冒頭画像:ノルウェーのオスロで開かれたGlobal Fact 9には女性のパネラーも目立った。各国の総選挙について語るセッションは、登壇者全員が女性だった。(筆者撮影)
世界で活動するファクトチェッカーの世界会議、「Global Fact 9(グローバルファクト・ナイン、以下『GF9』と表記)が6月22日〜25日にノルウェーのオスロで開かれました。新型コロナウィルスのため、3年ぶりの対面も含めたハイブリッド開催となりました。
ミスインフォメーションやディスインフォメーション対策、テクノロジーの活用やスキルの習得、メディアどうしやプラットフォーム企業との協力など社会的な基盤づくりなどについて、60近くのセッションが開かれました。
その中からピックアップした、いくつかのポイントを解説します。
最初は、ファクトチェックとは個別のケースを検証するものであっても、常に背景にあるストーリーの全体を示すことが求められるという話です。
ファクトチェックにおける「ナラティブ」とは
最初のキーワードは「ナラティブ(物語)」という言葉です。私が出席したいくつものセッションで、この言葉が飛び交っていました。
これまで、ファクトチェックが、政治家の発言やデータの読み方など、個別の事例にフォーカスしすぎなのではないか、という批判が、ここ数年出ていました。学校の風紀委員のように堅苦しく感じられて説得力に欠け、またニュースストーリーとしての魅力にも欠けていたという指摘です。
それよりも、個別のファクトチェックすべき疑わしい発言や出来事を束ね、背景で人々のイメージや偏見などを形作る、全体の「ナラティブ」に目配りをしつつ、検証報道を進めなければならない、という考え方です。
ウクライナの戦争における「ナラティブ」
6月23日(2日目)の最初にキーノート・スピーカーとして登場したアン・アップルバウムは、次のように発言しました。
「文脈から切り離されたファクトは、それが真実であれ、間違いであれ、ほとんど意味がありません。ストーリーの一部として語られ、説明されなければなりません」
彼女は、旧ソ連の矯正労働収容所のシステムについて詳細にレポートした「Gulag: A History」(Gulagは矯正労働収容所という意味)で2004年に米ピュリッツァー賞を受けています。1980年代終わりのソ連の崩壊から、ロシアや周辺の旧共産主義圏を継続的に取材し、プーチン政権の独裁的、対外侵略的な政治手法をつぶさに観察してきました。
侵攻前から数々の布石が
ロシアによるウクライナ侵攻のナラティブとは、国際的には「これはロシア軍が侵攻してもやむを得ない」という印象を植え付け、また、ロシア国内向けには、「ロシア系住民を助け、ロシアの国際的な評判を高めるために必要なことだ」と、納得させる効果を生むストーリーということです。
例えば東部ドンバスなどの地域の親ロシア派住民が、ネオナチ勢力に迫害されているため、保護のためにロシア軍が送られたのだという、ロシア政府の説明などが、それに当たります。
アップルバウムは、2月下旬のウクライナへの軍事侵攻のかなり以前から、ロシアによるウクライナの国際的な信用を損ねるようなナラティブづくりが、巧妙な形で進められてきたと指摘します。
例えば、ロシア側が行ってきた、ウクライナがアメリカの支援を受けて生物化学兵器の開発をしており病原体を処理して証拠隠しを行った、などの指摘(英BBCなどが詳細なファクトチェックを行い、すでに「根拠なし」と判定)を、米FOX ニュースのアンカー、タッカー・カールソンが取り上げ、それをロシアの国営メディアが逆に取り上げて、権威付けをするような形でナラティブが強化されました。
長期にわたってウソを重ね、形作られたナラティブを崩すには、伝統的な手法のファクトチェック=すなわち、政治家や政治的な団体の発信などを個別に検証し、真偽を明らかにするような方法では、効果がないのではないかと、彼女は主張します。
ゼレンスキーの対抗ナラティブ
これに対抗して、ウクライナのゼレンスキー大統領も、「正統性(オーセンティケーション)」を強化した対抗のナラティブを定着させようとしたとアップルバウムは指摘します。
例えば2022年2月25日に「彼が逃亡した」とのロシア側の報道を否定して、ツイッターインスタグラムなどで発信した、「私たちはここにいる」という、側近とともにキエフ市内の大統領府の外で自撮りした映像 (日本語訳がついた映像は例えばこちら)を思い出してください。
ロシア側の発表が、プーチン大統領の執務室からの演説やロシア軍幹部の記者会見など、周到に準備された環境で重々しく行われるのに対し、このゼレンスキーの映像は照明などの用意もなく、スマホの自撮りで即興的に発信されたものでした。
しかし、戦場となっている国内に命をかけて残ることをいち早く発信し、ロシア側のディスインフォメーションを否定したことで、かえって「国民とともに戦う大統領」という説得力を増す効果を生みました。「セットアップされていない」ことが逆に効果を生んだのです。
彼は、多くの場合、画面にカーキ色のTシャツなどを着て現れます。軍服ではなく、志願してきた市民義勇兵と同じ格好です。政治家がよく使う決まり文句(英語では「clichéクリシェ」とよく言います)も使わず、平易な言葉で話しかけます。
国内向けには、「普通の市民の中から立ち上がって大きな責任を負うリーダー」であること、対外的には「民主主義を守る最前線から発信を続ける正義の政治家」であるという、「対抗ナラティブ」を形成する発信スタイルを徹底的に守っていると、アップルバウムは指摘しています。
現実は「シンプル」ではないが・・
多くの発信や、出来事の集積により形成されるナラティブは、シンプルで、例外なく首尾一貫していた方が説得力はあります。そして人は、そのような状態のほうが安心感を覚え、より強く信じてしまうものです。
ファクトチェックは、その強固なナラティブに挑戦し、つじつまの合わない複雑さや、微妙なニュアンスを提起するものです。そして、それはすべてのファクトが整然と並んでいて、それを信じている人の世界観の見直しを促すもので、「時には激しい怒りすら惹起する」とアップルバウムは述べました。
彼女は、ファクトチェッカーが「人々がナラティブを信じる強力さを過小評価しているのではないか」と指摘しました。だからこそ、個別の検証を完璧に行うだけでなく、全体のナラティブの文脈で、どのような位置づけにあるのかを意識して、説得力のある反証の説明をしなければならないということです。
しかし、それは決して簡単なことではないのも事実です。ナラティブを正しく意識したとしても、ファクトチェックによって、信じている人の考えを改めようとさせる方法は、まだ十分に開発や議論が進んでいるとは言えないのが現状です。
米連邦議事堂乱入事件も同じパターンが
2021年1月6日に起きた、ワシントンDCでの米連邦議会議事堂にトランプ前大統領の支持者たちが乱入し、死亡者も出たほか、ペンス副大統領(当時)やペロシ下院議長らの安全も脅かされた事件と、その背景となったファクトチェックを回顧・検証した6月24日のセッションでも、同じような議論がありました。
ワシントンポストのファクトチェッカー、グレン・ケスラーは、トランプの3万以上の、間違ったり、あるいは根拠のない発言のうち約1万件は、彼の任期の最終5カ月に集中しており、大統領選挙の数ヶ月前から、有権者登録や開票システムの不備や、開票でトランプに不利な不正が行われる恐れがあるなどの「不正選挙ナラティブ」を流布しようとしていた形跡があると指摘しました。
ワシントンポストは、トランプの大統領としての発言をすべてデータ化しましたが、投票が終わった後から彼の任期終了までの1カ月余の間は、彼は800件以上、選挙の不正についての間違った発言をしていたほかには、ほとんど目立ったミスインフォメーションの発信はなかったということです。
さらに1月6日に支持者を連邦議会議事堂に向かわせ、乱入を煽動したとされる演説でも、選挙の不正についての誤情報が100件以上あったということです。落選が決定的になる中で、熱狂的な支持者に向けて、「選挙の不正で、再選を阻まれる正義の大統領」というナラティブを、強力に広めようとしていたということです。
暴動は防げたのか
ケスラーは、トランプがクレームをつけた州の新聞社やローカル放送局は、すべてファクトチェックを厳密に行い、不正はなかったことを立証していた、としています。
しかし、トランプが支持者に向けて信じ込ませようとしていた、トランプの再選を阻もうとする勢力がおり、各州で投票用紙を捨てるなどの不正を行っているという、「大きなナラティブ」に対処するという意識が不足しており、個別のクレームに対するファクトチェックにとどまってしまったとも語っています。
個別の州の不正疑惑は、その州のローカル紙や放送局がファクトチェックをするとしても、その結果を誰がまとめ、全国レベルのナラティブに対抗するニュースとして発信するか、というのは、新しい課題だと言えます。これまで以上のファクトチェッカーの横の連帯が必要になります。
ポリティファクトの編集責任者、アンジー・ドゥロブニック・ホーランも、トランプは最終的に選挙で勝った2016年にも、自分が負けた州で選挙の不正があったと主張していたと指摘、彼の主張をデバンク(ウソである点を指摘)するのは、そんなに難しくはなかったと指摘しました。
しかし、そのようなナラティブが、あのような暴動に発展してしまうのは、予想できなかったと率直に述べています。
まだ終わっていない問題
ホーランは「これはまだ終わっていない問題だ」と発言しました。トランプ支持者の中には、未だに選挙の不正を信じ、バイデン大統領を認めない人たちが、相当数いるのではないかという指摘です。
ケスラーも、1月6日の後にも、選挙の不正についてのファクトチェックは継続していることを明らかにしました。そして、ファクトチェックの表現方法も「ここが間違っている」というのではなく、「真実はこれこれである」という説得型のものに変わらないといけないのでは、と提言しました。
またセッション後に立ち話で聞くと、「クイックレスポンスも重要ではないか」とのことでした。間違った発言がされたら、なるべく間髪を入れずに指摘するということです。
ヘイトクライムを止められるか
最終日の6月25日の未明に、私たちが宿泊していたホテルからわずか500メートルくらいの場所で、銃の乱射事件があり2人が死亡しました。LGBTQを狙ったヘイトクライムではないかという疑いもあるということです。
折しも当日朝に、ファクトチェッカーはヘイトクライム防止にどのように貢献できるのかを考えるセッションがありました。
フィリピンでは、ドゥテルテ政権が麻薬取引を厳しく取り締まり国民の支持を得ていましたが、中毒者をおとしめて人権侵害を正当化したり、警察の行きすぎた捜査の正当化のためにヘイトスピーチに近いナラティブを政権が意識的に広めているなどの実態が報告されました。
また、ヘイトを発見するために重要な役割を期待されているソーシャルメディアなどのプラットフォームが、その発見の方法や、問題のあるユーザーの情報共有などに消極的なため「ゲートキーパーとしての役割が果たせていない」という、さらなる連携の必要の提言もありました。
強力なナラティブを信じ込んでいる人が、怒りを爆発させ、物理的な攻撃に移るのを防ぐには、効果的な方法が確立されてはいないのが現状です。しかし、どうしたらそのようなヘイトクライムを減らすことができるのか、国際的な意見交換が続いています。
奥村 信幸(Okumura, Nobuyuki)
武蔵大学社会学部教授、FIJ理事
1964年生まれ。上智大学大学院修了(国際関係学修士)。1989年よりテレビ朝日で『ニュースステーション』ディレクター等を務める。米ジョンズホプキンス大学国際関係高等大学院ライシャワーセンター客員研究員、立命館大学教授を経て、2014年より現職。訳書に『インテリジェンス・ジャーナリズムー確かなニュースを見極めるための考え方と実践』(ビル・コヴァッチ著、トム・ローゼンスティール著、ミネルヴァ書房)。