何が私たちを
「皆さん、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」
今日の第一朗読(.灰螢鵐9.16-19,22b-27)で、パウロはこのように書いています。福音を告げ知らせることをはじめ、私たちは喜びのうちに信仰生活を送っているでしょうか。半ば義務感で教会に通い、祈りを捧げてはいないでしょうか。
神は、人間ににご自分を信じることを強いることをなさいません。現代の日本では、個人が特定の信仰を強制されることもありません。私たちが、義務感でキリスト者であり続ける理由は何もないのです。
では、私たちをキリスト者としての生き方に駆り立てているものは何なのでしょうか。自分を教会に、祈りに向かわせるものは何か、私たちはもっと意識的に見つめ直すべきなのではないでしょうか。