牛嶋築は昭和41年11月25日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、出身職種は判明しないが、読者の方から頂いた情報によると、おそらく輸送と思われる。
平成29年3月(2017年3月) 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長・陸将補
前職は陸上幕僚監部運用支援・情報部長であった。
2018年2月現在、陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長の要職にある牛嶋だ。
なお予めお詫びしておくと、上記の写真、防衛省のWebサイト上を探し回り、やっとのことで見つけた貴重な1枚である。
北部方面総監部の幕僚副長に着任した際、方面隊広報誌である「あかしや」に掲載されていたものだが、これ以外の写真を見つけることができなかった。
そのため、画像が粗くわかりにくいものになっているが、どうかご容赦願いたい。
牛嶋は第6後方支援連隊長を務めた経験があり、おそらく後方支援系出身の幹部と思われ、なかなか表に出てくるポストへの補職がない。
そのため、一般人に向けてのプロフィール紹介がこれまでほとんど無かったのだろうか。
さて、その牛嶋だが、33期組の出世頭であり、近い将来の陸将候補の一人である。
2等陸佐であった平成16年6月には、イラク復興支援業務支援隊の一員としてイラクに赴き指揮を執るなど、困難な任務を歴任。
その後のキャリアでは第6後方支援連隊長経験があるものの、現場でのキャリアよりも陸幕など、中央での要職が目立つキャリアになっている。
そして2017年3月から補職されているのが陸幕の指揮通信システム・情報部長。
この部署は、部署の定義としては
・陸上自衛隊情報システムの整備及び管理
・通信や電波の使用計画立案及び管理
・暗号や写真に関する情報業務
などを扱うことになっているが、注目すべきは3つ目の暗号や写真に関する情報業務だ。
一部では、この部署には陸自の諜報部門が設置されていると言われており、あるいは一般人がイメージする陸軍のスパイ活動に近い任務を負っているともされる。
しかしながら、このような任務が公にされることはなく、真偽の程は不明であり、確たることはわからない。
しかしながら、部署の定義をそのまま理解するだけでも、「指揮通信システム・情報部」という穏やかな名前ではカバーしきれない、非常に機密性の高い任務を背負っていることだけは間違い無さそうだ。
さて、次にその牛嶋の昇任履歴と、同期である33期組の状況について見てみたい。
牛嶋が陸上自衛隊に入隊したのは平成元年3月。
1等陸佐に昇ったのが平成20年1月で、陸将補に昇ったのが平成26年8月であり、ともに同期の1選抜(1番乗り)にあたるスピード出世だ。
陸上自衛隊では毎期、1選抜で原則として4名が陸将補に昇るが、この4名がそのまま陸将にも1選抜で昇り、いずれかの師団長に着任することが多く、近い将来の陸幕長候補となる。
そういった意味では、牛嶋も近い将来の陸幕長候補の一人といえるかもしれない。
なお2018年2月現在で、33期組で陸将補に在る出世頭は以下のようになっている。
冨樫勇一(第33期)・統合幕僚監部報道官(2014年8月)
山根寿一(第33期)・東北方面総監部幕僚副長(2014年8月)
牛嶋築(第33期)・陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長(2014年8月)
末吉洋明(第33期)・統幕運用部副部長(2014年8月)
廣惠次郎(第33期)・通信学校長(2015年3月)
児玉恭幸(第33期)・第1空挺団長(2015年8月)
梅田将(第33期相当)・大阪地方協力本部長(2015年12月)
酒井秀典(第33期)・航空学校副校長(2016年3月)
宮本久徳(第33期)・第1高射特科団長(2016年12月)
堀江祐一(第33期相当)・第8師団副師団長(2017年3月)
楠見晋一(第33期)・東京地方協力本部長(2017年8月)
※肩書はいずれも2018年2月現在。( )内は陸将補昇任時期。
上記のようになっており、まずは冨樫、山根、牛嶋、末吉の4名が33期組の中で抜け出した状況だと言っていいだろう。
しかしその一方で、牛嶋がこのままこのペースでの出世を続けることができるのか。
あるいは難しくなってしまったかもしれない出来事があった。
2017年7月に発生した「南スーダン日報隠蔽問題」とされた問題だ。
詳細な説明は割愛するが、陸自の制服組が南スーダンにおける現場の日報を稲田防衛大臣(当時)に対してその存在を隠し、ジャーナリストから寄せられた情報公開請求に対し、「日報は破棄した」と回答させた上に、実際には存在していたことが後に明らかになったというのが、一連の流れだ。
既に明らかなように、自衛隊が派遣されていた南スーダンは戦地と言ってもよいほどに過酷な環境であった。
その中で陸自派遣部隊は、法律の制約で理不尽な活動を強いられていたが、その時国会ではちょうど自衛隊に「駆け付け警護」の新任務を付与するかどうかが議論されていた頃にあたる。
南スーダンの実情が野党側に知られれば不都合と感じるのは政府であり自民党であったのは明らかであり、むしろ制服組は自衛隊がどれほどに過酷な任務を、理不尽な制約のもとで実施しているのかを広く国民に知ってほしいと願っていたのではないか。
そう感じるのが自然な推測ではあるが、この「南スーダン日報隠蔽問題」は結局、制服組が政府に対して情報を隠蔽したものである、という調査結果が最終報告となってしまった。
いろいろと言いたいことはあるが、ここで真偽を推測しても仕方がないので、その結果だけを記しておきたい。
当然のことながら、政府に対して「反逆」を仕組んだ構図になった陸上自衛隊である。
そのトップであった陸上幕僚長の岡部俊哉(第25期)(当時)は減俸処分の上でさらに引責辞任、事実上の更迭処分に追い込まれた。
さらにこの際、牛嶋も、前職である陸上幕僚監部運用支援・情報部長時代に日報の隠蔽に関わったことを理由として、停職3日の懲戒処分を受けた。
もし本当に陸自の制服組が政府に対し重要な情報を隠蔽したのであれば、いくらなんでも処分は甘すぎる。
事実であれば、軍事組織という存在の性質上、政府との関係から考えて関係者全員を上級司令部付に直ちに更迭した上で、内容によっては懲戒免職にしても驚かないほどの重大なことだ。
しかしそれが、岡部以外の関係者は最大で停職5日というのだから、事実認定をしておきながら処分とのバランスが余りにも不自然に思われる。
そのようなことを踏まえても、どうしてもこの一件は、制服組の主導で行われたとは、とても思えない。
それはともかくとして、与えられたポストで結果を出し続け、1選抜で出世を続けてきた牛嶋は、ここに来てそのキャリアに傷を「つけられた」形だ。
そんため、あるいは1選抜での陸将昇任は難しくなってしまったのかもしれない。
33期組から最初の陸将が選抜されるのは2020年夏の将官人事である。
その人事を楽しみに、とはなんとも言いづらいが、この一連の「事件」を受けて、それでもなお牛嶋がどれほど活躍を見せてくれるのか。
その動向には注目し、追い続けたい。
※
本記事は当初2017年9月9日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年2月20日に整理し、改めて公開した。
◆牛嶋築(陸上自衛隊) 主要経歴
平成
元年3月 陸上自衛隊入隊(第33期)
12年1月 3等陸佐
15年7月 2等陸佐
16年6月 イラク復興支援業務支援隊
17年1月 陸上幕僚監部運用課
17年3月 陸上幕僚監部装備計画課
20年1月 1等陸佐
20年3月 陸上自衛隊幹部学校付
21年4月 陸上自衛隊幹部学校教官
21年8月 統合幕僚監部防衛課防衛班長
23年12月 第6後方支援隊長
24年12月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課長
26年8月 監察本部監察官 陸将補
27年8月 北部方面総監部幕僚副長
28年7月 陸上幕僚監部運用支援・情報部長
29年3月 陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。
【引用元】
防衛省陸上自衛隊 職種紹介公式Webサイト(通信科写真)
防衛省陸上自衛隊 北部方面隊公式Webサイト(あかしや第720号より)
牛島さんは当初第12後方支援連隊輸送隊の小隊長でした。
奥さんも輸送隊でした。
小川様、コメントありがとうございました。
ということは、牛嶋将補のご出身職種は輸送なのですね。
記事内に加筆させて頂きます、ありがとうございます!
それにしても、奥様と職場結婚とは、羨ましい・・・。