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高度に発達したオッサンは美少女と区別がつかない
久々に短編を書いてみました。
最後まで読んで頂けると幸いです。
(誤字があった点を修正いたしました)
世界は変わった、オッサンは変わった。
今はもう半世紀前の話、ソイツが何を考えたのかわからないが、どこぞのマッドサイエンティストが「40歳以上のオッサンを美少女に変える」という薬を創り出した。その薬の効果は凄まじく、服用者の見た目を千年に一人の美少女に変えるだけに終わらず、オッサンの時には近くにいるだけで臭ってきていた死んだエビのような加齢臭さえもミルク石鹸の如き甘い香りに変えた。まさに、奇跡と呼ぶほか無い発明であった。
当時を生きた学者達はこの薬の発明に驚く一方で、「いったい何故このような発明を」と驚き呆れ、そして開発者をあざ笑った。
学者達は口々に言った。
「いったい誰がこんな薬を使う? なんの役にも立たないだろうに」
しかし彼らの予想と裏腹に、この〝美少女薬〟――通称・ハシカンは瞬く間に世界中へと広がった。世の中には彼らが思っている以上に、変身願望を持ったオッサンの数が多かったのである。
世界は美少女で溢れた。問題はすぐに起きた。
目の前の美少女が天然物の美少女であるのか、それとも美少女の皮を被っただけの元オッサンであるのか、見た目だけではその判別がつかない。そのため、恋愛に対して積極的になれない男性が増加したのである。
世に言うところの〝草食系男子〟の誕生であった。
世界の人口は先進国を中心に急速に減少していった。各国は即座にこの薬の開発並びに服用を徹底的に禁止したが、一度広まったものを完全に撲滅することが出来るわけもなく、今もなお〝違法美少女〟は世界に蔓延っている。
世界は変わった、オッサンは変わった。
しかし、そのために俺がいる。違法美少女を逮捕し、そして世界をなるだけ〝あるがまま〟に維持する専任捜査官であるこの俺が。
○
繁華街の夜。ネオンサインが原色の光を放っている。客引きの声が遠くに聞こえる。どこもかしこも羽目を外して騒ぐ奴らばかりで、聞いているだけで耳が腐り落ちそうになるほどやかましい声が響いている。すれ違う奴らの口元からは、むせ返りそうになる安酒の匂いがする。救いを求めて空を見上げてもビルの谷間に月は見えない。静けさという概念とは縁遠い、クソッタレな時間だ。
それでも俺がこの夜を嫌いじゃないのは、こんな夜には違法美少女が付き物だからだ。あのゴキブリ共を捕まえるには、このように汚い時間に限る。
「ハリムラ。おい、ハリムラ」
酔っぱらい共の間をすり抜けながら街を歩いていると、右耳にぶら下げた無線イヤホンから俺の名前を呼ぶ上司の苛立った声が聞こえた。朝から数えて幾度目のことになるだろうか。内心では「そろそろ黙ってろ」と毒づきながらも、俺は通話を繋げて短く答えた。
「なんです」
「定時連絡も無しに、今どこにいるんだ?」
「ご心配なく。サボってるわけじゃありません。仕事ですよ、仕事」
「仕事熱心なのはいいことだがな、勝手な行動は控えろと言ったはずだ。お前の手荒い捜査のせいで、いったいウチにどれだけの苦情が来ていると思っている」
「部長、俺が今まで何人の違法美少女を逮捕してきたと思ってるんです? 文句を言われる筋合いはないはずですが」
「お前の言葉は否定しない。だが、お前は特別に認められた専任捜査官なんだ。その立場をわきまえていないと、いつか必ず後悔することになるぞ」
「してみたいもんですね、その後悔とやらを」
その時、俺の横を互いに腕を組み合った若い男女がすれ違った。男の方はヨレヨレシャツに伸び放題の髪の毛と、お世辞にも綺麗とは言えない格好をしている。対照的に女の方は清潔な身だしなみで、腰まで届く長い黒髪もよく手入れされている。この夜には似合わない出で立ちだ。
いかにも不釣り合いな男女が共に歩いている理由は単純明快。カネとカラダだ。それに尽きる。奴らがただ春を売り買いしている関係ならそれで構わない。だが、彼女の方が〝彼〟であった場合は話が別だ。是が非でも捕らえないとならない。
「切りますよ」と上司に告げて一方的に通話を切った俺は、ふたりの男女に歩いて追いつき、その前に立ちふさがった。
「おい、お前ら。ちょっといいか?」
突然のことにぎょっとした男が、おどおどしながらも「なんだよ」と答える。「いま急いでんだけど」
「そう怯えた顔をするな。少し聞きたいことがあるだけだ。1分も掛からない」
「い、嫌だね。急いでるつったろ」
「そうか。なら仕方ないな」
言うや否や、俺は男の顔面に向けて拳を放った。モロにそれを受けた男は、鼻を押さえてその場にうずくまる。残った女の方は、不安そうな表情をして俺と男へ交互に視線を移している。
「た、たっくんになにするんですか?!」
「悪いな。だが、聞きたいことがあるんだ。教えてくれないか?」
「お断りします! 貴方のような乱暴な人に――」
「金曜日の夜だ。お前は独り、家でテレビを見ている。野球中継だ。お前の手元にあるのは?」
「発泡酒と柿ピー」
「次の質問だ。今日は少しいいことがあった。自分へのご褒美だ。お前の手元にあるのは?」
「八海山とエイヒレの炙り。上赤身の刺身もあればなおよし」
「天ぷら、ハンバーグ、キュウリのぬか漬け、ポテトフライ、唐揚げ、たこわさ。どれを――」
「キュウリのぬか漬けとたこわさ!」
「クロだな。連行する。あとの人生はお前みたいな変態にまみれた施設で過ごせ」
俺は違法美少女の細い手首に手錠を掛けた。彼は涙を流し、「俺がなにをしたってんだ!」と叫んでいる。
何をしただと? 決まっている。街を汚した、男を騙した、世界の理に逆らった。当然の罪だ。
罪には罰を。
○
違法美少女は酒とつまみの好みについて嘘をつけない。どうやらそれは、薬を飲んだ者にとっては避けられない副作用のようなものらしい。なぜそのようなことになるのか、詳しい仕組みはよく知らない。その昔、専任捜査官になる前に教え込まれた気もするがすっかり忘れちまった。使わない知識は忘れるに限る。
違法美少女を見分けるためには、晩酌の友を聞けばいいということだけを覚えていればそれでいい。
その日の夜も、俺は違法美少女を捕まえるため繁華街を歩いていた。昨夜の逮捕で俺の顔を覚えている奴が多いのか、俺の周りは常に人が避けて通る。歩きやすくて何よりだが、どうせ1週間後には元の通りだ。この街の奴らの記憶は三日と保たない。脳味噌の代わりに生ごみでも詰まっているに違いない。
騒がしい大通りを歩いていると、通りすがった路地から穏やかではない雰囲気が漂っているのを感じた。ふと視線を移せば、3人組の男が壁に寄りかかったひとりの少女に詰め寄っている。男達は苛立った様子で眉間にしわを寄せているが、少女の方は涼しい顔だ。あの態度では、直に殴り飛ばされてもおかしくないだろう。
治安維持は役目じゃないが、あの少女が違法美少女の可能性もある。となれば、罰を与えるのは俺だ。あの男達じゃない。
奴らに歩み寄った俺は、「おい」と声を掛けた。
「その女から離れろ。痛い目に遭いたくなければな」
「なんだテメェ。正義の味方ゴッコかよ」と男のうちひとりが答える。細身ではあるがほどよく鍛えられた身体つきの男だ。3人の中では、恐らくリーダーといったような立ち位置だろう。
「いや、違う。ゴッコじゃない。俺は本当の正義の味方だ」
「……頭沸いてんのかテメェ」
「なんとでも言え」
俺は男のみぞおちに鋭くアッパーを入れる。くの字に身体を折った男の後頭部に止めの肘を落とす。男は呆気なく気を失い、その場に倒れ込んだ。
頭を失った組織は脆い。1000人を越える大所帯でも、3人組でもそれは変わらない。残った2人はリーダー格を倒されて怖じ気付いたらしく、倒れ伏す仲間を置いて逃げていった。情けない奴らだ。
視線を移すと少女はすました顔のまま壁に寄りかかっているままだった。まるで、先ほどここで起きたことなど気にも留めていないかのように。
「驚かないんだな」
「別に、気にする必要もないもの」
そう言って少女は息をつく。
「アイツら、私を見て娼婦だと思って声を掛けてきたの。自業自得よ」
「そうか。それはそれとして質問がある。少しいいか?」
「構わないけど」
「月曜日。週明け早々に君は職場の上司から怒られた。そんな夜には何を飲む?」
「カルーアミルク。甘い酒で辛い現実を誤魔化すかしら」
「映画を見ている。古い映画だ。何を飲んで、何を食べながら見ている?」
「電気ブランとホワイトチョコ。遠い昔にトリップしたような気持ちを味わいたいから」
「おでん、ムール貝のアヒージョ、ほっけの丸焼き、豆乳鍋、アボカドとエビのサラダ、この中で選ぶとするなら?」
「アボカドとエビのサラダ。それにムール貝のアヒージョ。たまにだったらホッケやおでんもいいけど、豆乳だけはダメ。アレルギーなの」
なるほど、これは間違いなくただの少女だ。確信と共に、俺は彼女に背を向けた。
「わかった。行っていいぞ。それと、その歳で酒は飲み過ぎるな。身体に毒だ」
「待ってよ。私が違法美少女に見えた? 失礼だと思わないの?」
「思わない。正義を貫いた結果だ」
「呆れた。ごめんなさいも言えないのね」
俺は答えずその場を去る。そんな俺の背中に、彼女は「チエリよ」と言った。「それが私の名前。貴方は? 捜査官さん」
「ハリムラだ」とだけ俺は返した。
その夜が、俺とチエリの出会いだった。
○
その日から、俺とチエリは毎日のようにその街で出くわした。向こうから俺を探していたのか、それとも俺が無意識のうちに彼女の姿を求めていたのか定かではないが、とにかく、クソッタレな偽の美少女にまみれていた俺の夜にはチエリという天然物の美少女の姿が添えられた。
彼女は俺を見るたびに「元気?」と声を掛けてきた。初めのうちはそれが非常に煩わしくて、返事すらろくにしなかったのだが、毎日のように声を掛けられるうちにだんだんとその日常に慣れてきた俺は、彼女に親しみを抱くようになった。
彼女と初めて飲みに出かけたのは3ヶ月もしないうちのこと。彼女が俺の住む安アパートに初めて来たのは半年経ったころのこと。彼女が俺と共に生活を始めたのは1年もしないうちのことだった。
ひとつ誓っておきたいのは、俺は彼女を女性として見たことはただの一度もないということだ。色々理由はあるが、何より彼女は俺にとっては若すぎる。年齢でいえば、娘と父親ほど離れていてもおかしくないだろう。
それでも俺がチエリを自分の部屋に住まわせたのは、根無し草の彼女をどうしても放っておけなかったからに他ならない。
ある日、チエリと共に部屋で質素な夕食をとっていると、彼女はふと呟いた。
「ねえ、ハリムラ。なんで貴方は違法美少女の取り締まりを続けるの?」
「なんでってそりゃ、それが俺の仕事だからだ」
「でも、貴方からは仕事以上のものを感じる。使命感というか、なんというか……」
チエリは俺をじっと見つめた。一切の淀みも無い、純粋すぎる瞳だった。そのあまりの眩しさに思わず顔をしかめた俺は、つい本音を口からこぼした。この少女になら全てを話して構わないと何故だか思えた。
「……美少女薬。あの薬のせいで、俺は愛する人と、生まれたばかりの子どもを失った。もう15年は前のことだ。違法美少女を追っているのは、半分以上はその復讐みたいなもんだ」
「……そんなことを続けていて虚しくならないの? 貴方が必死になって捕まえている違法美少女は、直接的に貴方の愛する人を奪ったわけじゃないのに」
「ならない」
迷いなど微塵もない。それゆえの即答だった。
チエリは少し悲しそうな顔をした。透き通るほど白い頬が、じわじわと赤らんでいった。
「……ねえ、ハリムラ。貴方はもっと優しい人のはずよ。一緒に過ごしてきた私にはわかるの」
「それならお前は俺を誤解しているだけだ。俺は優しくなんか無い」
「嘘よ。もしくは、貴方が自分の優しさに気づかないフリをしてるだけ」
「お前には何もわからないさ。わかるはずもない」
どこまでも冷ややかな言い争い――いや、争いなんて呼ぶには静かすぎる。これはただ、互いの意見が平行線を辿るとはわかっていながら、改めてそれを確かめるために仕方なく行った作業に過ぎない。
チエリは相変わらず俺のことを悲嘆の表情で見つめている。俺はそれをなるべく視界に入れないようにしながら、冷たくなったミネストローネに浸した硬い食パンを口に運ぶ。
俺が食事を終えたころ、チエリが思い出したように口を開いた。
「……ハリムラ。ごめんね」
「いいんだ。俺こそ悪かった」
その日、俺達はそれ以上の会話をしなかった。
○
思い返してみれば、そもそも最初に妙な違和感を覚えたのは8ヶ月ほど前のことだった。
少なくともひと月に3人は検挙出来ていた違法美少女が、その月は1人も捕まえられなかった。翌月からは検挙数も元に戻っていたからその時はさほど気にしていなかったのだが、今になって考えてみればそれがまずかった。
というのも、最近になって違法美少女がめっきり捕まえられなくなったのである。幸か不幸かそれは俺だけの問題ではなく世界的なもので、1年前の同じ時期と比較しても検挙数が10分の1以下に落ちている。
お偉方は「違法美少女がようやく減ってきた」などと脳天気に喜んでいるが、俺から言わせてもらえばこれは由々しき事態である。
奴らは通常の人間社会に潜伏する術を得たに違いない。たとえば、奴らが持つ唯一の「酒とつまみの好みに関してだけは嘘をつけない」という弱点が、なんらかの形で克服されたとか――。
あり得ないとは言い切れない。しかしならばどうする?
世の中の罪無き男達は、目の前で裸になった女が元オッサンかもしれないという恐怖に一生苛まれ続けなければならないのか?
そんなことは許さない。この俺が。
違法美少女の検挙に躍起になった俺は、家に帰ることが少なくなった。ある日、10日ぶりに家に帰ると、一枚の書き置きを残してチエリの姿が消えていた。
「貴方は優しい人」
たった10文字のその文言が、1年以上も共に過ごした俺達の間に交わされた〝さようなら〟だった。
チエリが居なくなった後、俺の捜査は以前にも増して激しくなった。令状も無しに売春宿に踏み入って、その場にいた全員に対して尋問をかけたこともある。その時はたまたまひとりだけ、違法美少女を見つけることが出来たから良かったが、何も無かった時のことを考えるとぞっとする。もしかしたら、専任捜査官としての立場を失っていたかもしれない。
しかし、自分の行いが無謀で危険なことだとは重々承知しているのに、俺は自分を止められなかった。チエリという存在が、知らないうちに俺の心のタガとなっていたのかもしれない。俺は本来、専任捜査官には携帯を許されていない拳銃を懐に入れ、捜査のために夜な夜な街を徘徊した。
ある日の夜。目を皿にして違法美少女を探し回る俺の視界に、覚えのある背中が映った。強く抱きしめれば壊れてしまいそうな細い身体――後ろ姿だけでチエリとわかった。
彼女は何やら周囲を警戒しながら、人気のないビルへと足を踏み入れていく。俺の家を出てからあそこに住み着いているのだろう。別に気にすることじゃない。
そう思い込み、彼女の姿を見なかったことにしようとした俺だったが――どうしてもそれが出来なかった。もう一度だけ彼女に会って、なにか話がしたいと思った。
俺の足は自然と彼女が入っていったビルへと向かっていた。
ビルに入るとすえた臭いが鼻についた。あちこち埃っぽくてとても清潔とはいえない。このような場所で暮らすのならば、まだ外にいた方がマシというものだ。
足下をライトで照らすと、チエリが歩いていった跡がくっきりと残っている。俺はそれを追って静かに歩いた。足音で俺の存在に気づかれて、逃げられてしまうのが嫌だった。
足跡は下に続く階段へと続いている。階下からは、何やら複数人が話す声が聞こえる。どうやら共同で生活しているらしいと知って、俺は少しだけホッとした。
階段を一段、また一段と降りるたびに、なんとなく緊張が高まっていく。今更どんな顔をしてチエリに会えばいいのだろうか。今の俺に、チエリを安心させる笑顔なんて出来るのだろうか。
いやしかし、それでも俺は――。
階段を降りると左手に半開きになった扉があった。暖色系の明かりと共に、チエリの笑い声が漏れてきている。
意を決して扉を強く開けた。
開けなければよかったとすぐに思った。
そこにいたのは、チエリと同じくらいの歳の少女達であった。しかも1人や2人ではない。10、20、もっといるだろうか。その集まりが違法美少女の集団だということは一瞬でわかった。
美少女の皮を被ったオッサン共は不安そうに俺を見ている。俺の口から反射的に飛び出た「好きな酒は?」という言葉に、「黒霧島」やら「アサヒスーパードライ」やら、少女らしからぬ親父臭い答えが次々と返ってくる。
気づいたときには俺は懐から拳銃を出していた。自分でも信じられないことに、その銃口は真っ直ぐチエリに向けられていた。
俺は震える喉から声を絞り出した。
「……説明しろ、チエリ。コイツらはなんだ。なんでお前が、こんなゴキブリ共と一緒にいる」
「落ち着いて、ハリムラ。皆が怖がってる」
「怖がってる? 馬鹿言うな。全員オッサンだ」
「オッサンだろうとなんだろうと、銃を向けられれば誰だって怖い。違う?」
チエリは驚くほど落ち着き払っていた。最初に出会った時と同じだ。
俺は銃を構えたまま、もう一度「説明しろ」と言った。
「……この人達は、ハリムラの思ってる通り違法美少女。そして私は、彼女達の手助けをしてるの。彼女達を遠くに逃がすための手助けを」
「なぜそんなことをしている? 天然物の美少女であるはずのお前が、なぜオッサン共を助けるんだ」
「貴方だったらわかるはずよ」
「優しいから、か?」
「違う」
チエリはゆっくりと首を横に振った。
「貴方が私の父親だからよ」
瞬間、全ての時が止まった。そんなはずがない。そんなはずがない。こんなことがあってたまるか。こんな俺を見られてたまるか。
こんな――ほどよいゆるふわカールが巻かれた金髪と、透明感のあるぴゅあぴゅあな肌と、青い宝石のように輝く瞳を持つ――西欧風の美少女になった俺を、父と呼ばれてたまるものか。
「……チエリ。俺はお前の父親じゃない」
聞いているだけで頭が痛くなりそうな、甘ったるい俺の声が部屋に響く。自分のものじゃない、偽りの声。
「違う、父よ。私にはわかるの。生前の母から聞いたわ。あなたの本当の父親は、ある日突然美少女になって姿を消したって。貴方、母の話に聞いていた美少女とそっくりだもん。それに何より親子なのよ? きっと母から話を聞いてなくっても、貴方が父親だってことは一目でわかったはずだわ」
チエリはさらに続けた。
「母が死んだ後、私は違法美少女を保護する団体に入って、貴方をずっと探していた。唯一の肉親だったし、何より貴方を逮捕させたくなかった。だから最初に貴方に会ったときは驚いた。私の立ち位置とは正反対――貴方は、違法美少女を逮捕する側だったんだもの」
俺は「嘘だ」と何度も呟き、チエリの言葉を必死で否定した。嘘でなければ夢であってくれと幾度も願った。
「嘘じゃない、嘘じゃないのよ」
「……仮にお前の言うことが本当だったとしても、お前の父親だった男はもう何年も前に死んだ。いまお前の目の前にいるのは、美少女の皮を被ったオッサンに過ぎない」
――そうだ。俺はあの日、死んだのだ。友人だと思っていた同僚に、美少女薬を盛られたあの日。すっかり美少女になった身体を妻に見せ、そして当然の如く拒絶されたあの日。警察に行って全ての事情を説明し、違法美少女の身でありながらも違法美少女を捕らえるための特別専任捜査官に任命されたあの日。
「……ハリムラ、提案があるの。私達と一緒に逃げましょう? 違法美少女を保護してくれる国へ」
「出来るか、そんなこと」
「心配しないで。その国には、もう世界中から何千人も違法美少女が集まってる。静かに暮らしたい人達のための国。貴方におあつらえ向きの国よ」
「つまり、世界中で違法美少女の検挙数が減っているのもそのせいか」
「そうよ。誰にも邪魔されず、誰も邪魔しない。貴方達にとっては天国よ。当然、私もそこに住む。一緒に住みましょう、父さん」
その言葉に答える代わりに、俺は拳銃の撃鉄を起こし、引き金に人差し指を掛けた。
「……最後の忠告だ。チエリ、そしてオッサン共。大人しくその場にひざまずけ」
「……貴方は撃てないわ、父さん」
「いや、撃てる。そう生きると決めたからだ」
一瞬の沈黙――チエリは俺の目を見て僅かに微笑むと、「逃げて!」と声を上げた。それと同時に走り出すオッサン共。
唇を強く噛んだ俺は人差し指に力を込め――チエリに向けていた銃口を天井に傾け、か弱い雄叫びを上げながら拳銃を乱射した。
オッサン達は瞬時に伏せる。耳をつんざく轟音が響く。空薬莢が辺りに飛び散り、10秒とせずに弾は尽きる。
俺は肩で息をしながら、空になった拳銃を投げ捨てた。
「……言ったでしょ、撃てないって」
「いいからさっさと逃げろ」
困惑した面もちのオッサンが、小走りで扉から逃げていく。ひとり部屋に残ったチエリは、自分でも何をやったのかわからなくて呆然と立ち尽くす俺に歩み寄り、そしてそっと抱きついた。
「一緒に行きましょう、父さん。ここから逃げ出すの」
「俺は行かない。見逃すのは今日、お前達だけだ。明日から俺は、またいつものハリムラに戻る」
「実の娘に寂しい思いをさせるの? カルーアミルクの甘さ程度じゃ到底癒せない、心の傷を負わせるの?」
「何度も言わせるな。俺はお前の父親じゃない」
チエリは俺の顔を見た。今にも泣き出しそうな顔で、俺はとてもその表情を直視出来ずに目を伏せた。
「……わかった。じゃあね、ハリムラ」
「ああ、二度と会わないことを願ってる」
チエリは俺の頬に軽くキスをすると、涙のダムが決壊する前に部屋を出ていった。
それから俺はしばらくその場に座り込み、固く目をつぶって時間が経つのをただ待った。
俺はハリムラ。クソッタレな違法美少女を捕まえる専任捜査官。
好きなものは馬刺とネギマ。好きな酒はプレミアムモルツ。
嫌いな酒は――この世で一番嫌いな酒は、悲しいほどに甘いカルーアミルク。