『銀の犬』『扉守』
書庫に収められている本を借りることは多く、ありふれたことです。
でも、この本は本当にもったいないと心の底から思いました。
タイトルも装丁もこんなに魅力的ではありませんか。
いえ、タイトルと装丁とケルト民話というキーワードに強く引き付けられたことが読もうと思った動機なんですが、一番の魅力はもちろん物語そのものです。
読み始めてまもなく、上橋菜穂子さんの綴る物語の世界に通じるものも感じられて嬉しくなりました。
といっても壮大な物語ではないし、むしろ、民話がモチーフになっているだけにありふれた人間ドラマではあるのです。
通じるものとは、文章の読み易さと登場人物たちにしっくりと感情移入し易いこと、でしょうか。
場面場面が自然に自分の頭の中で思い描かれてていく心地良さがありました。
思いがすれ違ったり、
言うべきことを言わなかったり、
言わなくてもいいことを言ってしまったり、
ほんの小さな悪意が思わぬ事態を引き寄せたり…
人間ドラマは、思い(心)のエネルギーがもたらすもの。
それは目に見えない領域なのだから、異界の存在たち(死者、妖精…)と無縁なはずがありません。
短編集なのですが、そのすべてに登場するのが竪琴を奏でる祓いの楽人(バルド)「オシアン」と相棒の「ブラン」です。
読み進むうち、この二人のイメージが勝手に頭に浮かぶようになってしまいました。
もちろんぼんやりとですが、まるでジブリのアニメを観ているみたいに顔とか声とか…読み終わって切なくなりました。
まだまだ、この二人の祓いの旅の物語の続きが読みたい、と。
光原さんは二年前に亡くなっているのです。
『銀の犬』はアイルランドを舞台にした古い時代の物語ですが、その色が濃すぎて入りにくいということが全くありません。
対して、『扉守』は、光原さんの出身地である尾道で繰り広げられる思いっきり地域性の濃い短編集です。
一応、地名は「潮ノ道」と変えてありますが。
この短編集も『銀の犬』と同じような感じなのですが、内容がよりバラエティに富んでいるのはやはり著者の生まれ育った町と時代を舞台にしているからなのでしょうか。
全ての作品に登場するのは、持福寺の住職である了斎さんです。
こちらはスター・ウォーズに出てくるヨーダを思わせる風貌だと書かれていて…もう実存ししててほしいと思ってしまいました。
光原百合さんもまた、異界に開かれた物語を綴る作家でした。
一緒に図書館から借りてきて読んだ本です。
河合「全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。」
小川「矛盾との折り合いのつけ方にこそ、その人の個性が発揮される。そこで個人を支えるのが物語なんですね。」
河合「そして、それで個が生きるから、物語になる」