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坂上田村麻呂生誕地 @福島県郡山市

坂上田村麻呂生誕地ってのをGoogleMAPで見つけたので行ってみました。
 石碑が在るだけですが、その石碑の裏側には以下の文言が刻まれているのを読んで、「あれあれ?以外に信ぴょう性があるかも?」って思いました。
 更には、直ぐ近くには石碑に刻まれていた「産清水」がありましたが、「抱き上げ坂」を見つけることができませんでした。
 また、GoogleMAPの坂上田村麻呂生誕地にコメントされていた内容には、直ぐ近くに在る谷地神社は坂上田村麻呂のお母さん阿口陀姫を祀った神社なのだとか・・・?

記念碑碑文 征夷大将軍 坂上田村麻呂公 縁起
 この他、徳定は征夷大将軍坂上田村麻呂公生誕の地として語り伝えられいる。
 田村麻呂公の父「苅田麻呂公」に天平宝字元年「757」朝廷は蝦夷征伐「陸奥の国の豪族大多鬼丸征伐」の命を下した。
 苅田麻呂公は、威風堂々と熊に乗り都を出陣した。蝦夷地・徳定に入りの宿営地の設営をする。この時炊き出しの準備をしていた一人の女性と出会う「阿口陀姫」である。苅田麻呂公は阿口陀姫を寵愛し、まもなく懐妊したことを知る。戦いは一進一退であった。やむなく陣を退き都への帰還を余儀なくされる。阿口陀姫は別れを嘆き悲しみにくれる。別れに際し苅田麻呂公は、自分の守り刀である短刀を渡し「もし男子ならば、この短刀を持参させ都に上るように」と告げ去っていった。月満ちて男子を産む。赤子を取り上げた坂を「抱き上げ坂」、出産の時に産湯を汲んだ清水を「産清水」と言う。ところが阿口には当時夫がいた。夫は怒り赤子を抱え外へ放り出した。すると、どこからとも無く二羽の鶴が飛来し赤子を産着ごとくわえて飛んでいった。この二羽の鶴は田村神社の大杉のまたがりのところで二日間赤子を育てた。赤子の泣き声に驚いた近くの者が抱き下ろし、当時の庄屋が育てたという。後に母子は対面し「お前の父は朝廷に仕えている立派な武将である。名は坂上苅田麻呂公という。そなたはこの目印の短刀をもって父を訪ねなさい」。母の言葉に子は都へ登った。苅田麻呂公に短刀を示す「 誠に我が子に間違いない。田村の庄で生まれたので田村麻呂と名乗るがよい」と申し渡された。坂上田村麻呂公の誕生である。その後、桓武天皇より征夷大将軍を賜り、蝦夷討伐を命じられ、大多鬼丸を滅ぼし、更に北上し、岩手県の阿弖流為と母禮を亡ぼし、北の守り胆沢城を築成し蝦夷の地を平定した。
 このたび(西暦2011)おりしも3月11日東日本を襲った大地震大津波はマグニチュード9.0を記録し、死者行方不明者二万数千人を超す大災害をもたらした。この地震で亡くなられた方々の御霊の供養と復興の誓いをこめると共に京都清水寺を建立した 征夷大将軍坂上田村麻呂公の没千二百年を記念し、ここに音羽山清水寺森貫主様の御揮毫により当地にこの碑を建立するものである。
  平成23年9月吉日 田村歴史観光協議会建立
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by geiei | 2021-07-01 04:00 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

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