1: 2010/03/25(木) 23:10:17.98 ID:vO9ae9mY0


俺がこの県立北校に入学してから二回目の春が訪れた。


俺はまたこの一年も前年度と変わりなく、また色々と面倒くさい事態に出くわし巻き込まれることになるんだろうなと
うすぼんやりと予測していた矢先に、変な集団プラス旧友が俺の目の前に現れた。
そしてなんやかんや、まあなんやかんやとあった末に、事態は新たな勢力のせめぎあいを巻き起こしながらもなんとか現状維持へとこぎつけた訳だ。

そんなどたばたがあった一方、高校の方はそんなこと関係なしに平常営業を続けており、その後の中間テストは散々なものだった。
俺は来年はもう受験だという事実を胸になんとか期末で取り戻そうと決意するまでは良かったのだが、
中間テストの終了を待ちかまえていたと言わんばかりにまた面倒くさい事態が、主に団長によってこれでもかと降り注がれてしまい、
台風過ぎ去る季節の期末試験はそれはもう酷いものだった。

親が予備校のパンフレットをさもどこぞの印籠か何かのごとくいよいよ俺に突きつけ入学を迫ってきそうな予感のする、
この現状をどうにか打開できないかと思案する一方、俺はテストを終えて後は夏休みを待つだけという
何となく浮かれた教室の雰囲気に抗うことは到底出来ずにいた、そんな七月頭の出来事だった。


過ごしやすかったはずの教室内の温度はじわりじわりと上昇を続け、今年もまたうだるほどに暑い夏になりそうだななどと考えつつ窓の外をぼんやりと眺めていると、
季節問わず一年中真夏の太陽のようなテンションで周囲を振り回しまくっているSOS団団長こと涼宮ハルヒが、それこそ太陽のような笑顔で俺の椅子を叩いて話しかけてきた。

「ねえキョン、最近みんなで出かけたりはしてるけど部費って全然使ってなかったじゃない? でさ、その予算をどう有意義に使うか考えたのよ」

俺は成績の事で頭を悩ませているという時に、お前はそんなことを考えてたのかよ。

「そりゃご苦労なこったな。で、一体どんな使い道を考えついたんだ?
 俺としてはこれからのために扇風機なんかじゃなくクーラーとかを設置してくれるとありがたいんだが」
涼宮ハルヒの憂鬱 「涼宮ハルヒ」シリーズ (角川スニーカー文庫)
3: 2010/03/25(木) 23:12:29.03 ID:vO9ae9mY0
確かに、ここ最近は春に映画の予告編のような訳の分からない映像を撮ったり妙な新団員オーディションを開催する以外は特に金を使うようなことも無く、
適当に遊びまわったりイベントに参加してみたりという程度で、SOS団はもはや本当のお遊び団体となりつつあった。
以前は違ったのかと聞かれると答えに詰まるが、イベントに必要なものがあれば適当に持ち寄ったり古泉が用意してくれたりで、
なんにも変わり映えしない数ヵ月出会ったことは自明だ。

ハルヒは笑顔のままため息をひとつつくと、

「バカね、学校なんてあと三週間もたたずに終わるのよ? そしたら少なくとも夏休み中は部室には来ないでしょ。
 設置するだけ無駄。第一クーラーなんて教師に見つからないように設置するのだって無理に決まってるじゃない」

隠れて設置するの前提かよ。申請とかして許可を取ろうとは思わんのか?
だが、確かにその通りだな。一学期も残すところあと三週間無いのだから、せっかく置いても使わないのなら無用の長物にしかならん。

「じゃあ、何に使うって言うんだ。団長様の私腹を肥やすようなもんに使われるのは御免被るぞ」
「そんなことに使うわけ無いじゃない」

ハルヒはふふんと笑うと、

「やっぱりコスプレよ! もちろんみくるちゃんの!」

と自慢気に言い切った。なるほど有意義な使い道ではある。もう大分種類が増えてしまったから、新たに買うような機会も無かったからな。
しかし、朝比奈さんももう三年生、いわゆる受験生だ。あの方が卒業後未来に帰ってしまうのか、
それともこのまま今の時代に残り大学に行かれるのかもしくはそれ以外なのかは分からんが、多少はそこら辺を気遣うべきだと思うんだが。

「もちろんあたしもみくるちゃんが受験生だって事ぐらい分かってるわよ。でも、だからこそ今の内にみくるちゃんに色々な事をさせてみたいの。
 じゃないと、夏休みが過ぎてからじゃもう遅いかも知れないじゃない!」

 と、ハルヒはどこぞの政治家の演説のごとく両手で軽く机を叩いて言った。むう、確かに一理あるかもしれん。

4: 2010/03/25(木) 23:17:30.33 ID:vO9ae9mY0
「しかし、朝比奈さんにはどんなコスプレを着せるつもりだ? あんまり変な物だと俺が許さんぞ」
「それを相談するためにこうしてキョンに話してるんじゃないの」

そう言ってハルヒはなんとも偉そうに腕を組んだ。ならそれ相応の態度を見せて欲しいものだが。

「最初にバニーをやって、メイド、それからナースにチア、カエルにウェイトレスに巫女さん……その他諸々やったわね。
 こないだのチャイナドレスも着せてあげたし、いい加減もう思いつかないのよ。
 で、いつもみくるちゃんに鼻の下伸ばしてるキョンなら何か思いつかないかなーって」

何言ってるんだ。俺は朝比奈さんに対しては紳士的な態度を貫いているつもりだし、そもそもコスプレするにも衣装が思いつかないんじゃ意味ないだろ。
他にもっと有用な使い道があるんじゃないか?

「んー、まあそうなんだけどね……」

そしてハルヒは俺を半目でねめつけたまま考えこんでしまった。もっとも、朝比奈さんに着せるコスプレ以上に有用な使い道が思いつかないというのは口に出さないでおく。

「あ、光陽園の女子制服なんてどう? あのブレザーかわいいわよね」

嫌だ。絶対に断る。

「なんでよ? みくるちゃんにも似合いそうだし、前からあたしも着てみたいなーって思ってたんだけど」

 冬のあの時に出くわしたハルヒを思い出し、俺は思わず顔をしかめた。

「……そもそも、どうやって手に入れるってんだ。そこら辺のコスプレショップに売ってるわけないだろ」
「あぁ、それもそっか。じゃあ一体何がいいのかしら? あー、もうネタ切れよネタ切れ」

そう言ってハルヒは頭を抱えてばたりと机に突っ伏してしまった。なんとか光陽園の制服コスプレを回避出来たのはいいが、
いつ佐々木辺りから制服を借りようとか何とか言い出すかも分からん。さっさと別の案を出してやらねば。

5: 2010/03/25(木) 23:21:43.57 ID:vO9ae9mY0
そう思っても頭には何も浮かんでこない。日ごとに青みを増しているような気のする空を見上げながら考えていると、

「………そう言えば、もうすぐ七夕だな」

見上げる青空に星が出ていたわけではないが、何となくふと思い出した。

初めての時間跳躍を体験させられ、中学生ハルヒと出会いジョン・スミスと名乗ったあの日。
そうか、あれからもう一年も経っているのか。ハルヒから見ればもう四年前の出来事。時間ってのはなんだかんだであっという間に過ぎちまうものだ。

そうしみじみとしていると、その聞こえるか聞こえないかの音量だったはずの言葉を、どうやって聞きつけたのかハルヒがぴくりと反応した。

「……そうよ、七夕よ」
ハルヒはそう呟いてはっと顔を上げる。

「は?」
「分からないのキョン? 今日は七月一日、そう、もうすぐ七夕なのよ!」

そう言うハルヒの顔は先ほどまでのテンションが嘘のように爛々と輝いている。ああそうだな、それは俺が今言ったさ。
まったく感情の起伏が激しい奴だな、今に始まったことじゃないが。

「あー、とどのつまり、織姫のコスプレを朝比奈さんにさせるってことか?」
「そうよ! 今の時期にぴったりじゃない! あ、そうしたら彦星の役も必要ね。順当に行けば古泉君だけど、予算がきついわね……
 あ、キョンは二人の架け橋になるカササギかしら。それとも彦星の飼う牛?」

俺の役は動物限定かよ。そもそもいつから劇をやることになったんだ。

「そうね、そういうのは文化祭とか後々のためにとっておく事にして……みくるちゃんの衣装だけあれば充分よね。
そもそも織姫の衣装ってどんな感じかしら。羽衣とかしてたっけ? それと……着物でいいのかしら」
「よく分からんが、チャイナドレスでない事だけは確かだな」
「うーん……ま、通販のサイト見れば分かるでしょ。無かったら安物の浴衣を買って切るなりなんなりすればいいのよ」

6: 2010/03/25(木) 23:25:12.22 ID:vO9ae9mY0
その一言に俺は目を剥いた。おいおい、一体誰がそんなことやるって言うんだ?

「あたしだってその位は出来るわ。何よ、意外だっていうの?」
「いや、別にそんなことは……」

普段の態度からは想像がつかないが、そう言えばこいつはどんなことだってそつなくこなしちまうような奴だった。
裁縫ぐらいお手の物であったって不思議はない。しかし、扇風機やらクーラーよりも意味をなす期間が短すぎるような気がするが……ま、いいか。

「じゃ、あたしがネットで探すだけだから特に前もって準備することはないわね。それとも、去年は短冊に願い事書くだけで終わっちゃったし、
七夕パーティでもやってみんなでパーっと盛り上がろうかしら?」
「ああ、そりゃいいな。でもハルヒ……いいのか?」

「? 何がよ?」
「あ、いや……やっぱ何でもない」
「あっそ。あ、岡部来たわよ」

その言葉を聞いて前に向き直る。去年の七夕にハルヒがメランコリックになった理由を知っているだけに、ハルヒの態度を何となく気にかけてしまう俺だった。



7: 2010/03/25(木) 23:30:50.86 ID:vO9ae9mY0
そのまま帰りのHRは滞りなく終了し、部室に向ってみると他の三人は既に部室に揃っていた。

「キョンくん、こんにちは。今お茶入れますね」
「こんにちは、朝比奈さん」

メイド姿で俺に天使のような微笑みを向けた朝比奈さんに挨拶を返す。
最近は参考書を開いたりしていることが多い朝比奈さんだが、こうしてSOS団にい続けてくれているのは非常にありがたい。
だからこそハルヒはいつこの空間から団員が欠けてしまうのかが心配なんだろう。その気持ちは俺にもよく理解できる。

窓際では長門が俺には到底理解できそうにない、妙に分厚いハードカバーを広げている。
一年中変わらない風景。それが今日も特に異常が無いことを知らせてくれていた。

「どうも。涼宮さんはご一緒では無いのですか?」

鞄を定位置になっている椅子の脇に置き、すぐに目に入るのはSOS団副団長こと古泉一樹だ。
テーブルの上には見たことも無い妙な形のボードゲームらしきものが置いてある。また持ってきたのかよ、飽きないなこいつも。

「ああ。HRが終わったと同時にどっかへ走って行っちまったよ」

大方七夕に何をするかを考えているうちに色々と思いついちまったんだろう。こうなるとハルヒは止まらないから、
後は面倒なことにならないよう祈るばかりだ。主に俺と朝比奈さんに被害が及ぶからな。

「ああ、そう言えばもうすぐ七夕ですか。また短冊に願い事を書いて終わるんでしょうか?
 涼宮さんが去年の夏に今度の七夕には浴衣を着たいとかおっしゃっていましたが」

よく覚えてるなお前も。浴衣を着る予定なのかどうかは知らんが、今年は去年とは違って色々と賑やかになりそうだぞ。
パーティなんかもやるつもりらしい。

「おや、それではまたあなたの芸が見られるのでしょうか?」
「…………」

9: 2010/03/25(木) 23:35:15.25 ID:vO9ae9mY0
俺はしかめ面をして古泉を見た。

「……お前もだんだんハルヒに似てきたな」

しかし古泉は表情一つ変えず、

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

とそつのない笑みを俺に返してきた。長門やハルヒ程ではないが、こいつも少しは変わったもんだ。

「はい、お茶どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

朝比奈さんが目の前に濁りの無い緑茶を差し出してくれた。一口すすってみる。うん、今日もうまい。

そういえば、去年はあっさり終わったと思ったら朝比奈さんに部室に残るように言われて、
初の時間跳躍を体験させられたりした訳だが……また未来からの指令に巻き込まれたりすることがあるのだろうか。
俺の意味ありげな視線に、朝比奈さんは首をかしげて微笑みを返すだけだった。

ま、いいか。巻き込まれたらその時はその時だ。危ない目に遭ってもそれは朝比奈さんのせいではないし、命の危険にさらされることももう無いだろう。
それに、春以来、俺の周りには平和が続いている。長門は本を読んでいるだけだし、古泉もいつも通りのニヤケスマイルを保っているし、
朝比奈さんの淹れてくれるお茶は今日もうまい。ハルヒはまた何か企んでいるようだが。

要するに俺はいわゆるこの時平和ボケってやつに陥っていたんだろうと思う。気がかりなのは朝比奈さんの今後と、
せいぜい予備校に通わされるかどうかの瀬戸際であることぐらいだった。
佐々木団のこともあるが、あいつらもいい加減懲りただろうし、しばらくは手を出してこないはずだ。

ハルヒはあの後遅れてやってきたと思ったらその次はネットでのコスプレ衣装探しに没頭していて、今日の団活も特に変わったこともなく終了した。
いつも通りの日々だ。また明日も今日のように平和な日々が続けばいい。いや、続くんだろう。俺はなんとなくそう確信していた。
 だがそんな俺の思いは、翌日、何の前触れもなく崩壊した。

10: 2010/03/25(木) 23:41:56.04 ID:vO9ae9mY0



その日、坂道を登る俺を取り巻く空気は暑かった。

最近だんだん暑くなってきたなという事は感じていたが、なにもこんな急に気温を上昇させることはあるまい。
慣れない暑さのおかげでじわりと額に汗が浮き、俺は急に日本列島に躍り出た暖気に恨み事を漏らすことも出来ずに黙々と学校への道を辿っていた。

「よう、キョン。今日はあっちいなー!」

後ろから余計気温を上昇させそうな声が降りかかってくる。振り返るまでもない、谷口だ。

「だんだん暑くなってきてるとは思ってたんだがな、こうもいきなり暑くなるとは思わなかったぜ」
「うるせえ。暑い暑い連呼すんな。余計暑く感じるだろ」

視線もよこざすにそう返す。しかし谷口は気にしたふうも無く、

「まーそんなこと言うなって。それよりキョン、聞いたか?」
「何がだ。俺はエスパーじゃないんだから、目的語ぐらいちゃんと言え」
「テストだよ、それも数学の! 抜き打ちだったんだが、昨日クラスの奴が職員室の教師の机にそれらしいプリントが積まれてたのを見たって話だ」

それを聞いて俺は若干血の気が引いた。まずい。
親が今にも俺を予備校に放り込もうとしている中、テストで悪い点を取ってしまえば強制的にそこに入学させられるのは必至だ。

「やばいだろ? で、キョンに数学のノート見せてもらいたいんだが……」
「無理に決まってるだろ。俺だって数学が得意じゃないんだ」
「あー! だよなあやっぱ無理だよなー! 国木田に見せてもらうしかないか、でもあいつノートとってない方が悪いとか言うぜ、絶対」
それは流石に国木田に同意する。一応俺はお前と違って、分からないながらも板書程度はちゃんととってるんだ。

11: 2010/03/25(木) 23:45:25.27 ID:vO9ae9mY0
「なんだよ、困ってるのは俺だけか? キョンは俺側の人間だと思ってたのに」

どんな人間と言いたいのかはわからんが、谷口側というのが良い意味じゃないってことぐらいは分かった。
まあ、俺もノートと教科書のみでテストに太刀打ちできっこないのは分かり切っているから、ハルヒに教えを乞う事にしよう。罵倒されるのは目に見えているが。

「涼宮にか?」

おい、何だその顔は。

「いや別に。ま、俺には関わりの無いことさ。せいぜい頑張れよ」

そう言って谷口はやれやれ、という仕草をとった。似合ってない上に言ってる意味が分からないし、非常にむかつく。


そして谷口と他愛もない会話を交わしつつ教室に着いてみると、いつも通りハルヒが頬杖をつきながら窓の景色を眺めていた。

「よう」

短く声をかける。しかし、ハルヒは振り返らない。

「ハルヒ?」
「ん? ああ、おはよ」

名前を呼んでようやっとハルヒはこちらを向いた。表情は昨日とは打って変わって不機嫌そうだ。もしかして、昨日コスプレ衣装が見つからなかったのか?

「聞いたか? 今日の数学で抜き打ちテストがあるって話」

13: 2010/03/25(木) 23:50:36.55 ID:vO9ae9mY0
しかしハルヒは無感動そうに、

「へー」

とそっぽを向いたまま答えるだけだった。まあこいつのことだ。どうせ抜き打ちテストなんて屁でも無いんだろう。

「で、頼みがあるんだが……数学で分からないところがあるんだ。テストに出そうなところだけでも教えてくれないか?」
「はあ? なんであんたなんかにあたしがわざわざ教えてあげなくちゃなんないのよ」

手を合わせて頼み込む俺を、ハルヒはちらと視線を寄越しただけで一蹴した。いつになく酷い言い草だ。
それほどまでにコスプレ衣装が見つからなかったのがショックだったのか?

また窓の外に視線を戻すハルヒ。もうこうなるとハルヒはいくら頼み込んでも教えてくれやしないだろう。俺は諦めて自力で頑張ることにした。
ああ、国木田には頼まないぞ。谷口とは違う人間なんだからな。
まあ、他人に教えを請う時点で駄目人間なのは変わりないだろうが。しかし数学は二時限目だ。一時限目の古典を捨てるとして一時間でどうにかなるものだろうか?
そう思いながら俺は席について教科書を開いた。途端に訳の分からないグラフやら数式やらが目に飛び込んでくる。
ちくしょう、なんでこんな人生に全く役の経つ余地がないものを必氏こいて勉強しなきゃならんのだ。そう思いながら、とりあえず一番最初の例題から目を通していった。

正直、この時点で違和感にさえ気付きもしなかった俺は相当な馬鹿だったと思う。


その後数学のテスト以外は何事も無く授業は終了し放課後。俺はダウナーな気分に陥りながら部室へ向かっていた。

うすうす分かってはいたのだが、やはり自力では無理だった。テストを返されるのは次の授業でらしいが、
返されずとも分かるくらい俺の解答用紙は酷かった。一時限目で必氏に勉強してもしなくても同じような結果だったかもしれない。
あれを親に見せてしまったら予備校行きは必至だ。これは事実の隠蔽も考えなくてはなるまい。

ハルヒが教えてくれれば何とかなったかもしれないのに、と他人のせいにしたくなる気持ちが頭をよぎってつくづく自分が嫌になる。
そういえばハルヒは今日は一日中不機嫌だったな。そんなに朝比奈さんのための衣装が見つからなかったことが悔しかったんだろうか。
もしかしていつもの面倒くさいことを思いつく前兆かとも思ったが、昨日は七夕という一大イベントを控えて準備に動いてたみたいだからその線は無いだろう。

15: 2010/03/25(木) 23:54:55.48 ID:vO9ae9mY0
なんとなく不思議に思いながらドアをノックする。「はぁい」と間の抜けたかわいらしい声が聞こえてきた。

「よっす」

扉を開けてみると、俺以外の四人全員が揃っていた。なんだ俺は最後か?
そのまま定位置の席にある椅子を引き、鞄を横に置く。

そうだ、古泉が理系特進クラスなのだから、こいつに数学を教えてもらえばいいのか。
しかしもう終わったテストだし、古泉に分からないところを教えてもらうというのは妙に癪だ。しかし長門に教わって俺に理解が出来ると思えないが……
そこまで考えて、俺はようやっと周囲の異変に気付いたのだった。

皆が俺に奇異なものを見るような視線を向けているのだ。あろうことか長門まで。
なんだなんだ、俺の顔に何かついてんのか?

「あ、あの、えーっと……お客さん、ですか?」

最初に口を開いたのは朝比奈さんだった。お客さん? 一体誰の事だ。扉の方を向いてみても誰もいない。

「……この場合、あなたしかいらっしゃらないと思いますが。もしかして、ご依頼か何かですか?」

そう言うのは、向かい側に座る困り顔の古泉だった。俺がお客さん? 部外者と言いたいのか?
意味が分からない。冗談でも笑えないぞ古泉。

「冗談、と言われましても……」

困ったものです、とでも言いたそうな顔で古泉は首を傾げた。その言葉に異議をはさむ者は誰もいない。皆俺を異質なものでも見るような目で見ている。
何なんだ? これは何かのドッキリなのか? いくらなんでも趣味が悪すぎる。それとも俺は夢でも見ているのだろうか。
夢なら早く目を覚ませ俺。部室に行ってみたら俺がSOS団の団員じゃ無くなっていたなんて、悪夢以外の何物でもないじゃないか。

16: 2010/03/25(木) 23:56:17.51 ID:vO9ae9mY0
混乱してその場から動けなくなっている俺を現実に引き戻したのは、団長机の椅子が引かれる音だった。
すっくと立ち上がったハルヒが真っ直ぐ俺を見ている。

「違うわ古泉くん、もしかして……」

ハルヒが俺の方へつかつかと歩いて来た。そうだハルヒ、お前なら分かってくれると思っていたさ。俺がこのSOS団雑用係にして団員その一であることをな。
ハルヒは俺の目の前に立ち、輝くような笑顔をこちらに向けた。

「あんた、SOS団の入団希望者でしょ!」


 ―――その瞬間、俺は目の前が真っ暗になるような気持ちがした。

 しかし、ハルヒはそんなことを全く気にかけた様子もなく続ける。
「男子が古泉君しかいなくてバランス悪いなとは思ってたんだけどね、春に誰も新入生が入ってこなくて」

 ――違う。

「もう新しい団員はいいかなって諦めてたんだけど、あんたならちょうど良いわ!」

 違うんだハルヒ。

「まあ特に不思議な要素は見当たんないけど、このSOS団の入団希望って事は、それなりになんかあるってことで良いのよね?」

 俺は、俺はSOS団団員その一であって……

「なら今すぐここで見せてちょうだい! 準備が必要なら待ってあげてもいいわ。ただし十秒以内ね!」


 ―――気が付けば、俺は部室を飛び出していた。

17: 2010/03/25(木) 23:57:09.27 ID:vO9ae9mY0
ぜえぜえと肩で息をしながら壁に背中を預ける。この暑さのせいで体中から汗が噴き出た。
気付けばもう校門の外まで来ていた。

「一体、どうなってんだ……っ!」

駄目だ、冷静になれ俺。大きく深呼吸をし、呼吸を整える。額から流れた汗をワイシャツの袖でぬぐいとった。本当に、何の冗談だよ。
皆から向けられたあのおかしなものを見る視線が何度も点滅するように甦る。なんだ。何が起こった。意味が分からない。
何で俺はあそこから逃げてきた? 何であいつらにあんな態度をとられた?
疑問が脳内を埋め尽くし、頭が混乱した。とにかく、一度帰ろうか。恐らく部室に戻っても何の意味もない。また奇異の視線を向けられるだけだ。

駅までの坂道を下りながら、先程起きた出来事を整理する。部室に入ったら、俺がSOS団のメンバーでないことになっていた。
皆俺の事を覚えていない。恐らく、長門でさえもだ。
何なんだ。あまりにもいきなりすぎる。

だが確かに予兆のようなものはあった。朝のハルヒのよそよそしい態度。俺と全く付き合いが無いことになっていれば確かにあの態度は当然だ。
しかしあいつらのドッキリなんじゃないのか。その線も考えた。
考えはしたが、古泉はまだしも、おどおどとおびえたような態度だった朝比奈さん。こちらを見て若干驚いていたような顔をした長門。
映画であれほどの大根っぷりを披露した二人が、あそこまでの演技を出来るだろうか?

そしてなにより。
朝から不機嫌だったはずのハルヒが、俺を入団希望者と見てその不機嫌顔をみるみる明るくさせたのだ。
あの100ワットの笑顔が、むしろ俺を決定的に絶望させた。


家に着くとシャミセンを抱えた妹が出迎えをしてくれたが、俺は返事もそこそこに自室のベットに飛び込んだ。
一体どうなってやがる。
いや、俺も既に分かってるんだ。このあり得ない状況。急激すぎる変化。

間違いなく、世界の改変が行われている。

18: 2010/03/25(木) 23:58:23.90 ID:vO9ae9mY0

気付けばもう校門の外まで来ていた。

やったのは誰だ? ハルヒか、長門か、それとも長門の親玉か。別の新たな勢力か何かか。
だが俺は最初の二人はあり得ない、そう思いたかった。

俺がSOS団に存在しない世界を作るってことは、雑用の俺を疎ましく思っているという事だ。SOS団に俺はいらない。
ハルヒに朝比奈さん、長門、古泉の四人だけで良いという事。そんなことをハルヒや長門が思っているなんて考えたくなかった。
しかし、あの情報思念体が世界を改変するにしても理由がないし、いまさら俺をどうこうしたって何か変化があるとは考えられないのも事実だ。

「くそっ……」

全く意味が分からない。改変をやった奴は誰なんだ? その理由は?
晩飯の時も、風呂に入る時も俺は考え込んだままだった。

答えの出ない思索を延々と繰り返しているうちに夜は更け、俺がSOS団のメンバーでないこと以外は全ていつも通りの朝が来た。



七月三日。気の早すぎる夏日は今日も続行中だった。

坂道を登る足が重い。夕べ遅くまで堂々めぐりの思考は続き、ほとんど寝ることも出来なかった。
それでもとにかく学校に行くしかない。周りに頼れる奴がいない今、自分で情報を集めるしかないんだ。ちょうど、あの冬の日のように。

教室に着いてみると、ハルヒがまた頬杖をついて窓の外を眺めていたのだが、どこに目がついているのか俺が教室に入るとすぐにこちら側へ振り返った。

「あら、おはようキョン! ……でいいのかしら」

ああ、良くは無いが呼びかけられる場合に一番多いのはそのあだ名だな。
「変な名前よね、でも妙にしっくりくるわ」

19: 2010/03/25(木) 23:59:48.34 ID:vO9ae9mY0
そんなもんこなくていい。俺は溜息をつきながら自分の席の椅子を引いた。

「あのさ、昨日は急に飛び出して行っちゃったけど、いつあんたの能力を見せてくれるのかしら?
 それともあれがそうなの? 人より足が速いのが特技っていうのならSOS団には入れないわよ」

あれは別に自分の能力を見せた訳では無いし見せるつもりも無い。そもそも俺には特別なもんなんて何も持ってないさ。
この世のさまざまな不思議、というか面倒事に巻き込まれまくっていたおかげでそこらへんの経験値は一般人と比べて群を抜いていると自信を持って言えるがな。

「何よ、あんた何も無いくせにSOS団の門をたたいたわけ? 言っとくけど、うちはあんたの思ってるような仲良しグループのお遊び団体じゃないの。
これでも宇宙人や未来人と遊ぶっていうれっきとした目的の元に行動してるんだから」

あーそうかいそうかい。
ハルヒの主張、というか演説を右から左へ聞き流しながら机に突っ伏す。
どうでもよかったんじゃない。ハルヒの言葉が、まるで俺からどんどんSOS団という存在を引き離しているようにしか聞こえなかったからだ。

「何よ……もう」

ハルヒは期待外れ、とでも言わんばかりの溜息をひとつついて、そのまま会話は途切れた。



そのまま授業は消化され昼休み。ちなみに数学のテストも返された訳だが、その点数は言うまでもあるまい。あとはどうこの紙切れを親の目から逃がし続けるかどうかだ。

「キョン、やっぱりふられちまったのか! いやー、そりゃそうだよな、あの涼宮だし」

谷口がご飯粒を飛ばしながら能天気な顔で笑っている。正直ムカつく。

「ま、しょーがねーって! 元気出せよ、俺が放課後にナンパスポットへ連れてってやるから、特別に」
「断る。俺はお前ほど女に飢えてはいないんだよ」
「でもさ、今日のキョン何だか暗いよ。大丈夫?」

20: 2010/03/26(金) 00:02:26.05 ID:DgiZ3CuG0
国木田が卵焼きを一口大に取り分けながら言った。ああ、やっぱ顔に出ちまってたのか。

「ま、キョンは昔から変な女が好きだったからね。そこまでとは思わなかったけど頑張って。僕は応援するよ」
「別にハルヒと付き合いたいとかそういうことを思ってる訳じゃねえ。勝手に誤解すんな」
「まーまー、強がるなって」

谷口が同情的な表情で肩をとんと叩く。なんなんだこいつ。

「お前の勇気には賞賛を送ってやるよ。玉砕覚悟で向かっていくなんてな」
「だから恋とかなんだのは関係無いって言ってるだろ。そもそもなんで俺が玉砕すること前提なんだ?」
「お前……知らないのか?」

谷口が急に声をひそめる。同情してるような表情が本当にムカつく。

「俺は昼休み行かなきゃならん所があるんだ。言いたいことがあるなら端的に言え」

谷口はしばらくわざとらしい沈黙をすると、
「いや……何でもないさ。ま、頑張れ」

と言ってまた俺の肩を叩いた。てめえ、今箸の先が俺の制服についたぞ。

言いたいことは色々とあるものの、昼休みという時間は実に短い。
急いで弁当を腹に詰め込んでいると、わあ、と教室の入り口の方で数人の女子による歓声があがった。
反射的に声の上がった方に視線を寄越す。

俺の箸の動きが、止まった。

21: 2010/03/26(金) 00:05:55.48 ID:DgiZ3CuG0
そいつは、教室の入り口で数人の女子に取り囲まれた向こうで笑っている。

「うん、もう大丈夫よ。午前中に病院で点滴打ってもらったらすぐによくなったわ。
 家にいてもヒマだから、午後の授業だけでもうけようと思って」

そいつが、あの時と一字一句違わず同じ台詞を吐いて、周りの女子に人当たりの良さそうな笑顔を振りまいている。そして、――昨日、空席だったはずの席に、鞄を置いた。
ハルヒの席に座っている国木田の元へと近づくことは無い。当然だ。"あの時"とは違って、ハルヒは今もこのクラスに在籍しているのだから。

朝倉涼子。

もう、『どうしてお前がここにいる』とは、言わなかった。
なるほどな。お前のおかげでよく分かったよ。おかしいのは俺でもなく他のSOS団の面々でもなく、この世界。
二度も繰り出された同じシチュエーションのおかげで、俺は自分でも意外なほど冷静だった。

「……俺、ちょっと行ってくる」
「おい、何処にだよ? まだ弁当残ってるぞ」
「いい。とにかく今すぐに俺は行かなきゃならないんだ」

弁当をかたす時間ももどかしい。朝倉は笑顔で女子たちと会話を交わしている。
昼休みが終わり教室に戻ってもまたこいつがいると分かってはいるが、俺はこの場から離れたくて仕方がなかった。
恐らくこいつは世界改変とともに、俺のクラスに在籍している委員長ということになったんだろう。

俺が半ば走りながら教室を出る瞬間、一瞬視界の端にからかうような笑みをこちらに向けた朝倉が見えた気がした。



22: 2010/03/26(金) 00:10:27.68 ID:DgiZ3CuG0
まだ昼休みの終了には時間がある。俺は部室に向かった。食後すぐに走り出したせいで脇腹が痛んだ。
尋常じゃない様子で廊下を駆ける俺に、周りの視線が突き刺さる。

畜生。またこのパターンかよ。だが、これで確信が持てた。
ここは確実に改変世界だ。消滅したはずの朝倉。そいつを復活させられるのは、それ相応の能力を持った奴だけ。
やっぱり、ドッキリなんかじゃ無かったか。内心もしかしたらとも思っていたんだがな。

俺がいない間に、ハルヒが長門と朝比奈さんにきびきび演技指導をしていたんじゃないか……そう頭の片隅で持っていた希望は、
奴の復活によってあっさりと崩れ去ってしまったようだった。



「長門!」

文芸部室の扉をハルヒ並に勢いよく開けた。窓際には、分厚いハードカバーを広げた宇宙人が座っている。眼鏡はしていない。昨日見たから当然か。

「はっ……長門………長門、お前は」

ガラス越しじゃない、直の視線が俺に突き刺さった。

「お前は、俺を知っているか」

数秒、俺を凝視して。
長門は、首を横に振った。

「やっぱ、そうだよな……」

膝に手をついて、息を吐き出す。やはりそうか。やっぱり、昨日俺に見せた驚きの表情は嘘じゃなかったんだな。昔と比べたら随分と表情が豊かになったもんだな長門。
荒くなった息を整えながら、部室の床に視線を落とす。違う。そうじゃない。頭をもたげる違和感。

23: 2010/03/26(金) 00:15:40.40 ID:DgiZ3CuG0
―――何かがおかしい。何となくそんな気がした。

そうだ。あの冬の日を思い出せ。あの長門――眼鏡をかけた長門は、普通の女の子だった。多分、あれが長門の望んだ自分の姿……なんだろう、きっと。
じゃあこの目の前にいる長門はなんだ? 俺のよく知る、唯一の文芸部員でありSOS団団員その二でもある対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。
一昨日までの長門そのままだ。じゃあ何故改変が起こったことを知らない? 俺の事が分からない?
俺は顔を上げた。

「お前は普通の人間……なんだよな」

長門はまた俺を不思議そうに凝視してから頷いた。
やはりそうだ。間違いない。こいつはあの内気な長門でも、出会ったばかりのころの無機質な人形のような長門でもない。だんだん感情が出てくるようになってきた、俺のよく知る長門だ。
しかし、こいつは今は"人間ということになっている"。明らかにおかしい、この中途半端さ。
誰なんだ。誰が世界を改変した? 誰がこいつから宇宙人属性を奪った?

しかし頭で考えている暇はない。恐らく部室に居られるのはこの昼休みの間だけ。

「長門、ちょっと本棚を見せてもらってもいいか」

数秒の沈黙の後、首肯。

「ああ、ありがとな」

あの時と違って、俺の取るべき行動は明確だった。
ざっと本棚の背表紙の列を見渡す―――あった。長門が一番最初に貸してくれた、あの分厚いSFのハードカバー。すぐに取り出してしおりが挟まっていないか確認する。
……無い。
だががっかりするにはまだ早い。別の本に挟まっていてもおかしくないはずだ。俺は急いで本棚の他の本を取り出した。

開いては大まかにページを捲り、また戻す。この作業を延々と繰り返している様は端から見ればとても奇妙に映るだろうが、そんなことには構っていられない。
とにかく、あるはずなんだ。長門からのメッセージが。

25: 2010/03/26(金) 00:21:26.73 ID:DgiZ3CuG0
しかし、半ばを過ぎてもあの堅い字でヒントが書いてある栞は見つからない。残りの冊数が少なくなると同時に、残り時間もみるみる減っていく。
明らかに俺は焦っていた。お願いだ、ヒントを見つけられなければここで手詰まりになっちまう。何も手掛かりが無くなっちまう。一冊一冊本を取り出す動作さえもどかしい。

しかし、俺の祈るような気持ちとは裏腹に、遂に栞は見つからなかった。
最後の一冊を閉じて、本棚に収める。

「はは……嘘だろ?」

嘘だと言ってくれ。
これで手掛かりは無くなった。元の世界を取り戻すヒント。足掛かり。


俺に元の世界の存在を示すものは、何一つ無かった。


呆然として整然と並ぶ本の列を見る。予鈴がなった。もうすぐ昼休みも終了だ。

「どうしろってんだ……」

でもそんな音も俺の耳には届かない。絶望感が俺を支配していた。俺は一体どうすればいい?
鍵を揃えればいいという事じゃない。そんな条件は初日で既にクリア済みだ。
何なんだこの世界は。あの冬と同じようで、全く違う。ハルヒが目の前にいるのに、何も見つからない。SOS団がそこにあるのに、俺だけがその外側にいる。

ふと、人が近付く気配。

「長門……」

眼鏡の掛けていない、無機物とは言い難いが人間と言うにもまだ表情の乏しい元宇宙人の少女がそこにいた。

「何を、探しているの」

26: 2010/03/26(金) 00:25:45.22 ID:DgiZ3CuG0
俺の良く知る長門そのものでも、こいつ自身は俺を知らない。

「あー……栞、だよ」
「栞?」
「ああ。でも、どうやら置いてきちまったみたいだ」
「そう……」

時計を見ると、既に針は五限目の始まるギリギリを指していた。いつの間にこんな時間になっちまったんだ?
早く戻らないといかん。だが、授業なんかを受けている場合だとは思えない。

「これ。使って」

そう言って目の前に差し出されたのは、季節の花が印刷された、シンプルな栞だった。

「これは?」
「私の栞」

ああ、そりゃまあ、そうだろうな。しかしだな長門、別に俺は本を読むのに不便だから栞を探していたわけじゃないんだ。
元の世界のお前からのヒントを見つけたかったからで……
色々と言いたいことはあったが、結局俺はその紙切れを頂く事にした。

「ありがとな、長門」

目の前の長門は、微笑まなかった。

27: 2010/03/26(金) 00:30:59.14 ID:DgiZ3CuG0


午後の授業の始まるぎりぎりに教室へ滑り込むことが成功し、息を落ち着かせながら席についた。
ここ二日、走ってばっかりじゃないか俺。本当に特技が人より早く走れることになりそうだ。そうは言っても、俺の運動能力は平々凡々のままだが。
ちなみにあの栞は、授業中にもしや何かあるんじゃないかと思って花の絵や真っ白な裏側を凝視してみたり太陽に透かしてみたりしたんだが、
特に何か仕掛けがあるわけでもなかった。当たり前か。あれをよこしたのはこの世界の、ただの人間の長門だ。

「どうしちゃったの? あなた、あたしが教室に入った途端にどこかへ飛び出して行っちゃって、帰ってきたのは始業ギリギリだったんだもの」

午後の授業終了後のあとは帰りのHRを待つだけという時間に、そう言って人当たりの良さそうな柔和な笑みを見せたのは、俺の傍らにやってきた朝倉涼子だった。

「もしかして、あたしのこと嫌いとか?」

本人は冗談のつもりで言ってるんだろう。だが俺は叫びたかった。ああ、大嫌いだ。だから俺のそばに近寄らないでくれ、と。

「別にそんなんじゃない。ただ用事があっただけだ」
「ほんとに? でも尋常じゃない様子だったわよ」

うるさい。これ以上追及するな。お願いだから向こうへ行ってくれ。次々と頭に浮かんだ言葉をぐっと飲み込む。また異常者扱いされるのはまっぴらごめんだ。
恐らくこいつは委員長として何だか様子のおかしいクラスメイトの心配をしているだけ。

しかし、この朝倉涼子は一体誰なんだ? 観察対象の動きの無さに飽き飽きして俺を殺そうとし、長門に消滅させられた朝倉なのか。
怯える長門を守ろうとして俺にナイフを向けた朝倉なのか。全く違うやつなのか、それとも全員同一人物か。今は判断することが出来ない。
冬の日のこいつは、異常な奴ではあったが恐らく一般人だった。ならこいつは?

「何よキョン、もしかしてあんたの特技は学校の廊下を全力疾走することだったの?」

ハルヒが後ろから身を乗り出してきた。ああ、あながち間違っちゃいないな。全く実用性が無いが。
しかし朝倉との会話にこいつが割り込んでくるとはな。だがそういえば、こいつも俺のよく知るハルヒだった。
未だ部外者には冷たい態度をとりがちだが、挨拶程度は交わせるんだろう。

28: 2010/03/26(金) 00:37:29.63 ID:DgiZ3CuG0
「ふふ、何それ」

朝倉が笑う。傍から見れば美少女二人が会話する目の保養になりそうな光景なんだろうが、俺の目は妙にシュールな光景にしか映らん。
苦虫でも噛み潰したような表情でじっとその場をやり過ごすと、朝倉は他の女子に呼ばれて勝手にどこかへ行った。
まったく、出来ればもうこちらの方へは来て欲しくない。

「あんた、朝倉のこと嫌いなの?」

俺の表情を不思議そうに見つめるハルヒがそう問うた。

「別に、なんとも思ってねえよ」
「そう? あんたの顔色はそんな風に見えなかったけど」

そうだろうな。二度も殺されかけたトラウマは、そう簡単に消えるものではない。

「お前は、朝倉のことをどう思ってるんだ?」
「あたし? あたしは……」

ハルヒが楽しそうに談笑する朝倉を見遣る。

「そうね、まあ最初はうざったいと思った時もあったけど、まあ良い奴なんじゃない? 面倒見もいいしね」

なるほどな。ハルヒとは真っ向から対立するタイプだから合わないだろうなとは思っていたが、
まさかハルヒの口からそんな言葉が聞けるようになるとは思わなかったよ。

「? 何よそれ。確かにあんたとは二年間同じクラスだけど、前からあたしを良く知ってるみたいな……」

教室に岡部が入ってくる。クラスが静かになるとともに、ハルヒの言葉も途切れた。

29: 2010/03/26(金) 00:41:29.35 ID:DgiZ3CuG0


HRが終わった途端に俺は教室を飛び出した。何度俺はこんなことを繰り返せば済むのだろうか。
しかし、だらだらと向かっていては間に合わないかもしれないのだ。さすがに全力疾走はしないが、小走りで一階下の教室を目指す。
目的の場所があるのは廊下の一番奥だ。HRが終わったばかりで廊下には普段あまり見かけない理系クラスの生徒達があふれている。もしかしたらもう既に行っちまったかもしれない。
そいつらを掻きわけ進んだ先には、理系の特進クラス。九組のプレートがぶら下がっている。

入口のそばであいつが出てくるのを待つ。まるであの冬の日に光陽園学院の校門前でハルヒを待っていた時みたいだな。シャレになっちゃいないが。
教室の入り口から次々と生徒が出ていく。その中に……いた。

「あなたは……」
「よう」

昨日と似たような、困ったような表情をした元超能力者。

「何かご用ですか?」
「ちょっと話したいことがあるんだが、時間いいか」
「僕はこの後部活があるんですが……」

視線には警戒の色が見えた。まあ、そりゃそうか。

「時間はとらせないさ。場所を移そう。話を聞いてくれるなら俺についてきてくれ」

そう言って俺は身を翻して歩き出す。

古泉は話を聞く気になったのか、それとも俺とここにいては具合が悪いと踏んだのか、俺についていくことを決めたようだった。

30: 2010/03/26(金) 00:45:56.16 ID:DgiZ3CuG0


「それで、話とは」
「ああ」

俺と古泉が来た場所は食堂の屋外テーブルだった。丸テーブルの席に二人で座る。
一年前のあの時と全く同じ格好だが、立場は真逆だ。

「お前に聞きたいことがあるんだ。お前は……」

古泉の目を見据える。

「お前は、普通の人間か?」
「………」

流れる沈黙。長門にした質問と全く同じ。
長門でさえ普通の人間になってしまっているから望める可能性は限りなく低いが、溺れる者は藁をも掴むってやつだ。
また奇異の目で見られることになるのは覚悟している。

「それは、普通というのがどういう人間のことを指すのかにもよりますね。
 人間誰しも個性というものは持っていますし、例えば僕は涼宮さん――あなたと同じクラスでしたか。
 その方に、僕が一年程前中途半端な時期に転校してきたこと。それが僕の、えーっと、"属性"だと。そうおっしゃってくださいました」

なんとも古泉らしい丁寧な答えだ。俺がくだらない――実際は大真面目なんだが――質問をしてしまうことに罪悪感さえ感じてしまうね。

「普通じゃないってことはその……実は未来からやってきたとか、超能力を持ってるとか、どこかと特別な空間に出入り出来るとか……そういうことだ」
「……なるほど、確かにあなたは涼宮さんが気に入りそうな人だ」

古泉が如才無い笑みを浮かべた。なんてこった、たまに変人扱いされることはあったが、とうとうハルヒと同じレベルに到達しちまったか。

32: 2010/03/26(金) 00:50:31.65 ID:DgiZ3CuG0
「僕はあなたの望んでいるような特別な人間ではありませんよ。
 涼宮さんも中途半端な時期に転校してきたのが怪しいとも言われましたが、それもただの親の仕事の都合でしたから。
 あなたが涼宮さんからSOS団が宇宙人やら超能力者やらと遊ぶ為の団体だと聞いて部室に訪れ、そして僕に話を聞こうとまで思ったとしたら
 確かにあなたには涼宮さん並の行動力があるとは思いますが、残念ながら僕も、朝比奈さんや長門さんもあなたのご期待には添えられないと思います」

「じゃあ、お前は超能力者じゃないんだな」
「……申し訳無いですが」

古泉が、俺にはもう見飽きてしまった困ったような笑みを見せた。ああ、俺に超能力者であることを告白した古泉はこういう気持ちだったのか。
あの時はさんざ精神異常者扱いして悪かったな古泉。目の前でそれでも微笑を保っている古泉に尊敬の念さえ覚えるよ。

そういえば、目の前でとりあえず笑っとけみたいな投げやりな表情を浮かべているこいつは、何故未だに同級生にまで敬語を使っているのだろうか。
世界を簡単に組み替えちまう能力を持つハルヒの望んだ人間を演じていると言っていたが、
今のハルヒは恐らく普通の女の子という事になっているだろうから、こんな態度をとり続ける必要は無いはずだ。

「そろそろ行かないといけませんので、僕はこれで失礼させて頂きます」
「お前は、この世界がいつから存在していると思う?」
「……は?」

俺をあきれたような顔で見遣る古泉。なかなか貴重だな。とっておきたいとは思わんが。

「宇宙の始まりがビッグバンってのが通説だが、実際は数年前か、はたまた五分ほど前だって可能性だってある。
 これまでの歴史やら記憶やらだけを持たされてな。お前だって、そんなことを考えた事が無い訳じゃないだろ」

実際にこの世界が作られたのは恐らく一昨日の夜から昨日の朝の間でほぼ間違いないんだがな。

「はあ、まあ、そうですね。確かにありますが……それが何か?」

目の前のこいつは俺のいないSOS団、超能力者で無い一般人としての記憶を植えつけられてここにいる。
実は俺が今まで体験したものが全て疑似記憶で、最近やっと夢から覚めたっていう可能性も無くは無いが、そこまでの可能性を考えるほど俺はSF好きでもない。

34: 2010/03/26(金) 00:53:36.69 ID:DgiZ3CuG0


「すまん、何でもない」
「そうですか」

古泉が席を立とうとする。

「もうひとつ、聞きたいことがあるんだが」
「……何でしょう?」
「SOS団は、楽しいか?」

古泉が困惑顔で俺を見遣る。まさに何が言いたいんだこの人は、って感じの。

「ええ、楽しいですよ。少なくとも退屈はしませんね」
「……そうか、ありがとな」
「いえ。……では」

古泉は軽くこちらに会釈をして、その場を去った。その背中が見えなくなるまで見送る。
さて、今のところ手掛かりなし。朝比奈さんとはまだちゃんと話していないが。望みは薄いだろう。
もともと期待していた訳じゃないが、現状は絶望的だ。

「どうしたもんかな……」

そう呟く俺を撫ぜるように、温い風が吹いた。

36: 2010/03/26(金) 00:57:21.26 ID:DgiZ3CuG0


「よーキョン! どうしたんだこんな時間まで」

鞄を取りに一旦教室まで戻ってみると、国木田とアホの谷口がまだ残っていた。

「ちょっとした野暮用だよ。お前らこそどうしたんだ」
「谷口が暇だ暇だってうるさくてね。馬鹿話に付き合ってあげてたんだよ」
「まあな。ところでキョン、お前も暇だよな?」

暇かというと疑問が残るが、今日はもう何もすることが無いのは事実だな。

「ナンパ……はお前らも嫌がるだろうから、ゲーセンでも行かね?」
「ゲーセンねえ……そう言えば最近あんまり行ってなかったね。僕はいいよそれでも」
「おう、キョンはどうだ?」

そう言えばSOS団に入ってこっち、こいつらと放課後に遊んだことなんてほとんど無かったな。
正直遊んでいる場合では無いことも事実だが、こいつらと遊べるのもこういう時だけだ。それに今は完全に行き詰まった状態だし、こういうのも良いかも知れない。

「ああ。俺も行くよ」
「おう、じゃあ駅前のいつものとこ行こうぜ!」

いつものとこが何処なのかは分からなかったが、取り敢えず俺は二人について行く事にした。

37: 2010/03/26(金) 00:58:12.21 ID:DgiZ3CuG0


この二人と過ごす時間は、思ったよりも楽しかった。非現実的なものに捕らわれず、当たり前の高校生らしい放課後。
そんなものはSOS団に入って以来、かなりご無沙汰だ。

「うわ、もう結構暗くなっちゃったね」
「そうだな、そろそろ解散にすっか。可愛い女の子もいなかったし」

このアホの谷口、まだそんなもん狙ってたのか。いい加減懲りろ。やるなら一人でやれ。

「そうは言ってもよー、やっぱり単独だと成功しにくいんだよ! 一人でいる女の子は結構少ないし。
 その点複数ならそこら辺にかなりいるし、何より友達と一緒なら強く押していけばなあなあな感じでついて来てくれる確率が俄然上がるんだ!」
「そうなの? 僕は谷口のナンパが成功したところ見たことないけど」

国木田の冷静な言葉に谷口が固まり、がっくりと肩を落とした。そこまで力説しといて本当に一度も成功したこと無かったのかよ。

「あーもー! 今日は解散だ解散! 全員家に帰って寝ろ!」
「そこまで大きな声で叫ばなくても分かるよ」

三人で暗くなった駅までの大通りを歩く。

「じゃあね、キョン。最近ずっと浮かない顔ばかりしてたからさ。今日は楽しそうで安心したよ」

俺は思わず苦笑した。まさかお前らにまで心配されちまうとは、それ程まで顔に出てたか。
周囲に構っている暇が無かったというのもあるが。

「そうそう! お前、最近ずっと不安そうな怒ってるような顔しててよー、仏頂面はいつものことだけど、最近本当におかしかったもんお前。
 だから俺がナンパに誘ってやろうと……」
「だから、そんなことされて嬉しいのは谷口だけだって」

38: 2010/03/26(金) 00:59:17.85 ID:DgiZ3CuG0
「ああ、すまんな心配かけたみたいで。ここ最近ちょっと色々あってな。いつ解決する分からないんだよ」

 頭に浮かんできた、もう二度と戻れないかも知れないという考えをすぐに振り払う。

「ううん、こっちこそごめんね。色恋沙汰だと勘違いしちゃって」
「いや、それは全てこのアホの谷口のせいだから」
「さっきからお前らの言いぐさひでーな。一年以上経つともういい加減慣れてきたわ」

それはあまり慣れて欲しくないな。

「じゃあねキョン、また明日」
「ああ」
「じゃーな!」

すっかり暗くなった駅前で、遠ざかる二人を見送る。ヒントの無い手探り状態であることは依然変わりないが、大分気が楽になったような気がする。

「……帰るか」

あの二人とは違って俺はこれから自転車だ。暗いがまあ押して帰らずとも大丈夫だろう。
初夏と言えど夜となれば随分冷える。さっさと帰ろうと駐輪場へ身を翻した時、視界の端に何かが暗闇の中で揺れたのが見えた気がした。

「ん?」

振り返ってみてもあるのは電灯が一本立っているだけの人気の無い公園だけだ。
SOS団の集合に使っていた場所。光で照らされた地面の向こうは暗い。

目を凝らすと、何か人影らしきものが見えた。北高生だ。それも二人。片方はセーラー服を着ているが、もう一人は男のようだった。
普通だったら、ただのいちゃこいてるカップルかよ、とさっさとその場を離れていただろう。
だが俺は動けなかった。足が地面に打ちつけられたみたいに動かない。

39: 2010/03/26(金) 01:04:45.25 ID:DgiZ3CuG0
また何かがひらりと揺れる。黄色いリボン。少女の頭の動きに合わせて揺らめいた。
だんだん目が慣れてきた。もう片方の長身の男子高校生のシルエットが浮かんでくる。見えた顔は、見慣れたニヤケ面。
そいつらが、夜の公園で楽しそうに談笑していた。何故だ? 部活の話し合いか?

違う。理由は分からない。ただの直感だ。その直感が警鐘を鳴らす。早くこの場を離れろと。
だが俺の身体はまるで金縛りにあったみたいに動かなかった。

不意に会話がやむ。声までは聞こえない。気配だけだ。
俺の身体はまだ動かない。ここから離れろ。何度言えば分かる。離れろっつってんだ。聞こえないのか。
それでも、俺はぴくりとも動くことが出来なかった。目線さえも動かない。一体どうなってんだ。

二人の顔が近づく。
お願いだ、やめてくれ。人の気配に気が付かないのか? どれだけ馬鹿なんだお前らは。やめろ、やめろやめろやめろやめろ………―――!!


俺の目の前で。

二人の唇が、触れた。



全身が凍りつく。目の前で何が起こっているのか認識できない程に、俺は硬直していた。
目の前が真っ暗になる。なのに二人の影はやたらはっきりと見えた。
意味が分からない。何だこれは。一体何が起こってるんだ。
二人の唇が離れると同時に、金縛りが糸の切れるように解けた。俺ははじけたようにその場から飛び出した。

自転車に鞄をどさりと乗せて荷台に手をつく。公園からここまでほとんど距離は無いのに、心臓が飛び出そうなほどに早鐘を打っている。
一体今日で何度目だ、これは。短距離走より反復横跳びの方が得意になれそうだ。

40: 2010/03/26(金) 01:05:45.28 ID:DgiZ3CuG0
今見た光景はなんだ? そうだ、ハルヒ、と、古泉が……やめろやめろやめろ。思い出すな。やめてくれ。
いくら脳内から振り払おうと思っても、何度も何度も先ほどの光景が目の前に降ってくる。
悲しみとも怒りとも吐き気ともつかない何かがこみ上げてきて思わずその場でしゃがみこんだ。

嘘だろ。何かの見間違いじゃないのか? そう思っても俺の頭が勝手に否定する。
幻覚なんかじゃない。間違いなくハルヒと古泉だった。じゃあ何故? 嫌だ。考えたくない。
脳内の激しい葛藤をごまかすように俺は自転車に乗りこんだ。全力でペダルを漕ぐ。

世界はどこまで狂ったんだ。

「どうしろってんだっ……畜生!」

ハンドルをぐっと握りしめ、いつもと全く変わりない風景を見せる住宅街をどこともなく睨む。
冷えた風が勢いよく体に当たっては流れていった。



翌日、改変されてから三日目。今朝の俺の目覚めは昨日以上に最悪だった。

布団を上げるとその上で眠っていたらしいシャミセンがごろんと転がる。それでも起きないとは、何という神経の図太さだろう。
ああ、いっそ俺も猫になりたい。そんな投げやりな願望をぼんやりと頭に浮かべながら、俺はベッドから降りた。

暑さは昨日より大分収まっていた。生温い空気が辺りを包んでいる。
ここ最近の睡眠不足で足に力が入らず、いつもより坂が急なように錯覚してしまう程だ。
足も頭も、気分も重い。そのまま地面にめり込んでしまいそうだ。

教室の入り口で、俺は固まった。なんてことはない。教室の窓際、一番後ろの席にハルヒが座っていたからだ。
途端に昨日のあの光景が甦る。俺は今すぐここから逃げ出したい気分になったが、それを堪えて自分の席に向かう。
逃げれば、恐らく元の世界を取り戻す手掛かりは見つけられない。もう二度とこの改変世界を元に戻すことはできない。そう思えたからだ。

41: 2010/03/26(金) 01:11:05.19 ID:DgiZ3CuG0
それに何より。あの光景は、どう考えてもおかしかった。
別に、あの二人がくっつくのがおかしいという事ではない。
ハルヒも長門も古泉も、恐らく朝比奈さんも元の世界から性格の書き換えはなされていない。俺のよく知るSOS団メンバーそのままだ。
それなら何故急にあの二人がくっついたことになっているんだ?

元の世界で俺に隠れてこそこそ付き合っていて、それがそのままこの世界に表れたというのなら分かる。だがそれこそあり得ない。
こっそり付き合ってりゃ俺だって当然気付く。それぐらい、あいつらと過ごしてきた時間は長いってことだ。

つまり、残る可能性は一つ。犯人が改変する際に、新たに二人に恋愛感情を書き加えたということ。
こんなもんを許せる奴がいるだろうか? 人の感情を弄んでいるとしか思えない。あまりにも最低過ぎる行為だ。
だから、俺は絶対に世界を変えた犯人を見つけ出してやる。そう心に決めた。


「おはよう」

ハルヒが頬杖をついたまま振り返る。ハルヒの機嫌は、一昨日の放課後を頂点に下降線を辿っていた。

「……おはよ」

それを言ったきり、ハルヒはまたそっぽを向いてしまった。溜め息をついて席に座る。
俺に特殊性を求められてもな。周囲でどんなに理解しがたい事態が起こっても、俺自身はごくごく一般的な男子高校生のままだ。
しかし、俺の立ち位置は見ようによっては、異世界人というハルヒの求め続けている人材なのかもしれない。
いや、勝手に周りの人間の記憶やらなんやらが変わっただけで、俺は時空を超えるだのなんだのは全くやっていないから異世界人とは言い難いのか? よく分からん。

「昨日、古泉くんが珍しくあたしに断りも無く遅刻したんだけど」

ハルヒの口から古泉の名前が出ただけで、思わず肩が跳ねそうになった。
落ち着け。ハルヒはSOS団の団長であり古泉はその副団長だ。別におかしいことじゃない。

43: 2010/03/26(金) 01:15:27.06 ID:DgiZ3CuG0
「最初は何も言わなかったんだけど、問い詰めたらあんたに呼び出されたって吐いたのよ。
 あんた、うちの団員に何かちょっかい出してるんじゃないでしょうね?」

ハルヒがきっと俺を睨みつけた。ちょっかいか。出してると言ったら出してるんだろうな。
客観的に見れば、俺はどう見てもSOS団員を捕まえては頭のねじが一本抜けたような質問をしているただの変質者だ。

「別に迷惑になるようなことはしてねえよ」
「してるじゃない! 古泉くんはたまにバイトで抜けることはあっても、遅刻や欠席をするときはいつもちゃんとあたしに連絡してるの!
 うちの団員をたぶらかして、あんたは一体何を企んでるの? 答えなさい」

ハルヒが怒りの感情を隠そうともせず俺の襟首を掴んだ。そんなこと言われたって本当の事など言えるわけがない。
そもそもちょっと呼び出しただけで団員をたぶらかすとかちょっと性急過ぎるだろうハルヒさんよ。

「なんだか穏やかじゃないわね。どうしたの?」

そこにクラスメイトの喧嘩を止めるために近寄ってきたのは朝倉涼子だった。

「あんたには関係ないわよ」
「関係なくない。クラスメイトが喧嘩してるんだもの。止めない訳にはいかないわ」

落ち着いた声色で朝倉がハルヒを諌める。
ハルヒはクラス中の視線がこちらへ向けられているのに気付くと、ふん、と言って俺の襟首を掴んでいた手を放し、そっぽをむいてしまった。

朝倉はやれやれ、とでも言わんばかりに溜め息をつくと、

「駄目よ、折角同じクラスなのに喧嘩しちゃ。高校生活もあと半分ぐらいしかないんだから。
 みんなで仲良くしなきゃ勿体ないわ。せっかく出会えた仲間なのに」

ね? と道徳の教科書にでも書いてありそうな台詞を吐いて朝倉が微笑む。
俺はここでクラス委員長である朝倉に感謝すべき所なんだろうが、俺は眉を顰めるしか出来なかった。実に気まずい。

44: 2010/03/26(金) 01:20:29.56 ID:DgiZ3CuG0
「一体なんなのよあんたは……」

朝倉がその場を離れてクラスに喧騒が戻った瞬間、俺に聞こえるか聞こえないかの音量で、ハルヒはそう呟いた。



その後も、ハルヒが猛烈な不機嫌オーラを放ったまま午前の授業は消化されていった。
国木田に何があったのか聞かれたが沈黙で答えることしかできない。
昼休み、俺はいち早くここを出るためにも弁当をかきこみさっさ教室を出ることにした。

階段を下りて向かいの校舎につながる渡り廊下を歩く。目的地はもちろん、朝比奈さんの教室だ。
嫌に目立ってしまうし、朝比奈さん自身にも迷惑がかかるためあまり行きたくはなかったが仕方ない。
冬の時みたいに都合良く廊下でばったりと出くわせるかどうか分からないし、部室に行けば朝比奈さんはメイド服姿だ。部室の外に連れ出す訳にはいかない。

結局朝比奈さんの教室を尋ねるしかないのだ。またハルヒの逆鱗に触れそうではあるが、その時は朝比奈さんに口止めするしかないか。
でも、そんなことをしたら余計朝比奈さんに怪しまれるような……。

ぐだぐだと考えているうちに、もう目の前では朝比奈さんのクラスのプレートがぶら下がっていた。
なるべく音をたてないように、そっと教室のドアを開ける。突然現れた見慣れない顔に、教室中の視線がこちらへ向いた。う、気まずい。

早急にここから立ち去るために朝比奈さんの姿を見つけようと見回すと、「あっ」と可愛らしい悲鳴が上がった。
声の上がった方に目をやると、鶴屋さんらクラスのお友達らしき人と弁当を囲んでいる朝比奈さんと目があった。
申し訳なさそうに会釈をし、こちらに来て欲しいとの意思を手振りで伝える。
クラスにいた男子の方々の俺を見る視線がきつくなったように感じられたのは、気のせいだと思いたい。

45: 2010/03/26(金) 01:25:17.79 ID:DgiZ3CuG0
「なんだいっ? うちのみくるに用があるなら、あたしを通してからにしてくんないかな?
 季節が悪いのか知らないけど、最近変な人がちょっかいかけてくることがそれはもう多くてさ、ちょっと困ってるんだよっ」

教室の外の廊下。冗談めかしつつ俺の前に立った鶴屋さんが笑うが、目が真剣だ。
この反応を見る限り、鶴屋さんは俺を知らない。まあ、大体予想はしていた。
親しくしていただいていた人に急に警戒される精神的ショックは置いといてだ。

「違います。別に俺は朝比奈さんのファン倶楽部の一員というわけでもないし、ちょっと興味が湧いたからお近づきになりたいとかいう
 不埒な理由でここまで来たわけでもありません。あの、朝比奈さん。俺のことは覚えてますよね?」

鶴屋さんの肩の向こうで、朝比奈さんがおびえつつもこくりと頷く。何故か既に涙目だ。妙な罪悪感に襲われる。

「俺の事、知ってますか? 俺が一昨日に部室に入った以前からです」

ふるふると朝比奈さんは首を横に振った。

「じゃあ、もう一つ質問させてください。あなたの……朝比奈さんの生まれた年は?」
「ふえ?」

朝比奈さんは不思議そうな顔をして俺を見つめた。そりゃ不思議に思うだろうな。朝比奈さんは俺の一学年上なだけなのだから。
容易に予想がつくはずだ。その反応だけで充分だった。

俺が一言お礼だけを言ってその場を立ち去ろうとすると、

「あっはははははは!」

急に鶴屋さんがお腹を抱えて笑いだした。そのリアクションに俺も朝比奈さんもぎょっとする。

「何それ、誕生日じゃなくて生まれ年かい! 面白いねーきみはっ、あまりにも純真だよ!」

46: 2010/03/26(金) 01:30:11.14 ID:DgiZ3CuG0
どうやら俺の質問が鶴屋さんのツボにはまったらしい。
朝比奈さんの誕生日を聞きたかったけど、そんな勇気もない。だから生まれ年だけを聞いたと解釈したってことか。それって純真というのだろうか?

「いーよいーよその謙虚さ! 最近の日本男児が忘れていた姿勢だねっ!」

鶴屋さんが俺の背中をばんばんと叩く。痛い。ハルヒ並の力強さだ。

「ま、きみが悪い人じゃないってことは分かったよ! みくる、みくるの生まれ年っていつだったっけ?」
「あの、ええっとええっと」

おどおどしながら朝比奈さんが答えたは俺の生まれる一年前の年だった。
これで決定的だ。朝比奈さんは未来人組織から派遣されてきたエージェントなんかじゃない。普通の人間だ。

「古泉のボードゲームの相手は、朝比奈さんがしてやってるんですか?」
「え? ああ、はい、たまにあたしが……って、ええっ?」

そうか、この人は組織の存在にも禁則事項にもしばられていない、笑顔でお茶を淹れてくれるSOS団専属のメイドさん。
俺がその恩恵を享受できないのが恨めしい。

「あの、時間とらせてすみませんでした。俺はこれで戻ります」
「ああ、またね少年っ。その清い心を大切に、道踏み外したりするんじゃないよっ」

俺は苦笑しつつ、会釈してからその場を離れた。鶴屋さんの弾けるような笑顔を見て心が救われる気持ちがした。
さらに鶴屋さんにつられて小さく手を振ってくれた朝比奈さんが見えて思わず感動の涙を流しそうになる。冗談じゃなく割とマジで。

47: 2010/03/26(金) 01:35:46.37 ID:DgiZ3CuG0


どうやら俺の周囲は思ったよりも割合良い人間に囲まれていたらしい。
別に嫌な奴ばっかりだと思っていた訳では無いんだが、そこはそれ、失って初めて気づくなんとやらだ。

だからこそ、俺は元の日常を取り戻したいと思う。
分厚いハードカバーを読んでいる長門を眺めつつ古泉とボードゲームで対戦し、ハルヒに時折振り回されつつも朝比奈さんの極上の緑茶で一息つく。
それが一番の、俺が望んでいる日常だ。

やれやれ、自分でもこれほどSOS団に愛着が湧いてたなんて思いもしなかったよ。
まあ、今さらそれを否定する気にもなれんがな。

少なくとも昼休み以前よりは明るくなった気分で自分の教室に戻ろうとすると、ちょうど俺の教室の前で珍しい奴に出くわした。
常に無表情を保っている――最近はそうでもなかったが――髪の短い小柄な少女。長門有希だ。

隣のクラスにいるのだから廊下でたまたま出くわしても不思議ではないが、今は昼休みだ。いつもなら部室で読書をしているはずなのだが……。
直立したまま真っ直ぐと俺の方を見ているが、正直挨拶するべきなのかどうか迷う。
俺にとってはよく知っている奴なのだが、向こうからすれば俺と初めて会ったのはつい二日前だ。
もしかして朝比奈さんに妙に気易く話しかける俺を見かけて問い詰めに来たのだろうか。ハルヒじゃあるまいし。

「今日」
はいなんでしょう長門さん。

「来て」
……なんだかすごく聞き覚えのある会話だ。一応聞いてみるか。何処にだ?
「わたしの家」
…………。

今は短い昼休みで辺りは喧騒に包まれているはずなのに、俺と長門の周囲だけ妙な静けさが取り囲んでいた。

49: 2010/03/26(金) 01:40:07.18 ID:DgiZ3CuG0
この長門、あの改変世界での内気長門より心の内が読めない。
長門との接触は今までに二回だけだ。俺が訳も分からず普通に部室に入った時と、昨日の昼休み。
突然現れたと思ったら再び部室を飛び出し、翌日再び現れ妙な質問を繰り返し、本棚をさんざ探しては勝手にがっかりしていった変人というだけなのに、
何故長門は俺を自宅に呼ぼうとしているのか。思考回路がさっぱり読めない。お前は本当にただの人間なのか長門。

「あなたは、気になる存在」

長門が俺を指差した。
傍から見れば、ちょっとした愛の告白に見えるだろうな。俺も相手が長門じゃなければそう解釈していたところだ。

「午後七時。光陽園駅前公園にて待つ」

これまた強烈なデジャヴの残る台詞を吐いて、長門は去って行った。
物静かなはずのに何故か嵐のような登場と去り方だ。長門の宇宙人属性が無くなると不思議っ子属性になるのだろうか。

廊下の真ん中に突っ立ったまま、俺はそんなことを思った。



81: 2010/03/26(金) 14:07:47.94 ID:15X/iccw0
あの後結局ハルヒはダウナーなオーラを放ったままで、俺との会話は一度も無かった。
朝比奈さんにまでちょっかいを出したと知ったらどうなるだろうか。考えるだけでも恐ろしい。
そんな一抹の不安を残しつつ一旦家に帰ると、私服に着替えしばらくゆっくりしてから駅前へ向かおうと思っていたのだが、
いてもたってもいられなくなった俺はまだ空が暗くならないうちに家を出た。

こうして着いたのが指定された時刻の一時間ほど前。
いくらなんでも早く来すぎたかなと思いつつも、入口に寄り掛かって忙しく駅に出入りする人々をぼんやりと眺めている俺だった。
流石に中へ入ることはしない。また昨日のあの光景を思い出すからだ。
なんだか、高校へ入ってから俺のトラウマは増えるばかりだな。沈む夕焼けを眺めながらなんとなくそう思う。

『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』

あの冬、改変が起こってから見つけた長門のヒントがこれ。今回のケースで考えれば、今日がその二日後だ。
最終期限。これを過ぎれば二度と世界が元に戻ることはない。あの時はハルヒの行動力に助けられたというほかなかった。なら今は?

今回栞は見つからなかったし、あれは長門が世界改変をし、なおかつ俺に判断を委ねたいがための緊急脱出プログラムだったはずだ。
だから今回長門のヒントが存在しなくてもおかしくはない。おかしくはないのだが、俺は内心焦らずにはいられなかった。
今日を過ぎれば、もう元の世界には戻れないかもしれないのに。俺の周りにヒントは何一つない。湧き立つもどかしさ。

「……焦ったって仕方ねえか」

深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。そうだ。まだ全ての希望が潰えた訳じゃない。
地面に視線を落とすと、視界の端に紺ソックスを履いた華奢な脚が見えた。顔を上げる。

「……よう、長門」

足音も気配も無かったことに関しては突っ込まないでおこう。
軽く手を挙げて挨拶をする。ノーリアクション。ちなみに今はまだ指定された時刻の三十分前だ。

83: 2010/03/26(金) 14:15:59.23 ID:15X/iccw0
「きて」

一言だけ言い放ってくるりと背中を向ける。……ついていくしかないか。何か手掛かりが見つかるかもしれないしな。
駅を行きかう人々に紛れた長門を見失わないように、俺は歩き出した。



マンションまでの道を辿る間、会話はなかった。周囲はもうすっかり暗い。

妙に蛍光灯が煌々と光る生活感の無い部屋。コタツ机を挟んで長門が向かい側に座っている。
目の前にはほうじ茶の淹れてある大きめの湯飲み。その向こうにいる長門は眼鏡をかけているわけでもないしおどおどしているわけでもない。

「それで……何の用だ」

この沈黙に耐えきれずにまず口を開いたのは俺だった。
こいつの家にまで来たって長門がはいヒントはこれですと提示してくれるわけでもない。
とりあえずなにか手掛かりをみつけようとホイホイと着いてきただけだ。何だかどうしようもないな俺。

「あなたは、何者」

無表情のまま長門がそこらへんの少年漫画でありがちな台詞を吐いた。
何者って言われても……ごく一般的な男子高校生であるとしか言いようがない。この場合は私は異世界人ですと答えた方がいいのだろうか?

「今日、朝比奈みくるがあなたが教室にやってきたと言っていた」

ハルヒの前でか。
「そう」

あちゃあ、やっぱり怪しさがどうなんて考えずに口止めをしておいた方が良かったか。
翌日ハルヒに会ったら烈火のごとく俺を怒鳴りつけるさまが目に浮かぶようだ。

85: 2010/03/26(金) 14:27:28.26 ID:15X/iccw0
「ハルヒは怒ってたか?」

長門がわずかに顎を引く。「でも」長門は続けた。
「朝比奈みくるは、同時に奇妙なことを言っていたと」

ああ、そりゃそうだろうな。一学年上の先輩に生まれ年はいつですか、だ。
鶴屋さんは遠慮してそう問うたと解釈したようだが、傍から見ればそりゃ奇妙に思えるだろうさ。

「そうじゃない。あなたは部室内の様子を知っていた」

部室内の? ……ああ、古泉のボードゲームの相手がどうって話か。
ただの興味本位というか、世間話のつもりで言っただけなんだがな。それがどうした。

「一昨日のあの一瞬では、関知し得ないこと」

確かにそうかもしれない。
あの時朝比奈さんはお盆を持っていただけだし、古泉はその朝比奈さんの淹れたお茶を啜っていて、ゲームボードなんてテーブルの上には置いてなかった。

ああ、そういえばここ最近朝比奈さんの緑茶を飲んでいない。この長門の淹れたお茶に文句がある訳ではないが、
朝比奈さんの手ずから淹れてくれる玉露を男子の中で一人占めしている古泉が妙に憎らしく思えた。

「古泉一樹が、時々向かいの校舎から覗いていたんじゃないかと言っていたが、いままでにそんな人間は見えなかった」

覗いただと? なんて失礼な野郎だ。俺はそこまで変Oじゃない。

「……ってちょっと待て。今までにそんな人間は見えなかったって、お前がいつも向かいの校舎を監視してたってことか?」
「監視していたわけではない。だが、覗いている人間がいれば窓際にいるわたしが気付く」

俺は閉口した。そうか、お前はそんな活字の海にいながらそんなことも出来るのか。
お前の目は一体どこにあるんだ。というか今のお前は本当に人間か。って何度目の質問だよこれ?

87: 2010/03/26(金) 14:35:50.32 ID:15X/iccw0
「何故、あなたは部室内の様子を知っているのか。答えて」

長門の視線が俺を射抜いた。それきり流れる沈黙。
何故知っているのかと言われたって、俺がSOS団の団員だからとしか答えようがない。
だがそれを言ってしまうとこれまであったことを全て話さなくてはいけなくなる。いや、いっそ全部ゲロしちまった方がいいのか?
しかし、俺はそこで一つの疑問に行き当たった。

「長門が俺をここに呼び出したのは昼休みだが、お前がその話を聞いたのは放課後だろ? なんでそれを知る前に俺を呼び出そうと思ったんだ」

長門は俺から目線を外さない。

「その事実がなくても、あなたが特異な存在に思えたから」

そう言ったきり、長門は黙った。なんなんだろう。こいつには異人センサーか何かでも付いているのだろうか。

俺が考えあぐねていると、部屋に呼び鈴の音が響き渡り、思わず俺は固まった。
この状況、呼び鈴を押した奴の正体が一人しか思い浮かばない。長門が立ち上がる。
やめろ。出るな。思わずそう引き留めたくなる。いや、本当に引き留めた方が良かっただろうか。
長門があの時と同じく呼び鈴を鳴らした相手に断りの言葉らしきものを話している。

しかし長門が悔しくも押し負けたらしくドアの鍵を開けた。嫌な予感しかしないが、逃げ場もない。
この間のように大人しくしていれば問題ないはず。なんだか銀行強盗に押し入られた銀行員のような気分だ。

「あら」

以前と全く同じ格好で鍋を掲げ持ちつつ靴を脱いだのは朝倉涼子。だが、その後ろにさらにもう一人。

「あれ? あなたは……」

88: 2010/03/26(金) 14:40:49.88 ID:15X/iccw0
なんでこの人がここにとも思ったが、こいつらの共通属性を考えればいるのも当たり前なのかもしれない。
セミロングの髪を揺らし、柔らかそうな雰囲気を放つのは、俺が出会ったインターフェース最後の一人であるところの喜緑江美里さんだった。

「なぜ、あなたがここにいるの? 不思議ね。長門さんが男の子を連れてくるなんて」

あの時と一字一句違わない台詞を吐くのはやめてくれ。

「あの、この人は?」
「あら、そういえば喜緑さんは知らないわよね。彼、あたしのクラスメイト。長門さんとお友達だったなんて知らなかったけど。
 こちら、喜緑江美里さん。あたしたちより一つ年上よ。実は、あたし達三人みんなこのマンションに住んでるの。
 みんな違う階なんだけどね。それで、同じマンションのよしみで仲良くさせてもらってるわけ」

喜緑さんがあの生徒会長の脇にいる時のような穏やかの微笑みを湛えて会釈した。反射的に会釈を返す。
予想外の来訪者だったが、初対面らしいリアクションからして恐らくこの人も普通の人間なんだろうな。

「それで、なんであなたがここにいるのかしら? もしかしてストーカー?」

断じて違う。俺が長門に誘われただけだ。

「それは」

長門が鍋を指差して言う。

「ああこれ? 肉じゃがよ。ジャガイモが安かったから、沢山作って喜緑さんと一緒に食べようかと思って持ってきたの。
 どうせ碌なもの食べてないんでしょう。ご飯ぐらいは炊いてあるわよね?」

朝倉がそう言いながら台所へ向かい、どかりとその大きな鍋をコンロの上に置いた。

89: 2010/03/26(金) 14:48:03.12 ID:15X/iccw0
「長門さん、食器を出してもいいですか」
「いい」

喜緑さんの事務的な問いに、長門が即答する。
喜緑さんはにこりと微笑むと食器の棚を開けて深皿をとりだした。非常に居づらい。帰るしかないのか。

「あなたはここにいて」

俺の心の中を読み取ったかのように長門が言う。そんなことを言われましても。
マンションの一室に美少女が三人と俺一人。それはもう居づらい状況だ。

そういえば今のSOS団も似たような状況なんだよな。古泉はあんな環境にいて周囲の男子から嫌がらせをされたりしないんだろうか?
映画撮影の時朝比奈さんにキスをしようとする場面があったというのに文化祭の後も平気な顔をしていたから、
特に何事もなかったみたいだし今も大丈夫なんだろうな。
畜生あのハンサム顔が今ばかりは羨ましい。俺だったら多分殺されてる。

長門が肉じゃがの皿を運びに台所へ向かう。

「遠慮すること無いわ。三人で食べるにしてもちょっと多すぎる量になっちゃったんだもの。
 ただしあなたがここにいる理由はちゃんと答えてもらわなきゃいけなくなるけどね」

台所の向こうで皿に肉じゃがをよそいながら朝倉が言った。どうせ言いたくないので帰ります、じゃ通じないんだろうな。
何もせずここに座ってるわけにもいかないので、運ぶのを手伝いに俺も台所に移動した。



90: 2010/03/26(金) 14:55:59.45 ID:15X/iccw0
湯気を立てる白飯やら肉じゃがやらが並んでいる食卓を囲んでいるのは、元宇宙人が三人と冴えない男子高校生が一人。
遂に宇宙人三人娘が揃い踏みか。あまりにもシュールな光景だ。

ここでもやはり明るく話すのは朝倉だけで、喜緑さんはそれにときたま相槌をうち、俺は話を振られたときに生返事をするだけ。
長門は黙々と飯を口の中に運び入れる作業を繰り返している。
あの冬の時ほどまでとは言わんが、なかなかに重苦しいようななんだか訳の分からん食事風景だ。

「おかわり」

ようやく長門が口を開いたと思ったら出て来た言葉がそれだった。はいはいと言いつつ何故かその空になった茶碗を受け取り台所に向かう朝倉。
なんだか親子みたいだなとは感じたが微笑ましく思うところなのかどうかは分からない。
喜緑さんは何故肉じゃがぐらいでと思えるくらい流麗な手つきで食事をしていらっしゃる。

そんな風景を眺めつつも俺は目の前にある飯をただ腹に詰め込むだけだった。
確かに朝倉の作った飯はうまいような気がしたが、飲み込んだ頃ににはもはやどんな味だったのか分からなくなっていた。

そんな苦行のような食事がこれまた一時間続き、ようやく朝倉が腰を上げる頃には俺の胃が鉛のように重くなっていた。
長門は俺の倍近くの量を食べているはずなのにけろりとしている。
四人で食うには多すぎると思った鍋の中身はほとんど無くなっていた。本当にこいつが普段ろくな食事を摂っていないというのは事実なのだろうか?

「じゃあ、あたし達はもう帰るわね。余った肉じゃがは朝ごはんにでもしてちょうだい。鍋は今度取りに来るから」

喜緑さんもそれに倣って席を立つ。俺も帰らせてもらおう。恐らくここにいても、もう何も掴めない。

「じゃあな、長門」

朝倉と喜緑さんが戸口を出るのに続こうとすると、

「待って」

91: 2010/03/26(金) 15:03:40.11 ID:15X/iccw0
振り返ると、直立不動で俺を見上げる長門。
流石に袖は掴まれないか。って俺は何を期待しているんだ。

「今度、ちゃんと返事を聞かせて」

相変わらずな無表情の長門の言葉は、本当に愛の告白みたいだった。



「何? まさかあなた、長門さんに告白でもされたの?」

マンションの部屋を出ると朝倉がくすくすと笑っていた。盗み聞きとは、あまり感心しないな。

「同じマンションに住んでるんだもの。気にかけて当然だわ。長門さんに男なんて出来たら、
 それこそ天変地異の前触れと考えてもおかしくないんじゃないかしら?」

確かにそう思う気持ちは分かる。だがな、あいつは感情の無い人形なんかじゃないんだ。それこそ誰かを好きになったりすることだってあるだろう。
長門は長門でSOS団に愛着があるみたいなふうだったしな。その相手が俺かというと疑問しか残らないが。

「羨ましいですね。異性だとか、告白だとか」

喜緑さんがふふ、と笑う。なんだかこの人の人間らしい笑みを見たのは初めてのような気がする。
だから、愛の告白とかそんなんじゃないですって。

「何言ってるのよ。喜緑さんだって彼氏がいるじゃない。コンピ研の部長さんなんだっけ?」

「それは昔の話です。あの人とはずいぶん昔にお別れしました。
 今は、そうですね。良き友人としてお付き合いさせてもらっています」

92: 2010/03/26(金) 15:10:19.96 ID:15X/iccw0
なるほど、そういうことになっているのか。
ところで、喜緑さんというのは素でこれほど丁寧な人なのだろうか。本音が全く読めん。

「それじゃ、おやすみなさい。朝倉さん、晩御飯ごちそうさま」

そう言ってエレベーターで喜緑さんが降りたのは六階だった。
ちょうど長門と朝倉の間か。この配置に意味はあるのだろうか? 深く考えてもどうせ無駄にしかならないが。

「うん。それじゃあね」

朝倉が手を振る。俺が軽く会釈をすると、喜緑さんは薄く微笑んで、エレベーターの扉の向こうに消えた。

「良い人よね、喜緑さん。彼女、生徒会の書記もやってるのよ」

それは知ってる。何度も生徒会長の隣に佇んでいるあの人を見たことがあるからな。

「あたしも生徒会入ろっかなあ。なんか、あたしの頑張りでみんなが笑ってくれると、とっても嬉しくなるのよね。
 あなたは、みんなを引っ張っていきたいとか思ったこと無いの?」

無いな。俺はクラスの構成員の一人と言うだけで充分だ。
というか、すぐ近くに人を引っ張るどころか振り回しまくる人間がいるから、そういう立場になりたいと思ったことも無い。

「へえ、もったいないなあ。まあ人には向き不向きってものがあるものね」

そりゃどういう意味だよ。
気がつけば、エレベーターは一階までたどり着いていた。もうすっかり遅くなっちまったな。
晩飯を食べてきたと言ったら相当親に怒られそうな気がするが……。

そこまで考えて俺はようやく気付いた。隣にいるのは朝倉。

94: 2010/03/26(金) 15:17:05.13 ID:15X/iccw0
「……どうしてお前がここにいる」

お前の部屋は五階だろう。そう問うても、朝倉は微笑むだけだった。

「まあいいじゃない。ちょっとあなたと話したいことがあるの。途中まで送ってくわ。
 それとも、男女が逆なのが気に入らないかしら?」

そう言って朝倉は、ふざけたように笑った。



街灯によって点々と照らされているだけの道を歩く。初夏だというのに随分な冷え込みだ。

「なんだよ、話ってのは」
朝倉と暗い夜道で二人きり。身の危険を感じずにはいられなかった。これも男女逆か?

「あのさ、長門さんの事どう思ってる?」

朝倉は街灯の光に集まる虫に視線を眺めながら言った。

「どうって……」

文芸部の部長にしてSOS団のメンバーでもある情報生命体製アンドロイド。
SOS団で最も頼りになる存在であり、二度もお前が向けた刃から俺を守ってくれた。
真っ先に思いついたのはそれだったが、こいつを目の前にしてそんなことは言えなかった。

「あの娘さ、ちょっと表情が乏しいところがあるじゃない?
 そのせいか他人に誤解されやすかったりするんだけど、根はいい子なの」

ああ、それは身に沁みるほどよく分かってるともさ。

95: 2010/03/26(金) 15:25:41.38 ID:15X/iccw0
「でもさ、時々寂しくなるわけ。だって、いっつも無表情なんだもの。
 長門さんにも長門さんなりの考え方とか、感情があるのは分かってるんだけどね。あなたは、どう思う?」

そんなこと言われたって、長門は長門だ。どうもこうも無いだろう。
朝倉は考え込むようにうーん、と唸ると、長い髪を夜風になびかせながら言った。

「じゃあさ、あなたはどの長門さんが好き?」

どの、とは?

「だからさ、あなたは情報統合思念体によって生み出されたインターフェースの長門さんと、冬のあの感情豊かな長門さん、
 それと以前の性格をそのまま残して人間になった今の長門さんのどれが好き?って聞いてるの」


しばらく朝倉の言葉の意味が理解できなかった。というか脳が処理することを拒否したという方が近い。
朝倉は先ほどと全く変わりない笑みを浮かべている。何言ってんだこいつ? 今なんて言ったんだ?

その意味を理解した瞬間、俺は反射的にその場から飛びすさっていた。

「もう、鈍いなあ」
「てめっ……いつから!」
「いつって? 最初からよ。この世界の情報が書き換えられた瞬間から、あたしは存在を許されここにいるの」

朝倉が飛びのいた俺に当たり前の顔をして歩み寄ってくる。

「く、来るな!」
「ふふ、安心していいわよ。この世界に情報統合思念体は存在しない。だからあたしも今は普通の人間。
 あなたが想像するような宇宙的な力はなんにも使えないわ。もちろん、あの二人もね」

だからといって懐からナイフを取り出してこないとは限らないだろ!

96: 2010/03/26(金) 15:30:41.86 ID:15X/iccw0
「あら、そんなことを心配してるの? 言っておくけどあたしは何も武器を持ってないわよ。
 別にあなたを頃すためにこの世界に存在してるわけじゃないの。勘違いしないで」

朝倉が両手をあげて溜め息を吐いた。やれやれ、とでも言わんばかりに。
ふざけんな。だからと言ってはいそうですかとぽんぽん受け入れられる訳が無い。
なんでお前がここにいる? 存在を許可されただと? 一体誰に。

「ねえ、そんなに怯えるのやめてよ。あたしにあなたを頃す意思なんて無いんだから、誰かに見られたら厄介だわ」

気付けば朝倉が目の前に迫ってきていた。
北高のセーラー服にはあんなゴツいものをしまえるようなポケットは付属していないし、
宇宙パワーが使えないのなら目の前でナイフを生成することもかなわないだろう。
長門や喜緑さんの様子を見ても思念体が存在しない世界であることは確実だ。

本当に今のこいつには殺意が無いのか?

「ほら、歩こ。ま、殺意が無いというより、手出しが出来ないと言った方が正しいわね。おまけに長門さんはあんなだし。
 あたしはただのクラスの委員長で長門さんのお友達。本当に退屈だわ」

手出しが出来ない? 改変した奴から強制力でも行使されてると言うのか。

「んー、平たく言えばそうね」
「一体どこのどいつが世界を改変した? 答えろ」

朝倉はパソコンの使い方を分かってないジャングル奥地の原住民を見るような顔でくすりと笑うと、

「そんなことあたしが知るわけ無いでしょう。あたしはただ再構成されただけ。何も関知してないわ」
と髪をかき上げながら言った。

99: 2010/03/26(金) 15:35:29.67 ID:15X/iccw0
それだけ分かれば十分だ。お前はもうマンションに戻ってくれ。
いくら何も持っていない、丸腰と言えど俺は二度も殺されかけた奴と仲良く人気の無い夜道を歩くつもりは毛頭無い。

「あら、もういいの? 全くヒントが見当たらない今、元の世界を取り戻す手掛かりになり得そうなものはあたししかいない。違う?」

からかうような笑みを浮かべる朝倉。畜生。全て見透かされている。俺は舌打ちするのを我慢しなかった。

「……お前は、誰だ?」

俺は一番に沸いた疑問をぶつけた。
情報統合思念体の急進派から派遣されたヒューマノイド・インターフェースなのか。それともあの時と同じく長門の影役か。それ以外か。

朝倉は目を軽く見開いた。

「何それ? とっても興味深い質問ね。流石、涼宮ハルヒが新たに世界を創造しようとした時、唯一存在を許された人間ってとこかしら。
 そうね、あえて言うなら、その全てがあたしであってあたしじゃ無いってとこかしら?

 どのあたしも、この広大な宇宙をたゆたう情報統合思念体を構成する一部の情報が切り取られ、肉体という器を与えられて地球上に構成された。
 再構成される際に、一人の人間、朝倉涼子として成り立たせるために記憶等の情報が与えられたの。
 違う有機生命体ではあるけれど、記憶も考え方も一致しているわ。ちゃんと情報としてあたしの中にあるの。
 長門さんに情報連結を解除された記憶も、あなたのお腹に穴をあけた記憶もね?」

朝倉はクラスの女子と談笑するのと変わらない調子で答えた。途端にあの時の記憶がフィードバックして腹が痛んだ。悪趣味も大概にしろ。
よく分からんが、とにかく今までに出会った朝倉は全て同一人物と考えるのが妥当なのか。

「でも、そう考えるとだんだん犯人が絞り込めてくるんじゃないかしら。ここには情報統合思念体が存在しないからまず除外。残る候補は誰?
 ――あなたの頭に、二人の女の子が浮かんできたんじゃないかしら」

俺はまた舌打ちをした。朝倉の全く言った通りになったからだ。
朝倉は顎に細い指をあてた。まるで放課後どこで遊ぶかを考える女子高生みたいに。

102: 2010/03/26(金) 15:41:13.93 ID:15X/iccw0
「まずは涼宮ハルヒね。動機や改変後の状況から察するに、あなたより古泉くんの方が良くなって邪魔なあなたをSOS団から追放した。
 古泉くんと話している時間が一番長いのはあなただものね。どうかしら?」

俺はそれを鼻で笑った。それこそあり得ない。
前述した通り、ハルヒがそんなことを考えていれば改変が起こる以前に俺が気付く。

「まあそうよね。もしそうなら涼宮さんはあなたを他校に転校させるぐらいやりそうだから。同じクラスにあなたを置くはずがないわ。
 じゃあ残る一人は?」
「……長門はこんなことしない。それは俺が一番よく分かってるさ」

そうだ。長門はもう、そんなことはしない。そう確信できる。
朝倉はテレビ番組でも見てるみたいに笑うと、

「涙ぐましい友情ね。ならこう考えたらどうかしら。

 長門さんはあなたが好きなのよ。でも同じSOS団にいるっていうのに、あなたは朝比奈みくるばかり見ている。それに涼宮ハルヒも邪魔。
 だからいっそ、あなたをSOS団のメンバーじゃないということにしてしまった。
 必然的にあなたはメンバーとコンタクトを取ろうとするけど、涼宮さん達のあなたとの記憶は消し去ったからあなたは簡単にあしらわれ、
 挙句の果てに異常者扱いをされてしまうの。そこに現れたのが宇宙人なんかじゃない、人間の長門さん。
 涼宮さんに敵意を向けられ、傷ついたあなたを癒すために長門さんは自分のマンションへ呼んだの。

 つまり、これはあなたを籠絡するための巨大な装置なのよ。そしてあたしはそのために必要な駒。
 あたしは、あなたと長門さんの間を取り持つために再構成されたの。
 一見馬鹿馬鹿しく思えるけど、実に長門さんらしい行動ね。あの娘、ああ見えて一途だから」

ああ。実に馬鹿馬鹿しいな。あり得ないにもほどがある。
もし、万に一つとしてあり得ないとしてもだ。もし長門が俺に好意を寄せていたとしたら、それこそハルヒと俺を引き離しそうなもんだろ。あの冬みたいにな。
それをしないってんなら、長門だってこの改変の犯人候補から外すことができる。

朝倉がくすりと笑う。さっきから笑ってばかりだが、何がそんなにおかしいんだ?

103: 2010/03/26(金) 15:46:08.19 ID:15X/iccw0
「分からないの? 長門さんはあなたをものにしたいという気持ちがあったけど、
 同時にあなたを世界改変に巻き込みたくないっていう気持ちも存在してたのよ。
 だから、涼宮さんをこの学校から追放することが出来なかった。あなたの気持ちを尊重したいけど、同時にあなたを手にしたいという気持ちもあった。

 ふふ、なんていじらしい長門さん。そんな長門さんの気持ちを無下にしようとするなんて、あなたの良心は痛まないの?」

そんなこと、有機生命体の氏の概念が理解できない奴に言われたくない。
大体お前はどこまで知ってるんだ? 一年前、ハルヒが世界を造り変えようとした事件の数日前にお前は消滅したし、
その後の再会も改変世界における数日間だけで終了したはずだ。

「それが不思議なのよ。何故かあたしが再構成された時、この一年であなた達に起こった出来事があたしに情報として与えられていたの。
 どうしてなのかしら。情報を与えたのは一体誰だと思う?」

……そんなまさか。
長門が再び世界を造り変えようとするなんて有り得ない。
あの時俺は決意したんだ。もう長門に負担をかけまいと。長門ばかりを頼りにするのはもうやめようとな。

「手掛かりの無いこの状況で、『有り得ない』の一言で一つの可能性を勝手に潰してしまうのは、あまり賢い選択には思えないけど」

朝倉は相も変わらず笑っている。
違う。騙されるな。大体朝倉はなんでこんな話を俺にしているんだ?
恐らくこの改変が修正されれば朝倉はまた消滅する。俺を真実に近づけてしまえば、自分の寿命を縮める事にしかならないんじゃないか……?

いや、こいつらに寿命なんて概念あるはずがない。
じゃあ何のために? 分からん。こいつの真意はなんだ。錯乱か、裏切りか。

105: 2010/03/26(金) 15:51:25.24 ID:15X/iccw0
「あ、涼宮さんに古泉くんだ」

気付けば、もう駅前に差し掛かっていた。
店の看板やら、駅の照明やらが光っている。朝倉の視線を追うと、駅の入り口に言葉通りの二人がいた。
朝倉がおーい、と手を振る。正直、余計なことをしやがって、と思った俺を誰が責められるだろうか。

「あら、朝倉? 偶然ね。それに……」

ハルヒの視線が一気に険しくなる。
目が合う前に、この場から逃げ出しちまえばよかったんだ。

「あんた、みくるちゃんにまでちょっかい出したって本当?」
「……ああ」
「そういえば、有希にも変なことを聞いてたみたいね」

 ああ、何も言い返せないな。

「何が目的なの? うちの団員をどうこうして何をするつもりなのよ!」
「涼宮さん、落ち着いて」

傍らにいた古泉がハルヒをなだめる。

「確かに変なことを聞かれはしましたが、何も変なことはされてませんから。僕も朝比奈さんも、長門さんも」
「あら、あなた古泉くんにセクハラでもするつもりだったの?」

朝倉が茶化すようにそう言った。てめえ、その空気の読めなさはわざとなのか?

107: 2010/03/26(金) 15:56:24.89 ID:15X/iccw0
朝倉は笑みを絶やさず続けた。

「それにあなた達、こんな遅くまで遊んでたの?
 明日が土曜日だからって、あんまりはめを外しすぎたら駄目よ。補導なんかされたらおおごとだわ」
「あんた達だって他人のこと言えないでしょ。こんな時間まで何してたのよ」
「んー、まあ色々と相談事を受けてたのよ。色々と……ね?」

そう言って朝倉は俺に視線を寄越した。色々ってなんだよ。
ハルヒはそれを聞いて一層視線をきつくした。古泉は呆れたような目で俺を見ている。何だその目は?

「もういい。こんな奴に構うことないわ。行きましょ古泉くん」

ハルヒが怒り顔で背中を向けて歩き出す。それにつき従う古泉。
だが、それを見て何かが頭に引っ掛かった。
既視感が頭をかすめる。以前にも、似たような光景を見たことがある気がした。

「おい、待ってくれ」

反射的にそんな台詞が口をついて出た。だがハルヒは振り返らない。
なんだ。妙な切迫感が俺を襲う。前にもあった、この状況。

……そうだ、目の前の二人は北高の制服こそ来ているが……あの時と、冬の時と同じだ。
二人が一緒にいて、ハルヒは俺を睨んでいて、古泉が呆れたように笑っている。

そうだ、あの時俺は何をした?
俺は長門のヒントを探そうとして、三人とコンタクトを取ろうとして……
そうだ。まだやってないことがまだあるじゃないか。なんでこんなことを忘れていたんだ。

まだ何も話してない。
ハルヒに、俺の……ジョン・スミスの事を話していない。

108: 2010/03/26(金) 15:58:30.96 ID:15X/iccw0
二人の背中がだんだんと小さくなっていく。

「ま、夜遊びもほどほどにね。あたしも帰るわ。じゃあね」

朝倉が俺に手を振る。長い髪がそれに合わせてなびいた。
そうか、もしかして……もしかしてお前こそが、長門の用意した緊急脱出装置そのものだったのか?

「ハルヒ!」

精一杯の俺の叫びが構内に響く。
駅中の雑踏に紛れそうになったその瞬間、ハルヒが嫌そうに振り返ったのは、いわゆる神様の御慈悲ってやつだったのだろうか。

「お前に……話したいことがあるんだ」

とても重要な。世界にかかわる話。
きっと俺は怖かったんだ。ハルヒが、これ以上俺に対して厳しい視線を送るのが。『団員を守ろうとする団長』という立場を見せつけられるのが。
だからハルヒに話すことを拒否していた。

朝倉はくすりと笑って背を向けた。今だけなら言ってやってもいい。

「ありがとよ……朝倉」

誰にも聞こえない程の音量で、俺はそう呟いた。



109: 2010/03/26(金) 16:03:32.73 ID:15X/iccw0
「で、何なのよ話って」

俺達、というか俺とハルヒと古泉の三人は、駅近くのファミレスまで来ていた。いつもの喫茶店はとっくに閉店時間を過ぎている。
コーヒーが三つ並んでいるテーブルの向こう側に座るのは微妙な笑顔を浮かべる古泉と、腕を組んで俺をねめつけるハルヒ。これまたあの冬を思い出す構図だ。

とにかく、言わなくては。これは賭けだ。朝倉が提示してくれたチャンスを、逃すわけにはいかない。
意を決して俺は口を開いた。

「ハルヒ………俺は、ジョン・スミスだ」

それきり流れる沈黙。ハルヒは不機嫌顔のまま動かない。

「……何それ。冗談のつもりで言ってんの? あたしにはあんたは立派な日本人にしか見えないけど。
 それとも日系? 学校で名乗ってるのは偽名なわけ?」

憮然としてそう聞いてくる。

「……四年前の七夕。お前は落書きしなかったか? 中学校の校庭に、でかでかとけったいな絵文字を」
「そんなことしてないわ。確かに、あたしは中学のときに宇宙人に会おうと色々試したわよ。
 机をだして教室を空にしてみたり、屋上に星のマークをペンキで大きく描いてみたり。お札を作って貼ってみたこともあったわ。
 それぐらいあんたもあたしと同じ中学の奴から聞いてるでしょ?
 でも校庭に落書きなんてしてない。第一、中学生のあたし一人でそんなこと出来るわけないわ」

それを聞いて俺は固まった。

……なんてこった。ここまで改変の影響が及んでいるとは思わなかった。こいつはジョン・スミスを知らない。
それはつまり、ハルヒにここは改変された世界だと証明できないということだ。

だが絶望するにはまだ早い。確かにハルヒに改変への決定的な確信を与えることは出来ないだろう。
だが俺はやれることは全てやろうと決めたんだ。ここで引き下がるわけにはいかない。

110: 2010/03/26(金) 16:10:30.90 ID:15X/iccw0
「ならハルヒ、確かSOS団は『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』の略、だったよな」
「そうだけど……古泉くん、もしかしてこいつに教えた?」
「いえ、記憶に無いですが……もしかしたら長門さんか朝比奈さんが教えたのかもしれません」

古泉が即座に答える。なんだかハルヒの秘書みたいだな。

「……で、それがなんなのよ」
「その言葉は、お前が考えたものじゃ無かったはずだ。誰かに言われた言葉……じゃないのか?」

ハルヒは俺に送り続けていた険しい視線を外すと、眉をひそめた。

「うーん……? 確かに誰かに言われたような……でも…違うわ。確か転校してきた古泉くんをみんなに紹介したときに何となく思いついたのよ。後付けだけど」

やはりこれぐらいじゃ駄目か。だがまだ手が無い訳じゃない。

「じゃあこれはどうだ。お前は入学してきて一ヵ月ぐらいの間、いろんな部活に仮入部しまくってたよな」
「そんなこと、誰でも知ってることじゃない」
「お前は言ってたよな。面白い部活が全然ないって。普通な部活ばっかりで、変なクラブなんて一つも無い、ってな」
「だからなによ」

ハルヒはイラつきを隠そうともせずに再び俺を睨みつけた。

「そこで設立したのがSOS団。だがそれを思いつくのにきっかけがあったはずだ。多分お前は覚えていないだろうが」

 ハルヒが再び考え込んだ。

「……そうだわ。あたし、なんにも面白い部活が無くって、北高に入ったのを後悔して……そこで、SOS団を………
 あー何よもう! たった一年前の出来事のはずなのに頭がもやもやするわ」

111: 2010/03/26(金) 16:16:14.59 ID:15X/iccw0
やっぱり。
この改変は、四年前というえらい過去まで影響を及ぼしているはずなのに、色々と甘い。
"設定"と記憶を書き変えただけの、いい加減な改変としか言いようがない。この違和感。ずっと前にも感じたことがある。
ハルヒの瞳が真剣な色に変わった。

「……前から思ってたんだけど、あんた、時々変なこと言ってたわよね。
 あたしのことを前から知ってるみたいに言ったり。……いい加減、その真意を教えてくれないかしら」

ハルヒがニヤリと笑った。まるで、とんでもなく面倒くさいことを思いついた時みたいに。



それから俺はハルヒに入学からこれまであったほぼ全てを語った。
流石に二度目ともなれば俺の説明も随分要領を得たもんだ。
といってもあの冬から半年以上たって、これまでに未来人からの謎の指令をこなしたり敵対組織が現れたりと色々あったわけで、
俺が全て話し終える頃にはまだ制服姿でいる目の前の二人を訝しげに見るサラリーマンやらカップルやらが多くなっていた。

「……で、今あんたは誰かに変えられた世界を元に戻すために走り回ってるわけ?」
「ああ、そうなるな」

ふーん、と空になったコーヒーカップの中身を覗くハルヒ。

「有希が宇宙人で、みくるちゃんが未来人、古泉くんが超能力者、かあ……」

そしてお前が、自由に環境情報を操作できる、機関で言うところの神に近い存在、というのは流石にぼかさせてもらったが。

「なんだか、あたしの空想をそのまま現実にしたような世界ね。
 その世界を取り戻すために、うちの団員に妙な質問をしたり何度も教室を飛び出したりしてたってことなの?」
「そうだ。色々と迷惑かけてすまなかったな」

112: 2010/03/26(金) 16:25:05.33 ID:15X/iccw0
ハルヒは考え込むようにカップの底を睨みつけると、

「うん、でも、繋がったわ。今まであんたが見せた変な態度。全部意味があったのね。納得いったわ」
「……信じてくれるのか?」

この世界にはジョン・スミスがいない。決定打の欠ける説明には違いなかった。

「まあ、確かに信じられないっていう思いの方が強いけど……でも」

ハルヒは顔を輝かせて、

「そっちのほうが断然面白いに決まってるじゃないの!」

と、大輪の花を咲かすような笑顔を見せてくれた。ああ、やっぱりな。
お前ならそう言ってくれると思ってたよ。



「となればまずはあんたの言う元の世界に戻るための手掛かり探しね!
 ちょうどいいわ。明日は不思議探索の日だし、キョン。あんたも来なさい」

一応聞いておこう。どこにだ?

「駅前よ! 明日の朝九時、北口駅前に集合ね。
 言っとくけど、ただそこら辺をぶらぶらするだけのお遊びのつもりで集まってるんじゃないんだから。遅れたら承知しないわよ」

なんと驚きだ。今までの不思議探索はただそこら辺をぶらぶらするだけのお遊びじゃなかったのか。

113: 2010/03/26(金) 16:31:42.13 ID:15X/iccw0
「じゃああたしは帰るから! じゃあね!」

そう言ってハルヒは台風のようにその場から去って行った。残されたのは俺とゆるゆると手を振るニヤケ面。



「よく、あそこまでの話が作れましたね。こんなところにいるより、小説家でも志した方がよろしいんじゃないんですか?」

今までずっと黙って俺とハルヒの様子を眺めていただけの古泉がようやく口を開いたのは、会計を済ませて店の外へ出てからだった。
ちなみに俺はちゃんと自分のコーヒー代は支払ったぞ。ハルヒの分は当然のごとく古泉持ちだったが。

「嘘なんかじゃないさ。まさか信じてもらえるとも思わなかったが」
「あそこまで自分の体を使って伏線を張りまわっていれば、信じたくもなるでしょう。
 それに、涼宮さんはずっとそんな不思議な出来事を望んでいましたから」

古泉は表情だけは笑みを形作っている。
ああ、確かに俺が取り乱しまくっていたこともあるだろうな。思わぬところで事がうまく運んだみたいだ。

「それにですね、僕にはあなたが涼宮さんの考えていることを聞き出し、それに合わせて話を創作したようにしか思えないんですよ。
 あまりにも、あなたの話は涼宮さんにとって理想を体現しすぎている。
 そこまでしてSOS団に入ろうとする理由をお聞かせ願いたいものです」

古泉の目は何処までも厳しいものだった。確かに俺の話を創作だと疑う気持ちも分かるが、いくらなんでも酷すぎないか?
昨日のアホみたいなことを質問されてもとりあえずニコニコしながら丁寧に答えてくれていた古泉は何処へ行ったんだ。

114: 2010/03/26(金) 16:34:57.94 ID:15X/iccw0
「とにかく、今度の不思議探索が終わったら涼宮さんに近づかないでください。いいですね」
「……ああ、分かった」

古泉が背を向ける。

「お前、嫉妬してるんだろ」

 足が止まった。振り返る動作が無駄に絵になっていていちいち癪に障る野郎だ。

「……ええ、そうですよ。僕は嫉妬しているんです。
 涼宮さんと同じクラスとは言え、いきなり僕達の目の前に現れて涼宮さんをそそのかしているあなたにね。目的は何なんですか?」

いかがわしいとはなんて言い草だ。俺は別にやましい理由があってハルヒにこの話をしたわけじゃない……とは思ったが、俺が驚いたのはそこじゃなかった。
まさかお前、本当に俺に嫉妬してんのか? 正直冗談のつもりだったんだが。

「……なんでそんなにニヤけているんですか」

古泉が顔をしかめる。ああ、この改変世界に来てから意外な奴の意外な表情を何度も見る機会があったが、その豊富さではお前が一等賞だぞ古泉。
まさかそこまでお前が感情をあらわにすることがあるとは思わなくてな。
普段から笑ってばかりで、長門の無表情をそのまま笑顔にしたようないまいち何を思ってんのか読めない奴だとは思っていたんだが、
やっぱりお前も俺や長門と同じくハルヒとの出会いで変わっていたというわけだな。まさかここまでとは思わなかったが。
常に感情を隠すこともしないハルヒに知らぬ間に毒されたのか?

しかしそれと同時に、その感情が誰かによって作り出されたものだというのが複雑でもあった。

「何でもねえよ。ハルヒには手出しするつもりはないし出したくもないさ。それより、明日の不思議探索。よろしく頼むな」

115: 2010/03/26(金) 16:36:10.84 ID:15X/iccw0
そんな俺の表情をどう思ったのか古泉は訝しげに俺を見遣ると、

「……分かりました。それでは、おやすみなさい」

そう言って駅の中に吸い込まれていった。

やれやれ、これでとりあえずやれることは全部やったつもりだ。これで駄目だったら……まあ、その時考えればいいさ。悪い方向へと考えても仕方ない。
その場で一つ溜め息をついて、俺はそこを後にした。

家に着いた後、こんな時間までどこに行ってたのかと親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。




116: 2010/03/26(金) 16:38:02.63 ID:15X/iccw0
翌日の七月五日。

今日で改変が起きてから三日ほどの日数が経過しており、ここ最近ろくに睡眠をとれていないため折角の休日ぐらいゆっくりと寝ていたかったのだが、
今日はいよいよ不思議探索の日だ。惰眠をむさぼっているわけにはいかない。
ずっしりと鉛のように重い頭をあげてベッドから降りる。

「キョンくん、あっさだよー!」

ドアが勢い良く開いて、泥沼にはまったような意識に氷を投げつけるような甲高い声が耳に飛び込んできた。
相変わらず元気だなこいつも。

「ってあれー? またキョンくん、ちゃんと起きてる。つまんないのー」

そう言ってとことこと未だ惰眠をむさぼっているシャミセンの所へ向かい、不服そうな鳴き声にも構わず無理やり抱き上げ、何処かへ連行していった。
そういえば、シャミセンに話しかけてないな。流石に喋らんとは思うが、不思議探索から帰ったら話しかけてみることにしよう。
また変人扱いされたってもう知らん。藁が掴めなかったら水面を滑る枯れ葉だって掴んでやる。

動かない体を叱咤してようやく身支度を終え、いつもの集合場所の五分前に到着するとハルヒがこちらを力強く指差し、
「遅刻、罰金!」という懐かしささえ感じる台詞で迎えてくれた。何故か安心してしまったような気がするのは気のせいだと思いたい。



118: 2010/03/26(金) 16:45:32.02 ID:15X/iccw0
「ってことでキョンの言う異世界の手掛かり探しをするわけだけど、広範囲に探してみたいから今日は組み分けナシね! 異論はあるかしら?」

ハルヒがアイスティーをずずずと音を立てて飲み干し、そう言った。
ちなみにここはSOS団が組み分け等をするためにいつも入っている喫茶店だ。お代は当然俺持ち。
後で聞いたところによると、その前はなんと古泉が毎回毎回代金を支払っていたらしい。
なんともご苦労なこった。いつも俺の到着する五分前に来ているというのは本当だったのか。
だが、毎回組み分けを行っていたということは、もしや毎週こいつはこの三人の誰かとデートしてたってことになるのか? そう考えるとやはり同情などいらん。不要だ。

「いい、伊勢……?」

古泉は事情把握済みであり、長門も無反応だったので驚いたのは朝比奈さんだけだった。
ああ、朝比奈さん、それと一応長門にもあの長い事情説明をしなきゃならんのか。凄く面倒くさい。誰か本にでもまとめて渡してくれないだろうか。

「異世界よみくるちゃん。このキョンはね、別の世界から来た異世界人なの」

ハルヒがそれで十分とでも言うように腕を組んだ。正確には違うんだがな……。
対する朝比奈さんはやはりさっぱりなようで、高速道路の中央分離帯に迷い込んだ小学生でも見るような目で俺を見て首をかしげている。
すみません、詳しい説明は後回しでもいいですか。

「しかし涼宮さん、広範囲に探したいというならまとまって行動するよりやはり組み分けした方がよろしいんじゃないでしょうか」

古泉がいつものニコニコ笑顔でそう問うた。こいつは昨日とは一転して爽やかさを辺りにまき散らしている。
なんだかいつもより一層憎らしく思えるのは気のせいだろうか。

「まあ確かにそうなんだけど、今日は電車とかに乗って色んなところを探してみたいのよ。そうするなら、やっぱりみんなで団体行動した方がいいと思ってね。
 で、キョン! あんたの言うヒントってのはどんなやつなの?
 どっかにあんたの世界へ繋がる時空の裂け目みたいなものがあったり、何処か特定の場所に行けば異世界からの信号が受信できたりするわけ?」

ハルヒの期待してるようなもんは恐らくないが、もしかしたら何処かに宇宙人からのメッセージがあるかもしれないな。

120: 2010/03/26(金) 16:53:09.60 ID:15X/iccw0
「ああ、あんたの世界では有希が宇宙人なのよね。つまり有希からのメッセージを探せばいいわけ?」
「大体そうなるな。明朝体で書かれた謎のメッセージやらがあれば多分それだ」
「うんうん、なるほどね」

ハルヒは何か企んでるような顔つきで頷いている。本当に分かってんだろうか?
そして腕をぴっと上げて、

「じゃあ、異世界へのヒント探し開始っ!」

そう100ワットの笑顔で宣言した。



そのハルヒの宣言の後俺達はぞろぞろと駅へ向かい、ハルヒの先導のもと私鉄に乗ってあっちゃこっちゃ行ったり、
バスに乗り込んで滅多に行かないような市内のはずれまで行ってみたりしたわけだが、結論から言おう。
結局何も見つからなかった。

長門の文字で書かれたヒントなんて何処にも無かったし、あちこち探し回る他にも
ハルヒの思いつきで家具屋にある全身鏡で合わせ鏡に挑戦したり(店員の目が非常に痛かった)、
寂れた団地のエレベーターを使って色んな階に行ったり来たりしてみたが結局何も起こらなかった。
ハルヒいわく有名な異世界へ行く方法らしいがこれは一体何の意味があるんだろうか。

「…………」

夕暮れの最初に集合した駅前で、ハルヒはいかにも不服ですといった感じで黙りこくっている。
というか誰もこの場で明るく話す奴などいない。移動ばかり繰り返したせいで非常に疲労が溜まっているのだ。

駅前はそんな俺達の空気にそぐわない賑やかさを見せていて、特に七夕の祭りらしい祭りがあるわけでもないのに、
笹だの妙にひらひらした飾りだのが街灯やら街路樹やらに飾り付けられている。そうか、もう明後日は七夕か。

121: 2010/03/26(金) 16:58:58.58 ID:15X/iccw0
「誠に残念ですが、そろそろ夕暮れです。今日の所はお開きにして、またヒントを探しに出かけてはいかがでしょうか?」

無駄に重苦しい空気の中、その沈黙を破ったのは古泉だった。流石の古泉にも笑顔の中に疲れが見え隠れしている。
ハルヒはじろりと半目で俺の方を見遣ると、

「……そうね。結局何も見つかんなかったし。これで解散しましょ」

ふう、とハルヒが溜め息をつく。ハルヒにも疲労という概念があったらしい。

「ありがとうなハルヒ、いやみんな。俺なんかのために色々付き合ってくれて」

ハルヒが動けば何か変化があるかとは思ったが、結局何もなかった。
この世界では俺はSOS団のメンバーではないし、ここで引いておくのが賢明だろう。
正直、これが駄目で後は何をすべきなのか全く分からない。鍵が見つからないし、そもそもの鍵を集めれば元の世界に戻れるという保障もない。
広がる沈黙。朝比奈さんだけがあたふたしている。

「あ、あのっ、みんなで七夕にお祈りとかしたらどうですかっ?」

朝比奈さんが突然声を上げた。
今何と言いました? お祈り?

「はい、あの、七夕って短冊にお願い事を書いて織姫と彦星にお祈りするんですよね?」

お祈りとはちょっと違うと思いますが、確かにそうですね。

「それで、みんなで七夕にお願い事しませんか? 笹とか、短冊とか用意して」

なんと朝比奈さんらしい、いじらしい提案だろう。
しかし、中国の伝説の登場人物に願い事をしたぐらいでそう簡単に叶うものとは思えないんだが。

122: 2010/03/26(金) 17:06:26.07 ID:15X/iccw0
「あのね、みくるちゃん。織姫と彦星の元になってるベガとアルタイルって、どのくらい遠くにあるか知ってる?」
「えぇっ? うーんと、えっと」
「二十五光年と十六光年よ? 光の速さで願い事が届いても、折り返しの時間を考えればそれぞれ五十年と三十二年かかるの。
 そんな時間まであたしは願い事を待ってられないわ」

ああ、その言葉をそのまま一年ほど前のハルヒに言ってあげて欲しい。
ハルヒの言葉を聞いて、朝比奈さんは完全に黙ってしまった。
朝比奈さん、そのお気持ちだけで充分です。俺の事はもういいですから。

「僕は朝比奈さんの言うことも一理あると思いますよ」

そう口を開いたのは古泉だ。なんだいきなり。

「確かあなたの世界の話では、中学生の涼宮さんが七夕に落書きをして、
 それが客観的な時間軸における様々な出来事の始まりだったそうじゃないですか」
「ああ、まあそうだが」

よく覚えてんなお前。

「だったら、一度やってみるのもいいかもしれません。それをきっかけに、何かが起こるかもしれないとは思いませんか?」

ハルヒがぴくりと動いた。こいつ、ハルヒの興味を湧かせるツボを心得てやがる。
何があなたの話は涼宮さんにとって理想を体現しすぎている、だ。

123: 2010/03/26(金) 17:11:25.29 ID:15X/iccw0
「……確かにそうね。織姫と彦星。一度やってみる価値はあるかもしれないわ」

ハルヒの表情がみるみる明るくなった。

「じゃあ、月曜日はみんなで短冊を書きましょう! 必要なものはあたしがあたしが用意するから。
 キョン、当然あんたも来るわよね?」

ハルヒがやたら攻撃的な笑顔を俺に向けた。へいへい、どうせ断ったって無理やり部室まで引っ張ってくるんだろ。

「分かったよ、俺も部室に行くって」

その言葉を聞いて、ハルヒがにっと笑った。

「決まりね!」


どうせなら、その笑顔をSOS団の団員として見たかったよ、俺は。



134: 2010/03/26(金) 20:42:13.02 ID:15X/iccw0


そんな土曜日が終わって翌日。今日こそは何もない、まっさらな休日だ。

なんだかそれがものすごく久々なような気がして、俺は惰眠をむさぼったりだらだらとテレビを見たりして過ごすことに終始していたのだが、
頭の中にはここが改変世界であり、元の世界を取り戻さなくてはいけないという俺一人が抱えるには重すぎる事実が俺の頭に延々とのしかかり続けていた。

そこで、ふと疑問が浮かぶ。

―――なんで、改変した奴は俺の記憶だけを残したのだろうか。

長門がまた俺に選択することを託したのか。いや違う。あいつが改変したにしてはあまりにも不自然な点が多すぎる
。俺がこの世界でやっていることは大体あの冬と同じようなもんだが、あの時は一年前までしかさかのぼっていないのに対し、
ここでは四年前のハルヒの記憶にまで改変が及んでいる。

しかし、長門がハルヒの力を利用したときほど改変は正確じゃない。
つい数日前までの世界の面影を残しすぎたせいでちぐはぐな部分が存在していて、
もしかしたら俺以外にも何かおかしいと気付いた奴がいるんじゃないかと思えるほどだ。SOS団の周辺にいる人物に限られるがな。
考えてみれば、ジョン・スミスがいなけりゃハルヒが北高に入る理由だってなかったんだ。

……もしかしたら、長門や古泉はしっかりその特異な属性を持ち合わせてはいるが、
自分がそうであるという記憶――自分が宇宙人であるとか超能力者であるとか――だけしか変わっていないんじゃないだろうか。
未来人であるはずの朝比奈さんについてはこの時間平面に存在している時点で確定的だ。

135: 2010/03/26(金) 20:49:10.08 ID:15X/iccw0
ハルヒの願望実現能力に関しても同じだとしたら、ハルヒが元の世界に戻ることを望んでくれればあるいは……いや、それは無理な注文か。
この世界はジョン・スミスが存在しないために、ハルヒにここが改変世界であると確信させることができないのは既に織り込み済みだ。
今のハルヒは、俺が言った非現実世界への興味だけで動いてくれているだけ。
しかし古泉の言うハルヒの現実的な部分とやらが邪魔して俺の言うような世界になることはない。

もしかしたら、朝倉の言うとおり、長門がこの世界を改変したのか――?
違う。そんなわけがない。第一、朝倉が俺に真実を話して何か得するとも思えない。

……駄目だ。こんな世界がどうだとかいう小難しい事を考えられるほど俺の頭はよろしくない。
とにかく行動しないと周囲は何も変わらないんだ。

「……結局、部活に行くしかねえか」

俺の足りない頭を振りしぼって出た結論はそれだけ。
シャミセンは、俺の呼びかけにうんともすんとも答えなかった。



七月七日月曜日。今日はいよいよ七夕だ。

別段変ったことは無く、ハルヒの不機嫌が若干浮上したように見えるくらいで、朝倉の妙な干渉も無くなっていた。
ただ本日分の全ての授業が終了し、教室から解放された途端にハルヒが飛び出して行った時には嫌な予感を感じずにはいられなかったが。

部室に来てみると、既に他の団員達が揃っていた。

「あ、こんにちは。お茶は……お客さん用の湯飲みがあったかなあ。今出しますね」

そこにいたメイド服姿の朝比奈さんを見て思わず口元が緩む。
朝比奈さんのお茶を飲むのは実に一週間ぶりだ。嬉しさもひとしおである。
しかし、どうやら朝比奈さんの織姫のコスプレ姿は拝めないようで実に残念だ。当たり前ではあるのだが。

136: 2010/03/26(金) 20:52:15.01 ID:15X/iccw0
「……こんにちは」
「よう」

俺が鞄を置いた席の向こう側にいるのは妙にぎこちない笑みを浮かべた古泉だ。
そういえば席はここに座ってもいいんだろうか。

「大丈夫ですよ、朝比奈さんにも別の席がありますから」
「そうか」

………沈黙。妙に気まずい。なんで俺がこんな気まずさを感じなきゃいかんのだ。
あまりの居づらさに、ここから出ていくこともかなわんからいっそ寝たふりでもしてしまおうかと投げやりな考えが浮かんできた頃、

「へいお待ち!」

SOS団の団長殿が部室のドアを壊れんばかりの勢いで開いて飛び込んできた。しかも、わさわさと笹が揺れる竹まるまる一本を抱えて。

「わあ、大きな竹ですねえ」

と軽い歓声を上げるのは朝比奈さん。
長門は目線だけハルヒの方に寄越してすぐ本に目を戻し、古泉はただ笑っているだけ。
ちくしょう、嫌な予感しかしないが俺が聞くしかないのか。

「その竹は何処から持ってきたんだ」
「何処って、学校の裏の竹林よ」

ああ、聞くんじゃなかった。やっぱりあの私有地から持ってきたのかよ。

「ま、バレなきゃいいのよ、バレなきゃ」

バレたら反省文もんだって分かってて言ってんのかこいつ。

137: 2010/03/26(金) 20:52:49.92 ID:H5wQMVYG0
「はいこれ短冊、それに筆ペンね。芋の葉の朝露を使って墨をするのがいいって聞いたんだけど、近くに芋の畑がなかったわ。
 とりあえず一人二枚書いたら、笹をここに立てかけておくから適当に結びつけて」
「そりゃ、えらく気合が入ってんだな。一昨日はそうでもなさそうだったが」
「やるからには徹底的にやんのがあたしの主義なの!
 ほら、文句言わずにさっさと書く書く。書き終わったら各自笹に結びつけなさいね」

ハルヒにせかされ、渋々筆ペンを手に取り願い事を考える。なんて書くべきなんだ?
『世界を元に戻してください』……まぬけすぎて書く気が起きない。
適当なことを書いてやり過ごすか? しかしハルヒの事だ、願い事を書けば何か確変が起きるかもしれん。
恥をしのんで先ほど思いついたことをそのまま書き殴ると、俺は二枚目にまた適当なことを書いてさっさと終いにした。

ちなみに他の四人は、朝比奈さんが俺が無事に異世界へ行けますようにというなんだかちょっとズレているような気がする願い事を書いてくれた以外は
去年見たのとほとんど似たような内容だった。こいつらは去年も七夕なんてしていないようだったし当たり前か。

「さて、短冊に願い事を書いたらやること無くなっちゃったわね。じゃあこの笹をとりあえず一晩部室に置いといて、後はもう解散かしら?
 でも短冊がちょっと余り過ぎちゃったわ。捨てちゃうのももったいないけど……」

ハルヒがぴらぴらとまっさらな短冊を弄ぶ。
たしかにきれいなままの色画用紙を捨てちまうのはもったいないが………あれ。そういえば、以前似たようなもんを誰かから貰ったような……

はっとして制服のポケットに手を突っ込む。ガサリと音を立てて俺の手が掴んだのは、以前この世界の長門から貰った花の絵が描かれた栞だった。
ああ、貰ったのをすっかり忘れてた。少し折れ曲がっちまっている。
散々調べたが何の変哲もないただの栞だったし、俺は読書をしないから机の奥に大事にしまっておくかな。
いつまでもポケットに入れておいたってしょうがないだろう。そう思って今度はポケットじゃなく鞄の方にしまおうとすると、

「何ですか、それ?」

そう俺の栞を指差して言ったのは古泉だった。
何ですかって、どうみてもただの栞だろ。

139: 2010/03/26(金) 20:58:12.01 ID:15X/iccw0
「いや、そうではなくて、その柄です。裏側の」

そう指摘されて裏返して見ると、ひどく見覚えのある奇怪な記号がそこにあった。

「………」

思わず絶句する。
いつの間にこんなもんが描いてあったんだ。俺が気付かなかった? 違う。俺はあの後栞を穴が開きそうなほどに調べたんだ。

勝手に浮かび上がってきたとみて間違いない。そしてこの記号は―――すぐに分かった。四年前の七夕。
中学生のハルヒが俺に校庭に描かせたそれだった。

なんでこんなもんが栞の裏に? 間違いない。長門だ。あの宇宙人がとうとう俺の前に現れたらしい。
すぐに鞄の中へ栞を突っ込む。

「ん? キョン、何かあった?」
「なんでもない。古泉、こりゃただの模様だ。本屋でたまたま貰っただけだしな」

お前は黙ってろ、そう俺は言外に含ませたつもりだった。
古泉もそれを理解したらしく、

「そうですか」

と、あっさりと引き下がってくれた。最初は俺の手もとを注視していたハルヒもすぐに興味が失せたようで、鞄を持つと、

「んじゃ、今日は解散! 鍵閉めはお願いね」

と宣言してさっさと部室を出て行ってしまったのだった。

140: 2010/03/26(金) 21:00:43.68 ID:15X/iccw0


「あなたは帰らないのですか?」

部室前の廊下で、帰ろうとせずに窓に背中を預けていた俺に、鞄を持った古泉がそう聞いた。
部室のドアの向こうでは朝比奈さんが着替えの真っ最中だ。

「ちょっと用事があってな。施錠は俺がやるから気にせんでくれ」

別に朝比奈さんの着替えを覗こうとかいうんじゃないぞ。長門もまだ部室で本を開いているはずだからな。

「………そうですか」

古泉はいかにも聞きたいことがありますと言いたげな沈黙を持たせてから、
それではと別れのあいさつを残して踵を返した。当然俺はそこを突っ込んだりしない。

そういえば、ハルヒには何も言われなかったが明日も部活に顔を出すべきなんだろうか?
分からん。というかハルヒはこのまま俺をSOS団に引き入れてしまいそうな勢いだ。
だが、ここは俺の知っているSOS団とは違う。俺は宇宙人未来人超能力者の揃ったSOS団こそが、俺の帰るべき場所なんだ。

――だが、もしこのまま世界が元に戻らなかったら?

俺はかぶりを振った。駄目だ、考えるんじゃねえそんなこと。
長門からのヒントだって改変から五日も経ってようやっと見つけたんだ。俺が絶対に改変を食い止めてやる。
――だからそこで待っとけ、長門。俺はぎり、とこぶしを握った。


がちゃり、と静かにドアが開く。朝比奈さんだ。

142: 2010/03/26(金) 21:05:40.18 ID:15X/iccw0
「あ、どうも。誰か待ってるんですか?」
「いや、そういう訳じゃないです。ちょっと用事が残ってるもんで」
「そうなんですか? じゃあ、鍵閉めよろしくお願いしますね」
「ええ、まかせてください。――あの、一昨日はありがとうございました」
「ふえ? おととい?」

朝比奈さんが不思議そうな顔をして首をかしげた。

「えっと、みんなで七夕をやろうって話ですよ。あれ、多分俺……と、ハルヒを励まそうとしてくれたんですよね?」

朝比奈さんがぶんぶんと手を振った。

「べっ別に、そんなんじゃないです。ただ何となく思いついただけで、なんだかみんなの空気が重かったから、
なにかできないかなって……そう思っただけですから。気にしないでください」

ふわりと朝比奈さんが微笑む。ああもう、この人は本当の天使かなんかじゃないのか?
多分神様か誰かが走り回って疲弊する俺を癒すためにこの人を寄越したんだろう。いやきっとそうに違いない。

「あの、それじゃあ……また明日」

朝比奈さんは小さく頭を下げてぱたぱたとその場を去って行った。
反射的に「あ、はい、また明日」と返してしまったが……多分、もう来れないと思います。いや、来ないんだ。俺は。



部室のドアを開けると、未だ窓際で長門が本を読んでいた。

「長門」

顔を上げる。

143: 2010/03/26(金) 21:12:50.86 ID:15X/iccw0
「お前はまだ帰らないのか?」
「帰る」

そう言って長門は本を閉じ、機械じみた動作で辺りを片づけ始めた。せかすようになっちまってちょっと悪いな。

「そうだ、これ。見覚えあるか」

俺が差し出したのは長門が数日前にくれた栞。裏には奇怪な文字が躍っている。
長門は黙って首を振った。

「そうか」
「そう」
「……鍵はどこにある?」

夕日に照らされた部室が妙にまぶしい。長門がそばに置いてある自分の鞄をとった。

「これ」

指先にぶら下がる部室の鍵。

「部室に用があるの」
「……いや、別にそういう訳じゃないが」
「ならわたしが鍵を閉める」

とことこと部室のドアへ向かう長門。俺も急いで鞄をとって部室を出た。
誰もいなくなった部室の中を俺が探し回ることを警戒したのだろうか? 別にそんなつもりはさらさら無いんだがな。

「鍵はあなたが返して」
「……おう」

145: 2010/03/26(金) 21:18:07.56 ID:15X/iccw0
手のひらでチャリ、と金属音が鳴った。

「じゃあな、長門」
「待って」

振り返ると、ブラックホールみたいに真っ黒な瞳が俺を捉えた。

「あなたは、異世界人?」

はたから見たら頭がおかしい奴としか思えないような質問を相変わらずの無表情で問うてくる。
だが俺は異世界人……じゃないな。確かにここは俺にとって異世界みたいなもんだが、
世界の構成情報とやらが書き換えられているだけで別に俺が時空を飛び越えたりした訳じゃない。推論だが。

「というか長門……ハルヒの言ったことを信じるのか?」

自分で言っておいて何だが、正直信じてもらえるとは俺は思ってない。証拠も何もないし、ハルヒだって恐らく心の底から信じちゃいないだろう。
しかしこの目の前の長門は、

「分からない」

と相変わらずな単語の少なさで答えるだけだった。

「もし、あなたの言うことが真実だったなら、元の世界が取り戻されたとき。
 この世界は、どうなる?」

長門が僅かに頭を傾けた。

146: 2010/03/26(金) 21:25:03.90 ID:15X/iccw0
どうなる……と聞かれたって、それは俺にも分からない。
あの冬の時の世界は未だに平行世界として残ってるのか、俺が病院で目覚めた時には既に消滅していたのかさえ分からないのだ。
そもそもあれは俺が三日前までの時間遡行をしたからこそ、長門が世界改変を行ってそのまま俺が改変された世界を体験するパターンと、
改変された直後にさらに未来から来た長門と俺によって修正されるパターンの二通りができちまった訳で、
やりようによってはこの世界は俺が消えたまま残るかもしれないし、情報がすべて上書きされて消えて無くなるかもしれない。

そういえばこの人間バージョン長門にも、SFに対する興味というものがあるのだろうか。
よく分厚いSFものを読んでいたし、宇宙人でなくともそういうものにそそられるものがあるのかもしれない。

「俺自身にも分からんな。もしかしたら消えることもあるかもしれん」

だがこの世界はいわゆる他者によって捻じ曲げられた世界であって、だからといって改変の修正を諦めるわけにはいかないんだ。
長門は逡巡するように俺の顔を凝視すると、「そう」とだけ言い残してその場を去って行ってしまった。

長門がこんなことを聞いたのは、異世界だの何だのというSF的なワードに対する興味ゆえだったのか。
あるいは消えるかもしれないこの世界に対する愛着だったのか。
まさか後者を考えてるとは思えないんだがな。

しかし小さな背中が遠ざかりますます小さくなっていくのを見て、俺は長門が視界から消える瞬間に

「すまん」

と口からこぼしてしまったのだった。



148: 2010/03/26(金) 21:32:51.02 ID:15X/iccw0
それから一旦家に帰り、着替えて飯を食ったり部屋でごろごろしたりしているうちに、時刻は八時を周っていた。もう外は真っ暗だ。

さて、そろそろ行くか。
あの長門から貰った栞をポケットに突っ込んで、昨日の事もあるので親の目を盗むようにそっと玄関から外へ出ると、自転車に乗りこんで駅へ向かった。
そこから学校へ続く坂道を上っていると、そこを通るのが決まって朝なだけに何となく新鮮な気分になる。
流石にこの時間に下校してくる生徒はいない。肌をなぜる夜風はぬるかった。

目の前には学校の校門、当然閉まっている。
これを乗り越えなければいけないわけだが……こんな時間に学校に押し入るなんて泥棒みたいで門を飛び越えるのがなんだかはばかられる。
しかし、ぐだぐだと悩んでいては仕方がない。
もしかしたら今日が唯一のチャンスかもしれないし、逃したら機会があるかどうか分からんので俺は覚悟を決め、校門に足をかけた。

北高には厳めしい警備員もいないし、有刺鉄線もない。
光陽園なら即捕まるだろうなと思いつつ鉄扉によじのぼり、無理矢理向こう側へ飛び下りる。着地する際によろけてこけかけた。
だっせえ、やっぱり運動神経は一ミリたりとも上昇していないじゃねえか。

さて誰かに見られないうちに行くかと体勢を立て直すと、

「ちょっと」

と門の向こうから声が聞こえてきた。
やばい。見つかった。制服を着ていないし後ろ姿だけなら校舎の影に逃げちまえば大丈夫かと逡巡しているうちに、

「ちょっと、キョンったら!」

との声が飛んできた。知り合いか。ますますまずい。
もう北高には通えなくなるかもしれないと絶望的な気持ちでぎぎぎと後ろを振り返ると、
黄色いリボンを揺らした、恐らく今一番会ってはいけないであろう少女が仁王立ちしていた。

150: 2010/03/26(金) 21:37:34.27 ID:15X/iccw0
ちょいまとめ

七月二日の世界改変一日目、キョンが周囲に動揺して部室から飛び出す。
二日目、朝倉登場。キョンが長門と古泉に普通の人間であることを確認。
三日目、朝比奈さんが普通の人間であることを確認。ハルヒに全てを話す
四日目、不思議探索。何も見つからず
五日目、一回休み
七月七日の世界改変六日目、栞に長門からのメッセージが浮かび上がる←今ココ

151: 2010/03/26(金) 21:38:49.08 ID:15X/iccw0
「げえっ、ハルヒ!」
「げっ、とは何よ。ほら、そっちへ行ったんならさっさとこの門を開けなさい」

なんでお前がそんな所にいる?
よく見ると後ろには他の三人までいる。なんだなんだ、皆で俺のあとをつけてきたのか?

「そんなんじゃないわよ。あんた放課後の団活で、なんか変な紙切れ見てすごく驚いてたじゃない。
 あのときは全然気にしなかったんだけど、家に帰ったら妙に気になってね。
 それをちょっと見たらしい古泉くんに電話をかけて問い詰めたのよ」

で、古泉があっさりと吐いてしまったわけか。いくらなんでも弱すぎるぞ古泉。
ハルヒの力に振り回されない世界になってもお前のイエスマンっぷりはちっとも変わらないんだなちくしょうめ。
しかしハルヒの隣にいる古泉は困ったようにへらへら笑っているだけだ。

「そんで話を聞いて、ピーンと来ちゃったのよ!
 キョン、これからあんたんとこの世界のあたしが七夕にやったらしいことをやるつもりなんでしょ?」

ああ。だからなんだ。

「手伝わせなさい」

この鉄扉がなければ今にもネクタイを掴みあげてきそうな勢いだ。
まさかハルヒ、そのためにみんなをここまで呼び出したってのか。一体いつからここにいた?

「そうね、七時半ぐらいからかしら」

随分長い間待ってたもんだな。付き合わされる奴の迷惑をちっとも考えない奴だ。

「ほら、さっさとこの鉄扉を開けなさいよ」
「……やなこった」

154: 2010/03/26(金) 21:45:12.98 ID:15X/iccw0
「なんでよ。こんなイベントまたとないわ! 本当の不思議に出会えるかもしれないなんて!」
「絶対に断る。第一、ハルヒ。お前は俺がこれから何しようとしてるのか分かってんのか?」
「分かってるわよ! 元の世界に戻ろうとしてるんでしょ?」

ああそうだ。だが俺がここから別の世界にワープするわけじゃない。
いやもしかしたらそうなるかもしれないが、お前らを巻き込むわけにはいかないんだ。それに。

「俺は、この世界を消滅させようとしてるんだぞ」

正確には消滅ではない。だがこの世界をこの世界たらしめている何者かによる改変を食い止めようとしているんだ。
つまり、改変が修正されればお前らの持つこの世界での記憶は全部消えることになる。
俺はそれが全て植えつけられたものと踏んでいるが、ハルヒ。お前には四年もの長い記憶なんだろう。

もしかしたらこの世界は消えずに残るかもしれない。あの冬に俺が体験した世界だって今も続いているのかもしれない。
だがな、ハルヒ。お前にそんなことを手伝わすなんて出来るわけないだろ?

「…………」

ハルヒは押し黙ってしまった。これで諦めて帰ってくれれば俺にとっては万々歳だ。
お前をこんなことに巻き込むわけにはいかないんだからな。
しかしハルヒは俺をきっと睨みつけると、

「……でも、あんたはあたし達がこの場からいなくなってもその改変を止めようとするんでしょ?」
「………」

今度は俺が押し黙る番だった。

156: 2010/03/26(金) 21:49:45.45 ID:15X/iccw0
「あんたの話によると、ここはいろいろ情報が捻じ曲げられていて、あたし達はそれに合わせた記憶を持たされたって話なのよね。
 そりゃ、信じられないわよ。だってあたしは今まで自分なりの考えに基づいて行動をしてきたんだもの。それが全部偽物だったなんて信じられるわけない。
 でもね、それが本当に偽物なら、本当のあたしはどこにいるわけ? どっかの誰かに勝手に捻じ曲げられて、あんたの言う本当のSOS団はどこに行ったの?

 あんたの言うことは信じられないわ。でも、これが偽物だって言うんなら今の自分が無くなろうとしてでも、
 本当の世界がどうだったのか。知りたいと思って当然じゃないのよ!」

俺は終始黙っていることしか出来なかった。
そうか、俺はハルヒの知的好奇心を随分と舐めていたようだ。それだけじゃない。
俺の長ったらしい事情説明はハルヒの興味をそそらせるだけじゃなかった。
誰かに捻じ曲げられた世界。恣意的な環境設定。偽物のSOS団。

そんなもんに、SOS団団長であるハルヒが黙っていられるわけが無かったんだ。


「よいしょっと」

ハルヒが鉄扉に足を掛ける。おい、お前ミニスカートだろ。危ないぞ、色々と。

「平気よこんなもん」

側にいた古泉が慌てて駆け寄ったが、ハルヒはぴょいと器用に飛び越えて着地した。
ぱんぱんと地面に手も付いていないのに汚れを払う。

「さて、白線引きやら石灰やらはどこにあるのかしら。ちゃんと準備してあるんでしょうね?」

そう言ってハルヒがニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
ちょっと待て、まだ校門前に三人が残ってるだろ。朝比奈さんなんか必氏に鉄扉を乗り越えようとして
古泉を慌てさせてるじゃねえか。なんていじらしいんだ。

158: 2010/03/26(金) 21:52:09.48 ID:15X/iccw0
内側からでかい錠前の鍵を開ける。この校門の鍵は部室の鍵を戻す際にちょろまかしたもんだ。
本格的に常識人じゃ無くなって来てるな、俺。

「……ハルヒはああ言ってるが、いいのか本当に」

ハルヒの言っていることも一理あるが、この三人はそれに付き合わされているだけだ。
もしかしたら古泉あたりには力づくで止められるかもしれないと思っていたのだが。

「実はですね、このお二方に以前あなたのおっしゃっていたことを説明させていただいたのですよ」

ほう、そりゃご苦労だったな。いつの話だ?

「昨日の日曜日です。やはり次の日が七夕だったので、色々と思うところがありまして。
 それで、僕達三人であなたの事に関して色々話し合ってみたりしたんですよ」
「俺を精神病院に連れていく方法でも考えてたのかよ」

古泉は大げさな動作で肩をすくめると、

「違います。あなたの言っている話が信じがたいというのは事実ですがね。とりあえず、僕達の意思は一致していますよ。
 信じがたい話ではありますが、嘘と断定するべきではないと。あなたの言っていることは本当なのかもしれないという結論に至ったのですよ」

俺は目を丸くした。本当かよ、お前はこの間まで全く信じている気配がなかったじゃねえか。一体どんな風の吹き回しなんだ?

「ええ、僕もそう思ったのですが……やはりあなたの話の中にSOS団にいないと知り得ない情報が多すぎるんです。
 確かなんですよね、長門さん」

160: 2010/03/26(金) 21:56:45.52 ID:15X/iccw0
長門は古泉に一瞥さえよこさずに、俺への視線を固定したまま言った。

「あなたの三日前の朝比奈みくるに対する発言のほか、わたしたちが孤島や雪山へ行ったこと、映画撮影の詳細など、
 あなたの立場では関知することの出来ない情報がいくつも確認された。これらの情報はあの部室に来た一瞬では知ることが出来ないもの。
 ただしあなたの言う不可思議な超常現象は起こっていない。

 あなたの話と照らし合わせれば、全て納得がいく。
 よって決定的な証拠があるわけではないが、内容が全て嘘とすることは賢い選択ではないと判断した」

ああ、悲しいぐらい俺のよく知るいつもの長門だ。
今にも『思念体と接続して確認する』とか『同期する』とか言い出しそうな雰囲気を放っている。いや同期は無いか。

「それに、彼女の意見も興味深かった。朝比奈みくる」
「ひゃ、ひゃいっ!」

長門の言葉に朝比奈さんが肩をはねさせた。なんだかどっちが先輩なのかよく分からん。

「あ、あのっ、あたし、古泉くんや長門さんみたいに確固とした意見があるわけじゃないんですけど、でも、思ったんです。
 初めて部室に来たときに、あたし達の様子を見て凄くショックを受けてるのが分かって、その時の表情が忘れられなかったんです。
 それに、それの何日か後キョンくんがあたしに何か確認しようとして、あたしの言葉を聞いてすごい落ち込んでたのも、
 なんだかすごく心に残ったっていうか、引っかかったっていうか……そこで初めて話したとき、本当に初めてなのかなって思ったの。
 ただの印象というか、あたしの感想みたいなものなんだけど、でもやっぱりずっと気になってて。

 古泉くんから話を聞いて、ああ、そういうことだったのかって思ったんです。良く分からないけど、キョンくんは嘘なんかついてない。
 全部本当のことだって。信じられない内容なのに、本当にそう思ったの。

 キョンくんがあたしを信じられないかもしれないけど、でも、わたしはあなたが嘘をついてるとは思ってません。本当です」

朝比奈さんがこちらをじっと見据えて言った。

161: 2010/03/26(金) 21:59:30.21 ID:15X/iccw0
口にこそ出さなかったが、俺は朝比奈さんの言葉に驚くことしか出来なかった。

だってあの朝比奈さんがだぜ?
俺の酔狂な話を信じているということこそ意外だったが、未来から派遣されたエージェントという肩書きに似合わずおっちょこちょいで、
いざ不思議な出来事に出合うと泣いて取り乱してばかりだった彼女が、今こそただのいち女子高生ではあるが、
ここまで確固とした意見をはっきり言い切ったことに俺は驚愕せずにはいられなかった。

「とまあ、我々の意見も大方一致しているんですよ。信じるというのも難しいが嘘と断定もできない。
 大体涼宮さんと同じですね。というわけで、僕らも手伝います。あなたの大仕事にね」
「っておい、ちょっと待て。信じる信じないは勝手だが、それと俺の勝手な行動を手伝うか手伝わないかは別もんだろ?
 さっきも言ったが、この行動によってこの世界が消滅する可能性だって無くはないんだ。それでもいいって言うのかよ」

古泉はやれやれ、といった仕草をとって笑った。やめろ、無駄に様になっててむかつく。

「あまり僕達を見くびらないで欲しいですね。
 涼宮さんと同じように、僕らだって誰かによって意図的に捻じ曲げられた世界でのうのうと生きたいなんて思ってないんですよ。
 その書き変えられた情報を元に戻せるのなら戻したい。そう思っています」

そう言ったって、俺の話を聞いただろ? 長門は宇宙人、朝比奈さんは未来人、古泉は超能力者。
俺の世界の長門は、半分くらいは俺のせいだが降りかかる超常現象や異常事態に対処するのにいつも動き回っていたし、
朝比奈さんは与えられた任務をこなすだけで組織の末端でしかないことに苦しんでいたし、
古泉だってハルヒのご機嫌取りや閉鎖空間の対処に苦労していた。ただの平凡な高校生でしかない、今の世界の方が幸せだとは思ってないのか?

「そこの辺りもちゃんと話し合いましたよ。もしこの世界があなたの情報修正によって消滅するような事態になったらどうするか。
 まあ色々考えたのですが……そうですね、涼宮さんの言葉を借りるならば」

古泉は前髪を指でピンとはじいた。

「そっちのほうが断然面白いから、でしょうか」

162: 2010/03/26(金) 22:01:26.63 ID:15X/iccw0
朝比奈さんはその言葉を聞いてくすりと微笑んだ。長門は黙っている。異論を挟むものはいないようだ。
俺は思わず溜め息を吐いた。

「本当に……馬鹿ばっかりだな、このSOS団は」

宇宙人未来人超能力者に、願望を無意識に実現しやがる暴走娘。
本当に、イカれた奴ばっかりだ。

「もう、そこっ! 話が長いわよ! いつ人が来るか分かんないんだから、行動すると決めたらさっさと動きなさーい!」

やや遠くから団長様の怒号が飛んできた。
確かに、勝手に校門を開けて侵入している姿を見られたら一大事だな。

「ほらキョン、あたしが指示出すから、さっさと例の栞を出しなさい! んで男子はさっさと石灰と線引き持ってくる!」

きびきび仕切りだす団長様の指示に従って古泉と二人で体育館倉庫の裏から言われたものを運びだす。
放課後俺が運動部の目を盗んで倉庫から出してきたものだ。いよいよ俺は前科持ちになるのか。
ますますハルヒみたいになってきたなと苦笑しつつ、俺は線引きをグラウンドまで引き摺って行った。



「で、そこ九十度曲がって……キョン! そこは真っ直ぐ!」

ハルヒが栞と校庭を見比べながら指示を飛ばし、俺はその指示に従ってあくせく校庭を右往左往する。線引きが一台しかなかったので古泉は石灰を運ぶ係だ。
長門は俺の描いた白線のところどころに修正を施しつつ、朝比奈さんはハルヒの隣で頼りない声援を送り続けてくれていらっしゃる。

164: 2010/03/26(金) 22:05:12.24 ID:15X/iccw0
「だからそこはもっと真っ直ぐ! そんな小さく描いてどうすんのよっ!」
「み、みなさーん、頑張ってくださーい」

今にも誰かが聞きつけて学校に来ちまうんじゃないかというぐらいの音量でハルヒが叫び、朝比奈さんの力が抜けてしまいそうな声援が飛んでくる。
はい、朝比奈さんがそう言うんなら何時間でも頑張れます。しかしですね、そのせいでハルヒが
みくるちゃんにチアの服を着せればいいんじゃないかしらとか言って部室に乗り込もうとしてますよ。
と言っても部室の鍵が置いてある職員室は鍵が閉まっているだろうし、俺は校門と体育館倉庫の鍵しか持ち合わせていないが。

「ちょっと待てハルヒ、石灰が切れた」

校庭に奇怪な記号を描き始めてから二十分ほどの時間が経過し、全体の三分の二ほど描けたところで満杯に入れておいた石灰が無くなった。
ここまで大きく描くと石灰の減りも早い。この減り具合で誰かにバレやしないだろうか。
いやその前にこの描いた記号はどうすんだ。もしかして翌日までそのまま?

線引きに石灰を入れてしまうと、あらかじめ外に出しておいた分の石灰が無くなってしまった。
古泉に体育館倉庫の鍵を渡して石灰をとりだしてくるように頼む。ずっと同じ体勢でいたので腰が痛い。
頭を上げて周りを見渡すと、チアを諦めたらしいハルヒが朝比奈さんとやいのやいの話していて、長門はやや遠くの方で曲がった線を正していた。

そうやって顔をあげて周りを見渡していたのが幸運だったのだろうか。

視界の端で一瞬何かが光ったような気がして、校門の方へ視線を寄越す。
夜の学校だ。電灯も何も無く辺りも暗くてよく見えないが、何かがこちらへ向かってきているような気がした。
やばい、誰かに見つかったか? そう考えた直後に背中に凍てつくような冷たい感覚が走って、思わず俺はその場から飛びのいた。

瞬間、目の前を銀色のナイフが一閃する。
それに合わせて、長い髪がなびいた。

「凄い勘ね。あなた本当に人間?」

揺れる短いスカート。そいつの顔は、笑みを形作っていた。

166: 2010/03/26(金) 22:13:21.83 ID:15X/iccw0
「……あさくらっ……!?」

俺に助言をしてくれたはずの朝倉涼子が、目の前でアーミーナイフを片手に笑っている。

「そうよ。あたしね、もう我慢ならないの。ここはあなたを中心に構成された世界。わたしもあなたのためだけに存在させられているの。
 他人の都合で再構成させられて、あなたの目の前に現れればはい終わり。そんなの我慢できるわけ無いじゃない」

ゆっくりこちらへ歩いてくる我がクラスの委員長。
スカートから覗く白い太ももと、手に持った怪しく光るナイフが妙に目についた。

「でもあたしは今ただの人間。だからあなたに色々吹き込んでみたら、勝手なことはするなだって。
 概念も共有できないような得体の知れない相手に、有機生命体としての行動さえ制限されるのよ。
 あなたはそんなことされて我慢できる?」

俺は茫然とした。朝倉の言っていることがちっとも理解できない。
分かるのはこいつが俺に明確な殺意を持っているということだけだ。

とっさに体勢を整えようとすると、顔面に強烈な膝蹴りが飛んできた。
地面にたたきつけられ、口の中に血の味が広がる。痛い。それでも立ち上がろうとすると、何かが上に圧し掛かった。
腕も動かない。見ると、朝倉が俺の上に乗りかかり、腕もまとめて脚で固定されていた。
びくとも動かない。なんだよそれ、お前は本当に人間か?

「でもね、この世界には涼宮ハルヒがいるの。しかも願望実現能力はそのままでね。
 だからあなたが消滅してもこの空間の均衡は保たれる。向こうがこの世界を廃棄しようとしても、彼女の力でそれは叶わない。
 まあ、どうせ向こうも用が済めばこんな世界、どうでもいいんでしょうけど。
 だからあたしはあたしのやりたいことをさせてもらう。あなたを頃して涼宮ハルヒの出方を見る」

待て、意味が分からないし笑えない。ここは改変世界のはずだ。
俺を頃して何の意味があるんだ。もしそのせいでお前が消滅することになってもいいのかよ!?

170: 2010/03/26(金) 22:45:36.15 ID:15X/iccw0
そんな俺の言葉を発することさえ叶わず、喉元めがけてナイフが振り下ろされた。
やばい、氏ぬ。次の瞬間にやってくるであろう衝撃にそなえて俺は目を閉じた。

…………。
しかし、いつまで経ってもその衝撃はやってこない。
あまりにも一瞬でその到来を察知することさえ出来なかったのだろうか。俺はおそるおそる瞼を上げた。


―――目の前で、ナイフの切っ先が震えている。

いや違う。俺とその上に圧し掛かる朝倉のすぐそばに、もうひとつ人影があった。

「……邪魔する気?」

朝倉はなおナイフを俺の喉に埋めようとしている。
だが俺の喉元の数ミリ近くまで迫ったナイフを持つ朝倉の腕を、小柄な少女ががっちりと掴んでいた。

「朝倉涼子。あなたの行動の意味が理解できない。あなたはわたしと同じ一般的な人間であるはず。彼を殺そうとする意図は何」
「意図? そうね、一般的な人間のあなたには理解できない理由よ。だから放っておいてくれると嬉しいな。だめ?」

なお俺にナイフを突き刺そうとしながら笑顔で長門の質問に答える朝倉。
一方の長門は無表情のままぎりぎりと音がしそうなくらいがっちりと朝倉の腕を固定している。どうやら見た目以上の力の攻防があるらしい。

「それでは質問の答えになっていない。あなたの行動を許可することはできない」
「なによそれ、この世界でもあたしはあなたのバックアップってわけ?」

切っ先の震えがみるみる大きくなる。何だこれ。本当にやばい。

171: 2010/03/26(金) 22:52:02.56 ID:15X/iccw0
「有希! 朝倉!」

かなりのスピードでハルヒが走ってきた。朝比奈さんもやや後方で息を切らせながらこちらへ走ってくる。

「朝倉! どうしちゃったのよ! キョンにそんな物騒なもん向けてどうするつもりっ?」

しかし朝倉は顔色一つ変えずに、

「どうするって、この人を頃すの。ちょうどいいわ。あなたも目の前で見ていなさいよ。こいつが息絶える姿をね」

そう言って俺の方へ向き直り、ゆっくりと腰を上げた。
長門が立っていて、朝倉が座っているという体勢が悪かったのだろうか。朝倉が全体重を乗せるようにナイフを俺に向かって押さえ込んできた。
みるみる切っ先との距離が埋まっていく。

畜生、目の前のこいつはただの人間なのに。なんで俺はこいつを止めることが出来ないんだ。
視界の隅でハルヒの顔色がみるみる青ざめていくのが見える。
やめてくれ、お前のそんな表情なんて見たくない。そう願うと、朝倉の長い髪が垂れて何も見えなくなった。

今度こそ氏を覚悟して瞼を閉じる。
ゲームオーバーだ。喉に冷たいものが当たる。

ああ、ごめんな、ハルヒ。世界を元に戻せなくて。
そしてゆっくりと、その冷たい金属が俺の皮膚をつき破ろうとしたその瞬間。


「なにやってるんですか!」

どすん、と鈍い音がして、俺に圧し掛かっていた重みが消えた。

172: 2010/03/26(金) 22:58:15.42 ID:15X/iccw0
目を開けると、若干雲が多めの夜空が飛び込んでくる。なんだこれ。何が起きた?
ふと横を見ると、朝倉が倒れこんでいて、そのそばにぶちまけられた石灰の袋を抱えたままの古泉が倒れていた。
どうやら古泉が朝倉に体当たりをかましたらしい。しかも重い石灰の詰まった袋を抱えて。

朝倉が起き上がろうとするより先に、長門が朝倉の手からナイフを奪って遠くへ投げた。
その方向にいたのは朝比奈さんだ。
まずい、とも思ったのだが長門はそれも計算済みで投げたのか、朝比奈さんの目の前で数回バウンドしてからナイフの動きが止まった。

「き、きゃあっ!」

泣きそうな顔で慌てる朝比奈さん。目の前に刃物が飛んで来れば当然の反応だ。

「みくるちゃん! 拾って!」

ハルヒが凄い勢いで朝比奈さんに叫ぶ。その言葉に朝比奈さんが顔をあげて、慌ててナイフを拾い上げた。
朝比奈さんからナイフを奪い取ろうと立ち上がった朝倉の前に、ハルヒが立ちはだかる。

「……ゲームセット、ってわけ?」

朝倉が降参、とでも言うように両手を上げた。

「どういうつもりなのよ! あんた、今キョンを殺そうとしたわよね!?」

ハルヒが激昂して朝倉に掴みかかった。

「安心してよ、涼宮さん。もうあたしに彼を頃す気なんてないから」
「頃す気がないって……!」

174: 2010/03/26(金) 23:04:26.09 ID:15X/iccw0
「いいから放してよ。ナイフが無ければ、今あたしに彼を頃す方法なんてないじゃない」

教室で俺に掴みかかろうとしたハルヒを宥めたのと同じ笑顔で朝倉がハルヒの手を押さえて言う。
ハルヒはそれに動揺したのか朝倉の胸ぐらを掴む力が弱まり、朝倉がやさしくその手を放した。

ぽんぽんと服に付いた石灰や砂埃を払う。

「あーあ、あなたの目の前でなら向こうも手出しできずに彼を殺せると思ったんだけどな。
 長門さんも古泉くんも普通の人間なのに。詰めが甘かったかしら」
「向こう……って朝倉、あんた何を言ってるの?」
「ううん、こっちの話よ。あたしは帰るね」

ひらりと朝倉がハルヒをかわし、校門へ向かう。

「え、ちょっと朝倉!」
「おい待て! お前、やっぱり知ってるんだろ? この世界を改変した犯人を!」

俺の言葉に朝倉の足が止まり、振り返った。くすりと笑って、こちらへ歩いてくる。
思わず足がすくんでしまいそうになるが、何とかこらえる。こいつにもう殺意がないのは恐らく本当だ。

「残念ながらそれは言えないわね。元は情報統合思念体に所属していたんだけど、ちょっと今は違うの。だから、ごめんね」

顔の前に手をやって、困ったように微笑む。そして、俺の耳に顔を近づけた。

「あとね、あたしは恐らくこれから処分される。でも彼女……涼宮ハルヒの前ではちょっとできないから、
 あたしはさっさとこの場から離れなきゃならないの。彼女が追いかけようとしたら止めてあげてね。

 それに、もうひとつ忠告しといてあげる。向こうは今にもこの落書きを消そうとしているわ。
 でも彼女の力がはたらいていてなかなか消せないの。時間をかけて作り上げた空間をまだ利用したいみたい。だからさっさと描いちゃった方がいいわよ?」

178: 2010/03/26(金) 23:10:43.20 ID:15X/iccw0
くす、と笑ってウィンクをする。お前を消す? 作り上げた空間? 何のことだ。説明しろ。
朝倉は俺の耳から顔を離した。

「残念ながら言えるのはここまでよ。じゃ、頑張ってね」

そう言って朝倉はその場を離れる。

「ちょ、朝倉! まだ話は終わってないわよ!」

ハルヒが朝倉を追いかけようとするが、俺はそれを止めた。
闇の中に紛れていく朝倉。

「このことについては明日あいつに聞けばいいじゃねえか。
 それより、また誰かがここへ来る前にさっさと落書きを書き終えちまおう」
「明日聞くって……朝倉のやったことは殺人未遂よ? あんたはそれをほっとくっていうの?」

ハルヒが俺を睨みつける。
そうじゃない。俺は朝倉の言ってることに分からない点の方が多いが、朝倉の言いたいことは大体理解出来た。
まだこの世界が一体どういう状態なのかについて把握も出来ちゃいないがな。
俺を一時は錯乱させようとした朝倉だが、恐らくあいつの言った通りにした方が賢明だ。

「涼宮さん、もしかしたら彼の世界で起きたことが関係しているのかもしれません。
 確か、あなたを宇宙人急進派の方が殺そうとした、と……彼女がその犯人ですか? 長門さんに消されたという」

古泉もよく覚えてるな。その通りだよ。我がクラスの頼りになる委員長であり情報統合思念体急進派。それがあいつだ。
朝倉はこの世界を作るにあたり再構成された。あいつの言葉を信じるならな。

179: 2010/03/26(金) 23:17:05.80 ID:15X/iccw0
「彼女の放つ雰囲気が、あまりにも異常でしたからね。だからこそ体当たりなんて行為が出来たわけですが」
「ああ、感謝してるよ。そんな石灰まみれになってまで俺を助けてくれてな」
「……はは、これはこれは」

古泉は苦笑いをして服に着いた石灰を払った。

「とりあえず、さっさと終えちまおうぜ。石灰もまだあるだろうし」

ハルヒは俺の言葉に不服そうにしていたが、考え込むように腕を組むと、「そうね」とさっきまで指示を飛ばしていた場所に戻った。

「あのー、こ、これはどうすれば……?」

朝比奈さんがおそるおそるナイフを差し出した。

「それ、は……」
思わず言葉に詰まる。どうすりゃいいんだ。その辺に置いとくのも嫌だし、俺が持っておくしかないか。

「わたしが預かる」

そう言って朝比奈さんからナイフを受け取ったのは長門だった。
刃先をぱたりとしまう。こいつも、それなりに近所付き合いしてきたはずの人間の豹変で何か思うところがあるのだろうか?

「ほらー! やると決めたらさっさと動く! ちゃっちゃと線引きに石灰を入れちゃいなさい!」

遠くからまた野次が飛んできた。切り替えの早い奴だな、少し羨ましいよ。



180: 2010/03/26(金) 23:24:08.56 ID:15X/iccw0
「ハルヒー、これでもう終わりかー?」

それから十分後。試行錯誤しつつの校庭の落書きはほぼ終わりに近づいていた。
ハルヒが真剣に栞と校庭を見比べている。校庭をじっと睨みつけると、腕で大きくマルを作った。大丈夫ってことか。
長門にもういいか?といった視線を送ると、長門も何も言わなかった。やれやれ、これでやっと終了か。

「お疲れさまでした」

古泉と二人で、体育館倉庫に線引きと石灰の袋を片づける。
夏の暑さに汗が滲み、手も石灰まみれだ。よく手伝ってくれたよお前も。

「なかなか大変な仕事でしたが、これで何かが動くでしょう。朝倉さんの行動から考えても……ね」

ああ、そうだな。色々巻き込んじまってすまなかった。

「いえ、それは……涼宮さんに言ってください」

俺は黙って体育館倉庫の鍵を閉めた。鍵を盗んだのがばれなきゃいいが。



ハルヒのもとまで戻ってみると、校庭にあの見覚えのある記号が大きく校庭に踊っていた。おお、良く出来てるもんだ。

「これで、もうやることは無いの? 後は待ってるだけかしら」
「ああ、多分な」

時間跳躍をしてハルヒにこれを手伝わされた時も、これを描く以外には恐らく何もやってなかった。
何かが起きるのかは分からないが、とりあえず待ってみるしかない。

181: 2010/03/26(金) 23:30:59.12 ID:15X/iccw0
「おつかれさまです。これ、お茶どうぞ」

そう言って目の前に差し出されたのは透き通った玉露だった。なんとありがたい。
数十分の頑張りもこれで全て報われたってもんだ。蒸し暑いのに渡された紙コップから湯気が立ち上っていることさえ気にならんね。

ハルヒは朝比奈さんから手渡された緑茶を一気飲みすると、

「はー、まだなのかしら?」

と、どかりと地面に座り込んだ。おい、汚いぞ。

「そう簡単に何か動かないだろ。それに、もしかしたら何も起こらない可能性だってあるしな」
「でも、これで駄目だったらまた振り出しでしょ?
 あんたの世界の宇宙人からのメッセージだって届いたんだし、何かない方がおかしいわよ」

確かにそうだなんだけどな。それに、朝倉が言っていた『向こう』がこの文字を消そうとしているってんなら尚更。
『向こう』とは誰の事を言っていたんだろうか。ハルヒか、長門か。それとも……


「……あたしね、みんなに言ってなかったことがあるの」

ハルヒが夜空に視線を固定したまま言った。言ってなかったこと?

「あのね、あたしと古泉くん付き合ってるのよ。今まで秘密にしてきてごめんね」
「……ふええっ!?」

大きく肩を跳ねさせて驚いたのは朝比奈さんだった。
ちょうど自分の分らしきコップにお茶を注ぐところだったらしく、あとちょっと注ぐのが早かったら今頃大惨事だったろう。

183: 2010/03/26(金) 23:36:24.69 ID:15X/iccw0
長門は無反応。こいつならとっくに気付いててもおかしくないな。
その古泉はと言えばお茶を軽く噴き出していた。おい、きたねえぞ。

「なによその反応、キョンはもう知ってたの?」
「知ってたも何も……ああ、まあな」

あの映像がまたフラッシュバックしてきて、俺はごまかすようにお茶を口に含んだ。
正直、ハルヒの口からは直接聞きたくなかった話だ。

「……それでね、一番最初にあんたが部室に飛び込んできたとき、新しい団員が欲しかったって言ったじゃない。
 でも、男女のバランスとか全部言い訳よ。あんたをSOS団に入れれば、みくるちゃんと有希に対する罪悪感が少しは薄れるかなって思ってたのよ。
 要するにあんたを利用したかったの。謝るわ」

そこまで自分をけなすことは無いと思うが……初めて聞いたんじゃないかと思うハルヒの謝罪を、俺は受け入れることにした。
まあハルヒもただの人間だし、そんなもんだろう。むしろ皆の前で本音をさらけ出した事におれは拍手してやりたいよ。

「でも、今は違うの。さっきの朝倉を見て、あんたの話は全部本当だって分かったわ。あんたはやっぱりこの世界の人間じゃない。
 それでね、この世界があんたの言う元の世界に戻るまででいいの。SOS団に入って欲しいのよ。
 別にあたしの求めてた不思議をあんたが知ってるからじゃない。あたしも誰にも捻じ曲げられてない、本当の世界が知りたいのよ。
 そのためにはキョンが必要なの」

ハルヒが立ち上がり、俺を見据えた。

「あたしからお願いするわ。……SOS団に、入ってくれないかしら?」

俺もハルヒの目を見る。
強制的に団に入れるか、希望者を試験で振るい落としていたはずのハルヒ。
……なんてこった、ハルヒは自己中で我がままな奴とばかり思っていたんだがな。
こいつもこいつなりに、SOS団という不可思議なお遊び団体で変化する部分があったんだろう。

185: 2010/03/26(金) 23:43:49.87 ID:15X/iccw0
「いや、お断りさせてもらうよ」
「……理由を聞かせてくれるかしら」

理由か。そうだな、俺がこのSOS団に入りたくないって訳じゃない。ハルヒも朝比奈さんも長門も古泉もいる。
だが、この世界が消滅せずに、俺だけがいなくなるっていう可能性が充分にあるということもあるんだ。それに、理由はそれだけじゃない。

何故なら。

「なぜなら、俺はSOS団の団員その一だからだ」


「…………」

それきり辺りを包みこむ沈黙。夜空の星は依然雲に隠れたままだ。

「……何それ。つまり、向こうの世界のSOS団を捨てるわけにはいかないから、こっちには入らないってこと?」
「まあ、そうなるな」
「………あっそ。……でも、」

ハルヒはビシっと俺を指差した。

「あんたをこのSOS団に入れること、あたしは絶対諦めないからね!」

ああ、是非そうしてくれ。
やれやれ、明日から一体どんな手を使ってくるんだろうな? 微妙そうな顔で古泉が俺を見ていた。



186: 2010/03/26(金) 23:50:15.31 ID:15X/iccw0
ハルヒがまた座り込んで、夜空を見上げた。

「……大分時間が経ったわね。あーあ、せっかく彦星と織姫にお願いしてるんだから、ちょっとぐらい顔を出してくれたっていいんじゃないの?
 折角何十年もかけて星まで願いが飛んでくはずなのに、雲に隠れてちゃ意味がないんじゃないかしら?」

ああ、確かにそんな気がしないでもない。
しかし、世界改変を正そうとするのにお星さまがどうこうとか関係するわけが無いとは思うんだがな。

「あーもう、うざったいのよこの雲! どっか飛んできなさいよ馬鹿!」

ハルヒの叫びが空へ吸い込まれていく。
そんな叫んだって、雲が都合よく退いてくれるわけないだろ。

「わあ、本当に雲が割れてきましたよ!」

朝比奈さんが歓声をあげる。はあ、そりゃすごいですね。朝比奈さんにつられて、ぼんやりと顔をあげる。

「……っておい。マジかよ?」
「どうやらマジのようですね。いやあ、これがあなたの言っていた、涼宮さんの持つなんだか訳の分からん能力ってやつですか?」

大きく空を覆っていたはずの雲が風もないのに凄い勢いで割れている。なんだこりゃ。本当にハルヒの願いがかなったってのか?

『この世界には涼宮ハルヒがいるの。しかも願望実現能力はそのままでね』

ふと、朝倉の言葉が頭に蘇る。そうか、このハルヒはあの冬みたいに能力を奪われてなんかいない。
ハルヒが願ったから。この大きな雲がどいたんだ。って、こんなんアリかよ。

187: 2010/03/26(金) 23:57:11.42 ID:15X/iccw0
ついに顔を出した恒星は、恐らくベガとアルタイル。

「ねえ! 文字が光ってる!」

ぴょんと立ち上がったハルヒの指差す先を見ると、もし蛍光塗料が混じっていたとしても異常なまでの光を石灰で引いただけの落書きが放っていた。
おい、マジにお星さまに願いが届いたってのか?

再び夜空を見上げると、まるで金属の網でもかぶせられたみたいに、空全体にひびが入っている。
ひどく見覚えのある光景。


―――これで俺は全てを理解した。造られた空間が割れる。
俺の行動は間違っちゃいなかったんだ。

同時に大きな地震が襲う。地鳴りと言った方がいいのだろうか。
よく分からんが、立っていられない程の大きな揺れだった。

「きゃあっ! なに、何よこれ……どうなっちゃうのよ! ねえ、キョン!!」

ハルヒの叫び声が地鳴りの音に紛れて聞こえた。
世界の崩壊。俺はハルヒの肩を掴んだ。

「何!? キョン、何が起こってるのよ!」
「ごめんなハルヒ、お前の折角の入団の誘いを断っちまってよ。
 でもな、俺はこのSOS団なんかより宇宙人、未来人、超能力者が揃ったSOS団にいたいんだと言いたいわけじゃない」

古泉が近くにいた朝比奈さんと長門を支えていた。さすがの紳士だな、お前は。

188: 2010/03/27(土) 00:01:28.65 ID:RpRp6iNC0
空に走るひびがどんどん細かくなっていく。

「俺はな、なんとなく確信しているんだよ。お前らが俺のよく知る、俺のSOS団だってな。
 俺は元からここにいた。お前らが記憶を曲げられただけだ。それ以外は何も変わっちゃいないんだよ」

そうだ。お前らの世界が崩壊するとかそんなんじゃない。
捻じ曲げられたものが元に戻るだけだ。

「何それ、意味が分かんないわよ! あんたはこの状況を見て何も思わないの?」

ハルヒがよろけつつも辺りを見回し、不安そうな顔で俺に怒鳴った。

「最初からSOS団はここにいるんだ。ここにはハルヒに長門に朝比奈さんに古泉もいる。
 それだけじゃない。俺をわざわざ迎え入れる必要なんかないさ」

校庭に描かれた落書きの光量がみるみる増していく。

「俺は……」

結局はあの冬と同じことじゃないか。


「俺は、ここにいる」



そのとき、空が割れて、視界は白い光に飲み込まれた。



199: 2010/03/27(土) 01:05:04.80 ID:RpRp6iNC0
白くつつまれた視界が、一気に暗転する。
実際にそうなったかは分からない。閉じた瞼の向こう側でそうなったように感じただけだ。

ゆっくり目を開けると、そこはどこまでも暗闇が広がる空間だった。
真っ暗という訳じゃない。俺の手も、足も見える。どこが地面の境目かさえも分からないのに、俺はその場に立っていた。
なんだこれは。とりあえず現実にある空間ではないことだけは分かった。

「………失敗か?」

頭に浮かんだ最悪のシナリオ。
元の世界に戻れるわけでもなく、改変世界にとどまったわけでもない。どこでも無い空間に、俺は放りだされたのか。

あの改変世界はどうなった?
俺のせいで全て崩壊しちまったのだろうか。ならあいつらに悪いことをしたな。

俺はどうなるんだろう。このまま暗闇を永遠に漂い続けるのか。
あいつらへの仕打ちを考えれば、この結果も当然かもしれない。

再び目を閉じようとすると、ほとんど暗闇と同化したような奴が恐らく数メートルほど離れた場所に浮かび上がった。
あまりにも暗闇と溶け合い過ぎていて、下手すればずっと気付かなかったかもしれんな。

「………やっぱりお前が犯人か」

そいつがゆっくりと、子供でもあやすような柔らかい笑みを浮かべた。
その貼り付けたような笑顔が、人間味の無さと相まって不気味さを加速させる。
服装はあの時と同じだった。光陽園学院の女子制服。

200: 2010/03/27(土) 01:08:13.31 ID:RpRp6iNC0
「周防……九曜」

長門を二度も熱で昏倒させた、『概念を共有できない』らしい情報意識。
天蓋領域のインターフェースがそこにいた。
最近静かだったから、もう俺達に手を出すのは諦めたものだと思っていたんだがな?

腰よりも長く伸びた真っ黒な髪の毛が、同じく真っ黒い背景と混じり合うように波打っている。

「安心―――して。ここは……情報の消えた――――空間。いずれ―――戻る……」

抑揚を極限まで無くした台詞をひどくゆっくりとつむいでいく。何度聞いても寒気が走るね。
人間の形をしているのに間違いなくこいつは人間じゃない。
長門がアンティークドールなら、こいつはコンクリートのブロックか何かを人間の形に置いただけだ。

「なんのためにこんなことをした。答えろ」

俺がSOS団のメンバーでなく、ハルヒはジョンと出会っていない。
思念体は存在しないのに、朝倉は存在していた世界。
こいつ、いや『こいつら』は一体何で世界を改変した。何の意味がある。

「あなたは―――特殊な存在……だから。何の力も―――持たない、のに………
 だから、試した………彼女の存在も、そのため…………」

……ああ、言葉が足りなさすぎるが、大体分かった。
つまり、こいつは俺に何か特殊な能力があるんじゃないかと疑ったんだ。
そして宇宙人未来人超能力者たちの記憶をすっ飛ばして一般人に仕立て上げ、俺をSOS団から追放し、おまけにハルヒからジョンの記憶も消した。

全部俺にショックを与えるためだったんだろう。
朝倉を再構成したのもそのせいだ。目の前に現れさせ、ショックを与えて俺の動向を観察する。
そのためだけに再構成して、用が終わったらもう動くな。朝倉の言っていたのはそういうことだ。

201: 2010/03/27(土) 01:14:36.53 ID:RpRp6iNC0
そして、ハルヒと古泉のことも。俺にショックを与えたいがためだけに偽りの感情を吹き込んだ。
流石だな、やっぱりお前らとは相容れることが出来ないようだ。今度ばかりはコンタクトをとろうとしている情報統合思念体を応援してやりたいね。

俺がいたのは改変世界なんかじゃなかった。雪山と同じだ。こいつらの作った特殊な空間。
俺はまた実験台にされたんだ。だから思念体も存在しなかった。

「じゃあ、長門を人間にしたのは一体どういうカラクリだ?」

長門はお前よりはずっと人間に近いが宇宙人だ。
概念も共有出来ないのに記憶をいじったりできるものか。いじったって長門は何かしら気付くだろう。

「あれは―――複製――――有機生命体としての―――情報のみの………コピー……」

ああ、そう言えば長門がこいつらの危険性は少ないとかなんとか言っていたが、どうやら大間違いだったみたいだな。
言いようのない怒りがこみ上げてくる。
すまん、長門。消滅しないといったのに、お前だけには嘘になっちまったようだ。

本当にこいつらには感情というものがないことを実感する。
機械のように思考する情報意識体。こいつらに比べればまだ思念体のほうが人間味がある。

「でも……」

いつのまにか九曜が目の前にまで迫ってきていた。
くそ、何もない空間でなら情報操作もやりたい放題、ってか?

「結局―――分からない。……あなたは、普通の人間――――なのに――我々の構築した空間を……破壊した。
 ………なぜ――我々にも、理解できない能力が―――……?」

黒い制服からのぞく白くて細い指がゆっくりと伸びてきて、俺の顔の輪郭をなぞった。
その体温の無さに、背筋に冷たいものが走る。

202: 2010/03/27(土) 01:20:24.05 ID:RpRp6iNC0
「……どうして―――?」

黒くて大きな瞳が俺を捉えた。
こいつの目は何を見ているんだろう。自分では理解できない、好奇心や興味をそそらせる異質なもの?
いや、自分の立てた予想を裏切った実験動物、ってとこか。

「っざけてんじゃねえぞ!」

その手を振り払う。
こいつらは人間を何だと思ってるんだ? ただの実験台? 自律進化の可能性? それとも面白いおもちゃ?

九曜の胸ぐらを掴んでやろうとすると、九曜は落胆したように目を僅かに細め、

「―――また、喫茶店に……」

そう言って俺の手が掠める寸前、闇に溶けて消えた。

俺は思わず舌打ちした。
つまりこう言いたいのだ。自分達は俺が今まで異空間で体験したこと――ハルヒが新しい世界を創造しようとした間の出来事や、
ハルヒの消失した世界で起こったことを全て知っていると。わざわざ俺の目の前にまで現れてな。
今九曜が長門の台詞をなぞったのもそれだし、朝倉の登場の仕方が冬の改変世界そのままだったのも恐らくそうだろう。

だが、そうやってなぞろうとして朝倉を再構成させたのが仇となったようだな。
あいつがいなきゃ、恐らく今も俺はあの異世界を延々と彷徨っていた。

元から俺がごく一般的な男子高校生だと分かっていたのなら、最初からこんなことをするな。俺を変なことに巻き込むな。
そう思っても、俺は選んだんだ。あの冬に、この不可思議な現象がそこらへんにあふれている世界を。
だが俺はいまいちその行動の意味を自分でも理解できていなかった。
俺がこの世界を選ぶことによって起こるのはハルヒの望む非現実的な事象ばかりじゃない。古泉も言っていた。血で血を洗うような抗争。

203: 2010/03/27(土) 01:24:53.03 ID:RpRp6iNC0
そしてあの雪山のとき、古泉の予測の通りなら俺達は元の俺とはまた別のコピーとなってあの屋敷に閉じ込められていた。
コピーしたデータならいくらでも無茶をさせられる。あれもあいつらによる実験だったんだろう。
ならその無茶な行動とは? あの空間から脱出できないままだったら、俺達は一体どんな"無茶"をやらされていた? 想像しただけでもぞっとするね。

分かった、お前らがそう言うなら俺だって黙っちゃいないさ。俺にもこの世界を選んだ責任ってもんがある。
俺自身では広域の情報意識体に何も出来ないが、ジョン・スミスという切り札だってまだ残っているんだ。
いざとなったら洗いざらいハルヒに喋ってやるさ。長門を二度も昏倒させた諸悪の根源だ、ってな。
そうすれば世界がどうなるかだって、お前らにも分かるだろう。
そして俺にお前らに対する明確な敵意を植えつけたことにせいぜい後悔すればいいさ。

俺が暗闇の中でそう決意した直後、足元にあったはずの地面が割れて、俺の意識は強制的に拡散した。




目を開けると、自分の部屋の電灯が視界に入った。

部屋は明るい。上にかぶさっていた布団をのけて身を起こす。着ていたのはよく見なれたスウェットだった。

戻った……のか? いつだここは。
そばにあった携帯を見てみると、七月三日の朝だった。周囲がおかしくなった翌日だ。
どうやら時間が巻き戻っているらしい。いや、あいつらの作った異空間に閉じ込められていたわけだから、巻き戻ったとは言わないのか?

混乱する頭を抱えていると、

「キョンくーん、あーさだよー」

妹が相変わらずの元気良さで部屋に入ってきた。

204: 2010/03/27(土) 01:29:58.92 ID:RpRp6iNC0
「あれー、もう起きてる。めっずらしーい」

俺の方を見て驚きの表情を見せ、俺の布団の上で丸まっていたシャミセンを強制的に廊下へ連行していく。
ぼんやりとその様子を眺める俺。

……とりあえず、学校に行くか。恐らく長門に聞いてみれば分かるはずだ。
今までが全て部室から逃げ帰ってからの夢で、学校に行けばまたSOS団の面々に他人扱いされるとなったら笑えないが。



教室のドアを開けると、一番後ろの窓際でハルヒが紙に何やら書き殴っていた。
何かをたくらむような笑顔を浮かべて鉛筆も握っている。
このハルヒはSOS団の雑用係であるはずの俺を覚えているんだろうか?

跳ねる心臓をおさえてそいつのもとへ近づいていくと、ハルヒが描いていたのはどうやら
和風の衣装か何かのデザイン画みたいなものだった。

「よう」

片手を上げて挨拶する。
世界が戻ったのか、時間が巻き戻ったのか。恐らくこれで判別がつく。
ハルヒの反応を待つ時間がやたら長く思えた。

205: 2010/03/27(土) 01:34:05.62 ID:RpRp6iNC0
「見てよキョン! 昨日も一昨日も織姫っぽいコスプレ衣装が見つからなかったからあたしが作ることにしたんだけどね、
 どうよこれ! かわいいでしょっ?」

今まで書き殴っていた紙を俺に向けて、満面の笑みを見せてくれた。
見せつけられたのはなにやらでかいリボンやらなんやらがついたミニスカートっぽい浴衣のデザイン画。
安心して思わず溜め息が漏れる。どうやらここは俺のよく知っている元の世界で間違いないようだ。
しかし癪だな、ハルヒの笑顔をみて安心するってのも。

「ああ、十二分に可愛いんじゃないか。その衣装を着れば朝比奈さんはほとんど本物の織姫さまも同然だろ」

いや、実際に見たことは無いが本物より可愛いか。
元の世界に戻れた褒美がこれなら、むしろ俺が天にも昇る勢いだ。

やはり、俺は戻ってきたんだ。何者にも手の加えられていない、オリジナルの世界にな。
脱力するような思いで鞄を机の上に乗せる。

「そうでしょそうでしょ、やっぱりSOS団のイベントにみくるちゃんのコスプレは必須よね!」

どこがどう変わるのか知らんが満足げに様々な角度から自分の描いたラフ画を眺めるハルヒ。
朝比奈さんには申し訳ないが、正直ハルヒの言葉には同意せざるを得ないな。
あと半年と数ヵ月でこの高校を卒業してしまい、もしかしたら未来に帰ってしまうかもしれないことを考えると余計にだ。

206: 2010/03/27(土) 01:38:58.09 ID:RpRp6iNC0
「しかしハルヒ、どうせまた七夕パーティを部室で開催する気なんだろ?
 あんまり大声でその話をすると、変な輩が覗きにやってこないとも限らんぞ」

ハルヒがぴくりと反応して顔を上げると、

「む、それもそうね」

辺りをきょろきょろ見回してラフ画をしまった。
ま、この奇怪な団体の根城に進んでこっそり足を運ぼうするやつがいるかどうかは分からんがな。

「ところでさ、あんた昨日なんか様子が変だったけど何かあったの?」

ハルヒが笑顔の輝きを数ランク落としてそう俺に問うた。

「昨日……?」

しかしそう言われても、俺には記憶にないというか体験していない世界の話なのでなんとも答えようがない。
ハルヒは呆れたように眉をハの字に曲げると、

「なによ、覚えてないの?
 あんた、昨日はずっとおかしかったじゃない。古泉くんとボードゲームしてても、なんかぼーっとしててさ。いつものキョンじゃなかったわ。
 もしかして風邪でもひいてるの?」

なるほど、それが昨日の俺か。
確かあの雪山の時は、鶴屋さんから見ればあの数時間はたった数分程度のことで、その時俺達はスキーのコースを何故かスキー板を担いで降りていたんだっけか。
そいつらは、俺達であって俺達じゃなかった。俺達がコピーで、そいつらが元々のデータ。恐らくこれもそういう事だろう。

「ああ、少し風邪気味だったみたいだな。今はもう大丈夫だよ」
「そうなの? 夏風邪でも流行ってるのかしら。有希なんか昨日熱出してたし……」

210: 2010/03/27(土) 01:44:47.27 ID:RpRp6iNC0
「長門が?」

あの長門が熱を出したってのか。
ハルヒは俺を怪訝そうに見遣ると、

「キョン、覚えてないの? ……あんたもそうとうウィルスにやられてたようね。
 昨日、有希もなんだかぼーっとしてたじゃないの。あんたの比じゃないわ。本も読まずにずっと宙を見てたんだもの。
 で、あまりにも様子が変だから大丈夫って言っても無理矢理保健室に連れて行って体温を計って貰ったら、なんと熱があったのよ。
 こないだ有希が学校を休んだ時よりはひどくなかったんだけど、もう放課後だったし家まで帰らせちゃったわ」

……そういえば、今回長門だけは異空間へ連れ込まれずにこの世界に残っていたんだっけか。
恐らくこの世界の長門が、異世界へ飛ばされた俺達を助け出そうとして熱を出してしまったんだろう。

「今朝会ったときは平気そうな顔してたし、有希も大丈夫って言ってたけど……本当かしら」

しかし、それなら何故ハルヒに昨日の記憶があったんだ?
ハルヒは間違いなくあの異空間に巻き込まれていたはずだ。俺には欠片も残ってないというのに。

「ちょっとキョン! あんたちゃんと話聞いてるの?」
「ん? あ、ああ。聞いてるよ」

ハルヒは俺を半目でねめつけて溜め息をついた。

「わかった。まだぼーっとしてるのね。
 でもね、いくら体調が悪いからって団長の話をまじめに聞かないのは許されないの。
 しかも大事なSOS団団員である有希が熱を出したのよ? その話をちゃんと聞かないなんて、キョンには罰が必要みたいね?」

ハルヒが俺を睨んだままニヤリと笑みを浮かべた。
おい、お前の話を聞いてなかったのは悪いとは思うが、それだけで罰せられちまうのかよ。嫌な予感しかしないんだが。

211: 2010/03/27(土) 01:46:39.61 ID:RpRp6iNC0
「今度の七夕パーティ! あたしが直々にカササギの衣装を作ってあげるから、それを着てあたし達の前で一発芸をしなさい!
 もちろん、全員が爆笑するまで何度だって……いえ、何度も涙が出るくらい笑わせるまで許さないんだからね!」

と、ハルヒは俺をびしりと指差して宣言した。



昨日――俺の体感での話だが――までのごたごたが嘘だったかのようにそのまま授業は消化されていき、
ハルヒの授業を無視して鉛筆を走らせている音に辟易しつつ放課後を迎えた。

「よっす」

部室の扉を開けてみると、そこにいたのはいつも通り窓際で本を読んでいる長門一人だけ。

「長門だけか……他の奴らは?」

そう言いながら部室に入る。なんだかここにくるのも久しぶりな気がするな。
懐かしささえ感じてしまうね。

「涼宮ハルヒは先程朝比奈みくるを連れてどこかへ行った。古泉一樹は不明。恐らく、日直」

本から目を離さないままに窓際の少女が答える。
そういえばハルヒは帰りのHRが終わると同時に教室を飛び出して行ったしな。
大方家庭科室にでも連れ込んで丈を測っているんだろう、例の衣装を作るために。
まあ、イベントをやると言っても大勢の前に出て行ったり、映像をとって公開するわけでもない。
ハルヒの様子からみても恐らく着るのは部室の中だけだし、面倒くさいことにはならんだろう。
念のためハルヒの動向に注意しておく必要はあるかも知れんが。

212: 2010/03/27(土) 01:49:11.44 ID:RpRp6iNC0
「そうか。……ところで長門、お前昨日熱出したって本当か?」

長門が本から顔を上げた。

「本当。でも、今現在は特に身体の異常はない」
「………俺のせいだな。悪かったよ」

恐らく、栞に浮かび上がったあの記号。あれが世界を元に戻すための鍵であり、
それを長門は俺に伝えるために力を使い、また熱を出させてしまう結果になったんだろう。

「あなたのせいではない。わたしが独断でやったこと」

長門の表情はあの雪山や春に見た辛そうなそれでは無かった。
ハルヒの言うぼーっとしている様子もない。本当に大丈夫なんだろう。

「ああ、ありがとうな」

定位置となっているパイプ椅子を引き、鞄を脇に置く。
二人しかいない部室は妙に静かだ。運動部の掛け声やら吹奏楽部の楽器の音やらがやたら大きく聞こえた。

「そういえば、あのメッセージ。あれを校庭に描いたら元の世界に戻れたようだが、ありゃ一体どういう仕組みなんだ?」

自分でやっておいて何だが、正直自分でも何故元の世界に戻れたか分からん。
まさか織姫と彦星に願いが届いたからとか言わんだろうな。

「強固なプロテクトによって外部からの干渉は非常に困難だったため、あなたにインヴォケーションサインを託した。
 それは大きな情報量を持っているから、空間の許容限界の情報量を超え、空間が崩壊した」

……相変わらずの説明の分かりにくさだ。
いつも間に入ってくるニヤケ面の超能力者が不在なために一語一語つっこんで説明をもとめ、なんとか俺の足りない頭でまとめた結果、つまりこうらしい。

214: 2010/03/27(土) 01:51:46.72 ID:RpRp6iNC0
あの情報生命体の奴らが生成した異空間は、あの雪山の時と同じように範囲が決められていて、
その中に俺の街並みの構成情報やら住民の生体情報やらを突っ込んで出来た空間らしい。
で、範囲、いわゆる情報の入る容積ってやつか。それが限られていたから、長門はそれを狙った。
外部からの手出しが出来ないようにがっちりプロテクトされていたものの、巨大な情報量を持つ記号を俺に熱を出しながらも何とか伝え、
そのおかげで空間が情報を抱えきれずに破裂したってわけだ。

外からは絶対に割れない風船を割るには、中の空気を増やせばいい。つまりはそういうことだ。

ちなみに、今いるハルヒ達は俺があの異空間で会ったハルヒ達本人で間違いないらしい。
記憶については、思念体の奴らが昨日の記憶を持たせることで帳尻を合わせたとのことだ。
俺の記憶だけは保護するように言ったのは長門。

「しかし、空間と言ってもどっからどこまでがそれだったんだ?
 雪山の時はあの屋敷そのものだったんだろうが、俺が見たのはここらへんの街並みの景色そのものだったぞ」

確か俺達は結構遠くまで出歩いたはずだ。市内ではあるが、そこそこ色んなところへは行ったんだ。
あの時と重ね合わせれば、空間の端まで行っちまえば何かしら出られないようになっている部分が見つかったはずだ。
だが長門は今日の晩御飯のメニューを教えるのと変わらない調子で答えた。

「空間の範囲は、およそ百平方キロメートル。
 だいたいこの市内全てを覆う程度の大きさで、そこにいる人々ほぼ全てがその空間にコピーされた。
 位置情報もこの元々の世界とほぼ同じ。時間の流れは異なっていたが、二重の空間がこちらの時間軸で言う大体丸一日ほどここに存在していた」

…………。
俺は絶句した。おいおい、市内を丸ごとだと? 雪山と時とは比べ物にならない程大きい。
そんな巨大な空間を、あいつらが作ったってのか。

216: 2010/03/27(土) 01:54:29.74 ID:RpRp6iNC0
それに、あの時のような場所によって時間の流れが異なるようなこともなかった。電車の発着時間も俺の腕時計とぴったり一致していたぞ。
それを、あの馬鹿でかい空間でやってのけたのか、あいつらは?

長門は首肯するだけ。
もしかしたら、ここ数ヵ月の沈黙もあの空間を作るために動いていたからなのかもしれん。

「最初、情報統合思念体は朝倉涼子の構成情報を盗まれたことを懸案事項とするものの、現状に変化を及ぼさないものと見て静観を決めていた。
 あの冬の時から判断して、天蓋領域があまり高度な生命体であるとは考えられなかったこともある。
 しかし、いざその空間から情報が流れだし、プロテクトにより読み取れなかった情報の中に懸念すべき情報が見つかった」

文字通り雲の上の話だな。で、懸念される情報ってのは?

「異空間へ引きこんだ有機生命体に対する記憶改変。
 あの空間から一般的な人間が出ることは不可能であったのに対し、そちらの世界で混乱が起こることはなかった。正しい?」

ああ、確かにそうだな。
市内から出られなくなる見えない壁が、なんて話は一度も聞かなかった。
だから、俺は真っ暗な空間であいつに会うまで世界改変だと思い込んで……そこまで考えてやっと気が付いた。

俺達の住んでいる市は、山奥の辺境にあるわけでも、周囲の都市との交通が全て断絶された場所にあるわけでもない。
それなりに流通もあるし、北口駅には私鉄のターミナルジャンクションがあるということもあって市外に出る奴も毎日大勢いるはずだ。

「なのに、誰も出られないことに気付かなかったってのか?」

長門が、こくりと頷きを返した。

「恐らく、高度な意識操作が行われていたと思われる。これを受け、情報統合思念体は天蓋領域をある程度危険視すべきと判断した。
 涼宮ハルヒに今後危害を加える可能性もあるため、彼らを抹消すべきとの意見も一部出たが、それはあまりにも危険。
 彼らが思念体よりも高度な情報生命体である可能性もある」

217: 2010/03/27(土) 01:58:37.09 ID:RpRp6iNC0
そっちはそっちで色々あるみたいだな。
だが、それは俺たちにも無関係な話じゃない。今後また妙なちょっかいを出してくる可能性だってある。
なんにも知らない一般人をマインドコントロールして市内に閉じ込め、ただ俺一人を実験するためだけにあの大がかりな箱庭を作りあげるような連中だ。
俺が感じた改変の違和感も、あえてそう感じるように巧妙に仕組んだものだったのかもしれない。今ならそう考えてもおかしくないな。

長門が淡々と説明を続ける。

「だが同時にこれは進歩の可能性も意味する。思念体より高度な生命体から何かしら得られれば、
 今のところまだ見えていない自律進化の可能性が出てくる。これはとても有益なこと。
 わたしにも、ここしばらくは天蓋領域から派遣されたインターフェースに積極的に言語的コンタクトをとるという任務を与えられた」
「長門は?」

俺の唐突な問いに、長門は首をかしげた。

「お前は、どう思ってるんだ。あいつらのことを」

お前のコピーを勝手に作り出し、お前以外の人間を異空間に閉じ込め、好き勝手やった天蓋領域の奴らのこと。
長門、お前はそれをきっかけに奴らに自律進化の可能性があることを認めてコンタクトをとる。それだけなのか、お前の感じたことは。

「…………」

長門は考えるように視線を落とすと、もう一度顔を上げて言った。

「あまり、良くは思っていない」
「……そうか。ありがとうな」
「いい。しかし、これはわたし個人の意思とは無関係にやらなくてはいけないこと」

ああ。それぐらい分かってるさ。でも十分だ、俺は。お前の考えを聞かせてもらえただけでもな。

219: 2010/03/27(土) 01:59:17.52 ID:RpRp6iNC0
そうだ、もうひとつ聞いておかなくてはならんことがあった。
今回、長門にとって、というかこの世界にとってあの異空間を放っておいても何の損もなかったはずだ。
だが、長門は俺達を助けてくれた。体調を崩してまでだ。

「どうしてなんだ?」

その俺の問いに、長門は考える動作さえ見せずに「あなたは、あなた」というシンプルな回答だけをよこして、視線を分厚いハードカバーに戻した。



その後古泉が部室に来て、しばらくしてから朝比奈さんとハルヒが戻り、そこからはいつも通りの部活になると思っていたのだが、
ハルヒによって突如七夕パーティの開催宣言がなされた。まあ、突然でも何でもないが。
ハルヒによると、ゲストに鶴屋さんを招き、朝比奈さんに織姫のコスプレをさせつつ笹に願い事を書いた短冊をぶら下げ七夕的イベントを消化したのち、
鍋やらジュースやらその他食い物で部室において適当に騒ぐのだという。
夏なのに鍋なのか、って突っ込みは他に部室で出来そうな料理が見当たらないためナシだ。

「特別イベントもあるから」、といいつつ不敵な笑みを浮かべるハルヒの視線は俺にあったわけで、
やれやれ、本当に俺はまた一発芸をやらされることになるらしい。

でもまあ、そこにいるのはSOS団の団長であるハルヒと、宇宙人でありながら文芸部員部長でもある長門、
ドジっ子メイド未来人の朝比奈さんに、いけすかない超能力者の古泉。そして一般人の俺、それに鶴屋さん。
周りが一般人まみれになり、俺がただひたすら胃を痛めるだけの日々とは段違いに平和だ。
一般人しかいない世界より宇宙人やら超能力者やらがいる世界の方が安心できるというこの矛盾。もはや言い訳する気にもなれないね。

懸案事項は未だ山積みではあるものの、今はこの高校生らしいイベントを楽しみたい。それが俺の本音だった。
しかしSOS団どころか何十万という人間を巻き込んでまで起きたこの出来事を、無かったことにすることはできない。

221: 2010/03/27(土) 02:02:46.72 ID:RpRp6iNC0


翌々日の七月五日。
今日は確かカレンダーによれば土曜日、つまり学校は休みであるはずだったのだが、何故か俺は学校にいた。
理由はというと、SOS団主催七夕パーティの準備が土日を挟んでいては間に合わないからである。

ただ笹を飾って部室で飲み食いするだけだろうと俺は考えていたのだが、
ハルヒに笹飾りの作成や折り紙を鎖状に延々と繋げて作る例の飾りもんの作成を命ぜられており、
三日はパーティ会議に充てられ、昨日はハルヒにきびきび部室掃除の指示を出されたので飾り付け等が出来るのは今日だけだ。

ハルヒ指定の集合時刻五分前にやってきてみると、丁度朝比奈さんがわざわざメイド服に着替えているらしく、
部室のドアは閉まっており廊下に古泉だけが立っていた。まさか後で罰金とか命ぜられないよな、多分。

「よう」

腕を組み、窓に背を預けて佇むいけすかない野郎に声をかける。

「こんにちは」

向けられた如才無い微笑み。
ドアの向こうからハルヒの声が聞こえる。どうやら現在制作中の衣装を合わせているらしい。

「何だかしばらく時間がかかりそうだな。ったく、これで本当に今日中に準備できるのかよ」
「しかし、このようなイベントを控えて涼宮さんの機嫌もよさそうですしね。僕としては喜ばしい限りです」
「そうか。……最近は、閉鎖空間なんてのも発生してないのか?」

窓の外からは休日まで練習に励む運動部の掛け声が聞こえてくる。
今回の鍋パーティは教師に見つかったりしないだろうな。生徒会からは確実に何かしら言われるだろうが。

223: 2010/03/27(土) 02:06:52.60 ID:RpRp6iNC0
「そうですね、ありがたいことに春のあの事件以来ここ最近は非常に安定しています。目立つ不安要素といえば朝比奈さんのことぐらいでしょうか。
 そういえば、この間長門さんが熱を出したときは肝を冷やしましたが……
 彼女にもその程度の人間らしさは持ち合わせている、ということなのでしょうか?」
「ああ、そのことで古泉に話があるんだが」
「おや、長門さんの体調のことについてですか?」

……そう言うと変な感じもするが、まあ似たようなもんだな。
長門が体調を崩したのには俺に原因があるのだから。

「それは、あまりいい予感がしませんね」
「まあ聞け。長くなるかも知れんが……まあ大丈夫だろ」

ドアの向こうでは朝比奈さんの衣装に対してハルヒの唸る声が聞こえている。デザインに悩んでいるらしい。
俺はハルヒの耳に届かないようにややボリュームを抑え、これまでに自分が体験したことを俺がSOS団の団員じゃないと発覚したあたりからざっと説明してやった。
流石に感情まで改変されたことは隠したが。本人のためにも、それが一番良いだろうと俺が判断したからだ。

この数日で俺の身に起きた出来事を、のちの長門による解説も交えつつざっと説明してやると、その間黙って耳を傾けていた古泉は、

「……なるほどね。一昨日、何やらあなたの様子もおかしいとは感じていたのですが。まさかそんなことがあったんですか」

と、顎に手をやり考え込むような動作を見せた。

「大変だったんだぞ、長門からのメッセージがなきゃ今頃まだ異空間の中だ」

古泉は思案顔のまま数秒間沈黙すると、

「そして天蓋領域が情報統合思念体と同等、もしくはそれを上回るほど高度な情報生命体である可能性がある……
 なるほど、それは確かに思念体にとって有益ではあっても、僕らにとってはあまりよろしくない事態かもしれませんね」
「ああ、またどんなちょっかいを出してくるのか分かったもんじゃない」

224: 2010/03/27(土) 02:08:24.65 ID:RpRp6iNC0
>>222
入れようとしたんだが隙間がなかった……九曜と話すときのキョンのモノローグで勘弁してください



「それだけではありませんよ」

大げさな声色で古泉が言う。どういう意味だ?

「いいですか? 僕には記憶こそありませんが、僕達はこの世界とは別に、新たに作られた異空間に閉じ込められた。
 しかし、この世界の僕達。今は異世界の消滅により上書きされましたが、彼らにとっては全く異常の無い、いたって平和な世界だったはずです」

確かにその通りだが、一体それが何だってんだ。

「つまりですね、僕達が普通に過ごしてきた間に、もしかしたらコピーされた僕達が違う世界へ連れ込まれていたのかもしれません。
 僕達が今こうしている間も、彼らはその空間から出ようともがいているのかもしれない」

……まさかとは思うが、確かに有り得ない話じゃない。
あの冬の時、俺達は長門からの鍵、あの扉にあった問題を解いて外へ出ることが出来た。だが、もし解くことが出来なかったら。
謎の問題を残したまま奴らに負荷をかけられた長門は倒れ、俺達は頭を悩ませたまま永遠に屋敷に閉じ込められる。

もし天蓋領域の奴らがあんなことを繰り返していたとしたら、今も閉じ込められっぱなしの"俺"がいたとしてもおかしくはない。

しかし、朝倉が『時間をかけて作りあげた空間』と言っていたし、
春から今まで沈黙していたこともあるから俺としてはそんなことは無いと思いたいところだ。

「まあ、あくまで想像上の話でしかありませんしね。
 でも、これからまたそういう事態に巻き込まれる可能性が無いわけではありません」

それ相応の覚悟をしておいた方がいいってか。

225: 2010/03/27(土) 02:10:34.22 ID:RpRp6iNC0
だが、俺としてはこれからも今回のような方法で出られると信じたいんだがな。

「僕にも、それがどのような記号なのか教えを請いたいところですね」

……どんなだったかな。意外と複雑なんだよ、あれは。

「俺は大丈夫だと思うんだがな、そんなことをしなくても」
「ほう、理由をお聞かせ願えますか?」

理由? そうだな。まず第一に朝倉の台詞がある。
異空間にコピーされても、ハルヒの願望実現能力は消えていない。
つまり、ハルヒのあの厄介な特殊能力は、長門の宇宙に漂う情報意識との繋がりを取り去った天蓋領域なんてのにも
取り上げることは出来ないと思うんだ。
ハルヒがそこから出たいと願えば、恐らく異空間なんてあっという間に弾けちまうだろ。

「なるほど。確かにあなたの言うとおり、彼女の能力の前には天蓋領域も歯が立たないでしょうね。
 しかし、今回は彼女の記憶まで変えられてしまったんですよ? 元の世界の記憶が無ければ、その世界に戻ろうとは思わないでしょう」

ああ、確かにそうだ。おまけに、ジョン・スミスという決定的な記憶までハルヒから消し去っちまった。
しかしだ。俺達はこうして元の世界に戻れた。これなら、もう大抵の事では俺達にどうこうすることが出来ないんじゃないか?

「……あなたらしい、楽観的な意見と言えますね」

そりゃどう言う意味だよ。

「しかし、あなたが言うのなら確かにそうなのかもしれません」
「ほう、宇宙パワーも超能力も使えない、全くの一般人である俺の言葉を信じるってのか?」

古泉は、ふっと噴き出したように笑うと、背を預けていた窓から身を起こした。

226: 2010/03/27(土) 02:15:11.06 ID:RpRp6iNC0
「そうですね。何となくそう思っただけですよ。あなたが直感でそう思うなら、僕もフィーリングでそう感じた。それでいいじゃないですか。
 今やるべきことは、明後日に開催される七夕パーティを精一杯楽しむことです。違いますか?」

扉の向こうから、朝比奈さんの着替えの終了を知らせるかわいらしい声が聞こえた。

「……まあな、お前がそう思うならそれでいいさ。
 ああ、それと古泉。お前にもう一つ質問したいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「お前にとって……そうだな。SOS団は楽しいか?」

ちょっとした沈黙の後、古泉は困ったように笑った。

「変なことを聞きますね。そうですね、言うまでもないと思いますよ。
 僕はあの冬にあなたへお伝えしたことで十分だと思っているのですが」
「……そういえばそうだったな」

目の前の扉が勢い良く開いた。おい、そろそろ金具が外れてもおかしくないぞ。

「古泉くん、みくるちゃんの着替えもう終わったわよ……ってキョン、あんた今来たの? 遅刻ね」

俺はちゃんと集合時刻の五分前に来たぞ。遅刻じゃない。

「言い訳無用! ……ま、今は別にいいけどね。
 それより優先されるべきはパーティに向けての準備よ。ほら、二人ともさっさと中に入る!」

俺は古泉が小さく肩をすくめるのを見届けると、溜め息をついて部室に入った。



227: 2010/03/27(土) 02:20:24.96 ID:RpRp6iNC0
あの後、ハルヒが居なくなった隙をみて朝比奈さんにも俺が体験したことを全て話した。
俺はとりあえず起きたことを耳に入れておこうと思っただけなのだが、
朝比奈さんは自分が全く役に立てなかったと非常に申し訳なさそうにしていた。
しかし記憶がなければどうもこうも出来るわけがないし、むしろ異世界での朝比奈さんは俺を励ましてくれたり
団員じゃ無くなったはずの俺にもお茶を淹れてくれたりと、この上なくありがたい存在だった。

そのことを朝比奈さんに伝えると、「そうですか?」とはにかむような笑みを見せてくれて、俺としてはもはや天にも昇りたい思いだったね。



そしていよいよ七夕パーティ当日。

ハルヒも放課後を待ちきれないといった感じのようで、帰りのHRの終了を知らせるチャイムがなるやいなや教室を飛び出して行った。
やれやれ、こんな時間から鍋を食わなきゃならんのか。

喧騒に包まれる教室を眺めて、ふと思いついた。

「おい、谷口。それに国木田」

鞄を持って教室を出ようとしていた二人に声をかける。

「なんだいキョン、今日は部活じゃないの?」
「そうなんだが、実は今日、七夕パーティっつーもんをやる予定なんだ。
 どうせ暇だろ? お前らも来い」

今頃ハルヒが鍋の下ごしらえをしている頃だろう。

「七夕パーティ? 随分けったいなパーティをやるもんだな。一体何を祝ってるんだ?」
「まあ、織姫と彦星の再会かなんかだろ」

228: 2010/03/27(土) 02:25:16.29 ID:RpRp6iNC0
そのことについてはハルヒ本人も分かってない可能性があるかもしれんが。
それを聞いて、谷口が大きく肩をすくめて溜め息をついた。

「へっ、何が悲しくてお空の向こうにいる男女の再会なんか祝わなくちゃなんねーんだよ。
 しかも夏に鍋とか、季節外れも甚だしいだろ」
「いちいちそんなことを気にして、谷口は情けない男だね。僕は行くよ。
 だって、朝比奈さんに会えるんでしょ? しかも、メイド服のコスプレした。見たことがないわけじゃないけど、一度生で見てみたかったんだ」

ああ。今回はメイド服どころか完全新作の団長様特製衣装をまとった朝比奈さんに会えるだろうよ。

「じゃあ来るのは国木田だけだな? 多分準備を始めているだろうが、ただで参加させてやるから手伝いぐらいはしろよ」
「もちろん。そのくらい、お安い御用だよ」
「ちょ、おい待て! 俺も、俺も行くって!」

谷口が慌ててあとをついてくる。
何だ谷口、さっきまではさらさら行く気がなかったのに、もう意見が変わっちまったのか。さもしい男だな。

「俺は何を言われたって構わない。朝比奈さんの生のコスプレ姿を拝めるのなら、真夏の鍋だって真冬のかき氷だって食ってやるさ!
 だからキョン、俺もパーティに参加させてもらうぞ!」

はいはい、分かったよ。しかし谷口、真夏よりも鍋よりもお前が一番暑苦しいぞ?



229: 2010/03/27(土) 02:30:34.32 ID:RpRp6iNC0
部室に着くと、ハルヒ以外の全員が揃っていた。
長テーブルの上には、紙コップにジュース、そしてさまざまな具材にぐつぐつと煮えたぎる鍋。
部室は一昨日の頑張りのおかげで、チープではあるがそこそこパーティらしい雰囲気になっていた。

そこにいるのは古泉に長門、スペシャルゲストの鶴屋さん。そして……

「あ、こんにちはキョンくん……と、えーっと、キョンくんのお友だち」

菜箸を持った、間違いなく本物の織姫さまがそこにいた。

上半身の衣装の作りは浴衣っぽい作りでありつつ、大きなリボンのついた帯より下はふわっとしたフレアのミニスカート。
衣装の全てのパーツが朝比奈さんを全力で引き立てている。
織姫のコスプレのはずなのに中国っぽさが微塵も感じられないのはもはやさしたる問題ではない。とても手作りには見えない完成度が恐ろしい。

「これ、どうかなあ。涼宮さんは可愛いわよって言ってくれたんですけど……」

いや、もう本当、もの凄く可愛らしいです。それ以外に俺の貧弱な語彙では形容の術がないくらいに。
今こそ、本当にハルヒが神様に思えてくるね。
ハルヒは一体どこからその恐ろしいぐらいに多彩な才能を引き出してくるんだろうか。一度でいいからハルヒの頭の中を見てみたいものだ。

「本当? ふふ、ありがとうキョンくん」

朝比奈さんがふわりと微笑む。
恐らく、この微笑だけでこの高校に通う男子生徒の九割以上が落ちてしまうだろう。
事実、脇にいる二人が顔を赤くして朝比奈さんに見惚れている。

「やーやーキョンくん! ちょっち久しぶりだねえ!」

そうぶんぶんと手を振るのは鶴屋さん。
いや、俺にとっては結構最近に会ったんですが。まあそれは置いておこう。

231: 2010/03/27(土) 02:36:05.43 ID:RpRp6iNC0
「いや、本当に可愛いよねえみくるは! 食べちゃいたいぐらいだよう!」

そう言って鶴屋さんが朝比奈さんを抱きしめて頬をぐりぐりしている。
ああ、眼福だ。一生この画を脳内に焼き付けておきたい。

「できないことはない」

いつの間にか俺の隣に瞬間移動して言ったのは、さっきまで黙々と本を読んでいたはずの長門だった。

「……いや、遠慮しておくよ」
「そう?」
「じゃあ僕がお願いしましょうかねえ」

そう言っていつの間にか長門の隣にいたのは古泉。おい、ふざけんな。

「僕は割合まじめですよ。僕だって一介の男子高校生ですから」

爽やかに微笑む古泉をいっぺん殴ってやろうかという考えが頭をよぎった時、部室の扉が勢い良く開いた。

「おまたせー! みんな、ちゃんと揃ってるかしら!」
真夏の太陽ぐらい、いやそれより輝く笑顔がそこにあった。

「やーハルにゃん! 今回はお招きいただきありがとーっ!」
鶴屋さんがハルヒに負けないぐらいの笑顔で手を上げる。

「いやあ、それにしてもおっきな竹を持ってきたねー、よくここまで持ってこれたなあっ」

その鶴屋さんの台詞で俺はようやっと、持っている奴より背丈があるんじゃあないかと思えるような竹を、ハルヒが抱えていることに気付いた。
……ああ、すっかり忘れていた。もう勘弁してくれ。

232: 2010/03/27(土) 02:40:27.24 ID:RpRp6iNC0
当然のごとく、長門に古泉はスルー、朝比奈さんはその大きさに驚いているだけ。ちくしょう、またか。またなのか。

「おい、そんなでっかい竹どっから調達してきたんだよ?」

谷口が素っ頓狂な声でそう言った。よし谷口、ナイスアシストだ。
ハルヒは腰に手を当ててふふんと自慢げに笑うと、

「実はこの竹、鶴屋さんちから貰ってきたの! だから見て、学校の裏の竹林にある竹なんかより断然立派でしょ?」

その言葉を聞いて、俺はほっと胸をなでおろした。
良かった、ハルヒもだんだん常識が分かるようになってきたのか? いや、後半の台詞を聞くにまだ駄目か。

「って、あら? 谷口じゃないの。それに国木田。何? キョンが連れてきたの?」
「ああ。二人とも暇そうにしてたもんでな、せっかくだから連れてきた。問題ないだろ?」

ハルヒは竹を窓枠に立てかけつつ二人の顔を見比べるように凝視すると、

「ま、別にいいんじゃない? 材料もたっぷりあるしね。
 あんたがそんなに多くの人に一発芸を見せてあげたいっていうんなら」

その一言を聞いて俺は固まった。ああ、俺でさえすっかり忘れていたことを。

「なになに? キョンくん、またアレをやるのかいっ?」

その鶴屋さんの言葉に谷口と国木田が不思議そうな顔をする。
ああ、やめてくれ。この二人を呼ぶんじゃ無かった、ちくしょう。

237: 2010/03/27(土) 02:45:04.30 ID:RpRp6iNC0
「何よ、なんも内容を考えてこなかったの? まあいいわ。あんたの一発芸は鍋を食べ終えた後の余興までとっておくから。
そんなことより、せっかく立派な竹を持ってきたんだから、まずやるべきは七夕よ!」

ハルヒがちょこまかと短冊二枚と筆ペンを配り歩く。

「じゃあ、片方は十六年後、もう片方は二十五年後に叶えて欲しい願い事を書きなさい!
 書き終わったら、適当に笹につるしてちょうだい」

それを合図に、各々で適当に願い事を書くことになった。
俺は……まあ、去年と似たようなもんで良いか。適当に願望を書いてさっさと笹につるす。

「なあ、なんでこれ十六年後と二十五年後限定なんだ?」
「そりゃ、アルタイルが十六光年、ベガが二十五光年離れてるからじゃないの?」
「ああ、なるほど……しかし、片道でそれぞれ光の速さ分時間がかかるって計算なら、往復で三十二年後と五十年後にならねえか?」

谷口が書く内容に頭を悩ませながら言う。谷口、そこには触れないでおけ。

「ああ、そういえばキョン。さっき言ってた一発芸とかアレとか、何の話なの?
 もしかしてキョンが一発芸とかを見せてくれるわけ?」

国木田の言葉を俺は軽く無視する。
いいさ、古泉も言っていたじゃないか。今一番大事なのは目の前にあることを楽しむことだってな。
俺も存分にそうさせてもらうよ。だから放っておいてくれ。

238: 2010/03/27(土) 02:50:10.75 ID:RpRp6iNC0
「よしっ、じゃあみんな短冊をつるし終わったわね? じゃあみんな紙コップを持って!」

またいつ天蓋領域、またはそれに似たような奴らがちょっかいを出してこないとは限らない。
だが、俺には切り札がある。俺はジョン・スミスだと言えば、世界の様相は一変するだろう。
高度な情報生命体でさえかなわない、ハルヒの特殊な能力によってな。

ハルヒが軽く咳払いをして、言った。

「えーっと、じゃあ団長であるあたしから挨拶をさせてもらうわね」

しかし、今回はハルヒのジョンに関する記憶まで奪われちまった。
そうさえしてしまえば、鍵は俺の手から失われ、奴らの思うがままになっちまう。

だが、本当にそれだけで崩壊しちまうものなのだろうか?

「みなさん、SOS団主催の七夕パーティにお集まりいただきありがとうございます。
 今日は晴れ。十分な七夕日和といえます」

俺は思うんだ。きっと、もうハルヒにとってジョン・スミスなんて過去の人物はそれほど重要な人物じゃない。
だって、一年前の七夕ではメランコリックにジョンの事を思い出していたのにもかかわらず、今目の前のハルヒはみんなでわいわいと七夕を楽しんでいる。

きっと、ハルヒにとって七夕はそれほど特別な日なんかじゃないんだ。
だって、ここにはSOS団がいるのだから。

239: 2010/03/27(土) 02:53:02.21 ID:RpRp6iNC0
「気温も、夏に向けてどんどん上がってるし……って、そんなまどろっこしいのはいいわね。
 じゃ、さっさと飲み食いして盛り上がりましょ!」

ここにはハルヒに俺、長門、朝比奈さん、古泉がいる。そして、周囲にも頼もしい人がいる。
きっと、それで十分なんだ。
それさえあれば、世界は大いに盛り上がる。

なあ、ハルヒ。


「じゃあ、かんぱーい!」



お前もそう思うだろ?












おわり

241: 2010/03/27(土) 02:55:09.18 ID:RpRp6iNC0
やっと終わったー!
某有名SF小説のネタをハルヒでやってみようと思ったら、結果的に別物になりました。

支援・保守ありがとうございました!

243: 2010/03/27(土) 02:55:58.05 ID:A0qIdHbd0

引用: キョン「俺は、ここにいる」