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Side readers : 02「クイーンズ リゾート(前)」

クイーンズ リゾート(前)

夏のひととき、プライベートリゾートでくつろぐ、神月家の若き当主、かりん。
世界規模の超巨大組織を率いるトップのつかの間の休息。

クイーンズ リゾート(前)

南洋の夏に特有の、溢れるほどの日差しが水面で金色に弾ける。
 どこまでも透き通った水の中、滑るように進む優美なシルエットがひとつ。
 水を従え、手なずけ。踊るように、流れるように。水に棲む生き物のしなやかさで、プールの長辺を泳ぎ切って浮上する。
 小さな水音。
「ふぅ」
 水面を割って顔を上げた神月かりんが、形の良い唇をすぼめて息をつく。豊かな金髪が水を含んで貼りつくのにまかせて、そのまま目を閉じて、しばらく南の太陽をまぶたの裏で感じとる。垂れかかった前髪からの滴が秀でた額にひとつぶ、頬を伝って、彫像のように整った首もとデコルテへと流れ落ちた。
 かりんは目を開く。雲ひとつないクリアブルーの空をまぶしそうに見上げる。満足げな微笑みが口元に浮かぶ。神月プライベート・リゾートの朝は、完璧だった。
 とん、とプールの底を蹴って伸び上がる。無駄のない動きでプールサイドに立つと、待ち構えていたメイドたちの一人がタオルを差し出す。目で礼を言って受け取ると、濡れた髪をおさえて歩き出した。
 パティオを横切って、ビーチを見晴らす東屋バレに向かう。メイドたちは女主人ミストレスに付き従って体の水をぬぐい、半ば乾いた髪を整える。
 ポリネシアふうに設えたシュロ屋根のバレの傍らでかりんは足を止める。腰に手をやって頭を一振りすると、蜂蜜色の長い髪が、たおやかにロールして波打つ。年齢相応に、堅苦しい場ではまとめていることも多いが、それ以外のときはできるだけ巻き髪のスタイルでいることを、かりんは好んでいた。金の巻き髪は、神月家の総領たらんと自覚しはじめた高校生の頃からの、彼女の旗標シンボルだった。
 東屋の寝椅子に、かりんは横になる。軽く足を組んで、クッションのきいた背もたれに深々と身を預ける。南洋とはいえ、影になった東屋は風が通って心地よい。サイドテーブルからグラスを手にとって、よく冷えたレモネードで喉をうるおす。
 目を閉じて、波の音に耳を澄ます。
 ここへは、なにもしないをしに来た。頭から、日々の雑事をすべてしめだす。かりんは、なにもしないひとときを満喫する。
 武芸百般のみならず、全てにおいての覇者たる神月家の長とても、時間だけは思うままにできない。むしろ、敢然強固たる超巨大組織のトップなればこそ、自分の時間を持つことは難しかった。強者であることには、責任が伴う。
 それでもかりんは、こうしてなにもしない時間を意識して作るようにしていた。文字通り世界を動かすような決断において健勝であるためには、頭と体を休める時間がどうしても必要だった。
 けれども。
「......やれやれ」
 かりんは寝椅子の上で小さくもらす。貴重なひとときが中断されそうなことを察知していた。足音が近づいてくる。
 リゾートの場で、つまらない用件で女主人を煩わすような行き届かない者は、神月家にはいない。規則正しい歩調でやってくる誰かが、重大な報せを携えているのは間違いなかった。
「柴崎。仕事の話は持ち込まないよう、言いつけてあったはずでしてよ」
 目を閉じたまま、かりんは声に軽く不満をこめる。
 お休みのことろ申し訳ありませんと慣れた感じで応じて、若い執事長は革で装丁された書類ばさみを差し出す。
「少しでも早く、お耳に入れておいた方がよろしいかと存じまして」
 かりんは寝そべったまま書類ばさみを開く。
「多機能情報衛星プロジェクト......、まんじゅしゃげ3号ね」
 はい、と柴崎は答える。ビーチにそぐわないスーツ姿だが、怜悧な顔には汗ひとつない。
「サブシステムの制御系チップに、仕様外の挙動がみられました」
 単に部品に不良があったというだけで、ここまで報告がくるとは思えない。かりんは片眉をあげて先を促す。
「3号プロジェクトは全部材の内製インハウス開発を目指しておりますが、一部サブシステムでは実績のある外製品を調達しております。問題のあったチップは、1号の開発時から採用していたワイテクノロジー社のものなのですが......」
 柴崎の説明を聞きながら、かりんは手元の資料をたぐる。書類ばさみに内蔵されたタブレットの画面に、該当の箇所をみつける。
「......ワイ社の株式所有者リスト。見慣れない会社の名前がありますわね」
 はい。柴崎は、わずかに下がった眼鏡を指でなおす。
「いくつかの投資ファンドを通して、ワイテクノロジーの株が買われており......、調べましたところ、あるつながりがありました」  かりんは報告書の中にその名を見つける。
「シャドルー......!?」
 いくつもの国際的な企業を裏から操っているといわれる、悪名高い巨大犯罪組織だった。神月家とは、浅からぬ因縁もある。
「シャドルーが手を回して、我が社に納品するチップに細工した、ということですの?」
「ラボで解析を進めていますが、バックドアを仕込んだのでは、と」
 柴崎はあくまで冷静だが、ことは重大だった。かりんは息をついて寝椅子に深く体を預けなおす。
「問題のチップは、グループ内で同等品を製造。設計からテストまでのスケジュールを出させてちょうだい。それ以外の外製品についても解析と、納品企業の再調査を」
「はっ」
 頭をひとつ下げて、柴崎は踵を返す。
 遠ざかる足音を聞きながら、かりんはまた目を閉じる。しかしもう、頭から考えを振り払うことはできなかった。

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