涼風の栃木へ。星野リゾート 界 川治に泊まった2日間 19 - イタリア大使館別荘記念公園④ スリーピングポーチとアントニン・レーモンド、そして副邸へ(2024年8月23日/2日め)
2024年8月23日 「イタリア大使館別荘記念公園」で。(栃木県日光市)
8月23日(金)
イタリア大使館別荘記念公園に来ています。
湖に面した3つの寝室を見学したあとは、
反対側にある「休憩室」に行きました。
階段を上がったところにあるホールの隣りには小さな部屋があり、くつろぎのスペースになっていました。
【休憩室/スリーピングポーチ】
休憩室として利用されていた部屋です。1階玄関の上にあり、南側に面しています。部屋を吹き抜ける風と柔らかな木漏れ日を感じながら、くつろげる空間になっています。
窓の外は緑に覆われていて、さらにその奥には…、
ひっそりとした副邸が見えました。
このスリーピングポーチは、
小さな部屋ではありますが、
静かで、爽やかで、
なんと穏やかな空間なのか…。
明治時代、日本が、
「富国強兵」「殖産興業」などと、
国を挙げて、懸命に努力していた頃、
イタリア人やイギリス人は、
こんな贅沢な空間で、
自分の人生をゆったりと楽しむ術を
知っていたのだな…
などと思うと、
彼我の違いのあまりの大きさに、
胸を撞かれるような気がしました。
ここにも、人生を楽しんでいる輩がひとり…。😔 あ、私もか。
2階から降りて、再び1階へ。テラス(広縁)に立ちました。
広縁に佇み、しばし、中禅寺湖に見とれました。
最後にもう一度書斎に行き、
この美しい書斎の写真を撮っていたら…、
係の方から、
「お撮りしましょうか?」
と言っていただきました。^^
少しだけ、「外交官の夏休み」を追体験。笑
みなさんにお礼を言って、本邸を後にし、本邸から福邸へと続く小径を歩きました。
中禅寺湖畔にたたずむイタリア大使館別荘の、
その気品ある外観は、同時にしゃれっ気があり、
和風建築を取り入れながら、
どことなくイタリアンテイストが感じられる、
特徴的な建築様式でした。
特に印象的だったのは外壁で、
日光杉の樹皮と薄板で構成された市松模様は、
美しい外観を作り上げていました。
【別荘の市松模様とアントニン・レーモンド】
別荘の設計者は、チェコ出身のアントニン・レーモンド(1888年~1976年)です。レーモンドは、22歳で渡米し、建築事務所へ所属しました。その後、大学時代から憧れていたフランク・ロイド・ライトから帝国ホテルの仕事を依頼され、1919年(大正8年)、帝国ホテル設計施工の助手として来日しました。帝国ホテル完成後も、彼は日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残しました。それによって、日本人建築家に大きな影響を与えています。
帝国ホテルの後に手掛けたイタリア大使館別荘は、二階建ての木造建築。レーモンドは設計時、地元の職人たちに、「どのような建材が適しているか提案するように」と依頼しました。その結果、彼は、外壁に地元特産の日光杉を利用し、樹皮と薄い板に分けて市松模様にしました。これによって、美しくモダンな外観が演出されました。
一階の天井は、全て杉皮を使っており、日本の数寄屋建築にも見られる網代に組まれています。リビングと書斎は一続きの空間となっていますが、レーモンドは、網代の模様によって、それぞれの空間を分けるという技を使っており、それも見どころのひとつとなっています。
別荘の天井に見られる、網代です。
網代については、以前の日記でも掲載しています。ビルマ・マンダレーで訪れたココさんの家の壁も、網代でした。(1987年5月3日)
埃まみれのビルマ。バックパッカーの10日間 8 - マンダレーからパガンへ。(1987年5月4日/4日め)
夕張鹿鳴館で見た、杉柾矢羽根網代の天井です。(2023年5月13日 北海道夕張市)
このときの日記です。
積丹から幌加内へ。新緑の美幸線をトロッコで駆けた、11日間の北海道 26 - 夕張鹿鳴館③(2023年5月13日/4日め)
明治時代、国内で普通に使われていた網代は、
現在でも、アジア各地で見ることができます。^^
さて、次は、本邸の隣りにある、副邸に行きます。
現在ここは、「国際避暑地歴史館」になっています。
ガラス戸が開放されていますが、ここは建物の裏側にあたります。副邸の入り口は、この反対側にあります。
とりあえず、ガラス戸の内側をのぞいてみました。
そして、建物の反対側へ。
こちらが玄関です。
次回は、副邸の中を歩きます。
(つづく)