鮫島建一(さめじま・けんいち)は昭和44年8月1日生まれ、岐阜県出身の航空自衛官。
防衛大学校第36期の卒業で、幹候は82期の卒業だ。
防衛大学校在学時にはラグビー部で鳴らした、元ラガーマンでもある。
平成29年8月(2017年8月) 第3航空団司令兼三沢基地司令・空将補
前職は航空幕僚監部装備体系課長であった。
(画像提供:航空自衛隊三沢基地公式Webサイト)
2018年10月現在、青森県の三沢基地に所在する第3航空団司令を務める鮫島だ。
職種は飛行であり、平成8年3月の第3航空団がパイロットとしての初任地であることから、おそらくF-1戦闘機に乗っていたと思われるが、詳細は判明しない。
それ以来となる16年ぶりの三沢であり、空将補昇任後の最初のポストとして、この重責を担う。
さて早速だが、鮫島のそのキャリアの中でもっとも印象深いのは、何と言ってもここ、第3航空団でF-35戦闘機初号機の運用を任されたことだろうか。
鮫島が第3航空団司令に着任したのは、平成29年8月。
そしてF-35がここ三沢に配備になったのが、平成30年1月だ。
この、我が国の空の安全をこの先数十年に渡り護っていくことになる最新鋭機を受領し、臨時飛行隊を指揮する栄誉を任されるために、この地に赴任してきたことになる。
駆け出しのパイロットであった頃、まさか自分が団司令として再びこの地に戻り、そのような重責を担うとは、想像もしていなかったのではないだろうか。
なお上記写真だが、ご存知のように三沢は、米空軍と航空自衛隊が共同で使用している航空基地だ。
そして米空軍では、主に対北朝鮮戦を想定した戦闘機部隊を常駐させていることもあり、航空自衛隊とは非常に緊密に連絡を取り合い、協力関係を築いている。
そんなこともあり、双方の司令同士も個人的な人間関係を深めることが多いが、写真はその一幕で、米空軍第35戦闘航空団の司令官、ジョーブ大佐が操縦するF-16に乗り、訓練に臨む鮫島司令の様子だ。
米軍司令官の操縦するF-16に同乗し、米空軍の訓練をライブで見られるとは、相当な贅沢である・・・。
では、このような国防の最前線にあり、F-35初号機の運用を任された鮫島とは、一体どのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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