1: 2008/08/02(土) 21:45:46.15 ID:DX+QmTWA0
「誕生日?」
パタンと本を閉じ、真紅が声を上げる。
「そうよぅ、その時に、このネックレスを友だちにもらったの」
ジュンの部屋。タンスに洗濯物を入れながら、のりが答える。
「そうなの。おめでとう、と言うべきなのかしら」
「ふふ、ありがとう、真紅ちゃん。あ」
部屋から出て行こうとしたのりが立ち止まる。
「どうしたの?」
「ん」
部屋の隅に掛けてあるカレンダーを見るのり。
「来月の15日だわ」
「?…何が?」
こちらを見るのり。
「ジュン君の誕生日よ」
くすっと笑って答えた。
パタンと本を閉じ、真紅が声を上げる。
「そうよぅ、その時に、このネックレスを友だちにもらったの」
ジュンの部屋。タンスに洗濯物を入れながら、のりが答える。
「そうなの。おめでとう、と言うべきなのかしら」
「ふふ、ありがとう、真紅ちゃん。あ」
部屋から出て行こうとしたのりが立ち止まる。
「どうしたの?」
「ん」
部屋の隅に掛けてあるカレンダーを見るのり。
「来月の15日だわ」
「?…何が?」
こちらを見るのり。
「ジュン君の誕生日よ」
くすっと笑って答えた。
3: 2008/08/02(土) 21:49:18.74 ID:DX+QmTWA0
「あら、そうなの」
「ええ…」
のりがうつむく。
「一昨年までは、祝ってあげてたんだけど…」
「?」
「去年は…」
真紅はそれで思い出す。
「祝えなかったのね」
顔を上げるのり。
「ええ、ジュン君が引きこもってしまってたから…」
「……」
「ね、のり」
ベッドから降りる真紅。
「じゃあ、今年は、キチンと祝ってあげましょうよ」
そう言ってにっこりと笑う。
「…そうね!」
のりもつられて微笑んだ。
「ええ…」
のりがうつむく。
「一昨年までは、祝ってあげてたんだけど…」
「?」
「去年は…」
真紅はそれで思い出す。
「祝えなかったのね」
顔を上げるのり。
「ええ、ジュン君が引きこもってしまってたから…」
「……」
「ね、のり」
ベッドから降りる真紅。
「じゃあ、今年は、キチンと祝ってあげましょうよ」
そう言ってにっこりと笑う。
「…そうね!」
のりもつられて微笑んだ。
5: 2008/08/02(土) 21:54:59.56 ID:DX+QmTWA0
「わーい、うにゅーなのー」
「うふふ、まだあるから、ゆっくり食べてね」
「うんなの!」
ダイニングの椅子に、巴が座っている。その膝の上に、雛苺。
「のり、先に洗い物してていいですかぁ?」
「ええ、いいわよぅ」
キッチンでは、翠星石とのりがクッキーを焼いている。
「………」
「……」
ソファに座り、ぼんやりとテレビを観ている、ジュンと真紅。
「はあ…」
ため息をつくジュン。
「どうしたの」
「…ん、何でも」
冴えない表情のまま立ち上がり、ジュンは2階へと消えた。
「……」
7: 2008/08/02(土) 22:01:30.43 ID:DX+QmTWA0
キィ、とドアを開けて、中を覗いてみる。
「……」
ベッドに横になり、ジュンが窓の外を見ている。
「ジュン」
声を掛けると、ジュンがこちらを向いた。
「…何してんだ?」
「別に、何でもないわ」
言いながらベッドによじ登り、ジュンの膝元へ座る。
「もうすぐクッキーが焼けるわね」
「…ああ」
真紅がジュンの顔を見る。ジュンは呆けた表情で真紅を見ている。
「私練習したのよ、美味しく焼けるように」
「はぁ?練習?」
「ええ、いつまでも貴方にバカにされてたら、恥ずかしいもの」
ぷっ、とジュンが吹き出した。
「……」
ベッドに横になり、ジュンが窓の外を見ている。
「ジュン」
声を掛けると、ジュンがこちらを向いた。
「…何してんだ?」
「別に、何でもないわ」
言いながらベッドによじ登り、ジュンの膝元へ座る。
「もうすぐクッキーが焼けるわね」
「…ああ」
真紅がジュンの顔を見る。ジュンは呆けた表情で真紅を見ている。
「私練習したのよ、美味しく焼けるように」
「はぁ?練習?」
「ええ、いつまでも貴方にバカにされてたら、恥ずかしいもの」
ぷっ、とジュンが吹き出した。
8: 2008/08/02(土) 22:07:59.53 ID:DX+QmTWA0
「練習って」
「何よ」
真紅が口を尖らせる。
「いや、何でもないよ…何でも」
笑いながら半身を起こすジュン。
「真紅ちゃーん、ジュンくーん」
「ん」
「クッキー焼けたわよー、下りてきてー」
「……」
「行きましょうか」
「ん」
真紅がベッドから降り、ジュンに向き直った。
「何よ」
真紅が口を尖らせる。
「いや、何でもないよ…何でも」
笑いながら半身を起こすジュン。
「真紅ちゃーん、ジュンくーん」
「ん」
「クッキー焼けたわよー、下りてきてー」
「……」
「行きましょうか」
「ん」
真紅がベッドから降り、ジュンに向き直った。
9: 2008/08/02(土) 22:15:10.31 ID:DX+QmTWA0
「うげ」
テーブルに置かれたクッキー。
ジュンが苦そうな表情をする。
「わーい、美味しそうなのー」
「どうですこの香り!へへん」
「私の傑作も、まあまあ形が良くなってきたわね。食べましょう、ジュン」
そう言って、ジュンの皿に盛り付ける真紅。
ジュンはそれを見て、先ほどの言葉を発したのだ。
「……」
「いただきまーすなの」
「………」
雛苺たちが手を動かし始める中、ジュンは一向に手をつけようとしない。
「あら、ジュン、何をしてるの?早く食べて頂戴」
「…ああ、ああ分かった、今食べるよ、うん。姉ちゃん、水」
「はいはい、ちょっと待ってねぇ」
つがれた水をぐいっと飲み、息を整えるジュン。
11: 2008/08/02(土) 22:18:27.00 ID:DX+QmTWA0
次の瞬間、目の前のクッキーを、一気にかき込んだ。
「うぐぐぐ」
「ちょっとジュン、何してるの」
「もぐもぐ」
「そんなに一気に食べたって、美味しくもなんとも」
真紅の言葉を無視し、バリバリと音を立てて食べ続ける。
涙目になりながら、ジュンはようやくそれを飲み込んだ。
「う…」
口元を押さえる。
「……」
「うゅ、ジュン、どうしたの?」
「何やってるですぅ?」
「…真紅」
ジュンが口を開く。
「うぐぐぐ」
「ちょっとジュン、何してるの」
「もぐもぐ」
「そんなに一気に食べたって、美味しくもなんとも」
真紅の言葉を無視し、バリバリと音を立てて食べ続ける。
涙目になりながら、ジュンはようやくそれを飲み込んだ。
「う…」
口元を押さえる。
「……」
「うゅ、ジュン、どうしたの?」
「何やってるですぅ?」
「…真紅」
ジュンが口を開く。
14: 2008/08/02(土) 22:24:45.43 ID:DX+QmTWA0
「何よ、ジュン」
「………」
真紅はそこでうつむく。ジュンの仕草や表情を見て、何を言おうとしているかは
容易に想像がついた。
「まずかったって言いたいのかしら」
のり、巴がぴたりと手を止める。
「……」
「はっきり言いなさい。その方が楽だわ」
「……うん、正直そんなには」
雛苺と翠星石が、横目で真紅とジュンを見ている。
「ああそう」
その言葉を聞き、真紅は椅子を降りてドアの方へ向かっていく。
「ちょっと、真紅ちゃん」
バタン、と音を立てて、真紅はドアの向こうへ消えた。
「………」
真紅はそこでうつむく。ジュンの仕草や表情を見て、何を言おうとしているかは
容易に想像がついた。
「まずかったって言いたいのかしら」
のり、巴がぴたりと手を止める。
「……」
「はっきり言いなさい。その方が楽だわ」
「……うん、正直そんなには」
雛苺と翠星石が、横目で真紅とジュンを見ている。
「ああそう」
その言葉を聞き、真紅は椅子を降りてドアの方へ向かっていく。
「ちょっと、真紅ちゃん」
バタン、と音を立てて、真紅はドアの向こうへ消えた。
19: 2008/08/02(土) 22:33:55.42 ID:DX+QmTWA0
窓の外、先ほどまで見えていた青い空を、徐々に灰色の雲が
覆ってきている。
「……」
気まずい沈黙。
手を止めたまま、巴とのりはドアを見つめている。
「…出て行っちゃったの…」
雛苺が沈黙を破る。
「…なんだよ、正直に言えって…」
「桜田君」
隣に座っている巴が、ジュンの肩をつかむ。
「イテテ、何すんだ」
「早く謝らないと、あの子拗ねるわよ」
ジュンは巴を見て息を呑む。目を細め、明らかに怒っているのが分かった。
「ジュン君、お姉ちゃん感心しないわ。せっかく真紅ちゃんが…」
「………」
「言いすぎですぅ。真紅だって女の子なのですよ?」
「だって…」
「もういいわ。いいから謝ってきなさい、桜田君」
肩を離し、その手でジュンをぐいっと押す巴。
「ああ、分かった、分かったよ」
頭をぽりぽりかきながら、ジュンはリビングから出て行った。
23: 2008/08/02(土) 22:39:54.26 ID:DX+QmTWA0
ジュンが2階に上がると、部屋からひんやりとした空気が
漂ってくるのが分かる。
まだ5月とはいえ、視界に入る曇り空が、少し肌寒さを
感じさせる。
「………」
キィキィ、と音を立てる扉。
「真紅」
中を覗き込むと、ベッドが盛り上がっているのが分かる。
「……」
返事はない。
「真紅」
こっそりと近づくジュン。
漂ってくるのが分かる。
まだ5月とはいえ、視界に入る曇り空が、少し肌寒さを
感じさせる。
「………」
キィキィ、と音を立てる扉。
「真紅」
中を覗き込むと、ベッドが盛り上がっているのが分かる。
「……」
返事はない。
「真紅」
こっそりと近づくジュン。
25: 2008/08/02(土) 22:48:29.41 ID:DX+QmTWA0
「………」
ふう、と息を吐く。
「悪かったよ真紅。僕が悪かった」
言いながら布団に手を掛ける。
「…ん」
抵抗もなく、布団は簡単にめくる事が出来た。
「真紅…?」
真紅は横向きに膝を抱え、虚ろに視線を漂わせていた。
目が赤い。
「………真紅…」
何度呼んでも返事がない。
その事で逆に、自分は酷い事をしてしまったのだ、とジュンは気づいた。
ふう、と息を吐く。
「悪かったよ真紅。僕が悪かった」
言いながら布団に手を掛ける。
「…ん」
抵抗もなく、布団は簡単にめくる事が出来た。
「真紅…?」
真紅は横向きに膝を抱え、虚ろに視線を漂わせていた。
目が赤い。
「………真紅…」
何度呼んでも返事がない。
その事で逆に、自分は酷い事をしてしまったのだ、とジュンは気づいた。
26: 2008/08/02(土) 22:52:20.26 ID:DX+QmTWA0
「……ごめん、真紅」
「いいわよ、別に」
泣いていたはずなのに、真紅は何事も無かったかのように起き上がる。
「どうせ言われ慣れてるもの、そういうセリフ。今更」
「……」
「ごめんなさいね、ジュン。私じゃ貴方を満足させてあげられないのね」
ぽんぽん、とドレスを叩き、真紅はベッドから飛び降りる。
「あ、いや、真紅」
「ちょっと拗ねてみただけよ」
「……」
ドアに近づいていく真紅。
「行きましょう。皆が心配してるわ」
キィ、と音を立てて、真紅は部屋から出て行った。
「いいわよ、別に」
泣いていたはずなのに、真紅は何事も無かったかのように起き上がる。
「どうせ言われ慣れてるもの、そういうセリフ。今更」
「……」
「ごめんなさいね、ジュン。私じゃ貴方を満足させてあげられないのね」
ぽんぽん、とドレスを叩き、真紅はベッドから飛び降りる。
「あ、いや、真紅」
「ちょっと拗ねてみただけよ」
「……」
ドアに近づいていく真紅。
「行きましょう。皆が心配してるわ」
キィ、と音を立てて、真紅は部屋から出て行った。
29: 2008/08/02(土) 22:57:56.21 ID:DX+QmTWA0
ザアア、と容器を洗う音。
キュッキュ、とそれを拭く音。
「……大丈夫ですかねぇ」
翠星石とのりが、台所から、ソファに座る真紅を見ている。
「ねー、巴、くんくん観た事ないの?」
「私は、ないわねぇ」
真紅の隣。巴の膝の上で、雛苺が巴と話している。
「へー、面白いのに」
「うん…観れたらいいんだけどね、私、学校行ってるから」
「ふうん」
「……」
会話が途切れ、二人はそれとなく真紅を見やる。
「何見てるの?」
真紅がこちらを向いた。
「えっ、いえ…何でもないのよ」
二人は慌てて目を逸らす。
32: 2008/08/02(土) 23:02:50.22 ID:DX+QmTWA0
「………」
また沈黙が流れる。代わりに、外ではぽつ、ぽつ、と
雨が降り始めていた。
「……」
気まずい。
結局、ジュンは下りてこなかった。そのせいでより一層、
どんよりとした空気がリビングに立ち込めている。
巴がちらっと真紅を見る。ジュンに言われた事で、何かヒステリックに
なっているようには見えない。
あの短い時間で下りてきたという事は、拗ねている風でも
なさそうだ。
でも、どこか悲しそうな表情。それは、未だに目が赤い事からも分かる。
「…巴」
真紅が口を開いた。
また沈黙が流れる。代わりに、外ではぽつ、ぽつ、と
雨が降り始めていた。
「……」
気まずい。
結局、ジュンは下りてこなかった。そのせいでより一層、
どんよりとした空気がリビングに立ち込めている。
巴がちらっと真紅を見る。ジュンに言われた事で、何かヒステリックに
なっているようには見えない。
あの短い時間で下りてきたという事は、拗ねている風でも
なさそうだ。
でも、どこか悲しそうな表情。それは、未だに目が赤い事からも分かる。
「…巴」
真紅が口を開いた。
33: 2008/08/02(土) 23:06:46.53 ID:DX+QmTWA0
「…何?」
ふう、と息を吐く真紅。
「ちょっといいかしら」
「…ええ」
返事を聞き、真紅はソファを降りてドアの方に向かう。
「こっち来て」
振り返る真紅。
「……」
無表情のまま、手招きしている。
「何かしら?」
「相談があるの」
言いながら、ドアに手を掛ける真紅。
35: 2008/08/02(土) 23:12:47.11 ID:DX+QmTWA0
納戸のドアを開け、パチッと電気をつける。
「どうしたの」
「……」
真紅は段ボールに腰掛け、ふうーっと大きなため息をつく。
「桜田君の事?」
巴が尋ねる。
「…ええ、そうよ」
壁にもたれかかる巴。
「…まあ、さっきのは酷いと思うわ、私も。あんな…」
「違うのよ、別にその事じゃないの」
「え」
真紅が手遊びを始める。
「どうしたの」
「……」
真紅は段ボールに腰掛け、ふうーっと大きなため息をつく。
「桜田君の事?」
巴が尋ねる。
「…ええ、そうよ」
壁にもたれかかる巴。
「…まあ、さっきのは酷いと思うわ、私も。あんな…」
「違うのよ、別にその事じゃないの」
「え」
真紅が手遊びを始める。
39: 2008/08/02(土) 23:24:18.19 ID:DX+QmTWA0
「ああ、でも少しはさっきの事も絡むのかしら」
足をぶらぶらさせる真紅。
「翠星石みたいに、おやつ作るのが上手ければいいのにね、私」
「…そんな事ないわよ、人には得手不得手ってものが…」
「でも、私本当に何も出来ないわ」
「…別に」
「いいわよ、長所なんて無理に探さないで。無いものは無いのよ」
「………」
巴はうつむき、黙り込む。
「だけどね、私、たまにはジュンに何かしてあげられたら、って思うの」
巴が顔を上げる。
「知ってるかしら?来月の15日」
「…え?来月…」
「ジュンの誕生日よ」
足をぶらぶらさせる真紅。
「翠星石みたいに、おやつ作るのが上手ければいいのにね、私」
「…そんな事ないわよ、人には得手不得手ってものが…」
「でも、私本当に何も出来ないわ」
「…別に」
「いいわよ、長所なんて無理に探さないで。無いものは無いのよ」
「………」
巴はうつむき、黙り込む。
「だけどね、私、たまにはジュンに何かしてあげられたら、って思うの」
巴が顔を上げる。
「知ってるかしら?来月の15日」
「…え?来月…」
「ジュンの誕生日よ」
41: 2008/08/02(土) 23:28:18.93 ID:DX+QmTWA0
巴はそう言われて、はっと思い出す。
「去年は祝ってあげられなかった、って、のりが言ってたわ」
「…そうね、去年は…」
しばらく沈黙が流れる。
「だから、今年、何かプレゼントしてあげたいの」
「…プレゼント?」
「ええ」
真紅が顔を上げた。
「去年は祝ってあげられなかった、って、のりが言ってたわ」
「…そうね、去年は…」
しばらく沈黙が流れる。
「だから、今年、何かプレゼントしてあげたいの」
「…プレゼント?」
「ええ」
真紅が顔を上げた。
43: 2008/08/02(土) 23:34:16.37 ID:DX+QmTWA0
「ふんふふふ~ん、みんな、可愛く、描いちゃうの~」
「あら、何してるの?」
のりが覗き込む。
「えっとねぇ、みんなの、似顔絵描いてるの!」
言いながら、再びクレヨンを動かし始める雛苺。
「…ジュンはまだ下りてこないですかぁ?」
テレビのリモコンをピッ、ピッ、と押しながら翠星石が問いかける。
「ええ、…ちょっとは、反省してるんじゃないかしら」
やれやれ、と言った風にテーブルの上を拭き始めるのり。
「…まぁ」
ふ、と息を吐く翠星石。
「気が利かないのは、しょーがないです。いつもの事ですよ」
翠星石はそう言って、しばらくリビングのドアを見つめた。
「あら、何してるの?」
のりが覗き込む。
「えっとねぇ、みんなの、似顔絵描いてるの!」
言いながら、再びクレヨンを動かし始める雛苺。
「…ジュンはまだ下りてこないですかぁ?」
テレビのリモコンをピッ、ピッ、と押しながら翠星石が問いかける。
「ええ、…ちょっとは、反省してるんじゃないかしら」
やれやれ、と言った風にテーブルの上を拭き始めるのり。
「…まぁ」
ふ、と息を吐く翠星石。
「気が利かないのは、しょーがないです。いつもの事ですよ」
翠星石はそう言って、しばらくリビングのドアを見つめた。
44: 2008/08/02(土) 23:39:07.14 ID:DX+QmTWA0
「じゃあ、また来てなのー」
玄関口で、雛苺がぶんぶんと手を振っている。
「ごめんねぇ、今日は」
申し訳なさそうにお辞儀するのり。
「いえ、いいんです。また、来ますから」
そう言って、巴もお辞儀する。
「ジュンくーん、巴ちゃん、帰るわよー」
2階に呼びかける。
「あ、いいんです、別に」
「そうよ、ジュンだって、何か思う所があるのかもしれないし」
うつむいたまま、真紅が続ける。
「……?」
その横顔を、雛苺がちらっと見やる。
「じゃあね、また、相談に乗って頂戴、巴」
「ええ、分かったわ真紅」
再びお辞儀をして、巴は玄関ドアを開けた。
玄関口で、雛苺がぶんぶんと手を振っている。
「ごめんねぇ、今日は」
申し訳なさそうにお辞儀するのり。
「いえ、いいんです。また、来ますから」
そう言って、巴もお辞儀する。
「ジュンくーん、巴ちゃん、帰るわよー」
2階に呼びかける。
「あ、いいんです、別に」
「そうよ、ジュンだって、何か思う所があるのかもしれないし」
うつむいたまま、真紅が続ける。
「……?」
その横顔を、雛苺がちらっと見やる。
「じゃあね、また、相談に乗って頂戴、巴」
「ええ、分かったわ真紅」
再びお辞儀をして、巴は玄関ドアを開けた。
48: 2008/08/02(土) 23:46:03.96 ID:DX+QmTWA0
カチカチ、と音を立てて、ジュンはマウスを動かしていた。
「……」
今になって冷静に考えると、真紅に酷い事を言った自覚が
芽生えてくる。
だが、何というか、どう謝ればいいのか分からない。
ヒステリックに怒るわけでもなし、拗ねて口を聞かないとか、
そういう事をするわけでもない。
「ああ……」
いっその事、最初の頃のように蹴りを入れてきたり、
鞄をぶつけてきたり、直接的に感情を洗わしてくれれば
楽なのに、と、ジュンは思った。
「ジューン」
明るい声が響いてきて、カチャリ、とドアが開いた。
49: 2008/08/02(土) 23:52:22.28 ID:DX+QmTWA0
「うん?」
「何してるの?」
雛苺だった。
「…別に何も」
「……」
ちらっと横目で雛苺を見る。雛苺は何か言いたそうな目で、こちらを
見つめている。
「どうしたんだよ、突っ立って」
「あのね、ジュン、これあげるの」
そう言って雛苺が差し出したのは、画用紙だった。クレヨンで
何か描いてある。
「ああ、これは」
ジュンはすぐに気づいた。自分に加え、巴、のり、翠星石、真紅、雛苺が
紙いっぱいに描かれてあるのだ。
「それ、ジュンにあげるね」
「…ああ、ありがとう」
「真紅、別に怒ってないのよ」
振り向くジュン。
「本当か?」
「うん、でもね」
視線を伏せる雛苺。
「何だか淋しそうだったの」
「淋しそう?」
「うん…」
「何してるの?」
雛苺だった。
「…別に何も」
「……」
ちらっと横目で雛苺を見る。雛苺は何か言いたそうな目で、こちらを
見つめている。
「どうしたんだよ、突っ立って」
「あのね、ジュン、これあげるの」
そう言って雛苺が差し出したのは、画用紙だった。クレヨンで
何か描いてある。
「ああ、これは」
ジュンはすぐに気づいた。自分に加え、巴、のり、翠星石、真紅、雛苺が
紙いっぱいに描かれてあるのだ。
「それ、ジュンにあげるね」
「…ああ、ありがとう」
「真紅、別に怒ってないのよ」
振り向くジュン。
「本当か?」
「うん、でもね」
視線を伏せる雛苺。
「何だか淋しそうだったの」
「淋しそう?」
「うん…」
51: 2008/08/02(土) 23:54:26.33 ID:DX+QmTWA0
やっべ 感情を洗ってどうするんだろ
○表して これで頼むぜ
○表して これで頼むぜ
54: 2008/08/03(日) 00:01:47.62 ID:veKV2w750
ジュンは絵を机に置き、思い切り背中をのけぞらせた。
「……」
「真紅はね」
「うん?」
「きっと、ジュンに喜んでもらいたいのよ」
「僕に?」
「うんなの」
しばらく、その雛苺の顔を見つめるジュン。
喜んでもらいたいとは、どういう事だろうか。
「なあ、雛苺…」
「?どうしたの?」
「何で、そう思うんだ?」
「……」
目をぱちくりとさせる。
「僕に喜んでほしいなんて…」
「ヒナはいつもそう思ってるの」
「え」
少し笑って、雛苺は続ける。
「だから、きっと真紅も、そう思ってるの。だから怒ったりしなかったのよ」
「……雛苺」
いひひ、と、雛苺は照れくさそうに笑った。
「……」
「真紅はね」
「うん?」
「きっと、ジュンに喜んでもらいたいのよ」
「僕に?」
「うんなの」
しばらく、その雛苺の顔を見つめるジュン。
喜んでもらいたいとは、どういう事だろうか。
「なあ、雛苺…」
「?どうしたの?」
「何で、そう思うんだ?」
「……」
目をぱちくりとさせる。
「僕に喜んでほしいなんて…」
「ヒナはいつもそう思ってるの」
「え」
少し笑って、雛苺は続ける。
「だから、きっと真紅も、そう思ってるの。だから怒ったりしなかったのよ」
「……雛苺」
いひひ、と、雛苺は照れくさそうに笑った。
56: 2008/08/03(日) 00:05:12.24 ID:veKV2w750
ひな肩がいたいのー
ちょっと30分くらいやすみたいのー
ちょっと30分くらいやすみたいのー
67: 2008/08/03(日) 00:36:13.20 ID:veKV2w750
明くる日。
「えっ、誕生日ですかぁ?」
早朝、のりと二人で食事の支度をしていた翠星石が声を上げる。
「そうよぅ、来月の15日」
「へえ、ジュンは幾つになるです?」
「14歳よ」
「…そうですかぁ」
フォークが翠星石の手から落ち、カランカランと床に転がった。
「あっ、大丈夫?」
「へーきですぅ。ちょっと手が滑ったです」
「驚いたかしら?ジュン君の誕生日」
「えっ」
今度はスプーンを落とす翠星石。カラカランと音がする。
「ななな、す、翠星石がジュンのアレなんか気にするわけねーですぅ!!
自意識過剰もイイとこですぅ!!」
そそくさとスプーンを拾う翠星石。
「…でも、ま、まあ、当日にケーキでも作って、祝ってやってもいーですぅ」
そわそわとし始める翠星石を見て、のりはくすくすと笑った。
68: 2008/08/03(日) 00:42:41.99 ID:veKV2w750
「こんにちはー」
食事が終わり、9時を過ぎた頃に、玄関から声がする。
「あー、トモエなのー」
たたた、と玄関口に走っていく雛苺。
「おはよ、雛苺」
「おはよーなの」
ぴょんと飛び跳ね、巴の胸に抱きつく。
「わっぷ」
「わーい、トモエ、トモエー」
「いやん、くすぐったいわ、雛苺」
「おはよう」
リビングから、真紅が出てくる。
「おはよう、真紅」
雛苺を抱っこしたまま、巴がひらひらと手を振る。
「まぁまぁ巴ちゃん、上がっていく?」
「いえ、今日は別の用事で」
「?…別の用事?」
「雛苺、ごめんなさいね」
「うえ?」
雛苺を床に下ろす巴。
「今日はね、真紅と出掛けるのよ」
「…え、真紅ちゃんと?」
のりが首をかしげる。
「ええ、少し用事に付き合ってもらうの」
真紅が言った。
食事が終わり、9時を過ぎた頃に、玄関から声がする。
「あー、トモエなのー」
たたた、と玄関口に走っていく雛苺。
「おはよ、雛苺」
「おはよーなの」
ぴょんと飛び跳ね、巴の胸に抱きつく。
「わっぷ」
「わーい、トモエ、トモエー」
「いやん、くすぐったいわ、雛苺」
「おはよう」
リビングから、真紅が出てくる。
「おはよう、真紅」
雛苺を抱っこしたまま、巴がひらひらと手を振る。
「まぁまぁ巴ちゃん、上がっていく?」
「いえ、今日は別の用事で」
「?…別の用事?」
「雛苺、ごめんなさいね」
「うえ?」
雛苺を床に下ろす巴。
「今日はね、真紅と出掛けるのよ」
「…え、真紅ちゃんと?」
のりが首をかしげる。
「ええ、少し用事に付き合ってもらうの」
真紅が言った。
71: 2008/08/03(日) 00:49:43.76 ID:veKV2w750
「…あれ、真紅は?」
のそのそと、眠そうな目をこすりながら、ジュンが下りてきた。
「あー、おはようなの」
「寝ぼすけ野郎です」
「…さっき、柏葉が来てなかったか」
「来てたわよ、何か、真紅ちゃんと出掛ける約束してたみたいで」
のりが答える。
「…出掛けたのか」
「ええ、そうよぅ」
「…」
ジュンが下を向き、はあ、とため息をつく。
「どうしたですか、朝っぱらから空気が湿ってるです」
翠星石が咎める。
「ん…いや」
3人を見つめるジュン。
「何でもないよ」
しばらくぼんやりと見つめていたが、やがてリビングに入っていった。
のそのそと、眠そうな目をこすりながら、ジュンが下りてきた。
「あー、おはようなの」
「寝ぼすけ野郎です」
「…さっき、柏葉が来てなかったか」
「来てたわよ、何か、真紅ちゃんと出掛ける約束してたみたいで」
のりが答える。
「…出掛けたのか」
「ええ、そうよぅ」
「…」
ジュンが下を向き、はあ、とため息をつく。
「どうしたですか、朝っぱらから空気が湿ってるです」
翠星石が咎める。
「ん…いや」
3人を見つめるジュン。
「何でもないよ」
しばらくぼんやりと見つめていたが、やがてリビングに入っていった。
72: 2008/08/03(日) 00:57:56.84 ID:veKV2w750
「遅いです、もう朝ごはんは片付けたです」
翠星石が続いてリビングに入ってくる。
「……」
ジュンはソファに座り、テレビもつけずに頬杖をついている。
「…聞いてるですか?」
「…ん、ああ」
視線はどこか虚ろ。
「…変な奴です…」
はあ、と一息ついて、翠星石は2階へと上がっていく。
「それじゃ、お姉ちゃん、お洗濯してくるわねぇ」
のりは洗面所へと向かう。
「……」
雛苺だけが、ソファのへりに寄り添い、ジュンを見上げている。
「…ん、どうした?雛苺」
「ジュン、何だか元気ないの」
「え」
ジュンは目を丸くした。
翠星石が続いてリビングに入ってくる。
「……」
ジュンはソファに座り、テレビもつけずに頬杖をついている。
「…聞いてるですか?」
「…ん、ああ」
視線はどこか虚ろ。
「…変な奴です…」
はあ、と一息ついて、翠星石は2階へと上がっていく。
「それじゃ、お姉ちゃん、お洗濯してくるわねぇ」
のりは洗面所へと向かう。
「……」
雛苺だけが、ソファのへりに寄り添い、ジュンを見上げている。
「…ん、どうした?雛苺」
「ジュン、何だか元気ないの」
「え」
ジュンは目を丸くした。
73: 2008/08/03(日) 01:04:57.09 ID:veKV2w750
「元気がないって…別に」
「嘘なの、ジュン、昨日から真紅と話してないの」
「……」
参ったな、とジュンは思った。
「何言ってんだよ…」
「ごめんね、ヒナ何となく思っただけだから」
「…」
「確かに、昨日も今朝も、真紅とは話せてないけど」
「…」
「でも、それは別に避けたり、避けられたりしてるわけじゃなくて」
「分かってるの。ジュンも真紅も、別にわざと話そうとしてないわけじゃないの」
「……」
「たまたまでしょ?ヒナだって子どもじゃないのよ、それくらい分かるのよ」
「そうか…」
はあ、とため息を吐く。
「でも、そのせいで、ジュンは何だか凄く悲しそうな顔してるの」
「……」
「ね、ヒナが真紅に言うから、一度ゆっくり話してみた方がいいと思うの」
「……」
額を押さえるジュン。
「嘘なの、ジュン、昨日から真紅と話してないの」
「……」
参ったな、とジュンは思った。
「何言ってんだよ…」
「ごめんね、ヒナ何となく思っただけだから」
「…」
「確かに、昨日も今朝も、真紅とは話せてないけど」
「…」
「でも、それは別に避けたり、避けられたりしてるわけじゃなくて」
「分かってるの。ジュンも真紅も、別にわざと話そうとしてないわけじゃないの」
「……」
「たまたまでしょ?ヒナだって子どもじゃないのよ、それくらい分かるのよ」
「そうか…」
はあ、とため息を吐く。
「でも、そのせいで、ジュンは何だか凄く悲しそうな顔してるの」
「……」
「ね、ヒナが真紅に言うから、一度ゆっくり話してみた方がいいと思うの」
「……」
額を押さえるジュン。
101: 2008/08/03(日) 06:00:38.96 ID:veKV2w750
「…分かった、また、紅茶でも淹れてやる事にするよ」
ぽんぽんと雛苺の頭をたたき、軽く撫でる。
「うん、ありがとうなの、ジュン」
雛苺が嬉しそうに笑った。
「私たちは、お菓子のやり取りとか、そういうのが多いかなぁ」
川のほとりにある公園で、巴と真紅がベンチに座っている。
近くに、大きな大学病院が見える。
「そう…」
項垂れる真紅。
「あんまり参考に、ならなかったかな?」
「いえ、やっぱり手作りがいいのかしら?」
足をぶらぶらさせる。
「ええ、まだ私の歳だと、そんなに高いものは買えないし、
家にある材料でお菓子を作ったり、くらいが関の山なのよね」
「ふうん、そういうものなの」
「でもね」
ごそごそと懐から何かを取り出す。小さな巾着袋のような物だった。
「…まあ、それは?」
「お守りよ。今度の総体の時のために、マネージャーに作ってもらったの」
「へえ」
中から、折りたたんである紙を取り出す。
「…色々書いてあるわね」
「ええ、誕生日プレゼントとは違うけれど、元手のコスト以前に、
やっぱり、こういう物は嬉しいから」
「……」
「だから、皆手作りを選ぶんじゃないかしら」
ぽんぽんと雛苺の頭をたたき、軽く撫でる。
「うん、ありがとうなの、ジュン」
雛苺が嬉しそうに笑った。
「私たちは、お菓子のやり取りとか、そういうのが多いかなぁ」
川のほとりにある公園で、巴と真紅がベンチに座っている。
近くに、大きな大学病院が見える。
「そう…」
項垂れる真紅。
「あんまり参考に、ならなかったかな?」
「いえ、やっぱり手作りがいいのかしら?」
足をぶらぶらさせる。
「ええ、まだ私の歳だと、そんなに高いものは買えないし、
家にある材料でお菓子を作ったり、くらいが関の山なのよね」
「ふうん、そういうものなの」
「でもね」
ごそごそと懐から何かを取り出す。小さな巾着袋のような物だった。
「…まあ、それは?」
「お守りよ。今度の総体の時のために、マネージャーに作ってもらったの」
「へえ」
中から、折りたたんである紙を取り出す。
「…色々書いてあるわね」
「ええ、誕生日プレゼントとは違うけれど、元手のコスト以前に、
やっぱり、こういう物は嬉しいから」
「……」
「だから、皆手作りを選ぶんじゃないかしら」
104: 2008/08/03(日) 06:10:21.75 ID:veKV2w750
吹き抜ける風。
有栖川大学病院の屋上で、水銀燈がぼんやりと
日なたぼっこをしている。
「…眠いわねぇ」
5月の朝は、風が吹くと、まだまだ心地よい涼しさに
眠たくなる。
うとうとと揺れている水銀燈。
「これじゃ駄目ねぇ…ちょっと散歩してこようかしら」
辺りを見回す水銀燈。
「あら?」
川の向こうの公園。何かが見える。
「……あれは」
ベンチに座っている紅い人形に、水銀燈は見覚えがあった。
有栖川大学病院の屋上で、水銀燈がぼんやりと
日なたぼっこをしている。
「…眠いわねぇ」
5月の朝は、風が吹くと、まだまだ心地よい涼しさに
眠たくなる。
うとうとと揺れている水銀燈。
「これじゃ駄目ねぇ…ちょっと散歩してこようかしら」
辺りを見回す水銀燈。
「あら?」
川の向こうの公園。何かが見える。
「……あれは」
ベンチに座っている紅い人形に、水銀燈は見覚えがあった。
105: 2008/08/03(日) 06:16:52.50 ID:veKV2w750
「参考になったわ。ありがとう、巴」
「どういたしまして」
巴が真紅を抱っこし、立ち上がる。
「さ、戻りましょうか」
「ええ」
去って行く二人を、団地の屋上から水銀燈が見つめていた。
「真紅…?あの人間は…?」
真紅が違う人間に抱っこされている。
どういう事だろう。
桜田ジュンと、契約を破棄したのだろうか。
「………」
水銀燈はしばらく考え込み、やがて何かを思いついたように、
ある方角に向かって飛び立った。
106: 2008/08/03(日) 06:29:04.71 ID:veKV2w750
「あーっ、真紅ちゃーん」
家に帰り、リビングのドアを開くと、場違いな声が響いた。
「お帰りなさい、真紅ちゃん」
「お邪魔してまーす、草笛みつでーす」
「……」
巴と真紅は立ち尽くしたまま、とりあえずぺこりと頭を下げた。
「ねー、この服見て見てー」
「きゃっ」
テレビを観ていた金糸雀を抱き上げ、真紅たちの前に連れてくる。
「まあ」
真紅が感嘆の声を上げる。金糸雀はいつものドレスではなく、
舞踏会に参加するような、おしゃれなワンピースとコートを纏っている。
「こないだね、オークションで落札したの。6万くらい掛かっちゃったけど、
どうこれ、カナ似合うでしょ」
嬉々として喋り続けるみっちゃん。
「み…みっちゃん、何だか恥ずかしいかしら…」
少し頬を赤らめる金糸雀。
「あら、いいじゃない」
「6万ですか。高いですねぇ」
のりがはあ、と嘆息を漏らす。
「ええ、最近お給料がいいから、奮発しちゃった。でも、代わりに
出張とか増えて、なかなか一緒にいられないんだけど」
はは、と笑う。
108: 2008/08/03(日) 06:36:18.10 ID:veKV2w750
「6万」
不意に真紅が口を開いた。
「ん?」
思わず、みっちゃんとのりが真紅を見る。
「やっぱり、プレゼントって、高いわね…」
頬杖をついて、少し視線を伏せる。
「……」
のりはそれを見て立ち上がる。
「真紅ちゃん、クッキー食べる?」
真紅が顔を上げる。それを見て、のりはくすっと笑った。
不意に真紅が口を開いた。
「ん?」
思わず、みっちゃんとのりが真紅を見る。
「やっぱり、プレゼントって、高いわね…」
頬杖をついて、少し視線を伏せる。
「……」
のりはそれを見て立ち上がる。
「真紅ちゃん、クッキー食べる?」
真紅が顔を上げる。それを見て、のりはくすっと笑った。
111: 2008/08/03(日) 06:56:18.33 ID:veKV2w750
「これ、翠星石が昨日焼いたやつかしら」
「ええ、そうよ」
「……」
目の前に盛り付けられたお皿を前にし、真紅はすんすん、と
鼻を動かす。
口に入れ、もぐもぐと動かすと、甘い香りが広がる。
「美味しいでしょう?」
「…ええ」
何のつもりだろう、と真紅は思った。
「翠星石ちゃんね」
察したように、のりが口を開く。
「どうしてお菓子作りを始めたか、知ってる?」
「…いいえ」
「あの子、最初ジュン君と仲良くなかったでしょう」
「え」
気づいていないのかと思っていた。だが、鋭い。
112: 2008/08/03(日) 07:10:29.12 ID:veKV2w750
「だからね、多分途中で印象が変わったのかしら。
『ジュンに何か食べさせてやりたいんですぅ』って言ってきて」
「……」
「それからはね、土日ごとに、教えてあげてたわ。最初の何ヶ月かは
全然美味しく出来なくて」
「…」
「泣きながら、作ったクッキー食べてたりしたのよ。そういう時は、
一緒にお昼寝したりしてたわ。落ち着くまで傍にいてあげたり」
「…そうだったの」
「そうよ、でも、あの子なりの仲直りのキッカケを作りたかったんでしょうね。
どうしても」
「……」
食べ終わった食器を、流し台に持っていくのり。
横でじっと見ていたみっちゃんが、真紅の頭を撫でる。
「ん……」
真紅は思わず目を閉じる。
114: 2008/08/03(日) 07:15:09.09 ID:veKV2w750
「私も、休日はカナとお菓子作ったりするのよ」
「そうなの?」
「ええ、まあ、私はOLだからね、そうしてお金を使って
カナを喜ばせるような事もあるけど、それだけじゃないもの」
「……」
「カナのお洋服、大半は私の手作りよ、ね、カナ」
「えっ」
真紅が驚いたように大きな声を出した。
金糸雀を抱っこするみっちゃん。
「うん、そうよ、みっちゃんのお洋服は凄い可愛いかしら」
えっへん、と胸を張る金糸雀。
「そうなの?」
「ええ、まあ、私はOLだからね、そうしてお金を使って
カナを喜ばせるような事もあるけど、それだけじゃないもの」
「……」
「カナのお洋服、大半は私の手作りよ、ね、カナ」
「えっ」
真紅が驚いたように大きな声を出した。
金糸雀を抱っこするみっちゃん。
「うん、そうよ、みっちゃんのお洋服は凄い可愛いかしら」
えっへん、と胸を張る金糸雀。
115: 2008/08/03(日) 07:23:21.53 ID:veKV2w750
「だからね、真紅ちゃん。みんな同じなのよ。ジュン君への
プレゼントは、別に何万とか、そういうお金は必要ないと
思うわ」
「のり……」
「真紅ちゃんに出来る事で、喜ばせてあげましょう、ね」
にっこりと、のりが笑う。
それを見て、真紅は妙にくすぐったい気分になる。
「ええ、…ありがとう、のり」
どたどたどた、と音がして、リビングのドアが開いた。
「あー、トモエなのー」
ととと、と雛苺が駆けてきて、巴の膝にぴょいんと飛び乗る。
「うえええん、翠星石が酷いのー」
「あらあら、どうしたの」
見るとリボンがおかしな結び方になっている。
「知らねーですぅ、チビ苺が濡れ衣着せやがったですよぅ」
素知らぬ顔で、口笛を吹く翠星石。
「……」
真紅はそんな彼女を見て苦笑した。
120: 2008/08/03(日) 08:45:26.38 ID:veKV2w750
ジュンはベッドに仰向けになって、天井を見つめていた。
「真紅…」
一度、キチンと謝りたい。でないと、何だか具合が悪い。
ジュンにとって、真紅のあの淋しそうな顔は、何となく
見過ごせなかった。
「………」
コンコン、と、窓を叩く音がした。
「ん」
そちらをぼんやりと見やるジュン。
「!!」
がばっと跳ね起き、思わず後ずさる。
「何よぉ、そんなに驚かなくたっていいじゃなぁい」
水銀燈が、窓の外で妖しく微笑んだ。
122: 2008/08/03(日) 08:58:51.80 ID:veKV2w750
「……」
ジュンはベッドから降り、ドアから出て行こうとする。
「ちょっと、ちょっと待って、待ちなさいよぉ」
ドンドン、と窓ガラスを叩く水銀燈。
「聞きたい事があるの」
「…?」
様子がいつもと違う。
「何だよ」
ジュンは窓を開ける。
「あなた真紅と契約でも解除したの?」
「…は?」
水銀燈が意外そうに首を傾げる。
「違うの?」
「解除なんかしてないよ。何の話だよ、さっさと帰れよ」
「………」
むっとした表情になる。
ジュンはベッドから降り、ドアから出て行こうとする。
「ちょっと、ちょっと待って、待ちなさいよぉ」
ドンドン、と窓ガラスを叩く水銀燈。
「聞きたい事があるの」
「…?」
様子がいつもと違う。
「何だよ」
ジュンは窓を開ける。
「あなた真紅と契約でも解除したの?」
「…は?」
水銀燈が意外そうに首を傾げる。
「違うの?」
「解除なんかしてないよ。何の話だよ、さっさと帰れよ」
「………」
むっとした表情になる。
124: 2008/08/03(日) 09:07:30.21 ID:veKV2w750
「ええ、さっき女の子が真紅を抱いてたから、何かしらと思っただけよぉ。
解除してたら、雛苺のローザミスティカでももらえるかと思ってぇ」
そう言って笑う水銀燈。
「……別にお前に話す事なんかないよ。さっさと帰ってくれ」
「あら、何よその言い方。まるで何かやらかしたみたいな」
ジュンはイラつきを覚える。
「夫婦喧嘩でもしたのかしら」
「……うるさいな。帰れよ。契約の解除もしてないし、仲が悪くなったりもしてないよ」
そう言ってぴしゃっと窓を閉じ、カーテンを閉めるジュン。
「……あら、冷たい」
しばらく、水銀燈はその閉められた窓を見ていた。
125: 2008/08/03(日) 09:16:00.10 ID:veKV2w750
「へえ、ジュン君の誕生日にプレゼントを?」
みっちゃんが身を乗り出して尋ねてくる。
「あまり大きな声を出さないで頂戴。ジュンに知られたくないの」
真紅の声。雛苺と翠星石が、ソファから真紅の方を見ている。
「はは、ごめんごめん、何あげるか決めたの?」
「いえ」
「ふうん…」
相槌を打ちながら携帯を取り出し、ピッ、ピッと何かし始めるみっちゃん。
「ね、これ見て」
「?」
携帯の画面に、ヌイグルミや洋服が映っている。
「これは何?」
「私のお店の商品よ。その中の、私が作ったやつ」
「ふうん」
128: 2008/08/03(日) 09:22:57.60 ID:veKV2w750
「私、友達に手製のヌイグルミ、もらった事あるわ」
巴が呟く。
「へえ、今どきの子でも、そういうのするんだ?」
「ええ」
みっちゃんの問いに、笑顔で答える巴。
「……」
画面に見入っている真紅。
「誰でも作れるわよ、コツさえ掴んだら、簡単にね」
「………」
「ジュンがヌイグルミなんて、喜ぶとは思えないですぅ」
ソファから降り、近づいてくる翠星石。
「あっ…」
のりの声。
130: 2008/08/03(日) 09:29:58.19 ID:veKV2w750
「ああ、そっか、ジュン君男の子だっけ」
「…うーん」
真紅は腕組みをし、眉間に皺を寄せている。
「ちょっと、考えてみるわ。色々探して」
そう言って、真紅はリビングの窓を開ける。
「あら、真紅ちゃんどこ行くの?」
「ちょっとね」
振り返らず、真紅は窓から出て行く。
「そういう事…」
隠れて話を聞いていた水銀燈は、その後を追った。
131: 2008/08/03(日) 09:36:19.42 ID:veKV2w750
「手作り……ジュンが喜びそうなもの…」
桜田家から少し離れた家の屋根で、真紅は考え事をしていた。
「きっとお菓子は駄目ね…翠星石が多分作るし…今の
私では、またジュンが嫌な思いをするわ」
がしがしと頭をかきむしる。
「ああ、もう」
考えがまとまらない。
「女性ばかりだから、男性に贈るものって、なかなか出てこないのかしら…」
組んだ右手の指を、とんとん、と叩き続ける。
ふと、ひらひらと目の前を、何かが落ちていくのが見える。
「ん」
上空を見上げる真紅。
その目が大きく見開かれる。
「あっ」
「おはよう、真紅ぅ」
水銀燈が、いつもの馬鹿にしたような目で、こちらを見下ろしていた。
134: 2008/08/03(日) 09:44:50.75 ID:veKV2w750
真紅は立ち上がり、ぐっと身構える。
「何しに来たの。アリスゲームなら受けて立つわよ」
「あぁら、違うわよぉ。ちょっと面白い話を耳に挟んだから」
そう言って、屋根の端に降り立つ水銀燈。
「何よ」
「ジュン君の誕生日にプレゼントをあげるらしいじゃないの」
「……どこでそれを?」
「ふふ、どこだっていいじゃない、真紅ぅ」
口に手を当て、くすくす笑う。
「どうしてそんな事するのかしら、と思ってねぇ」
「は?」
首を傾げる真紅。
137: 2008/08/03(日) 09:50:59.88 ID:veKV2w750
「私たちはお人形よ。その内マスターとの絆なんて、
姉妹の誰かに平気で奪われる。可哀想な」
「……貴女がそうでも、私は違うわ」
「違わないわよ」
水銀燈は笑うのを止め、切れ長の目で真紅を見据える。
「どうして無駄な悲しみを増やそうとするの?」
「何……」
「例外なんて無い」
「……」
「私たちは一つの正しい命となって、いずれはお父様の所へ還るように作られている」
少し目を伏せる水銀燈。
139: 2008/08/03(日) 09:58:58.64 ID:veKV2w750
「うるさいわ、私はただ…」
「ただ?何?何か高尚な台詞でも吐く気かしら」
「違うわ。私はただ…」
唇を噛む真紅。
「ジュンに喜んでほしい。それだけよ」
「……」
水銀燈は黙って真紅を見つめる。
「…まあいいわ、やりたいなら勝手にやりなさいよ」
「…ええ、そうさせてもらうわ」
真紅も口を真一文字に結び、水銀燈を睨んでいる。
「あーあ、余計な時間使っちゃったわぁ、つまんなぁい」
ヒュウッと飛び立ち、まだ雲の残る空へ、
水銀燈は消えていった。
「……」
真紅は気が抜けたようにうつむき、再びその場へ座り込んだ。
142: 2008/08/03(日) 10:05:10.56 ID:veKV2w750
「蒼星石、そしたらその木材を店へ運んでおくれ」
「はい、お爺さん」
時計屋の店先。
蒼星石が、まな板ほどの大きさの板を6枚ほど抱え、入り口へと運んでいる。
「うん、量はこのくらいで良しとしよう」
「残りはどうしたらいいかな?」
「何枚か足りなくなるかもしれんから、一応裏へ置いておこうか。ひとまずは充分だ。ありがとうよ」
そう言って、元治が蒼星石の頭を撫でる。
「えへへ、いいよ、僕に出来る事があったら、何でも言ってね」
嬉しそうに笑う蒼星石。
「おや」
ふと、元治が道路の方へと目を移した。
「ん」
蒼星石もつられてそちらを見る。
「ごめん下さい」
真紅が立っていた。
145: 2008/08/03(日) 10:15:29.77 ID:veKV2w750
「…というわけなのよ。何かいい方法はないかしら?」
「プレゼントねぇ」
居間で事情を話し終えた真紅と向き合う形で、蒼星石が
腕組みをしている。
「ほら、蒼星石だったら、お爺さんもいるし、男性視点で
意見が聞けるかな、と思ったのよ」
「うーん……あんまり、男の人相手とか、女の人相手とか、
考えた事ないなぁ」
「それなら、こんな時計なんてどうだい」
振り向く真紅。
元治が、店先からひょこっと顔を覗かせ、右手の懐中時計を
こちらに見せた。
「…うーん、私も本当は、そういうのがいいのだけれど…」
「お金がないんだよね…人形だから…」
二人ではあ、とため息をつく。
147: 2008/08/03(日) 10:26:01.05 ID:veKV2w750
「ありゃ…すまん。ちょっと私の配慮が足らんかったな」
頭をこりこりと掻く元治。
「さぁさ、二人とも、お茶にしなさいな」
マツが奥から出てきて、ちゃぶ台にお茶と煎餅を置く。
「あ、ありがとうお婆さん」
おしぼりを置くと、マツが二人に向き直った。
「ね、二人とも」
「ん」
「写真立てなんか、どうかしら」
149: 2008/08/03(日) 10:31:44.07 ID:veKV2w750
「写真立て?」
「そうよ、こないだ買ってきた木材が余ってるんでしょう、それ使って、
手製の写真立て作ってみたら、どうかしら」
「…写真立てって、あのテレビの上に飾ってあるみたいな?」
蒼星石が指を差す。テレビの上に、手のひらサイズくらいの
写真立てが置いてあり、若い男女が写っている。
「ええ、ああいうのよ。簡単に作れるんじゃないのかしら、ね、お爺さん」
「ん」
元治がカウンターから、居間の上がり口へと腰を下ろした。
「そうだな。割とコツさえ掴めば誰にでも出来る。それに、飾っておくものだから、
いつでも目に留まって、いい物だよ」
「…へえ」
真紅はその写真立てを見つめる。嬉しそうに笑っている二人を見て、
何故かジュンの顔が頭に浮かんだ。
152: 2008/08/03(日) 10:39:23.10 ID:veKV2w750
「あ、違う違う。そう、そうやって真っ直ぐ、木目に沿って削るんだ」
真紅が彫刻刀で、木材を削っている。
「あっ痛…!」
ガリッと音がして、真紅が左手をぶんぶんと振った。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?真紅」
「大丈夫よ、その内慣れるわこんなの」
蒼星石や元治の方を見ようともせず、一心不乱に
『ジュン』の二文字を彫ろうとしている。
だが、真紅の左手が傷つくばかりで、それは最初の『ジ』すら
まともに彫れていない。
「ううう」
真紅が歯を食いしばり、蒼星石は「まずいな」と思った。
失敗が続くとプライドにこだわり、周りが見えなくなるのだ。
真紅は厄介な性格をしている。
特に、こうして周りに人がいると、真紅は余計に
手がつけられなくなる。
154: 2008/08/03(日) 10:42:24.79 ID:veKV2w750
「あいたたたた」
カランカランと板が床に落ち、真紅が何度目かの悲鳴を
上げた。
「ね、ねえ真紅」
「大丈夫よ、もうコツは掴んだわ」
反射的に、ああ、と言いそうになった。蒼星石は帽子を押さえる。
「あまり無理はしない方がいいよ」
元治がアドバイスする。
「ああ、駄目だ」
禁句である。蒼星石は思わず口に出してしまった。
「大丈夫と言ってるでしょう、ほら、もう簡単に…きゃっ!!」
ガッと刀が滑り、親指の付け根が思い切り抉れた。
157: 2008/08/03(日) 10:55:27.95 ID:veKV2w750
「せっかくいい感じだったのに…」
「ごめんね、ちょっとお客さんが来るんだ」
嘘である。とにかく、何か別の方法を考えないと、
真紅の左手がとんでもない事になる。
「でも、その調子だと」
「わーっ!わーっ!」
元治の言葉を遮る蒼星石。
「実はね、真紅。もう板の余りがないんだ。だから、写真立ては
諦めないと」
えへへ、と苦笑いする。
「そうなの…。残念だわ」
「また何か案があれば言ってね。僕も協力、出来る事ならするから」
言葉を慎重に選ぶ。
「分かったわ、また何かあったらお願いね」
店先まで出る真紅。
蒼星石は、ほっ、と胸をなで下ろした。
161: 2008/08/03(日) 11:01:16.50 ID:veKV2w750
「蒼星石」
店先で真紅が口を開く。
「ごめんなさいね、突然押しかけて、迷惑掛けたわ」
「え」
蒼星石は目を丸くする。
「じゃあね」
どこか淋しそうに笑い、真紅は灰色の空へ飛び立った。
「真紅…」
その姿を、蒼星石はしばらく見つめていた。
163: 2008/08/03(日) 11:11:31.19 ID:veKV2w750
「やっぱり私には無理なのかしら…」
団地内の公園。滑り台の上で真紅は大の字になり、
空を見つめていた。
6月が近づき、だんだん灰色の空が多くなってきたような気がする。
「駄目ね、本当。駄目だわ私」
はあ、とため息をつく。
ぽつ、と、鼻に冷たい感覚が走る。
「え」
ぽつ、ぽつ、とそれは次第に大きくなり、数秒後にざあざあという
音に変わった。
「ちょ、ちょっと待って、そんな」
真紅は一瞬のうちにびしょ濡れになり、慌てて滑り台の下へと
逃げ込んだ。
165: 2008/08/03(日) 11:17:03.96 ID:veKV2w750
ザアザアという音。
「何て事…」
土がドレスに跳ね返り、どんどん汚れていく。
真紅は舌打ちをする。
「最悪だわ…」
とにかく、止むまで、いや、最低でも小降りになるまでは
動けない。ヘッドドレスの洗濯は難しいからだ。
「………」
足元から走る、ひんやりと冷たい感覚。
ふと、ジュンの顔が思い浮かぶ。クッキーの時から、まともに
話せていない。
「……」
真紅は両肘をぎゅうっと抱える。そうしていないと、
何かに押し潰されそうになる。
171: 2008/08/03(日) 11:26:31.20 ID:veKV2w750
「翠星石…」
自分の姉は、お菓子を上手に作って、皆を楽しませてくれる。
「雛苺…」
妹は、いつも明るく振舞い、元気づけてくれる。
「………」
自分は、どう映っているのだろう。自分を抱っこしてくれるジュンの
目に。
鬱陶しいとか、そういう感情ならまだマシである。
「ああ」
思わず顔を両手で覆う。この雨の中、一人で自分は
何をしているのだろう、とさえ思えた。
自分は何のために存在しているのか。マスター一人、
喜ばせられない、可哀想な―――
「―――何してるんだい?」
びくっとして、真紅は顔を上げる。
スーパーの袋をいっぱいに抱えたエンジュが、こちらを見下ろしていた。
177: 2008/08/03(日) 11:35:13.05 ID:veKV2w750
「あ、ああ、あの、こんにちは」
真紅は目をごしごしとこする。
「………」
ジュンがいつもお世話になっている人形師。何度か会った事がある。
「…ほら、濡れるからこれ」
エンジュは何も言わず、傘を差し出した。
「いえ、いいです。先生が濡れてしまうわ」
ぐすん、と鼻を鳴らす真紅。
「いいから」
「いえ、いいです、もう帰れますから」
「……」
エンジュがちらっと周囲を見る。土砂降りの雨は止みそうにない。
「駄目だ、こんな中帰ったら、雨のにおいがドレスについてしまう。
帰ると言っても駄目だ、帰ったら駄目だ」
「………はい」
179: 2008/08/03(日) 11:42:39.98 ID:veKV2w750
雨がザアアアア、と降り続く。
「こんな所で何を?」
自分のズボンに泥が付着するのも構わず、エンジュはしゃがみ込んで
尋ねてくる。
「いえ、別に…」
視線を逸らし、鼻をこする。
「ああ、ドレスが汚れるから。ほら、ティッシュ」
エンジュがティッシュを渡すと、真紅はちーんと鼻を噛んだ。
「ぐしゅ」
「…どうしたんだい、泣いたりして」
「………」
答えない真紅。エンジュは困ったようにふう、と息を吐く。
「うちの店、すぐそこなんだけど」
真紅が顔を上げる。
「来るかい?」
エンジュが小さく笑った。
183: 2008/08/03(日) 11:51:36.05 ID:veKV2w750
>>181
16日午後、有栖川警察署は、世田谷区経堂の自営業男性(29)を
未成年者略取の疑いで逮捕した。
有栖川署の調べでは、男性は一人暮らしで、15日午後1時過ぎ、
同区の公園にいた少女に声を掛け、連れ去ろうとした疑い。
「可愛くて声を掛けた」と話しているという。
こんな感じですかわかりません
16日午後、有栖川警察署は、世田谷区経堂の自営業男性(29)を
未成年者略取の疑いで逮捕した。
有栖川署の調べでは、男性は一人暮らしで、15日午後1時過ぎ、
同区の公園にいた少女に声を掛け、連れ去ろうとした疑い。
「可愛くて声を掛けた」と話しているという。
こんな感じですかわかりません
185: 2008/08/03(日) 12:00:20.87 ID:veKV2w750
「真紅ちゃん…どこ行ったのかしら」
窓の傍、のりが落ち着かない様子で
濁った空を見上げている。
「大丈夫ですよ、きっと蒼星石の所にでも行ってるです」
ソファに座っている翠星石。
「真紅…」
雛苺がのりの隣で外を見つめている。
「………」
ジュンはダイニングの椅子に座り、腕を組んだまま
じっとしている。
「ね、ジュン」
ととと、と雛苺が傍に駆け寄ってきた。
「……何だよ」
「探しに行ってあげないの?」
ジュンはその言葉に目を丸くする。
187: 2008/08/03(日) 12:09:13.87 ID:veKV2w750
「探しに行くったって…」
雛苺がじっと見上げてくる。
「どこ探せって言うんだよ。どうせ蒼星石とか金糸雀の所だろ」
「………」
思わず目を逸らすジュン。
「その内戻ってくるだろ」
「真紅はジュンの事が大好きなの」
ジュンがぴたりと止まる。
「真紅ね、今は言えないけど、ジュンのために
すっごい色んな事考えてるのよ」
「…何だよその、色んな事って」
「それは言えないの」
189: 2008/08/03(日) 12:13:02.81 ID:veKV2w750
「………」
「でも、その内分かるの」
雛苺はそこまで言うと、うつむいてソファの方に戻る。
「………」
ジュンはとんとんと手を何度も突き、やがてリビングから出て行こうとする。
「あのね、ジュン」
ドアの所で立ち止まるジュン。
「ヒナはね、ヒナだったら、ジュンに探してほしいと思うわ」
「ああ、うるさいな」
少し強い口調に、雛苺は押し黙る。
「ドラマでも観たのか?お前にゃまだ早いよ、雛苺」
それだけ言うと、ジュンは2階へと上がっていった。
198: 2008/08/03(日) 13:19:28.55 ID:veKV2w750
「なるほどね」
真紅のドレスを脱がせ、洗面所のかごの中に入れるエンジュ。
「ええ、でも、私じゃ、ジュンにプレゼントなんてあげられない気がして」
「………」
エンジュが後ろを振り向くと、真紅がうつむいて手をもじもじさせている。
「色々出来る子もいるし、私はそういう子が羨ましいわ」
「…真紅」
「…はい?」
エンジュが神妙な面持ちになり、しゃがみこんで真紅を見つめる。
「君は、今まで何をしてきた?」
「…え」
「例えば家の手伝い。洗濯物をたたむとか、庭に干すとか」
「した事ないわ」
「料理は?お菓子作りとか」
「…それはのりがやってくれるから」
「お裁縫とか」
「ジュンが大体修繕したりしてるわ」
「……」
「何もないのよ、私」
壁に寄りかかる真紅。
201: 2008/08/03(日) 13:27:12.53 ID:veKV2w750
「だから何も出来ないの」
「…まあ、それはそうだろう」
ぐっ、と息を呑み込む。
「でも、最初は皆そうじゃないのかな」
そう言うと、立ち上がって仕事場の方に向かう。
「ちょっと待ってて」
「?ええ…」
「おいで、薔薇水晶」
真紅は、ばっと顔を上げた。
今、何と言った?
手招きするエンジュの後ろから、紫色の人形が現れた。
204: 2008/08/03(日) 13:39:01.14 ID:veKV2w750
「ばっ…」
「大丈夫だよ、今は別に」
真紅に笑顔を向ける。
それでも真紅は身構えた。
「こんにちは…」
「っ…!」
「薔薇水晶、真紅の洗濯物を浴室に干しておいてくれないか」
「ええ、わかりました…」
薔薇水晶は軽くお辞儀をし、真紅の傍を通り過ぎて浴室に入った。
パンパン、とドレスを叩き、すんすん、とにおいを嗅ぐ。
「………」
洗面台の中からファブリーズを取り出し、シュッシュッ、と吹きかける。
「…薔薇水晶」
「大丈夫…今日は何もしない…お父様がそう言っているから…」
208: 2008/08/03(日) 13:46:50.57 ID:veKV2w750
「……」
「これ、持ってて…」
「え、あ」
ヘッドドレスを渡される真紅。
「表面見せて」
「は?」
「早く」
わけが分からず、言われた通りにする。
「ちょっと目を閉じててね…」
言うや否や、シューッ、シューッ、とファブリーズが吹きかけられた。
「うぷ」
「あ、大丈夫…?目に入った…?」
「…いえ、ちょっと驚いただけなのだわ」
「そう…」
211: 2008/08/03(日) 13:50:58.18 ID:veKV2w750
薔薇水晶は浴槽の淵に器用に登り、ドレスを引き伸ばして
洗濯バサミで留めた。
「それも」
右手でちょいちょいと促している。
「あ、はい」
ヘッドドレスを渡す。
残りのスペースにそれを干し、最後に
浴室の乾燥機のスイッチを入れる。
「乾くのは、多分明日になるわ…」
「えっ、明日?」
「ええ、大丈夫?服、貸しましょうか…?」
「え、あの、いや」
「…ぷっ、あっはっは」
戸惑う真紅を見て、エンジュが声を上げて笑い始めた。
「な、何笑ってるの」
「いや、予想通りの反応をするな、と思ってね」
213: 2008/08/03(日) 13:59:39.28 ID:veKV2w750
「………」
呆けている真紅の胸に、何か布のような物が押し当てられる。
「これ、私のお洋服」
広げると、山吹色を基調にしたワンピースだった。
「着てて。それとお父様」
「うん、何だい」
「もうすぐスパゲティが出来ますから…」
口元を広げ、少し首をかしげて笑顔を作る。
「………」
呆気に取られている真紅。
あの無表情な薔薇水晶の、こんな表情を見るのは意外だった。
215: 2008/08/03(日) 14:04:30.17 ID:veKV2w750
「とりあえず、桜田君には僕が電話しておこう」
そう言って、エンジュは店の方へ行ってしまった。
「……」
後に残された二人は、畳敷きの部屋で、じっと座っていた。
「………」
「……」
会話が始まらない。テーブルを挟み、
真紅も薔薇水晶も、体育座りをしてじっとうつむいているのだ。
何だか、この空気が耐えられない。
困った、と真紅は思った。まだ水銀燈におちょくられている方が
マシだとさえ感じた。
「……真紅」
先に口を開いたのは薔薇水晶だった。
217: 2008/08/03(日) 14:09:53.09 ID:veKV2w750
「……何?」
既に警戒心は薄れ、薔薇水晶の方を向く事さえしなくなった。
「どうしてここへ来たの…?」
「どうしてって…ただ、エンジュ先生が…」
「そう……」
平坦な声が、逆に真紅には怖かった。
「……驚いた?」
「…何が」
「私が…料理とか…洗濯とか出来てて…」
「…」
意外というか、何か似合わない気はする。
「ええ、私には到底できっこないわ」
「…私もそう思っていた…」
薔薇水晶が顔を上げる。
219: 2008/08/03(日) 14:16:34.63 ID:veKV2w750
「……思っていたって?」
真紅も気配に気づき、顔を上げた。
「…私は闘いに特化して作られたドール…だから」
「?」
「最初何も出来なくて、洗面所から水が溢れ出たり、
料理が焦げたり…」
膝に顎を乗せる。
「一度天井まで火が燃え広がって、消防車呼んだ事もあった…」
「…それは、やり過ぎなのだわ」
思わず微笑む真紅。
「私はお父様に褒めてもらいたかった」
「……」
「失敗する度に泣いて、物置に閉じこもったり…
でもお父様は言うの。『気にしないでいいよ』って」
足をバタバタさせ始める薔薇水晶。
220: 2008/08/03(日) 14:26:24.64 ID:veKV2w750
「ふふ」
「…」
「だからだと思う…。貴女たちを倒して、認めてもらいたくて」
「……」
真紅は黙っている。
「今はね、何でも出来るようになったわ……こうして」
「……」
「ミートソースが弱火で何分くらいで煮込めるか、
何分茹でれば、アルデンテパスタが出来上がるか、とか…」
「…何言ってるか分からなさ過ぎて凄いのだわ」
薔薇水晶が目を丸くし、ちょっと嬉しそうに鼻の頭をかいた。
222: 2008/08/03(日) 14:31:41.16 ID:veKV2w750
「そう、貴女凄いわね、料理は大体出来るんじゃないの」
「いえ、そこまでは…ただ、料理の本見てると、最近は楽しいわ…」
脇の本棚からB4サイズの本を引っ張り出す薔薇水晶。
「あと、これも」
ごそごそと、更に何冊か本を探している。
「手伝いましょうか」
左脇に抱えた本を受け取る真紅。
「あ、ありがと…」
「いいえ…あら?」
真紅は、本棚の横にある、大きなかごに目をやった。
クマやネコ、アヒルなどのヌイグルミが、所狭しと
並んでいる。
その中にいた紫色の服を着た人形と、金髪の男の子が、一際
真紅の目を惹いた。
223: 2008/08/03(日) 14:34:15.97 ID:veKV2w750
「これは」
その二つの人形を手に取る。
「それは、私が作ったの…私とお父様…フェルトを使って…ほら、似てるかしら…」
受け取り、顔の横でひらひらと動かす。
「………」
真紅は無表情のまま固まっている。
「コツを掴むと簡単よ、これも」
「……それだわ」
「…え?」
「それだわ、それよ」
がしっと両肩を掴む真紅。
「えっ、あの…真紅」
「やあ、長電話してしまったよ。ジュン君が出掛けてるらしくて、
お姉さんと話してたんだけど…」
エンジュはそこで言葉を止める。
「……?」
真紅が薔薇水晶の両肩を掴んでいる。
「ど、どうしたの…?」
「薔薇水晶、お願いがあるの、聞いてもらえないかしら」
真紅は真剣な眼差しで、そう言った。
224: 2008/08/03(日) 14:42:37.93 ID:veKV2w750
「ああ、違う…縫い針に糸を通すには…こうして…」
「ご、ごめんなさい」
「……」
仕事場から見えるその部屋を、時折エンジュが振り返る。
「痛っ…」
「大丈夫…?」
「へ、平気なのだわ」
左手に刺さった針を引き抜く真紅。
「どうしたのその手…グズグズじゃない…」
薔薇水晶が驚いたように言う。
「別に何でもないわ。続けましょう」
「やれやれ…」
一息ついて、エンジュが天井を見上げた。
「あと一ヶ月で桜田君のヌイグルミを作るって…出来るのかな…」
225: 2008/08/03(日) 14:46:36.33 ID:veKV2w750
時計の針が23時を指した。
丁度エンジュが和室に声を掛けにきた。
「家には連絡しておいたから。明日迎えに来るとの事だ」
「………」
真紅はチクチクと縫い物をしているばかりで、こちらを向こうとはしない。
「大丈夫です、お父様。私がついてますから…先におやすみ下さい…」
「ああ、分かったよ。二人とも、ほどほどにな」
エンジュは困ったように頭をかいて、2階に上がっていった。
251: 2008/08/03(日) 16:56:05.91 ID:veKV2w750
すっごいこわいゆめ見たの
いえの中で、知らない人の氏体を見つけたの
つまり、かぞくの誰かが殺人犯ていうゆめなの
あーこわいのー
いえの中で、知らない人の氏体を見つけたの
つまり、かぞくの誰かが殺人犯ていうゆめなの
あーこわいのー
257: 2008/08/03(日) 17:08:28.84 ID:veKV2w750
明くる日。
コンコン、コンコン、とドアを叩く音。
「ごめんくださーい」
「ん…」
その声で、和室で寝ていた真紅が目を覚ました。
「………」
傍らで、薔薇水晶が自分に寄りかかるようにして眠っている。
「あぁ…」
薔薇水晶を夜中まで付き合わせてしまったのだ、と気づく。
「ごめんなさい…」
首を垂れ、音のする店先へと向かう。
「ごめんくださーい」
真紅はハッと気づいた。
ガラス張りの向こうにいる人影。
259: 2008/08/03(日) 17:15:15.18 ID:veKV2w750
「のり!!」
真紅はドアを開けた。
「真紅ちゃん…」
「ごめんなさい、迷惑…」
「いえ、いいのよもう。それよりほら、お礼を言わないと」
「ごめんなさい。じゃあ、また来るわ」
「ああ、でも流石に夜通しはやめてくれ。あの子が可哀想だから」
「…はい、もうしないわ」
ふう、とエンジュは一息つくと、ひらひらと手を振った。
262: 2008/08/03(日) 17:23:00.97 ID:veKV2w750
「昨日はごめんなさい。帰らずに」
抱っこされた状態で、のりを見上げる真紅。
「ええ、あんまりこういう事しちゃ駄目よ?」
「…分かったわ。ジュンたちにも迷惑掛けたでしょうし」
「そうよ、真紅ちゃん。ジュン君にもキチンと謝ってね。あの子
昨日、夕方から夜遅くまで、貴女の事ずっと探してたんだから」
「えっ?」
真紅が驚いて声を上げる。
「昨日先生が、うちに電話掛けてきたでしょう」
「ええ」
「その時もずっと、貴女の事を探し続けてたのよ。だから」
あの雨の中を?何時間も?だとすると。
「ジュンは大丈夫なの?」
のりは視線を合わせない。
「寝込んでるわ」
代わりに、そう呟いた。
264: 2008/08/03(日) 17:33:53.56 ID:veKV2w750
キィ、とドアを開け、真紅は音を立てないように
部屋に入る。
「……ジュン?」
反応はない。ベッドへと近づいていく真紅。
「……」
ゆっくりと枕元によじ登る。
ジュンは顔を真っ赤にし、目を閉じている。眠っているのだろうか。
「ごめんなさい…」
真紅はぽつりとそう言って、
部屋を後にした。
267: 2008/08/03(日) 17:41:21.26 ID:veKV2w750
「あれ、真紅、くんくん観ないのですか?」
夕食が終わり、翠星石と雛苺がソファに座っている。
「ええ、今日はそんな気分ではないの」
リビングのドアに手を掛けた所で真紅が答える。
「……」
「変な子ですねぇ」
テレビに向き直る翠星石の横で、雛苺が心配そうに
真紅の後ろ姿を見つめていた。
268: 2008/08/03(日) 17:42:59.36 ID:veKV2w750
「あ」
真紅は廊下に出た所で立ち止まる。
ジュンがトイレから出てきたのだ。
「ジュン」
たたた、とそちらに駆け寄る真紅。
「ごめんなさい、迷惑掛けたわ」
ぺこりと頭を下げる。
「……」
ジュンは何も喋らない。
「ジュン…」
「……」
「怒っているの?」
「……頭痛いんだ、あんまり話し掛けないでくれ」
そう言って、脇を素通りしていく。
「待って」
階段を上り始めるジュンを、真紅が追いかける。
「怒ってないよ。怒ってないから、部屋には入ってこないでくれ。寝たいから」
半ば吐き捨てるような物言い。
「っ……」
ジュンが2階に消えるまで、真紅は階下で、ぎゅっと胸を
握りしめていた。
272: 2008/08/03(日) 17:55:36.04 ID:veKV2w750
「あっ痛!」
「真紅!!」
ガガガ、とミシンの音が響き、薔薇水晶がスイッチを切る。
「危ないわ。もう少しで手が傷つく所だった…」
「ごめんなさい」
薔薇水晶の所で裁縫を教えてもらうようになって、一週間が経った。
「……」
だが、元気が良かったのは初日だけで、
それ以降伏し目がちになっている真紅を見て、薔薇水晶は
何か違和感を覚えていた。
「どうしたの、最近…」
「…いえ、どうもしてないわ」
「嘘…顔を見れば分かるわ…」
真紅は口をつぐみ、うつむいてしまう。
「お茶にしましょう」
「……」
薔薇水晶はキッチンへ消えて行った。
276: 2008/08/03(日) 18:05:09.33 ID:veKV2w750
あれ以降、朝に出掛け、夜に帰る生活を繰り返し、真紅はジュンと
話さなくなっていた。
「……」
2日、3日経った頃、気づいた事がある。
ジュンと目が合わないのだ。
こちらが見上げても、ジュンはそこにいないかのように
見下ろす事をせず、すたすたと歩いて行ってしまう。
『ねえ、真紅、どうしたの?』
雛苺はそれに気づいているようで、よく声を掛けてきて
くれる。
だが、肝心のジュンが何も返してくれない事で、
真紅は自分が嫌われてしまったのではないかと思い始めていた。
「…こんな事しても…」
グズグズになってしまった左手を見つめる。
針が刺さった、無数の痕。彫刻刀の時の傷も合わせて、
人に見せられるような綺麗な手とは、ほど遠いものになっている。
278: 2008/08/03(日) 18:12:09.09 ID:veKV2w750
「……」
蒼星石の時のように、自分が不器用なせいで、
このままでは薔薇水晶が不快に思うほどに、材料を
消費してしまうのではないか、
そんな事すら考えるようになっていた。
「私駄目ね…本当…」
膝を抱え、壁にもたれかかる真紅。
ショーケースの向こう。
ちらちらと、店内の様子を窺っている影が一つ。
「確かここに真紅が…」
ヒュウウ、と風が吹いて、かぶっていた帽子が
飛んでいく。
「あっ、待って、待って」
慌ててそれを取りに行く。
「ん」
その声に、店内で掃除していた白崎が気づいた。
281: 2008/08/03(日) 18:23:16.40 ID:veKV2w750
「もう、酷い風だなぁ」
帽子を左手に持ったまま、enju堂の入り口へと戻っていく。
蒼星石は髪をかき上げながら、ため息をついた。
「……」
ふと、チリンチリン、と、目の前で店のドアが開く。
「あ」
蒼星石が立ち止まる。中から、メガネを掛けた店員が出てきた。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
「君も、ローゼンメイデンだね」
「えっ」
蒼星石は思わず声を上げる。表情ひとつ変えず、
その言葉が出てきた事に、驚かずにはいられなかった。
「どうして」
「はは、まあいいじゃないか。真紅ちゃんなら、奥で
薔薇水晶とヌイグルミ作ってるよ」
「えええっ!!ば、薔薇水晶!?」
目を丸くして、口をあんぐり開ける。
287: 2008/08/03(日) 18:33:35.21 ID:veKV2w750
「ああ、大丈夫だよ、別に闘ったりはしてないから」
「…よくご存知なんですね。僕たちの事」
一歩後ずさる蒼星石。目つきが鋭くなっている。
「ああ、そんなに警戒しないでおくれ。とは言っても、
ま、無理な話かな」
「………」
「薔薇水晶はここに住んでるんだよ」
「………」
「とても家庭的な子でね。洗濯物や店の掃除、
料理なんかもしてくれる。彼女のナポリタンは絶品だよ」
「へ」
蒼星石は拍子抜けする。あの薔薇水晶が料理。
「まあ、最初は何も出来なくて、物置に閉じこもったりして
泣いてたんだけどね」
「……」
蒼星石の目が幾分穏やかになってきたように見える。
「だから、闘いなんて、本来好まない、大人しくて真面目な子なんだ。
そんなに警戒しないであげてくれ」
「……」
ふと、奥から誰かが出てくるのが見えた。
290: 2008/08/03(日) 18:47:21.75 ID:veKV2w750
「白崎」
「あっ」
蒼星石が声を上げる。薔薇水晶だった。
「お茶が入ったから、少し休憩して。…って、あら…」
「薔薇水晶…」
向こうもこちらに気づいたようだ。無表情のまま見つめ合う二人。
「ほらほら、何してんの、こんな所で」
ぽんぽんと蒼星石の頭を叩く白崎。
「……」
奥へ消える白崎とは対照的に、薔薇水晶はじっと
こちらを見つめている。
「何だい?」
「…」
「邪魔なのかな?なら、ごめんね、すぐに帰るから」
「いえ、ちょっと待って…」
「?」
ショーケースに肘をつく蒼星石。
「ちょっと…一緒にお茶、飲んで行ってもらえないかしら…」
「…ああ、いいけど…どうして?」
「少し…」
それだけ言うと、薔薇水晶は再び奥へと消えた。
「あっ」
蒼星石が声を上げる。薔薇水晶だった。
「お茶が入ったから、少し休憩して。…って、あら…」
「薔薇水晶…」
向こうもこちらに気づいたようだ。無表情のまま見つめ合う二人。
「ほらほら、何してんの、こんな所で」
ぽんぽんと蒼星石の頭を叩く白崎。
「……」
奥へ消える白崎とは対照的に、薔薇水晶はじっと
こちらを見つめている。
「何だい?」
「…」
「邪魔なのかな?なら、ごめんね、すぐに帰るから」
「いえ、ちょっと待って…」
「?」
ショーケースに肘をつく蒼星石。
「ちょっと…一緒にお茶、飲んで行ってもらえないかしら…」
「…ああ、いいけど…どうして?」
「少し…」
それだけ言うと、薔薇水晶は再び奥へと消えた。
292: 2008/08/03(日) 19:07:37.04 ID:veKV2w750
真紅は壁際に座り込み、左手をじっと見つめていた。
「真紅」
聞き覚えのある声。
「僕だよ」
蒼星石が立っていた。
「いつからここへ?」
真紅の隣に座り込む蒼星石。
「…一週間ほど前」
「そう」
「……」
「ヌイグルミを作ってるって、店員さんが言っていたけど」
294: 2008/08/03(日) 19:15:33.86 ID:veKV2w750
「…ええ」
「ジュン君のために?」
「お茶が入ったわ…」
蒼星石は入り口の方を向く。お盆にアイスティーを載せ、
薔薇水晶が部屋に入ってきた。
「お父様たちは向こうで飲んでるから、私も向こうで飲んでくるわ」
一瞬真紅をちらっと見やり、薔薇水晶は出て行く。
「…」
「意外だったわ」
「え?」
蒼星石が真紅に向き直る。
「あの子、あんなに優しい子だったのね。今も」
「……そうだね」
297: 2008/08/03(日) 19:19:22.63 ID:veKV2w750
「ねえ、蒼星石」
「ん」
「さっきの質問に答えてなかったわね。そうよ、
私、ジュンのためにヌイグルミを作っているのよ」
「へえ、いいじゃないか」
「ええ、でも」
左手を見つめる真紅。
「怖いのよ、私」
「…怖い?」
「ジュンは喜んでくれるかしら」
「そりゃそうだよ、僕なら手製のヌイグルミとか、
凄く嬉しいよ」
真紅が膝を抱えるのを見て、蒼星石は言葉を切る。
「最近、ジュンと話してないの」
「……」
「ジュンが今、何を考えてるか分からないし」
「……」
「『いらない』って言われたらどうしようかしら」
真紅は顔を膝の間にうずめ、ぎゅうっと両手に力を込める。
298: 2008/08/03(日) 19:27:37.43 ID:veKV2w750
「ジュン君ならそんな事言わないよ。大丈夫だよ」
「………」
そう信じたい。そう思いたい。
「真紅…」
「やっぱり」
蒼星石と真紅が顔を上げる。
「何か悩んでいるのではと思ってたの…」
薔薇水晶は部屋に入ってきて、テーブルの上に紅茶を置いた。
300: 2008/08/03(日) 19:32:30.44 ID:veKV2w750
「大丈夫…」
薔薇水晶が、何となく笑ったような顔をして、真紅の目を見ている。
「一所懸命に作ったものを、喜ばない人なんて、いない…」
「……」
「不安かしら…?」
「…ええ」
「不安なら、不安じゃなくなるまで悩んでいればいいのよ…」
「…?どういう意味?」
「どうせ手につかないのなら、悩みが吹っ切れてからでいいじゃない。
ミシンの掛け方なんて、いつでも覚えられる」
「でも、あと3週間よ」
「充分よ。充分覚えられるわ…。それか」
「…?」
「先に一所懸命に作り上げて、悩むのはその後でもいいし」
「……」
真紅は膝を抱えたまま、宙に視線を漂わせる。
「私は、いつでもミシンを動かせるようにしておくし、
フェルトも綿も、糸も揃えておくから…」
「……」
「ゆっくり考えてね」
ぐい、と薔薇水晶はアイスティーを飲み干した。
327: 2008/08/03(日) 21:47:18.79 ID:veKV2w750
ウス
330: 2008/08/03(日) 21:53:32.78 ID:veKV2w750
「………」
しばらく真紅を横目で見ていた蒼星石が立ち上がる。
「真紅」
ぽんぽんと膝をはたく。
「ちょっと、散歩に行かないかい?」
「え」
見上げる真紅の顔に、蒼星石はにこっと笑いかけた。
「ここ涼しいでしょ、ほら」
川に沿って、飛び続ける蒼星石と真紅。
「ええ」
「…ねえ、真紅」
「何?」
「最初、君がうちに来た時の事、憶えてる?」
蒼星石の横顔を見る。
「ええ、憶えてるわ。私が彫刻刀で」
「はは」
スピードを緩め、川辺に降り立つ蒼星石。
真紅がそれに続く。
332: 2008/08/03(日) 22:01:21.27 ID:veKV2w750
「ここはね、僕の秘密スポットなんだよ」
流れが急に狭まり、小さな魚が無数に泳いでいる。
「水が綺麗ね」
「うん、少し行くと、鯉なんかも泳いでたりするんだ」
蒼星石が、少し下流の方を指差す。徐々に
川幅が広がり、砂利敷の川原がなくなっていっている。
「そうなの」
「鯉ってね、割と何でも食べちゃうって、知ってる?」
「何でも?」
「うん。だからね、割とこういう河川の生態系とかが
壊れて、すごく単純なものになっちゃうって、聞いた事がある」
「へえ」
石を拾い、向こう岸まで投げる蒼星石。
「きっと、食べるって事に対して、一途なんだろうなって思うよ」
335: 2008/08/03(日) 22:05:53.74 ID:veKV2w750
「真紅」
しゃがみ込んだ真紅を見つめる、優しい眼差し。
「君は一途だから、誰かのためを思う時は、往々にして
周りが見えなくなる」
「……」
視線を下に向ける真紅。
「悪い意味で言ってるんじゃないよ。これは君の
いい所なんだ」
「そう」
「気づいてるかどうか知らないけどさ、雛苺も、翠星石も、
金糸雀も、僕も」
「……?」
「君がそういう風にいてくれるからこそ、君の所に
集まっちゃうんだよ」
「えっ」
「薔薇水晶だってそうさ。まさか君を招き入れて
ヌイグルミ製作の指導をしてるなんて」
「……」
「それは君に何かを感じたからじゃないのかな」
337: 2008/08/03(日) 22:10:24.03 ID:veKV2w750
「くんくん探偵の変身セットをハガキで応募して
当選するとか」
「う」
「通販でくんくんの本を取寄せるとか」
顔を赤くする真紅。
「いいんじゃない。そういう君だから、僕は好きなんだよ。
きっとジュン君も」
「………」
「だからさ、今は迷わないで。君がしている事は、
必ずジュン君が喜ぶ事なんだからさ」
真紅が立ち上がる。
「蒼星石…」
「ね」
ふふ、と蒼星石が笑った。
344: 2008/08/03(日) 22:23:03.66 ID:veKV2w750
「さ、どうする?真紅。僕は君の判断に合わせるよ」
「…」
拾った石を、蒼星石はお手玉のようにして遊び始める。
「そうね…」
足元の石を蹴る真紅。
「私、頑張るわ」
二人が同時に顔を見合わせ、そして笑顔になる。
「そうだね」
ふふっ、とお互いに笑った。
川原から丁度飛び立った所を、水銀燈が見つけていた。
「あら、あれは」
真紅と蒼星石。
ありそうでなかなかない組み合わせである。
「何してるのかしら」
暇潰しには持ってこいの、尾行。
悪趣味だな、と自分で思いつつ、水銀燈は後を追った。
349: 2008/08/03(日) 22:40:12.77 ID:veKV2w750
真紅と蒼星石は、街角のドールショップへ入っていった。
「………」
マスター引率ならともかく、ドール2体だけで入店するというのが
何だか解せない。
「しばらく様子見てみようかしら…」
パラペット屋根の上に乗り、水銀燈は身体を投げ出して、
日なたぼっこする事に決めた。
『謎は全て解けた!犯人は――――!!」
「あーん、くんくーん、違うの、それはミスリードなのー」
隣で甲高い声を上げる雛苺に、ジュンは思わず耳を塞いだ。
「やーん、CMなのー、これはテレビ局の巧妙な罠なのー」
「うるさいな…」
はあ、とため息をついて、ジュースを冷蔵庫に取りに行く。
「あ、ない」
「ジュース探してるの?」
「ああ」
「ごめんなの、こないだ真紅が疲れてたから、全部あげちゃったなの」
350: 2008/08/03(日) 22:44:09.88 ID:veKV2w750
「…真紅に?疲れてた?」
その言葉を聞いて、頭の片隅に残っていた疑問が、再び湧き出てくる。
「なあ、雛苺」
「なぁに、ジュン?」
雛苺がソファから身を乗り出し、こちらを見ている。
「真紅ってさ、最近何やってんの?」
「え」
「くんくんも見ずに、毎日毎日朝から晩まで出掛けて、何してんの?」
雛苺は目をぱちくりとさせる。
「あっ、えっとね、んー……」
目があちこちに泳いでいる。不自然過ぎて、逆に雛苺の考えが
読めない。
「それはね、言えないなの」
「…何で?」
356: 2008/08/03(日) 22:53:18.95 ID:veKV2w750
「何ででもなの!前ヒナ言ったの。真紅はジュンの事が大好きだから、
すっごく色んな事考えてるのよって」
「…その表現じゃ分かんないんだよ、雛苺」
「分からなくていいの。分かっちゃったら、真紅のやってる事が無意味になっちゃうの」
「その…」
大好きだから、というのもいまいちよく分からないが、それは言わないで伏せた。
「ね、ジュン」
テレビに向き直る雛苺。
「真紅はね、ジュンのためにすごく頑張ってるのよ。だからね」
「……」
「たまには撫でてあげてほしいの」
「雛苺…」
「ヒナからのお願いね、ジュン」
「あ、ああ」
「約束よ」
もう一度振り返り、にこ、と雛苺は笑顔を作った。
362: 2008/08/03(日) 23:13:09.55 ID:veKV2w750
真紅は最近、玄関から2階の部屋に直行し、すぐに自分の鞄に入ってしまう。
流石に、鞄に入った真紅を起こす事は、常識的に考えて
出来ない。
だが、今日、ジュンは何となく、真紅の鞄を開けようと考えていた。
「……」
パソコンの電源を落とし、鞄にこっそりと近づく。
「真紅…」
昼間の雛苺の言葉のせいもあった。
あれでなかなか、勘の鋭いドールである。雛苺がわざわざ言う事に、
意味がないとは思えなかった。
カチリ、と金具を外し、鞄を開ける。
眩しくないように、電気は消してある。
「……」
367: 2008/08/03(日) 23:20:41.39 ID:veKV2w750
真紅は初めて出会った時のような、可愛らしい表情で眠りについていた。
時おり見せる無邪気な、そして一途な真紅。
まだ子どもっぽさの残る第5ドールの寝顔は、ジュンの心を
惹き付けるものがあった。
「…」
手前にある左手を取り、頭を撫でてやるジュン。
ふと、何かザラザラとした感触を覚えた。
「あれ」
左手の感触がおかしい。
「何だ?」
目を凝らすと、指先に無数の穴が開いているのが分かる。それだけではない。
ところどころ、抉られたような痕があり、親指の付け根はごっそり
削げ落ちている。
「……!?」
何だこれは、と、ジュンは思った。あれだけ人形としての完璧に
こだわっていた真紅の左手が、どうしてこんな事になっているのか。
373: 2008/08/03(日) 23:33:50.01 ID:veKV2w750
「………」
ジュンはしばらく、その真紅の寝顔を見つめていた。
「ちょっと、そこをどいて頂戴」
いつも通りに玄関から出ようとした真紅の前に、
ジュンが立ちはだかっていた。
「ああ、どいてやるよ。でも、その前に一つだけ聞かせてくれ、真紅」
「何よ」
真紅が口を尖らせる。
「お前、いつも何しにどこに行ってる?」
「は?」
「答えろよ」
「……」
真紅の視線が泳ぐ。
376: 2008/08/03(日) 23:41:28.87 ID:veKV2w750
「…そ」
泳ぎ続ける目。
「蒼星石の所に遊びに行っているのよ。暇だから」
「嘘はいいんだよ、嘘は」
「嘘じゃないわ」
「とぼけるな。じゃあこの左手は何なんだよ」
ぐいっと真紅の左手を引っ張るジュン。
「きゃっ、ちょっと」
「蒼星石とアリスゲームでもしてるのか?どうしてこんなに傷つくんだ?」
「ちょっと、何やってるです?」
玄関口での騒ぎに、翠星石とのりがリビングから出てきた。
「……何でもないよ、翠星石」
「ジュン、ちょっと、放して頂戴」
「……」
「私は本当に、他のドールの所に行っているだけよ。
心配してくれるのは嬉しいけれど、これは本当よ」
「…じゃあ、その手は」
眉間に皺を寄せる真紅。
380: 2008/08/03(日) 23:50:30.99 ID:veKV2w750
「これはうっかりしてたのよ、普段は遊んでてケガなんかしないのだけれど」
「……」
「ね、ジュン、お願いだから、そこをどいて頂戴」
「……」
「心配してくれるのは嬉しいの、本当に嬉しいわ。でも」
「……」
「私だって、そんな過保護にされなくても大丈夫なのよ」
「…ああ、じゃあいいよ」
「別に嫌味言ってるわけじゃないのよ。分かって、お願いだから」
「……」
翠星石とのりが、不安そうに見つめている。
それを横目で確認し、ジュンは深いため息をついた。
「…ああ、うん、分かったよ。行けよ。ほら」
「…ごめんなさい」
うつむく真紅。
「いいよ、別に」
「……」
うつむいたまま、真紅は玄関から出て行く。
「ジュン君…?」
後に残されたジュンは頭をガリガリと掻きむしり、2階へ上がっていった。
381: 2008/08/03(日) 23:56:43.56 ID:veKV2w750
「後はここをミシンで返し縫いして、その中に綿を詰めて、手縫いすれば完成…」
誕生日まで4日と迫った頃。
薔薇水晶がふうーっと大きく伸びをした。
「ようやくね…」
真紅は胸を撫で下ろし、畳に仰向けになる。
「あー、何だか気が抜けてしまいそうなのだわ」
「ふふ、まだ駄目よ…」
互いに視線を交わし、ふふ、と笑う。
「さ、もう一頑張りするわ」
「ええ」
ふああ、と、真紅は大きな欠伸をした。
388: 2008/08/04(月) 00:03:20.24 ID:7w2fn/RN0
「あら、どうしたの」
「最近ね、眠れなくて…」
「どうして?」
「ちょっとね」
真紅はもの悲しそうに微笑む。あれ以来、今度は
明確にジュンと視線を合わさなくなった。
正確に言うと、真紅の方が、視線を合わすのを
怖がっていた。
ジュンが、自分を心配してくれているのがよく分かった。
だからこそ、それを半ば無碍にしてここに来ている自分が、
後ろめたいのも事実だった。
「………」
そうしてぼんやりしていた時だった。
391: 2008/08/04(月) 00:08:35.34 ID:7w2fn/RN0
「あっ、ちょっと」
ががががっと音を立てて、ミシンの針が真紅の左手に
食い込んだ。
「あっ痛っ!!」
「ちょっと、大丈夫?」
ミシンのスイッチを止める薔薇水晶。
真紅が左手を押さえ、小さく震えている。
「真紅」
「……」
「見せて、どうなったの」
ゆっくりとその左手を手に取る。
「あっ」
人差し指と親指がなくなっていた。
400: 2008/08/04(月) 00:17:12.71 ID:7w2fn/RN0
「痛い、痛い」
反射的に手を引っ込める真紅。
「ここで待ってて。ミシンを動かしちゃ駄目よ」
そう言って立ち上がり、仕事場の方へ消えた。
「大丈夫、直るよ」
エンジュが手を取って観察している。真紅は唇を噛み、
鼻をくすん、くすんと何度も鳴らしている。
「すぐ直りそう…?」
「ん」
薔薇水晶が背後から覗き込む。
「今ある在庫の中で、サイズがぴったりの物があればね。
なければ、一から作らないといけない」
真紅の頭を撫でながら、エンジュは呟いた。
411: 2008/08/04(月) 00:32:34.24 ID:7w2fn/RN0
「……駄目だ、ないな。しばらく我慢してもらうしかない」
「………」
「……」
薔薇水晶と真紅は黙ってしまった。
「何とかならないのですか…?お父様…」
「何とかと言っても…無いものはしょうがないし…うむ」
困ったように眉間に皺を寄せるエンジュ。
「早めに何とかするよ。済まないな」
「いいえ…いいのよ」
左手を押さえたまま、真紅は答えた。
414: 2008/08/04(月) 00:40:27.56 ID:7w2fn/RN0
「ね、真紅、あとはちょっとした事だけだから、私が仕上げておくわ」
お茶をテーブルに置きながら薔薇水晶が話しかける。
「…いいわよ、最後まで私がやらないと、作った意味がないのだわ」
「……」
薔薇水晶は何度か瞬きをする。
「そう…」
薔薇水晶はそれ以上食い下がるのはやめた。
真紅はこういう性格なのだ、と、何となく理解出来始めていたのだ。
「続けましょう、薔薇水晶」
鼻をこすり、真紅は再びミシンのスイッチを入れた。
それから約1時間後。
「はあーーーっ」
真紅が思わず叫ぶ。
綿を詰め、返し縫いをして、ついにジュンのヌイグルミが完成した。
473: 2008/08/04(月) 09:51:08.48 ID:7w2fn/RN0
「ラッピングはこれでいいかな」
赤いチェックの袋に、緑色のリボン付きシールを貼るエンジュ。
「ええ、私センスがないから、よく分からないけれど」
「一応、君の色に合わせたつもりだよ、ほら」
出来上がった物を真紅に見せる。
「まあ…」
手に取り、真紅はまじまじと観察し、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、また当日に取りに来るから」
「ああ、待ってるよ」
二人に手を振り、家路に着く。
474: 2008/08/04(月) 09:58:15.75 ID:7w2fn/RN0
桜田家が見えてくる。
「…そうだわ」
真紅は反射的に左手を押さえる。これを見られでもしたら、
どういう反応をするか分からない。
後で直る、と言えば、ジュンは納得するだろうか。
いや、こちらは、ジュンに今何をしているか、伝えていない。
「………」
とにかく、気まずくなるような事態は出来るだけ避けるべき、
真紅はそう結論づけた。
477: 2008/08/04(月) 10:04:52.30 ID:7w2fn/RN0
だが、それは簡単にバレてしまった。
「…真紅、どうして左手を隠すんだ?」
夕食の時も含め、常に左手を後ろに隠していた真紅を、
ジュンはすぐに不審がったのだ。
「何でもないわ」
「…見せてみろよ」
「嫌よ」
ジュンはおもむろに立ち上がり、真紅の椅子を引いて
左手を持ち上げた。
「!!」
目を見開くジュン。
「お前……」
「大丈夫よ、直るわよこんなの」
「親指と人差し指がないのにか?簡単に直るのか?」
「………」
のりたちが心配そうに見ている。
「………」
真紅は黙って口を尖らせている。切り抜けられるほどの話術はない。
479: 2008/08/04(月) 10:16:15.30 ID:7w2fn/RN0
「…」
それを見ていたジュンは、大きくため息をつく。
「お前がどこに行って何をしているのか知らないけど」
「……」
「こういう事になるのなら、もうやめてくれないか」
「…それは大丈夫よ、もう」
「大丈夫?」
「もう傷ついたりする事はないわ、安心して頂戴」
「……」
ジュンは真紅の瞳を覗き込む。真紅はそれに合わせるように、
ジュンを見つめ返してきた。
「…本当だな?」
「本当よ」
真紅は眼を逸らさずに即答する。
「…ん、じゃあいいよ」
「そう」
「……」
立ち上がり、自分の席に戻るジュン。
真紅はため息をついた。
481: 2008/08/04(月) 10:24:41.45 ID:7w2fn/RN0
「ジュンくーん、おめでと~~~!!」
「なの~~!!」
パーンと朝っぱらからクラッカーが鳴り響く。
「ん…っな、何だよ」
ベッドの中で、眠たい眼をこすりながらジュンが起き上がる。
「ジューン、おはようなの」
「今日誕生日でしょう?」
のりがニコニコしながら答える。
「えっ……あ」
そういえば、とジュンは思い出した。学校に行かなくなってから、
あまり日付を気にしていなかったせいもあるかもしれない。
「今日はね、私と翠星石ちゃんで、ケーキを作ってるのよぅ」
「え」
ジュンは時計を見た。午前8時半。
外は灰色の空がゴロゴロ鳴っている。
483: 2008/08/04(月) 10:33:50.00 ID:7w2fn/RN0
「ヒナもね、ヒナもね、ジュンにプレゼントがあるの!!」
「…プレゼント?」
「はいなの!」
満面の笑みで差し出されたのは、一枚の画用紙。
「……これは」
眼鏡を掛けた男の子の絵に、『じゅん14さいおめでとう』と、クレヨンで大きく描かれている。
「この前のはね、みんな描いちゃったから、今度は
ジュンだけかっこよく描いたのよ」
言いながら肩に飛び乗ってくる雛苺。
「どう、似てる?」
首に抱きついて雛苺が覗き込んでくる。
「ああ、似てるよ。かっこよく描けたじゃないか」
「えへへ、ありがとうなの」
ジュンはいつの間にか、ニヤニヤしている自分に気づく。
「そうか、誕生日か…ん?」
ジュンはベッドから降り、階下へと向かう。
488: 2008/08/04(月) 10:45:42.48 ID:7w2fn/RN0
「今日はね、蒼星石と金糸雀も呼んでるのよ」
後ろからのりと雛苺が下りてくる。
「………」
リビングのドアを開けるジュン。
「おっはようですーぅ!!」
「うわっ」
パーンとクラッカーが鳴り、ジュンが思わずのけぞる。
「やーい、びびってやがるです」
「お、お前…てか」
きょろきょろとリビングを見回すジュン。
491: 2008/08/04(月) 10:51:21.21 ID:7w2fn/RN0
「真紅は?」
「え」
「真紅はどこにいるんだ?」
「えっとね、ちょっと出掛けてるの。すぐに戻るって」
雛苺が後ろから答える。
「出掛けてる…?」
「大丈夫よ、すぐに戻るって言ってたから」
「すぐにって…」
窓の外に視線を移すジュン。
先ほどよりも、少し空の色が濁ってきた気がする。
「え」
「真紅はどこにいるんだ?」
「えっとね、ちょっと出掛けてるの。すぐに戻るって」
雛苺が後ろから答える。
「出掛けてる…?」
「大丈夫よ、すぐに戻るって言ってたから」
「すぐにって…」
窓の外に視線を移すジュン。
先ほどよりも、少し空の色が濁ってきた気がする。
500: 2008/08/04(月) 11:03:42.06 ID:7w2fn/RN0
「じゃあ、これね、はい」
「ありがとう」
袋を受け取る真紅。
「それじゃ」
「あ、待って」
店を出て行こうとする真紅を、薔薇水晶が止める。
「今日、雨が降るって、天気予報で言ってたから、傘…」
言われて、真紅は空を見上げる。
「大丈夫よ、別に、これくらい。傘なんていいから」
ぶんぶんと手を振る。
「でも」
「平気よ、気にしないで」
そう言って、真紅は店を後にする。
「…行っちゃった…」
薔薇水晶は再び、空を見上げる。
西から、濁った雨雲が急速に広がってきていた。
504: 2008/08/04(月) 11:18:39.01 ID:7w2fn/RN0
「…降りそうね」
ズ…ズン…と、今度は近くで音が鳴る。
「急がなきゃ」
ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。真紅はプレゼントをドレスの中に入れ、
濡れないようにする。
瞬間、視界に閃光が走った。思わず瞬きをする真紅の耳に、
つんざくような音が轟いた。
「……!」
ぽつ、ぽつ、がぱら、ぱらになり、数秒後にザアアアアと一気に
土砂降りになった。
507: 2008/08/04(月) 11:29:06.26 ID:7w2fn/RN0
「楽しみかしらー」
金糸雀と雛苺が、リビングで陽気にじゃれ合っている。
のりと翠星石が料理を準備し、テーブルで蒼星石が食器を
並べている。
「……」
ジュンはざあざあと降りしきる雨を見つめ、時計に眼をやった。
「10時半…」
自分が目覚めてから既に2時間。真紅が出掛けてからだと、
2時間半くらいになるのではないだろうか。
「遅いわねぇ」
いつの間にか、のりが隣に立っている。
「…うん」
509: 2008/08/04(月) 11:35:02.36 ID:7w2fn/RN0
「真紅、いつから出掛けてるの?」
蒼星石が窓際に来て、ジュンのズボンの裾を掴む。
「8時過ぎよぅ」
のりが答える。
「…店に行って帰ってくるだけなのに、おかしいな…」
「え」
ジュンが蒼星石の言葉に反応した。
「おい蒼星石、店って何だ?」
蒼星石が窓際に来て、ジュンのズボンの裾を掴む。
「8時過ぎよぅ」
のりが答える。
「…店に行って帰ってくるだけなのに、おかしいな…」
「え」
ジュンが蒼星石の言葉に反応した。
「おい蒼星石、店って何だ?」
512: 2008/08/04(月) 11:40:43.62 ID:7w2fn/RN0
「ああ、8時半過ぎだったかな。もうこちらを出たよ」
ザアザアという音。
「うん、またこっちにでも来たら連絡しよう」
電話を切るエンジュ。
「どうしたのお父様…」
「ん」
薔薇水晶が店に出てくる。
「真紅が家に帰ってないらしい」
「え…」
時計を見上げる薔薇水晶。10時45分。
「………」
外は、土砂降りの雨が容赦なく
窓を打ちつけている。
「…私、探してきます…」
「え?」
エンジュの言葉を聞く前に、傘を持って、薔薇水晶は
飛び出した。
514: 2008/08/04(月) 11:46:46.10 ID:7w2fn/RN0
「うわっ、すご」
ドアを開けると、横殴りの雨が顔と眼鏡を濡らし始める。
「待って、私も行くわ、ジュン君」
傘を差すジュンを、のりが呼び止める。
「いいよ、姉ちゃんは4人を見ててくれ。まともなのが
蒼星石一人じゃ心細い」
「でも」
「いいから。すぐに戻ってくるよ」
「………」
傘を差し、Enju堂までの道を思い起こすジュン。
おそらく、雨やどりをしているのだろう。
これだけ急に降ってきた雨だ。真紅は、行き帰りのルート沿いの
どこかにいる。
「…あいつ」
ジュンが駆けていく道で、バシャ、バシャ、と音が響いた。
551: 2008/08/04(月) 15:25:17.08 ID:7w2fn/RN0
滑り台の下から、真紅がひょこっと顔を出した。
時おり目の前の道路を車が走っていくが、その音すら聞こえない、
見境なしに泣き続ける、子どもの泣き声のようなけたたましい雨。
「………」
ドレスは既に全身ぐっしょり濡れていて、ドロワースだけがまだ
温もりを実感出来る程度である。
だが、それもいつまで続くか分からない。
「…大丈夫かしら」
真紅は胸元を開き、ドロワースの内に収めているヌイグルミを
確認する。
多少皺が出来てしまったが、袋が濡れたりはしていない。
554: 2008/08/04(月) 15:37:37.97 ID:7w2fn/RN0
止みそうにない。
それが分かっていても、濡らしたくない。
「………」
小降りになったらでいい。
急いで帰れば、プレゼントは濡れなくて済むだろう。
遅くなったから、怒られるかもしれない。きっと今のジュンなら、
ゲンコツくらいはお見舞いしてくるかもしれない。
『これくらいで騒がないで頂戴、みっともない』
自分が突如袋を取り出す。
ジュンは何コレ、といった顔つきでそれを
見ている。
やがて袋の中から出したヌイグルミを
得意げに自分が渡す。
ジュンは少し驚いた表情をして、すぐに照れくさそうに
笑うのだ。
自分は、『大切にしなさい』と、笑顔のジュンに
ちょっと偉そうめに云う。
「ふふ」
真紅はにやけている自分に気がついた。
558: 2008/08/04(月) 15:47:45.94 ID:7w2fn/RN0
袋に、ぽたっ、と雫が落ちた。
「あ」
自分の頬を伝って落ちたのだと分かる。
「いけないわ」
すぐに胸元を閉じ、再び空を見上げる真紅。
下半身は跳ね返った泥で変色し、足を動かす度に
ぐじゅ、ぐじゅ、という不快な感覚に支配される。
ヒュウウ、と後ろから風が吹いてきて、真紅は
ぶるっと全身を震わせた。
「………」
耳が痛くなるほどの音。アスファルトを何度も何度も、
際限なく打ちつける。
559: 2008/08/04(月) 15:56:38.37 ID:7w2fn/RN0
「…」
真紅は思わず耳を塞ぎ、目をぎゅっと瞑る。
駄目だ、と思った。
ずっとこの音を聞いていると、駄目になる。
「うぅ…」
絞り出すような声。
寒い。足が重い。
「真紅」
自分を呼ぶ声がした。
「え…」
眼をうっすらと開ける。顔に雨が当たらなくなり、
目の前が真っ暗になる。
傘だ、と理解するのに、幾分か時間が掛かった。
563: 2008/08/04(月) 16:06:00.38 ID:7w2fn/RN0
「いないな……」
カンカンカンという踏み切りの音に、ジュンは足踏みする。
バス停にもいない。
ひょっとすると、人形である事を意識して、人目を
避けているのかもしれない。
そうなると、余計に探しようがない。
「いや」
ジュンは道沿いのバス停に腰を下ろし、考えを巡らせる。
真紅は元来真面目な性格だ。知らない場所に、
わざわざ行くような子ではない。
特に、ハプニングに見舞われた時に、知らない場所に
行ったりするだろうか。
元々、街の地理など、そんなに知らないはずで―――
ちょんちょんと肩をつつかれる。
「ん」
「こんにちは…」
傘からしたたる滴の向こうに、紫色の人形が見えた。
565: 2008/08/04(月) 16:15:16.05 ID:7w2fn/RN0
「どうしたの…こんな所で」
薔薇水晶が傘を折りたたみながら話しかけてくる。
「真紅を探してるんだ」
「あら……」
一度周囲を見回す薔薇水晶。
「いないの?そっちも…?」
「え」
「私も…探していたの…」
「…そうか」
項垂れるジュン。
「道沿いをずっと?」
「ええ、こういう、屋根のある所を重点的に」
「……それでもいないのか…」
「…」
「隣、いい…?」
ジュンが顔を上げると、薔薇水晶はベンチによじ登って前を向いた。
568: 2008/08/04(月) 16:27:40.29 ID:7w2fn/RN0
「……」
薔薇水晶は、濡れた背中のリボンを小さく絞って、
更に後ろで小さな蝶々結びにした。
ジュンはふと思った。
どうして、薔薇水晶が真紅を探しているのだろう。
「薔薇水晶」
「?」
こちらを見上げる薔薇水晶。
「何で」
「……え」
「何で、お前が真紅を探してるんだ?」
574: 2008/08/04(月) 16:48:57.07 ID:7w2fn/RN0
黒い羽。
笑いもせず、こちらを無表情で見つめる赤い瞳。
「水銀燈…」
真紅は目をぱちくりとさせた。
「ほら、濡れちゃうでしょ、貸してあげるわ」
黒い傘をいっぱいに広げ、渡そうとする水銀燈。
「どうしてここに…」
「なぁに、話した方がいいかしら」
いつもと違う、どこか穏やかな口調。
578: 2008/08/04(月) 17:02:09.71 ID:7w2fn/RN0
「……」
「馬鹿ねぇ、傘くらい、貸してもらったっていいじゃない」
「え…」
「あんたのそういう所が、人に結果的に迷惑掛けてるって、
気づかないのかしら」
「…見てたの?」
水銀燈が顔を上げる。
「見てたわよぉ、結構前から。知ってる?あの店、パラペット屋根があって、
曇りの日の朝は、なかなか涼しいのよぉ。今日とかね」
「悪趣味ね」
「何とでも言ってなさい」
「…」
ザアザア、と、雨音が少し小さくなった気がする。
581: 2008/08/04(月) 17:13:57.79 ID:7w2fn/RN0
「さっさとあのミーディアムの所へ帰ったらぁ?
私もこんなつまんない場所に、いつまでもいたくないし」
そう言って、半ば強引に傘を渡す水銀燈。
「いらないわよ」
「あら、じゃあ、さっき見てた胸の中の袋は、濡れちゃってもいいわけ」
「……」
思わず胸を押さえる真紅。
「…本当に悪趣味ね、貴女」
「あら、悪口がワンパターン化してきてるわよぉ、どうしたのかしら」
水銀燈がくすくすと笑う。
「うるさいわね」
「……」
二人の会話が止まる。
私もこんなつまんない場所に、いつまでもいたくないし」
そう言って、半ば強引に傘を渡す水銀燈。
「いらないわよ」
「あら、じゃあ、さっき見てた胸の中の袋は、濡れちゃってもいいわけ」
「……」
思わず胸を押さえる真紅。
「…本当に悪趣味ね、貴女」
「あら、悪口がワンパターン化してきてるわよぉ、どうしたのかしら」
水銀燈がくすくすと笑う。
「うるさいわね」
「……」
二人の会話が止まる。
583: 2008/08/04(月) 17:19:13.53 ID:7w2fn/RN0
「ジュンは、きっと怒ってるわ」
「……」
「今何時か知らないけど、もうお昼近いんじゃないの」
「さあ」
「…私はこれをジュンに届けたい、でも」
ぽた、ぽた、と、ヘッドドレスから滴が落ち始める。
「きっとジュンは、喜んでくれないんじゃないかしら」
「真紅…」
首を傾げ、眉間に皺を寄せる水銀燈。
「……」
「つまんない子になっちゃったわねぇ」
「え…」
「あんた何しに出てきたの?こんな日に、あの店まで」
「……」
「薔薇水晶が気を遣ったのに、傘も借りずに?」
「…いちいち掘り返さないで頂戴。イライラするわ」
真紅は口を尖らせ、ぷいと横を向いてしまう。
586: 2008/08/04(月) 17:23:24.26 ID:7w2fn/RN0
「………」
「……あーあ、分かったわよぉ、せっかくお姉さんが
お助けに参上したのに、そういう態度取るわけぇ」
はあ、と深く息を吐いて、やれやれという風に首を振る。
「ん」
手を差し出す。
「何よ」
「返して、その傘」
「………」
真紅は視線を下に向け、黙り込んでしまう。
「私だってボランティアやってるわけじゃないのよ。真紅」
「…分かったわ」
傘を受け取った水銀燈は踵を返し、
滑り台から離れていく。
「……」
真紅はむくれたまま、視線を上げようとしない。
「じゃあねぇ、今日はそこで泥だらけになるといいわぁ」
黒い傘が遠ざかっていく。
「……」
真紅の足元に、ぽた、ぽた、と、滴が何度も落ちた。
「……あーあ、分かったわよぉ、せっかくお姉さんが
お助けに参上したのに、そういう態度取るわけぇ」
はあ、と深く息を吐いて、やれやれという風に首を振る。
「ん」
手を差し出す。
「何よ」
「返して、その傘」
「………」
真紅は視線を下に向け、黙り込んでしまう。
「私だってボランティアやってるわけじゃないのよ。真紅」
「…分かったわ」
傘を受け取った水銀燈は踵を返し、
滑り台から離れていく。
「……」
真紅はむくれたまま、視線を上げようとしない。
「じゃあねぇ、今日はそこで泥だらけになるといいわぁ」
黒い傘が遠ざかっていく。
「……」
真紅の足元に、ぽた、ぽた、と、滴が何度も落ちた。
592: 2008/08/04(月) 17:44:52.75 ID:7w2fn/RN0
「……」
滑り台の支柱を掴み、そのままズルズルと
真紅はしゃがみ込む。
先ほどまで小降りだった雨が、また少し勢いを増して
きた気がする。
雨粒がヘッドドレスを揺らし続け、真紅の頬に、首筋に
流れていく。
「……ジュン」
視線は、地面に出来た水たまりの方向を見ている。だが、
真紅は違うものを見ていた。
冷たい。
顔に泥が跳ね返った。
「……」
右手で拭うも、一度跳ね返ると、それは何度も頬に、胸につき始めた。
「嫌…」
思わず両手で顔を覆う。閉じられた視界は真っ暗で、
けたたましい雨音だけが真紅を孤独に追い込んでいった。
595: 2008/08/04(月) 17:58:15.87 ID:7w2fn/RN0
チリンチリンと音がして、Enju堂のドアが開く。
「ただいま」
薔薇水晶が傘をたたみ、続いてジュンが入ってきた。
「ああ、ただいま、おっ、桜田君じゃないか!どうもどうも」
白崎がへこへこと営業スマイルをジュンに向ける。
「こんにちは…」
「どうした?真紅は?」
奥からエンジュが出てきた。
「いませんでした」
ジュンが答える。
「そうか…家に、電話掛けてみるかい?」
受話器を取る仕草をするエンジュ。
「ええ、一応掛けてみます。戻ってるかもしれないし」
597: 2008/08/04(月) 18:07:45.21 ID:7w2fn/RN0
「ああ、そう、ならいいんだ」
ガチャ、と電話を切る。
「どうだった?」
「戻ってないそうです」
うつむくジュン。
「そうか…」
ふと、奥から薔薇水晶が手招きしているのが見える。
「こっち来て…」
「ん?」
奥の和室に、ミシンが置いてあった。
「これは…?」
「真紅は、ずっとここにいたの」
「…ずっと?」
「ええ」
「どうして…?」
601: 2008/08/04(月) 18:13:06.54 ID:7w2fn/RN0
「言っていいのかしら…」
薔薇水晶は困ったように視線を泳がせている。
「真紅は、ここで指を飛ばしたのか?」
ミシンの前でしゃがみ込む。
「……私の注意不足よ、全ては…」
隣にしゃがみ込み、項垂れる薔薇水晶。
「いや、いいよ、今更。それより、理由が知りたい」
「…理由?」
「真紅がどうしてここに来てたのか」
「……」
「…真紅はどうしても教えてくれなかった。
雛苺も、蒼星石も、それだけは」
「……そう」
「でも、僕は知りたいんだよ」
「……」
「…」
長い沈黙が流れる。
604: 2008/08/04(月) 18:27:20.15 ID:7w2fn/RN0
「…ぬいぐるみ」
「え」
薔薇水晶が壁際の棚を指差す。色とりどりのヌイグルミが、
かごの中、所狭しと並んでいる。
「へえ」
ジュンは立ち上がり、まじまじとそれを見つめる。
「真紅は、ぬいぐるみを作ろうとしたの…」
「ぬいぐるみ?」
「今日、誕生日なんでしょう?」
こちらを向く薔薇水晶。
「うん」
「あなたの姿をしたぬいぐるみを…」
「えっ?」
「この一ヶ月、あの子は必氏になって作ってた…」
607: 2008/08/04(月) 18:41:06.10 ID:7w2fn/RN0
「ヌイグルミ…」
「そう…」
「……」
ザアアア、と、雨の音だけが響く。
「なあ」
「……なぁに?」
「今、真紅、どこにいるのかな」
「……」
薔薇水晶は答える代わりに、首をぶんぶんと振った。
「そうだよな…」
「桜田君、ちょっと」
ジュンは顔を上げる。
白崎がドアの所で、手招きしている。
「何ですか?」
「お客さんだよ」
611: 2008/08/04(月) 18:48:11.42 ID:7w2fn/RN0
「え?」
白崎が店の方に目をやり、そちらにも手招きをする。
「……」
「こんにちはぁ」
次の瞬間ひょこっと顔を出したのは、水銀燈だった。
「おま……何でここに?」
「さぁ…ここにいるんじゃないかしらって思ってぇ」
水銀燈はいつものように、悪戯っぽい笑みを浮かべながら
こちらを見ている。
「真紅を探してるんでしょ」
「ん、ああ」
「私知ってるわよ、あの子がどこにいるか」
613: 2008/08/04(月) 18:59:23.79 ID:7w2fn/RN0
バシャ、バシャ、と坂道を駆けていくジュン。
「本当なのか?水銀燈」
ジュンに抱っこされたまま、水銀燈はむっとした表情になる。
「あら、嘘だと思うなら降ろして頂戴。
不愉快だわ」
「ああ、悪かった、流してくれ」
やれやれ、といった風にため息をつく。
坂の頂上で立ち止まる。
下り坂に立ち並ぶ商店街。その向こうには大きなマンション型の、古い都営団地が
5、6棟ほど固まっている。
その向こうに大きな川があり、川の向こうに有栖川大学病院が見える。
「………」
ジュンは水銀燈の顔を見る。水銀燈は、川向こうの、遠い空へ視線を向け、
目を細めている。
「…あの団地のそば」
すっ、と指を差し、一度だけ瞬きをする。
「小さな公園があるの、分かるかしら?」
619: 2008/08/04(月) 19:16:33.50 ID:7w2fn/RN0
どれくらい、真っ暗な世界を見ていたのか分からない。
「……」
真紅は、ふと両手を外して前を見た。
雨がパラパラ、と小降りになっている。
泥が顔や手に跳ね返り、なくした指の付け根にも泥がこびりついている。
「…」
ぐしょぐしょになった胸元をつまんで、中に入れてある袋を見る。
「ああ…」
紙製の袋は水が染み込み、口が少し破けていた。
「あぁぁぁ…」
両目を右手で覆う真紅。
626: 2008/08/04(月) 19:28:53.12 ID:7w2fn/RN0
「………」
泣きそうになっているのが自分でよく分かる。
「最悪だわ…」
中身まで確認する気になれない。
頭上に、パラパラと小雨が降り続く。
「……でも」
泣いている場合ではない。
今のうちに帰らないと、またいつ雨が強くなるかもしれない。
「……」
空を見上げる。
これが昼間かと疑うくらい、どす黒い雲に覆われ、
通り過ぎる車はライトを灯している。
「……」
だが、不思議と雨足が強まる様子はなく、むしろ
じわじわと弱まっている感じすら受けた。
今しかない。
真紅はぐじゅ、という音と共に立ち上がり、
最早真紅とは呼べないドレスの泥を払う事もなく、公園を後にする。
ぐじゅ、ぐじゅ、と水の動く音が足元から響いた。
629: 2008/08/04(月) 19:38:43.20 ID:7w2fn/RN0
袋がずり、ずり、と落ちそうになっているのが分かる。
「………」
指がある右手でそれを支え、左手で、道路際のブロックを支えにして
少しずつ、真紅は家に向かっていた。
ここからだと500メートルくらいだろうか。そんなに離れてはいない。
だが、今はその道程がとてつもなく遠く感じられる。
「はぁ…」
身体が重い。靴の水のせいで、たまに足をくじきそうになる。
バシャッ、と、通り過ぎる車が、容赦なく真紅に泥水を掛けていく。
その度に真紅は背中を向けて、袋に水が掛かるのを
防ぐ体勢を取った。
「………」
ギシ、ギシ、と、何か動きにくい音がする。
まさか、と思った。
あと少しなのだ。
「待って、もう少し。もう少しだから…」
自分に言い聞かせるように、一歩ずつ真紅は歩き続ける。
635: 2008/08/04(月) 19:59:52.79 ID:7w2fn/RN0
こんな所でネジが切れる理由が、真紅には分からなかった。
別段力は使っていない。
「どうして…あっ」
ギッ、と音がして、真紅は前のめりに倒れ込んだ。
べしゃっ、と言う音。胸に強い衝撃を覚える。
「……しまった」
立ち上がろうとした真紅は、再びがくんと膝から倒れる。
「う…」
足が動かない。
「……」
真紅は諦めたように深く項垂れ、胸から袋を取り出す。
「あっ」
袋は真ん中から大きく裂け目が走り、中のヌイグルミが一部濡れていた。
「……」
637: 2008/08/04(月) 20:00:36.54 ID:7w2fn/RN0
思わず、真紅はヌイグルミを抱きしめる。
それと同時に、涙が溢れ出てきた。
せっかく。
せっかく作ったのに。
どうして。
「ジュン……」
パアアアアア、と、後ろから何かが聞こえ、
真紅は振り向く。
目の前が光に覆われ、真紅を一瞬のうちに呑み込んだ。
それと同時に、涙が溢れ出てきた。
せっかく。
せっかく作ったのに。
どうして。
「ジュン……」
パアアアアア、と、後ろから何かが聞こえ、
真紅は振り向く。
目の前が光に覆われ、真紅を一瞬のうちに呑み込んだ。
647: 2008/08/04(月) 20:13:21.29 ID:7w2fn/RN0
「いないじゃないか」
公園の入り口から、ジュンと水銀燈が滑り台を見ている。
「あ、あれ、おかしいわねぇ」
「……」
「小降りになってきたから、もう帰ったのかしら…」
「…うーん…ん?」
ジュンは足元に視点を移した。
「何だこれ」
公園の中に、足跡がついている。
「え、あら」
水銀燈も気がついたようだ。
注視すると、入り口から外、アスファルト部分にかけて、
今度は小さな泥の塊が点々と続いている。
651: 2008/08/04(月) 20:24:41.17 ID:7w2fn/RN0
「ジュン」
「ん」
「今日は雨が降っているのよね」
「ああ」
水銀燈は公園の中に視線を戻し、また再度アスファルトの方を見る。
「雨がまだ洗い流せていない泥…」
「……」
「それ程時間が経っていない内の足跡…」
「つまり、これは」
「そうね、真紅の」
ジュンは泥が残っている方向を見やる。
「家に向かう道だ」
654: 2008/08/04(月) 20:31:59.81 ID:7w2fn/RN0
「ねえ」
水銀燈が口を開く。
「ん?」
「真紅はどうして、ああいう事が出来るのかしら」
「何だって?」
ジュンの顔を見上げる水銀燈。
「私にはよく分からないの、正直」
「……?」
「私たちはローゼンメイデンっていうお人形で、お父様に会うために
生み落とされた」
ばしゃ、ばしゃ、と水が跳ねる音がする。
「いつかは、闘って、傷つけ合って、奪い合って、動かなくなって」
ブウウン、と車が通り過ぎていく。
「姉妹の魂を集めた唯一人だけが、元の正しく、美しいアリスへと
孵化する事が出来る、そうでしょう?」
「……ああ」
656: 2008/08/04(月) 20:35:33.85 ID:7w2fn/RN0
「だったら」
水銀燈の右手が、ジュンの胸をぎゅっと掴む。
「……」
「誕生日プレゼントなんて、おままごとみたいな発想、
出て来ないと思うのよねぇ」
「……」
「不愉快だったら言って頂戴ねぇ、ま、どうでもいいけど」
ジュンは何も答えず、真っ直ぐ前を見て走り続ける。
「どうしてミーディアムとの絆なんて気にするの?大切にしようとするの?
7体全員、いずれはマスターの元を離れ、動かない人形に戻るのに」
水銀燈は首をもたげ、ジュンの肩にすり寄る。
「ねぇ、分からないわ、私にはあの子が」
「あっ」
ジュンが声を上げた。
661: 2008/08/04(月) 20:48:29.67 ID:7w2fn/RN0
道路に散乱している、赤いチェックの紙が目に入った。
そこから左に目を転じるジュン。
「真紅!!」
水銀燈が思わず口を覆う。
美しかった金髪や、紅色のドレスは泥に汚れ、白いはずの
ドロワースは、土色に変色している。
真紅は泥だらけの顔で目を閉じ、ブロック塀に寄り添っていた。
その手に何かを持っている。
「おい、真紅」
ジュンが駆け寄り、しゃがんで起こそうとする。
水銀燈は目を見張る。
「この子……」
左手にヌイグルミの首、右手に、残りの胴体。はみ出た綿が
雨に濡れ、雨粒を弾いて、地面にぽつ、ぽつ、と落ちていた。
697: 2008/08/04(月) 22:14:19.31 ID:7w2fn/RN0
「大丈夫、ネジが切れてるだけだ」
「……」
水銀燈は、道端に落ちている紙切れを拾う。
「…水でも染み込んだからかな…こんなに早く切れるなんて…」
首を捻りながら、ポケットの雑巾を取り出す。
「あら」
紙切れの一枚に貼ってある、シール付きのリボン。シールの金箔部分に、
何かが書いてある。
「ねえ」
真紅の顔を拭いていたジュンに、水銀燈が話しかける。
「これ、何て書いてあるの?」
「え」
見せられたシール。
「『Dear Jun』……」
ジュンは真紅に向き直り、その両の手に握りしめられている
ヌイグルミを手に取った。
702: 2008/08/04(月) 22:24:47.30 ID:7w2fn/RN0
泥にまみれているが、フェルトを使って、眼鏡や髪が作られているのが分かる。
「これは……」
はみ出た綿。
「真紅…」
ジュンは、しばらくそこから動けなかった。
「ええ、見つかりましたんで。はい…はい…
すみません、薔薇水晶にも、お礼を言っておいて下さい」
電話を切り、一息つくジュン。
「ふう」
「ジュンく~ん」
のりが浴室の方から出てくる。
「お風呂の準備出来たわよー」
「あ、うん」
返事した後、玄関口の水銀燈を見やる。
706: 2008/08/04(月) 22:30:15.46 ID:7w2fn/RN0
「ありがとう、水銀燈…」
水銀燈は首を傾げ、小さく笑う。
「別にお礼なんて言わなくてもいいのよぉ。馬鹿な事してないで、
さっさとローザミスティカよこしなさい、って、真紅に言っておいてねぇ」
そう言ってドアを開け、傘を開こうとする。
「帰るのか?」
水銀燈が振り返り、怪訝な顔つきになる。
「?帰るわよ、何?」
「いや…」
ちらっとリビングの方を見るジュン。
708: 2008/08/04(月) 22:35:38.04 ID:7w2fn/RN0
「あぁ、そういう事」
水銀燈は傘を持ったまま、顔の横で両手をひらひらさせる。
「今日はお祝い事でしょ。貴方のための。
私そんな場所にいたくないのよぉ」
「……そうか」
少しうつむくジュン。
ザアアアア、と、雨音が聞こえてきた。水銀燈がドアを開けたのだ。
ひんやりとした風がホールに入ってくる。
「ねえ」
薄暗い中で水銀燈が振り返り、妖しく微笑む。
「ん…?」
「悪くなかったわよぉ、貴方に抱かれてて」
「え」
ふふ、と笑い、肩をすぼめる水銀燈。
「それじゃねぇ、真紅によろしくぅ」
もう一度、上目遣いにジュンを見る。
「『ジュン君』」
傘を開いた水銀燈が見え、すぐにドアが閉められた。
716: 2008/08/04(月) 22:47:37.94 ID:7w2fn/RN0
服を洗濯機に放り込み、ジュンは浴室に入る。
「真紅…」
浴槽に寄りかかった状態で、一糸纏わぬ真紅が
安置されていた。
ジュンの背筋がぞくっと震える。雨の中にい過ぎた
せいだろうか。
シャーーーと真紅の全身を洗い流していくと、
泥が目に見えて、次から次へと排水溝に
消えていくのが分かる。
「次は髪か…」
こちらは厄介で、髪にこびりついた泥は、丹念に流しておかなければ
ならない。
「真紅…」
寒かったろうに、と、ジュンは思った。
721: 2008/08/04(月) 22:55:11.96 ID:7w2fn/RN0
あれだけ欠損を嫌がっていた真紅が、指を2本なくし、
それでも作り上げたのは、ミーディアムである自分へのプレゼントだった。
雛苺やのりが、そこだけ何も言わなかったのが、今ならよく分かる。
真紅は出来るだけ、自分を喜ばせたかったのだ。全てを隠して、
今日のこの日に弾けさせたかったのだ。
不思議と、『自分なんかのために』とは、思えなかった。
そうした卑屈な感情は、逆に真紅の想いを無駄にしてしまいそうな気がして、
怖かった。
727: 2008/08/04(月) 23:04:47.76 ID:7w2fn/RN0
一ヶ月前、自分がクッキーをまずいと言った時、真紅は
何も言わず、ただ一人で泣いていた。
怒る事も、それ自体を引きずって嫌味を言う事もせず、
ただ、悲しそうにしていた。
キュ、キュ、と蛇口を閉め、目を閉じている真紅の身体を丁寧に拭いてゆく。
「さて…」
送風だけのドライヤーで、遠めからゆっくりと乾かし続ける。
巻き毛部分を損なわないようにするのは、
神経を使うものだ、とジュンは思った。
732: 2008/08/04(月) 23:15:22.91 ID:7w2fn/RN0
「ねー」
リビングのドアがキィ、と開き、雛苺がリビングへ入ってきた。
「真紅、大丈夫かな?」
「大丈夫に決まってるですよ、あの子は強い子なんですから」
トイレ側のドア付近をうろうろしながら、翠星石が
ふん、と鼻を鳴らす。
時おり、落ち着かない様子で、ちらちらと洗面所の方を覗き込んでいる。
「全く…素直じゃないんだから…」
ダイニングの椅子の上で、蒼星石がやれやれ、といった感じで
ため息をつく。
「ヒナ、大丈夫よ。またすぐに、元気になってくれるかしら」
うつむいている雛苺の頭を、金糸雀が撫でている。
736: 2008/08/04(月) 23:23:18.49 ID:7w2fn/RN0
「……ええ、真紅ちゃんも大丈夫みたいですし、
お礼も兼ねて、良かったら」
ホールでは、のりがどこかに電話しているようだ。
「ええ、是非。お待ちしてます」
ガチャ、と受話器を置き、ふう、と天井を仰ぐのり。
「姉ちゃん」
振り向くと、ジュンが廊下の向こうから歩いてきている。
「どうしたの?今の電話」
腕に、真紅を抱いている。
「あ、今ね、エンジュ先生の所に電話したの。お礼も兼ねて、
今日パーティに来ませんかって。そしたらね」
ジュンが目を丸くする。
「え?」
739: 2008/08/04(月) 23:26:34.07 ID:7w2fn/RN0
「今から来ますって。エンジュ先生と、薔薇水晶ちゃんと、白崎さん」
「えええ???」
「うふふ、久々に男の人とパーティかぁ」
驚くジュンを尻目に、のりは鼻歌を歌いながらリビングに入っていった。
「全く……騒がしくならないといいけど…」
言いながら、2階へと上がっていくジュン。
その背後。
玄関にいた黒い影が、すうっと姿を消した。
741: 2008/08/04(月) 23:30:20.43 ID:7w2fn/RN0
「………」
真紅をベッドに寝かせ、鞄からゼンマイを取り出す。
さっきまでの泥まみれが嘘のように、長い金髪に
蛍光灯の光を反射させながら、真紅は静かに眠っている。
「真紅…」
ジュンは真紅の頬を撫で、口を開く。
「僕を喜ばせようとしてくれてたのか?お前は」
横向きにして、背中の穴へ、ゼンマイを差し込む。
「それなら、もう僕は充分だよ」
キリ、キリ、と、一巻きずつ丁寧に巻いていく。
「充分喜んでる、だから…」
「………」
うっすらと、二つの蒼い瞳が開かれた。
746: 2008/08/04(月) 23:35:23.41 ID:7w2fn/RN0
「…ジュン…?」
真紅はゆっくり寝返りを打った。ぽふっという音。
「真紅」
「……ごめんなさい」
その左手を、ジュンに向けて伸ばそうとする。
「迎えに来てくれたのね……」
親指と人差し指のないその手を、ジュンがゆっくり
受け止める。
「私、いけない子だわ…」
半身を起こす真紅。
「何が…?」
「迷惑だけ掛けて、結局何も…」
「……」
真紅はうつむき、右手で口元を押さえる。
小さな肩が、小刻みに震えている。
「私、貴方に何も届けられてないの」
くすん、くすん、と鼻を鳴らし、真紅は嗚咽を
漏らし始めた。
761: 2008/08/04(月) 23:50:12.01 ID:7w2fn/RN0
「真紅」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
両手で顔を覆い、微かに見える両目から、ぽろぽろと
涙がこぼれている。
「真紅…」
ベッドに座り、真紅を抱き寄せるジュン。
「そんな事ないよ、真紅。僕は」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
泣き声がより一層、大きくなる。
「真紅……」
今はただ、撫で続けてやる事しか出来なかった。
768: 2008/08/04(月) 23:58:14.15 ID:7w2fn/RN0
「ごめんなさいね、ジュン、本当に…」
ベッドの上。ジュンの膝の上に乗って、真紅が千切れたヌイグルミを見ている。
まだ目が赤い。
すんすん、とにおいを嗅ぎ、眉間に皺を寄せる。
「泥水を吸ってしまってるわね…」
「……」
ジュンは何事か考えている。
「やっぱり、私は…何も」
言葉が途切れ、真紅はヌイグルミを見つめたままうつむいてしまう。
「僕はこのままでいいよ」
真紅がジュンを見上げる。
777: 2008/08/05(火) 00:06:31.27 ID:/L0Gxumh0
「何を言うの、ジュン」
「僕は、このままでいい」
そう言って、真紅からヌイグルミを受け取る。
「どうして…?」
「だって」
天井を見上げる。
「お前は、僕に届けてくれようとしたじゃないか」
「えっ…」
「皆に色々尋ねて」
「……」
「彫刻刀で手を傷つけても」
「ジュン…」
「ミシンで指を失ってでも」
「…」
「土砂降りの中、自分の顔やドレスが泥だらけになっても」
真紅は呆気にとられた表情でジュンを見上げている。
「お前は、僕に喜びを届けようと、必氏になって」
「……」
真紅は視線を伏せ、ジュンの胸にすり寄る。
いつの間にか、窓の外の雨音が、聞こえなくなっていた。
780: 2008/08/05(火) 00:10:37.45 ID:/L0Gxumh0
窓の外が、次第に明るくなってきた。
雨が上がり、雲間に太陽の光が差し込んできたのだ。
「だから、僕は、このままでいい。真紅」
「ジュン……」
ジュンの胸元をぎゅっと掴む。
「だからそんな顔しないでくれ、僕には」
ジュンは真紅の顔を、優しい眼差しで見つめる。
「僕には、届いたよ、お前の想いが」
そう言って、頭を撫でた。
789: 2008/08/05(火) 00:26:08.84 ID:/L0Gxumh0
「ジュン……」
真紅は何も言わず、目を閉じた。
それを見て、ジュンは小さく笑う。
「でもね…」
「?」
ぱちっと目を開け、ジュンを見上げる真紅。
「ね、ジュン」
「…何だ?」
「やっぱり、直させて頂戴」
そう言って、真紅は笑顔を見せる。
793: 2008/08/05(火) 00:32:57.53 ID:/L0Gxumh0
「え、何で…?」
「私ね、ジュン」
膝から降り、ジュンからヌイグルミを受け取る。
「やっぱり、この子を大切にしてもらいたいの、貴方に」
「ああ、だから、大切にするよ」
「違うわ、よく聞いて」
「…?」
「私はお人形。ローゼンメイデンの第5ドール。だからこそ」
「……」
「私はね、貴方に大切にしてほしい。それが、お人形としての、
私の幸せなの。でも」
「……」
「欠損した状態で愛されるというのは、お人形にとって、
とても苦しく、つらい事なの。それは愛ではなく、少なくとも
何パーセントかは、同情が入り混じっているから」
「真紅……」
「私の考えよ。違う子もいると思うわ」
「…」
795: 2008/08/05(火) 00:36:05.12 ID:/L0Gxumh0
「私なら、自分の最も美しい姿を、貴方に見てほしいと
願う。そしてこの子も」
「……」
「だから、お人形としての、この子を大切にしてあげて」
「……そっか」
ジュンは何度も頷き、真紅に微笑む。
「ありがとう、ジュン」
真紅はしばらくヌイグルミを見つめ、ホーリエを呼び出す。
部屋の中を赤い光が包み、
気がついた時には、ジュンのヌイグルミの、首と体がくっついていた。
あれほど染み付いていた泥の色も、綺麗になくなっている。
800: 2008/08/05(火) 00:38:46.79 ID:/L0Gxumh0
「はい」
ジュンにヌイグルミを渡す真紅。
「あ、ありがとう」
「大事にして頂戴ね。それと」
ベッドによじ登り、真紅はジュンの頬を、両手で持った。
「誕生日、おめでとう。ジュン」
そう言った真紅の笑顔は、この瞬間の誰よりも、
幸せそうに、ジュンには見えた。
806: 2008/08/05(火) 00:44:46.56 ID:/L0Gxumh0
「……そろそろ下に行くかな」
しばらく真紅を撫でていたジュンが、時計を見て呟く。
時計の針は、ちょうど12時を差した所だった。
「そうね、窓の外も晴れて来たし…って」
真紅が窓の外を注視する。
「何かしら、あれ」
窓の外に、何か黒っぽい物が見える。
何かが窓ガラスにくっついている。
「ん」
ジュンもそれに気づいた。
真紅は音を立てないように、こっそりと近づいていく。
807: 2008/08/05(火) 00:45:28.14 ID:/L0Gxumh0
次の瞬間、真紅は勢いよく窓を引いた。
「ぎゃっあああああぁああっ!!!!」
「きゃーーー!!?」
「うわっ!?」
素っ頓狂な叫び声に、思わず真紅とジュンも驚いて
声を上げた。
809: 2008/08/05(火) 00:46:42.42 ID:/L0Gxumh0
「あ、あ、あ、あんたたち!!いきなり驚かすなんて
酷いじゃないのよぉ!」
胸を押さえてこちらを見ている人形が一体。
「水銀燈!!」
「す、水銀燈??何でお前…帰ったんじゃなかったのか」
ジュンの言葉に、水銀燈は気まずそうに頭をかいた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、覗いて馬鹿にしてやろうと思ったのよ。
勘違いしないで。別に盗み聞きしてたわけじゃないわ!」
「………」
「……」
呆けたように二人は水銀燈を見つめていたが、
やがてどちらともなく、くすくすと笑い始めた。
「何笑ってんのよ、文句あるの?」
「いえ」
815: 2008/08/05(火) 00:52:27.61 ID:/L0Gxumh0
「なあ、水銀燈」
「何よ」
ジュンは少し考えを巡らせる。
「今日さ、薔薇水晶たちも今から家に来るんだけど…」
「…だから何?」
真紅は、ジュンが何を言おうとしているか気づいたようだ。
視界の隅で笑いを堪えているのが判る。
「お前も一緒にどうだ?」
「はぁ?」
水銀燈が首を傾げ、訳が分からないと云った風に両手で
万歳する。
「私言わなかったかしら」
はあ、とため息をつく。
「おままごとに付き合うのは嫌だって、ねぇ」
819: 2008/08/05(火) 00:55:57.55 ID:/L0Gxumh0
「そうか…」
ジュンがうつむく。
「そうよ、バカバカしい。私は帰るわぁ」
背中を向け、飛び立とうとする。
「『水銀燈が、帰ったフリして、十数分ほど、窓の外で会話を盗み聞きしてました』」
ばっと振り返る水銀燈。
「な…何ですってぇ…?」
「…って、お前以外の皆で笑い話にしてもいいんだろ。お前いないから」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
踵を返したジュンの後を追い、窓から中に入ってくる水銀燈。
「そういう風に、人を陰で笑うのは感心しないわ。
やめて頂戴。お願いだから」
「お前が参加すりゃ、僕も言えないよ、言ったら怪我させられるから」
「………」
水銀燈は目を見開いた。ようやく気づいたようだ。頭をかき、
はあー、と一際深い溜息を漏らした。
「分かった、分かったわぁ、でも今回だけよ」
822: 2008/08/05(火) 01:03:24.66 ID:/L0Gxumh0
「きゃーっ、ジュンくーん、誕生日おめでとーう!!!」
リビングのドアを開けたジュンの耳に、のりの甲高い声が
響いてきた。
同時に、パン、パン、パン、と、何かが破裂する音が起きる。
「わっ!」
何か長いテープのような物がジュンの頭上に降り注いでくる。
「ジューン、おめでとうなのー!!」
「ジュン君おめでとうかしらー!!」
「祝ってやるですぅ、感謝しやがれですぅ!」
「ははは、ジュン君、誕生日おめでとう」
「おめ…でとう…もう一発」
「え」
脇から、遅れてパーンという音が響く。
「お、お前ら…びっくりしたじゃないか!!」
「ははは、ひゃくらだ君懐かれてるんだねー」
白崎の顔が赤い。既に酔っ払っているのは何故だろうか。
「白崎。飲みすぎだ」
こちらはまだまともだ。何故上半身裸なのかは、ジュンには分からない。
827: 2008/08/05(火) 01:06:30.59 ID:/L0Gxumh0
「さ、ほらジュン君、席について」
促すのりに従い、ジュンは一人掛け用のソファに座る。
「………」
「…いつもこんな感じなの?」
「…いえ、いつもは確か、もう少し穏やかで…」
紙テープまみれになった水銀燈と真紅は、
しばらく入り口に立ち尽くしていた。
830: 2008/08/05(火) 01:18:19.26 ID:/L0Gxumh0
「それじゃあ、歌を歌いましょう!はい、
き~よ~し~」
「姉ちゃん、それはクリスマスケーキの時だよ…」
「え…」
「ぶひゃひゃ、お姉ちゃんはユーマがあって
可愛らしいですねぇ~僕と良かったら、今度カラオケでも~」
「何でUMAなんだ。どこへ行くんだお前。いかん、こいつはいかん。
済まないな皆、僕は、ちょっと白崎とフラダンスしてくるよ」
文字通りフラフラしながら、エンジュと白崎は抱き合って
リビングのカーペットに倒れ込んだ。
831: 2008/08/05(火) 01:19:29.16 ID:/L0Gxumh0
「うふふ、二人とも面白い…」
薔薇水晶が笑いながら呟いた。
「…これはなぁ、大の大人が…」
「あはは…かしら…」
蒼星石と金糸雀が、思い切り引いている。
「ね、ジュン」
真紅が声を掛ける。
「ん」
「はい、忘れ物よ」
そう言って、作ったヌイグルミを手渡す。
「あ、ありがとう」
「いえ」
ふふっ、と同時に笑う二人。
「……」
それを水銀燈が横目で見ながら、小さく微笑んだ。
832: 2008/08/05(火) 01:20:49.82 ID:/L0Gxumh0
「ねえ、ジュン」
「うん?」
「貴方は今、幸せなのかしら」
ジュンの膝の上で、真紅が尋ねる。
「ああ、幸せだよ、こんなに沢山の人に祝ってもらえて。それに」
ヌイグルミを取り出す。
「お前のお蔭で」
「そう」
真紅は笑顔を見せる代わりに、ジュンの左手に、自分の手を重ねる。
「お前は?」
834: 2008/08/05(火) 01:22:31.68 ID:/L0Gxumh0
「え?」
「お前は、幸せなのか?真紅」
ジュンを見上げる蒼い瞳。
「私?」
真紅はしばらくの後、顔満面の、笑みを浮かべた。
「私は今、とっても幸せよ、ジュン」
【完】
835: 2008/08/05(火) 01:23:40.03 ID:7Qk7MElp0
乙!また楽しみにしてるぜ!
836: 2008/08/05(火) 01:23:54.55 ID:5sP6/j1c0
乙乙
846: 2008/08/05(火) 01:27:53.93 ID:jTsU26Ay0
乙
毎回クオリティ高いの保っててすごいな
毎回クオリティ高いの保っててすごいな
863: 2008/08/05(火) 01:54:57.67 ID:/L0Gxumh0
皆保守本当に助かりました。乙です。
寝落ちが多くてすみません。
楽しんでいただけたようであれば幸いです。
明々後日に第一志望の適正試験と面接があるので、
鋼業系の猛勉強をしてこようと思います。
あと俺は鬱エンド好きなわけじゃないぞ
寝落ちが多くてすみません。
楽しんでいただけたようであれば幸いです。
明々後日に第一志望の適正試験と面接があるので、
鋼業系の猛勉強をしてこようと思います。
あと俺は鬱エンド好きなわけじゃないぞ
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