どよ~~んと疲れて帰宅した。
もちろん、実家からだ。
なかなか気持ちのとっ散らかりが収まらず、
夕飯のメニューを考えるのも億劫でパパッとカレーを作った後、
とりあえずパソコンの前に座った。
こういう時は、スピ系サイト巡りがよく効くからだ。
無数にあるスピリチュアル系のブログは、
もちろん玉石混合なのだけど私も随分と勘が良くなったので、
初めてのサイトでもたいていすぐに見分けがついてしまう?
「ネガティブに引き込む系」にはあまり出会わなくなったし、
遭遇してもサッと離れる。
なにしろ、スピリチュアルはじめて丸3年が過ぎ、
私も随分と性格が良くなったので…
ネガティブ思考が改善されつつあると感じられるようになった!
ついさっきまで、
父に対して、母に対して、姉に対して、
(なんでなんでなんで、あんた達っていつもそんな風なのよ~)
と、心の中でわめいていた。
挙句の果てに、この世にはいない兄のことまで思い浮かべ
兄が元気でまともでいてくれさえしたら今とは全然違ってたはずなのに…
などとうらめしく思ったり。
でも結局、自分以外の家族は皆自己中心的でわからずやで、
自分一人がわかってるがゆえに損な役回りで…
って、私ってそんなに偉かったっけ?!
と情けなく、自己嫌悪に陥ってしまう…
と、こんな具合で、
もうぐちゃぐちゃにレベルダウンした気持ちの具合の悪い事ったら!
だけど、スピリチュアルな語りかけに触れていくうち、
次第に感情が静まっていく。
娘や夫が帰宅した頃には、普通に話もできるようになっていた。
振り返ってみると、
40代以降の自分の人生が、
こんな風に動いていくなんて全くの予想外だった。
というより、若い頃は想像してみることさえしなかったかもしれない。
今思えば、20代・30代の頃の私は
数々のカムフラージュに包まれて(守られて)生きていた気がする。
その時その時に思い悩むことがもちろんあり、
何より子育て優先の時期で自分のことは後回しのストレスも大きかった。
それでも、具体的に大きな苦難を背負わされるほどのことはなかった。
ただ、暗い予感は常につきまとっていた。
実家の抱える難題について、である。
当時は、とにかく『親』が背負ってくれていた。
そばで、心配することしかできない自分が、
やがてそれを引き継ぐことになることを薄々気づいていたのだ。
ただ、あの頃は『親の存在』と『若さ』が
カムフラージュの役目をしてくれていたのだと思う。
気をそらすことができたのだ。
『親』もまだじゅうぶん元気だったし。
それが今、
その『老親』を背負う側に立たされて
私は四苦八苦している。
(たぶん…
これって、用意された苦難だよね?)
今は、この心の中のつぶやきがすべてだ。
私は耐えられる。
スピリチュアルに触れることがなかったら、つぶやけない言葉だった。