江戸っ子たちの人気スポット!年間20万人が楽しみにした「大山詣り」の魅力を紹介
江戸時代、治安を維持するなどの目的から、原則として庶民の旅行(居住地域を無断で離れること)は禁止されていました。
ただしお伊勢参りなど信仰上の理由であれば旅行の許可が出され、庶民たちの大きな楽しみとなっていたようです。
さぁ通行手形も貰ったし、いざ出発……と言いたいところですが、お伊勢さんは流石に遠くてしんどいなぁ……と思ったそこのあなた(なんせ移動は徒歩が基本ですからね)。
代わりと言っては何ですが、江戸から徒歩で2~3日という快適アクセスの大山(おおやま)詣りはいかがでしょうか。
相模国のパワースポット
大山ってどこ?という方向けにざっくり説明すると、現代で言えば神奈川県の厚木市・伊勢原市・秦野市にまたがっており、昔の表現では相模国愛甲郡と同大住郡の境目に当たります。
縄文時代の祭祀用土器が発見されていることから古来信仰の聖地として知られ、その中腹に鎮座している阿夫利(あふり)神社は、大山の別名である雨降(あふり)山の通り、雨乞いの神様として崇敬を集めてきました。
他にも商売や博奕(勝負ごと)にご利益があるとされ、また女人禁制であったことから男性だけで旅行が出来る≒女房を置いて女遊びに行けることから大人気だったそうで、宝暦年間(1751~1764年)には年間20万人が参詣したとの記録があります。
そんな大山詣りにはシーズンが決められており、毎年の旧暦6月27日から7月17日(現代なら7月中旬~8月上旬ごろ)の約3週間だけ奥の院・石尊大権現(せきそんだいごんげん)が開帳。そのタイミングを見計らって、男たちはいそいそと出かけていったのでした。
大山詣りのルートは大山道と呼ばれ、最もポピュラーだったのは概ね現代の国道246号(赤坂御門~渋谷~三軒茶屋~二子玉川~溝ノ口~荏田~長津田~下鶴間~国分~厚木~伊勢原)をなぞるルート。
その先に矢倉沢の関所(現:南足柄市)があったことから矢倉沢往還と呼ばれ、東海道の脇街道として多くの旅人で賑わいました。
他にも北からやって来る八王子通り(厚木往還)や府中通り、南東からやって来る柏尾通りや田村通り、南西方面からやって来る羽根尾通りや六本松通り、そして蓑毛通りなど、各方面から参詣客が押し寄せたことでしょう。