こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、家康が再起を誓った「大樹寺」!"厭離穢土、欣求浄土"の教えと松平家代々の墓と…です。
■家康を辿る物語
今川義元死す…。衝撃の報が届いたとき、松平元康(家康)は大高城にいました。
そこは、尾張国知多にある小城…。このままでは織田軍に吞み込まれる…。
元康は、夜になって大高城から撤退することを決断。故郷の三河岡崎に向かいます。
逃げ込んだ先は、松平氏の菩提寺・大樹寺でした。伝承では、元康の側にいたのは近臣18人のみだったといいます。
進退窮まった元康は、先祖代々の墓前で自害することを決心します。
しかしこのとき、大樹寺住職・登誉(とうよ)上人が元康に語りかけました。
「戦国の世は、武士が自分の欲のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭(いと)い離れ、永遠に平和な浄土を欣(ねが)い求めて、それを成すことが、あなたの役目ではないか。」
これは「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)という浄土教思想で、元康は、後にこの言葉を旗印に掲げるほど、重く受け止めました。
そして元康は大樹寺を出立すると、今川氏の城代が逃げ去った岡崎城に入城。こうして元康は、長き今川氏の支配から、ついに岡崎を取り戻したのです。
■大樹寺 山門 本堂
家康を辿る城旅…。今日は、家康が桶狭間の戦い後に逃げ込んだ「大樹寺」を訪れましょう。
松平氏代々の菩提寺。そして、「厭離穢土、欣求浄土」の言葉を胸に、家康が再起を誓った場所です。
大樹寺は、岡崎城の北、約3㎞のところにあります。その入口に建つ荘厳な「山門」…。
ここから南を見通すと、総門を通してはるか先に岡崎城が見えます。この歴史的眺望は「ビスタライン」と呼ばれています。
(左:山門、右:山門からの眺望「ビスタライン」)
境内には、これまた荘厳な「本堂」が建っています。
本堂のなかに入ると、中央に金色に輝く御本尊「阿弥陀如来坐像」。その両脇には、登誉上人が家康に諭した言葉「厭離穢土、欣求浄土」があります。
(左:本堂、右:本堂内御本尊)
さらに本堂右奥には、大方丈・位牌堂拝観ルート(有料)があります。
ここでは、大樹寺に逃げ込んだ家康を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」や、徳川歴代将軍の等身大位牌、家康の木像などを拝観できます。※写真撮影不可
■大樹寺
境内の奥に足を運ぶと、史跡「松平八代墓」があります。
初代親氏から、家康の祖父・七代清康、そして家康の父・八代広忠まで、松平家8代当主の墓が並んでいます。
当寺に逃げ込んだ家康は、先祖代々の墓の前で自害を決意しますが、大樹寺住職・登誉上人から「厭離穢土、欣求浄土」の教えを説かれ思い止まりました。
後に、将軍となった家康は同寺を参拝。墓所の再興を命じました。現在は、八代広忠の墓の隣りに、家康の墓も建っています。
(左:家康の墓、中央:松平広忠の墓、右:松平清康の墓)
さらに、境内でひときわ目立つ壮麗な建造物が…。
国指定重要文化財の「大樹寺多宝塔」です。室町時代末期、七代清康によって建立されました。
なんとも美しい造形ですよね…。一階が方形、二階が円形、その結節部が饅頭型。屋根は檜皮葺です。
塔内には、本尊の多宝如来像を安置しています。それにしても、本当に古風で美しい…。これぞ日本の建築美。ずっと後世に残してほしいですね。
さて、ここ大樹寺で再起を誓った家康ですが、今川方の兵が逃げ去った岡崎城に悠々と入城。
このとき家康19歳。6歳の頃から尾張・駿府と長く送ってきた人質生活から解放され、ついに三河岡崎の城主となったのです。
■基本情報
名称:大樹寺
住所:愛知県岡崎市鴨田町広元5−1
アクセス:東岡崎駅からバスで15分
営業時間:9時~16時
定休日:無休