10代後半から20代前半にかけて、ワタシの生活は好きなロック音楽が中心だった。
バイト代やお給料はライヴチケット代とCD代、ライヴで買うグッズ代につぎ込んだ。
さて、23になったある時ふと思った。
この生活、しんどいな・・・
それまで好んで着ていたロックファッションのあまりの似合わなさに愕然とし、部屋の中はCDと雑誌であふれかえり、ライヴもその時は楽しいけど付随する諸々が疲れてくるようになった。
友達に「おばさんになってもライヴ通いしてそう」と言われるぐらいに熱くなってたのが噓のよう。
200枚近く買い集めたCDで繰り返し聞くのは数枚。買い集めたグッズなども同様。雑誌は数回読んだらお役目終了なのに何年分も貯めていた。それに気づいて愕然とした。聴きもしないCDや使いもしないグッズや1度読んだきりの雑誌につぎ込んだお金をもっと別のことに使うとか、貯金すればよかったと。
本当に好きなミュージシャンやバンドは一握りなのに、仲間との話題についていけないのが怖かったし、「詳しいね!」なんて言われたい見栄っ張りな気持ちもあった。そういう気持ちで買い集めたモノがほとんどだった。
当時はまだシンプルライフもミニマリストも概念すらない時代。だけどワタシは捨て始めた。雑誌は古紙回収に、CDは売りに、グッズも人にあげたり処分していった。
思い出詰まる、到底捨てられないと思っていた趣味のモノ。それらが居続けることで生活をじわじわ圧迫していたことに気が付いた。金銭的問題だけではない。ガラクタ倉庫のような部屋で「片づけなきゃ、掃除しなきゃ、でも面倒」の堂々巡り。完全にモノに振り回されていた。
それが落ち着き今度は本。
定期的にブックオフなどに持参し、いつしかそれすら面倒になり、書棚を手放し現在は読み返す本数冊を定数管理。メインは図書館利用と電子書籍になった。
趣味は生活を彩ってくれる。
だけどモノを1つ手に入れるとそれに付随するモノが欲しくなり、芋づる式にモノが増えていく。それが幸せならいい。が、懐を圧迫し、住環境を圧迫し、やりたくもない家事やメンテ作業がウンザリなら、趣味のモノを聖域化せず、趣味との付き合い方も見直した方がいいだろう。
今の趣味は編み物。素敵な毛糸や使いやすそうな編み物道具は数多あるが、買い物は慎重だ。例えそれが100均の毛糸であっても。中途半端な残り毛糸を上手に活用できる腕とセンスが欲しいなぁ。。