救い
神の名をたたえてうたい、日ごとに救いを告げ知らせよ。
今日の詩編(詩編96.1+2,11+12)はこのように歌われます。人は、自分が体験していないことは、本当の意味で他者に告げ知らせることはできません。
もし「救い」が、願いが叶うことや、痛みが取り除かれることを指しているのなら、毎日救いを告げ知らせることができる人は誰もいないでしょう。人生には、叶えられない想いや、癒されない痛みを抱えたまま過ごす日々の方がずっと多いのですから。
痛みや悲しみと共に生きる日々、それでも自分は救われているのだと信じるとができているでしょうか。そう言い切れるほどにイエスと出会い、交われているでしょうか。そう信じられることを求めることができているでしょうか。