愛を宣べ伝える者として
「皆さん、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています」
今日の第一朗読(エフェソ2.19−22)にはこのように書かれています。この書簡はエフェソ(現在のトルコ西部)の教会の信徒に向けて書かれたという形をとっていますから、ここで言う「皆さん」は、洗礼を受けてキリスト者になった人々のことです。
キリスト者は、皆等しく兄弟姉妹であり、家族です。洗礼を受けてからの年数や、その共同体にどのくらい通っているか等は一切関係がありません。
もちろん、その恵みには責任が伴います。洗礼を受けてキリスト者となった人は皆、福音宣教者です。イエスの教えを、イエスの愛を宣べ伝える者として招かれています。
それは、聖書や神学の知識とは関係がありません。長く信仰生活を送っているほどよいというものでもありません。決まった形など何もないのです。自分の心に灯された愛を、自分の方法で証ししていけばよいのです。
福音とは愛です。宣教とは愛を行い、愛を伝えることです。どんなに小さなことでも、ささやかなことでもいいのです。愛する人こそが福音宣教者なのです。