木場元大(こば・もとお)|第35期・第28普通科連隊長

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木場元大(こば・もとお)は昭和43年9月26日生まれ、長崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第35期の卒業で幹候72期、職種は普通科だ。

 

令和元年8月(2019年8月) 第28普通科連隊長兼ねて函館駐屯地司令

前職は幹部候補生学校主任教官であった。

なお、第28普通科連隊長兼ねて函館駐屯地司令としての指導方針は以下の通り。

 

【連隊長統率方針】
『任務即応』

【要望事項】
『正しく、強く、逞しく、仲よく、心さわやかに』
『基本と安全管理の徹底』

(画像提供:陸上自衛隊函館駐屯地公式Webサイト

(画像提供:海上自衛隊阪神基地隊公式Webサイト

2019年12月現在、第28普通科連隊を率いる木場だ。

第28普通科連隊は函館駐屯地に所在し、道央・道南を担当する第11旅団の隷下にある。

なおいきなりの余談で恐縮だが、函館駐屯地は東側が函館競馬場に、西側が函館競輪場に面しているという  夢のような  とんでもない立地に所在している。

自衛隊の広報紙を見ていると、たまに病気や借金の悩みを抱え込まないように呼びかける広告を見かけるのだが・・・裏を返せば、病気や借金で悩んでいる人が多いということなのだろうか。

にも関わらず、こんな場所に駐屯地があってよいのだろうかと心配になるが、今さらどうしようもないので、深く考えずにおこう。。

 

話をもとに戻したい。

その第28普通科連隊を預かる木場だが、平成3年3月の入隊であり、原隊は平成4年3月から配属になった第36普通科連隊である。

そして木場はこの3年後、初級幹部の時代にいきなりの修羅場を経験する。

平成7年(1995年)1月17日に発生した、あの阪神淡路大震災だ。

余談だが、当時筆者は大学3年生で、落ちてきた柱時計が頭を直撃しケガをした。。

 

なお少し当時の話をすると、平成7年当時は自衛隊に対する国民感情は今ほど良いものではなかった。

自衛隊に対し税金泥棒と喚く左派活動家も珍しくなく、私(管理人)は公立中学の社会の授業で、担任の教師が公然と自衛隊を批判する授業を始めたことから抗議したところ、不当に低い成績をつけられた経験すらある。

さらにこの大災害が発生した阪神地区は、伝統的に左派勢力の強い地域である。

今でも、左派系の著名な女性政治家が連続当選を続けるなど状況は変わらないが、要するにそれほど反自衛隊の勢力が力を持ち、また世の中もそういう空気であった時代に、阪神大震災は発生したということだ。

そのような中にあって、木場が初級幹部として配属されていた第36普連はまさに、未曾有の大災害の直撃を受けた北摂が担当地域であり、また甚大な被害を受けた神戸などにもっとも近い場所に位置していた部隊であった。

 

しかし震災発生から1時間が経っても、一向に地元首長からも国からも、災害派遣要請が降りてこない。

この状況にあって、当時連隊長であった黒川雄三(第11期)はもちろん、世間からの批判を恐れて部隊を待機させる・・・のが当時の常識的なセンであっただろう。

しかし黒川は、明らかに未曾有の大災害が発生している状況に、もはや一刻の猶予も許されないと、自衛隊法第83条3項の近傍派遣を援用し、直ちに独断で部隊を動かすことを決める。

なおこの時、震災の発生は早朝5時46分。地元自治体からの災害派遣要請が午前10時頃と大きく出遅れたのに対し、黒川が部隊を動かしたのは、実に午前7時30分であった。

さらに阪神大震災の場合、その犠牲となった6400名以上の方の死因は、8~90%が建物の倒壊などによる圧死である。

そのため、もっと早く災派(災害派遣)要請が出されていれば、おそらくさらに多くの人命を救えたはずだ。

そのことを考えると、黒川の英断がどれほど優れたものであったのか、おわかり頂けるのではないだろうか。

さらに当時の世間の空気を考えると、黒川は下手をしたら謹慎処分になり、事実上自衛隊をクビになっていたかもしれない。

しかしそんな事を全く恐れず、自分のなすべきことを為した黒川には、今も心からの敬意を禁じえない。

まさに、指揮官の鑑とも言える決断であったのではないだろうか。

 

ちなみにこの災派要請が遅れたことを後日、当時の地元首長は「自衛隊が悪い」と酷い責任転嫁の言い訳をするのだが、余りにも下らない話なので割愛したい。

一方で黒川は、第36普連長の後に香川地方連絡部長(現・地方協力本部長)に異動になるのだが、

「もっと早く部隊を動かしていれば、さらに一人でも多くの人を救えたのではないか・・・」

と悔恨の念を持ち続け、香川地方連絡部長在任中に四国八十八ヶ所を廻り、震災犠牲者の冥福を祈り続けたそうだ。

どこまで行っても、  ゲスな政治家  凡庸な政治家と黒川との人間力の差しか感じない。

今も昔も、尊敬される自衛隊指揮官の生き方からは、熱い何かを心に頂くことができる。

 

そして木場は、そんな黒川が連隊長を務めていた時に、その36普通科連隊で初級幹部として、この近傍派遣を含む災害派遣を経験した。

そんな黒川の背中を見ていた青年が、24年の時を経て今、第28普通科連隊連隊長に上番し、活躍をしているということになる。

まさに、陸上自衛隊の良き伝統の担い手として、木場がどのような指揮統率ぶりを見せてくれるのか。

そういった意味でも、今後の第28普通科連隊の躍進を、心から楽しみにしている。

 

では、その木場とはこれまで、どのようなキャリアを歩んできたのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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