ストーリー
2006年の秋。2歳新馬戦で力強い差し切り勝ちを演じたドリームジャーニーは、続く芙蓉Sでも鋭く末脚を伸ばして1着、デビュー2連勝をマークした。3戦目・東京スポーツ杯2歳Sこそフサイチホウオーの3着に敗れたものの、差はわずかにコンマ1秒、しかも上がり3ハロンの推定タイムは出走メンバー中ナンバー1となる33秒7を計時。あらためてラストスパートの確かさと、その実力が重賞級であることをアピールする。
そして大一番・朝日杯フューチュリティS。ドリームジャーニーは鮮やかな追込みを決めてみせる。レースは、逃げ粘るオースミダイドウ、これを2番手からねじ伏せてゴールへと向かうローレルゲレイロ、先行馬2頭で決着するかと思われた。だが次の瞬間、ドリームジャーニーの瞬発力が炸裂、直線だけで十数頭を交し去る強烈な勝利だ。
自慢の末脚で、早くもドリームジャーニーは同世代の頂点に立ったのだった。
父は中長距離路線で安定した成績を刻み続けたステイゴールド、母の父は名ステイヤーのメジロマックイーンという血統は、ドリームジャーニーが3歳クラシック以降も活躍するであろうことを予感させた。
事実、3歳秋の神戸新聞杯では素晴らしい追い込み勝ちを決めた。4歳時には、早めに仕掛けて出て行くという新境地を見せて、小倉記念、朝日チャレンジカップと重賞連覇を達成。2歳チャンピオンの名に恥じないレースを見せてくれた。
だが、皐月賞は8着、日本ダービーと菊花賞は5着と敗れてクラシックは無冠。4歳時の安田記念は10着、天皇賞・秋は10着、有馬記念は4着と、GIタイトルからは長らく遠ざかる。あの凄まじい末脚を知る者には物足りなさを感じさせる年月だった。
そして5歳の春、突如としてドリームジャーニーは持ち味であるスパート能力を取り戻し、頂点へと返り咲くことになる。
中山記念2着、産経大阪杯ではディープスカイを差し切って重賞5勝目をマーク、天皇賞・春では3着と上昇を示しながら迎えた第50回宝塚記念は、あらためてドリームジャーニーの強さを再認識できる一戦となった。サクラメガワンダー、カンパニー、スクリーンヒーローら好位勢にディープスカイも加わった叩き合いを、一気に差し切り、さらに1馬身3分の4差突き放す快勝で久々のGIタイトルを手にしたのだ。
秋、オールカマー2着、天皇賞6着のステップで有馬記念へと臨んだドリームジャーニーは、ここでも弾けた。自信満々に好位から抜け出して独走態勢を築こうとするブエナビスタに、ただ1頭ドリームジャーニーだけが迫り、ついには力任せに交し去っての1着。春秋グランプリ連覇の達成だ。
与えられた「夢の旅路」という馬名にふさわしい、苦闘の果てに辿り着いた、華やかかつ歓喜にあふれた、ふたたびの頂点である。