中島みゆきさんのニューシングル「心音」のカップリング曲が「有謬の者共」だ。
「心音」が映画「アリスとテレスのまぼろし工場」の主題歌だから、この曲もその映画に使われているかどうかを私は知らない。
友人が「みつお」みたいな曲とつぶやいていたので、こちらだけ先に1回聞いたみた。
「みつお」って誰だと思ったが、それは
歌詞カードを見れば一目瞭然だった。
ともあれ、映画と切り離してと思ったが、CDを見渡しても、みゆきさんの実像はどこにもなく、名前もみゆきさんと瀬尾さん以外は書かれていないし、CDそのもの歌詞カードの中まで映画のイラストが書かれているので、カップリング曲もこの映画と同じ世界にあるのかもしれない。
タイトルの「有謬の者共」とは何だろう。まあニンゲンのことなのだが、この言葉の意味だ。
無謬とは誤りがないことと調べれば出てくるが、有謬では出てこない。誤りがあることなのだろうが使われる言葉ではなさそうだ。なので、ググるとみゆきさんの曲が上がってくる。
スクロールすると京都大学の「哲学研究」にある「プラトーンに於ける知識への道 (承 前)」という1935年に書かれたものが出てきた。
その最初の文章が、「然らば我々は有謬の臆断を有たないであらうか。」だった。
アリストテレスに対してプラトンとはできすぎである。
有謬の臆断とは間違いのある臆測による判断といったところだろうか。
この論文を書かれたのは長沢信寿氏という哲学者だった。
者共は「者共、続け」ではないが、「目下の者に呼びかける語」だから、目上からニンゲンを見ているということだろうか。
それを神としていいのかどうかを私は検討していない。
一番に「嘘が解れる夜」という言葉がある。「解れる」は「ほつれる」と振り仮名がある。
「ほぐれる」ではないんだ。
嘘は固まったり、絡んだりしているのではなく、結んだり編んだりしたものとして捉えているのか。
あとで溶けたり、弾けたりするのに、ここではちょっとほどける感じなんだ。
私には「みつお」の詩のようにやんわりした印象はなく、難しい詞だった。