「ウォーキング・デッド」シーズン7「囚われて」 - レビュー

対比的でありながらも似ている2人

「ウォーキング・デッド」シーズン7「囚われて」レビュー
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※以下にTVドラマ「ウォーキング・デッド」シーズン7のネタバレが含まれる。

第3話まで観て、私はシーズン7がストーリーを分割する手法を気に入った。視聴者が次に何が起こるかを早く知りたいのは当然だが、1つのビッグイベントから別のビッグイベントにジャンプするだけでは芸がない。その代わり、シーズン7は独立した3つのストーリーを見せてくれた。

今週の「囚われて(The Cell)」は第1話の続きではあるが、ヘビーな「惨き鉄槌」と違ってより“軽い”アプローチを採っている。ダリルとドワイトに焦点を置いた第3話は、ニーガンの虐殺ショーと1話分を隔てることによって、第1話の陰気から感覚的にも時間的にも距離を置くことができた。タイトル通り、このエピソードでは囚われの身であるダリルがドッグフード入りのサンドイッチを与えられたり、Collapsible Hearts Clubというバンドの「Easy Street」を延々と大音量で聴かされたりする。非人道的な扱いを受けるが、ひねくれたユーモアもあり、「ウォーキング・デッド」全体ではさほど暗い回ではない。

視聴者をニーガンの世界に連れて行く「囚われて」は、「生命」の価値を問うエピソードである。ニーガンに服従したドワイトと妻のシェリーは彼らが受けている仕打ちや強要されている行動が死よりずっとマシだと話すが、果たして衣食住といった最低限の需要を満たすためだけに、いつもルシールを振って人を殺し、相手に盲従しか求めないニーガンに生を捧げる価値があるのだろうか。

立場は違うものの、囚人であるダリルと看守であるドワイトは驚くほどに似ている。ダリルを説得するドワイトは実は後悔の念に苛まれている。彼は自分になかった勇気を持っているダリルと向き合わなければならない。しかしドワイトは生きるためだけに救世主に入ったわけではなく、シェリーを助けるという合理的な理由を持っているのだ。同様にニーガンの軍門に下らないダリルにもちゃんとした理由がある。グレンの死に責任を感じている彼は動物としての欲求を満たすためだけに友を裏切るわけにはいかない。2人とも「人のために」それぞれの選択をしているのだ。「囚われて」でダリルはほとんど沈黙を守っているにも関わらず、大きな存在感を示している。ドワイトもただの悪党から遥かに人間味を帯びるキャラクターに進化した。

エピソードの大半を占める詩的で瞑想的な時間は、おしゃべりなニーガンによって終止符を打たれた。彼はダリルにドワイトのストーリーを全て告げたのだ。話すことよりも見せることに焦点を置いたこのエピソードではニーガンの説明は少々過剰で、同じ情報を提供するのにもっと上手なやり方があるだろう。とはいえ、彼の話は確かにドワイトの苦悩に輝きを加味している。

一方、邪悪で危険極まりないニーガンは破滅に近づいていくように見える。ジェフリー・ディーン・モーガンはあいかわらず好演によってこのキャラクターに命を吹き込み続けるが、ダリルの「ガッツ」に感銘を受けて彼を生かす選択は、自信過剰な悪役が取る典型的な行動だ。いつか自分に仕返しする敵を処刑しなかったのは明らかに間違いだろう。また、ニーガンたちを数で凌駕する多くの奴隷たちもいる。そして彼の多弁さも自分の命取りになりそうだ。

総評

「囚われて」はドワイトとダリルの目を通して救世主の内部の世界を見せてくれた。本質的には似ていながら、それぞれニーガンに屈服した男とその軍門に下らない男の対比も見物だ。このエピソードでドワイトは前より人間味を帯びるキャラクターとなり、亡きグレンを思うダリルの静かな苦悩も人の感情に訴えるものだ。一方、ニーガンが他の作品の悪役たちと同じ道をたどることを示す伏線は現れ始めた。

※本記事はIGNの英語記事にもとづいて作成されています。

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「ウォーキング・デッド」シーズン7「囚われて」レビュー

7.8
Good
ニーガンの世界に視聴者を連れて行く第3話は、人質にされたダリルのその後を描く。
「ウォーキング・デッド」シーズン7「囚われて」
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