なんだな」

 とだけ言った。アルスはそれに対して返事をしなかった。

エド「アルス。あなたに一つ、聞きたいことがある」

アルス「……」

エド「あなたが今言ったように、俺たちは……俺は、弱い。惑いの森に囚われるのはしょうがないかもしれない」

エド「けれど、あなたのような強者が、どうして惑いの森に?」

184: 2013/05/24(金) 23:37:50.93 ID:Rwr0Gpnq0

アルス「……」

エド「不躾は、承知の上。ただ、俺は聞きたい。強くなっても、やはり人は迷う――惑うものなのか?」

 エドの真っ直ぐな瞳。アルスはそれを真っ直ぐ受け止めたうえで、視線を逸らした。
 たっぷり十秒も経った頃だろうか。ついにアルスは言葉を返す。

アルス「強くなっても、強く在れなければ、無意味だ」

 ……?
 残念なことに俺にはその言葉の意味が分からなかった。強くなる。強く在る。それが単なる言葉遊びではないのだとすれば、確かな格言めいた要素が存在するのだろうけれど、そのエッセンスを知るに足る経験は俺の中にはない。
 けれどエドは理解できたようで、噛み締めるように視線を落とした。

エド「あなたも、色々あったんだな」

 そうでなければこの森には捕まらないはずだ、と付け加えて。

アルス「普通に生きていてもな。だから、旅人がそうでないはずはないさ」

185: 2013/05/24(金) 23:38:24.83 ID:Rwr0Gpnq0

アルス「そっちの坊主も、ま、氏ぬなよ

ケンゴ「坊主じゃない、ケンゴ・カワシマだ」

アルス「……そうか。ケンゴ・カワシマ、か。いい名前だ。きっといい父ちゃんだったんだろう」

 ……? アルスの意図がわからない。なぜそこで父さんにのみ言及するんだ?
 もしや、嘗て……。

 いや、やめておこう。詮索は無粋だと思う。全てをわかろうだなんて土台無理なことなのだ。
 もしアルスと親父が知り合いだったとして、親父は故人で、アルスもまた尋常ならざる雰囲気を発している。そこに俺の介入する余地はない。

エド「そういえば、アルスは各地を旅していると言っていたな」

アルス「旅というよりは放浪だけどな」

エド「では、グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズ。この名前に聞き覚えは」

 僅かにアルスの動きが止まった。そしてアルスは、それを意図的に隠蔽しながら、口元を手で覆った。
 焚火の明りで顔の大半が濃い影に覆われ、アルスの表情の仔細を窺うことはできない。しかし僅かに呼吸に苦悩の色が見え隠れしている。

エド「昼間に言ったかもしれないが、俺たちは目的こそ違えど、その二人に出遭いたいと思っている。情報を聞いたことはないか?」

186: 2013/05/24(金) 23:39:11.58 ID:Rwr0Gpnq0

アルス「……ないな」

エド「……そうか」

アルス「あぁ。名前くらいは聞いたことがあるが、それだけだ」

エド「いや、気にしないでほしい。一応聞いてみたというだけだから」

エド「あなたも聞いたろう? 人を助け、町を救う、救世の旅人だと」

アルス「あいつらがそんなタマかよ……」

 アルスの呟きは俺の耳元で霧散する。その内容までは聞き取れなかったが、呆れと、それ以上に懐かしさが混じっていたように思う。
 しかし、そうか。やはりアルスのような歴戦の旅人でも、その行方を知ってはいないのか。リンカが眉唾だというのも頷けようものだ。もちろん、俺は二人の実在を知っているのではあるけど。

187: 2013/05/24(金) 23:39:41.44 ID:Rwr0Gpnq0

 いつ会えるだろうか。もし会えたとしたら、彼女らは忘れているかもしれないが、きっちりとお礼を言うのだ。今の俺があるのは彼女らの助けがあった空のようなものなのだから。

アルス「あんたも、二人を?」

 何気ないアルスの言葉。だがそれを受けて、エドは細く長く息を吐いたかと思えば、長い沈黙で返した。
 尋常ならざる雰囲気を察して、俺とアルスも黙り込む。

エド「……」

エド「そう、だな」

エド「俺は探しているわけではないが……もし本当にいるなら、会ってみたい」

エド「彼女たちなら、俺のこの汚れきった魂をも救ってくれるかも、しれないからな」

 いや、そんな他人任せでは、やはりだめなのかもな。エドはぼそりと呟いて、俺たちへ視線を向けずに一息で、

エド「俺は、嘗て町を焼いた」

と言った。

188: 2013/05/24(金) 23:40:26.88 ID:Rwr0Gpnq0

 思考が止まる。
 町を焼いた。聞き違えでも、冗談でもないならば、俺の耳は確かにそう聞いた。

エド「とある作戦のためだった。先の大戦に先駆けて極秘裏に進められた前線構築。そこに俺はいた」

エド「極秘裏ということは、誰にも知られちゃいけないということだ。目撃者を出してはいけなかったし、付近の村も……焼かねばならなかった」

エド「作戦前に逃げ出したよ。脱走同然というか、脱走だな、あれは。軍隊が大幅に改変されて、一応恩赦も下ったけれど、俺はいまだに夢で見る。あの日、火を放たれた町を」

エド「……おかしいだろう。俺は実際あの時の光景を見ていないのに、だ。夢の中で町は火に包まれて、大人も子供も区別なく、斬られ、火の中に……」

エド「きっと、これが俺の『惑い』だ」

エド「俺がきっと、あの日、もっと強ければ、どうにかできたんじゃないのかって……何も行動を、していないからこそっ!」

189: 2013/05/24(金) 23:40:59.53 ID:Rwr0Gpnq0

 だんだんとエドの声に悲痛が混じってくる。
 いや、混じらずにいられるだろうか。本来守るべき市民を自らの手で見頃しにする判断は、まるで地獄の所業じゃないか。
 ちらりと脳裏に親父の笑顔がよぎる。もしかしたら親父だって、俺に言わない、こういう任務があったのかもしれない。

 気が狂いそうだ。

 エドは顔を覆って涙を噛み締めるばかり。アルスも悲痛な面持ちで、不思議と遠くを見ていた。距離が、ということではなく、時間がという次元で。
 今は鬼神の如き強さのアルスも、もしかしたら過去にはそんな無力さを味わったことがあるのかもしれない。

 その時、がさりと枝葉が揺れた。魔物か――彎刀を握って立ち上がるが、なんてことはない。そこに立っていたのはリンカだった。

ケンゴ「悪い、起こしちゃった?」

 リンカは無言だった。なんだか様子がおかしいようにも見える。杖を持ったまま立ち尽くして、視線は真っ直ぐと前へ。
 背筋に悪寒が走った。恐怖から来るそれであったし、同時に、もっと体感的なそれでもあった。
 周囲の気温が低下している?

190: 2013/05/24(金) 23:41:53.75 ID:Rwr0Gpnq0

 そして、視界をよぎる白い線。俺はそれを見たことがあった。

 空間に、瑕疵が、

 瑕疵が?

リンカ「そうか。あんたか」

 瑕疵から漏れ出す――冷気!
 顕現した氷塊が氷の刃となってエドへと襲いかかる!

 誰よりも素早くアルスが跳んだ。瑕疵の発生から氷塊の顕現までの僅かなタイムラグを利用して、エドへと一気に近寄って、一息に蹴り飛ばした。
 エドは地面を転がっていくが勢いこそそれほどでもない。いや、寧ろ、今気にすべきは、エドではなくリンカ。

リンカ「あんたが町を燃やしたのかっ!」

―――――――――――――――――――――――――

194: 2013/06/03(月) 00:27:10.05 ID:34OGwgB50
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エド「おまっ、なんっ!?」

 言葉を紡ぐ余裕すら与えず、リンカは手当たり次第にヒャダルコを連打していく。生まれる瑕疵と生み出される氷塊。飲み込まれれば腕の一本は失ってもおかしくない。
 空間に生まれる瑕疵を頼りに、エドは氷塊をなんとか回避していく。しかし斧は抜かない。リンカはまだ俺たちの仲間なのだ、当然だ。

ケンゴ「うわっ!」

 俺やアルスの方まで氷塊が襲う。それを半歩下がって避けて、俺はリンカの周囲を窺った。うまく隙を見つけて止めなければ……。

アルス「生き残りだったのか、あいつ」

 アルスの呟きを今度こそ俺は聞き逃さない。やはり、アルスも同じ結論に達したようだった。それしかあるまい、とも思う。
 エドが参加し、途中で逃げ出したという作戦。その過程で焼かれた町の生き残り。それがリンカ・フラッツの正体なのだ。

アルス「お前ら四人、なんていう因果だよ……っ!」

195: 2013/06/03(月) 00:27:52.07 ID:34OGwgB50
 吐き捨ててアルスは地を蹴った。一瞬の加速でアルスはすでに最高速へと達し、視界の端でとらえるのが精いっぱいの速度でもって、リンカの腕と首を捕えた。
 俺やエドが動けない速度で行われたそれに、当然リンカがついていけるはずもない。詠唱を無理やりにキャンセルさせられ、そのまま腕を捻られる。と思えばリンカの体は容易くバランスを崩し、地面に倒れた。

 リンカの両腕を両足で固定して、アルスは腹の上に乗る。リンカがいかに暴れようとも微動だにしない。それは単純な重さというよりは技術のような気がした。

リンカ「は、放せっ! 関係ない人間がっ、茶々を、入れるなぁっ!」

 咆哮だった。犬歯をむき出しにして、今まで俺たちに見せたことのない、憎悪に塗り潰された表情のリンカ。
 反対にエドは沈痛な面持ちで、それはともすれば泣きそうに見えた。視線は真っ直ぐにリンカへとむけられている。

リンカ「エド、エドォッ! あんた、笑ってたんだろう! 心の中で! わたしのことを!」

リンカ「母さんを斬って、焼いて……っ! 忘れたことなんてないっ、忘れたことなんて!」

リンカ「ヒャダ――」

 アルスが咄嗟にリンカの口へと己の右手を突っ込んだ。右手から小指までの四本が口に突っ込まれ、リンカは全く詠唱ができない。

196: 2013/06/03(月) 00:28:29.41 ID:34OGwgB50
 それでもリンカは諦めない。ならばとアルスの指を噛み千切ろうとするも、彼の指にはうっすらと血が滲むばかりで、痛みを感じているかどうかも怪しかった。

アルス「静かにしろ。嗅ぎつけられたら困る」

 一体何に?
 問う間すら与えてくれず、アルスは一息に続けた。

アルス「あの男……エドと言ったか。あいつはその作戦には参加していないと言っていたぞ。その前に逃げ出したと」

 「逃げ出した」の表現にエドが苦しい表情をした。
 アルスの言葉を受けて、リンカは眉根を寄せる。そうしてすぐに、塞がっている口を器用に使って、「は」と笑い飛ばした。

リンカ「ほんはほほ、はんへー、はい」

リンカ「ははひは、ははひほ、ふふひゅーほ、ははふ」

 そんなこと、関係ない。
 私は、私の復讐を果たす。

アルス「あの町を焼いた人間は全員氏んでいる。復讐の矛先は誰にも向けられない」

 だから、なんであんたはそれを知っている?

197: 2013/06/03(月) 00:28:57.59 ID:34OGwgB50

 返事の代わりに、びりり、と音がした。
 見ればリンカが器用に、片手だけで紙片を破り捨てていた。

 空間の温度が急速に――急激に下がっていく。
 瑕疵が。

アルス「そんなもんまで!」

 自爆覚悟の攻撃もアルスには全く届かない。一瞬でヒャダルコの範囲外まで逃れたアルスは、けれど当然のことながら、リンカの口から手を引き抜いている。
 そして、これもまた当然、距離だって離れて。

 自らのヒャダルコでぼろぼろになったリンカだが、それでも膝に手をついて、眼には復讐の炎を宿しながら立ち上がる。
 なぜそこまでするのか。彼女をそうさせるものはなんなのか。わからないほど俺は鈍感だと自覚していないが、エドは実行していないのだという。ならば彼女の復讐はお門違いで、八つ当たりではないのか。

 そこまで考えて俺は気づいた。八つ当たりなのだ。

リンカ「知ってる」

 唐突に言うリンカ。それが先ほどのアルスの言葉への返答だとわかるには、僅かの時間を要した。
 アルスは動かない。リンカの行動を見てからでも間に合うと踏んでいるのだろうか。

198: 2013/06/03(月) 00:29:31.92 ID:34OGwgB50

リンカ「あの日、兵士がやってきた。問答無用で町の皆を縛り上げて、切り頃して、火を放った。地獄絵図ってのはああいうことを言うんだろうね」

リンカ「わたしはなんとかお母さんが逃がしてくれたの。魔法使いだったからね。多少の無茶は利いた」

リンカ「恨んだわ。恨んで恨んで、腸が煮えくり返って氏んじゃうんじゃないかってくらい」

リンカ「いや」

リンカ「もしかしたら私はあの日氏んだのかもしれない」

リンカ「誰が頃したとかはどうでもいい。ただ――あの日、あの集団の一員だったという事実! その事実!」

リンカ「それだけで理由なんて十分なのよぉおおおおおっ!」

 リンカが駆けた。ぐんと速度を上げて、ヒャダルコを連打。すぐさま空間が瑕疵で満ちる。
 あと数秒。

 アルスは対応して地を蹴って、再度リンカを組み伏せようと飛びかかる。その速度はまさしく神速であるが、距離があった。リンカが何とか反応できる程度には。
 衝撃音とともにアルスの手が弾かれる。――障壁だ。

199: 2013/06/03(月) 00:30:40.23 ID:34OGwgB50

リンカ「エドッ! あんたは仲間だ! 確かに仲間だ! けど、けど!」

 瑕疵から冷気が吹きすさぶ!
 エドは棒立ちで、苦虫を噛み潰した表情で、叫ぶリンカを見ていた。抵抗の気配が微塵も感じられない。

ケンゴ「まさか……!」

 嫌な予感がする。そしてこういうときの予感は大抵当たるものだ。当たってほしくないからこそ。

ケンゴ「そんなんで罪滅ぼしになると思ってるのかよぉっ!」

 エドに飛びかかる。怪我は負っても、致命傷さえ避けられれば……!
 顔面のすぐ横で空気中の水分が凍結する音が聞こえている。ちりちり、ぱりぱりと皮膚までも痛い。引き攣りにも似た感覚に襲われながらも、俺は無我夢中でエドの腕を引いた。
 目の前を巨大な氷塊が流れていく。

 エドは動かない。
 寧ろ、その鉄塊のような肉体に、俺こそが弾き飛ばされてしまう。

 そんな、それは、だめだ。

200: 2013/06/03(月) 00:31:15.11 ID:34OGwgB50

ケンゴ「ホリィ!」

ホリィ「はいっ!」

 先ほどから俺の視界の隅にいた彼女は、ついに詠唱を解き放った。
 エドと俺を包む柔らかい光の膜。それは冷気を和らげ氷塊を逸らし、俺たちをヒャダルコから守り切った。

 次の瞬間にはリンカはアルスに組み伏せられていて、エドもまた、俺とホリィを交互に見やるだけだ。

ホリィ「エドさん! リンカちゃん!」

ホリィ「こんなことって、あんまりでしょう!」

ホリィ「悩みのある人を放ってはおけません! 聖職者として!」

 そこまで捲し立てた後、ホリィはいったん落ち着いて、

ホリィ「……リンカちゃん。エドさんに罪はありません」

201: 2013/06/03(月) 00:32:00.63 ID:34OGwgB50
リンカ「わかってる! わかってるわよ! けど!」

ホリィ「無関係なエドさんを狙うということは、無関係な私やケンゴくん、アルスさんを狙うも同義。違いますか?」

リンカ「違う! あんたらはあのときあの場にいなかった!」

ホリィ「エドさんもそうじゃないんですか?」

リンカ「だって!」

ホリィ「だってじゃありません!」

ホリィ「そしてエドさん! どうして命を投げ捨てるような真似をするんですか!」

ホリィ「それは単なる逃げでしょう!? 過去を悔やむのなら、悔やんで氏ぬのではなく、悔やみながら生き続けなさい!」

ホリィ「そうしなければ、何も好転なんてしないのじゃないですか!?」

エド「言うのは、簡単だ」

ホリィ「しなさい! それがせめてもの手向けと知りなさい!」

 ぴしゃりとホリィ。俺とたいして年齢の変わらない女子に叱責され、二人はしゅんと肩を小さくしている。

202: 2013/06/03(月) 00:32:54.44 ID:34OGwgB50

ホリィ「二人とも、優しい人です。だからこそ許せなかったのでしょう、自分を。しかし、私の師である神父様もおっしゃっていました。許せない自分をこそ御すべしと」

ホリィ「だから、今一度聞きます。……私たちはもう仲間には戻れないんですか?」

 仲間。その言葉は今の空気にはひどく不釣り合いで、不似合で……けれど、甘美な響きがした。
 ここまできて果たして俺たちは戻れるのか? 少なくともリンカとエドの関係は変わる。憎しみは決して押し殺せる程度の熱量ではないし、またいつ牙を剥くことになるか分かったものではない。
 だが、きっとホリィはそれすらもわかったうえで言っているのだ。許せない自分をすら御すべし。それは俺たちが魔物ではなく人間である証左なのだと思う。

リンカ「赦して、くれるの?」

 おずおずリンカが尋ねる。ホリィはそれに対して首を横に振った。
 一瞬リンカが驚きの表情を作るが、俺にもホリィの意図はわかった。俺たちが赦すだの赦さないだの、そんな次元ではないのだ。何故なら感情はリンカやエドだけのもので、彼らが一生付き合っていかなければいけないものだから。
 そして俺たちは、そんな二人に付き合う覚悟をすでに決めている。

203: 2013/06/03(月) 00:34:11.39 ID:34OGwgB50

リンカ「ごめん……ごめんね……」

 滂沱の涙を流すリンカ。そしてホリィはそんな彼女を優しく抱きしめていた。そんなホリィはまるで聖母のようにも見える。

ホリィ「大したことないですよ。全部神父様からの受け売りです」

 謙遜しているようには見えない。本当に彼女は、その神父様とやらを信用しているのだろう。

エド「……心配かけたな」

ケンゴ「いいって。俺はなんにもしてない。礼はホリィに言ってくれ」

エド「アルスも。すまない」

アルス「かまわない。俺はもともと部外者だからな」

 ぱん、とホリィがそこで手を叩いて、

ホリィ「さぁみなさん! とりあえずこの惑いの森を抜ける方法を考えましょう!」

204: 2013/06/03(月) 00:35:01.27 ID:34OGwgB50

 そうだ。何かが終わったかのように錯覚していたが、現状は何も好転していないのだった。
 まずはこの惑いの森を抜ける方法を見つけ出さなければ、いくら仲直りしたところで、待っているのは餓氏か戦氏だ。

 しかし俺は一つの考えがあった。それは、アルスの落ち着きがあまりにも不自然すぎたからである。
 思ったのだ。彼は何かを知っているのではないかと。

ケンゴ「ホリィ、ちょっと」

ホリィ「なんですか?」

 離れたホリィに声をかける。

 光の柱が降ってきて、彼女の左腕を消し飛ばす。

 噴き出る血が見えた。

――――――――――――――――――――――――

207: 2013/06/03(月) 10:57:44.69 ID:FUQGtRV+0
――――――――――――――――――――――――
エド「ホリィイイイイイイイイイイイイイイイッ!?」

 エドが吠えた。
 突如として空から降ってきた光の柱、その衝撃によって吹き飛んだホリィを救うべく、地を蹴って逼迫する。
 そしてその頭上に迫る、更なる光の柱たち。

アルス「邪魔だ退け!」

 アルスの震脚、からの縮地。一息でエドらに近づいたアルスは、そのままの勢いで二人を蹴り飛ばす。

アルス「逃げろ! こいつらは――やばい。お前らに太刀打ちできるようなモノじゃない」

 こいつら。アルスの言葉の意味を理解できずに、彼の視線の先を追ってみる。
 土煙の中から現れる小柄なシルエットが二つ。

 一人は褐色の肌に白い髪の毛の少女。三白眼で、耳の所に赤い羽根飾りをつけ、巨大な虹を模した弓を右手で握っている。
 一人は白い肌に黒い髪の毛の少女。澄んだ瞳で、水晶のように輝く髪飾りをつけ、無骨な戦槌を両手で握っている。

208: 2013/06/03(月) 10:58:14.79 ID:FUQGtRV+0

 どちらも華奢でにこやかで、脅威と言う言葉からは正反対に位置しているように、俺には見えた。二人は笑顔を崩さずにてくてくと、ぺたぺたと、アルスに向かって歩いていく。

ケンゴ「ッ!?」

 俺は気が付いた。いや、気が付いてしまったというべきだろう。
 この状況において、にこやかで、笑顔を崩さずに?
 心はどこへ行った?

トール「ねぇねぇ、どこに隠れてたの。探すの大変だったんだから」

インドラ「……森のせい、でしょ。だから……わたしたち、頑張った。褒めて」

トール「そうだよ! 褒めて褒めて! 森が魔王様を隠しちゃったみたいだから、私たちさ!」

 とりあえず森を全部焼いといたから。

 と、彼女らは元気に言った。
 いやそれよりもまず俺の耳を疑わせるのは、いましがた黒髪の少女が言った言葉。聞き間違いでなければ、魔王、と……。

209: 2013/06/03(月) 10:58:57.91 ID:FUQGtRV+0

ケンゴ「魔王……?」

 ぽつりと呟いただけの言葉に、アルスは過剰に反応した。ぐるりと勢いよくこちらを向いて、そして――なんだかとても泣きそうな顔をして、

 だけどそれも一瞬だった。俺の勘違いかと思うほどには。

 アルスは二人の頭を撫でてやって、俺の方をちらりと見た。

アルス「逃げろ。こいつらは人じゃない。手加減も容赦もしない。待つということも、ない」

アルス「俺に手を出すな。殺意を見せるな。こいつらが襲う」

 それが恐らく事実なのだろうことは容易に想像がついた。この状況下でアルスが嘘を言う必要もない。なにより、そんな禍々しい存在を二つも見せられて、真正面から突っ込んでいく馬鹿はいない。

210: 2013/06/03(月) 10:59:29.07 ID:FUQGtRV+0

リンカ「……は。あんた、何言ってんの」

 いた!

ケンゴ「リンカ! やめろ!」

アルス「頼む。頼むから、やめてくれ」

 俺はちらりと脇の二人の少女を見た。二人は体こそアルスの方を向いていたが、顔だけをリンカへと向けて、まるで感情の抜け落ちた様子で彼女を見ているのだった。

リンカ「だって、こいつは、ホリィを!」

ケンゴ「あの二人がやったかはまだわからないだろ」

 詭弁だった。あの光の柱の術者がどちらかの少女なのは明白で、俺だってそう思う。しかし詭弁でもいいから弄さねば、リンカは止まらない。もともと激情派なのだから。

リンカ「……」

 唇を噛み締めながらリンカは退いた。リンカだって、アルス、そしてあの二人の少女の実力が自らと比べ物にならないことはわかっている。突っ込むのは自殺行為だ。
 それにまだホリィが氏んだとは限らない。幸い惑いの森は破壊されたらしい。火に巻き込まれず近くの病院までたどり着ければ、あるいは。

211: 2013/06/03(月) 10:59:55.22 ID:FUQGtRV+0

ケンゴ「……さっさと行ってくれ」

アルス「……あぁ、そうする。すまない」

 アルスは二人の少女の手を携えて踵を返した。圧力がなくなる感覚に、堰き止められていた汗がどっと噴き出す。

インドラ「魔王様、服、破れてる」
トール「魔王様、血、滲んでる」

リンカ「あ……」

 組み敷いて、符を破った際の――

 悪寒。
 やばいやばいこれはやばい。
 警告音が警告音が脳内が警告音で満ち満ちて満ち満ちて!

 人体の構造を超越した体勢で振り返った二人の少女が得物を構えた瞬間に俺は体を反転させようとするも全く同時に間に合わないことを悟って

アルス「やめろぉっ!」

 光の矢と戦槌による一撃を、なんとかアルスが捌く。光は周囲の木々をまとめて焼き払い、地面にぶち当たった戦槌は十メートル単位のクレーターを生み出した。
 人間に当たればひき肉にすらならない。

212: 2013/06/03(月) 11:00:24.74 ID:FUQGtRV+0

「「頃す」」

 二人の少女が声を揃えて言った。

エド「させるか!」

 二人の背後からエドが突っ込んでくる。が、白髪の少女が軽く弦を弾くだけで、空間にいくつもの光源が生み出された。その一つ一つが途方もない熱量を放っているのは、遠くからでもよくわかる。
 反射的にエドは盾を構えるが、光の矢はそんなものをものともしない。鉄を豆腐のように抉り取っていく。

トール「邪魔ッ!」

 懐に潜り込んだ黒髪がエドを押し飛ばす。それだけでエドの体は地面を転がり、数メートル進んで木をぶち折った。
 だめだ。逃げられない。戦っても勝てるわけがない。

 ならばどうする?

 首を回してリンカを捕捉する二人を遮るように、俺は彎刀をしゃらんと鳴らし、立ちふさがった。

213: 2013/06/03(月) 11:01:20.11 ID:FUQGtRV+0

 あぁ怖い怖い怖い怖い怖い怖いよ!
 氏にたくない。旅に出て一か月もしないでこんなことになるなんて思っちゃなかった!
 氏にたくない!

 けど。

ケンゴ「仲間なんだろう!? なぁ!」

 ならばやるしかない。

 どうせ逃げたところで数秒しか生命を延ばせないのだから!

アルス「やめろ! 逃げるんだ! 俺が二人を止めておくから!」

ケンゴ「もう無理。間にあわないだろ」

 いくらアルスが強くても、二人を一人で止めることはできないように感じられた。

 視線が白く染まる。
 光の矢。
 それが、一発、二発、三発……十五発!

ケンゴ「無理無理無理無理!」

214: 2013/06/03(月) 11:02:02.04 ID:FUQGtRV+0

 最早理性など構っていられない。生存本能の赴くままに、光の矢を弾き、回避し、肉を抉られ、身体とともに生命が消えてゆく。
 目の前に戦槌。

エド「うぉおおおおおおおおっ!」

 エドの渾身のタックルを受けて、流石に黒髪もバランスを崩した。立ち上がるのはエドの方が早いが、背後から光の矢。

リンカ「ヒャダルコ!」

 氷が砕ける。破砕時の衝撃からエドは逃げられることはできず、大きく吹き飛んだが、どうやら命に別状はないらしかった。

ケンゴ「リンカ! お前はホリィを連れて逃げろ!」

リンカ「何言ってるのさ! 私だって」

エド「ケンゴの言うとおりだ! 敵は、リンカ、お前だけを狙ってる。俺たちが逃げても意味はない!」

リンカ「だけどぉっ!」

アルス「いいから早く、行け!」

215: 2013/06/03(月) 11:02:33.02 ID:FUQGtRV+0

 光の矢と戦槌をアルスがなんとか捌いていく。俺たちもそれに加勢しようとはするが、正直、戦いのレベルが違いすぎてどうしようもできないくらいだ。

インドラ「魔王様、なんで邪魔するのよぉ」

トール「……魔王様も、遊び、たいの?」

 二人はアルスなぞ眼中にない様子で、ひたすらにリンカへと光の矢を撃ち、戦槌で狙ってくる。アルスが防いでくれてはいるが、やはり二対一、多勢に無勢だ。

ケンゴ「行け! 俺たちだって氏ぬ気はない!」

 嘘だ。氏なずに済むだなんて思っちゃいない。

 光の矢と戦槌を、最早いなすことも避けることも叶わない。きっとぼろ雑巾みたいに氏んでいくことしか、俺たちに残された道はない。だけれどその道はきっと無意味なものではないはずなのだ。

ケンゴ「早く! ホリィが氏ぬぞ!」

 卑怯な言葉だとは自分でもわかっている。しかし、今のリンカを動かすために、ほかにどんな言葉を用いればよかっただろうか。

216: 2013/06/03(月) 11:03:52.13 ID:FUQGtRV+0

リンカ「っ……!」

リンカ「こんの、馬鹿野郎ども!」

 それだけ叫んでリンカは走っていく。ホリィを背負うのが見えたあたりで、俺たちは今度こそきっちり、二人の化け物に真正面から向き合った。

トール「逃がさない」

インドラ「そうだねっ! 肉片一つ残してやらないんだから!」

 アルスの脇をすり抜けようとする二人に対し、俺たちはそれぞれ突っ込んだ。俺が白髪に、エドは黒髪に。これで僅かでもアルスの負担を軽減できればいいんだけど。

 それにしても、魔王、か。魔物の活発化が魔王の活性化とリンクしているとは聞いたことがあるけれど、まさか、そんな。
 アルスの強さや二人の少女の人外っぷりなど、確かにそれで納得のいくことは多い。そして、なぜアルスが二人を止めているのかということは、逆に大きな疑問である。

 聞かなきゃならないことが多すぎる。やっぱりここでは氏ねないな。
 ……もともと氏ぬつもりもないけれど。
 氏ぬ覚悟があるだけで。

 俺は光の矢が降り注ぐ中に、その体を投げ込んでいく。

―――――――――――――――――――――――

217: 2013/06/03(月) 11:04:20.72 ID:FUQGtRV+0
―――――――――――――――――――――――

 脚が痛い。
 息が苦しい。

 背中に負ぶったホリィの体からはいまだに血が失われていて、同時に体温も、そして信じたくないけれど、生命すらも失われていく。
 やだ、やだ! そんなのは嫌だ!

 だから私は走る。力がなくて、決して満足に走れてはいないかもしれないけれど、それでも。
 早くしないと、ホリィが、ホリィが。

リンカ「ホリィが氏んじゃう!」

 そんなのはだめだ。だめなのだ。許さない。到底許されることではない。
 だって、きっと、全部私のせいなのだ。私が全てを引っ掻き回して、ごちゃごちゃにして、それだのに私は今戦いをケンゴとエドにまかせっきりにしている。ほっぽっている。そんなの、だめだ!

218: 2013/06/03(月) 11:05:15.78 ID:FUQGtRV+0

 突き出ていた根に足を引っ掛け、勢いよく転んでしまう。膝が、肘が、熱い。付着した土の奥から血が滲んでいるのがわかる。でも、だからどうした。こんな傷くらい。
 ホリィは左腕がないのだ!

 幸いホリィを投げ出すことはなかった。私はそのまま両膝に力を入れて、何とか立ち上がろうとする。
 が、倒れる。体力がないというのもあるし……あぁ、そうか。ヒャダルコを使いすぎたんだ。

 この愚か者め。

 悔しいよ。
 悔しいよぅ。

「ふむ。だいぶ大変なことになっているな」

 頭上から声が降ってくる。
 そうか、惑いの森が終わったから、そりゃ人にも出会うか。

リンカ「お願いします、この娘を、この娘を、助けてください!」

 恥も外聞もない。洟と涙で顔をぼろぼろにした女が開口一番にこれなのだ。もう他に私にできることなんてないのだ。

「安心したまへ」

 声の主はそう言った。やわらかな声。女性のそれだとすぐに知れた。

219: 2013/06/03(月) 11:05:57.49 ID:FUQGtRV+0

「ベホマ」

 刮目する。失われたホリィの左腕。それが徐々に、治癒の煙を噴き上げながら、粒子を巻き込んで再生していた。
 そう、再生だ。これは治癒の範域を超えている。
 私は治癒呪文なんて理論くらいしか習っていないけれど、これが埒外な、達人の域の出来事なのはわかった。

 同時に去来する安堵。ご都合主義と言われるだろうか? それでもいい。ホリィが助かってくれさえすれば。

リンカ「よか、った」

 最早声も満足に出ない。横隔膜が引きつりかけている。

「なに。実は私もホリィと縁があってね」

「それで一つ聞きたいんだが、いいかな?」

 女性は再生をさして何ともない風に言ってから、続けた。

「アルス・ブレイバはどっちにいるかな」

―――――――――――――――――――――

227: 2013/07/17(水) 10:54:27.16 ID:prJ0AIJD0
―――――――――――――――――――――
 削れて行く地面。
 削れて行く木々。
 そして何より、削れていく肉体と命。

ケンゴ「うぉあああああああっ!?」

 犬のように這ってなんとか光の矢を回避する。それは白髪の意に沿って動くのか、決してアルスにはあたらずに、彼を避けて俺だけを狙ってくる。

 地面が俺自身の影で黒く染まる。
 背後に途方もない光源――光の矢!

 必氏で木の後ろに跳びこんだ。超々高密度、高威力の光の矢は決してそれくらいじゃ防げないけれど、やらなければやられてしまう。
 光は命中とともに炸裂、木を根元から抉り取り、大量の木片を振りまく。
 僅かに遅れて、軋む音。

ケンゴ「倒れる!」

 折角回り込んだ木の裏も、あの破壊力の前では何の意味も齎さない。数十メートル離れた地点から、ざくざくと木片を踏みしめて、にこやかに白髪が向かってきていた。
 当然左手に虹の弓を携えて。

 アルスはエドと二人で黒髪を捌いている。増援は期待できそうにない。なんとか持ちこたえなければ。

228: 2013/07/17(水) 10:55:10.39 ID:prJ0AIJD0

 白髪の手元が光る――直感で横っ飛び。
 たった今まで俺のいた場所が焦土と化していた。抉れた地面と焦げた草木。もちろん攻撃がそれだけで終わるはずはなく、二の矢、三の矢が頭上から降り注いで!

 背後が壊滅していく音が聞こえる。逃げなければ。否、避けなければ。
 目の前からも光の矢。挟撃の形――これは避けられない!

 左腕の一本はくれてやる覚悟で突っ込んだ。恐怖に負けず、しっかりと光の群れを見る。そうでなければ頭を潰されてしまうから。
 がりがりがりがりと光が俺の皮膚を削っていく。

 激痛。左上腕、左肩が大きく消失していた。瞬時に焼かれたため失血すらない。
 笑いが零れる。なんだこれは。人外。そう、まるで人外じゃないか!

 倒せるだなんて考えてもいなかったけど、少しばかりの時間稼ぎ位ならと思っていた。そして今、俺はその考えすらも十二分に甘かったことを知った。
 恐らくあの光の矢は無尽蔵に出せる。詠唱もいらないし、ただ弦を弾くだけで光は顕現する。今俺が生きているのは、原形を保っているのは、焦土といっしょくたにならないのは、つまるところ白髪の手抜きの産物に他ならない。

 事情は分からないが白髪が頃したいのはリンカだけで、決して俺たちを積極的にどうこうしようというのではないらしい。アルスを魔王と呼んでいたことと相まって、恐らく魔族か、眷属の一種なのだろうが。

 ならばそこに付け入る隙があるのかもしれない。かもしれないが、近づけすらしない俺に、一体どうしろというのだろう。
 そもそもレベル差が違いすぎる。

229: 2013/07/17(水) 10:55:41.45 ID:prJ0AIJD0
 いや、腐っていても仕方がないのだ。手抜きをしてくれるのは僥倖。その間にリンカがホリィを連れてなるべく遠くへ行ってくれればいいのだ。

 光が腰骨のあたりを滑っていく。腹圧で内臓が零れていく気すらしたので、服を思い切りきつくしめ、中身を必氏に止めておく。
 既に痛みも麻痺した。痛覚神経は擦り切れてぼろぼろだ。

インドラ「……じゃ。先に行ってるから」

 いつの間に近づいたのか、俺の脇を白髪が通り過ぎていく。

トール「あーっ! ずるいよインドラだけ!」

 反射的に反転した。彎刀を握り締め、背後から大上段の一撃を

 バランスを崩す。
 口いっぱいに広がる血の味。
 俺の腹から鳩尾にかけてが、ごっそりと消失していた。

インドラ「魔王様の敵は、皆頃し」

 ぼそりと恐ろしいことを呟く白髪。
 魔王の敵――アルスの敵? そしてきっとそれはリンカのことだ。

 させるかよ。

ケンゴ「させるかよぉおおおおおおおっ!」

 なぜか体は動いた。おかしなものだ。俺の体に指令を送っているのは、きっと、俺ではないのだと思った。

230: 2013/07/17(水) 10:57:05.77 ID:prJ0AIJD0

 俺の視界をよぎる物体。
 それは俺の脚に酷似していた。

 前後不覚になって地面へと倒れこむ。

インドラ「邪魔しないで。頃しちゃうよ?」

 ここまでやっておいて、一体この少女は何を言っているのだか――あぁ、意識が薄れていく。
 いやだめだ。リンカを追わせはしない。お前は、お前らは、ここで俺たちが喰いとめるのだ。そう決めたのだ。
 俺はみんなを守るから。

 俺はあの二人のようになりたかったから。

 俺は正義の味方になりたかったから!

ケンゴ「う、ぐ、ぅおお、あ、ぐぅううううっ!」

 声は出ない。呻き声だけで、一秒でも二秒でも、白髪の気を惹くことしか俺にはできない。
 なんて微々たる抵抗。なんて無力な存在。

 眼もあけていられない。

231: 2013/07/17(水) 10:59:23.25 ID:prJ0AIJD0

「何やってるのさ」

 底冷えする声が響いた。

 同時に、腹の底へと響く低音。それは地面を、空気を震わせて、まったく機能していない視野の中でも、俺は確かに見た。
 黒くて大きな塊が、白髪をぶっ飛ばしたところは。

「ボクがいる限り、ケンゴを殺させやしませんよ」

――――――――――――――――

232: 2013/07/17(水) 11:00:30.56 ID:prJ0AIJD0
――――――――――――――――

 打倒され吹き飛ばされる彼女。気配的に魔族なのは確定で、勇者くんが魔王になったのだとすれば、恐らく彼女は彼の眷属。同時に、大きく分ければボクの仲間……魔族。
 魔王だからそりゃあ魔族の一人や二人を侍らせたって構いやしない。けど、ボクが気になったのは、その造形をボクが嘗て見たことがあったからだ。

 彼の二人の仲間に酷似している。

 氏んだと聞いていたけれど、氏んでいなかったのだろうか。もしくは……悔悟が生み出した魔物か。

ウェパル「なに、勇者くん。この娘。ちょーっとばかし、趣味が悪いんじゃあないの?」

ウェパル「こんな眷属を生みだしちゃって」

アルス「……その呼び方はやめろ」

 けんもほろろに返される。さすがの迫力。魔王にあるべき姿と声音と眼光と、何より、威圧感。確かに彼は魔王になったようだ。
 しかし彼の表情は暗い。ともすれば今にも泣きじゃくりそうな雰囲気すら湛えて、それでも必氏に二本の足で自分を支えている。
 人間だったころの彼はもっと前向きで、迷いながらもまっすぐ前に進もうとする意志があった。だからボクは九尾の塔で退いたのだし、彼のことを恐れもしたのだ、心底。

 だのに今の彼はどうだろうか。必氏さこそあれ、彼が持っていた前向きなそれではなく、ただ抵抗するだけの後ろ向きなそれだ。事態の解決を願わないタイプの。

233: 2013/07/17(水) 11:01:07.65 ID:prJ0AIJD0

 何が彼を変えたのか僕には想像しかできない。ただ……アルプじゃあないけど、それはつまらない。

アルス「ウェパル。今更どうして出てきた」

 勇者くんが言う。彼は一度、まるで少女ちゃんと瓜二つの女の子と大きく距離をとった。

ウェパル「いや、別にボクがってんじゃなくて……隊長がさ」

 そう、ボクがここに来た最大にして唯一の理由。

ウェパル「言うんだもん。俺の息子を助けてくれってさぁ!」

 氏体となって、ボクのものとなった隊長は、ゴダイ・カワシマは、確かに言ったのだ。俺の息子を助けてくれと。
 最初はわけがわからなかった。だけど、よくよく考えてみれば、隊長がボクのものであると同時にボクも隊長のものなのだ。真実を確かめることなど故に意味はなく、その申し出に否やはない。

 だから来た。
 簡単な話。

234: 2013/07/17(水) 11:01:55.64 ID:prJ0AIJD0

 背後が暁光で白く染まる。振り向きざまに目を見開くと、数多の光の矢を背景に、まるで狩人ちゃんと瓜二つの女の子がボクへと狙いを定めていた。

ウェパル「へぇ、あれで氏なないんだ」

 さすがは魔族。

 ボクはすかさず魔力を編んで、巨大な船団を顕現させた。薄く発光する青白い船団。光の矢をすべて撃ち落とすつもりで砲弾を放つ。
 両者が炸裂する。お互いに魔力を練った投擲武装。勝利を分けるのは、純粋な出力と、持続力といったところだろうか。

 炸裂の余波が髪の毛を、肌を撫で、触手の左腕を揺らす。少しでも傷を与えることさえできれば蛆で喰らいつくすことだってできるのに、こちらの砲弾は全て矢で穿たれていく。手数はどうやら同程度らしい。

 驚きとともに多少イラつくが、それは向こうも同じだった。不機嫌な声でこちらに語りかけてくる。

インドラ「……なんなの? なんでわたしの邪魔、するの」

ウェパル「『なんで』? 恋をしたことのないお子様にはわからないだろうさ!」

 例えこの想いが狂気だと非難されたとしたって。

235: 2013/07/17(水) 11:03:01.46 ID:prJ0AIJD0

 ボクは指先で船団全てを操作して、砲弾の射出はそのままに、速度全開右舷へ旋回。空気を震わせて船首が全て白髪を向いた。

アルス「おいおい、まさか……」

 勇者くんが呟く。そうとも! そのまさかさ!

ウェパル「行けっ! 全速前進――突っ込めぇっ!」

 魔力船団は物理法則に左右されない。ゼロからいきなりの加速を経て、魔力の外套を纏って白髪へと突っ込んでいく。

インドラ「ひ、光の矢ァッ!」

 白髪が光の矢を船団に打ち込んでいくが、超高密度の魔力塊であるそれに傷一つつけることはできない。弾かれ、吸収され、勢いを落とすことなく白髪へ!
 みしみしめきめきと森の木々を折り、砕きながら、白髪が五隻に呑みこまれていく。吹き上がる土埃と破砕した葉のにおい。けれど、もちろんここで手を休めてなんていられない。

 ボクは指を鳴らした。

 途端、船団が爆裂する。
 九尾のマダンテには劣るかもしれないけど、五隻分の魔力を爆発に変換した、かなりの大規模な魔力の行使。直撃して無事でいられるはずがない。
 爆裂は、ただでさえ船団の突撃で荒廃した森の一角を、更なる荒廃へと導く。焦土。殲滅。懐かしい響きだ。まるでボクがまだ四天王みたいじゃないか。

236: 2013/07/17(水) 11:03:38.42 ID:prJ0AIJD0

アルス「ウェパル!」

ウェパル「っ!」

 勇者くんの声でなんとか反応が間に合った。ボクの氏角をきっちり突いて突進してくる黒髪。右手にはどこかで見た戦槌を持っていて、懐かしくなると同時に悲しくもなる。
 戦槌が振るわれる。容赦のない、そして殺意のある一撃を見て、ボクは思わず息を吸い込んだ。掠った髪の毛が無残にぱらぱらと散っていくのを感じたから。
 なるほど、あの膂力はいまだ健在ということか。

トール「インドラになにすんのよっ!」

 地面を踏みしめて反転、まるで手負いの猪だ。突撃、反転、突撃、反転を、戦槌を振り回しながら繰り返してくるその熱量は、ちょっとやそっとじゃ揺らぎそうにない。
 ボクはそれを紙一重で回避し続けている。読み切れないほどの攻撃ではないが、プレッシャーは確かにある。一撃必殺は間違いないだろうし、それにインドラと呼ばれた白髪の生氏も確認していない。

 黒髪の突進。それを回避して、視界の端で反転するのが見える。
 あぁ、もう、埒が明かない。

237: 2013/07/17(水) 11:04:07.92 ID:prJ0AIJD0

 八度目の突進。ボクはそれをカウンターで、地面に思い切り叩きつけた。
 顔面から地面へ激突する黒髪。腹からつま先までが浮き、鈍い音を立てて戦槌が倒れる。

 触手が蠢く。

 ぞわりぞわりと這い寄る白い絨毯。生きた蛆たちが一斉に黒髪へと群がり、彼女を白い蠕動体へと変えていく。
 ボクの蛆は綺麗好きで大喰らいだ。肉片の一つとして残すことはない。

 一瞬、僅かに背後が明るく光って、ボクの影が一気に伸びる。
 光源――わからいでか!
 振り向く必要など微塵もない。ボクはそのまま船団を再構築、放たれた数多の光の矢に向けて、砲弾を連射、連射、連射!

 同時にボクは伸びてくる腕を極める。足元から黒髪の腕。それはきっちりボクを縊り殺そうとしていたが、体勢的に無理がある以上なんてことはない。そのまま逆に体重をかけ、組み伏せると同時に折った。
 骨の折れる音のみならず、筋と肉の引き千切れる音すら耳に届く。

 蛆たちが喰ったのはせいぜい左腕だけらしく、それ以外は黒髪に振りほどかれていた。それもあの膂力の賜物なのだろう。
 けれど足りない。ボクとこいつらじゃあ、同じ魔族だとしても、年季が違う。

238: 2013/07/17(水) 11:09:33.07 ID:kDHmgi380

「四天王が一人、海の災厄・ウェパル。お前らとボク、格の違いを見せつけてやる」

「陽光届かぬ水底で、ぐずぐずに腐り果てるがいいさ!」

 突っ込んでくる白髪を察知して、流石に今度ばかりはどうにもできず、ボクはついに黒髪から距離を置く。逃げるボクを追うように光の矢が向かうけれど、利かない。そんなものは数年前に何度も見ているのだ。
 致命傷の導線を描くものだけをピンポイントで弾き、弾き、弾きつづけて、それ以外には目もくれない。光の驟雨の中を一歩ずつ、ステップを踏むように回避していく。

 戯れに光の矢を手で掴んでみるも、掴んだ右手が焼け爛れたのでやめることにする。熱は感じないが……どうやらあれは光と言うよりも電撃に近いもののようだった。
 そういえば、確か狩人ちゃんは生前インドラと名付けた電撃を撃っていた。それの亜種と考えてもいいのかもしれない。

 光の矢に紛れて黒髪が向かってきた。右手には戦槌。あの膂力をもってすれば、ボクの肉体を消し飛ばすなど造作もないだろう。
 そう、当たりさえすれば。

 右から左。そして左から右。斜めに振り上げて、振り下ろす。
 風がボクの眼前を、耳元を、音を立てながら掠めていく。恐ろしさがないわけじゃあないけれど、所詮子供騙しレベルじゃないか。

239: 2013/07/17(水) 11:13:03.15 ID:kDHmgi380

ウェパル「船団ッ!」

インドラ「させない」

 船団を顕現すると同時に光の矢が襲う。それを砲撃で相討ちさせて、白髪の方へは自動操舵で再度突っ込ませた。

ウェパル「二人相手なんて面倒くさくて!」

 叫んで、後ろへ跳んだ。
 そこにはケンゴが倒れている。

 彼を右手で軽々抱え、触手の左手で蛆を操り、患部を治させる。失われた血は戻らない。けれど組織はなんとでもなるのだ。
 ボクの目的はケンゴの救出。それが隊長の望み。

インドラ「させない、と」

トール「言ってるでしょっ!」

 二人が急加速。存在全てを後ろになびかせ、砲弾の雨を掻い潜りながら接近してくる。
 僅かながらの焦りが生まれた。これまでと段違いに、速い!

インドラ「そいつは、魔王様の敵の味方」
トール「ってことは、魔王様の敵」

「だから頃す」

240: 2013/07/17(水) 11:13:39.59 ID:kDHmgi380

 膨れ上がる殺意。どす黒い何かを二人は背負って、そのまま駆ける。視線は真っ直ぐにボク――というよりも、ボクが抱えたケンゴに注がれていた。
 これは……生半で太刀打ちはできそうにないか。

 覚悟は決めた。バックステップを踏んでいた両足を地に落ち着け、右足を前、左足を後ろとして、真っ直ぐ、向かってくる二人を見据える。
 それはつまり照準である。到達まではもって数秒。しかし数秒はボクにとっては長すぎる。それだけあってできないことなどほとんどない。
 たとえば、そう、武具の生成だとか。

 魔力で編みこむ。それは粒子であると同時に、撚糸にもなり得る。幾百、幾千では収まりきらない大量のそれを使って、ボクはこれまで様々なものを編んできた。
 短剣。あるいは船団と砲弾。それらは確かにボクの矛であり盾ではあるけれど、アメニティに準ずるようなものだった。決してワンオフではないという意味で。

 唯一無二は文字通り。そしてそれは軽々しく使えるようなものではない。
 だから今使う。

 嘗て、勇者くんにも使ったそれを、ボクは解き放つ。

 二又の槍。

ウェパル「グング、ニィルッ!」

 血飛沫が舞った。
 ボクの手から放たれたそれは真っ直ぐに黒髪の腹を食い破って、上半身と下半身を分離させる。零れる内臓からは湯気が立ち上り、血の色は赤。ボクにも彼女にも、人間と同じ血が流れている。

241: 2013/07/17(水) 11:14:48.57 ID:kDHmgi380

トール「な、はっ、見え、なっ……」

 黒髪が喋ると、逆流した血液が彼女の唇を濡らす。

 神槍グングニィル。デュラハンのアサシンダガーの仲間みたいなものだから、見えないのはしょうがないのだ。誰が悪いわけでもない。

 光の矢が視界に満ちる。矢というよりは散弾だ。それほどまでの弾幕密度がボクの眼前には展開されていて、黒髪と白髪、この二人の殺意があまりにも念入りだということを再確認した。
 逃げることはできそうにない。ケンゴだけを助けられればボク的にはどうだってよかったのだけど、流石にこの世界はそこまで甘くはなかったみたいだ。

 二発目のグングニィルを撚り合せる。

 光がボクの髪の毛を、耳を、肩を、脚を、体の端々を抉っていく。
 ……左手の消えていく感覚だけが心地よい。

 射出。

 光に曝されながらもボクはグングニィルを撃ちだした。巨大な魔力体がボクの指先から離れていって、体力がごっそりと減らされるのを確かに感じる。それでもこうしなければならなかったのだと思う。でなければ、きっと止まらない。
 あの二人からは衝動の臭いを確かに感じるから。

242: 2013/07/17(水) 11:15:21.17 ID:kDHmgi380

 槍はきっちりと白髪の胴体を二分させる。慣性に従ってこちらに吹き飛んでくる上半身と、遅れて倒れる下半身。

トール「負けるかぁっ!」

 ボクは思わず視線を黒髪に向けた。

 吹き飛んだはずの上半身が――いや、確かに彼女の上半身は千切れ、吹き飛んでいるのだけれど――下半身を掴んで!

 光が彼女の体を包み込む。急速に吹き出す治癒の光。しかし回復呪文を使ったようには見えない。それは恐らく、彼女自身に備わった、生まれながらの自動治癒。

 ボクが魔力を編めるように。
 デュラハンが剣を召喚できるように。
 アルプが魅了を使えるように。
 九尾が何でもできるように。

 膂力とあいまった、魔族としての彼女の特性。
 それこそ勇者くんだ。親たる魔王、それが彼なのだから、子たる魔族の彼女がそうなのも必然と言えるのかもしれない。

243: 2013/07/17(水) 11:16:11.79 ID:kDHmgi380

 つながった下半身が力強く地面を踏みしめる。ボクは殆ど本能でナイフを編み、仰け反りながら投擲する。
 黒髪は逃げなかった。それは彼女の胸に深々と刺さるが、自動治癒ですぐさま肉が盛り上がっていく。

 させじと蛆を湧かせるが……速度はどうやら、互角。

トール「ミョルニルッ!」

 得物の名を叫んで戦槌を振り上げる。距離はおおよそ二歩分。回避が間に合うか? ……間に合わせるしかない!
 さすがにあの一撃を食らうわけにはいかない!

ウェパル「うぉおおおおおおおおっ!?」

 短剣の連打。十近いそれらを、やはり黒髪は回避しない。命を捨ててボクの命を奪うつもりなのだと一目でわかる。やはり魔族。だからこその魔族。
 きっと衝動の前には命なんて無価値だから。

ウェパル「果てなき空との境界! 大いなるうねり! 耳、鼻、眼で以てその全てを吟味せよ! 氏せるのちは母に抱かれ、光の届かぬ水底で腐れ! 歪んだ青と圧潰する鉄槌! 逃れし者などそこにはなく!」

ウェパル「メイルストロム!」

244: 2013/07/17(水) 11:16:45.97 ID:kDHmgi380

 巨大な水、そして渦がボクと黒髪の間に生まれ、彼女を巻き込み、打ち上げ、吹き飛ばす。岩塊をも含む大量の水に打ち据えられ、軽々と黒髪は水中を舞った。
 どちゃり、と黒髪が地面に倒れこむ。最早ほとんど挽肉だ。治癒ではなく、蘇生が必要だろう。

ウェパル「はぁ、はぁ……あっぶない、なぁ」

 冗談ではない。というより、寧ろあちらが正気ではない。魔族なんてみんなそんなものだとは思ってはいるのだけど。

 ボクは勇者くんを振り向いた。彼は何とも言い難い表情でボクを見て、たった一言、「助かった」とだけ呟く。

ウェパル「気にしなくていいよ。ボクはしたいことをしただけだから」

アルス「……そうか」

ウェパル「それじゃ、ボクはもう行くよ。ケンゴは大事な人だからね、こんなところには置いてられない」

245: 2013/07/17(水) 11:20:40.11 ID:kDHmgi380

 軽々と彼を持ち上げて、ボクは腕に抱く。隊長の子供のころもこんな感じだったのかな。だとしたら……ふふ、だいぶ厳つくなったものだなぁ。

 隊長に心配をかけるわけにはいかないのだ。安心、安全なところに監禁しておかなければ。
 ボクが一生閉じ込めておくというのもいいなぁ。

ウェパル「じゃ、頑張ってね。魔王様」

 さて帰ろうかと踵を返したその時。

 ボクの中に長い間失われていたものが戻ってきた――ような気がした。
 衝動に押しやられ、退かされたもの。
 その名は生存本能。

 早く逃げなくちゃと思うよりも早く、頭上から無色透明な魔力の塊が降ってきた。

 障壁を展開――しようとして、血液が喉の奥から挨拶をしてくれる。背中がやけに熱い。灼熱した感覚が時間の感覚を狂わせる。
 僅かに傾けた首で伺う背後。ボクが投擲したナイフをボクの背中へと返す、黒髪の姿がそこにあった。

 黒髪は凄絶な笑みを浮かべている。
 ボクも笑みで返した。
 さすがは魔族。この愚か者め!

 強く、強く、ケンゴを抱きしめる。

 あ。
 アルプが見える。

―――――――――――――――――――

246: 2013/07/17(水) 11:21:17.73 ID:kDHmgi380
―――――――――――――――――――

「弾着、確認」

「……」

 返事はない。周囲のだれもが――と言っても、選び抜かれた魔術師五人ばかりは、ただ茫然と森の向こうへと視線をやっていた。
 国王より授かった最大級の極秘任務。マダンテの威力はそのままに、量産、消耗を限りなく減らした魔導兵器。それが核。施設での数多の実験を経て、たったいま実地試験が完了したのだ。

「こんなの、いいんでしょうか」

 ぽつりと一人が呟いた。身分を隠すために名前もわからない。顔もフードに覆われていて判別不可能。ただ、声から男だということだけが判然としている。
 またしても、誰も返さなかった。名目上のリーダーである、紫色のフードを被った人間ですら、意識的に彼を自らの視界から外した。誰だってそうだ。返せるものか。

 誰にも聞かれないようにリーダーは息を吐いた。

 研究者としての気分の高揚は確かにあって、そしてその裏側に、とんでもない後悔の存在を彼は理解していた。結局彼はマッドサイエンティストにはなれなかったということなのだ。
 物事の重大さを理解していなかったわけではない。彼は決して愚かではない。ただしここは現実で、研究所と同じ空気組成であるということが、必ずも延長線上の世界であることを意味しないという単純な事実に気づいていなかった。
 

247: 2013/07/17(水) 11:22:14.39 ID:kDHmgi380
 
 詳細は確認するまでわからないけれど、核の炎は爆心地から半径30キロ圏内を焦土にした。人、町、自然……そんなものはクソ喰らえ。国のために蒸発するだけ幸せだというものだ。
 と、国王は彼らに言った。いや、実際は言っていないけれど、あの瞳はそう言っていた。核で何人氏のうとも、将来的により多くの人間を救えればそれでよいのだと。

 事前調査によれば、実験地は秘匿性が高く、同時に周囲に影響を及ぼさない地域を選定したと言うが、それが事実かどうかを確かめる術など彼らにはなかった。
 なかったから、疑いもせずに信じた。疑っては何もできない。

 あぁ、確かにそれは逃げだ。逃げに違いない。繰り返すが、彼は、彼らは、決して愚かではない。
 彼らは思っていた。罵りたいなら罵るがいいさ。けど、だからって、どうしろっていうんだよ!

 どうしようもない。
 ただし償いは必要でないか。

「……急ぐぞ。データの収集準備だ」

 リーダーがぼそりと言った。びくりと肩を震わせる者はいても、うつむかせた顔を上げようとするメンバーはいない。

248: 2013/07/17(水) 11:22:43.67 ID:kDHmgi380

「……」

「早く」

 繰り返し言って、ようやく彼らはのろのろ準備をしだす。それほどまでに彼らが押したスイッチの齎した結果は重大で、きっと、国にとっては偉大なことなのだ。

 数値としてきちんとデータをまとめて、それが実用化に耐えうるものならば、すぐにでも量産が開始されるだろう。そしてその暁には、彼らの国が覇権を得るに違いない。この核で以て。
 爆発はどうせ魔族か魔物か、とにかく人外のものだと発表されるだろう。確信できる程度には、リーダーはそうだと思っていた。最早自分たちは人外に片足を突っ込んでいると。

 泣きそうになりながらも職務に忠実な彼ら/自分たちは、もう人間ではない。蟻だ。

 だから、潰してもよい。

「うぶちゅ」

 軽く頭を叩いただけで、リーダーの頭蓋は骨盤へと埋め込まれた。内臓と背骨が皮膚を突き破って地面へぼたぼた落ちていく。

 それが償いだろ?

249: 2013/07/17(水) 11:23:51.47 ID:kDHmgi380

「だ、誰だお前!」

 四人の視線が突き刺さる。流石エリート、行動にためらいがない。驚愕の中でも自然と攻撃魔法を放とうとしている。
 だけれど、だめだ。
 全てが遅い。

 腕を一振り。急速に周囲の粒子が集まって、黒く、巨大な砲弾を形作った。
 同時に地面をタップすれば、幾重にも重なった魔方陣が光を放ちながら浮かび上がる。
 手のひらを向けている相手と目線を合わせると、視線に紫電が走り、頭の中でかちりと音。
 無詠唱で座標を指定し、背後の存在へとイオナズンを解き放った。

 風が一度に渦巻いて、肉片がぐちゃりぐちゃりと撹拌される。最早どれが誰の肉片なのだか判別の仕様がない。
 別にいい。遺族の下へと返すつもりはそもそもないのだから。

「名乗りが遅れて悪かったな」

「アルス・ブレイバ。魔王をやっている」

 当然返事はない。

250: 2013/07/17(水) 11:24:20.97 ID:kDHmgi380

 あぁ、心に沸き立つこれはなんだ。どす黒い、感情の外壁へと湿った手を張り付けてくるこの正体は、一体なんなんだ。
 正体はわからないまでも不吉だった。よくないものであるのは間違いない。とはいえ抗い方もまたわからなくて、思わず拳を握りしめる。

 また救えなかった。誰も助けることができなかった。ここまで強大な力を持っていても、俺は、俺しか、畜生!

 未曽有の爆発が起きて、一度俺は確かに氏んだ。そして、生き返った。
 九尾の加護はいまだに健在で、それを疎ましく思うことがないわけではない。生き続けることがではなく、今回の場合は特に、あんな惨状など見たくはなかった!

 それまでそこにあった様々な存在が根こそぎ消失していた。木々や土塊はもとより、ウェパルも、ケンゴも、トールもインドラもいない。その事実をどうすれば楽観的に捉えられただろうか。
 その直後だ。俺に与えられた九尾の読心。それが自動で、恐らくはほかに何もなかった――なさすぎたせいだとは思うけれど、こいつら五人の思考を読みとったのは。

 俺は一瞬だけ驚愕して、次の一瞬で全てを理解した。嘗てばあさんが言っていた、恐るべき兵器が誕生してしまったのだとわかった。
 どうすればいいのだろう。たった今俺は俺自身の無力を実感したばかりなのだ。これ以上俺に一体何ができるっていうんだ。一体俺はなにをすればいいっていうんだ。
 朽ちない体と常軌を逸したこの能力で、ただ手をこまねいて見ていろというのか。

251: 2013/07/17(水) 11:24:48.25 ID:kDHmgi380



 壊れてしまいそうだ。



252: 2013/07/17(水) 11:25:18.46 ID:kDHmgi380

 誰かを、村や町を、全てを犠牲にしてまで、国を守る意味があるのか?
 国ってものにはそれだけの価値があるのか?

 わからない。
 俺は何のためにこうしているんだ。

 何かをしなきゃいけないのだと頭ではわかっている。核は作られるだろう。用いられるだろう。人は氏ぬだろう。不幸になるだろう。未来の幸福のために。不確かなもののために。
 人口は増えている。争いはなくならない。食糧自給率はどうやっても全体で十割を超えはしない。飽食と飢餓。水の汚染。領土の問題は大抵が利益の取り合いだ。先細りする収益を、それでも我が物にしようとする。
 パイは生ものだ。腐ってゆく。だから我先にと取り合うのだろう。様々なものを犠牲にしてまで。

 俺に何ができる?

 きっと俺には義務があるから。
 力のある者には、きっと義務があるから。

253: 2013/07/17(水) 11:28:55.26 ID:kDHmgi380

 ひたひたと城壁を登ってゆく黒い手。それと手をつなげば、どうなるのか、わからないほど愚かじゃあない。
 悪魔の意思。魔王の意思。

 俺には義務がある。

 誰か助けて。

 クルル。
 メイ。
 ばあさん。

 嘗て一緒に戦って、氏んでいった、みんな。
 マスラー。ウェッジ。ライダ。ディムダール。セント。クルコ。ポミ。

 だれか。

 だれか。

 侵される。

 犯される。

 いやだ、こんな、
 こんな、
 あぁ、
 ああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

「うぉああらぁあっ!」

 背後からの気配に体が反応する。地面をタップ、魔方陣を展開、刀剣を顕現。即座に現れた数十本の刀剣が、その気配ごと串刺しにする。
 甲高い金属音。刃と刃がぶつかったようだった。そこまで来て、俺はようやく振り返る。

 ケンゴ・カワシマが立っていた。

―――――――――――――――――――――――――

254: 2013/07/17(水) 11:30:30.99 ID:kDHmgi380
―――――――――――――――――――――――――

 何が起こったのか、そして何が起こっているのか、俺には全っ然わからない。リンカを守っている最中、意識を失った中にあって、猛烈な光を感じた。気が付けばあたりは消失していて……瘴気を辿って、アルスを見つけたのだ。

 そう、瘴気。人間にとって害にしかならないそれを、今のアルスは身に纏っていた。
 本来黒い靄のようなはずのそれは、今は確かにはっきりとしたうねりとなって、アルスの全身にまとわりついている。その中のアルスは、何よりもまず白目がない。ぽっかりとした黒い瞳が、たぶん、俺を見つめているのだろう。

アルス「なぜ、生きている?」

 副音声のような、二重に声が聞こえた。一つはアルスのもので、もう一つはアルスらしきもの。ぐわんぐわんと鼓膜どころか脳内を揺らす。

ケンゴ「俺にもわかんねぇ」

ケンゴ「アルス、これはお前がやったのか」

 言いながら、まさかと思った。いくらアルスが強くても、こんなことを一人でできるはずがない。

255: 2013/07/17(水) 11:31:02.45 ID:kDHmgi380

 アルスは口元を歪めた。歯と歯の隙間から黒い吐息が漏れている。

アルス「まさか。王国の人間だ。全くあいつらは、どうしようもない」

アルス「どうしようもない。本当に」

 繰り返して言って、アルスは黒目を見開いた。

アルス「そういうことか。お前、護符を持っていたのか」

 一瞬何のことだかわからなかったが、なぜ俺が生きているのかという疑問に対しての答えだとわかった。
 けど、護符? そんなものを俺は持っていない。

 ……いや、もしかして。まさか。
 もしアルスの言うような護符があったのだとしたら、それは……。

ケンゴ「まさか、あいつに助けられるとはな」

 あの小憎たらしい幼馴染のお守り。あれの加護があったということなのだろう。
 きっとあのお守りの中には、命の石でも入っていたに違いない。

アルス「ケンゴ」

 びくりと体が震えた。それはきっと副音声のせいだけではない。魂の奥底から、俺はアルスに対して怯えていた。
 お前がアルスの何を知っているのだと言われるかもしれない。事実そうだ。俺は彼と数日すら一緒にいてはいないのだ。だけど、それでも断言できる。目の前にいるのはアルスであってアルスじゃない。

 もっと、禍々しい何か。

256: 2013/07/17(水) 11:31:34.03 ID:kDHmgi380

 だからきっとこの震えは武者震いなんかじゃない。ただ俺は気圧されているのだ。本当だったら今すぐに剣を放り出して逃げ出したいくらいに!

 俺が今どうにか立てて、向かい合えているのは、ひとえに矜持の賜物に他ならない。
 俺は正義の味方を目指していた。グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズのようになりたい。

 重ねて言う。俺は彼女らのようになりたい。

 この状況がちっとも理解できていない俺だけど。
 アルスをこのまま放っておいたらまずいとわかるから。

ケンゴ「絶対に逃げるわけにはいかないんだっ!」

 アルスは一瞬驚いたような顔をして、すぐに微笑んだ。全てが邪悪な中、その笑みだけはアルスだけのものだと俺は思った。

アルス「この世界はクソだ。クソの掃き溜めだ」

アルス「大局? 将来? もちろんそれも大事だろうさ。けど、俺は、何よりも今目の前で苦しんでいるやつを救いたい」

アルス「ケンゴ」

アルス「俺は世界を滅ぼそうと思う」

アルス「生きるだけで精一杯な世界。それはきっと、為政者の犠牲にならない世界だから」

257: 2013/07/17(水) 11:32:07.23 ID:kDHmgi380

 信じられなかった。世界を滅ぼすだなんて、生きているうちに聞くはずがないと思っていた。だって俺はまだレベルいくつの初心者で、冒険を初めて一か月足らずで。
 でも、たぶん、アルスは本気だ。そしてアルスにはそれができる。できなくとも、やろうとする。そんな目をしている。

アルス「だから」

 と、俺が剣を身構えた直後に、アルスはまっすぐ虚無の瞳でこちらを貫いてくる。

アルス「俺を止めてみろよ、正義の味方」

アルス「違うな」

アルス「俺を止めてくれよ、正義の味方ァッ!」

 アルスが地面をタップする――同時に空中へ、地面へ描かれる、無数の魔方陣。
 空気を震わせながらそれらが光り輝き、俺は氏を覚悟する。

 顕現。

 大量に現れたそれら刀剣を、最早避けることなど考えなかった。鋼の草原を、ただ血塗れになりながら転がり、命以外を全て放り投げる覚悟でアルスとの距離を縮めていく。
 一秒前までいた地点は既に剣で串刺しになっていて、思わず息を細く吐き出しそうになるも、その暇があるはずもない。汗が眼に入って沁みるけれども無視。四つん這いで無様に地面を這いまわる。

258: 2013/07/17(水) 11:32:35.51 ID:kDHmgi380

 と、急に視界が光った。刃に光が反射して、あたり一面を煌びやかに照らす、桃色の炎。

ケンゴ「ッ!」

 脳髄へと這い寄ってくる手を払いのけた。背筋が凍る思いだ。
 吐き気が全身を満たす。揺らめく視界。地面がまるでスポンジのように柔らかで、どこからともなく哄笑が耳を劈く。それが幻覚だと自らに言い聞かせなければ、すぐさま意識が飛んで行ってしまいそうだった。

 体勢を立て直した直後、俺の腹にアルスのつま先が食い込んだ。
 どこかの骨が折れた音がする。

 意識が一瞬なくなりかける。奥歯を噛み締めて現世に繋ぎ止め、地面へと指を突き立てて体勢を確保。どうにか取り落とさずに済んだ彎刀の感触を確かめた。

アルス「もう時間がない! 俺はもう、どこまで俺でいられるか、わかったもんじゃあない!」

 至近距離から投擲された刀剣が俺の頬を掠めて行った。避けたんじゃない。恐らくアルスが意識して外したのだ。
 俺は地を蹴った。極端な前傾姿勢でアルスへ飛びかかる。

 彎刀の一撃は空を切った。アルスはまるで俺の心を読んでいるかのように迅速で、俺の動作と同時に回避行動をとる。
 反撃の裏拳を左手で防いだがあまりの力に体ごと持っていかれる。空中で一回転しながら俺は地面に激突した。

259: 2013/07/17(水) 11:34:57.78 ID:kDHmgi380

アルス「俺を倒す情報だ! まず、俺は四天王の魔力を受け継いでいる。程度の差こそあれ、あいつらの能力を使うことができる!」

 副音声でアルスは言った。瘴気の紛れた声。つまりはアルスの内包している悪意の声。
 アルスが戦っているのは俺でいて、その実俺じゃない。彼の本当の敵は、彼の内部にいるはずだ。

 四天王――それはきっと、九尾、ウェパル、デュラハン、アルプ。

 地面へと転がった俺へアルスは追撃を止めない。地面が光って魔方陣が展開される。串刺しにされてはたまらないと、体を無理やり跳ね退かせた。
 刀剣が俺の太ももを削いでいく。

ケンゴ「っぐ、う!」

 息は吐かない。吐き出せば途端に意識までも漏れ出てしまいそうだったから。

アルス「これはデュラハンの召喚魔法、そしてこれは!」

 空が明るくなった。上空を見上げれば、こちら目がけて桃色の火炎が降り注いでくるのがわかる。甘ったるいにおいのする、俺の心をぐずぐずに溶かす炎だ。
 息を止め、目を瞑って、思わず両手で顔と頭を覆う。背中と肩に熱を感じ、炎が肉体だけではなく、遡って神経を、脳を焼き殺そうとしてくる感覚があった。
 地面を転げ回ってなんとか鎮火しようとする。魔力で燃える炎は消えづらいが、それでも。

アルス「アルプのチャーム!」

260: 2013/07/17(水) 11:35:23.23 ID:kDHmgi380

アルス「頼む、生きてくれよっ……!」

 アルスの背後に大量の船団が見えた。青白く光る半透明の船団。
 ウェパルの戦いで彼女が見せたものに違いなかった。

 放たれる弾幕。不可視の速度を持つそれは、俺の左腕をいともたやすく吹き飛ばした。

 千切れはしないまでも、肩口から根こそぎ関節がおかしくなっている。神経がおかしくなりすぎていて、感じて当然のはずの痛みがどこかへ消えてしまった。
 舞う木の葉にも似た俺の体。打ち据えられ、そして重力に引き寄せられるままに落下、撃ちつけられる。口の中に入った砂がとにかく不快だった。

 アルスの近づく足音が耳に響く。霞む視界と意識の中で、俺は考えていた。きっとアルス自身は何も望んじゃいないのだと。
 先ほど俺に言ったことが全てであり、事実なのだ。アルスは彼の身をどうにかしてほしい。自分自身の肉体を自分自身では操作できない何らかの状況に彼は置かれている。原因が瘴気であることは想像に難くないけれど……。

261: 2013/07/17(水) 11:36:22.32 ID:kDHmgi380

 だからアルスは俺と戦っている。その気になれば俺なんか無視できるのに。なけなしの理性を総動員して、この世界の寿命を少しでも長く持たせるために。
 アルスにとってこれは精一杯の時間稼ぎなのだ。

 いや、理由など最早どうでもいい。助けを求める人がいて、俺がいて。理由なんてそれだけで十分なのだった。
 目的さえはっきりすれば、あとはやるだけ。

ケンゴ「まだまだ――終わっちゃあいねぇぞっ!」

 形見の彎刀を残る右手で何とか握って、俺は大見得を切った。
 俺の命が終わりそうだというのに。

「よく言った!」

 あさっての方向から飛んでくる氷塊。それはアルスに激突するよりも先に火炎で蒸発させられるが、歩みを止めるくらいの役割は果たしてくれた。
 俺の視線も、自然とそちらを向く。

 シルエットは三つ。女性が三人。
 リンカと、ホリィと……誰だ。白い聖装を身に纏い、白銀の杖を携えた、若い女性。

262: 2013/07/17(水) 11:36:53.14 ID:kDHmgi380

リンカ「ケンゴッ!」

ホリィ「ケンゴさん!」

 二人が俺に駆け寄ってくる。二人はどうやら無事なようだ。あの爆発から逃げ切れたとは到底思えなかったけれど、もしかしたらあの女性が守ってくれたのかもしれない。
 とりあえず生きていてくれていたことにほうっとする。

リンカ「なにがどうなってるのよ、あれ!」

 「あれ」とはすなわちアルスのことだろう。聞かれても困る。俺だって何一つ理解しちゃいないのだ。
俺は素直に「わからん」と答えた。

ケンゴ「けど」

ケンゴ「アルスは苦しんでる。アルス自身じゃどうにもならないものに、アルスは今突き動かされてる、みたいだ」

ケンゴ「だから」

ホリィ「私たちが助けなくちゃ、ですか」

263: 2013/07/17(水) 11:37:25.11 ID:kDHmgi380

 ホリィが引き継いでくれた。俺は不満足な体をのたくらせて同意を示す。
 俺たちは世界を救いたいわけじゃない。そんな大層な旗印を掲げて今まで旅をしてきたわけじゃない。
 もっとちっぽけで、故にもっと偉大なものだ。掲げてきたものは。

 誰かの力になりたい。
 それだけ。俺も、リンカも、ホリィも、エドも。

 二人が立ち上がった。視線は真っ直ぐアルスへ向いている。

リンカ「エドのぶんまで、引き継がないと」

 つい先ほどまでいざこざを起こしていた相手だ。複雑な思いが去来していることは想像に難くない。けれど、吹っ切れはしないまでも、土壇場で気にしていられないというのはあるのだろう。

エド「勝手に殺さないでくれ」

 ぼそりと呟いてエドが立っていた。まさかと思うが、脚がある。ぼろぼろで一瞬エドとはわからなかったが、確かにエドだ。

ケンゴ「どうして……」

264: 2013/07/17(水) 11:38:02.82 ID:kDHmgi380

エド「白髪がアルスを守ろうとして、障壁を展開していたんだ」

 それに半ば守られる形になったとエドは言った。

ケンゴ「四人が揃ったな」

エド「あぁ」

 エドの即応。俺たちは四人、アルスへと視線を向ける。それは全く睨みつけるとは違っていて、ただ単に、これから打ち倒すべき存在として。
 俺たちの視線の先では、アルスともう一人の女性が相対していた。

??「こないだぶりだな、アルス」

 凛とした声だった。アルスはその声を聴いて目を見開くが、もしかしたら予想していたのだろうか、大きな反応は見せなかった。

エド「あれは誰なんだ?」

 エドが尋ねる。それは俺も全く同じだった。あれは一体誰なのか。味方なのはわかるけれども、逆にそれしかわからないと言ってもよい。
 態度を見るにどうやらリンカも同じであるようだ。そうでないのはホリィだけ。恐らく彼女はホリィの知り合いで、しかし爆発に対応してすぐすっ飛んできたため、話す余裕などはなかったのだろう。

265: 2013/07/17(水) 11:38:40.55 ID:kDHmgi380

ホリィ「あの人は、私の師匠で、教会の神父様です」

 ホリィに多大な影響を与え、生きる指針すらも与えたという、育ての親。
 彼女から何度も存在だけは聞かされていた人物が、あの女性なのか。

ホリィ「アルスさんと知り合いだとは思いませんでしたけど……」

アルス「あのときは悪かったな」

??「なに、あんな怪物に付きまとわれていてはしょうがないさ」

アルス「けど、まさかな」

??「あぁ、まさかさ」

 二人は肩を竦め、口を揃えて言った。

「「まさか氏んでなかったなんて」」

アルス「俺のせいか? なぁ、僧侶――いや、今はもう神父、司祭様、か?」

??「やめてくれよ、アルス。そんな他人行儀な真似はよしてくれ」

??「名前を呼んでくれ、嘗てのように」

??「恋人だった時のように」

??「初めての夜のように」

セント「セント・ヴィオランテと!」

266: 2013/07/17(水) 11:39:42.83 ID:kDHmgi380

 視界が急激に明るくなる。俺はついさっきまでこの光を相手にしていたような気がして――

 どこからともなく一組の小柄な影が飛び出してきた。一人は光を背負って、もう一人は鉄塊を背負って、こちらに、いや、女性――セント・ヴィオランテに飛びかかる!

ホリィ「神父様!」

リンカ「ちっ!」

 二人の反応は早い。黒髪と白髪に対し、呪文で援護を送る。
 そうだ、障壁に守られていたエドが氏んでいないのだから、より屈強な二人が生きているのは当たり前だったのだ。
 とはいえ二人はぼろぼろだった。ところどころ欠けた肉体から、瘴気なのか魔力なのか、動くたびに粒子が弧を描いて吹き出していくのが見える。もしあれが彼女らにとっての血肉であるなら、恐らく、先は長くない。

 そしてその決して長くない先を、彼女らはやはりアルスのために費やそうというのだ。

 勿論先が長くないのは、彼女らに限ったことではない。ぼろぼろ加減で言えば俺たちだって負けちゃいない。
 気が緩んで血を吐き出すほどには。

トール「いつぞやのお姉ちゃん!」
インドラ「魔王様は、殺させやしない」

267: 2013/07/17(水) 11:40:23.05 ID:kDHmgi380

 セントはしかし慌てなかった。大量の光の矢を障壁でいなしつつ、光球を打ち込んで二人を分断させる。左右から迫る驚異にも恐れず、まずは黒髪へと向かう。
 戦槌の一撃を紙一重で見切りながら、錫杖で顔面を狙う。両手のふさがっている黒髪は、それでも難なく攻撃を回避するが、戦槌を振り回すには距離が近すぎた。膂力に任せて腕を振るう。
 セントはそれを錫杖の柄で抑え込む。いったん距離が離れ、すぐに両者は再度ぶつかり合った。

 背後から迫る光の矢を俺たちは打ち落とし続ける。が、数はやはりあちらが圧倒的だ。焦土を軽やかに走り抜ける白髪の速度に俺たちは四人がかりでもおっつかない。

トール「やっぱり強いねっ! お姉ちゃん!」

セント「光栄だ」

セント「ちょっと寝ていろ」

 紫電が走った。瞬間的な炸裂音とともに、黒髪が弾けて地面に倒れこむ。

268: 2013/07/17(水) 11:41:26.21 ID:kDHmgi380

セント「魔王になったきみを私はなんとかしなくちゃならない」

アルス「悪い。頼むぞ、セント」

セント「任せてくれたまへ」

 空気が震える。
 闇が弾ける。

 大粒の脂汗がアルスの顔から滴り落ちて、彼の周囲で蠕動していた瘴気が一際強く彼を取り囲んでいく。

 追尾する光の矢を一蹴して、セントはこちらを振り向いた。

セント「現状の説明をしよう」

セント「アルスは魔王の核を植え付けられている。四天王の魔力から成るそれは、強い力を与える反面、取り込まれかねない。詳細はわからないが、心の弱みに付け込まれるようだ」

セント「既に彼は侵食された。あれは、よくない。人間に害を及ぼす。だからなんとかしなくちゃならない」

エド「頃す、んですか」

 ぼそりと言った。

セント「頃しはしないさ。何故なら、私が頃したくはないからだ」

269: 2013/07/17(水) 11:42:12.55 ID:kDHmgi380

 はっきりと私情を挟んでくるセント。しかし、殺さないのは頃すよりも難しいことだと思った。しかも相手はアルスなのだ。
 話が正しければ、アルスは四天王の魔力を得ているという。それは彼自身も言っていたことで、途方もない相手だということしか、俺の中の常識では測れない。

リンカ「できるんですか。この五人で」

 不安そうなリンカの声。できるかできないかではなく、やるしかないのだ。彼女だってエドだって、それはわかっているのだけれど。
 俺だってそうだ。無理だと思う。怖い。けど、決めたのだ。正義の味方になると。

 誰かを助けたいと。

 だから、力をくれ。
 グローテ・マギカ。フォックス・ナインテイル。

「八人ならどうじゃ?」

「わかっているぞ。これが『責任をとる』ということなんだろう?」

「こんな魔力の塊はじめて。涎でそうだわっ!」

 空から人影が降ってきた。
 老婆と幼女と、斑模様が。

九尾「グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズ。只今見参」

――――――――――――

277: 2013/07/20(土) 12:39:01.63 ID:tNDiHnyZ0
――――――――――――――――――――――

 目の前で起こったことに。
 目の前の人物が放った言葉に。
 思考が追いつかない。

 まさか、と、そんなはずが、が、頭の中でぐるぐると回っている。
 俺の体内でのみ固定される時間。外界ははっきりと動いていて、それを俺の眼球も捉えるのだけれど、視神経と脳が働かない。仕事しろ。

 黒いローブを身に纏った老婆。
 金色の尾を持つ着流しの幼女。
 白い髪の毛に赤い斑の女性。

 明らかに堅気からかけ離れたその三人は、周囲をちらりと一瞥するだけで、あとはアルスに――恐らく最早アルスではないものに――向き合っている。

グローテ「これが、そうか」

九尾「そうだな」

ヴァネッサ「やりすぎたんじゃないの?」

九尾「かき回してくれた困り者がいたのだ」

 と、こちらには全くわけのわからない会話をしている。ぽかんとしているのは何も俺ばかりではなくて、リンカもホリィもエドも、そしてアルスとセントだってそんな顔をしていた。

278: 2013/07/20(土) 12:40:16.54 ID:tNDiHnyZ0

アルス「久しぶりだなぁ、ばあさんよぉ。それに、九尾も」

九尾「勇者……」

アルス「ぎゃははは! その呼び方はやめろよぅ、むず痒くってしょうがねぇ!」

アルス「それに、今の俺は魔王だ」

九尾「ヴァネッサ!」

ヴァネッサ「あいあいさー!」

 白髪赤斑の女性、ヴァネッサが手を広げた。そこから光が漏れ出して、一瞬のうちに巨大な、一抱えもある本が現れる。

ヴァネッサ「ギガス写本! 盟約により我が敵を薙げ!」

 地面を震わせる轟音と共に悪魔が姿を現した。三メートルを超す巨体。黒い肌に真紅の瞳を持ち、視線の向きは定かではないが、体を勇者に向けて大きく吠える。
 跳んだ。

 悪魔とアルスががっぷり四つに組みあう。俺の目には全くとらえきれなかったその速度、有する悪魔が凄いのか、それとも拮抗できるアルスが凄いのか、最早俺にはわからない。

九尾「全員、援護!」

279: 2013/07/20(土) 12:41:12.44 ID:tNDiHnyZ0

 幼女の声でようやく体が反応した。杖を向ける老婆とセント、突っ込んでいくヴァネッサと幼女。そのあとを追うように俺も体を動かそうとするが、動かない。
 激痛が体中を駆け抜けていく。俺の四肢なんて既にばらばらになっているんじゃないかと思ったけれど、どうやらぎりぎり保ててはいるらしかった。それでも激痛にはまったく変わりない。
 いや、体が動かないのは、単なる激痛だけじゃない。

 俺は……。

リンカ「ケンゴッ、大丈夫!?」

 魔方陣を展開させながらリンカがこちらを覗き込んでくる。俺は曖昧な「あ、うん」という返事しか返せない。
 頭がうまく働いていない。

九尾「勇者よ、何が貴様を魔王にさせた」

 接近する幼女とヴァネッサ。アルスは即座に刀剣を召喚、悪魔の体を串刺しにして、二人に向かって吹き飛ばした。
 幼女が一歩前に出、悪魔の巨体を軽やかに受け流す。ヴァネッサが本を閉じると悪魔は消失し、突き刺さっていた刀剣が音を立てて落ちていく。

280: 2013/07/20(土) 12:42:12.31 ID:tNDiHnyZ0

アルス「何言ってんだてめぇはよぉ! 俺を魔王にさせたのは、そもそもてめぇじゃねぇかっ!」

 アルスは空中と地面に魔方陣を展開させた。多重円とルーン文字。幾度も見た刀剣の召喚魔法だ。
 しかし彼へ突っ込む二人の速度は決して落ちない。魔方陣の光が急速に強まり、一拍の間を置いて幾千もの刃が顕現。対応して本を開くヴァネッサと現れる悪魔、そして軽やかに飛び上がる幼女。

 悪魔の肩に二人は飛び乗って、すぐさまそれすらも踏み台にし、高射砲台の速度でアルスへと躍り掛かる。
 彼は瘴気を伴う息を掃出し、「はっ!」と歪んだ笑みを見せた。ノーモーションで背後に船団を展開、全ての砲台が二人へと狙いを定めている。

アルス「見ろよこの現状を! クルルは氏んだ! メイも氏んだ! 森は焼けて、街は消えて、こんなことが人間の所業だっていうのか!?」

 それは咆哮だった。アルスの、そして魔王の、心からの叫びだった。
 聞いていて心が強く締め付けられる。どうしようもない、なんて言葉を俺は諦めだと思っているけれど、アルスはその通りどうしようもなかったのだ。

 砲弾が放たれる。眼に見えない速度で迫る氏。だがヴァネッサにも幼女にもそれがはっきりと見えているようで、最小の動きで最短距離を往く。
 空中だというのに力場を作り、それを蹴って方向転換。ぐんぐんアルスとの距離を詰めていく。

281: 2013/07/20(土) 12:42:48.36 ID:tNDiHnyZ0

アルス「何のために俺たちが戦ってきたと思う!? セント、お前は知っているはずだ! ばあさん、あんただってそうだろう! 俺は世界を平和にしたかった。みんな幸せに生きていてほしかった!」

 先ほど幼女は彼のことを勇者だと言った。その呼称を俺は正しいと思う。まるで俺の彎刀のような鋭さを彼は持っていて、その鋭さ、ひたむきさは、勇者のものでしかありえない。
 そしてその鋭さ故に、彼は魔王に堕したのだ。

 二人の行く手を阻むかのように桃色の炎が突如として現れる。空気を巻き上げうねる妖艶なる炎。回避行動よりも速く、意思を持っているかのように二人を飲み込もうとする。
 さらに、炎の奥から腕が現れた。――アルスだ。

 一瞬たたらを踏んだヴァネッサの腕を掴み、そのまま自らの方へ引き寄せる。上空から悪魔が降ってきて防ごうとするが、アルスは雷撃一発で悪魔を霧散させる。

グローテ「させんよ」

 火球にアルスの腕がもぎ取られていく。見れば彼の周囲をぐるっと取り囲むように、火球の層ができていた。その数は十や五十じゃ足りないくらいで、きっちりと睨みを利かせている。
 いや、睨みを利かせていると思っていたのは俺だけだった。アルスが腕を一振りすれば、既に失われた彼の肘から先は再生している。明らかに人間ではない現実を目の当たりにして、魔王の規格外をようやく実感した。

282: 2013/07/20(土) 12:44:16.10 ID:tNDiHnyZ0

 アルスはそのまま進んだ。電撃を纏った両腕が、異常な速度でヴァネッサに伸びる。

 火球が急加速。一斉にアルスを撃ち抜こうとするが、アルスに反応は見られない。回復に自信があるのか、それとも打ち落とす算段があるのか。

ヴァネッサ「マジックアイテム、まだら蜘蛛糸ッ!」

 空間から飛び出した粘糸がアルスの四肢を絡め捕り、力づくで地面に押さえつける。アルスはそれに自らの膂力で立ち向かって、体勢は崩しながらもなんとか片膝で堪えていた。

 迫る火球。

 刃の壁が全てを防ぐ。

 同時にアルスの手から光が迸り、一本の剣を召喚した。それまでの有象無象の刀剣とは違って、圧倒的な魔力を振りまいているのが俺にもわかる。
 絹糸のように粘糸を裂いて立ち上がるアルス。

ヴァネッサ「破邪の剣!? 激レアじゃない!」

 ヴァネッサは後ろへ跳んで距離を取りつつ、大量の草をばら撒いた。赤く揺らめくその草は俺にも覚えがある。
 火炎草だ。

283: 2013/07/20(土) 12:45:07.04 ID:tNDiHnyZ0

 火炎草が空気を吸収し爆発的に燃え広がる。指向性を持ったそれは炎と言うよりも燃焼の塊となって、アルスを一気に飲み込んだ。
 が、しかし、効かない。
 アルスは火炎を破邪の剣で一刀のもとに切り捨て、ヴァネッサの姿を確認すると同時に切迫する。身体能力のあまりの差に、ヴァネッサの後退は間に合わない。

 更なるマジックアイテムを召喚しようとしたヴァネッサの体が揺らぎ、前後不覚になって倒れこんだ。アルスの瞳が妖しく輝いている。精神に作用する何か――恐らくは、アルプから受け継いだチャームの力。

 アルスへと弾丸のように幼女が突っ込んでいく。反射的に剣を振り抜くアルスの太刀は空を切った。命中する寸前、幼女は縮地でアルスの懐に潜り込んでいる。

 一瞬の攻防。交錯した二人の拳が弧を描いて、しかし実力は拮抗しているのか、すり抜けるかのように俺には見えた。
 が、終わらない。二人は着地と同時に踵を返し、再度拳を叩き込もうと地を蹴る。

グローテ「メラゾーマ!」

アルス「邪魔だ!」

 アルスの一睨みで火球の軌道がうねる。全くどういう理屈なのか想像もつかない。

セント「じゃあ、これもチャームできるかい?」

284: 2013/07/20(土) 12:45:35.54 ID:tNDiHnyZ0

セント「ギガデイン」

 空間に鮮烈な光が迸る。あたりを白く染めるそれは雷撃。細かく枝分かれしながら、天空よりアルスにぶち当たった。
 乾いた破裂音。それがあまりにも気持ちのいい音で、雷撃が人に当たり、そして吹き飛んだ音だということを幾分納得できないでいた。
 けれど事実としてアルスは吹き飛んでいる。無論受け身を取って、五体は満足。左肩から指の先までが炭化しているのに表情は相変わらずだ。瞳の奥に、口腔内に、それぞれ宿る瘴気は今も揺らめいている。

 毅然とした表情でアルス。彼に対して向かう四人――セント、ヴァネッサ、老婆、幼女もまたそうだった。距離が空いたのを仕切り直しとばかりに、焦げるような空気を生み出している。
 反面こちらがわ――俺、エド、リンカ、ホリィは呆然としている。戦うつもりはある。だが、あの速度で繰り広げられる攻防に、俺たちが手を出す余裕なんてない。火球を食らうか、悪魔に踏み潰されて氏ぬのが関の山だろう。

アルス「……国のためじゃない。もっと不特定多数のために、俺は必氏でやってきた」

 ぽつりぽつりとアルスが語る。それが先ほどの続きであることはすぐわかった。

285: 2013/07/20(土) 12:46:13.90 ID:tNDiHnyZ0

 絶望に彩られた瞳の色をしているのに、それでもアルスの表情は明るい。そのちぐはぐさが何よりも恐ろしい。

 アルスは大きく両手を広げた。地平線と平行に、空気を肺腑に目一杯取り込むがごとく。

アルス「その結果がこれだ! 俺は守りたいものなんて何一つ守れやしなかった! 笑えるだろう。笑えよ。ばかみてぇだろうが!」

アルス「何のために、誰のためにこうなったっていうんだ! 人間犠牲にしてまで成し遂げる大義なんてあるわけねぇだろうが!」

アルス「俺は魔王だ! だから世界を滅ぼす! 間違っちゃいねぇだろう、なにも、なにもだ! なにもかも狂ってるこの世界をぶっ壊したほうが、いっそ幸せだろうがよ!」

アルス「だから、だから――!」

アルス「だから俺を止めてくれよ!」

アルス「俺の守りたかった世界を、俺から、誰か、守ってくれ!」

286: 2013/07/20(土) 12:46:47.22 ID:tNDiHnyZ0

 弾けるようにアルスは飛び出した。彼の眦には涙が滲んでいる。既にアルスという人格は失われ、瘴気のみが突き動かしているというのに、である。

 アルスは彼自身が既に一本の矢だった。彼はもう自らの力では止まることができない。そして恐らく、空気抵抗や重力と言ったものからも、解放されている。
 止まるためには何かに突き刺さる必要がある。その何かが、きっと俺たちなのだ。

セント「私が」
九尾「九尾が」
グローテ「わしが」

「「「守ろう」」」

 三人が口を揃えた。ヴァネッサは苦笑しながら本を開いている。

 まず幼女が一歩前に出、アルスと拳をぶつけ合う。右腕を掻い潜り、鳩尾を狙おうとするのをアルスは予測している。自らの体へと魔方陣を展開させるのを見て、九尾は一歩退いた。
 入れ替わりに火球が、そして光球が左右から僅かな時間差で撃ちだされる。右側の火球が早く、左側の光球はやや遅い。必然的にアルスは左側へと逃げざるを得ない。
 恐らくそれが誘導であることを彼自身知っていた。握りこんだ拳に雷撃を籠め、先に待っているヴァネッサと悪魔へと向かう。

287: 2013/07/20(土) 12:47:19.82 ID:tNDiHnyZ0

グローテ「なかなか良く息を合わせてくれるなっ」

 老婆が息を切らせながら叫んだ。視線は真っ直ぐにアルスへ向いているが、確かに高揚しているらしかった。

セント「これくらいは、造作もない!」

 悪魔の拳が空を切る。アルスの剣戟は悪魔の手首から先を切り落とすが、そこから吹き出すのは血液ではなく黒炎だ。それを直に浴び、思わず背後へと転がっていく。

ヴァネッサ「踏み潰せっ!」

 悪魔が跳びあがる。着地点は当然アルス。
 アルスはすぐさま回避行動に移るが、右手と左足が動かない。まるで地面に縫い付けられているように。
 いや、事実縫い付けられていたのだ。きめ細やかな糸が絡みついている。

ヴァネッサ「既に放っておいたのよねぇ、まだら蜘蛛糸」

 爆裂音とともに悪魔が空中で吹っ飛んだ。アルスの周囲に二門、砲台が編まれている。

九尾「神父よ、行くぞ!」

セント「了解した」

288: 2013/07/20(土) 12:47:48.42 ID:tNDiHnyZ0

 幼女とセントが砲弾の雨を掻い潜りながらアルスに切迫する。アルスは破邪の剣を召喚してまだら蜘蛛糸の束縛こそ断ち切っているが、明らかに体勢を立て直せてはいない。
 神父の青い瞳と、幼女の金色の瞳が、螺旋を描きながら高速で移動していく。

九尾「しかし、貴様、一度は氏んだ身だろう? 地獄から舞い戻ったか」

セント「なんで貴方がそのことを知っているのか、私は理解に苦しむよ」

 砲弾を反射神経と膂力のみで幼女が打ち砕く。あれは最早幼女ではない。単なる化け物だ。

九尾「この九尾にわからないことなどない! 心を読めば一発だ!」

セント「……目を覚ませば森で寝ていた。それだけだ」

セント「貴方との会話は興味深いが、今は」

九尾「そうだな、九尾もそう思うぞ!」

セント「アルスを」

九尾「ああっ!」

 奇しくも二人は挟撃の形となった。背後からセントが、正面から幼女が突っ込んでいく。
 同時に老婆がメラゾーマを放つ。その数、おおよそ十数個。二人ごと焼き尽くす量である。

289: 2013/07/20(土) 12:52:09.40 ID:tNDiHnyZ0

アルス「メイルストロム!」

 巨大な水流が突如として現れ、二人を火球ごと吹き飛ばす。水に飲まれながらも二人は受け身を取り、無事に着地した。

ヴァネッサ「頭上がお留守よ!」

 頭上から降ってくる大量の草、草、草。――火炎草。
 そして更に、悪魔と、その肩に乗ったヴァネッサも!

 まるで焼夷弾のような振る舞いに、流石のアルスも退避しきれない。燃焼は更なる燃焼を呼び、連鎖に次ぐ連鎖、暴れ狂う火炎と熱風がアルスを飲み込む。
 そうして一拍。地面を大きく揺るがして、悪魔が地面へと落下した。

ヴァネッサ「うそぉ……」

 驚きも当然だった。炎に包まれたまま、アルスは片手で悪魔を受け止めていた。

ヴァネッサ「ギガス写本!」

 地面に黒い影が落ち込んで、そこから悪魔の腕だけが現れる。アルスを捕えようとするが、寸前で破邪の剣が切り裂いた。
 幼女が走る。老婆が詠唱する。セントの放った光球は、アルスが悪魔を投げつけて相殺させた。

290: 2013/07/20(土) 12:53:27.23 ID:tNDiHnyZ0

エド「行くぞ」

リンカ「でも、あんなのに!」

 太刀打ちできるのか。そもそも入っていけるのか。

エド「知らん! 知らんが、苛々するんだ! 見ているだけの俺は、もう嫌なんだ!」

 リンカが眼を見開く。その言葉に心当たりのないリンカではない。
 沈黙は僅か数秒。すぐに立ち上がった。

ホリィ「私も行きます」

リンカ「あんたはケンゴの様子を見てて。ぼろぼろじゃない」

ホリィ「そんなのみなさん同じです! 折角あの二人に出遭えて、ここでじっとなんてしてらんないです!」

 あの二人――グローテ・マギカとフォックス・ナインテイルズ。

リンカ「そ、そうだよ! ケンゴ、あの二人がいるんだよ! 絶対氏んだらだめなんだからね!」

 嘗て俺のことを助けてくれた二人。あぁ、そうだ、俺は彼女らのようになりたかったのだ。弱気を助け、強きを挫く、そんな正義の味方に。
 こんなところで寝てはいられない。あぁ、そうさ。

 けど。

291: 2013/07/20(土) 12:54:10.38 ID:tNDiHnyZ0

 俺は老婆と幼女に視線を向けた。

ケンゴ「あの二人は、誰だ?」

 正義の味方の名前を騙る二人の顔を、俺は一度も見たことがなかった。

――――――――――――――――――

295: 2013/07/23(火) 17:38:15.05 ID:y6mAtU2j0
――――――――――――――――――

 俺が彼女らに助けてもらったのは随分と昔のことで、向こうはローブを着こんでいた。果たしてはっきりとした記憶が俺にあるかと問われれば、実際問題、難しい。
 しかし、あの二人の勇者を名乗る老婆と幼女は、どう見ても俺の記憶とは異なっていた。それはもう言い逃れできないほどに。
 単に俺の記憶違いなのか、それとも彼女らが何らかの意図をもって虚言を吐いているのかはわからない。だが、俺はどうにも納得がいっていなかった。

 過去に助けてくれた旅人を伝説のそれだと信じたのは、勿論酒場の親父に言われたからというのもあるが、あの時彼女らは確かに言ったのだ。困った顔でその名前を。
 それとも、あれは単に当時有名だった名前を偽名として用いただけだったのか。

 いや、と俺は自問する。ただし彼女らの正体ではない部分で。
 果たしてその考えに今まで一度も至らなかったか? あれが伝説の旅人であると盲目的に信じ込んでいたか? ――答えは、否。
 あぁ、だからそうなのだ。俺までもが惑いの森に呑みこまれた理由。俺は自らの記憶を改竄していた。あれが件の二人ではないのかもしれないと思いつつも、意識的に無視していた。

 それこそが惑いだったのだ。

 自らの根底が大きく揺るがされたのを感じる。今はそんな場合でないと知っていても、思考はどうしたってそちらへ向く。あの二人は、そしてこの二人は、一体誰だったのか/であるのか。
 が、アルスが二人と顔見知りであり、かつ名乗りに不自然さを感じていないということは、即ち二人が本物であることの証左であると言える。だとすれば、あの日の二人は一体……。

 やはり俺は偽名に憧れていただけなのか。

296: 2013/07/23(火) 17:38:42.39 ID:y6mAtU2j0

 揺れる心と相反するように、自らを鼓舞する自らもまたふつふつと湧き上がってきていた。深いことを斟酌する余裕すら、逼迫した現状では存在しないということでもある。
 記憶の中の恩人が別人であるからと言って、俺の為すべきことは変わらない。そうだ、変わらないのだ。

 ホリィの制止を振り切って立ち上がる。

ケンゴ「行こう」

 この四人ならどんな困難でも乗り越えられる――とは言えないけれど。
 他の三人が隣にいれば、俺はただただ頑張れると思うから。

 わからないことを考えても詮無い。ならば俺は、短いながらもともに旅をした仲間とともに生きよう。そして自分にも嘘をつく必要はない。ただ誰かを助けたいだけなのだから。

 嵐のような戦闘が俺の目の前で起こっている。そう、これは嵐だ。吹き荒び、触れる者すべてを一瞬で瓦解させていく、嵐!
 しかし怯えてなどいられない。エドではないが、最早見ているだけなんて気楽なポジションではいられない。

 アルスと幼女の肉弾戦。速い。膂力もある。腕を振り上げるたびに空気がうねり、筆を振り下ろすたびに音が聞こえる、そんな恐ろしいレベルの戦闘。
 幼女が右へ回り込んだと思った次の瞬間には左へ移動し、アルスもきっちりとそれについていけている。俺にはその動きの端すらも捉えることはできない。

297: 2013/07/23(火) 17:39:10.81 ID:y6mAtU2j0

 火球がアルスを襲う。幼女ごと灰燼に帰すその物量を、けれどアルスも幼女も器用に回避しながら戦闘を続けている。無論火球はアルスを狙っているので、そちらのほうが密度は濃い。バランスを崩す。
 そこへ悪魔が降ってきた。しかも二体。

 それらは丸太のような腕でもってアルスを襲う。いったん距離を置き、刀剣。しかし悪魔は串刺しになるが幼女もヴァネッサもそれを避け、攻撃を続ける。

 セントが雷撃を放つ。迅雷の速度をさすがのアルスも見切ることはできないのか、喰らった左腕が炭化した。けれどすぐさま再生――全く信じられないことだ。

ケンゴ「エドッ!」

エド「おう!」

 即応。俺たちは突っ込んでいく。

九尾「なんだお前らは、氏ぬぞ!」

ケンゴ「見ているだけなんて、ごめんなんです!」

 幼女は驚きなのだろうか? 僅かに間をおいて、アルスへと突っ込んでいく。

九尾「勝手にしろ。氏ぬなよ。九尾はそういうのは嫌いなのだ!」

298: 2013/07/23(火) 17:39:37.48 ID:y6mAtU2j0

セント「二人はフォックスの援護を! 逃げ場を防ぐ意識で頼む!」

「「はい!」」

アルス「仲間ごっこしてんじゃああああああねぇええええええ!」

 桃色の火炎が降り注ぐ!
 粟立つ肌。視界が歪み、――あぁ、これは、なんというか……よくない!
 頭の全てが持っていかれそうになる。首から上と下でまるきり指示系統がべっこな柔らかいスプーンの天井。
 金属は豆腐だった。電気? それじゃあだめだよ。そうしたら菱形の木の実を吐きだすじゃないか。

セント「ザメハ!」

セント「……大丈夫か」

 意識がはっきりした時には、セントが俺の目の前に立っていた。すぐさま踵を返して立ち去るが、あぁ、そうか、俺は炎に魅了されていたのか。

 立ち上がり、走る。そのたびに骨が軋んで、傷から血が吹き出そうとも。
 あと五分生きていられるなら氏んだって構わない。アルスをなんとかしなければ、本当に彼は、世界を滅ぼすだろうから。

ホリィ「遍く風の聖霊よ! 春、夏、秋、冬、全てに生きる者よ! 舞い降りよ! 叩き潰せ! そこはそなたの集まる地なり!」

ホリィ「バギマ!」

299: 2013/07/23(火) 17:40:26.87 ID:y6mAtU2j0

 上空から叩きつけた風の塊は、しかしアルスの放った障壁によって防がれる。
 そしてそこに突っ込んでいく幼女とヴァネッサ――俺たち。

アルス「なんでっ、てめぇらが、俺を倒そうとするんだよぉおおおおおっ!」

アルス「てめぇらだって犠牲者のくせに、この世界を守ろうとするんじゃあ、ねぇっ!」

 攻撃を受けて幼女が吹き飛ぶ。一瞬だけそちらに気を取られたが、よそ見をしている暇などないと思い直す。

 アルスの体が帯電し、手のひらがこちらに向けられた。

アルス「この世界に価値なんてねぇ! 自覚しろ! 悩め! 俺はてめぇらの心の中にいるんだ!」

アルス「ギガデイン!」

セント「マホカンタ!」

アルス「しゃあらくせぇ!」

 雷撃は容易くマホカンタを打ち破る。ガラスの砕ける音。白く染まる視界。

ヴァネッサ「いただきまぁす!」

 ヴァネッサの腕が伸びた。そのまま閃光を、稲妻を掴んで、咀嚼、嚥下。
 信じられない。信じられないが――このチャンスを逃すわけにはいかない。

300: 2013/07/23(火) 17:40:54.44 ID:y6mAtU2j0

ヴァネッサ「信じられない魔力量! 驚きよね!」

ヴァネッサ「けど――だめ」

ヴァネッサ「この魔力、腐ってるわ」

ヴァネッサ「マジックアイテム! 引き寄せの巻物!」

 手元に現れた巻物を広げると、急な重力の転換を感じた。
 視界が歪む。体が吸い寄せられる。気が付けば俺は、俺たちは、ヴァネッサの周囲に移動していた。
 その中には当然アルスもいる。

ヴァネッサ「アーンド、金縛りの巻物!」

 今度は足が地面に張り付いた。体は動くが、脚だけが全く動かない。

アルス「小癪な真似をしやがって!」

ヴァネッサ「さぁ! やっちゃいなさい!」

九尾「ヴァネッサ、貴様……!」

ヴァネッサ「九尾! 来世で会いましょう!」

 俺たちは既に剣を振り上げている。ヴァネッサの意図がそのやりとりで分かったからだ。

 彼女は恐らく氏ぬつもりだ。

301: 2013/07/23(火) 17:41:27.45 ID:y6mAtU2j0

 剣を振り上げた俺たちには目もくれず、当然アルスはヴァネッサを狙う。周囲では俺たちを挽肉にしようとメラゾーマが滞空していたからだ。このままでは流石にアルスも回避は取れない。
 俺の剣が脇腹に、エドの剣が肩に食い込む。致命傷は避けられたが、それでも大きな一打のはずだ。

 が、まるでそんな怪我など、痛みなどとうに置いてきてしまったかのように、アルスは徒手空拳でヴァネッサへと襲いかかっている。実力は圧倒的にアルスの方が上だ。悪魔を召喚するためのギガス写本すら開かせてはもらえない。

 ごぶり、と嫌な音が耳に障った。

 ついにヴァネッサの胸にアルスの貫手が突き刺さっている。

 それと足が離れるのは殆ど同時だった。そしてメラゾーマが数十と言う単位で放たれるのも。
 回避行動をとるアルス――させない。させるわけにはいかない。例え一緒に焼け氏んだとしても!

 縋りつくかのように俺たちは刃を振り上げた。身をよじるアルスの顔が激痛に歪む。

リンカ「ヒャダルコ!」

 空間に瑕疵――否、出現座標は、アルスの怪我そのもの。
 血液をそのまま媒介にして、アルスの体内から赤い氷柱が食い破って出てくる。流石のアルスもこれは回避できなかったのか、大きく体をよじらせた。

 炎で俺たちの肌が大きく照らされる。
 着弾まであと一秒もかかるまい。

302: 2013/07/23(火) 17:41:59.16 ID:y6mAtU2j0

「させ、ない」
「魔王様になにすんのよっ!」

 別種の煌めきが火の玉を全て打ち砕いた。
 炎のような橙ではなく、まるで陽光のような輝きを伴うその手数。俺はそれを見たことがある。いや、ないわけがない。

ケンゴ「なんで生きているんだっ!?」

インドラ「魔王様のため」
トール「それ以外にあるわけないじゃん!」

 いや、違う。そういうことじゃあないのだ。

 右腕がない。顔面は半分欠損して靄になっている。腹部には大きく穴が開いて背骨が見えている。全身の火傷。殆ど炭化し皮膚と撞着した衣服。五回は氏んでもいいほどの怪我だというのに!

 それらが全てアルスのためで何とかなるものなのか? もしそうなのだとすれば、それほどまでに気の違った存在を、俺は見たことがない。
 ゆえの人外なのか。

アルス「形勢逆転、ってやつだな」

 アルスは笑った。とても悲しげな笑みだった。
 俺はその理由を知っている。彼はこの頃し合いに負けたいのだ。彼の絶望がどうであったとしても、彼の心の根っこの部分は、ただ純粋に平和を願っているだけだ。

303: 2013/07/23(火) 17:42:25.19 ID:y6mAtU2j0

 光の矢が俺の右腕を穿った。
 更なる大量の光。視界の端にエドが映ったと思ったら、エドは俺を突き飛ばしやがった。なにやってんだこいつ!
 そんないい笑顔してんじゃねぇよ!

 視界の中でエドが穴ぼこになっていく。
 血液も、肉片も、残らない。

「頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す」
「頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す頃す」

 殺意を全く隠さずに黒髪と白髪が突っ込んできた。目標はアルスといちばん近い俺。回避は、間に合わない。

セント「ギガデイン!」

 落雷が二人を足止めするが一瞬だ。その一瞬の間にセントが俺たちの間に割って入り、光の矢を光球で、戦槌を錫杖で受け止める。

グローテ「次から次へと厄介な!」

 火球が黒髪に直撃する。満身創痍なためか、やはり動きは鈍い。ただ問題はその生命力と回復力、何より執念だ。顔面に直撃したというのに、殆ど眼球がその機能をはたしていないだろうに、黒髪はすぐさま立ち上がって突っ込んでくる。

304: 2013/07/23(火) 17:42:53.99 ID:y6mAtU2j0

ホリィ「神父様!」

 セントを淡い光が包む。殆ど同時にアルスが魔方陣を描きながら周りこんだ。
 三対一の構図はきつい。俺は援護に入ろうとして、流石に血を失くしすぎたのか、ぐらりと大きく体が揺らいだ。
 それを根性で無理やり地面を踏みしめさせて、蹴り出す。

ケンゴ「うぉおおおああああああ!

 大上段からの一撃。回避行動すらとられず、召喚された刀剣によって防がれる。

セント「くっ、ベホイミ、ギガ――」

アルス「お前は後衛だろうがよ!」

 詠唱よりアルスの突貫のほうが早い。急加速。一歩で五メートルを稼いで、セントの喉首へと手を伸ばす。

グローテ「させん」

 何とか二人の間に障壁が貼られ、アルスの腕はそれに弾かれる。
 セントは帯電させながら一歩後ろへ跳んだ。彼女の眼前では破邪の剣によって障壁が十文字に切り裂かれたところだった。

 追いすがるアルス。

305: 2013/07/23(火) 17:43:20.98 ID:y6mAtU2j0

アルス「セント! お前は絶対に氏んでた方が幸せだった! なんで、どうして生き返っちまったんだ!」

セント「おいおい、それが恋人に言う言葉かい!」

 やはり肉弾戦ではアルスに分があった。セントはなんとか術式を交えながら対応しているけれど、刀剣、砲弾、魅惑の炎によってじわじわ血の面積が増えてきている。

アルス「恋人だったからだ。これは俺の愛だ。こんな世界、生きてるだけで辛くってしょうがねぇ!」

アルス「そういう意味じゃクルルとメイはあれでよかったのかもしれねぇなっ!」

セント「その名前。クルルと、メイ。私がいない間に他の女ができたね?」

セント「正気に戻ったら詳しく聞かせてもらうよ」

アルス「あぁ! あの世でたっぷりとな!」

 光球を放つために伸ばした腕の関節をアルスが極める。セントはアストロンで対抗し、重量を保ったまま鉄山靠でアルスを吹き飛ばした。
 攻守逆転。今度はセントが追撃を仕掛けるが、受け身を取られてダメージはなかったと見えて、雷撃を放つ。
 刀剣を避雷針としたアルスがそのままセントを狙う。

306: 2013/07/23(火) 17:43:46.66 ID:y6mAtU2j0

セント「先ほどの答えを返そう!」

セント「『なんで生き返ったか』――それは簡単なことなのさ!」

セント「困っている人は放っておけないだろう!? 聖職者として! 何より、仲間として!」

セント「アルス! 私はきみのことを、今でも仲間だと思っているよ!」

 ホリィの口癖をセントは言った。恐らく順番的には逆なのだろう、それを。
 アルスは小さく舌打ちをする。

 魔法と肉体が大きく激突する。

リンカ「ホリィ、合わせて!」

 脂汗を流しながらリンカ。対するホリィも似たような状況だ。魔力の枯渇、それに純粋なダメージのこともある。
 が、二人もここが正念場だとわかっている。膝は折れても心は折れない。

307: 2013/07/23(火) 17:44:13.27 ID:y6mAtU2j0

ホリィ「う、うんっ!」

リンカ「その名は凍結! 透き通り、屈折するプリズムと、冷気の通り道を啓く導よ! 突き刺し、満ち、生まれよ! 我が命ずるままに敵を討て!」

ホリィ「遍く風の聖霊よ! 春、夏、秋、冬、全てに生きる者よ! 舞い降りよ! 叩き潰せ! そこはそなたの集まる地なり!」

リンカ「一人じゃだめでも、二人なら……!」

ホリィ「いきましょう、リンカちゃん!」

「「マヒャド!」」

 冷気は空気中の水分を凝固させ、煌めく氷塊となる。そして突風はそれを猛烈な勢いで叩きつける。
 身を引き裂く吹雪がアルスに向かっていく。単なる鋭さだけではない。同時に視界を悪くする効果もあった。

 一瞬にして焦土は雪原と化した。そして白へと滴るアルスの赤。全身が氷塊によって削れていたが、一際腹部に大きな裂傷が走っていた。氷が腹へと突き刺さったのだ。

トール「あーもう、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔だって!」

インドラ「撃ち、抜く」

トール「任したよ! アタシは魔王様の敵を!」

308: 2013/07/23(火) 17:44:41.93 ID:y6mAtU2j0

 降り注いだ光の矢は正しく滝となってマヒャドを相殺させる。粉のレベルまで文字通り粉砕された氷の破片が、陽光に照らされてきらきらと眩しい。
 その中を突っ切る戦槌。

 雷撃が黒髪を吹き飛ばす。

アルス「もらった」

 が、その隙にアルスが切迫している。

 力任せのぶん殴り。それをセントは錫杖で受けるが、受けた部分から真っ二つに破壊される。左腕に直撃し、そのまま十メートルほど地面を転がった。
 セントの左腕があさっての方向を向いている。右足首も同様だった。

 光の矢がリンカとホリィを襲う。なんとか二人を突き飛ばす形で避けるけれど、こんなまぐれが二度続くとは思えなかった。白髪は虹の弓を構えたままじりじりとこちらへ近づいてきている。

ケンゴ「大丈夫か!?」

リンカ「心配はあと! 来るよ!」

ホリィ「マホカンタ――!」

 光の矢を受けて対魔法障壁がぎちぎち軋む。どれほどまで耐えられるか、保障はない。ホリィの魔力にも限界がある。

309: 2013/07/23(火) 17:45:10.91 ID:y6mAtU2j0

グローテ「退けろ!」

 更なる障壁の展開――そして巨大なメラゾーマが白髪を襲う。それは今までとは異なって、光の矢を受けても相殺されず、寧ろ己に取り込んでどんどん巨大になっていく。
 着弾。破裂した火球は火炎となってあたり一面にまき散らされる。

インドラ「危険」

 燃えた衣服を気にすることなく最短距離で白髪が突っ込んでくる。

グローテ「しつこいやつじゃ!」

 火球の連打。白髪は依然として最短距離を、その身を晒してでも向かってくる。最低限だけの光の矢を放ち、あとは彼女の背後に背負って、何が何でもこちらを頃しに来る算段だった。

インドラ「さよなら」

グローテ「させるかよっ!」

 一際白髪の背後が明るく染まった。と思った次の瞬間、百を優に超える光の矢が、弧を様々に描きながらこちらへ向かってくる。

グローテ「障壁――いや、間に合わない、ここは、やはり、これしか!」

グローテ「植物よっ! 喰らい尽くせ!」

310: 2013/07/23(火) 17:45:38.90 ID:y6mAtU2j0

 緑色の波動が迸ったかと思えば、光の矢の軍勢を中心としたあたり一面が、植物の園と化していた。白髪は弓を握っていた左手を中心として、見覚えのない蔦にからめ捕られている。
 ふらり。白髪の足が揺らぐ。そのまま片膝をついて、けれど視線は真っ直ぐこちらに向けて、光の矢を顕現した。

ホリィ「危ないっ!」

 叫びと同時に俺は振り向いて、顔面に何かの飛沫がかかるのを感じた。
 暖かい飛沫。
 生命の熱。

 光の矢がホリィの胸を射抜いていた。

 狙われていたのは恐らく老婆だ。それを、身を挺して……。

リンカ「ち、くしょう!」

リンカ「ヒャダルコ! ヒャダルコ! ヒャダルコォッ!」

 氷魔法の連打。俺は合わせて飛び出した。リンカの瞳から、鼻から、血が噴き出していたのだ。このままでは危ない、一刻も早く何とかしないと、リンカまでもが!
 大量の光の矢が眼前に――眩しくて目を開けてなんていられない。けど、しっかり前を向いて彎刀を握り締めなければ、俺はあいつを殺せない。

311: 2013/07/23(火) 17:46:07.99 ID:y6mAtU2j0

 と、そのとき、

「ごちそうさまでした」

 妙に幼い声が聞こえた。

 思わず声の方を向いてしまう。

 血に塗れた着流しと、口の周りを真っ赤にした、幼女が立っていた。
 澄んだ瞳。憐れみを湛えた瞳は彼女の足元に向けられていて、

 ……足元?

 には。
 氏体、が。

 血だまりに浮かんだ白い髪の毛と赤い斑点。
 ヴァネッサ。

 腹が開かれ、臓物が――あるはずのそれが、悉くない。

九尾「知っているか? 九尾は人間を喰うのだ」

九尾「魔力は血に宿る。……こんな供養の仕方ですまんな、ヴァネッサ」

九尾「勇者。貴様が一人で四人なら、こちらも二人三脚で行くぞ」

―――――――――――――――――――――――――

316: 2013/07/31(水) 15:58:02.10 ID:Iy6ndwso0
―――――――――――――――――――――――――

アルス「どういう風の吹き回しだ。感傷に浸るなんて、まるで人間じゃねぇか」

九尾「まさしくそのとおりだ」

 自嘲気味に幼女は言った。

九尾「有り得ない話だ。有り得ないと思っていた」

九尾「もしかしたら血に宿るのは魔翌力だけじゃあないのかもな、なぁんて」

アルス「笑えねぇよ」

アルス「人間の俺が化け物になって、化け物のてめぇが? 世界ってのはそんなきれいな関係になってねぇ」

九尾「あぁそうだ。そうだとも。わかるぞ、勇者」

アルス「だからそう呼ぶんじゃあねぇっ!」

 激昂とともにアルスは跳んだ。旋風となって、声や気配を置き去りにして、一直線に幼女へと飛びかかる。

九尾「イオナズン!」

317: 2013/07/31(水) 16:00:32.59 ID:Iy6ndwso0

 大爆発が三連打。光、熱量、爆風に目を開けていられない。しかしアルスがそれに捉えられていなかったことは、なんとなくだが想像がついた。
 一瞬にして幼女とアルスは切迫、互いの拳を撃ちつけ合う。

 衝撃で俺は、いやセントもリンカも尻もちをつく。あれはおかしい。異次元だ。内包された魔力の量がそもそもこの世のものではない。

リンカ「あんなの……私たちにどうしろって、いうのよ!」

 リンカが叫んだ。その通りだった。俺も同じことを考えていたからだ。
 アルスは今まで本気ではなかった。無論、それはアルスの中のアルス――瘴気に侵されていない彼がそうさせていたのだろう。しかし段々とその抵抗も尽きかけている。
 これは戦闘ではない。決戦だ。

 そしてそこに俺ら凡人の介入の余地はない。

セント「は、は……参ったね、どうも」

 骨折の激痛に顔を歪め、セントが呟く。俺は血の滲む体を引きずりながら、何とか彼女の下へと歩み寄った。

セント「魔王とは知っていたけれど、これほどかい……」

ケンゴ「どうすりゃいいんだよ!」

セント「それは私よりあそこのおばあさんに聞いた方がいいね」

 ローブについた泥を払い、老婆がこちらへ駆け寄っていた。

318: 2013/07/31(水) 16:01:51.24 ID:Iy6ndwso0

セント「グローテ・マギカ。超が付くほどのお偉いさんさ。私とは比べ物にならないくらいの、実力者」

 グローテ・マギカ。やはり。あの、老婆が。
 だとすれば、俺を助けてくれたのは……。

グローテ「あいつめ……」

 老婆――グローテ・マギカがぼそりと呟いた。あいつとはすなわち、幼女……恐らく、フォックス・ナインテイルズのことを指しているのだと思われた。

グローテ「状況は逼迫している。アルスは既に堕したが、まだ堪えている。瘴気が完全にあいつを包むより先に、打倒せねばならん」

グローテ「こちらの戦力は半ば壊滅状態。増援も期待できん。が、やるしかない。儂らのしりぬぐいをさせて、申し訳ないと思っている」

 彼女らがなぜここにいるのか、そしてアルスとどういう関係なのかを俺は知らない。ただ、並々ならぬ深い関係、絆と言い換えてもよいそれがあるのは明白だ。

グローテ「まだ助かるやもしれん仲間もいる。放っては置けないな」

 応急処置を施されたホリィを横目に、老婆は続けた。

グローテ「九尾だけに頑張らせはしないさ。悪いが、もうひと踏ん張りしてくれ」

319: 2013/07/31(水) 16:02:25.62 ID:Iy6ndwso0

 こちらの返答を待つことなく老婆は走った。杖を一振りして火球を展開、それをいまだ格闘戦の渦中にあるアルスへと叩き込む。

グローテ「アルス! 儂は、お前に何度も助けてもらった。そんなことはないと、もしかしたらお前は言うかもしれん。が、しかし!」

グローテ「事実としてそうなのだ! 国のために民を犠牲にしてきた儂は、最早なりたかったものとは程遠い! お前は十分いい夢を見せてくれた。お前の生き様が儂をどんだけ慰めてくれたことか!」

グローテ「じゃから、これは言うなれば恩返しよ、アルス! 聞いておるか! 瘴気の中まで、魔王の意思の奥底まで、儂の声は届いているか!? なぁアルス!」

グローテ「儂は世界を救おう! お前を倒して、お前が救いたかった世界を、救って見せようぞ!」

 アルスは全ての火球を、幼女と戦ったままで打ち砕く。方法は、なんてことはない。ただ拳で殴る、それだけだった。
 それだけなはずがあるか!

セント「私も、そろそろ行こうか」

リンカ「そんな体で!」

ケンゴ「無茶です!」

セント「治癒魔法で幾らかは治ったさ。それに、無茶とわかっていても、体は動く」

セント「約束してしまったからね。アルスと」

320: 2013/07/31(水) 16:03:27.88 ID:Iy6ndwso0

 確かに骨折していた部分は真っ直ぐになっている。けれどどう見たって顔色が悪い。呼吸は浅く、肌は白く、瞳孔が開いていた。典型的な魔力の枯渇、その一歩手前の状態。
 しかし、何を言っても聞かないだろうということは明白だった。俺は彎刀を手に取り、なんとか立ち上がる。

 リンカが驚愕の顔をした。俺は困った感じで笑う。
 彼女も、また笑い返す。自らの血に染まった真っ赤な顔で。

 そう、無茶だとわかっていても、体は動く。
 動いてしまう。

 老婆は依然火球を連射している。降りしきる火炎の驟雨。その中で繰り広げられているアルスと幼女の激闘は、援護もあってか、僅かに幼女の方が有利に見えた。
 アルスの右腕が幼女に当たる瞬間、幼女は空間を移動してアルスの背後へと現れる。そこへアルスは刀剣を召喚するも、それらは悉く幼女の拳で叩き折られた。

 幼女の鋭い貫手がアルスの頬を掠めていく。カウンターで刀剣の召喚と、さらに編まれる幾多の砲弾。

九尾「マジックアイテムッ! 場所替えの杖!」

 現れた一本の杖を振った瞬間、淡い光が二人を包む。
 一拍置いて、二人の位置が入れ替わった。全ての砲弾が、刀剣が、そのままアルスを狙っている。

321: 2013/07/31(水) 16:04:53.26 ID:Iy6ndwso0
アルス「効くかよぉおおおおっ!」

 桃色の光が迸った。チャームによってそれら全ては大きくうねり、弧を描いて、アルスの支配下に置かれたのちに再度九尾へと叩きつけられる。

 火球が刀剣と砲弾を飲み込む。その下を掻い潜り、縮地でもって九尾はアルスの懐に潜り込んだ。

九尾「金縛りの巻物」

 逃げられない。アルスの両手首を九尾が捉えている。

セント「空晴れ渡り! 山々遠く! 優しく満ちるは春の陽光! 過ぎて一瞬、落ちるは霹靂!」

セント「ライデイン!」

 まさしく電光石火の速度で去来した雷撃を、アルスはなんとか左手を炭化させるだけで堪えた。肘から先がぼろぼろと崩れ落ちていく。
 当然その隙を幼女が見逃すわけがなかった。金縛りを解除し、一歩、さらに踏み込む。

 アルスもさらに踏み込んだ。ほぼゼロ距離の交錯である。俺は走りこみながら、二人の余波に耐える準備だけをした。

 鎚を振り下ろしたような音だった。鈍く、腹に響く音だ。それがアルスの体から聞こえてきて、瘴気を振りまきながら、アルスは防御の体勢のまま数メートル吹き飛んだ。
 地面をバウンドしながらも受け身を取り、砂埃を上げながら滑っていく。摩擦で接した革靴の底が燃えていく。

322: 2013/07/31(水) 16:06:19.94 ID:Iy6ndwso0

 さらに追いすがる幼女。幼女は俺へと目配せをすると。手を伸ばした。

 わけもわからずその手を取る。
 急加速。

九尾「堪えろよ!」

 それがぶん投げられたのだと理解するには一秒かかって、そしてその一秒で、俺はアルスへと右膝を叩き込んでいた。
 あの幼女、俺を投擲武器として使いやがったか!?

九尾「安心しろ、少年。九尾は人間を人間として扱うさ! 人間とは違ってな!」

 皮肉気味に叫んだ幼女は俺などお構いなし、手の中に生み出した草を噛み千切った。

九尾「ピオラ、加速草!」

 一瞬で幼女の姿が消失する。と思った次の瞬間には、彼女はアルスの片耳を切り落としていた。
 即座に反転するのが見える。そしてそこから先はもう見えない。

 一際甲高い剣戟の音が聞こえた。幼女の左手の指が数本折れて、そこから血が流れている。
 対するアルスの手首もあらぬ方向を向いていた。ダメージで言えばアルスの方が大きいだろうか。

323: 2013/07/31(水) 16:06:50.40 ID:Iy6ndwso0

 アルスの初動を感知して俺は突っ込んだ。重たい体。自分のものではない気さえするそれを無理やりに動かして、回避されるのはわかりきっていても、それでも!
 薙ぎ払いを剣の腹で受け止められたのは偶然と言っていい。俺は見切れていなかった。が、そもそも、膂力をこらえきれない。そのまま吹き飛ぶ。
 視界の端で火球と雷撃、氷塊が一斉にアルスを襲っていた。刀剣とチャーム、砲弾によってだいぶ防がれるも、幾らかはアルスの体を傷つけていく。

 すぐさま立ち上がった。

ケンゴ「うおぉおおおおおっ!」

 彎刀を勢いに任せて振り抜く。鈍い感触。アルスは刃を残った右手で掴み、止めていた。当然刃は手のひらに深々と食い込んでいる。

ケンゴ「こいつっ、これはっ!」

 俺は恐ろしさを感じていた。同時に、希望を感じていた。
 前者はそれこそ言い続けてきたことである。治癒力、膂力、魔力、その他常識はずれのの能力をアルスは理解していて、それをどう活かせばいいのかもわかっている。だから、俺ならば当然できないことも、余裕でできる。
 そして後者を感じた理由はもっと単純で、一つはアルスが両手を一時的にしろ失ったこと。もう一つは、敷衍して、アルスが両手を失わなければならないほどに追い込まれているという認識からだ。

アルス「人間の分際で、俺に、俺にぃっ!」

九尾「いつぞやの九尾か貴様は!」

 砲弾を蹴り飛ばしながら幼女が俺とアルスの間に割って入る。卒倒しそうなほどの気当たりにも、今の俺は高揚からか耐えることができていた。

324: 2013/07/31(水) 16:07:49.96 ID:Iy6ndwso0

アルス「九尾、お前が言ったとおりだ! 人間を人間として扱わねぇなら、人間なんて滅んじまえ!」

アルス「国なんていらねぇ! 権力なんてクソだ! どいつも正しい道に導けないなら、なおさらだろう!」

九尾「今更アナーキズムかよ!」

アルス「そうだ! 俺とこいつの思想は合致してる!」

 俺と、こいつ。恐らく、それはつまり、そういうことなのだ。

 炭化した左腕、その欠損部の先端から、漆黒の瘴気が粒子となって噴き出す。腕の形にすらならないが、明らかな意思を持って、それは俺たちを襲い始める。
 延伸からの薙ぎ払い。きちんと質量はあるのか幼女はそれを受け止めた。

セント「バイキルト!」

 幼女の体が淡く発光しだす。同時に幼女は瘴気を鷲掴みにして、先ほど俺を投げつけたように、無造作に振り回し――離した。

325: 2013/07/31(水) 16:08:28.47 ID:Iy6ndwso0

グローテ「それだけじゃあ終わらないさぁっ!」

 地面とほぼ平行に吹き飛んでいくアルスを幼女は追う。グローテの放った火球がアルスをさらに打ち上げるのを追尾して、空間転移で先に上空へと回り込み、振りかぶったのちに拳を打ち下ろす。

 固い地面にアルスの体が埋没する。砂埃、石の破片がぱらぱら音を立てながら降り注ぐその光景は、はっきり言ってこの世のものとは思えなかった。が、いまさらではある。

リンカ「危ない!」

 先端を鋭く尖らせた瘴気がセントを貫こうとするも、氷の壁で弾かれる。
 アルスの埋没した地点からはいまも瘴気が漏れ出していて、しかも段々量と密度を増しているように思われた。事実、既に瘴気は漏れ出すというレベルを超え、溢れ出してきている。

 地の淵に手が――最早瘴気に包まれた手がかかった。
 火球、雷撃、氷塊が即応する。一切の躊躇なく、それらはアルスを土に還さんとしていた。

 火柱が立ち上る。漆黒の火炎が。アルスの居場所から。
 漆黒の火炎は火球も雷撃も氷塊も飲み込んで、跡形もなく消滅させた。空気に一層瘴気の臭いが入りまじり、頭が痛くなってくる。
 今までと何かが違うと思った。俺でさえ思えたのだから、歴戦の三人などとうに気づいているのだろう。そちらを向くのはやめておいた。

 今はただ、目の前の脅威から一瞬でも目を離せない。

326: 2013/07/31(水) 16:08:58.09 ID:Iy6ndwso0

 瘴気が立ち上った。

 立ち「のぼった」のではない。立ち「あがった」のだ。

 視界に現れた漆黒のそれは、最早人間ではないように感じられた。
 全身が、それこそ膝から顔面まで、瘴気で覆われている。眼球がある位置すらも例外ではない。ただ、瘴気の奥に僅かに光が見えている。もしかしたらあれが眼球なのかもしれない。

グローテ「瘴気の鎧、というわけかよ」

セント「それだけじゃあなさそうだけれど」

九尾「構わん。戦闘不能にすればいいだけだ」

 その通りだ、と幼女に対して二人は笑って応えた。
 いまだ彼女らがアルスのことを殺さないとしているのは、陳腐な言葉だが凄いことだ。力あるものにのみ与えられた選択肢であると同時に、強い意志と絆を持つ者にのみ与えられた選択肢でもある。
 決して殺さない。戦闘不能にするだけ。

 果たして化け物を相手にそんなことができるのか。

327: 2013/07/31(水) 16:09:23.55 ID:Iy6ndwso0

 ……いや、しなくちゃならない。
 ここでアルスを頃してしまえば意味がないのだ。アルスを犠牲者のままで終わらせちゃいけない。彼を救ってこそ、初めてのゴールがある。
 そう思えば、自然と手にも力が戻ってくる。

九尾「散ッ!」

 同時に展開。打ち合わせなどなかったが、了解があった。俺たちは各方向からアルスへと迫る。
 素早く伸びてくる瘴気の槍。そして砲弾に、刀剣。

リンカ「ヒャダルコォッ!」

 空間に走った瑕疵から冷気が吹き出し、攻撃を防ぐ壁となった。輝く氷の破片が舞い散る中を、駆ける。
 駆ける、駆ける、駆ける!

リンカ「あっちの攻撃は氏んでも止めてやるからっ!」

ケンゴ「頼もしい言葉だぜ……」

 俺より幼女が先んじて接敵する。が、アルスは桃色の火炎をばら撒いて、なるべく近づけないように振舞う。熱と魅了を併せ持つその炎に突っ込むのは自殺行為だ。
 と思った矢先、幼女は腕を一振りして炎をそのまま切断する。風圧で生まれた僅かな隙間に体を滑りこませ、魅了の魔法もなんのその、炎の奥に消えてゆく。
 ……俺なんかの常識で図ったのが間違いだったようだ。

 ともあれ、凡人は凡人らしく、這いつくばって進むしかない。

328: 2013/07/31(水) 16:09:52.71 ID:Iy6ndwso0

 紫電が迸る。セントではない。炎の向こうの発生源……恐らく、アルス。

 痛む足を酷使して加速する。今走らずにいつ走るというのか。

 炎の中から幼女が吹き飛んでくる。一回転して、両手両足を使って着地。そうしてまたすぐに地を蹴った。接地時間など一秒にも満たない、まるで野生動物のような全身のバネに、俺は驚愕するしかない。

セント「おばあさん! この炎、どうにかならないか!?」

グローテ「お前さん神官じゃろ、魅了避けくらい、身に着けておけ!」

グローテ「――仕方がない。雨を降らせてやるさぁっ!」

 アルスの頭上に大きな亀裂が走り、そこから大量の水が降り注ぐ。

グローテ「覚えているか、アルス! この光景を!」

グローテ「一週間分の飲料水、全部ぶちまけてやるよっ!」

 水が蒸発していく。同時に、炎の向こうの黒い存在が姿を現した。
 縦横無尽な瘴気による攻撃を幼女は紙一重で回避し、さらには反撃もしている。手数で言えばアルスが勝っているが、一撃では幼女が勝っているだろう。が、刀剣の召喚も残されているアルスにとって、接敵はそれほど問題ではないはずだ。
 左右から火球がアルスを襲った。腕を伸ばしてそれぞれを防御したアルスは、慣性によって尾を引く炎に呑みこまれる。

329: 2013/07/31(水) 16:10:20.56 ID:Iy6ndwso0

 その間に俺はようやく接敵を果たした。左足を踏み込んで、幾度と繰り返してきた。素振りのフォーム。
 金属音。召喚された刀剣に阻まれ、刃はアルスには届かない。

セント「ライデイン!」

 衝撃がすぐそばに落ちた。刀剣目がけて落ちた雷撃は、そのまま誘導雷を伴ってアルスを襲う。
 威力によって瘴気が弾かれる。しかしアルスの顔が見えることはない。どこまで深く取り込まれているのか想像もつかない。

九尾「余所見をするなぁああああああっ!」

 弾丸のように突っ込んできた右拳がアルスの顔面を殴り飛ばす。吹き飛びはしない。既にアルスの足は、氷によって固定されている!
 大きく仰け反る体。倒れもできない。当然幼女はそこに畳み掛ける。

グローテ「これで終わらせる!」

セント「逃すつもりは、ない」

 太陽がアルスの頭上に生まれていた。
 輝く球体。熱と光が生まれては消え、生まれては消えしていく、氏の象徴。

330: 2013/07/31(水) 16:10:53.25 ID:Iy6ndwso0

アルス「させねえええええええぞおおおおおおお!」

 光が収束していくのがわかった。何かが起こる。避けるか、突っ込むか――当然だ、突っ込むしかない!

 彎刀がアルスの脇腹に突き刺さる。ある程度は切りこめたが、その程度だ。瘴気のせいか鋼の肉体のせいか。
 が、しかし!
 大地を踏みつけ力を全身に籠め、腕と、肘と、肩と、それが全てで、今までやってきたことは全てこのためにあったのだと、そうだ、そうでなければ、今までの、これまでの、何よりアルスの犠牲が、苦しみが!

ケンゴ「うおおおおぉおおっ!」

 ぶちぶちぶちぶちと肉の中に刃が入っていく感覚が伝わる。魔物の命を奪うのとはわけが違う。刃毀れでもしたのかと間違えるくらいに硬い。硬く、難い。

アルス「もう遅いんだよぉおおおおおっ!」

アルス「マダンテ!」

 視界が一瞬にして白く、白く、白く、

グローテ「お前がそれをっ、使うのかよぉっ!」

 老婆の叫びが耳にこだまする。
 地面が捲れあがり、重力が反転。空に向かって落ち込んでいく。

331: 2013/07/31(水) 16:11:26.86 ID:Iy6ndwso0



九尾「マジックアイテム」

九尾「聖域の巻物」



332: 2013/07/31(水) 16:11:58.83 ID:Iy6ndwso0

 それは、なぜか俺たちの周囲でだけ起きていて。

アルス「きゅううううううびぃいいいいいっ!」

 怨嗟をアルスが吐いた。瘴気に包まれた顔であるが、殺意と、敵意に満ち満ちているのだけは、確かにわかる。

 瘴気が蠢く。大量に展開された砲弾、船団、刀剣、魅了の炎。どこまでも広がる殺意は紛れもない本物で、全身全霊を賭けた総攻撃に尻込みしそうになるも、これが最後なのだと思った。
 総攻撃なら、これが最後だ。
 こちらにも、あちらにも、後はない。

 どちらかが詰んでいる。

 降りしきる砲弾と砲弾と砲弾! それを回避した先に待つ刀剣の山を乗り越え、幼女が俺を高く高く打ち上げる!
 そこを砲弾で狙われるが、俺の目の前に顕現するは氷の盾。同時に現れた力場を踏んで、空を駆ける!

333: 2013/07/31(水) 16:12:36.65 ID:Iy6ndwso0

 頭上が翳る。急降下――否、落下してくる武装船団!

グローテ「障壁展開!」

 上空に現れた障壁によって船団が滞空する。軋む音を立てながら、障壁をそのまま踏み潰そうとする武装船団。時間はもってあと十数秒。
 その間に、決める!

セント「空晴れ渡り! 山々遠く! 優しく満ちるは春の陽光! 過ぎて一瞬、落ちるは霹靂!」

セント「ライデイン!」

 雷撃をアルスは避けなかった。瘴気を削られながら幼女に向かっていく。

 幼女の白い手が弾けた。手首から先が失われ、血液をまき散らしながら宙を舞う。
 しかし同時に幼女は応戦していた。蹴り上げられたアルスの体は吹き飛んで、地面を転がって止まる。
 俺の着地点に!

ケンゴ「これでっ! 終わり、だあああああっ!」

 ずん、と。

 確かな手ごたえがあった。

334: 2013/07/31(水) 16:13:45.17 ID:Iy6ndwso0

 彎刀はアルスの背中から突き刺さり、鳩尾のあたりから抜けている。ぼたぼたと流れる血。失われる生命。だが、油断なぞ、できない!
 骨の折れる音を交えてアルスの首がこちらを向いた。同時に伸びる黒い腕。それが俺の腕を掴み、さらに枝分かれして発生した腕が首根っこを掴む。

アルス「終わるかよ、終わって、たまるかってんだ、よぉおおおおおっ!」

アルス「誰かを助けたかった! 誰かを救いたかった! 幸せになってほしかった! その権利は誰にでもあるんだろうが!」

アルス「俺を、止めるんじゃねぇえええええ!」

 頸椎が軋みを上げる。視界の中では四人がアルスの動きを止めにかかっているが、決して俺の首にかかる握力が弱くなることはない。


335: 2013/07/31(水) 16:14:16.54 ID:Iy6ndwso0

グローテ「く、っそぉ……っ!」

 老婆の生み出した蔦がアルスの四肢を絡めている。

リンカ「止まり、なさい、よ、この!」

 冷気がアルスの左半身を凍らせている。

セント「諦めない男だねっ、きみもさぁっ……」

 右腕にはセントが関節を極めた状態で鋼鉄化している。

九尾「これは、く、埒が明かない!」

 金縛りの巻物を使用した九尾は、焦燥を十分にこめて叫んだ。

336: 2013/07/31(水) 16:14:45.29 ID:Iy6ndwso0

 ぎりぎりと力が強くなっていく。アルスの動きを止めるのが精いっぱいで、誰も戦闘不能に追い込めない。俺はと言えば、語るまでもないのだ、くそ!
 このままじゃあ、だめだ。
 氏ぬ。

 誰も助けられずに。

 世界なんて救えなくたっていい。ただ、誰かを。
 ホリィを。
 リンカを。
 アルスを。

 そして、戦いで散っていった人たちを。

 俺は救いたかったのだ。
 救いたかったのに!

 あの二人のように。
 俺を助けてくれた、あの正義の味方のように!

 アルスは言った。誰かを助ける、誰かを救う、幸せになってほしいと願う、その権利は誰にでもあると。
 だから、俺たちだってそうする。そこに理由なんてない。ただ情熱があるだけで。

 どうにもできない。もどかしい。情熱はこんなにも赤々と燃えているって言うのに!

 俺はたった今、本当に意味でアルスの気持ちがわかった。彼が、彼自身から世界を守りたかったように。
 誰かこの世界を救ってくれよぉ!

337: 2013/07/31(水) 16:15:12.72 ID:Iy6ndwso0



 閃光。

 それはきっと、雷のものだと、俺は白く染まった世界で思った。



338: 2013/07/31(水) 16:15:54.80 ID:Iy6ndwso0



「今助けるから。待ってて」

「なにやってんのよ。ばーか」



――――――――――――――――――

346: 2013/08/05(月) 11:51:21.10 ID:ItGBpRpK0
―――――――――――――――

――視点は錯綜する。

 セント・ヴィオランテは思った。あれは誰だ、と。

 リンカ・フラッツは思った。アルスの知り合いなのか、と。

 グローテ・マギカは思った。そんなまさか、と。

 九尾の狐は思った。そういうことだったのか、と。

 ケンゴ・カワシマは思った。もしかして、と。

 アルス・ブレイバは何も思わなかった。既に彼の心は磨滅していた。

「さぁアルス!」

「今度は、私たちが助ける」

 声高らかに、メイとクルルはそう言った。


347: 2013/08/05(月) 11:51:56.09 ID:ItGBpRpK0

アルス「なんでてめぇら生きてるんだ!? 氏んだはずだろぉがよ!」

 返事はインドラ。視認できない雷の矢が、慈悲も感慨もなく、アルスの上半身を消滅させた。
 瘴気の残る余裕もない。

 しかしアルスは立ち上がった。嘗て九尾から与えられたコンティニューの加護。それはいまだに有効で、完璧になじみ切った今では、蘇生に数日もかからない。一瞬だ。
 地面に落下したケンゴが咽て激しく咳き込んでいる。残りの四人はそれぞれ別個の表情をしていて、何も知らない第三者が見れば、さぞかし愉快な光景だろう。
 だが実際は地獄絵図。この世の最果て。戦いの極地。

九尾「くく、は、くは、あはははははははは!」

 突然の九尾の哄笑に全員が彼女の方を向いた。それは敵であり魔王であるアルスさえもであった。
 気が触れたのだと思われてもおかしくはない九尾の様態に、全員が動けない。

 そうして九尾は、今度はぴたりと笑いを止めた。冷たい視線をアルスに向け、にやりと笑う。

九尾「よかったな、アルス。そして残念だったな、魔王。お前の敗因は、アルスだ」

アルス「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ……」

九尾「そうだろうさ! 最初は九尾だってわけがわからなかった! 確かにその二人は氏んだのだ!」

348: 2013/08/05(月) 11:53:24.90 ID:ItGBpRpK0

 あれが見間違いであるはずはない。事実、グローテもアルスも、彼女らをきちんと埋葬したのだから。
 この世界には治癒はあっても蘇生はない。氏者が自ら地面を掘り返し、這い上がってくるということはあるはずがない。

 ならば、可能性はただ一つ。
 この世で唯一の「やり直し」。

九尾「なぜ忘れていたのだろうなぁ、九尾は。九尾が自分で言ったんじゃあないか。そうだ。そうだよ」

九尾「魔力は血に宿る」

九尾「勇者と交わった貴様らは、コンティニューも受け継いでいるのだ」

 そう。それが答え。
 魔力は血に宿り、親から子へと、そして配偶者へと、その性質を与えてゆく。ヴァネッサが魔力そのものを自らの糧としていたように、九尾がヴァネッサを喰って自らのものとしていたように。
 なぜ気づかなかったのか。九尾は自嘲する。全てを知っていたというのに。

349: 2013/08/05(月) 11:57:59.43 ID:ItGBpRpK0

 セントが生き返ったのも、だからだ。彼女はアルスと交わっていた。聖職者の身で雷撃が使えるのもそれゆえに。
 インドラ。トールハンマー。原因不明の魔力の出どころはそこにあった。
 なぜ彼女らの必殺技が雷を用いたものなのか。全てはアルスの影響だったのだ。

メイ「ちょ、ちょっと待ってよ! アタシはアルスと、その、してない!」

九尾「は! お前は覚えていないのかよ、少女。鬼神と戦った時のことを」

九尾「お前は勇者に守られたろう。二人同時に切られて、その時だ」

九尾「お前はきっと、そこの神父や狩人よりは混入量が微量だった。だから雷の発現も遅かった。なじむまでには時間がかかるからな」

九尾「よかったな、勇者よ。お前自身が、お前の大事なものを救ったのだ」

九尾「そうして、お前自身をも救う」

アルス「認めねぇ、認めねぇぞ、そんなご都合主義はよぉ!」

 瘴気が爆ぜた。急加速を伴って九尾を切り刻もうとするアルスの肩を、無造作にメイが掴む。
 振り返ったアルスをミョルニルが叩き潰す。

 顔面から地面に叩きつけられたアルスからは、体液の代わりに瘴気が噴き出していく。そしてすぐにコンティニュー。

350: 2013/08/05(月) 12:02:53.22 ID:ItGBpRpK0

メイ「そういうことね。生き返った理由、わかんなかったけど、わかったわ!」

 歓喜の声に打ち震えながら、復活したアルスの胸ぐらをメイが掴みあげ、電撃を纏った苛烈な一撃をぶち込んだ。骨のひしゃげる音すらせずに、アルスは地面を転がっていく。
 そうして地を蹴るクルルとメイ。残りのメンバーも、反応こそ遅れたが、逃がしはしないと走り出した。

 吹き飛んだアルスに脚力だけでクルルは追いつく。体勢を立て直したアルスはすぐさま刀剣を展開、迎撃体制に移ったが、それは即座に光の矢によって打ち砕かれる。
 雪崩れ込む人間。砲弾を編んでいる時間すらもぎりぎりである。

 九尾の伸ばした手をアルスが弾くが、横から突っ込んできたセントはどうしようもない。アストロンで鋼鉄化している彼女は、突撃だけで肋骨の数本を持っていくだけでなく、引き離すだけでも困難だ。

セント「ご都合主義なんかじゃあないのさ!」

クルル「そう、その通り」

メイ「アンタのおかげなんだから!」

ケンゴ「俺にだってわかるぜ!」

351: 2013/08/05(月) 12:04:47.85 ID:ItGBpRpK0

アルス「ちくしょ、っ、はな、放せぇ!」

 雷そのものが空中に浮かんでいる。限りなく明るいそれは、多対一ではオーバーキルだが、一対一なら如何なく実力を発揮できる。
 全てを食らい尽くす絶対なる存在。神の雷。
 その名はインドラ。

 アルスがクルルに与えてくれたもの。

 クルルは手の中のそれを解き放つ。

 またしてもアルスの上半身が消滅した。鋼鉄化していたセントの左肩すら僅かに抉る威力で、九尾は今更、自分がアルスに渡した尾一本の結果に驚愕する。
 瞬間的に復活したアルスへと、メイがトールハンマーを持って跳んだ。

 それは殴るものではない。触れた傍から蒸発させる、インドラと同じ雷そのもの。雷の具象化。

 流石にこれは周囲の人間も危ないと見えて、九尾とグローテが全員を連れて空間魔法を行使した。すんでのところでそれは間に合い、地面とアルスの体とが、弧の形状に大きく抉れる。
 そして、再生。

 何度も繰り返される光景にもしかしたら血気を喪失する者もいたかもしれない。しかし、今は状況が違う。対するはアルスで、立ち向かうは彼を助けたいとする者たちなのだ。

352: 2013/08/05(月) 12:05:19.70 ID:ItGBpRpK0

メイ「埒が明かないわねっ、もうっ!」

クルル「あの中に、アルスは、いるの?」

九尾「そうだ。同化の度合いが過ぎて、今はああなっているだけだ」

ケンゴ「その同化ってのを止めさせるにゃどうしたらいいんだ」

九尾「……ははっ」

 困ったように九尾は笑った。だがそれは同時に楽しそうな笑みにも見えた。

九尾「それをこれから探すのだ。とりあえず、ぶん殴り続けていればなんとかなるだろう!」

リンカ「そんなんでいいの?」

メイ「うわ、脳筋! でもアタシ嫌いじゃないかも!」

クルル「わかった。殺さない程度に……頃す」

 光の矢の展開。そして放たれるインドラ。

 四肢しか残らずともアルスはそこから復活できる。復活。復活、復活、復活。治癒でも蘇生でもなく、復活。流石に手足それぞれから本体が生えて計四体とはならないまでも、大同小異、脅威には変わりない。

353: 2013/08/05(月) 12:05:56.31 ID:ItGBpRpK0

アルス「ご都合主義だって言ってんだろぉがあああああっ!」

 刃の形をした瘴気をアルスはまき散らす。即座に九尾とセント、グローテが障壁を展開、嵐のようなそれらを弾き飛ばす。相手が立ち止まったその隙をついて接近、対象はセント。
 アストロンで鋼鉄化したセントの腕を、けれどアルスは容易く切り裂いた。骨が見えるほどに深く切りつけられて地面に赤い花が咲く。

クルル「インドラ」

 またも雷がアルスの体を食らった。それでもアルスは止まらない。すぐさま復活するその加護を最大限に利用してメイへと躍り掛かった。

 触れるだけで蒸発する雷の鎚を防御することは叶わない。削り取られていくアルスの体と、同時に再生もするそれ。刀剣、砲弾、魅了で攻め立てるが……しかしそれらはどれも、嘗てメイが見たことある攻撃だ。

メイ「二番煎じなんて、アタシにゃ効かないっ!」

アルス「これならどうだよっ!」

 鋭い瘴気が剣山のようにメイを襲う。

メイ「とろくって欠伸が出るわ!」

354: 2013/08/05(月) 12:12:27.44 ID:ItGBpRpK0

 大きくトールハンマーを振って一回、返す刀でもう一回、軌道上にある全ての瘴気を蒸発させて、メイは開けた空間に飛び込んだ。
 アルスの顔が露骨に歪む。痛みはないが、いくら復活してもそのたびに消滅していくようじゃ埒が明かなかった。進んだ距離の分消滅していくのだからたまらない。

 背後からの火球を察知して回避。着地点から冷気が吹き出し、地面と彼の足をまとめて氷漬けにしようとしたので、行きつく暇もなく再度地を蹴った。その先には九尾が待ち構えている。
 同時に翳る進行方向。光の矢が、背後から!

アルス「ちくしょ、ちくしょう! ちっくしょおおおおっ!」

 体を穴だらけに消し飛ばされながら、アルスは――否、魔王の意思は呪詛を吐く。

アルス「くそ、ふざけんな! 多勢に無勢! 劣勢を何度もひっくり返して、俺がその上から叩き潰そうとしても、さらになんとかしやがる!」

アルス「なんでだ! なんでこうなった! くそ、結局こうか、結局そういうことかよ、あぁふざけんな! 運か! 運なのか!」

 戦闘能力においては互角だった。もしくはこの人数差を加味してもなお彼の方が上かもしれない。
 だが、事実、追い込まれているのは自分の方だ。

355: 2013/08/05(月) 12:15:23.58 ID:ItGBpRpK0

 なにせこいつらときたら倒しても倒しても起き上がってきやがる。腕は捥げ、体中血塗れで、魔力だって枯渇寸前。けれどそんなあいつらの下にはどんどん新しい仲間がやってきて、自分を打ち倒そうと立ちふさがる。
 だからあんな顔もできる。あんな希望に満ち溢れた顔も。

 信じられない。何かが絶望的に間違っている気がした。そして、もし間違っているのだとすれば、それは自分ではなくあちらなのだ。こちらは一人で戦っている。あちらは大勢。運が良すぎる。ずるいくらいに。
 神は自分のことを見捨てたのだろうかと彼は思った。魔王が神に祈るだなんておかしいかもしれない。けれど、いまだに彼は一片たりとも自分のことを疑ってはいなかった。
 アルスの絶望に救う彼は、その憎悪だけを身に纏っているから。

アルス「俺は、俺が世界を救うんだ! この世界をぶっ壊して!」

アルス「偶然に味方されてきたてめぇらとは違う!」

356: 2013/08/05(月) 12:15:55.98 ID:ItGBpRpK0

九尾「この大阿呆がっ!」

 横から突っ込んできた九尾がアルスの顔面を華麗に蹴り飛ばす。首の骨の折れる音が聞こえたが、アルスにはなんてことはない。受け身を取りながら体勢を立て直した。

アルス「……頃すっ」

 突っ込もうとしたアルスの肩を、セントが掴んでいる。

セント「きみは何を言っているのだ?」

 静かな声音に怒気を孕ませ、セントは言った。
 鋼鉄化した拳がアルスの顔面にめり込む。

 体勢を崩した身体を氷塊が空中で磔にする。手足の先端が氷の中に呑みこまれ、微塵も動かすことができない。

リンカ「こんな簡単なこともわからないなんて、可哀そうだわ!」

 リンカが吐き捨てる。血に塗れた彼女の顔は、それでもどこか満足げだ。

 砲弾をリンカに放つが、それは割り込んできたケンゴによって受け流される。彼の手の中で彎刀の刃がぎらりと光った。

ケンゴ「本当にな。あんたの敵は俺たちじゃねぇってのに!」

357: 2013/08/05(月) 12:16:24.83 ID:ItGBpRpK0

 もう一度砲弾であの小娘を――アルスは一瞬考えたが、そんな暇などとうに失していることに、眼前を見て気が付いた。
 早く逃げなければ。アルスの全身を焦燥が包む。

 早くあの太陽から逃げなければ!

グローテ「ご都合主義? 運? 偶然じゃと?」

グローテ「やはりお前は何もわかってはおらなんだ! 全て必然よ!」

 太陽がアルスに激突する。瘴気が暴れ、飲み込まれ、焼けていく。復活した箇所からまた焼け、一向に全身が戻る気配はない。
 激痛の中での唯一の幸運は太陽の熱で氷の緊縛が解けたことだ。体の半分が焼け落ちながらもアルスはいったん距離を置いて、太陽に対してメイルストロムを放った。威力を弱め、方向を歪める。

アルス「くっ、必然だと、また九尾、お前か!」

アルス「お前が仕組んだことなのかっ!」

メイ「違うに決まってんでしょ、このばか!」

クルル「頭でわからないなら、体にわからせるだけ」

358: 2013/08/05(月) 12:16:51.87 ID:ItGBpRpK0

 二人が神速で走り出す。雷をその身に新たに宿した二人の速度はまさに電光石火。紫電に勝るとも劣らない、疾風の動き。
 前後から同時に迫る二人に対し、アルスは横っ飛びでひとまず離れようとするが、脚の復活が追いついていない。間に合わない。

メイ「あんたは言った! 手を取れって! 幸せにしてやるって! 忘れたわけじゃあないでしょ、そうでしょアルス!」

クルル「アルスは言った。強く在るって。絶対助けに来てくれるって。忘れたわけじゃないでしょ、そうでしょ、アルス」

メイ「みんなアンタのことが好きなんだ! アタシだけじゃない、クルルさんだけじゃない! だからこれは、アタシたちが今ここにいるのは、偶然なんかじゃない!」

クルル「アルスは今まで誰かのために頑張ってくれた。だから今、みんながアルスのために頑張ってくれてる」

359: 2013/08/05(月) 12:17:37.68 ID:ItGBpRpK0

ケンゴ「アルス」

リンカ「アルス」

セント「アルス」

グローテ「アルス」

九尾「あぁわかったとも、名前を読んでやるさ!」

九尾「アルス!」

メイ「聞こえるアルス!? みんなの声が!」

クルル「魔王。あなたはアルスに負けたんだ」

メイ「いつまで寝てんのよ! この寝坊助!」

クルル「アルスの努力が、世界を救う」

 光が満ちる。
 彼の前からはメイがトールハンマーを持って。
 彼の後ろからはクルルがインドラを構えて。

アルス「――――」

 魔王が何かを叫んだ。しかし、その言葉は、二人の少女の絶叫によってかき消される。

「「これで、終わりだ!」」

 二つの雷がアルスを貫いた。
 瘴気が大きく揺らいで、瞬いて、散っていく。

360: 2013/08/05(月) 12:18:25.56 ID:ItGBpRpK0

メイ「一緒に帰ろう」

クルル「今度こそ、世界を平和にしよう」

「おうよ」

 そう言って、アルス・ブレイバはにこりと笑い、倒れた。

 空がどこまでも晴れていた。

――――――――――――――――――

366: 2013/08/07(水) 14:04:17.01 ID:my85F8W40
――――――――――――――――――

「ありがとうございました」

 俺は二人――クルル・アーチとメイ・スレッジの二人に頭を下げた。二人ははにかみながら「どういたしまして」と言って、お互いの顔を見合わせる。そして、笑った。
 花の咲いたような笑顔だった。

 彎刀の柄を握り締める。確かめるように。そこに親父が宿っているのじゃないかと思ったからだ。そうでなければ、俺がこの戦いを生き延びられた理由など、どこにも見つけられない気がした。

「ありがとう」

 もう一度呟いた。二人はアルス、老婆と既に合流して、俺の言葉は聞こえていないようだった。
 二人は知っているのだろうか。俺のありがとうが、単なるありがとうではないことに。
 アルスにまつわるそれだけではないことに。

 俺の命を助けてくれてありがとう。

 数年を経ての再開。勿論彼女たちはそんなこと覚えてやしないだろうけど。

 大きく息を吸い込んだ。
 焦げの臭いがする。

 強くならなくては。

「行くか」

「そうだね」

 リンカは地平線へとぼんやり視線を投げ、まるで何も気にしていない風を装って、そう言った。

―――――――――――――――――

367: 2013/08/07(水) 14:10:52.55 ID:my85F8W40
―――――――――――――――――

 さぁ、どうしたものだろうか。地平線を見ながらわたしは思う。
 視線を遮るものは何もない。わたしの行く末を遮るものも、また。
 アカデミーに戻ろうか。世界を救っていただなんて先生に言ったらなんて顔をするだろう。驚いて、すぐに病院にぶち込まれるに違いない。本当のことなのに。

 それでも、もっと他にやるべきことがあるような気がした。こんな世界を知ってしまった今、わたしはもう単なる一学生なんてやっていられない。アルスの気に中てられたのかもしれない。
 どのみちまだ時間はある。ケンゴと二人、探していても問題はあるまい。

 ホリィとエドもきっちり弔わなければ。

 グローテさん、セントさん、九尾……ちゃん? に弟子入りも申し込んだけれど、そっけなく振られてしまった。一人は「柄じゃないから」と。一人は「魔法使いと神父は違うから」と。一人は「人間は嫌いだ」と。
 まったく、うまくいかない世の中ですなぁ。

 うまくいかない、世の中だ。本当に。
 ほんとに。

 なんで人は氏んでしまうんだろう。

「ケンゴはどうするの、これから」

「とりあえず旅は続けるかな」

 想像通りの答えが返ってきた。

「じゃあさ、一つ提案があるんだけど」

「ん?」

「アカデミー、見学に来ない?」

――――――――――――――――――――――

368: 2013/08/07(水) 14:14:09.83 ID:my85F8W40
――――――――――――――――――――――

「若いっていいねぇ」

 去りゆく人々の背中を追っかけながら、呟いた。いや、自然と声が出てしまったというべきだろう。

 アルスには一緒に来ないかと誘われたけれど、残念ながら私は既に神父と言う役目を背負っていて、おいそれと教会を留守にできる立場ではない。今回だって無断外出なのだ。
 もしかしたら、帰れば私の席に誰か別の聖職者が座っているかもしれない。それほど今回の私の行動はアレだ。
 ……そうすれば、もっとずっとアルスと一緒にいられるのだけれど。

 今の彼にはちゃんと恋人がいて、彼は気づいていないかもしれないが、愛人もいるようだ。ここで私がでしゃばってもぎすぎすするだけだろう。ここは大人として、一歩引くのが礼儀と言うものだ。

 あーあ。氏んでた間に振られちゃった。

 とはいえこれは赦してもらわないと。だって私は世界を救う片棒を担いでいたのだ。信じられなくたってそうなのだ。司祭様に力説しよう。捥げた腕の痕でも見せてやれば信じざるを得まい。ふはは。

 ごしごしと顔を袖で拭う。言葉の上では騙せても、心は騙せない。

 ホリィ、ごめんよ。

 困っている人を見捨てては置けない、聖職者として。私はそうで、ホリィもそうだ。だけれどその信念がホリィを頃したのだ。余計なことに首を突っ込んで、氏ななくてもいい命を氏なせてしまった。
 それに関してはグローテさんが頭を下げた。下げるのは私にではないはずだけれど、当の本人が既に亡き者だから、仕方がない。くそ。

「ちり紙でも貸してやろうか?」

 隣で金色の幼女がぶっきらぼうに言った。

「いらない」

 だって私はまだ二本の足で歩くことができるから。

「ありがとう」

 九尾の狐はやはりぶっきらぼうに「別に」と言った。

 私は帰路につく。帰ったら、山ほどの仕事を消化しないと。

―――――――――――――――――――――

369: 2013/08/07(水) 14:19:28.41 ID:my85F8W40
―――――――――――――――――――――

 これでいいのだと思った。此度の全ては、とまではいかないが、大部分は彼女が作った原因に起因している。だから、彼女はこれでいいのだと思った。
 責任を取るということはそういうことだ。

 そもそもこれまでがおかしいのである。人妖が入り乱れて共同戦線を張るなんて考えられないことだ。これまでがおかしくて、これからが普通。だから九尾の狐はアルスの後を追わなかったし、グローテの手も取らなかった。
 もう一つ「だから」を重ねて、九尾は口元の血を拭う。

「だから、九尾はここで氏のう」

 氏ぬかどうかはわからないけれど、その覚悟でことに挑もう。

 残る尻尾は四本。ヴァネッサから得た魔力を加味すれば、流石にできるはずだ。

 目の前には一個師団の姿が広がっている。

 魔法的な措置によってその姿は今まで隠されていたのだろう。紋章を見れば、それはアルスたちの国――核を落とした張本人たちであるらしい。
 魔王の存在を知って後派遣されたか、それとも別の任務があるのかはわからない。ただ、その師団一万人が、九尾を素通りするつもりがないのは明白だった。

 九尾の心に怒りはない。ただただ湖面のように穏やかだ。一個師団の存在など、波風を立てる微風にすらなりはしない。
 九尾にとっての人間とは、そんな有象無象なのである。

 九尾を頃しに来たのか。アルスを頃しに来たのか。他に目的があるのか。
 そんなことはどうでもいい。
 ただ、九尾は、国と言うものに報復しなければならない。

 その上で氏のう。
 国も彼女自身も罰されなければならないと、彼女は考えていた。

 師団の先頭の騎士が、細身の剣を抜き、天に向けた。
 それを振り下ろす。
 先には九尾がいる。

「人間を人間と思わん貴様らが、まさか人間として氏ねるとは思わんことだ!」

 彼女は跳んだ。いまだに心の水面は穏やかだった。

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370: 2013/08/07(水) 14:20:35.06 ID:my85F8W40
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 物音がしたような気がして、儂は振り返った。空気が揺らめいている。一瞬陽炎かとも思ったが、どうやら違うらしい。そもそもこの季節にこの地域でそんな現象起こるはずもない。

 なんとなく嫌な予感がした。九尾が儂らについてこないのは仕方がないとして、それ以上の何かをあいつは抱いていたような気がしてならない。
 思わず踵を返しそうになるのをぐっとこらえた。既に儂らは袂を別った。情けをかけられるのをあいつは望まないだろう。例えそれがなんであったとしても。

「どうしたのさ、おばあちゃん」

 メイが覗き込んでくる。なんでもないよと返事をして、ローブのフードを目深に下した。表情を悟られるのは困る。が、少しわざとらしかったか?
 ……気づかれていないようだ。

 アルスとメイ、クルルはそれまでの欠けた時間を取り戻すかのように雑談に興じている。今後の方針はとにかく後だ。とり急ぐこともあるわけではない。

「アルス」

「なんだ、ばあさん」

「まだ世界を平和にしたいか?」

「それよりみんなを幸せにしてぇな。難しいとは思うけど、無理とは思わない。氏にそうなやつを助けられるなら、俺は率先して助けたい」

「そうか。そうだよな」

 それだけ聞けて十分だ。
 やはり、アルス、お前は儂の生きる指針らしい。齢六十を超えて、まさか青年を見習うとは思ってもいなかった。

 儂は大きく息を吸い込んだ。

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371: 2013/08/07(水) 14:21:39.48 ID:my85F8W40
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 やばいやばい超やばい超これってマジやばい超マジこれマジ超。
 顔が!
 にやける!

 なんだアタシの表情筋、なんだこれ、なんだ、これ、本当、これ、これぇ!

「どうした?」

「は、どうもするわけないし! ばっかじゃないの!」

 格好つけて出てきたときは戦いのさなかだったから全然だったけど、今こうしてアルスの声を聴くと、もう、心の奥底がぽかぽかして、地に足がつかない。
 思わず手にも力が入るってもんよ!

 アルスと離れていたこの数年間はまさに流浪だった。なんで生き返ったのかもわからず、ひたすらアルスとおばあちゃんを追う日々。クルルさんもアタシも一度は氏んだ身だから、とにかく日陰を歩き続けたのだった。
 その中で、おばあちゃんと九尾が――偽名を使っていたけれど、あれで騙せると思っていたのだろうか?――人助けをして歩いているという話を耳にした。そしたら目標がまた一つ増えた。

 全ては今この瞬間のためにあったのだ。

「終わったな」

 アルスが言った。アタシはけれど、ううんと首を横に振る。

「これから始まるのよ」

 そうだ。紆余曲折あったけれど、ここが、今からが、スタートだ。リスタートだ。

 世界を平和にしよう。アルスとならばなんだってできる気がした。

「アルス」

「ん?」

 大好きだよ。

「なーんでもない」

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372: 2013/08/07(水) 14:22:33.96 ID:my85F8W40
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 明らかにメイが嬉しそうで、私はちょっとだけ心がささくれる想いをしたけれど、寛大に今日くらいは許してやろうと思う。今日くらいは。

 あの核と称される魔法によって、周囲の森、村、民家が消失してしまったことはグローテのおばあちゃんから聞いた。それでアルスが魔王に呑みこまれてしまったことも。
 王国は許せない。ただ、私たちがこれからどうするかはアルスが決めることであって、私はアルスが決めたそれには口出しをするつもりはなかった。

 人はそれを思考停止と呼ぶかもしれないが、違うと思う。なぜならアルスと私たちは目的を一にしているからだ。そしてアルスはぶれない。だから私たちも安心してアルスに身を委ねていられる。

 ……メイとアルスの会話が長いので、アルスの腕に抱きついた。
 慌てるアルスはかわいい。メイが一瞬むっとした表情をしたのを私は見逃さなかったけど、正妻は私なのだから、ここはちょっとばかし譲れないところだ。

「アルス、私たちに子供ができたら、やっぱり氏なないのかな」

「こ、子供?」

 やっぱり、慌てるアルスはかわいい。ぎゅっとより強く抱きしめれば、より強くアルスのにおいが鼻をくすぐって、より幸せな気持ちになれる。
 メイがアルスの左腕を見て、私にちらりと視線を向けた。
 私とメイで二人。アルスの腕は、当然二本。

 ……はぁ。あーあ、仕方がないなぁ。

 こちらの機微を察したのだろう、メイもまた力一杯にアルスの腕を抱きしめる。彼女の全力だとアルスの腕が折れないか心配だ。

 やっぱりちょっとだけ、ほんのちょっとだけいらっとしたので、私はアルスの顔を覗き込む。

「ん?」

 そうして、口づけをした。

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373: 2013/08/07(水) 14:23:27.13 ID:my85F8W40
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 さて、どうしたものか。
 空は青い。晴れ渡っている。すべきことは山積みだ。これ以上ない出発の日和だろう。何より、今は一人じゃあない。

 当面の目標は核にまつわる諸々。あんなものを放置しておくわけにはいかない、可及的速やかにどうにかしなければ。
 とはいえ国家に牙を剥くには力が圧倒的に足りないし、そんな血で血を洗うような真似だけは絶対に避けたいのもまた事実。では他の方法はと問われれば、残念ながら俺の頭では思い浮かばない。

 どうやったら世界が平和になるだろうか。

 まぁこういうときは自分より頭のいいやつに聞けば大抵何とかなるものだ。例えば、ばあさんとか。

 それにしても、色々な人が俺を助けてくれたものだ。支えあいと言う言葉をこれほど実感したこともない。クルルやメイはそれを俺が善行を積んだ結果だと言っていたけれど、自覚のあまりない俺には、なんだかこそばゆいのである。

 セント。ケンゴ。リンカ。彼らの行く先が幸福であることを祈っている。
 エド。ホリィ。ヴァネッサ。彼らの行く先が天国であることを祈っている。

 生きている人たちを幸せにするように生きていかなければならないし、氏んでしまった人たちの分まで生きていかなければならないと思うのだ、俺は。

 今日も世界はこんなに平和だ。

 明日をもっと平和にしよう。

「――そんな薄情な真似ができるかよっ!」

 唐突にばあさんが叫んで、踵を返す。何があったかはわからないが、何かがあったことは明白だ。

 俺とクルル、メイはすぐさま顔を見合わせて、頷く。

 俺たちも走り出した。






374: 2013/08/07(水) 14:30:22.77 ID:my85F8W40
今回の更新はここまでとなります。
また、彼らの物語もここまでとなります。

思えば遠くまで来たものです。一年以上続くとは思っていませんでした。一年以上付き合ってくれる読者がいるとも。
月並みな言葉ですが、これまでありがとうございました。

恐らく、次回作はオリジナルで超能力バトルものになると思います。
少女「有言実行、しましょうか」というタイトルを考えてまして、もし機会があればご覧ください。

重ね重ね、長いおつきあいをありがとうございます。
それではまたどこかで会いましょう。

375: 2013/08/07(水) 14:46:00.01 ID:TmageSl7o

もう一回読み返してくる

376: 2013/08/07(水) 14:56:21.22 ID:VeWs/ROso
完乙!
楽しかったよ、次作も期待してる

378: 2013/08/07(水) 19:22:05.66 ID:tY0w0JzXo
とてもよかった


引用: 勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」 2スレ目