2018年度の生け花ギャラリー賞が発表になりました。
ご察しいただけるように、このプロジェクト運営はなかなか時間がかかります。
生徒作品ということで、まだまだ不十分な作品が多いのですが、
それでも生徒にとっては数万人の方々に自作を見てもらえる機会となる、
さらに
国際レベルの審査員(日本で最も著名な美術館長、兵庫県立美術館長蓑豊先生を含む)に作品を見てもらえる機会となる、
しかも、それが無料。
それらは、やはり華道史上意義あるプロジェクトと評される根拠でしょう。
それに、選出された生徒の喜び!ときたら大変なものです。
「生徒への励まし、生け花を学び続ける動機付けになれば」ということで始まったプロジェクトですから当初の目的は達成できているように思います。関係者の努力も報われるというもの。
そして、毎回いろいろな課題が出てきます。
それらについてはまた別の機会に話しましょう。
さらに、相変わらず抵抗勢力の嫌がらせは続きます(笑!)。
そこには生け花の特殊性があるように思います。
例えば、絵画コンクールとか、音楽コンクールであれば、
このような嫌がらせはないだろうと思います。
海外の方々からは、「生け花とは審査されるべきじゃないだろう」、「賞が生け花に関係あるか?」とか、私たちのフェースブックに書き込まれます。生け花になると、権威主義的な発言をされる方が多いと感じます。
もちろん、異論を持つのも、反対意見を持つのも自由です。しかし、私たちの結果発表に合わせて嫌がらせを書くという心性は普通ではないです。受賞者、おめでとう、ご協力いただいた方々、ご苦労様、というムードの中へ水を差すような書き込みをするわけですから。話して分かり合える相手ではないでしょう。こういう方に限って「生け花マスター」などと自称されていることが多いので手がつけられません。
私もこのプロジェクトの意義をあれこれ書いていますが、一人一人相手に議論するつもりもありません。そこまで暇ではないのです。
また、日本の生け花の教師、生徒からは静かに無視されています。
海外発の賞である、超流派の賞であるなどいろいろ事情はあるでしょうが
日本の生け花のあり方の一面を反映していると思います。
各流派主催のコンクールですと、上からの意向にしたがって参加すればいいのですが、
自分で判断しなければいけない要素があると慎重になるのかもしれません。
しかし、いずれ状況は変わってくるだろうと楽観視しています。
このような経験を通して、結局、生け花とは何か?
なんのために生け花をやるのか、その最大公約数は何か?
と個人的に考えているところです。
問題は生け花が容易に金や名声に結びつくというところにあるのではないでしょうか。
それを最大に利用しているのは、家元制度、流派という組織かもしれません。
もちろん、それが悪いなどと言うつもりはないです。
日本文化に特徴的な現象で、興味深いものです。貢献度も大きいでしょう。
ただ、生け花の本質はもしかすると、そんなところにはないのではないか、とも思うのです。
生け花は魂を磨くための一つの技術です。
自分のためだけに日々修練していければいい。
それだけのものだと思います。