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国之常立神は古事記の上巻最初の「天地開闢(テンチカイビャク)」の最初に登場する天津神(アマツカミ)で神世七代(カミヨナナヨ)に所属します。
天津神とは
高天原にいる神々のことです。
(↔️国津神)
国之常立神について、古事記では殆どの記述がありませんが国之常立神などを主祭神として祀っている御岩神社に参拝してきたので、詳しく書いていきたいと思います。
「古事記」に出てくる国之常立神
古事記における「天地の創成」「特別な天津神と神世七代(カミヨナナヨ)」(下に表があります)
この部分を要約すると日本で初めて現れた神々の紹介です。
最初に造化三神
天と地とが初めて分かれて開闢の時に、高天原に現れ出た神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)です。
この三柱の神は、すべて単独の神(一対の男女揃っていない神)として出現した神であり、姿形を現わしませんでした。
・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
・神産巣日神(カミムスヒノカミ)
の三柱を造化三神とよびます。
二柱加わり五柱で別天神(コトアマツカミ)
次に国土がまだ若く固まらず、水に浮いている脂のような状態で、クラゲのように漂っていた時、葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌え上がる力がやがて神と成りました。
それが宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコノカミ)で、次に天之常立神(アメノトコタチノカミ)です。
この二柱の神も、単独の神として出現し、姿形を現わしませんでした。
以上の五柱の神は、天津神の中でも特別の神です。
・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)
・神産巣日神(カミムスヒノカミ)
・宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコノカミ)
・天之常立神(アメノトコタチノカミ)
の五柱を別天神(コトアマツカミ)といいます。
天津神の中でも別格という意味です。
ここに国之常立神が登場!イザナギやイザナミも!神世七代
次に出現した神の名は、国之常立神(クニノトコタチノカミ)、次に豊雲野神(トヨクモノノカミ)です。
この二柱の神も、単独の神として現れて、姿形を現わしませんでした。
次に成り出でた神の名は、宇比地邇神(ウヒジニノカミ)。
次に女神の須比智邇神(スヒジニノカミ)。
次いで角杙神(ツノグイノカミ)。
次に女神である活杙神(イクグイノカミ)。
次いで意富斗能地神(オオトノジノカミ)。
次に女神である大斗乃辨神(オオトノべノカミ)。
次いで於母陀流神(オモダルノカミ)。
次に女神の阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)。
次いで伊邪那岐命(イザナギノミコト)。
次に女神の伊邪那美命(イザナミのミコト)である。
上に述べた国之常立から伊邪那美命までを合わせて神世七代(カミヨナナヨ)といいます。
(原文は以上となります)
国之常立神(クニノトコタチノカミ)
豊雲野神(トヨクモノノカミ)
の二柱は単独で数えますが
宇比地邇神(ウヒジニノカミ)以下は一対で一柱と数えるので七代になります。
神社を参拝する際、主祭神に注目すると他の神々も見かけることがあるかもしれません。
天地開闢の神々の表
国之常立神とはどんな神か
古事記によると
国之常立神は「別天津神」の最後の神「天之常立神」の後に天に対応する国の神としてでてきています。
単独の神で姿を現さないかったということ以外の記述はありません。
別天津神と神世七代のちがいを考える
天之常立神までの「別天津神」が天上の事柄だけにまつわるのに対して、国之常立神以下の「神世七代」の神々は国産みを行なうにあたって国の生成に携わった神という見方ができます。
詳しく書くと、国産みのを行なった伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミのミコト)が誕生するまでに
・国土の土台を形成
・地上の始まりを担う男女の身体の形成
・地上における人類の生活の始源を表した
と考えられます。
国之常立神を名前から考える (2つの説を紹介します)
① 国之常立神をお名前の漢字から
「国」、、、国土に
「常立」、、、恒久(常)にとどまる(立)
恒久にとどまる神と解して、国土の根源神とする説があります。
② 国之常立神が国産みをしたイザナギとイザナミが出現する前の神だったことから
トコという言葉に「常」の漢字を当てはめているけれど、「床」という意味ではないか?
「床」と取って土台を表し
「立」を現れる意に取って
土台すなわち大地の出現を表す神名
と考えるという説などがあります。
身を隠した(隠身也)とはどういうことか
「古事記」によると国之常立神のあとの豊雲野神(トヨクモノノカミ)までの独り神たちはみな出現するもすぐに身を隠したことになっています。
身を隠すとはどういうことでしょうか。
これにも幾つかの説があります。
・身体を持たない抽象神だった
・神々の顕現する世界から幽界に退場することを表すとして、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになった
・天照大御神の権威の絶対性を確保するために天地の始まりの神々の権威を押さえた
などと考えられていますが、想像力を掻き立てられる神なので昔から多くの人の信仰の対象になってきました。
日本書紀におけるクニノトコタチ
日本書紀で国之常立神は国常立尊または国底立尊と表記されています。
日本書紀では天地開闢の際に出現した最初の神ですが
「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神
という記述しかありません。
ただ、日本書紀は古事記とちがって国常立尊は男性だったと明記しています。
天地開闢の際の最初に出現した神ということで吉田神道では(古事記で最初に現れた)天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と国之常立神を同一視しています。
御岩神社について
国之常立神など188柱の神を祀り
縄文時代晩期の祭祀遺跡も発掘されたという御岩神社さんは茨城県日立市にあります。
「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記されている事から、古代から信仰の聖地であった事が窺われ、
中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、
江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、徳川光圀公(水戸黄門)など藩主代々参拝を常例とする祈願所でした。
私が訪れた2024年8月7日は平日だったにも関わらず、多くの人が参拝していました。
御岩神社と斎神社は駐車場からそれほど歩きませんが、
立速日男命(タチハヤヒノミコト)を祀る薩都神社を経由して
水戸光圀公が「大日本史」の編纂を祈願したといわれる奥宮「かびれ神宮」までは険しい山道を30分以上歩くことになります。
立速日男命(タチハヤヒノミコト)は常陸国風土記にだけ登場する神です。
かびれというのは御岩山の古称で、賀毘禮と書きます。
かびれ神宮は山の上にありますが、かつては水が湧いていたそうで、より神聖さを感じさせます。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)、邇邇藝命(ニニギノミコト)、立速日男命(タチハヤヒノミコト)を祀ります。
日本有数のパワースポットとして人気があり、宇宙飛行士が光を見たといわれることでも知られるかびれ神宮さんは猛暑の中でも気温が20℃ほど。
大木に囲まれて空気もきれいです。
スニーカーで登れましたが険しい場所もあるのでサンダルはやめましょう。
トイレは御岩神社拝殿の近くにありますが山道やかびれ神宮近くにはありません。
飲み物は御岩神社に入る前に(葵の御紋の)自動販売機がありますので入る前に用意しましょう。
疲れきってしまいあまり写真がありませんが花もたくさん咲いています。
天地開闢とともに現れた神々がお隠れになっていると言われる御岩神社さん。
足を運んでみるのはいかがでしょうか。
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