166: 2015/11/25(水) 22:35:57.88 ID:Xdnzlkp4o


最初:
屋上に昇って【その1】
◇[Wounded Deer]


 嵯峨野先輩が文芸部の部室をふたたび訪ねてきたとき、部室にいたのは俺とるーだけだった。

 高森とゴローは図書室で調べ物、部長はコンピュータルームで原稿の雛形作り。
 佐伯はたぶん、屋上。

「こんにちは」と嵯峨野先輩は言った。

 まさか新入部員のるーに応対させるわけにもいかず、「どうも」と返事をしたのは俺だった。
  
 いったい何の用事だろう、と思っていたら、

「あの子はいないの?」

 と先輩は部室を見回しながら訊ねてきた。

「はあ。部長なら……」

「あ、いや。由良さんじゃなくて」

「はい?」

「えっと。ぶつかってきた子」

「……高森ですか?」

「あ、うん。そうそう」

 嵯峨野先輩は気まずそうに頬を掻いた。

ふらいんぐうぃっち(12) (週刊少年マガジンコミックス)
167: 2015/11/25(水) 22:36:32.66 ID:Xdnzlkp4o

「高森に何か用事ですか? 治療費なら払えないと思いますよ」

 そんな金あるならウェブマネーにつぎ込んでるだろうし。

「治療費?」

「ぶつかったことで何か言いにきたのかと」

「あ、いや。ちょっと遊びに来てみただけなんだよ。文芸部っていうのに興味があって」

「はあ。面白いことは何もないと思いますけど」

 俺はるーと顔を見合わせた。
 
 あの夜以来、俺とるーは一応、お互いをお互いと認識しながら、特にそれ以上の何かがあるわけでもなく、
 ごくあたりまえの部活動の先輩後輩としての距離を保っていた(……ただのそれよりは、若干距離が近いかもしれないけど)。

 だからふたりきりになって沈黙があったって気まずさはなかったんだけど、誰かが入ってくると途端に空気が乱れる。

 まず、第三者の前で「るー」とか「タクミくん」とか呼び合うのは、思った以上に照れが入る。
 おかげで俺たちの口数は、三人以上のやりとりでは極端に少なくなった。

168: 2015/11/25(水) 22:37:18.93 ID:Xdnzlkp4o

「そっちの子は、新入部員? 勧誘した甲斐があったね」

 嵯峨野先輩は顧問みたいな口調でそう言って、るーを見る。
 彼女はぺこりと頭をさげた。たぶん、この部とどういう関係がある人なのか、わからないんだろう。
 なにせ俺も分かってない。

「今は何をやってるの?」

「部誌の原稿作りです」

 突然、部誌に寄せて何かを書けって言われたって、普段書く習慣がないかぎりそうそう書けやしない。
 そういうわけで、新入部員るーの教育係に、俺は任命された。

 部長も高森も面白がってる様子だったけど、まあ、いまさら俺もるーもそういうのを気にしたりはしなかった。
 というか、俺が気にしたとしても、るーが気にしてないんだから仕方ない。

 俺に教えてもらえって言われたときの、るーの「じゃあ是非」って満面の笑み。
 あの笑みには不思議と逆らえない。

 そういうわけで、基本的な文章作法(国語の授業で習うけど、意識しないとすぐに忘れがちな)とか、
 あとは随筆や小説や散文の違いなんかを、おおまかに、るーに説明しているところだった。

「部誌なんて作るんだ。……他の人たちはどこにいるの?」

 俺とるーは、ふたたび顔を見合わせた。

 でも、答えて困ることにもならないだろうと思って、俺は素直に返事をした。

「部長はコンピュータルームに。残りのふたりは、図書室で調べ物です」

「ふうん。図書室」

 ……この人、なにか変だ。

169: 2015/11/25(水) 22:40:43.22 ID:Xdnzlkp4o

 変っていうか……いや、まあ、俺には関係ないんだけど。

「そっか。ふうん。じゃあ、がんばってね。おじゃましました」

「あ、先輩」

 颯爽と去っていこうとした先輩の背中に、俺は声をかけた。

「先輩の名前、なんていうんですか?」

「嵯峨野連理」

 と彼は言った。
 
「さがのれんり」

「紙とペンを貸してもらえる?」

 俺が手元にあったルーズリーフとシャープペンを差し出すと、彼はさらさらとそこに字を並べ始めた。

 嵯峨野 連理。

「すごい名前だろ? 五十五画ある。小学校高学年あたりから、テストのたびに書くのが大変だった」
 
 小学生で習う常用漢字だけでできてるような俺の名前とは発想からして違う感じだ。

「かっこいいですね」

「どうかな」

 と彼は照れ笑いしてから、再び背を向けて去っていった。


170: 2015/11/25(水) 22:41:09.26 ID:Xdnzlkp4o

「どう思う?」

 扉がしまってから、俺はるーにそう訊いてみた。

「なにがですか?」

「今の人、文芸部とは何の関係もない、ただの三年生なんだけど」

「はあ」

「何しにきてるんだと思う?」

「よく来るんですか?」

「今日で二度目」

「なんだか、蒔絵先輩のことを聞きにきたように見えたんですけど」

 るーはシャープペンのノックボタンで自分のほっぺたをつつきながら首をかしげた。

「俺にもそう見えた」

「蒔絵先輩と仲良いんですか?」

「いや。このあいだ廊下でぶつかったのが初対面らしい」

「一目惚れですかね?」

「やっぱりそう思う?」

「やっぱりそうなんですか?」

「知らない。俺も会うの二回目だし」

「世間ってすごいですねえ」

 俺とるーはそろって感心した。

171: 2015/11/25(水) 22:41:44.89 ID:Xdnzlkp4o

「一目惚れかあ」

 しばらく沈黙があったあと、るーはまた自分のほっぺたをシャーペンでつつきながら溜め息のように呟く。

「一目惚れって、見た目が好きってことですよね?」

 元も子もない。

「フィーリングかもしれない」

「でも、フィーリングって、話してみたら違ったってパターンの方が多いと思うんです」

 ……まあ、もしぱっと見た瞬間の印象と実際が合致してたとしたら、すごい確率だとは思う。

「ていうか、話してもない段階でフィーリングとかあるわけないじゃないですか」

「立ち居振る舞いとか、話し方とか、表情とか」

「そういうのって、ある意味、見た目にいれちゃっていいと思うんですよ」

「ふむ。なるほどな」

 正直どうでもいいなあ、と思いながら話を聞き流しつつ、俺はルーズリーフに残された嵯峨野連理という文字を眺めた。
 改めてすごい名前だ。

 嵯……山が高く険しい。
 峨……山が高く険しい。
 野……自然の。

「連理の山は高く険しい、というのでどうでしょう」

「……タクミくん、わたしの話きいてました?」

「きいてたきいてた」

 つーか、人の名前で遊ぶのはやめとこう。

172: 2015/11/25(水) 22:44:09.33 ID:Xdnzlkp4o

 少しするとゴローが部室に帰ってきて、並んで座る俺とるーをちらりと見たあと、窓際の定位置に腰掛けてノートを広げ始めた。

「何か書くの?」

「ミートソースとボロネーゼの違いについて書く」

 ゴローは真剣な顔をしていた。

「どこかに必要としている人がいるかもしれない」
  
「……まあ、いるかもなあ。高森は一緒じゃないの?」

 ゴローは一瞬、よくわからない顔をした。何かに納得がいかないような。

「わからん」

「……一緒だったんだろう?」

「うん。図書室だった。なんであんなのがモテるんだ?」

 あんなのて。
 ゴローはべつに高森を嫌っているわけではないが、喧嘩友達として近付きすぎて、女子として見られなくなってしまったらしい。

「モテてたの?」

「こないだの先輩。あいつに声かけてた」

 俺とるーは顔を見合わせた。


173: 2015/11/25(水) 22:44:37.07 ID:Xdnzlkp4o

 さらに少し経ったあと、高森が疲れたような顔で部室のドアにもたれるようにしながら戻ってきた。

「おかえり」

「ただいま……」

 ふらふらと覚束ない足取りで、自分の定位置へと戻ると、彼女はぐったりと机に突っ伏した。
 
「……どうした?」

「つかれた」

「調べ物は?」

「わたし、何調べにいったんだっけ」

 俺が知るかよと思った。

「そうだ。アナグラム考えにいったんだ」

「……アナグラム?」

「うん。アナグラム。人名辞典片手にアナグラム考えようと思ったの。小説に使おうと思って」

「はあ」

「アナグラムってなんですか?」と、るーが俺に小声で訊ねてきた。

174: 2015/11/25(水) 22:45:18.09 ID:Xdnzlkp4o

「暗号みたいな奴だよ、文字入れ替えて別の文つくったりする奴」
 
「人名って言ってましたけど」

「よくあるんだよな。ある人物の名前を入れ替えると別の言葉になったりするの。あとは別の名前になったり」

「何か意味はあるんですか?」

「ある場合もあるし、ない場合もある」

 大抵の場合はあるが、たいした意味がない場合もある。

「おもしろいですね」

「まあでも、そういう小細工に凝り始めると本筋がおろそかになりがちなんだよな」

「そうなんですか?」

「タイトルや登場人物の名前を考えるのに時間をかけすぎて本編書く時間なくなったりな」

「経験談ですか?」

「……」

 俺は黙秘した。



175: 2015/11/25(水) 22:45:46.16 ID:Xdnzlkp4o

「オリキャラの名前で姓名判断とかするようになったら末期だよねえ」

 高森はぼんやり呟く。いろいろ痛い流れになってきた。

「でもけっこう楽しくない? 合ってても楽しいし、合ってなかったら話のアイディアになるし」

 そこらへんから高森とゴローは、高校の文芸部らしいようなそうじゃないような、という話題で盛り上がり始めた。
 そっちの会話には混ざらずに、るーはちらりと時計を見て、

「タクミくん、今日はバイトですか?」

 と訊いてきた。

「いや。今日は休み」

「じゃあ一緒に帰りましょう」

 一瞬、むっと言葉に詰まる。いちいちそういう反応になってしまうあたり、俺もバカみたいだ。
 そもそも、誰かと一緒に帰ったりすることが少ないからなんだけど。


176: 2015/11/25(水) 22:47:01.68 ID:Xdnzlkp4o

 会話が一段落して、自分の原稿の作業に入ったゴローの横で、高森は憂鬱そうに溜め息をついていた。

「どうしたの?」

 訊ねると、何か言いにくそうに口をもごもごとしはじめる。
 まあ、なんとなく想像はつく。

「ナンパされた?」

「たっくんエスパー?」

「されたんだ」

 どうでもいい会話のつもりだったんだけど、部誌のバックナンバーに目を通していたるーが顔をあげて何かを言いたげにした。

「どしたの?」

「なんでもないですなんでもないです」

 聞いたら聞いたで、そっぽを向く。
 なんなんだろう、と思いながら、高森の話の続きを聞く。

「知らない先輩に声かけられて……」

「はあ。珍しいね」

 たぶん知らない先輩じゃないぞ、と言おうか迷ったけど、高森はたぶん嵯峨野先輩の顔をよく見ていない。

177: 2015/11/25(水) 22:47:42.68 ID:Xdnzlkp4o

 人懐っこそうな印象と裏腹に、高森はけっこう人見知りが激しくて、目上の人や異性が相手だとうまく話ができないらしい。
 俺やゴローや部長に対しても、最初の頃はけっこう警戒心旺盛だった。

 最終的に仲良くなれたのは、たぶん、文芸部全体がお互いに対して放任主義を貫いているからだ。
 他人のスタイルに口出ししない。他人の生活に踏み入らない。

 そういう相手に対しては高森も自分を出せるらしくて、最終的には自分が踏み込んでいくタイプになっていく。
 そっけない猫ほど懐けば飼い主の傍を離れないもんなのだ(たぶん)。

「知らない人と話すの、疲れる」

「まあ、だろうね」

 彼女はけっこう猫かぶりで、周囲に心を許せる相手がいないと、声が小さくなったり人と目を合わせなくなったりする。

 ずっと前に、

「こう見えてわたし、すっごい人見知りなんだよ!」

 と胸を張ってドヤ顔で言っていた。なぜか自信満々で。


178: 2015/11/25(水) 22:48:53.10 ID:Xdnzlkp4o

「で、なんて声かけられたの?」

「……なんだっけ。文芸部がどうこう言ってた気がする」

「ふうん」

「また今度遊びに来るって言ってた。活動に興味あるからって」

「なんて答えたの?」

「お好きにどうぞって」

 まあ、そう応えるしかないだろう。

「おつかれ。たいへんだったね」

「ありがとうたっくん。わたしのことを分かってくれるのはたっくんだけだよ」

 いつのまにか俺は高森の中で唯一の理解者ポジションまで出世していたらしい。

 そんな話をしていると、るーが控えめに「あのー」と手をあげた。

「その、たっくんって……」

「ん?」

「……あ。なんでもないです、なんでもないです」

 るーは手をぱたぱた振った。
 

179: 2015/11/25(水) 22:49:46.21 ID:Xdnzlkp4o



 駅までの道をるーとふたりで歩きながら、特に話すことのない自分たちに気付く。
 
 文芸部の部誌のバックナンバーの話とか、俺の書いた文章の話とか、そういうこと。
 ゴローや部長のついてとか、嵯峨野先輩と高森の話とか。

 るーはやっぱり何かを言いたげにしているように見えたけど、聞いても何も言ってくれない。
 言いづらいことなのかもしれないし、ほんとうになんでもないのかもしれない。

 どちらにしても、何かを言われるまで放っておくことにした。

「部誌、何か書けそう?」

「うーん、どうでしょう」
 
 るーはふんわり苦笑した。

「楽しそうだなって思いますけど、書くってなると、ちょっと照れが入りますよね」

「誰にも見せない日記とか書くようにすると、けっこう慣れるよ」

「タクミくん、やってたんですか?」

「去年はやってたな。最近、ぜんぶ捨てちゃったけど」

「どうしてですか?」

「静奈姉にみつかって……」

「あー」

 そのときはしばらく静奈姉の顔を見れなかった。


180: 2015/11/25(水) 22:50:12.93 ID:Xdnzlkp4o

「見せないつもりで書くと、いろいろ書いちゃうんだよな」

「それは……困りますね」

「ブログに鍵とかつけたりとか、ラインのタイムラインで、自分にしか見れないようにして投稿とかって手もあるけど」

「……間違って公開しちゃったりしません?」

「気をつければ平気だと思うけどね」

「ラインと言えば……」

「ああ」

 と、ポケットから携帯を取り出す。るーも鞄を開けて、内側のポケットから同様に。

「ふるふるする?」

「位置情報オンにするの、めんどくさいです」

「いいじゃん、ふっとこうぜ」

「しかも振らなくてもできるじゃないですか、あれ」

「そうなの?」

「はい」

「……そうなんだ」

「なんでショック受けてるんですか?」

「いままで振ってたから」

 るーはくすくす笑った。

181: 2015/11/25(水) 22:50:39.87 ID:Xdnzlkp4o

「番号、交換しましょう。登録すればでてきますよね」

「あ、うん」

 るーの番号を教えてもらって、電話帳に登録する。
 出てくるかな、と思ったけど、よくよく考えたら友達の自動追加機能をオフにしていたんだった。

 設定を変えたら、すぐに出てきた。

 名前は「るー」になっていた。

「るー」

「はい。るーです」

 どこでもるーなんだなあ、とぼんやり思う。
 妙な感心をしていると、スマートフォンが短く二度振動した。

 画面を見ると、るーからのメッセージだった。
 うさぎが地面に寝そべっている奇妙なスタンプだけ。
 
 るーはいたずらっぽく笑っている。
 ちょっと笑ったけど、俺はノーコメントを貫いた。

「既読スルーですか!」

 やかましい。


182: 2015/11/25(水) 22:51:12.37 ID:Xdnzlkp4o

「そういえば、こっちに来てから一年なんですよね? どうですか?」

「どうって?」

「慣れました?」

「まあ、普通に生活する分には……」

 といっても、普段買い物に行く場所とか、学校の周辺や、ゴローの家のあたりが俺の行動範囲の限界だったりする。
 それ以外の場所はほとんど訪れない。もともと出掛ける方じゃないし、知らない土地となればなおさら、腰は重たくなる。

「あんまり出掛けたりしないんですか?」

「うん。土地勘ないし、土日、バイトの場合多いし、そうじゃない日はゴローと遊ぶか、家にいるし」

「そうですかー」

 ぼんやりとした調子で相槌を打つと、るーは黙りこんだ。何かを考えているらしい。

 そうこうしているうちに駅について、そこからは明日の天気とか、コンビニのデザートの新商品の話とかをした。
 
 それじゃばいばい、と別れて駅を出た頃には、外は赤く染まっていた。
 

186: 2015/11/26(木) 23:51:19.78 ID:KuRGWnJ0o




 そして翌週の放課後になると、嵯峨野先輩は文芸部の部室に長い時間居座るようになった。

「入部しちゃおうかなあ」なんて冗談めかして笑う表情はいかにも好青年的な爽やかさ。
 
 それでも「ぜひそうしてください」って声を掛けるような部員はひとりもいなかった。
 かといって嵯峨野先輩が来ることに文句を言う奴もいない。

(なんせどうでもいい)

 とはいえ、嵯峨野先輩の高森に対するアプローチは誰から見ても分かりやすかったために、
 高森だけがやたらと疲弊する結果になった。

 二日目には嵯峨野先輩は高森のことを「蒔絵ちゃん」と呼び始めた。

 この人すげえな、と俺とゴローは感心していた。

 感心しつつ、スルーしていた。


187: 2015/11/26(木) 23:51:45.26 ID:KuRGWnJ0o

「もうやだ」と高森が言い出したのは水曜の朝のこと。
 そのとき、高森とゴローが俺のクラスに遊びにきていた。

「はっきり迷惑ですって言えばいいんじゃないの?」
 
「でも、べつに何か直接言われたわけじゃないし、自意識過剰かも……」

 高森は先輩に対しては妙な気弱さを発揮していて、それが話をよりいっそう面倒にしていた。

「だったら放置するしかないな」

「ゴロちゃん冷たいよ?」

「俺は高森とあの先輩のことより、タクミと新入部員のことの方が気になる」

 流れ弾をくらったな、と俺は思った。

「そういえばわたしも気になる。一緒に帰ったりしてるみたいだけど、付き合うことになったの?」

「いや」

 そういうんじゃないって、前も言った。

「つまんない」

「つまるつまらないで人間関係に口出しするなよ……」

「他人のことはひとごとで楽しむのが当然でしょ?」

「じゃあ高森も嵯峨野先輩とよろしくやってくれ」

「たっくん冷たい」

 なんせ他人事だ。


188: 2015/11/26(木) 23:52:26.92 ID:KuRGWnJ0o

「ほんとにあの先輩が入部したらどうする?」

「泣く」

 俺の質問に、本当に泣きそうな顔で高森はうなだれた。

「そんなに苦手なの?」

「とても苦手な部類」

「悪い人じゃないと思うけど」

「わたしのペースを乱す人は、たいがい苦手」

 いい人だとよりいっそう苦手、と高森は頬杖をついた。

「まあまあ」

 なんてなだめていたら、高森は深々と溜め息をつき、たっぷり十秒黙りこんだかと思うと、

「カラオケいきたい」

 と言い出した。

「なぜ急にカラオケ」

「カラオケいきたい。今日行こ? 部のみんな誘って」

 俺とゴローは顔を見合わせた。


189: 2015/11/26(木) 23:53:13.27 ID:KuRGWnJ0o

 こういう高森の思いつきに付き合わされて、ボーリングだのなんだのに行くことは、今までも何度かあった。
 もうすぐ中間で、しかも部誌の原稿作業もある。
 
 が、まあ、そんなことを言っていたら永遠に何もできやしない。
 いつだってしなきゃいけないこととやりたいことのバランスを取って生きていかなきゃいけないのだ。

「部長とちいちゃんと、そう。るーちゃんも誘ってさ。そだ。るーちゃんの歓迎会ってことにしよ」

 るーともほぼ初対面のはずなのに、そっちに抵抗はないらしい。
 まあ、異性・同性、年下・年上って差もあるから、不自然ではないのかもしれない。

「たっくん、るーちゃん誘っておいて」

「誘うも何も、いくとしたら部活の後だろ?」

「るーちゃん誕生日まだでしょ? 部活の後だと一時間くらいしか歌えないじゃん」

「どっちにしても、部室に集まってからみんなに予定確認すればいいだろ」
 
「そっかあ、そっかなあ」

 高森はそんなふうにうめいた。

190: 2015/11/26(木) 23:53:52.60 ID:KuRGWnJ0o



 その日の昼休み、俺は本校舎ではなく東校舎の屋上に向かった。

 案の定、フェンスのそばに座り込んで、佐伯はサンドイッチを食べていた。

「うす」と声をかけると、「うす」とどうでもよさそうに返事が帰ってくる。

「わざわざこっち来たの?」

「それは俺が言いたいことでもある。今日は高森と一緒じゃないの?」

「いつも一緒ってわけじゃないよ。一緒じゃないときもけっこうある」

「高森は一緒にいたがるんじゃない?」

「まあ、うん。マキはわたしのことすきだからね」

 自信、というわけでもないだろう。困ったような調子で、佐伯は笑う。

「ここから何か見える?」

「浅月には何か見えるの?」

「街とか」

「漠然としてるね。きっと浅月には、世界も漠然とした見え方がしてるんだろうね」

「どういう判断? それ」

「屋上からの景色判断」

 佐伯は自分の隣を手のひらでとんとん叩いて、どうぞ、と手招きした。

 招待を受けて、俺は彼女のとなりに座り込んで袋からパンを取り出す。

191: 2015/11/26(木) 23:54:20.30 ID:KuRGWnJ0o

「今日はクリームパンですか」

「チョコデニッシュもある」

「甘いのばっかりだね」

「おいしいよ」

「知ってる。ねえ、わたしのところに来てよかったの?」

「なにが?」

「彼女さん、怒るんじゃない?」

「彼女?」

「ちはるちゃんだっけ?」

「彼女じゃない」

「そうなんだ」

 話を振ってきたわりに、佐伯はどうでもよさそうだった。


192: 2015/11/26(木) 23:54:46.31 ID:KuRGWnJ0o

「みんなして、そういう話をするんだな」

「思春期だしね」

「……よくわかんないんだよな、俺には」

「なにが?」

「好きとか、そういうの」

「みんな、実は分かってないよ。分かったつもりになってるだけ」

 わたしにだって分からない。そう言って佐伯は自嘲気味に笑う。

「佐伯は、彼氏とかいたことある?」

 少しの沈黙。

「……ない。浅月は?」

「彼氏はさすがにいないなあ」

「そうじゃなくて」

「俺のことはいいだろ」

 二秒くらい俺と目を合わせてから、何かを察したみたいな顔で、佐伯は話をやめた。


193: 2015/11/26(木) 23:55:12.46 ID:KuRGWnJ0o

「そういうの、考えたことなかったんだ。いろんなこと、あって」

 佐伯は、いつも、遠くを見ているような顔をしている。
 彼女は俺を誰かに似ていると言っていたけど、俺に言わせれば、彼女のそういうところの方こそ、誰かに似ている。
 
 目の前の何かではない、頭のなかの何かを見つめるようなその表情は、誰かに似ている。

「同じく」とつぶやくと、佐伯は「おそろいだね?」って誰かみたいに笑った。

 それからぼんやりと、彼女は俺の知らないうたを口ずさんだ。

「トンネル抜ければ、そこはまた、大きな、トンネルのなか」

 昼の太陽は俺たちの頭上で光を撒き散らしている。
 屋上に届く音は何もかもが透明な膜越しに聞くように遠く感じる。

「そういや、高森がカラオケいきたいって。今日」

「わたしも?」

「行かない?」

「いいよ」


194: 2015/11/26(木) 23:55:43.23 ID:KuRGWnJ0o

 俺はポケットから携帯を取り出して、佐伯の参加を高森に伝えた。 
 ポケットにしまいなおすと、携帯がすぐにブルっと震える。
  
 やけに早いな、と思って取り出して画面を見ると、メッセージの主は高森ではなかった。

『秋津 よだか : こっちは雨です。』

 メッセージと一緒に、どこかの屋上からの景色が添えられている。
 暗く立ち込める雲の下、雨の街は薄暗くて、いま見ている空と繋がっているなんて、うまく想像できない。

 でも、それはたしかに、いまこの瞬間、遠い街でたしかに存在する景色なのだ。
 本校舎の屋上で、いまも誰かが楽しげに昼食をとっているんだろうとも思う。
 たぶん、この場所の雰囲気とは、まったくちがうかたちに。

「佐伯って、きょうだいいる?」

「兄がいます」

 彼女はなぜか敬語だった。俺は肩をすくめる。

「仲良い?」

「どうかな。基本的には好きだよ……その分、憎らしくなるときがあるかも。浅月は一人っ子だったよね?」

「うん。まあ、たぶん」

「……どういう意味?」

「いろいろあるんだよ」

「……そっか。まあ、いろいろあるよね」

195: 2015/11/26(木) 23:56:09.86 ID:KuRGWnJ0o

「好きとか嫌いとか、よくわかんないんだよな」

「そうなの?」

「うん。ずっとこのままじゃだめなのかな。仲がいいだけ。何も変わらずに」

「ああ、うん……。わかる。わかるよ」

 佐伯は何度かうなずいてから、首を横に振った。

「でも、変わらずにはいられないよ。ぜんぶぜんぶ、変わっていくんだよ」

「……」

「浅月はそうでも、ちはるちゃんの方は、どうなのかな」

 俺は黙りこむ。

「変わることを、望んでるのかもしれないよね」

 ……。

「かわいい子だし、中学のときも、彼氏くらいいたかもね」

「……」

「そういうの、きっと、当たり前のことなんだよね」

「たぶんね」

 と俺は平気なふりをした。


196: 2015/11/26(木) 23:56:36.76 ID:KuRGWnJ0o



 放課後になって文芸部室にいくと、既に部員たちが全員そろっていた。
 
 佐伯もゴローも部長も高森も、それからるーも。

 高森は既にみんなにカラオケの話をしていたらしくて、部長も乗り気みたいだった。
 さて、じゃあヒデに話して部活は課外活動ってことにしてもらおう、という流れになったタイミング。

 そのときに扉がノックされたから、高森は一瞬びくびくした顔で扉を見つめていた。
 でも、入ってきたのは嵯峨野先輩ではなかった。

「失礼するよ」と部室に入ってきたのは、見知らぬ男子生徒だ。

 どこかで見たような顔という気がしたけど、たぶん話したことはない。
 何かの機会で顔を合わせただけだろう。

 彼は部員の顔をひととおり眺めたあと何かを確認するみたいにうなずいて、部長の方を見た。

「由良さん、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな」

「どちらさま?」

 部長はぼんやり首をかしげた。

「第二文芸部の部長をやってる及川です」

「あ、及川くん?」

 名前を言われればわかるのに顔を見てもわからないあたり、部長もひどいと思う。

 こほんと咳払いをしてから、及川先輩とやらは話をはじめた。
 どこかわざとらしい口調で。なんとなく、敵意のような含みを感じる。


197: 2015/11/26(木) 23:57:03.38 ID:KuRGWnJ0o

「ちょっとお願いしたいことがあるんだ」

「なに?」

「そのまえに訊きたいんだけど、きみたちも六月中に部誌を出すんだって?」

「"も"ってことは、第二も出すの?」

「ああ。そのことで提案があるんだ」

「提案?」

「うん。オリエンテーションみたいなものなんだけどね。ちょっと勝負をしないか?」

 部長は首をかしげて、俺やゴローの顔を助けを求めるみたいに見回した。
 何言ってるのこの人、という顔で。

「同じ日に、部誌を発行して、全クラスに配布しないか」

「……はあ。そのこころは?」

「その翌週に、昇降口の傍に投票箱を設置して、どちらの部誌が面白かったかを投票してもらう」

「……」

「つまり、部誌の出来を競い合うゲームをしないか?」

 何言ってんだこの人、という顔をみんながした。
 
「はあ。なんでまた?」

「楽しそうじゃない?」

 及川さんはにっこり笑う。
 べつに楽しそうでもない。


198: 2015/11/26(木) 23:57:29.74 ID:KuRGWnJ0o

 部長は数秒、考えこむような表情をしていたけど、五秒くらいしてからいかにも「考えるのがめんどくさい」って顔をして、

「いいよ」

 と独断で決めた。

「いいんですか。そういうの、許可とか必要あるんじゃ……」

 俺の疑問に答えたのは部長ではなく及川さんだった。

「もう、両方の顧問と、他の先生方の許可もとってあるよ。生徒会にも一応」

 おいおい。先にこっちに話を通せよ、と俺はちょっと呆れた。

「で、提案なんだけど」

「……はあ」

 部長はちょっとうっとうしそうな顔をしていた。

「もし投票で俺たちが勝ったら、第一と第二を交換しないか?」

「はい?」

「つまり、俺たちが第一、きみたちが第二になる」

「……」

「勝った方が第一文芸部。そういう賭けをしないか?」

 俺は、部長の表情を見る。「すごくどうでもいいしめんどくさい」という顔。
 ゴローと高森を見ると、「この人が何を言いたいのかわからない」という顔をしている。
 俺にもよくわからない。


199: 2015/11/26(木) 23:58:15.17 ID:KuRGWnJ0o

「なんでそんな賭けを?」

「特に理由はないよ」

「だって、そんなの、わたしたちで決められることじゃないでしょ?」

「言ったろ。もう許可はとってある」

 俺はちょっと笑いそうになった。
 くだらないことにたいして、すごく真面目な行動力を発揮している。
 ある意味で第二文芸部らしい。

「俺たちが勝ったら、これからは俺たちが第一文芸部だ」

「いいよ」
 
 と部長はうなずいた。
 それから部員たちの表情を見回して、「いいよね?」と首をかしげる。

 俺もゴローも高森もうなずく。るーは、どう反応していいか分からない顔をしている。ずっと。

「なんなら今すぐでもいいです」という俺の言葉に、

「それじゃおもしろくない」と及川さんは笑った。
 
 俺たちは既に楽しめそうもない。


200: 2015/11/26(木) 23:59:02.59 ID:KuRGWnJ0o

 それから及川さんは、期日とか、部誌の内容についておおまかなルールを決めたあと、

「じゃあ、よろしく」と背を向けて部室を去ろうとした。
 その背中に俺は声を掛ける。

「聞いてもいいですか?」

 彼は肩越しにこちらを振り向いた。
 
「なに?」

「もしこっちが勝ったら、第二は何をしてくれるんですか?」

 考えていなかった、という顔を彼はした。
 そのときだ。

 そのとき、俺はイラッとした。
 勝負なんてどうでもいいし、どっちが第一でどっちが第二かなんてどうでもいい。
 でも、そういう顔は、ムカつく。

「考えとくよ」と及川さんは言った。アンフェアだとは、どうやら思わないらしい。

 俺は苦笑して、ゴローの顔を見た。ゴローは肩をすくめていた。


201: 2015/11/27(金) 00:00:04.68 ID:s/W9kd+Qo

「俺たちが決めてもいいですか?」

「……まあ、対等な条件ならね」

「じゃあ、何か考えておきます」

「ああ、よろしく」

 そう言って及川さんは去っていった。
 閉ざされたドアをみんなで十秒くらい見つめたあと、沈黙が起こる。

 高森と俺は苦笑いをして、ゴローは眠そうにあくびをした。
 るーは、なにがなんだかわからないような顔。
 
 部長だけが、真面目な顔でずっと自分の手の甲を見つめていたけど、しばらくしたら手のひらを打ち鳴らして、

「じゃ、カラオケいこっか」

 とにっこり笑う。一連の流れに置いてけぼりにされていたるーだけが、きょろきょろとみんなの顔を見回していた。
 

205: 2015/11/28(土) 19:01:23.32 ID:e5/BPC6No



 職員室に行くと、ヒデは自分の机で何かの作業をしているようだった。

「中田先生、部誌の話なんですけど」

「あ、うん。第二と合同で何かの企画をやるんだろ? やっぱりみんなやる気出してくれたんだね。新入部員も入ったし」

 部長はちょっと溜め息をつきそうになって、さすがにやめておいたみたいだった。

「第一と第二が入れ替わるかもって」

「うん。第一の座を賭けて勝負なんて面白いよね。きっと、普段文芸部の活動を見てない人も興味を持つよ」

 やさしげな熊みたいな顔で、ヒデはぽわぽわ笑った。

「……そうですね、そうかもしれない」

 部長はべつに異論を唱えたりはしなかった。どうせもう引き受けてしまった勝負なのだ。

「それで、みんなそろって何の用事?」

「今日は新入部員の歓迎会をしたいので、活動を休みにしたいんです」

「ああ、うん。了解。戸締まりは?」

「しておきました」

「分かった。うん。部誌の作業は、いつもどおりみんなに任せていいよね?」

「はい。最終確認だけしていただければ」

「了解。しっかりね」

 そんなわけで、顧問公認でカラオケに行くことになった。



206: 2015/11/28(土) 19:02:18.52 ID:e5/BPC6No



 昇降口を出てから、少しだけみんなが靴を履き替えるのを待つ。
 女子集団は移動するにもおしゃべりをしていて、おかげで男子とは足並みがなかなか揃わない。
 
 そんなタイミングでゴローとふたりきりになると、彼は少し困った感じに笑った。

「どうやら、あの賭け、勝てそうもないな」

「べつに負けたっていいだろ。名前が変わったってやることが変わるわけでもない」

「そっちじゃない。俺とおまえの賭けのことだよ」

「……ああ。そっち」

 そういえば、あれもあれで賭けだったんだっけ。
 すっかり頭から抜け落ちていた。

「……勝てそうもないって、どういうこと?」

「うん。なんとなく分かった。藤宮が入部してきたときは、ちょっとどうにかなるかとも思ったんだけどな」

「……きらきら?」

「そう。タクミくんにとってのきらきらの話」

 藤宮ちはるが、俺にとってのきらきらになりうるかもしれない、とゴローは思っていたらしい。
 そして、その考えを今翻した。

 俺はちょっと意外に思う。俺の方こそ、敗北宣言をしなきゃいけないかもしれないと考えそうになっていたのに。


207: 2015/11/28(土) 19:03:20.06 ID:e5/BPC6No

「でも、どうやら無理みたいだな」

 吹奏楽部の音階練習の響きが聞こえた。日差しがあるせいで、外は少し暑い。
 グラウンドで野球部が練習をしているのが見える。剣道部が敷地の外周をランニングしている。
 
「タクミが退屈そうにしてたのは、楽しいことがないからだと思ってた。毎日が平板で退屈だからだと思ってた」

 違うんだな、とゴローは言う。

「おまえは何かに気を取られていて、目の前のことを素朴に受け取ることができなくなってるみたいだ」

「……」

「なにが目の前にあったって、他のことを考えてる」

「……」

「おまえ、本当は、藤宮に会いたくなかったんじゃないか?」

 勝手なことを言われている、と思った。
 怒ってもいいところだ。たぶん。

"たぶん"と思うということは、俺は怒ってない。

「なあ、日々はそんなに退屈で、世界はそんなに平板か? 本当に?」


208: 2015/11/28(土) 19:04:16.64 ID:e5/BPC6No

 あの夏のことを思い出す。何もかもがきらきらに輝いていた。
 昼寝の午後、プールの水面、みんなで出掛けた道、祭りの金魚、
 台風の夜、大騒ぎのバーベキュー、UFOキャッチャーのぬいぐるみ。
 
 朝から遊んで、遊び疲れて昼寝して、昼食をとってからみんなで出掛けたような日々。
 隣にはるーがいた。傍にはみんながいた。

 るーの姉たち。静奈姉。それから、遊馬兄と美咲姉、遊馬兄の友達。 
 きらきらしていた? きらきらしていた。

 でもそれは、俺が"知らなかった"からだ。
 ものごとのひとつの側面しか見えていなかったからだ。
 隠されていたもの、裏側にはりついていた影、マジックミラーの向こう側。

「日々が退屈だとも、世界が平板だとも、べつに思わないよ、俺は」

 そう答えた。本当にそう思った。

「つまり俺は、ロマンチストなんだよ」

 ゴローは納得がいかないような顔をしていた。
 
 俺はポケットから携帯を取り出して、"秋津よだか"とのトークを開く。
 例の写真を、もう一度見る。彼女は濡れながらこの画像を撮ったのだろうか。

 俺はカメラを上に向けて、透き通るように晴れ渡った五月の空を撮影する。
 
 こっちは晴れてるよ。そう添えて、その画像を送った。
 それが本当のことだ。誰がどう感じようと、それはそういうものだ。

「……それにしても、遅いな、あいつら」

 ゴローはぼやきながら後ろを振り返る。たしかに、みんな遅い。


209: 2015/11/28(土) 19:04:59.64 ID:e5/BPC6No



 で、やっと出てきた女子部員たちに、ひとり男が混じっていた。

「やあ」

 と嵯峨野先輩はにっこり笑って俺たちに向けて手を挙げた。

「どうも」と俺たちは頭をさげる。

「カラオケ行くんだって? 俺も一緒に行ってもいい?」
 
 恐れのない人だなあと俺は思ったが、まあ案外こんなもんなのかもしれない。
 自分が遠慮がちだからそう感じるだけなのかもしれない。

「だめです」

 と、それでも俺は断っておいた。高森が救いを見たような顔をする。

「え、駄目?」

「……や、べつにいいです」

 でも聞き返されると断りきれなかった。自分を悪者にしたくないタイプなのだ。
 高森は裏切られたような顔をしていた。

 よっぽど苦手らしい。

 とはいえ、どうやって断れというんだ、こんな言われ方をして。


210: 2015/11/28(土) 19:06:12.08 ID:e5/BPC6No

 そんなわけで俺たちは駅前近くのカラオケ店に連れ立って向かった。
 男子三人女子四人、計七名。

 冷静に考えれば奇妙な組み合わせかもしれない。

 いっそ嵯峨野先輩が本当に文芸部に入ってしまえば、この奇妙さも少しは軽減されるような気もする。
  
 部屋に入ってデンモクをまっさきに掴んだのはゴローだった。 
 こういうとき一番乗りするのはいつも高森なんだけど、嵯峨野先輩のせいで少し緊張状態にあるらしい。
 おかげで俺たちもやりづらい。

「ほら、タクミ」

「俺?」

「一発かましてくれ」

「わー」とるーがうれしそうに笑った。
 
 仕方ないな、と俺は覚悟をきめて、少し考えてから曲を入れた。


211: 2015/11/28(土) 19:07:25.89 ID:e5/BPC6No

 カラオケの定番やランキングに入っているような曲は歌えない。
 というか普段ならそういうことを意識しないのだが(みんな気にしないし)。

 とりあえず「1000のバイオリン」をほどほどノリながら歌った。
 歌うのは嫌いじゃない。上手くないけど。愛想っぽい縦ノリが痛い。

 誰かが勝手に採点をオンにしてたらしく、曲が終わると点数が表示された。83点。
 一曲目歌ったあとの沈黙は、ノッてる奴がいないと痛い。

 が、大声で歌う俺を見ているうちに、高森も気を使うのがばからしくなったらしい。
 嵯峨野先輩を気にしても仕方ないと悟ったのか、俺の次に歌ったのは彼女だった。

 高森が歌ったのは大森靖子の「絶対絶望絶好調」だった。無駄に上手い。

 91点。
 ああ、もうこれで俺が気を使わなくても大丈夫だ、と思った。
 

212: 2015/11/28(土) 19:08:08.89 ID:e5/BPC6No



 部長とるーはほとんど歌わなかった。ときどき思い出したみたいに高森とデュエットしたりしてたけど。

 それもそのはずで、そもそもは高森の気分転換のためのカラオケだったのだ。
 気分転換どころか、ストレスの原因(といったら可哀想だけど)が一緒に来てしまったけど。

 ゴローはずっとタンバリンを鳴らしていた。
 佐伯はというと、意外にも好きなタイミングで好きな曲を入れて勝手に歌っていた。
 たいてい、みんなの知らない曲だった。

 それで嵯峨野先輩はというと、ひたすらにバックナンバーを歌っていた。
 どうやら好きらしい。

 俺は妙な対抗心を働かせてバックホーンを歌ったけど、冷静に考えたらあんまり対抗できていなかった。

 ともかく高森は嵯峨野先輩のことが気にならなくなるくらいに熱心に歌った。

 途中からその歌いぶりにみんなが聞き惚れていた。
 高森が宙舟を歌えばみんながほおっとなった。高森が地上の星を歌えばみんなが我が身を省みた。
 高森が糸を歌えば誰もが涙ぐんだ(中島みゆきが好きなのかもしれない)。
 
「糸」を歌いきったあと、「この曲を藤宮ちはるさんに捧げます! 入部してくれてありがとう!」と高森が叫ぶ。
 俺たちは感涙しながらぱちぱちと拍手をした。るーはにこにこと「ありがとうございます!」と返事をしていた。
 
 俺は新入部員の歓迎会という建前を忘れていたが、「るー、ありがとう!」と騒いだ。
 みんながみんなるーに「ありがとう!」と声をかけた。

 ちょうどいいタイミングでゴローの頼んだコロッケを持ってきた店員は、宗教の集まりを見るみたいな顔をしていた。



219: 2015/12/01(火) 23:48:02.77 ID:OBEIEYcPo




 歌をうたう高森のハイテンションぶりをみて、嵯峨野先輩がどんな反応をしたかというと、これが意外にも好印象だったらしい。
 
 高森の方もまた、一度テンションの殻を破ったところを見せてしまうと、彼のことが平気になったらしい。

「蒔絵ちゃん、歌うまいんだね」

「まあそうですね。そういうとこあります」

 なんて、ふたりで楽しそうに会話していた。
 そんな調子で高森のテンションが高めになったところで嵯峨野先輩が連絡先をきくと、彼女はあっさり教えていた。
 華麗なやり口だと俺は思った。
 
 それから先輩は映画を観るのが趣味だとかそういう話をして、知っている映画をいくつか挙げた。
 高森がそのうちのひとつに反応を示すと、「実はその映画の監督の新作が今やってて……」という話になり、
 最終的に「じゃあ今度一緒に見に行かない?」なんて誘いにいつのまにか変わっていた。

 俺が同じことをやろうとしてもこうは行くまい。

「あ、いや……ふたりでですか?」

 と高森がちょっと冷静になって難色を示すと、嵯峨野先輩はあっさりひいて、

「いや、何人かでさ。ここにいるみんなでもいいけど」

 と当たり前のようにみんなの顔を見回す。
 
「今週の土曜にでも、どう?」

 俺たちは顔を見合わせた。


220: 2015/12/01(火) 23:48:28.66 ID:OBEIEYcPo

「……あ、や。待ってください」

 と高森が言いかけたところで、

「俺はいいっすよ」

 とゴローは言った。
 
 俺たちは面食らった。

「タクミは?」

「……土曜? バイト夜からだし、まあ平気だけど」

「高森も暇だって言ってただろ?」

「え……」

「どうせ家でゲームやるだけだって言ってたじゃん」

 事実を婉曲的な表現で持ちだしたゴローに対して、高森は「うっ」と言葉に詰まる。

「蒔絵ちゃん、ゲームとかやるんだ。どんなの?」と嵯峨野先輩が妙に食いつく。
 
 さすがに、怪訝に思う。この人ちょっと変じゃないか?

 とはいえ、今それより気になるのは、むしろゴローの対応の方だった。
「映画館に観に行くより、レンタルショップで借りてきた映画をひとりで見た方が面白いし数も見れる」と豪語してたのに。
 

221: 2015/12/01(火) 23:49:28.12 ID:OBEIEYcPo

 何のつもりだと思ってゴローを見ると、彼はどうでもよさそうに部長と佐伯にも予定を確認しはじめた。

 ふたりは一瞬ずつ、ちらりとゴローと目を合わせて、なにかを察したような顔をして、

「大丈夫」「平気だよ」とそれぞれ頷いた。

 最後に彼はるーの方を見て、

「藤宮は?」と訊ねる。

「……皆さんがいくなら」と、突然の流れに戸惑いながらも、るーは頷く。

 どういうつもりだと問いたかったけど、嵯峨野先輩はすごく乗り気で、「じゃあ上映時間調べてから連絡するよ」とにっこり笑った。
 
 マジでか、と俺は思った。


222: 2015/12/01(火) 23:49:56.18 ID:OBEIEYcPo



 とにかくその場はそれで解散になり、その週の土曜に出掛けるという話になった。
 家に帰ってからラインに通知が来て、何かと思ったら文芸部のトークグループをゴローが勝手につくったようだった。

『第一文芸部(5)』

 るーの連絡先は知らなかったらしく、彼女は含まれていない。

『そんなわけで土曜日映画です』

『どういうつもりだ!』

 ゴローのメッセージに対して、即座に高森から怒りの返信。

『え、いいじゃんべつに。みんなで映画観たかったんだよそう、きっとそう』

 ゴローは文字媒体だと五割増しくらいで発言が適当になる。

『わたしは観たくない!』

『どうせ暇だろ』

『休日の使い方なんて自由なはず!』

『どうしてもっていうなら行かなくてもいいと思うけど、べつに』

 通知がうざい。

 とりあえず通知をオフにして、様子をうかがう。
 ところがそれから十五分くらい返信が途絶えた。

 俺がちょっと不安になったところで、高森から『行く』というメッセージ。

 ……たぶん、『自分がいないところでみんなで出掛けてるのもそれはそれでいや』ってことだろうな。
 佐伯も部長も抵抗なさそうだったし。


223: 2015/12/01(火) 23:50:21.55 ID:OBEIEYcPo

 しかし、これはどういうつもりなんだろう、とちょっとだけ思う。
 
 部長も佐伯も、あんなに簡単に話に乗るとは思わなかった。
 考える隙なんてほとんどなかったはずなのに。

 まあいいか、と俺は思う。そんなのは気にしたって仕方ないことだ。
 どうせ今日はまだ水曜。土曜のことなんかより、明日のことを考えなきゃいけない。

 そういえば、例の第二文芸部とのやりとりのこともある。
 
 なんで今急に、いろんなことが起き始めているんだろう。
 そんな疑問を持ったけど、それもまた考えても仕方ないことだ。

 ほとんどのことは、俺とは無関係に起きる。

『そういえば、みんな、部誌は何書くの?』

 訊ねてきたのは部長だった。

『ミートソースとボロネーゼの違い』とゴロー。

『じゃあわたしカルボナーラとペペロンチーノ』と高森。

 俺は『ナポリタンの起源』と答えた。すぐに既読4ついた。
 みんな暇なのか? 俺もだけど。

『わたしは何も書きたいことがないということについて書きます』と佐伯。

『あとはりねずみのこととか』と続く。

『なんだそれ』とゴロー。俺もそう思った。


224: 2015/12/01(火) 23:50:53.05 ID:OBEIEYcPo

『はりねずみかわいいよね。ひらがなにするともっとかわいい』

 そう語る佐伯のラインのアイコンはピンク色の、オウムかインコかよく分からない鳥の写真だ。

『動物全般がかわいい』と高森。

『猫がいちばんかわいいけどな』とゴロー。

 部誌の話はどこにいった。

『蒔絵ちゃんは小説?』と、部長が話を戻す。

『たぶんそうなると思います』

『タクミくんは?』

 ……そうか。ゴローは本当にパスタ系で行くらしいから、答えてないのは俺だけってことになるのか。
 俺は、第二文芸部の、及川さんとの会話を思い出す。

『ほどほどに、疲れない感じのものを』

『随筆?』

『ほどほどに疲れない感じのものを装ってはいるけど、よく読むと疲れる感じのものが理想です』

『ジャンルを聞いてるんだけど……』

『ノリに任せます』

『……出来を見て判断します』

 書き始めの段階では日記だったつもりが、気付くと小説になってる、というパターンが割と多い。
 まあ、そんな調子で結局小説であることが多かった。


225: 2015/12/01(火) 23:51:20.35 ID:OBEIEYcPo

 突然、ゴローからグループに画像が送られてくる。
 どうやらゴローの家の猫の写真らしい。丸くなって、クッションのうえで眠っている。

『かわいい』と佐伯。

『寝てる猫はだいたいかわいい』と高森。

『まあ飼い主に似るっていうしな』とゴローは調子に乗っていた。
  
 俺はそこでとりあえずラインを閉じた。 
 部誌のこと。本当に、例の企画めいたことをやるつもりなら、ヒデが言っていたように、普段より注目は受けるかもしれない。
 というか、注目を受けなければ成立しない企画だから、注目を受けるだろう。

 第二の行動力は半端ではないし、お祭り騒ぎが好きな奴らだ。
 教師陣や生徒会にまで許可をとった以上、各学級にホームルームで通達とかしかねないし、ポスターくらい作りかねない。

 それを思うと少しだけ気分が重くなった。
 勝ち負けで言ったら、たぶん負ける。それが分かっているのが、ちょっとだけしんどい。
 もちろん、勝つために書くわけではない。だからといって、負けの烙印を押されたら、悔しくないわけがない。

 溜め息をついたところで、ラインの通知が鳴った。
 またか、と思ったけど、よく考えたらグループトークの通知はさっきオフにしておいたのだった。

 メッセージを見ると、どうやらまた、秋津よだかからのものだった。
 一日に何度もメッセージをよこすのは珍しい。

『こんな日だけど、夜空はきれいです』

 添えられた写真は、どうやら夜空を写したものらしいが、俺には真っ黒にしか見えなかった。


226: 2015/12/01(火) 23:52:07.65 ID:OBEIEYcPo



 誰も誘わないもんだから、仕方なく俺がるーにグループへの招待を送った。
 べつに誰が困るわけでもないだろうし、困るなら別のグループをつくれば済むことだ。

 るーは儀礼めいた挨拶だけすると、それ以降は発言しなかった。
 それから個別ラインで、俺に『ありがとうございます』とメッセージをよこした。
 実物より文面の方がそっけない感じになるのが、いかにも彼女らしい。

 それからまた、個別の方で追撃が来る。

『ちょっと訊きたいんですが、タクミくんって、蒔絵先輩と付き合ってたんじゃないんですか?』

 俺は一瞬混乱した。

『なんでそう思ったの?』

『たっくんて呼んでましたし、仲良さそうでしたし、よく話してましたし、付き合わないまでもいい感じなのかな、と』

『それは気のせいだな』

『気のせいでしたか』

『高森は人をあだ名で呼ぶくせがあるんだよ』

『そうだったんですか』

『大抵、あだ名の方が名前より長くなる』

 タクミ→たっくん、ゴロー→ゴロちゃん、ちえ→ちーちゃん。見事に長くなっている。

『かんちがいしてました』

『そういう事実はないです。もう寝なさい』

『おやすみなさい』とるーは素直に返事をよこした。
 
 

227: 2015/12/01(火) 23:52:45.13 ID:OBEIEYcPo

 ふう、ようやく落ち着いたな、と思ったところで、またラインの通知。
 普段は一日に一度も鳴らない日の方が多いのに、今日に限っていったいなんなんだろう、と思って画面を見る。
 
『しあわせってなんだろうね?』

 秋津よだか。

 知るかよ、と俺は思う。

『探せば?』

『見つかると思う?』

『どこかにはあるかも』

『そうだといいよね』

『ないかも』

『なかったら悲しいね』

『悲しい』

『おやすみ』

『おやすみ』

 そして俺は携帯の電源を落とした。
 課題をしてから少し部誌の原稿の内容について考えて、思いついた言葉や題材のメモをノートに残す。  

"遠足、楽しげな顔、地球の裏側、燃え続けている、秋津よだか、
 星、鳥、燃え続けている、飛行機事故、虫刺され、知ること、知らないこと、ハッピーエンド、
 ページをめくらないこと、猫の氏体、鷹島スクイ、鉱質インク、手首、花火、目を瞑る、“

 ふと気付くと随分長い間ぼーっとしてしまっていたみたいだった。

「まだ寝ないの?」と扉の向こうから静奈姉が声をかけてきた。明かりが漏れていたらしい。
「もう寝るよ」と俺は答えた。そして実際、シャワーを浴びて眠った。少しだけ夢を見た。


232: 2015/12/03(木) 21:13:10.04 ID:HC95gLgbo



 そして問題の土曜の朝、待ち合わせの場所に指定された駅前のドーナツ屋に姿を見せたのは、嵯峨野先輩と高森とるーだけだった。

 ちょうど約束の時間を過ぎた頃、ゴロー、佐伯、部長、それぞれから示し合わせたように連絡が来た。

「急用が出来たので今日はいけない」とゴロー。

「歯医者の予約を入れていたのを忘れていました」と佐伯。

「部誌の作業が遅れているので」と部長。
 
 みんな急用ができたみたいです、と報告すると、嵯峨野先輩は「そうなんだ」とちょっと困った顔をした。
 高森は「仕方ないね」と溜め息をついていたが、るーはどっちでもよさそうだった。

 土曜の朝十時過ぎ、開店直後のドーナツショップにはあまり人気がなかった。
 俺たちを除いて何組かの客がいるだけで、まだどちらかというと朝の静けさを引きずっているような様子。

「じゃあ、とりあえずこの四人で映画に行く?」

「……に、しますか」

 一度観に行くことを受け入れたわけで、そうなると集まらなかったからといって解散するのも気が進まない。
 ましてや、一人二人ならともかく、四人揃っているわけで。


233: 2015/12/03(木) 21:14:11.60 ID:HC95gLgbo

 というか。
 そういうことを見越してゴローが謀ったのではないかと疑ってしまう俺は性格が悪いのか?

 高森もるーも、そういうことを一切疑っていない様子で、おかげで俺は自分がひどく疑心暗鬼の状態なんじゃないかと悲しくなった。
 
「それにしても、みんな揃って用事とはね」

「まあ、土曜はみんな忙しいですからね」

 たぶん。知らないけど。
 高森は「それならわたしだって経験値……」とぼやいていたけど、俺はしらんぷりした。

「映画の上映時間だけど、昼過ぎからみたいなんだよね。それまでどっかで時間潰そうか」

 まあ、そうなっちまったもんは仕方ない、と嵯峨野先輩に従う。
 彼も彼で人数が少なくなると落ち着いて仕切り始めた。

 このあいだは俺たちに乗っかったかたちだったけど、今回は彼が提案した形になる。
 ちょっとだけ彼の対応が変わっているあたり、責任感が強くて柔軟なタイプなのかもしれない。

 悪い人じゃないんだよな。
 馴れ馴れしいけど。


234: 2015/12/03(木) 21:14:41.93 ID:HC95gLgbo

「映画館って、モールですよね?」

 と訊ねたのはるーだった。モールというのは近隣にある大型複合施設の通称だ。
 以前、この街に来た時も行ったことがある。ほとんどよく覚えていないけど。
 
 あのときもみんな一緒だった。

「モールに映画館なんてあったっけ?」

「昔はなかったんですけど、モール自体が改装されて、そのときに映画館がすぐ傍に……」

 ずいぶん思い切った改装だ。

「モールでぶらぶらしながら時間つぶして、お昼食べてから映画行く?」

「それがよさそうですね」と高森は頷いた。

 なんだか、普段とメンバーが違うせいで、高森のノリも違うような気がした。
 こういうとき、行き先を決めたりするのはもっぱら佐伯や部長で、高森は決めたことにただ従う場合が多かったのに。
 
 人間って柔軟な生き物なんだなあ、と妙な感動を覚える。
 ひとりでいることが多いと、そんなことすら分からない。


235: 2015/12/03(木) 21:15:20.67 ID:HC95gLgbo

 そういうわけで、その場で軽食をとってから駅へ移動。モールへと向かった。

 モールと言った途端、高森がやけに乗り気になったのが気になって、

「妙に乗り気だけど、モールに何かあるの?」

 と訊ねると、

「ゲーセンでプリパラする」

 と反応に困る返事が来た。
 特にコメントもない。

 嵯峨野先輩は移動中、天気とか、部誌の話とか、いろいろみんなに話題を振ってきた。
 膨らませ方がうまいのか、次から次へと話題が転がり、会話が途切れることはなかなかない。

 というか、聞き上手なんだろう。
 
 自然と話は嵯峨野先輩と高森、俺とるーのふたりに分かれていった。
 嵯峨野先輩が高森に話題を振るもんだから、当然と言えば当然だ。

「るーは、モール、よく行くの?」

 気紛れにそう訊ねると、意外な質問だったみたいに、彼女は一瞬だけ黙りこんだ。

「あんまり。ときどき、お姉ちゃんたちについていくときはありますけど」

「そうなんだ。映画とかは見ないの?」

「たまに気になるのがあるときは観に行きますよ。でも、そんなには」


236: 2015/12/03(木) 21:16:32.49 ID:HC95gLgbo

「休みの日とかって何してるの?」

 俺は適当に「困ったらこれを振っときゃ間違いない」みたいな話題を振った。

「えっと、買い物に出掛けたり、本を読んだり、友達と遊んだり」

「ああ、一緒一緒」

「おそろいですね」

「ですねー」

 ホントかよ、と俺は思った。たぶん俺と彼女じゃ「買い物」の意味も違う。読む本さえ違いそうだ。

「……本って、どんなの?」

 俺は嵯峨野先輩を見習って、ちょっとだけ話題を膨らませてみた。

「基本的に、小説が多いですね」

「どんなの?」

「だいたい、映画とかドラマの原作が多いですね。文学みたいなのは、あんまり」

 るーは照れたみたいに笑った。そういう表情が珍しくて、ちょっとどきっとする。
 して、一個下の女の子の照れた顔にどきっとしてしまう自分の耐性のなさに情けなくなる。


237: 2015/12/03(木) 21:17:05.77 ID:HC95gLgbo

「最近だと……」と、るーは今やっているドラマの原作本を挙げた。
 
「ああ、読んだそれ」

「おもしろいですよね」

「うん。あの作者、昔はシリアスなものをシリアスにやってたけど、最近はシリアスなものを軽やかにやってるんだよな」

 と俺は適当に思いつきの批評をした。本当にそう思ってるんだけど、言ってからなんとなく後悔する。

「そうなんですか?」とるーは気にした風もなく首をかしげる。俺は恥ずかしくなる。

「うん。そんな感じがする」

 と俺は曖昧にぼかした。

「タクミくん、けっこう本を読むんですか?」

「……そんなには。図書室でときどき借りて読むくらいで」

「さすが文芸部員」

 話題を誘導する技量がないから、すぐに自分に都合の悪い展開になってしまった。
 なるべくなら、自分の話はしたくない。

「……そういや、るーは部誌、何書くか決めた?」

「あ、えっと……まだ悩んでます。早めに決めないといけないものなんですか?」


238: 2015/12/03(木) 21:17:31.29 ID:HC95gLgbo

「部長が気にしてたんだよな。たぶん、早めにレイアウト組みたいんだと思う。配置考えてるの、部長だから」

「……単純に、並べるだけじゃないんですか?」

「あの人、変なところで凝り性だから」

「はあ。そうでしたか」

 また話がずれてる。
 俺に相手から話題を引き出す能力はないらしい。

 そんなこんなで話していると目的の駅について、そこから徒歩五分のモールへと向かった。

 それにしても、意外と話せるもんだな、と俺は思った。

 何を話せば良いのかわからないって、本当はなんとなく困ってたのに。
 それもきっと、彼女のおかげなんだろう。


239: 2015/12/03(木) 21:18:23.25 ID:HC95gLgbo



 冗談かと思ったんだけど、高森はモールについた途端迷わずにゲームコーナーへと向かった。
  
 店の外観は以前見たのとほとんど変わらないが、店内に入るとすぐに記憶との違いが目につく。
 
 もちろん、当時は今よりずっと背が低かった。
 あのときは何もかもが大きくて広く見えた。人だって、ずっとたくさんいるように感じた。
 何かのテーマパークのようにすら、俺は感じていた。天井はずっと高く感じた。

 けれど今となっては、それはどこにでもある大型複合商業施設にしか見えなかった。
 何かを知るというのはそういうことなのかもしれない。

 テナントはいくつも入れ替わり、内装も以前とはかけ離れていて、昔軽食屋のあったスペースがただの休憩所になっていたりした。

 時刻は十一時ちょっと前と言ったところ。
 付近にあるフードコートには、混みあう前に昼食を済ませてしまおうという層か、それとも遅い朝食をとろうという層のどちらかが何組か。
 開店してからそう時間が経っているわけではないから、人気はそう多くはないけれど、かといって空いているというふうでもない。

 ゲームセンターでは、親の買い物に付き合わされて飽きた様子の子供たちがはしゃいでいる。


240: 2015/12/03(木) 21:20:03.33 ID:HC95gLgbo

 高森は本当に女児向けカードゲームコーナーに座り込みはじめた。
 どうやらバッグのなかにカード入れを持ってきたらしい。最初からそのつもりだったんじゃねーか、と困る。
 最初は三人で並んで高森のプレイを見ていたけど、さすがに何分も見ている気にはなれなくて、嵯峨野先輩だけをおいてその場を離れた。

「タクミくん、UFOキャッチャーありますよ」

「ああ、うん」

「タクミくん、得意ですよね」

「……」

 得意。得意か。

 プライズキャッチャーの前に、子供がふたりいた。プライズは子供向けアニメの人気キャラクターのぬいぐるみ。
 
 男の子がクレーンを操作しているのを、女の子がわくわくした顔で眺めている。 
 が、とれない。

「あらら」とるーは残念そうな顔をした。

 それから子どもたちはうしろから見ていた俺たちを振り向くと、ちょっと機体から離れた。
 どうやら順番待ちだと思われたらしい。

 俺は財布を取り出して小銭を突っ込み、さっきの子どもたちが狙っていたぬいぐるみを動かす。
 とれない。三度ほど同じように、ぬいぐるみをクレーンでつついた。

「昔は、一発でとってましたよね」

「まあ、そういうことだよ」

「……何がですか?」


241: 2015/12/03(木) 21:20:38.27 ID:HC95gLgbo

 俺がゲーム機から離れると、さっきの子どもたちがふたたびクレーンゲームの前に立った。
 小銭をつっこんで、緊張した面持ちでクレーンを操作する。
  
 今度は、クレーンがしっかりプライズを掴んでいた。

「……あ」

「遊馬兄も同じことをやってたんだよ。とりやすいように、位置とか角度をちょっとずらしてから、俺と代わったんだ、あのとき」

「……そうだったんですか?」

「うん。そういう人だった」

 ぬいぐるみを手に、うれしそうにはしゃぐ子どもたちの姿を眺める。

「……お兄さんが」

「うん。俺が取れたのは、遊馬兄のおかげだよ。俺がすごかったわけじゃない」


242: 2015/12/03(木) 21:21:34.01 ID:HC95gLgbo

 るーはちょっと黙りこんだまま、俺の顔を見上げてきた。
 少し、落ち着かない気分になる。今更こんな種明かしをしたって、誰が得をするわけでもない。

 ちょっとだけ、後悔する。

「……でも、じゃあ、あの子が今ぬいぐるみを取れたのも、タクミくんのおかげなんですか?」

「いや。取りやすくしただけで、実際に取れたのはあの子の実力だよ」

「じゃあ、やっぱり、タクミくんはすごかったんですよ。それに、取りやすく調整するのだって、誰にでもできることじゃないです」

 そう言ってにっこり笑った。
 
 参ったな、と俺は思う。これだからるーは苦手なんだ。
 俺がどんなことを言われれば喜ぶのか分かってるみたいだ。
 
 なんにもできない自分、誰かにやさしい言葉をかけることのできない自分。
 意識してしまう。そういうことを。


243: 2015/12/03(木) 21:22:23.12 ID:HC95gLgbo

「そういえば、まだカナヅチなんだっけ?」

「……なんで急に、その話になるんですか」

 ちょっと困った顔で、るーは目を泳がせた。

「泳げないからって氏ぬわけじゃないって言ったの、タクミくんです」

「それを言われると、ちょっと責任感じるな」

「じゃあ、責任とってわたしに水泳教えてください。今年の目標は25メートルです」

 また、にっこり笑う。
 
「ああ、うん……機会があったらね」

 曖昧にして逃げようとした俺を、

「約束ですよ」

 とるーは捕まえる。
 本当に困った子だ。

 かなわない。

 少し、くすぐったくて嬉しいような、そんな気持ちになる。
 そういうときにはいつも、俺はよだかのことを思い出してしまう。

 彼女は今どうしているんだろう、なんてことを、考えてしまう。

 それにしても、るーは、遊馬兄が今どうしているのかを知っているんだろうか。

 知りたいような気もしたし、知りたくないような気もする。
 知ってしまうのが恐くて、俺は気になることを聞けないままだった。
 一年間、静奈姉にそうしていたのと同じように。


249: 2015/12/05(土) 20:19:13.32 ID:ql/eIKo9o



 高森がゲームに飽きたあと、昼食をフードコートで簡単に済ませてから、時間までぶらぶらと店内を回ることにした。
 
 歩いていると、俺たちと同年代くらいの人がけっこういたりして、すれ違うたびに自分たちがどう見えるかを意識してしまう。
 男女四人で、近いようでどこか距離のある四人。

 友達同士というには距離がある。かといって、特別な関係に見えるほど親密そうでもないだろう。
 あらためて、この四人というメンバーのおかしさを感じる。

 そもそも俺だって中心に立って動くタイプじゃないし、高森だってそうなのだ。

 集団の斜め後ろくらいが安心できる。

「タクミくん、見てくださいこれ」

 と、雑貨屋の入り口にあった商品を手にとって、俺を手招きする。

「なに?」

「くまー」

 と、彼女は奇妙な顔をした熊のキーホルダーを掲げてきた。

「……お、おう。どうしたそれ」

 俺は奇怪な形をした熊の眼力に圧倒されて一瞬怯んだ。

「かわいいです」

「……かわいいか?」

 目の位置が高くて蛙のように思えるが、るーはローテンションのままそこそこご機嫌にその熊を眺めていた。


250: 2015/12/05(土) 20:20:03.17 ID:ql/eIKo9o

「知らないんですか? 最近一部で人気のゆるキャラですよ」

「ゆるいか?」

「わたしの周囲にも理解者はいませんが、このキャラクターの公式ツイッターアカウントのフォロワーは三百人を越えています。じわじわと人気が広がってるんですよ」

 ホントかよ。

「……その熊、片耳ないけど」

「おなかをすかせた自分の子供に食べさせたという設定があります」

「首に巻かれた包帯は?」

「あ、それはファッションって設定です」

「瞳があらぬ方向をむいてるのは……なぜなんだ?」

「ふなっしーだってそうじゃないですか」

 言われてみればそうなんだけど、このキャラをあれと並べていいものなのだろうか。

「ちなみにそのキャラ、なんて名前なの?」

「くまのくらのすけです。人気急上昇中ですよ!」とるーは胸を張った。

 くらのすけって顔か?
 

251: 2015/12/05(土) 20:20:33.94 ID:ql/eIKo9o

 話をぐだぐだと聞いていると、るーは「ちょっと待っててください」と声をかけて、レジまでとたとたと走って行ってしまった。
 ……むかしはもっと、シンプルにかわいいものに惹かれてた気がするんだけど。

 まあ、数年間会っていなかったわけで、趣味くらい多少変わっていても変ではない。

 というか、むしろちょっと安心してしまった。

 再会してからのるーは、どこか一歩引いていて、話していてもちょっと遠慮がちなところがあった。
 でも今のるーは、昔みたいに楽しそうで子供っぽくて、単純に楽しそうだった。

 なんにも変わってないみたいに笑っている。
 そういう姿を見ると、ちょっとほっとする。

「おまたせしました」とレジから戻ってきてすぐ、るーは俺に向けて「はい」と紙袋を差し出す。
 みれば、彼女は袋を二つ持っていた。

「……え、なにこれ」

「プレゼントです。記念に」

「……あの、開けていい?」

「はい」と彼女はにっこり笑う。

 出てきたのはくらのすけだった。

「おそろいですよ」とにっこり笑う。
 こういうの、たぶん、意識しないでやってるんだろうなあ、と思う。
 彼女の方からしたらきっと、なんでもないことなのだ。とにかく今一緒にいたから、という理由だけで。

「……ありがとう?」

「わたしだと思って大事にしてくださいね」

 冗談めかした口調のるーに、「この熊をるーだと思うのは無理があるよなあ」と、俺は大真面目に思った。


252: 2015/12/05(土) 20:21:04.91 ID:ql/eIKo9o

 それにしても、と、改めてるーの姿を見る。
 
 再会して初めて見る私服姿は、昔の印象とはちょっと違う。
 昔はやっぱり服装も子供っぽくて動きやすそうな、活発な印象のものをよく着ていたように思う。
(まあ、それにしてもけっこう女の子らしい服装ではあった気もするが)

 それが久しぶりに会ってみれば、パッと見で「高校生くらいの女の子」らしい服装でやってくるわけだ。
 
 いや、そりゃそうだ。
 俺たちが会っていたのは小学生の頃のことで、今俺たちは高校生なわけだ。

 でも、なんでだろう?

 一定の年齢以上の私服姿の女の子っていうものには、妙な威圧感がある気がする。
 年下だったり同い年だったりしても、自分が圧倒的に後手に回ってしまっている気分にさせられるのだ。

 その時点でちょっと遠く感じたりもする。

 ……たぶん、普段女の子とあんまり遊んだりしないからなんだろうけど。


253: 2015/12/05(土) 20:21:36.68 ID:ql/eIKo9o

 るーもそうだけど、高森の方も私服で会うとけっこう印象が違う。

 まあ、とはいえこんなふうに一緒に出掛けたのがはじめてってわけでもない。
 
 文芸部でカラオケに行こうとか、そういうときだって今までもあった。だから、初めて見たってわけじゃないんだけど。

 そういうことがあるたびに思うのが、ネトゲにすべてを捧げてるように見える高森が、意外とファッションなんかに気を遣う女の子なんだってことだ。
 
 髪型や服装ひとつとったって、ちゃんと見られることを意識してる。
 少なくとも(年頃の女の子ってことを考慮すれば、べつにおかしくはないけど)適当にひっつかんだ服を適当に着回してる感じではない。

「女の子らしさ」を殺さない程度のボーイッシュ、とでもいうような。

 そもそもの話、見てくれはそこそこかそれ以上、という奴なのだ。
 
 髪とか肌とか、自然な風にして、手入れされているような。

 前に一度、そういう感想が口をついて出てしまったときがあった。
「髪きれいだよな」なんて。思わず出てきた言葉だったけど、我ながらちょっとどうかと思う。

 高森は一瞬戸惑った顔をしてから、わざとらしくふふんと鼻を鳴らして、

「まあね、女の子だからね。ちょっとだけなら触ってもいいよ」

 なんて得意がっていた。たぶん照れてたんだと思う。
 ちなみに本当に触ろうとしたら逃げられた。

 俺は渡された紙袋のなかの熊をもういちど眺めてみる。
 変な顔。こういう変なものに惹かれるのは、やっぱり「るーらしい」のかもしれない。
 そこに、やっぱり少しだけ安心する。目の前にいるのは「女の子」だけど、「るー」だ。

 とにかく、私服姿の女の子を前にすると、ちょっと萎縮してしまう、というお話。


254: 2015/12/05(土) 20:22:07.42 ID:ql/eIKo9o



 映画館はそこそこ繁盛している様子だった。
 
 混んでいるからちょっと不安だったんだけど、チケットはあっさり買えた。
 どうやら今週から上映される人気シリーズの影響で混み合っているだけらしくて、俺たちが観る映画はそこまで人気ではないらしい。
 
 高森と出掛けるための口実なのかと思ったら、嵯峨野先輩は今日の映画を本当に楽しみにしていたらしい。

 好きな監督なんだ、と言っていた。
 ずっと昔にこの人の映画を観てから、いろんな映画を観るようになったんだよ。 
 単純な娯楽作品として見たらそんなに面白くはないかもしれないけど、綺麗な映画を撮る人なんだよ。

 そんなふうに。

 何についてもそうだ。好きなものについて話す人は、いつだって楽しそうだ。
 だから、俺は彼のことを、今までより少しだけ好きになる。

 憧れに近い気持ちで。


255: 2015/12/05(土) 20:22:58.46 ID:ql/eIKo9o

 チケットを買って、ポップコーンと飲み物を買い終える頃に、入場案内のアナウンスがされた。
 シアター内に入ると、騒々しかったロビーとは打って変わって静けさに満ちた雰囲気に飲み込まれる。

 映画館のこういうところは嫌いじゃない。
 価格設定を見なおしてもらえれば、毎週のように来るかもしれない。

「楽しみですね」って、るーは俺の隣りに座って笑った。

 席順は、嵯峨野先輩、高森、るー、俺の順番。
 妥当と言えば妥当な感じもした。

 新作映画の予告を観ていると、見終わる前から、また来てみようかな、なんてことを思う。
 我ながら単純だ。

 なんとなく、隣に座るるーを見ると、彼女もこっちを見ていた。

「なんですか?」という顔をされたので、「なんでもない」と軽く頷く。

「そうですか」というふうにちょっと笑って、彼女はスクリーンに視線を戻した。

「……前から思ってたけど、なんでふたりってそんなに意思疎通できてるの?」

 ことの成り行きを横で見ていたらしい高森が、小声でそう問いかけてくる。

「いや。表情とかで分かるだろ、こういう場合」

「……そっかなあ」
 
 なんて高森は首をかしげていた。
 さて、もうすぐ映画がはじまるみたいだ。

 スクリーンに集中しよう。
 嵯峨野先輩の話を聞いていたら、俺も興味が湧いてきた。

256: 2015/12/05(土) 20:23:28.54 ID:ql/eIKo9o


  
 ……映画。

 そういえば、遊馬兄の部屋に入ったことがある。

 お調子者、三枚目って感じの印象だったけど、彼の部屋には洋画のDVDや翻訳小説なんかが小奇麗に並べられていた。
 部屋の片隅においてあったアコースティックギター。「インテリアだ」って本人は笑ってたけど、ちょくちょく触っていたみたいだった。
 
 漫画やアニメをけっこう見ていたから、なんとなくそういう趣味の人なんだと最初は思った。
 よく話を聞いたら、そういう趣味の友達に勧められて観たり読んだりしはじめたんだと言っていた気がする。
 べつに嫌いでもないけど、その友達がいなかったらそんなに興味もなかったと思う、って、そう笑ってた。

 俺がやっていたようなゲームを持っていたけど、それだって「子供の頃からやってるシリーズだから」って言って笑ってた。

 一度だけ、彼がギターを弾くのを見せてもらったことがある。
 そんなに上手でもなかったけど、だからといって下手でもなかった。

 遊馬兄は、他人の趣味や特技に関心を示したりすることはあったけど、自分の趣味を他人と共有したりしようとはしなかった。

 そういうことをなんとなく思い出す。
 お調子者で、突拍子もなくて、何も考えてなさそうで、いつも楽しそうな変人。

 それなのに今にして思えば、彼はいつだって、他人との距離感みたいなものを意識していたみたいに思える。
 他人との距離をはかって、一定に保とうとしているかのような。
 どこまで踏み込んでいいのか、どこから踏み込んだらまずいのか、常に気にして、一線を保とうとするような。

 あの頃の彼の年齢を思い出すと、それを今の自分が上回ってしまっていることに愕然とする。

 俺が見ていた彼は、今の俺なんかより、ずっとずっと大人みたいに見えたのだ。
 みんなと一緒にいると楽しそうに笑っているけど、ふと気付くと、とても寂しそうな顔をしたりしていて。
 それを見ているこっちに気付くとなんでもなさそうに笑うから、気のせいだったのかって納得したりして。

 あの人は、本当に俺が見ていた通りの人だったんだろうか。
 そんなことを思う。



257: 2015/12/05(土) 20:23:55.27 ID:ql/eIKo9o



 映画は、思ったよりも面白い映画じゃなかったけど、思ったよりは楽しめた。
「面白さ」と、それを「楽しめるか」というのは別なのだ。

 そういう意味では、俺にとっても好みの映画だった。
 というか、わりと感動していた。

「ラストシーン手前で、主人公がひとりで料理を作るシーンがよかったですね」

「うん」

「ふと鏡を見て、自分の顔を見て驚くところ」

「うん」

「胸が締め付けられました」

「うん。よかったね。俺としては、中盤の雑踏のシーンが一番キたな。風船持った女の子とすれ違ったとこ」

「あのあとの女の台詞もいいですよね」

「そうそう」

 と、俺と嵯峨野先輩は女子そっちのけで盛り上がった。

「……なんか仲良くなってるね」とうしろで高森がぼやくのが聞こえる。

「いいことですよ、たぶん」

「……なのかな。たっくん、複雑に見えてけっこう単純だよね」

「そういうところ、ありますね」

「単純に見えて複雑なとこもあるけど。るーちゃんも、こんなの相手だと苦労するねえ」

「な、なんですか、それ」

「そこ。人が余韻に浸ってる横で陰口叩くな」

 口を挟むと、

「陰口じゃないもーん」
 
 と高森は子供みたいな顔でそっぽを向いた。るーの方を見ると、また目を泳がせる。
 カナヅチのくせに目だけ泳がせるとは器用な奴だ。


258: 2015/12/05(土) 20:25:59.09 ID:ql/eIKo9o

「さて、このあとはどうする? そろそろ解散しよっか?」
 
 あんまり遅くなってもあれでしょ、と嵯峨野先輩は提案する。

「……ですね。今から帰ったら夕方ですし」

「浅月、この監督の映画に興味あるなら、うちにDVD何本かあるから、今度貸すよ」

 と、嵯峨野先輩は言ってくれた。

「ホントですか?」

「うん。オススメのがけっこうあるんだ。今日の奴が好きだったら、ハマるのもいくつかあると思う。好みはあるけど」

「ぜひお願いします」

 俺は嵯峨野先輩に対して心の中で多大な謝罪を送った。
 今まで爽やかイケメンナンパ野郎とか思ってたけど、ぜんぜんいい人だ。

 感動に涙が出そうになる。

「じゃあ今度、学校に持ってくよ。放課後は文芸部の部室にいるんだろ?」

「はい。ありがとうございます! 一生ついてきます!」

「なんだそれ。大袈裟だなあ」

 俺たちはひとしきり笑い合う。
 
 うしろでるーが、

「将を射んと欲すれば……の、馬、ですかね」

 と、溜め息をついて、

「いや、普通に仲良くなっちゃったんじゃない?」

 と高森が苦笑したのが聞こえた。

 空は、午前中より少し暗くなっている。
 雨が降り出しそうな雲だった。

259: 2015/12/05(土) 20:26:37.24 ID:ql/eIKo9o

260: 2015/12/05(土) 21:54:21.43 ID:zJE7lm4FO
乙ですー 登場人物の他の視点からのチェリーの描写、本当に興味深い

引用: 屋上に昇って