10年くらい前から普通のことができなくなった。特にここ12年はそうだった。今まではなんとかやってきたことがどうしてもできない。身体が拒否していた。本当にどうしてもできなかくなっていたのだ。でも違うあることはできていた。だから自分でも自分がよくわからなかったし他者に説明することもできなかった。
今から思えば過去のことで受け入れていなかったことを受け入れていたようだ。それは怒りや恐れや恥ずかしさや悲しみだった。気持ちでいえばだ。
どうやらそうだったらしい。気がつけば子供の頃から苦手だったことが今は苦手ではない。今は気にもしていなかった。
そうだったのか。考えてみればひどく怒れば身体が強張る。ジストニアで動けなくなったことも否定的な感情が湧いてきていたのだ。だから身体が強張っていたのだ。
そして今(ここしばらく)自分ができなくなっていることは事実ある。そしてここしばらく自分がしなかった(それはできなかったからだが)ことで今面倒くさくなっていることがいつくかある。でもこういうことはいずれできるようになるんだ。だから心配してくてもいいんだ。
今書いてみて「そうか」と思った。でもさっきまでそういう風に思えていなかった。書いてみて「大丈夫だ」と思えた。よかった。
考えてみればいつからか悪いこと暗いことしか見えなくなっていた。自分の気持ちも考えも暗かった。それどころか悪かった。でもそれは短期間のことだったのだ。だがずっとそうだ(った)と思っていたのだ。事実はそうではないのに。
加藤秀視さんもそういうことがあると書いていた。
比較的短期間のことだったのに私は自分も自分の周囲もずっと暗くて悪いと思っていたのだ。つまりそう認識していた。これは認識だが事実ではない。事実はそうではなくてそういう風に認識してしまうこともある。