ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

退職を勧められました。

感づいていたんだよね。
私とレベルが違いすぎる。私の持っているスキルが全く生かせてなくて暇すぎる。


そこへもってきて、病気休業、介護休業。


会社では私を使う場所がないんだそうです。
それに、リモートでできる仕事もないんだそうです。


誰が入れ知恵をしたかわかってます。
私の仕事ではないことを、急に「これお前がやるんだろ」って言ってきて、私がブチ切れて「そのようなお約束はありません。いつまでに、何語で、どういう形式で何をするかをあらかじめご提示ください」って切れたことがあって、それが原因かもしれません。


人事からは、今、母が大変な時だけど、お母さんが死ぬのを待てないから、2か月あげるから、もちろん有給休暇として2か月あげるから、その間に仕事を探して、自主退職してくれという。


母は、会社が決まって本当に喜んでいた。
旅行も楽しくて、自慢の娘だってみんなに紹介してくれた。


それが、母の最期に際して、私は無職になるんです。


もうこの年だから次の仕事なんて見つかりません。


自主退職も会社の勝手な都合です。


結局、期待して私を雇ったはいいけれど、会社にデータがなく、データサイエンティストとしての能力が生かせなかった。


自主退職に持ち込む準備は会社が着々とやってきていました。
給料の減額。
評価の2段階ダウン。
プロジェクトからの排除。


これで自主退職に持ち込むつもりでしたが私が退職しないので、今日は話し合いでした。


人事は2か月のサービス有給をくれると言います。
でも7月8月、母はその間にはいなくなります。


母に、解雇になったことを、話さないでいられるとは私は思えないんです。


次にあったら泣いてしまいそう。
私が、母のこと、裁判の事抱えて、大変な時に、いくらなんでもひどいんじゃないか。


母が、わたしが定職について喜んでくれていた。
それが、母が一番つらい時に、こんなことってひどいと思いませんか??


もう、知らない。
うちの会社は、優秀な私の後輩を最近雇いました。
ネームバリューは彼が担ってくれる。
私はもうお払い箱だなって思ってたんです。


でも。それでも母のことが片付くまで待ってくれればよかったのに。
母に合わせる顔がない。
母は私の事を心配しながら死ぬに死ねないと思う。


私は頑張って母に尽くしてきたけれど、母の最期で、一番親不孝者になってしまう。


会社が私をつかえなかったせいで、そうなるのは、私はどうも許しがたい。


どうしたもんか…。

×

非ログインユーザーとして返信する

  翻译: