36: 2008/12/19(金) 04:10:03.47 ID:CDSIhr0q0
 正直、耳を疑った。

 水銀燈が?

 お腹の空洞で?

 キノコを栽培?

 ……悪い冗談だ。
 僕は、水銀燈が冗談でもそういう事を言うドールだとは思っていなかった。

「どうやら信じてないみたいねぇ」

 僕の表情を見て、水銀燈はその心の内を読み取ってきた。
 水銀燈は、言葉で自分の状況の説明する事は難しいと思ったのか、
そのドレスの上着の前の部分をゆっくりと開いていった。
 その動作は妖艶で、ドールとは思えないものだった。
 そして、ゆっくりと“その”部分が彼女自身の手によって露にされた。

「……どう? 立派でしょう?」

 言葉を失った。
 水銀燈のお腹の空洞には――とても美味しそうなマツタケが生えていた。

38: 2008/12/19(金) 04:17:42.32 ID:CDSIhr0q0
 秋の味覚とも言われるマツタケ。
 香りマツタケ味しめじと言われるが、
その芳醇な香りは輸入品では感じることの出来ない素晴らしいものだった。

「あらあら、そんなに良い香りだった?」

 水銀燈が面白いものをみたとばかりに、微笑みを浮かべながら言った。
 言われて気付いたが、僕はマツタケの香りを知らぬ内に嗅いでいたのだ。

「そんなに鼻をヒクヒクさせて……はしたないわねぇ」

 嘲りの言葉を聞きながらも、僕はその香りを嗅ぐ事がやめられなかった。
 その様子をクスクスと笑いながら見ている水銀燈は、とても美しかった。
 そして、それ以上に水銀燈のお腹の空洞に生えていたマツタケの香りは――

「良い……香り」

 ――だったのだ。
 思いが自然と口からこぼれたが、僕はもうそんな事に気を使っていなかった。
 水銀燈のお腹の空洞に生えているマツタケに……魅了されていたから。

39: 2008/12/19(金) 04:25:00.60 ID:CDSIhr0q0
「あ……あの……」

 もっと近くでマツタケの香りを嗅いで良いかを聞こうとした。
 だが、断られるのが怖くてその問いを発する事が出来ない。

 もし、断られてしまったら?
 もし、彼女の機嫌を損ねてしまったら?
 もし、機嫌を損ねた水銀燈が飛び去ってしまったら?

 そう考えただけで膝が震える。
 そう考えただけで口の中が渇く。

「何か言いたい事があるの?」

 水銀燈は、そんな僕の心の内を見透かしていた。
 しかし、彼女は何をするでもなく僕の方を見ているだけ。

「ねぇ、どうなの?」

 水銀燈がその手を頬に当て、覗き込むようにこちらを見た。
 愛らしい動作をする水銀燈。
 動作と共に漂ってきた、濃厚なマツタケの香り。

41: 2008/12/19(金) 04:33:39.32 ID:CDSIhr0q0
 水銀燈が問いかけてきたが、僕はそれに答える事が出来ないでいた。
 失うかもしれないなら、今のこの距離で良い。
 今の距離でも、十分にマツタケの香りは楽しめる。

「何でも……ないよ」

 嘘をついた。
 恐らく水銀燈はその嘘を見破っているだろう。
 目を逸らしたが、直前に見た彼女の赤い瞳は愉悦を映し出していたから。

「あら、残念ねぇ」

 残念なことなど一つもないと、僕は自分の心にも嘘をついた。
 けれど、心の奥底で叫び声が止まらない。

 ――もっと近くで水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケの香りを嗅ぎたい!

 ――もっと濃厚な水銀燈産のマツタケの香りを思う存分楽しみたい!

「何か言いたい事があるの?」

 再度問いかけられた時には、首が自然と縦に振られていた。

45: 2008/12/19(金) 04:39:05.70 ID:CDSIhr0q0
「もっと近くで私のキノコの香りを嗅ぎたいの?」

 首肯した。

「私のお腹に生えたキノコの香りは良い?」

 強く首肯した。

「近くで嗅いでも良いと言われたら嬉しい?」

 強く、強く首肯した。

「そうねぇ、それじゃあ……」

 水銀燈の許可が出る前だというのに、僕の足はジリジリと前に踏み出していた。
 もっと、もっと近くに――

「止まりなさい!」
「!?」

 水銀燈は声を張り上げ、僕が近づくのを制止した。
 驚愕と恐怖、絶望が僕の顔に広がっていくのがわかった。

47: 2008/12/19(金) 04:46:44.68 ID:CDSIhr0q0
「いけない子ねぇ」

 水銀燈の顔からは、表情というものが一切無くなっていた。
 叱責するでもなく、ただ、淡々と水銀燈は言葉を紡いでいく。

「ねぇ、私は近付いて良いって許可した?」

 慌てて踏み出していた足を後ろに引っ込めた。
 先ほどまでいた位置よりも、さらに後ろに。
 これで、なんとか損ねた機嫌を直して貰えないだろうかと希望を抱きながら。

「ねぇ、私が“止まりなさい”って言ったのが聞こえなかった?」

 ……そうだ。
 彼女は僕に、“止まれ”と言ったのだ。

「言う事が聞けないなら……帰ろうかしらねぇ」

 ――待って。

 ――待って待って待って待って待って待って待って!

「……何も泣く事ないじゃなぁい」

 僕は、自然と涙を流していた。
 マツタケの香りに、ほんのりと塩の風味がついていた。

49: 2008/12/19(金) 04:58:56.81 ID:CDSIhr0q0
「うえっ……ぐ……ひぐっ!」

 嗚咽が止まらない。
 水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケの香りが楽しめなくなる。
 その恐れていた事態が、現実になろうとしているのだから当然だろう。
 それ程、彼女のお腹の空洞から漂ってくるマツタケの香りは素晴らしいものだった。

「はぁ……なんだかこれじゃ、私がいじめてるみたいねぇ」

 水銀燈が呆れた声を出した。
 きっと、その表情も僕をあざ笑うものなのだろうが、とめどなく溢れてくる涙で確認出来ない。
 けれど、それで良いのだとも思う。
 だって彼女が飛び立つ瞬間を見てしまったら、僕はみっともなく大声を上げてしまうだろう。

「ねぇ……」

 彼女が僕に話しかけてきたが、今の僕にまともな返事は返せなかった。
 むしろ、水銀燈がこちらに声をかけてきた事が恨めしい。
 行ってしまうのなら、何も言わずに飛び去って欲しかったから――

「――えっ?」

 マツタケの香りが……濃厚になって……。

「近くで嗅ぐ、私のお腹の空洞に生えたマツタケの香りはどう?」

 水銀燈の薔薇のような吐息が僕の耳をくすぐった。

50: 2008/12/19(金) 04:59:57.51 ID:zoU+Vlh80
なんだこれww

54: 2008/12/19(金) 05:12:22.92 ID:CDSIhr0q0
 何故? どうして?
 僕が言う事を聞かなかったから、水銀燈は帰ってしまうはずじゃあ……。

「ふふっ」

 うまく事態が飲み込めないで混乱している僕に、水銀燈は優しく笑いかけてきた。
 間近で見た彼女のその微笑みは、まるで聖母のよう。
 普段の水銀燈からは想像もつかない笑顔のまま、

「良い香り?」

 僕に問いかけてきた。
 言葉が出ない、いや、出せなかった。
 何故なら、僕は水銀燈の言葉を聞いたのと同時に、
懸命にマツタケの香りを吸い込もうと鼻を動かしていたからだ。
 僕は、息を吸い込みながら言葉を発する事は出来ない。
 けれど返事をしなければまた機嫌を損ねてしまうかもしれないのに――!

「必氏ねぇ」

 鼻を動かす事が止められない。
 まるで、水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケが僕にそれ以外をするなと命じている様に感じられた。

55: 2008/12/19(金) 05:23:23.77 ID:CDSIhr0q0
「こうなると可愛いものねぇ」

 水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケの香りを嗅ぎながらも、
僕は彼女の放った“止まれ”という命令を守ろうと理性を総動員させていた。
 良い香りか、という問いかけに答えなかったのだ。
 その上動いたりでもしたら、彼女は今度こそは本当にいなくなってしまうだろう。
 僕は、その事を確信していた。

「動いたら、本当に帰っちゃおうと思ってたんだけどねぇ」

 やはり、僕の考えは当たっていたようだ。
 動かなくて良かったと安堵し、同時に動いていたという想像に恐怖した。
 それにしても……嗚呼――

「最高だよ……!」

 間近で感じる水銀燈の存在。
 間近に感じる水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケの香り。
 どちらもが犯さざるべきモノだと、僕は思っていた。
 もう十分だ。これで十分だと感じていた。

「――もっと近くで嗅いでみる?」

 ……小悪魔のように微笑む水銀燈のその言葉を聞くまでは。

57: 2008/12/19(金) 05:35:18.06 ID:CDSIhr0q0
 もっと近くでとは、どういう意味だろうか?
 今でも十分に距離は近い。
 今も、水銀燈の呼吸する音が聞こえる程の距離だというのに……。

「私のお腹の空洞で栽培されたキノコの香りを……もっと楽しまないか、って聞いてるの」

 水銀燈の言葉は、既に僕の理解を超えていた。
 現状でも満足し、最高と感じているのに――これ以上があるというのだろうか。
 そう聞こうとしたが、やはり鼻を動かしているので言葉を発する事は出来なかった。
 なので、僕は彼女に問いかけるような視線を送った。

「わからない? お馬鹿さぁん」

 普段ならば、水銀燈の今の言葉には食ってかかっている。
 しかし今の僕は、今以上に水銀燈のお腹の空洞に生えたマツタケの香りを
楽しめるかもしれないという事の方が重要だった。

「ただ頷けば良いのよ。楽しみたいなら頷きなさぁい」

 考えるまでもなく、僕は即座に頷いた。
 その時も、マツタケの香りを吸い込む事は忘れなかった。

「そうよぉ、それで良いの」

 水銀燈は、そのお腹の空洞に生えたマツタケでもって僕を完全に支配していた……。

58: 2008/12/19(金) 05:48:35.07 ID:CDSIhr0q0
「それじゃあ――」

 水銀燈は、一歩足を後ろに踏み出し僕と少しだけ距離を取った。
 勿論、僕はその事に驚いた。

 ――今以上に楽しむという彼女の言葉は嘘だったのか!

 ――先ほどの言葉は、僕をからかうためだけの言葉だったのか!

 秋の味覚マツタケの香りを楽しんでいるというのにも関わらず、
僕の心には肌を突き刺すような寒さの冬が到来した。
 再び涙が零れ落ちそうになったが、
今の距離でも最初に比べれば濃厚なマツタケの香りが楽しめる。
 ここで余計な塩の風味を加えるには、あまりにももったいない。
 心に妥協と言う名の防寒具を着せた次の瞬間――

「――顔をお腹に近づけて香りを嗅いで良いわよぉ」

 クリスマスとお正月が、同時に訪れたという気分を味わった。
 だが、水銀燈の今の言葉はサンタクロースの配るどのプレゼントよりも素晴らしく、
お正月に配られるどのお年玉よりも価値があるものだった。

「あ……あああっ……!」

 僕は水銀燈の足元に跪き、顔を思い切り彼女のお腹の空洞に突き入れた。

59: 2008/12/19(金) 06:01:02.53 ID:CDSIhr0q0
「ちょっ、ちょっとぉ!?」

 水銀燈が僕の突然の行動に驚いたようだったが、気にせずマツタケの香りを吸い込んだ。
 彼女は僕がこうすると予想はしていなかったのだろうか?
 なにやら僕を引き剥がそうとしているが、今の僕は彼女の細い腕では動く事はない。
 だって――こんなにも近くで水銀燈産のマツタケの香りが楽しめるのだから。

「やめなさ……ひうっ!」

 逃げられないように腰に手を回したら、水銀燈は驚きと共に可愛らしい声をあげた。
 逃がさないよ、という意思を両腕に込めて僕は彼女を抱き寄せた。
 その拍子に水銀燈のお腹の空洞に生えていたマツタケが鼻に当たり、

「はあぁあ……あぁ……」

 濃厚なマツタケの香りを吸い込んだ僕は、一瞬鼻を動かすのを忘れ恍惚とした声をあげた。
 再度鼻をマツタケに当て、その香りを胸いっぱいに吸い込む。

「ああぁ……!」

 僕は、その行動を繰り返した。
 その間にも、水銀燈は抵抗をやめなかったが関係はなかった。

63: 2008/12/19(金) 06:11:44.75 ID:CDSIhr0q0
「もう……やめてぇっ……!」

 水銀燈が懇願してきたが、僕はそれを無視した。
 普段は高圧的な態度の水銀燈が目に涙を溜めながら僕にお願いをしている。
 まるで、体だけでなく、その心の中にも僕に顔を突き込まれているかのような態度の水銀燈だったが――


 ――そんな事は、本当にどうでも良かった。


 今はただ、彼女のお腹の空洞に生えたマツタケの香りを楽しむ事だけが重要だった。



「助けてぇ……誰か、助けてぇっ……!」

 今、水銀燈が何か言ったようだ。
 けれど、僕はそれを言葉と認識することすら億劫になっていた。
 だって、今は彼女のお腹の空洞に生えたマツタケの香りを嗅ぐので忙しかったから。

「やめて……もうやめてちょうだい!」

 ――嗚呼、良い香りだなぁ!


「――蒼星石ぃっ!」


68: 2008/12/19(金) 06:22:32.19 ID:CDSIhr0q0
 僕は本当に幸運だった。
 たまたま遊びに来ていたジュンくんの家に、お腹の空洞にマツタケを生やした水銀燈が来たのだから。
 最初、彼女はアリスゲームをしに来たのだとばかり思っていたが、その予想を彼女は見事に裏切ってくれた。

「良い香りだよ、水銀燈……」
「やめて、やめなさい蒼星石っ! あああっ!?」
「無理だよ。こんな素晴らしいマツタケの香りを嗅がないなんて事は、僕には出来ない」
「待って! そこはっ……!?」
「大丈夫、収穫はする気はないよ。僕は香りを楽しみたいからね」

 その言葉を聞き、水銀燈は安心したようだった。

「良かったぁ……だって――」
「?」
「このマツタケは、真紅に食べて貰いたかったのよぉ」
「……あはは!」

 水銀燈の言葉を聞き、僕は耐え切れなくなり笑ってしまった。
 だって水銀燈。それじゃあ――


「――まるで、変態じゃないか!」


おわり

69: 2008/12/19(金) 06:23:54.10 ID:CDSIhr0q0
こんなくだらないもん最後まで読んでくれてありがとう

ジュンだと思ってたっしょ?

70: 2008/12/19(金) 06:24:22.79 ID:qWjzty3QP
なんとも形容し難い読後感

引用: 水銀燈「お腹の空洞でキノコを栽培してみたわ」