「つきまとう影」 あとがき [2004年 都通研 講演会]
2022年8月17日更新
妻が書いた「つきまとう影」を最後まで読んで頂き有り難う御座いました。
私が書くモノは、「飛びすぎて解らない」と言われる様に、過剰な省略が特徴です。
コミュニケーションの障害はこんな所にも否応なく出てしまうので、
なるべく面倒くさがらず、省略せずにしつこくしつこく説明しようとしていますが、
意図した様に伝わらないと初めから諦めている所もあります。
だからこそ、ブログ上でも何度も何度も同じ事を、何とか正常な人にも分かる様に、
形を変え、書き方を変え伝えようと書き続ける事になります。
妻は私とは全く別で、文章は推敲に推敲を重ね、伝えたい事に伝えたい事を重ね、
結局、一部の隙も無い程詰め込んでしまうので、結局「大変解りにくい難解な文章」になります。
今回、何度も何度もブログ削除の憂き目に遭ってきた文章を、再度復活させるにあたり、
もう一度妻の文章を見直しながら、少しでも理解し易い様にレイアウトに余裕を持たせ、
さらに、私自身も妻の文章の内容をかみ砕きながら、考え、読み込みました。
ハイパーレキシアの私は、文章を素早く読み込み解った様な気になってしまうのが欠点です。
再度時間を掛け、じっくり「つきまとう影」を読み、すでに2004年には自閉症の事を
こんなに解っていたんだと、本当に驚きました。
何故なら、その後も毎日の様に自閉症の事を話し合い、考え続けて、最近ようやく導き出した
と思っていた事柄も、すでにこの時期に「分かっていた」事を改めて認識出来たからです。
しかし、2004年にはもう「分かっていた」としても、本当に「解っていた」かどうかは疑わしく、
じゃあどうなったら「判った」事になるんだ?とまた別の疑問が湧いてきます。
つまり、結局私は自閉症の事が「分かった」のが「解った」が本当に「判った」のでしょうか。
誰か教えて下さい。そうすれば、ブログも書く事も無く楽になれるでしょう。(ホンマカイナ)
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