人生とはかくも悩み多きものなんですね。
誰にも相談できません (毎日文庫) を読みました。
新聞に掲載された人生相談とその回答が100本収められています。
回答者は作家の高橋源一郎さん、げんちゃんです。
げんちゃんの人生相談は大好きです。
毎回、どんな回答が出てくるのか楽しみです。
それにしても、100本を一気に読むのはハードですね。
なんていったって、人生がかかってますからね。
ひとつ一つが重い。
だから、こんな読み方をしていました。
まず、相談者からの相談を読んで目を閉じて一呼吸入れます。
自分だったらどんなアドバイスをするだろう?と想像します。
それから、げんちゃんの回答をじっくり読みます。
なるほどねー。
回答の中身を噛みしめます。
毎回、学びがあります。
じっくり読もうと思っているのに次が気になって、
結局、一気に読んでしまいました。
げんちゃんの人生相談のいいところは自分のことを語ってくれるところですね。
なんか、信頼できる親戚のおじさんに相談にのってもらってるかんじ。
たとえば、
「ふたりで暮らすためには、どちらもひとりで生きることができる人間でなければなりません。」
「孤独や虚無を抱えていない人間はいません。(略) 生涯のどこかにあった喜びの記憶の一瞬を元手にして、生きる意味を作り上げてゆくしかありません。」
「わたしは、コンプレックスを抱くことは、傷でも闇でもなく、「常に謙虚であるように」と神様が贈ってくれた能力だと思うようになりました。」
「わたしには「友だち」といえる存在は数人です。彼らとは会う必要さえありません。わたしにとって「友だち」は、お互いの「孤独」を理解し合える者のことだからです。」
「「いじめ」の恐ろしさの本質は「他人に支配されること」だとわたしは思っています。他人に支配され、自分の生き方ができなくなること。」
「人はなぜひきこもるのか。それは「建前」ばかりの社会の裏が見えてしまって、そんなところにいたくないからなのだ。人は何者かであるためには、孤独に自分と向かい合う「ひとりの時間」を必要とする。けれども、社会が人に与えるのは、こまぎれの時間だけで、考える時間を与えようとしない。「ひきこもり」の時間は、人がいのちがけで獲得した「成熟」のための時間なのだ」(この部分は思想家の吉本隆明さんの著書『ひきこもれ 』からの孫引きです)
「傷つけられてもそれが痛手にならないのは、他に大切な何か、それさえあれば生きていける何かがあるからです。」
ホント、勉強になります!