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五百城入彦皇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ、『日本書紀』に因る)[1]は、古墳時代の皇族。景行天皇の子で、母は八坂入媛命。同母兄に成務天皇などがいるほか同母弟が5人、同母妹が5人、異母兄弟に日本武尊など68人いるといわれる(うち名が伝わっているのは46人)。父景行天皇は、それらの皇子たちをそれぞれの国や郡に封じたが、彼と成務・日本武尊の3人だけは封じなかったと、日本書紀に書かれている。そのうち日本武尊は熊襲征討に行かせたことから、彼は万一成務天皇に何かあった場合の予備だったと考えられる。子に品陀真若王応神天皇皇后仲姫命の父)がいる。

気入彦命

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気入彦命(けいりひこのみこと)は、景行天皇の皇子。

新撰姓氏録』左京皇別上の御使(みつかい)朝臣条によれば、気入彦命は応神天皇の詔を奉じて、逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕らえ、その功績によって御使(みつかい)の氏姓を賜ったという。『新撰姓氏録』右京皇別下にも、御立(みたち)史(ふひと)が気入彦命の後裔と記されている。『古事記』『日本書紀』の双方にはこの皇子の名は見えないが、名前の類似点から五百城入彦皇子と同一人物と考える説もある[2]

脚注

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  1. ^ 『古事記』では五百木之入日子命(いおきのいりひこのみこと)。
  2. ^ 佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証編1より。
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