F爺・小島剛一のブログ

2018年○月○日。真夏の遍路道。午後4時5分に今夜の宿「鶴風亭」に着きました。

尺八の音が迎える宿

尺八の音(ね)が聞こえていました。この宿に泊まったとおっしゃるお遍路さんたちから
〈鶴風亭のご主人は、尺八を演奏する〉
と聞いていたので、驚きません。

迎えに出た好々爺(こうこうや)が手に尺八を持っているのを見て、これがご主人だと判りました。R君とF爺が予想よりもずっと早く着いたので驚いたと言っていました。
「すごい健脚ですねえ。6時過ぎるかと思ってましたよ」

ご主人の案内に従って中に入ります。

女将さんも、ご主人と同じく笑顔を絶やさない人でした。好感度は抜群です。

囲炉裏と自在鉤

玄関を入って左側の大広間に通されました。真っ先に目に付いたのは、天井からぶら下がっている自在鉤とその下の囲炉裏(いろり)です。

昔懐かしい純日本間です。
《65年ぐらい前に返ったみたいにぐっすり眠れそう!》

もう一人宿泊客が到着していて、お風呂は、その人が済んでからだそうです。お名前は聞いていませんが、その人をHさんと呼ぶことにします。

洗面所とトイレは、大広間と風呂場を結ぶ廊下に面していました。椅子式の食堂もすぐ傍(そば)で、分りやすい造りです。洗濯お接待をしてくださると言うので、すぐに浴衣に着替えました。

お風呂の順番を待つ間に布団を引いてしまいます。

R「自在鉤を見るの、これで二回目です。最初は『鮒の里』。あの時、F爺さんに『自在鉤』っていう名前の物だって教えてもらいました」
F「そうだったね。自在鉤を初めて見たって言ってた」

味付けの交渉

鶴風亭の出す料理は、真夏は、鮎と野菜だけです。そのことは、予約のための電話をすると必ず明確に言ってくれます。鮎料理は、塩焼きと柚子味噌(ゆずみそ)を使ったものと二種類択(えら)べるのですが、F爺は、当然、塩焼きを所望(しょもう)しました。

その時に
F「甘い味付けのものは、身体が受け付けないので」
と説明したのですが、女将さんは、すぐには何のことか理解できなかったようです。
「えっ、葡萄やメロンが食べられないんですか」
と驚いた顔をしました。

F「いや、葡萄やメロンのように甘くあるべくして甘い物は大丈夫です。駄目なのは、料理で味醂や砂糖を使ったものです。甘味と塩味が同居していると駄目なんです。柚子味噌は、味醂を使いますよね」

今度は、呑み込めたようです。
「塩焼きなら問題無いんですね」
「問題ありません」

手製の浴槽

Hさんがお風呂から上がったようです。姿は見えませんが、廊下から階段を上って行くテノールの声を聞いて、男の人だと判りました。

数分後、お風呂へどうぞと案内がありました。浴室に入ったばかりの時には浴槽が青い石で出来ていることだけを見て取ったのですが、浴槽に浸かろうとして、底が独特の形をしているのに気付きました。

浸かってみると・・・肱(ひじ)や腰の置き場が計算してあり、伸ばした足が少し高い位置に落ち着くように出来ています。こんな造りの浴槽は初めてです。
「特注みたいだね」

後で判ったのですが、この浴槽は、ご主人の手製でした。浸かり心地の素晴らしいこと!

手製の戸棚に尺八に・・・

ご主人の手製の物は、浴槽だけではありませんでした。大広間の奥の小さな戸棚に、さっき吹いていた尺八に、お不動さんの立像に・・・ということは、左官、指物師(さしものし)、楽器造り、彫刻師その他を兼ねているわけです。そんじょそこらの器用さではありません。

「何でも自分で作れるよ」
というご主人の言葉は、何の衒(てら)いも無く自信に満ちて事実を言っているだけなのです。別に、それだから鼻高々というわけではないのでした。熟練工が自分の作品を
「これとこれは、俺が作った。あれは違う」
と言うのと同じ、穏やかで事も無げな表情でした。

夕食

6時前に夕食が始まりました。R君とF爺の主菜は、鮎の塩焼き。Hさんの皿に載っていたのは、柚子味噌でした。予告通り、後は様々な種類の野菜が並んでいました。F爺には食べられない甘さの物もありましたが、それでも量は十分でした。話も弾んで、和気藹々とした食卓でした。

デザート用に葡萄とメロンを載せた皿を見て、
《あ、宿に着いた時、女将さんが一瞬だけ困った顔をしたのは、これだったんだな》
と思いましたが、勿論、何も口には出しません。美味しく戴きました。

四つ仮名弁

Hさんは、高知県の幡多(はた)地方のご出身だそうです。標準語ではない言葉で話していらっしゃいましたが、発音の特徴がF爺の耳をくすぐります。

二分ほど聞いていて、はたと気が付きました。純粋の幡多語なのです。そして、まだお若いのに、
〈高知県でも高齢者しか保持していない〉
とそれまでF爺が聞いていた謂わゆる「四つ仮名弁」だったのです。

歴史的仮名遣いの「ぢ」と「づ」を、ごく自然に、明瞭に、「じ」「ず」と発音し分けています。鮎を食べながら、ビールを飲みながら、生粋の幡多語にしばし聞き惚れてしまいました。

奇跡的に難病から恢復

Hさんが早目に食事を終えて席を立ったので、残った四人でしばらくお喋りを続けました。女将さんもご主人も話し好きのようです。

ご主人は、ある時、難病に罹り、恢復は不可能と宣告されていたのに、「信仰の力で」奇跡的に完治したのだそうです。

お名前は、戎野(えびすの)孝行(たかゆき)さん。強烈な印象を受けた人がF爺の他にもいたようで、この名前でウェブ検索すると写真入りの紹介記事がヒットします。

就寝は、20時10分でした。