晩秋に見かける柿の木の『木守り』は、ぜひ残してほしい風景 By - 押阪 忍 公開:2022-11-25 更新:2022-11-25 エッセイ押阪忍 Share Post LINE はてな コメント こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。 ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。 『木守り』 色鮮やかに、そして、たわわに実をつけた『柿』の姿が消え、灰色の枝だけになり、もの寂しい晩秋の景色になりました。 でもよく見ると、柿の実一つ、伸びた枝につき、塀越しにその色つやの良い姿を見せてくれております。 本日のタイトル『木守り』の風景です。それは、柿の木そのものの気持ちとも考えられます。 来年も今年のように、沢山の実をつけてほしいという、持ち主の願いともとれますね。 当方が田舎にいた時には、この『木守り』の風景を晩秋には、あちこちで見かけたものですが、大都会では柿の木があるお宅は少ないので、先ず見かけることは少ないですね…。 でも、柿の木をお持ちの方であれば、持ち主と実をつけた柿との会話です。 晩秋にぴったりの風景にもなるので、昔の風景、塀から覗く柿の実との『コラボ』は、今にも是非是非 残していただきたいと思います。 当方は昭和の人間ですし、その昭和の風景や景色を若い人達に伝えたいと思っています。 『木守り』もその一つですが、『木守り』の風景や、ことば を若い方が、その景色を想像し、或いは、この時季、柿の木の『木守り』を探して歩くとか、昭和のアナウンサーの『つぶやき』を心に留めて置いて下さればこんなに嬉しいことはありません。 果実などの話が出たときに、自慢話でこの『木守り』の話しなどをして下されば、なお嬉しいですね。 当方のご近所には、柿の木が塀から覗いているお宅が数軒ありますので、この晩秋の散歩は『木守り』探しでたのしむ予定であります。 <2022年11月> フリーアナウンサー 押阪 忍 1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。 日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。 GACKT「キミは誰かから嫌われてない」 続く言葉に「腑に落ちた」「心が軽くなった」の声GACKTさんが、心のバランスを崩しそうな人へ送った言葉は?ネット上で反響が上がっています。 『クリスマス・イブ』は竹内まりやのために書いた曲だった しかし、ボツになり…『クリスマス・イブ』は、山下達郎さんが竹内まりやさんのアルバムのために書いた曲だった!? Share Post LINE はてな コメント
こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。
『木守り』
色鮮やかに、そして、たわわに実をつけた『柿』の姿が消え、灰色の枝だけになり、もの寂しい晩秋の景色になりました。
でもよく見ると、柿の実一つ、伸びた枝につき、塀越しにその色つやの良い姿を見せてくれております。
本日のタイトル『木守り』の風景です。それは、柿の木そのものの気持ちとも考えられます。
来年も今年のように、沢山の実をつけてほしいという、持ち主の願いともとれますね。
当方が田舎にいた時には、この『木守り』の風景を晩秋には、あちこちで見かけたものですが、大都会では柿の木があるお宅は少ないので、先ず見かけることは少ないですね…。
でも、柿の木をお持ちの方であれば、持ち主と実をつけた柿との会話です。
晩秋にぴったりの風景にもなるので、昔の風景、塀から覗く柿の実との『コラボ』は、今にも是非是非 残していただきたいと思います。
当方は昭和の人間ですし、その昭和の風景や景色を若い人達に伝えたいと思っています。
『木守り』もその一つですが、『木守り』の風景や、ことば を若い方が、その景色を想像し、或いは、この時季、柿の木の『木守り』を探して歩くとか、昭和のアナウンサーの『つぶやき』を心に留めて置いて下さればこんなに嬉しいことはありません。
果実などの話が出たときに、自慢話でこの『木守り』の話しなどをして下されば、なお嬉しいですね。
当方のご近所には、柿の木が塀から覗いているお宅が数軒ありますので、この晩秋の散歩は『木守り』探しでたのしむ予定であります。
<2022年11月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。