魂が求めているか

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    「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

     今日の福音(マタイ19.3-12)で、イエスは弟子たちにこのように言います。ここでイエスは、結婚した方がよいとも、しない方がよいとも言ってはいません。結婚しないことを受け入れることができる人は受け入れなさいと言っているだけです。

     結婚に限らず、人生のどんな選択も、神は人間に強いることはありません。私たちは神から選択する自由を与えられています。それは同時に、自分の道は自分で識別しなければならないということでもあります。

     「神にゆだねる」とは、自分の思うままにならないことは神にお任せするということであって、自分で考え、識別し、決断するのをやめるということではありません。人間は考えることのできない人形として造られたわけではないのです。

     識別し、決断する時、受け入れることができるかできないかは重要な手がかりとなります。それは、単にその時にできるかできないか、したいかしたくないかということではなく、もっと深く、魂がそれを求めているかという問題なのだと思います。

     周りから望まれ、明らかに正しいことであっても、どうしても受け入れられない、魂が拒むのであれば、それはその人の召命ではないのかもしれません。

     逆に、今の自分にはできそうもない、それを選んだら苦しい道になることが分かっていても、人から違うと思われても、その道を受け入れることに抵抗がなく、魂がそれを求めているなら、それこそ神の招きなのではないでしょうか。


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