海風想

つれづれなるままの問わず語り

牛を尊敬した日。〜母乳育児奮闘記・中編

前回の記事で書いた通り、子供がギリギリ新生児くらいのタイミングで急に母乳育児に目覚めて奮闘するようになった私。

 

しかし重ねて主張しておきたいが、私は母乳育児が絶対正義であるとか、ミルク育児はやりたくないとか、授乳に関して何か拘りがあったわけではない。

母乳育児をやろうと思うきっかけは、実母が言っていた「母乳で育てると頭が良くなる」という特に医学的根拠に基づくわけではない一言だったり、「母乳を出していると母親は痩せる」という先人達や保健師さん(妊娠中についた脂肪は授乳で落ちる、という話を明確にしていた)の話といった、平時なら「そんなものか」と頭の片隅に置いておくだけの言葉たちだ。

事実、産後すぐは「母乳で育てられるなら育ててみよう」くらいの気軽な考え方だった。

それがいつの頃からか、「母乳で育てたい」「目の前のこの子を母乳だけでお腹いっぱいにしてあげたい」という気持ちが私の中で生まれ、先ほどの言葉たちにも後押しされ、母乳育児は「やれるものならやりたい」ではなく「絶対に成功させたい」ものに変わっていった。

しかしそうなってみた時には既に遅く、産後のゴールデンタイムはとうに過ぎ、「劇的には母乳が増えない」時期に差し掛かってしまっていた。

一週間の産後ケアでは、最初の2日は子供を預けて夜間は寝ていたが、「『夜間休みたい』と『母乳量増やしたい』は両立しない」という助産師さんの言葉を受けて、残りの5日間は夜間授乳を頑張ることにした。と言っても、子供が起きたら連れてきてもらって授乳、その後のミルク哺乳や体重計測、おむつ替えなどは全部やってもらうという、至れり尽くせりなものではあったが。

眠い目をこすりながら、時には上手く咥えてくれず乳首が切れて血が出たり、あるいは途中で眠ってしまって思うように吸ってくれない子供を無理に起こして泣かれ、それでも何とかかんとか左右10分ずつ吸わせても、授乳量はせいぜい20mlとかだったりすると、こんなことを続けて一体何になるのか、本当にこれは子供のためなのかと絶望的な気持ちになった。

それでも産後ケアは三食が上げ膳据え膳で家事をしないでいい上に、事前のおむつ替えも哺乳瓶の洗浄消毒も全てやってもらえ、自分は授乳マシーンに徹底できるからまだ楽だ。これを家でやるとなると全て自分でやらないといけない。通常2~3時間おきとされる新生児の授乳で、なるほどこれでは眠る暇などあるわけがない。

結局、産後ケアでほとんど母乳は増えなかったが、母乳を増やすためのアドバイスは色々もらうことが出来た。

  • 水分をたくさん摂る。
  • 三食きちんと栄養あるものを食べる。
  • 授乳の合間に搾乳もする。搾乳したものは次の授乳で飲ませる。(夏場は要冷蔵)
  • お母さんが疲れていると出ないので、ゆっくり休む。
  • お母さんが気に病みすぎると出ないので、あまり気にしないこと。

等々。夜間も頻繁に乳をあげないと母乳は増えないのに「ゆっくり休め」は矛盾している気もしたが、とにかく全てのことを忠実に実行することにした。

それにしても、当時の授乳は本当に大変だった。

何しろ、

  1. 母乳を授乳(左右10分ずつ)
  2. ミルクを用意
  3. ミルクを哺乳
  4. 哺乳瓶の洗浄・消毒
  5. 搾乳
  6. 搾乳機の洗浄・消毒

一度の授乳にこれだけの作業が生じており、更に前後におむつ替えや寝かしつけなども入ってくるので、トータルでだいたい2時間くらいかかってしまう。母乳授乳以外のことは夫が全面的に協力してくれていたので、私の負担は随分軽減されていたが、それでもじわじわと徒労感が積み重なる。

「完母で育てられていたら、こんな煩わしいことしないで済んだのに」

哺乳瓶を洗いながら、地味に高い粉ミルクのストックを購入しながら、思うように母乳が増えない焦燥感と、補足するミルクの量ばかりが増えていくことに対する罪悪感が募っていた。

そう、ここで「罪悪感」という感情が初めて登場する。それは私の中でずっと凝っていた「後悔」───帝王切開になった結果、産後すぐに母乳をあげられなかったこと、子供の入院中に夜間の搾乳をサボって眠ってしまっていたことなど───と合わさって、日に日に私を苛むようになった。

水分をとにかく摂れと言われたので、2リットルのミネラルウォーターを毎日空にすることを目標にがぶがぶ飲んだ。

母乳に効くらしいと根菜を食べてみたり餅を食べてみたりもした。母乳が増えるハーブティーとやらに手を出しそうにもなったが、これは専門家の先生が「何の根拠もない」というツイートをされているのを見て思いとどまった。

有名な○○式マッサージにも当然行ってみようと調べた。しかしこれは、産後ケアで「あそこはすごく厳しい」「病んじゃうお母さんもいる」という話を聞いて尻込みしていた。それでも話だけでも、とホームページを開いてみて

「母乳は赤ちゃんにあげられる最高の食べ物です」

みたいなキラキラした言葉が目に飛び込んできて、そうか、最高の食べ物を満足にあげられていない私は母親失格なんだな、と落ち込んでそのままブラウザを閉じた。

色々と実績のある方たちなんだとは思うが、あの思想の強さは当時の私には刺激が強すぎて、飛行石をしまってくれんかと頼んだポム爺さんの気持ちになり、どうしても門戸を叩く勇気は出なかった。

追い詰められている私を心配して、周りの人は声をかけてくれていた。

「ミルクでもいいじゃない。ミルクでも子供は立派に育つ(育った)よ」

「母乳のメリットは母乳をあげられることだけだよ。ミルクなら父親も授乳できてお母さんは休めるよ」

もちろんその通りだと思う。頭では理解しているし、ミルクが駄目だなんて思っていない。それでも「私は母乳があげたいんだ」という思いが拭い去れない。あれは一体、何の感情なのだろう。まさに「憑りつかれた」としか思えないほど、当時の私は母乳神話に捕らわれていた。それはミルクが母乳に劣らないとか夫も授乳できるとか、どんなに理屈を並べられても覆せるものではなかった。あれが「本能」なのだとしたら、至極納得する。一切の理屈が通用せず、感情を強烈に支配し、冷静な判断を鈍らせる暴君。これは大変厄介だった。

そんな中、一筋の希望になった出来事があった。

産後ケア退院後、助産師さんの自宅訪問があった。これは居住する自治体が行っている無料のもので、産後母子手帳に添付されているハガキを出すと、助産師さんの方から連絡が来て、訪問日を取り決めることなっている。

正直、訪問の前は「家片づけなきゃいけないからダルいな」くらいに思っていた。しかしいざ訪問してもらったら、相談したいことが沢山あった。特に母乳を増やしたい案件は急務だった。授乳の頻度や現在の哺乳量など諸々の聞き取りの後、実際に乳房の状態を診てもらった。

「これなら完母でもいけると思いますよ。母子分離があったのに、お母さん頑張りましたね」

助産師さんのこの言葉に、私は思わず涙がこぼれそうになった。

スタートダッシュが遅れた割には出てる方なのだという安堵。これまで母乳を増やすために自分がやってきたことは、無駄ではなかったのだという喜び。何より、「母乳育児を頑張りたい」という自分の思いを肯定してもらえたことが、本当に嬉しかったのだ。

この助産師さんの言葉は、その後も母乳育児に邁進する私のお守りとなったのは言うまでもない。

だが翌週、産後ケアで行った病院が母乳外来もやっていたので、受診してみることにしたのだが、そこでは真逆のことを言われる。診てもらったのが夕方だったこともあり、乳房の状態が午前中だった助産師訪問の時とは異なっていたからだろう(一般的に、母乳量は母体の疲労度に影響されるので朝よりは夕方に少なくなる傾向にある)。

実際に助産師さんの前で哺乳して計測した哺乳量が少なく、「今の状態では完母ができるとは言えない」という判断だった。そこでは結局、「子供の体重を増やすことが最優先。体重が増えたら飲む力も増すのでそれに期待」ということで、ミルクの足し方などについてアドバイスを受けたのだった。

私はとても混乱していた。

母乳育児を頑張りたいと思っても、思っているだけでは母乳は出ない。専門家に相談しても、できると言われたり難しいと言われたり、真逆のことを言われてしまう。

「子供産まれたらその子に必要な母乳なんてオートで出てくるもんじゃないの。私たち哺乳類じゃん」

母乳にいいのかわからないけど、牛乳を飲みながらふと考える。ひとパック1,000ml。私が一生懸命搾乳機を使って、左右各10分絞り出してようやく50ml。牛乳にしたら、ホットケーキを焼けるかどうかも怪しい量だ。牛さんはすごい。こんな量を毎日ジャージャーと作り続ける。

ここまでいかないにしても、例えば双子を完母で育てる人などは、冗談でなく一日に1,000ml母乳を出す計算になる。どうやったらそんなに出るようになるのだろう。

「結局体質と思って諦めるしかないのだろうか」

思考の袋小路に迷い込んでしまっていた私は、今思うと「そもそも授乳は誰のためのものか」という根本的なことを完全に見失っていた。ではどうやって、その袋小路から脱したのか。後編で記そうと思う。

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