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Q10000
四作目。死ぬほど難産でした。でも書いてて楽しかったので良しとしましょう(吐血)
「私を弟子にして下さい!!」
「帰れ」
肩まで下ろした金糸のような髪に、濁った碧色の瞳をした少女が私の家に訪れたのは、夕日が森を照らす時間の出来事だった。
知性があり、感情があり、胴体に付属した四肢の二足歩行。以上の理由から彼女が【人間】だと理解した瞬間に、私は吐き捨てるように帰還を促すと家の扉を閉めた。
よし、読書の続きをしようかと席に着いたが、扉が連打される。
「そこをなんとかぁ!私、本当に後が無いんですよぉ!」
「うるさい!近所迷惑だろう!」
「ご近所さんなんていないでしょうが!」
我ながら馬鹿な止め方をした。
ここは【大魔女の森】と呼ばれる禁忌領域だ。環境的には特に変わりのないただの森なのだが、世界を狂わせかねない大魔女ーーーまあつまり、私が住んでいるため人外魔境に指定されている地だ。ご近所さんなんているわけない。
厄災認定なんて酷いものだが、私は人嫌いだから利を被っていた。
人間嫌いの理由は単純、弱いから。【化け物】として何千年と生きる私が、せいぜい七十年程度しか生きられない脆弱で貧弱な生物に時間を割く理由が見当たらない。
「とにかく駄目だ。私は人間に割く時間など持ち合わせていない。これ以上するというのなら、衣服を剥ぎ取ってから街中に転移させるぞ」
「わ、私に社会的抹殺なんて効きませんよ!既に死んでますからね!」
「自ら地雷宣言をしてどうするんだ。社会的に死ぬような人間を中に入れる理由はない、消えてくれ」
突き放すように言うが、連打の音は止まらない。こうなれば防音魔法でも使ってやり過ごしてやろうかと思ったのだが、ふと、か細く切ない声が聞こえた。
「………私、やっぱり要らない子なんだなぁ」
寂しさ、孤独を思わせる落ち込んだ声音。それを聞いて私は特に思うところなどない。不幸なんてそこら中に溢れている。
「……おい」
「……はい」
「夜明けまでだ。中に入れてやる」
「っ、あ、ありがとうございます!」
しかしまあ、中にくらいは入れてやろう。可哀想だとかそんなんじゃない。夜の森は危険で、死なれても寝覚めが悪い。本当にそれだけだ。
部屋の中は殺風景だ。机に椅子に書棚にベッド、それ以外には特に無い。
しかし、大魔女の家となれば緊張もするのか少女は体を強張らせながら、私に促されて席に着いた。
私はベッドに座る。
とりあえずまずは問答だ。何故私に対する迷惑行為に勤しんだのか問い詰める。
「して、君はどうして大魔女たる私の家を叩いたんだ。私が人間絶対殺す魔女だったらどうするつもりだったんだい」
「あはは、死んじゃったら死んじゃったで良かったんです。もう誰も、私を心配なんてしませんから」
そう言って小娘は表情に影を落とす。碧色の瞳は濁ったまま。言葉の調子は良いのに、チグハグだ。
「自殺志願者か。稀にいるんだよ。死ぬ前に魔女の顔を拝みたいという輩がね。君もその口だと言うのなら、即転移魔法で帰すが」
「い、いえ!弟子入りしたいのは本当です!かの有名な大魔女に師事すれば、魔法を使えるようになって家での立ち位置を確保出来ると思いますから!」
「家での立ち位置…?」
「はい、実は…」
話を聞くと、金髪の小娘ーーーリゼとやらは貴族と平民の一夜の過ちによって生まれてしまった望まれぬ子だったらしい。
主人は子を作るだけ作ってポイというのは気が引けたのか、その平民の女と子を屋敷へと迎えた。
しかし、貴族生まれ貴族育ちの正妻と、先日まで市井の中の一人だった女が相入れるはずもなく、また主人が政略結婚で婿に来たらしく、主人の力が強くなかった。
その結果、屋敷の中では非常に立ち位置が悪く嫌がらせもされていたのだとか。
更に不遇を後押ししたのは、リゼが魔法を使えなかったということだ。
【魔法】。魔星と呼ばれる不思議な力を放つ星の力を収束させ、その魔星の特性を引き継いだ超常を引き起こす奇跡とも呼べる代物。
人間社会ではこの魔法は非常に重要で、強力な魔法を使えるというだけでお高く止まることが出来る。しかし、リゼは魔法が使えず、貴族の恥として様々なそしりを受け続けたらしい。
あの手この手で魔法を発現させようとしたが、何をしても魔法が使えなかった。そのうちいよいよ立ち位置が危うくなり、劣悪な環境を与えられていたためか唯一の味方だった母が死亡した。
後ろ盾も無くなり、なんならいつ恥として暗殺されてもおかしくない状況。
しかし、母が最期に残した「幸せに生きて」という言葉だけを頼りに、起死回生の一手として大魔女の元を訪れるなどという暴挙に出たらしい。
私はその話を聞いてーーー実にくだらないと心の中で一蹴した。貴族社会じゃありふれた話だ。同情する余地すらない。巻きこまれた私はとんだ迷惑だ!
「………ぐすっ、うえ…べ、別に、ぐすっ、その話をきいても、おえ、ぐすっ、きみがかわいそう、びええ…だとか、ひんっ、思っていない」
「………泣いてくれるんですか?」
「な、ないてなんかいない!ちょっと目から塩水が流れ出しているだけだ!魔法使いにはよくあるんだよ!」
私ほどの魔法の使い手となると目から塩水が飛び出す事があるのはよくある話なのだが、リゼは可笑しなものを見たように表情を和らげた。
「…ふふ、ありがとうございます。大魔女さんは、優しいんですね」
「うるさい!私はかつて世界中から恐れられた厄災だぞ!めちゃくちゃ強くてめちゃくちゃ怖いんだぞ!」
「容姿も白髪のちっちゃい女の子ですし」
「うるさい!」
ずっとこの容姿なのはちょっと気にしてるんだ。白髪に紅い瞳、凹凸の無い幼児体形。私は涙目のまま自身の身体に触れてみるが、つるぺったん。良いんだよ、貧相な体型にしか無い魅力だってあるに違いない。
「それで、私のことを弟子にしてくれますか?」
「ぐぬ…」
リゼの問いに言葉を詰まらせる。このまま追い返すのはかわいそ……いや、折角この地に足を運んでくれたのに味気ない。
けれど師弟関係は駄目だ。そんな深い関係は、駄目だ。
「一万個だ…」
「いちまんこ?」
「一万個まで私に質問する権利をやる!その中でどうにかしろ!あとは知らん!君は私の事を勝手に質問に答える道具として見て、私は君を便利な小間使いとして使う!これでどうだ!」
「あ、ありがとうございます!」
「ふん」
ぱっと明るい顔を作ったリゼに、私は鼻息をついてそっぽを向いた。
一万個。質問は一日一個でもたった二十八年程度だ。数千年を生きる私にとってはほんの少しの間。鬱陶しい使用人がいると考えれば直ぐに終わる。
私は天才で、大魔女だ。こんな小娘に絆されるようなことは万に一つもありえないしな!
***
「Q1482 二つの魔法を同時行使出来ないのは何でなんですか?」
「魔法とは【魔星】と呼ばれる異能を持つ星から降り注ぐ力を収束させ、その星の摂理をこの世界に移し替える力だ。もし、二つの摂理を同時行使した場合は片方が弾かれてしまう。どちらかの常識を適用しないと、世界に弾かれてしまうからな」
「なるほど、流石師匠です!」
「ふふん、もっと褒めると良い」
「神!大魔女!よ、世界一!」
「ふふん!」
褒められると凄く嬉し……いや、リゼに格を見せつける事ができるので非常に気分が良い。リゼは忙しなくノートにメモを取っていき、私はそれを眺める。
碧色の瞳は、爛々と輝いていた。一年前は、絶望しきった目だったのに。まあ、そっちのほうが見ていて気分が良い。
最近では、私から教わった魔法を次々と習得しており、正直人間界なら向かうところ敵なしなんじゃないかと思える。
どれもこれも、私のおかげだな。ふふん、流石私。やはり天才だ。
まあ、リゼにも多少の才覚はあったが。この子は魔法起動だけが苦手で、他はむしろズバ抜けた能力を持っていた。大魔女たる私のお墨付きをやってもいいーーーー
「って、君はなんで私の家に居座り続けているんだ!」
「わ、どうしました師匠。お代わりですか?」
「お代わりはくれ……じゃない、誤魔化そうとするな。君は魔法が使えないから此処に来たのだろう。なら、もうこの家に留まる理由はないだろう?出て行ったらどうだ」
私はリゼからスープを受け取りながらまくし立てる。
別に食事をせずとも生きていけるが、娯楽としては非常に楽しめる。しかもリゼの作る料理は凄く美味しい。
それはそれとして、リゼがこの家に留まる理由はもう無いのだ。今のリゼは、各国がこぞって手に入れたがる大魔法使いだ。お家での立ち位置なんぞ幾らでも作れるどころか、何なら乗っ取れる。
しかしリゼは興味無さそうに「あー」と一つ呟いた。
「そんな目的、ありましたね」
「はぁ!?じゃあ何のために君はここに居座り続けるんだ!」
「そりゃあ師匠が好きで、一緒に居たら幸せだからですよ」
「ふぇっ!?」
「ふふ、師匠可愛い。赤くなっちゃってる」
口元に手を当てて妖艶に笑うリゼに、私はピキリと青筋を立てる。
「最近オイタがすぎるよなぁ?リゼ。少し、教育してやらなければいけないだろうこれは」
「わ、わわっ!ごめんなさい!師匠の方が格上です、私なんて師匠の足の爪先にすら及んでいません!」
「分かっているなら良いんだ、分かっているなら」
ふん、と鼻息を立てて席に座り直す。顔が赤くなってしまったのは、いきなりで吃驚しただけだ。リゼが私に勝とうなんざ百億年早い。
なんたって、私は君の師匠だぞ。
「師匠」
「なんだ」
「でも好きっていうのは本当ですからね」
「うるさい」
でもそう言われて気分は悪く無い。仕方ない、もう少しだけこの家に置いてやろう。感謝したまえ。
***
「Q2093 師匠、どうですか。出来てますか」
「リゼ……」
リゼと出会ってから六年が経過した。夜分遅く、リゼは目元にクマを作りながら私へ一つの木箱を差し出した。
私は渡された木箱に触れたあと、ゆっくりとリゼへと向き直る。リゼはごくりと生唾を飲み込み、緊張した空気が流れる。
それを解いたのは、他でも無い私の声だった。
「よくやったぞリゼ!【時間停止魔法】の習得おめでとう!」
「っ!や、やりました!やっと出来ました!ししょー!!!!」
「ぐ、ぐすっ。うう、目から塩水が。いや、泣いてなんかいない。びええ…がんばったなー!りぜぇ」
「良かったですぅ…これで私の壮大な計画の第一歩を踏み出せます」
壮大な計画とやらが何なのかは分からないが、リゼは四年前ほどに突然、時間停止魔法を習得したいと言い出した。
【時間停止】を司る魔星の力は、非常に制御が難しい。収束も困難だし、扱いも難しいし、暴発しやすいし、したら大惨事になりかねない危険なもの。私ですら、習得に二十年近くを要した。
私の補助を得つつ、四年間地獄の鍛錬の末にリゼはこれを身に付けた。流石に目から塩水が出る。
「師匠」
「なんだ」
「愛しています」
「…………」
唐突な告白に、顔が赤くなるのを自覚した。体が熱くなる。胸がぎゅんと苦しくなって、リゼを直視出来なくなる。
はっきり言ってやる。私はリゼに絆されてしまっている。
災厄なんて言われている化け物である私にも分け隔てなく接してくれて、六年もの間同じ時間を過ごして、毎日のように好きやら愛してるやら言われたら流石に堕ちる。
今では好きと言われたら胸が高鳴るし、愛してると言われれば天上にも登る思いだ。
けれど、私はその告白に応えられない。
「馬鹿なことを言うな、ほら、さっさと寝ろ。寝不足なんだろう。そして君はいつになったら質問権を使い切るんだ」
「………はい、ご心配ありがとうございます。寝ますね」
遠回しな「いつか出て行け」という言葉にリゼは寂しそうに頷いてから、ベッドへと入っていった。
私は人間が嫌いだ。
弱くて儚い、人間が大っ嫌いだ。
***
「師匠!星空を見ましょう!」
「ああ…もうそんな時間か」
リゼと暮らし始めて七年。遂にリゼは、六年目から一年かけて一つも質問権を使わなかった。
出て行く気がないのだろう。昔の私なら、目的を達成したのだから出て行けとまくしたてただろうが、今の私にはそんなことは出来ない。
リゼはきっと悲しい顔をする。だから嫌だ。理由なんてそれだけだ。
そんなどうでも良い事はさておき、リゼは毎年一日だけ魔法の鍛錬を休む日がある。
それが【天の星橋】と呼ばれる現象が起こる日で、その日の夜にはまるで天に橋がかかるように無数の星が現れて並ぶのだ。
リゼはその星空が大好きらしく、前日からそわそわしだしてその日の昼間など上の空だ。だから、その日だけは休息日として、昼は天の星橋に想いを馳せ、夜はそれを眺める日としていた。
「わー!綺麗ですねー!」
「君、七年連続で同じ反応をしてるぞ」
「何回見ても素晴らしいってことですよ!ほらほら、今日のために作ったお団子を食べながら見ましょう!」
「はいはい」
いつまで経っても子供っぽさの抜けないリゼに仕方ないやつだと嘆息してから、彼女の叩く隣へと座る。
「師匠、私が天の星橋が好きな理由知ってますっけ?」
「何万年後も変わらないから、過去の人も未来の人も同じ星空を見る。それってロマンチックじゃないですか!だったかな?」
「はい、そうです!凄いです師匠」
「ふふん、君の事なら大体は分かるさ」
そう言ってやるとくすぐったそうなら笑みを浮かべた。照れているのだろうか。普段、愛してるなんて言って私を照れさせてくれているお礼だ。天才の私を手玉に取ろうなんて百年早い。
しかし、リゼは優越に浸る私にとんでもないカウンターを仕掛けてきた。
「師匠、愛しています」
「はいはい、分かっーーー」
「今回は本気です。断られたら出て行きます。強くなるっていう目的は達成しましたから」
恐れていた質問に、ヒュっと息を詰まらせた。
しかし、それだけだ。覚悟はしていた。いつかこんな日がくるんじゃないんだろうかと。
だけど、理屈では理解していてもどうしても文句が言いたくなって、私はリゼを見ないように星空を眺めながらポツリと呟いた。
「君は、卑怯だ」
「ごめんなさい。けど、これ以上はっきりさせないのは為になりません。私にも、師匠にも」
間違いない。この関係は最もいけない。
決断しなければいけないのだ。私は最大の幸福を得てどこまでも深い絶望をするか、今絶望して未来を生きるか。
しかし、その話をする前に聞いて欲しいと思った。確認のようなものだ。私とリゼの関係がこれ以上続けられない理由の確認。
「聞いてくれるかい?まあ、君なら薄々理解してくれているだろうが」
「はい、聞きます」
真摯な眼差しを向けてくる彼女に、私はゆっくりと目を瞑ると、懐古する。
それは遠い遠い、昔のお話。
「昔々あるところに、独りの化け物がいました。彼女は絶対に死にませんでした。身を引き千切られても、海に沈められても、マグマに溶かしても、絶対に死にませんでした」
何の呪いか悪戯かその少女は死ねなかった。でも痛覚があるし、嫌なことは嫌だ。この世界は地獄だと呪った。
「世界中が彼女を利用しようとしました。彼女は世界を呪いながらも力を高め、いずれ厄災などと呼ばれるようになりながら生き長らえました。死にたかったのに、生きてしまうから、生き長らえました」
死にたかった。でも死ねなかった。だから生き続けた。辛くないように強さを身につけた、人はいつしか彼女を【天災】と呼び、彼女はそれを否定するように【天才】と自称した。
「しかし、そんな彼女に転機が訪れます。彼女を慕ってくれる子供達がいたのです。何となく、本当に何となく救った子供達に好かれ、化け物は幸せでした」
初めて生まれて良かったと思えた。化け物にでも、愛を注いでくれる人達が居た。
「でも、化け物は幸せになれませんでした。大切な人が先に死ぬからです。絶対に死なない彼女は、数少ない受け入れてくれる人々の死を、絶対に看取らなくてはならないのです」
けれど化け物は死ねない。同じ時を歩めない。絶対に取り残される。
「化け物は絶望しました。だから、引きこもりました。終わり」
だから化け物は森に住まう。誰も訪れない禁忌領域に家を構える。
化け物は人が大嫌いだ。弱いから、最終的には化け物に悲しみしか残さない。
だから、私は人間が大嫌いだ。
「下らない話だ。私が生きている意味なんて無いのさ。死ねないから、生きている。世界に拒絶され、数少ない愛したものには先に逝かれて残るのは寂寥だけ」
「…………」
「それを知っていてなお、君は私を好きだと言えるかい?その選択が、愛する人間をいつか必ず絶望させるとしても、愛していると言えるかい?」
リゼが私を愛すると言えば、いずれ私はリゼが死んで失意の底に落ちる。今、リゼが消えれば、少ない絶望と共に孤独に生きていく。
私は自分でも分かるくらいに情けなく、痛ましく笑った。
それと同時に、強烈な自己嫌悪に襲われる。
これを招いたのは私だ、私の甘さだ。
あの日どんな手段を使ってでもリゼを追い返すべきだった。リゼを絶望させてでも、こんな辛い選択を迫らせるべきでは無かった。
こうなってしまう可能性は理解していた、けれど今、こうなってしまっているのは、私が思ってしまっていたからだ。
独りは寂しいなんて。
私が独りなのは宿命だ。永遠の孤独こそが、不死の代償。必要無いなんて言っても、有るものは仕方ない。
「師匠」
リゼが言葉を紡ぐ。
きっと優しい君のことだから、一番私が辛くない方法を取ってくれるのだろう。それ即ち、今日でリゼとお別れすることだ。
さあ、拒絶しておくれ。私を愛しているのなら、私を今、絶望させておくれ。
「私は貴女を、愛しています」
「……………ッ!どうして……」
「いや、ちょっと迷ったんですけどね。だって師匠、もう泣きそうだし」
「……ふぇ?」
「多分師匠、今私が消えても壊れかねないんですよねー。だから、壊れるんなら後からの方が良いかなーって」
「そんな適当な理由でっ…!」
「いやいや、ちゃんと考えはありますよ。大丈夫、私は師匠が死ぬまで生きる意味で在り続けると誓いましょう。だから、今だけは、私のものになって下さい」
根拠は無い。リゼは人間だ、いつか死ぬ。生きる意味で在り続けるなんて不可能だ。
まやかしだ、幻想だ。けれど、どこまでも真っ直ぐ私を見つめてくれるリゼの碧色の瞳はどこまでも嘘偽りなく澄んでいて。
「…………うん」
つい、子供のように頷いてしまう。
すると、リゼの唇が落ちてきて私の唇とそっと触れ合う。手を絡めて、体を寄せ合って、満点の星空の下で結ばれる。
そして、私の唇を奪ったあと、満面の笑みでリゼはとんでも無いことを言い始めた。
「私、ちょっと出て行きます」
「は?」
「一年以上になるとは思いますが世界を旅してきます。そして、師匠はついて来ないで下さい」
「い、いや、馬鹿か君は。たった今、私は残された時間は少ないんだと示唆したばかりだぞ!?」
先の話からどうしてその結論に至るのか全くもって意味不明だった。普通ならイチャイチャする日々を送るところだろう。なんで出来立ての恋人に失踪されなきゃいけないんだ。
「お願いします。一生に一度のお願いをここで使います。帰ってきてからは私を煮るなり焼くなり好きにしてください。だから、私を一度だけ外に出してください」
「駄目だ!私が着いていってはいけない明確な理由を提示しろ」
「理由は言えません。けど、お願いします」
リゼはそう言いながら、腰を折る。思えば初めてかもしれない。さっきですら、だいぶおちゃらけていたのに、こんなに真面目な態度を示すのなんてどれだけの目的なんだ。
逡巡する。
リゼと残された時間は限りがある。しかし、そこまでやりたいことならやらせてあげた方が良いのではないか。だが、大好きなリゼとの時間は無くなる、最悪、外界でリゼが死ぬ可能性もある。けれどけれど、リゼがどうしてもなんて言うならーーー
無数の考えが生まれて、消える。
唸って、唸って、唸って。苦虫を無数に噛み潰したような表情をしながら、私はリゼに告げた。
「…………一回だけだ。旅路で死んだら殺す」
「ありがとうございます」
翌日、リゼは森の家を出て行った。泣いてなんかいないが、目から塩水が飛びだした。ドバドバと。
リゼが出て行って一日目。
久方ぶりの一人だ。静かで良い。そうだ、元々数百年くらいはこうして一人だったんだ。元に戻っただけなんだから、大したことじゃない。心配して損した。
三日目。
何も食べずに生きていけるのだが、いざ食事が無くなるとなると寂しいものがあるので作ってみた。流石は天才の私だ。リゼと遜色ない味。しかし、何故か味気ない。不思議だ。
一週間後
別に寂しくなんかない。たまにリゼの幻覚が見えたり、リゼの声が聞こえてきたりする気がするが、寂しくなんかない。今師匠って聞こえた!もしかしたらリゼが帰って……来てないか。はぁ。
一ヶ月後
何もする気が起きない。一人ってめちゃくちゃ退屈だな。前の私はどうやってこの孤独を乗り越えていたんだ。そうだ、リゼが残していった下着があったような気がする。アレでしよう。ナニとは言わないがシよう。
三ヶ月後
………………………………………………………………………………………………………………………………………
半年後
もーやだ!ひとりやだ!りぜおいかける!だってむりだもん!これいじょうはしんじゃうもん!りぜがわるいんだもん!あ、でもりぜどこいったのかわかんない。それに、もしいれちがいになったらいっしょうあえないかも。びええ…それはいやだよぅ!
十ヶ月後
確か、リゼは一年と少しで帰ると言ったよな。今は……多分、あの日から一万年くらい経ってると思う。そうか、リゼは死んだのか…薄々は気付いていたんだ。私が簡単に幼児退行するような豆腐メンタルな訳がないから、あの時には既に三千年くらい経っていたんだろう。現実逃避していた、リゼは死んだんだ。
一年後
………………………寂しいなぁ。そうだ、芋虫になろう。
一年と二ヶ月後
おにくたべたい。
***
一年と半年後
「師匠、ただいま戻りました…って何ですかこの部屋!汚なっ!?っていうか師匠は天井から簀巻きになってぶら下がって何をしているんですか!」
何だうるさいな。私は今、無と同化しているんだ。邪魔しないでくれ。何も考えない状態にしていないとリゼがチラついてやってられないんだ。
「降ろしますよ師匠!まったく、かなり落ち込んでるとは思いましたがここまでとは思いませんでしたよ!」
ほら、今もリゼの幻聴が聞こえる。目を開けば、目の前には腰まで伸びた金髪の女性。おお、リゼが育ったらこんな感じになりそうだ。
「幻覚にしてはなかなかやるじゃないか、完成度が高い」
「幻覚じゃないですよ」
「はは、何を言ってるんだ。リゼは死んだんだぞ?」
「いや勝手に殺さないで下さいよ。一年と少しで帰るって言ったじゃないですか」
「はえ?……いや、でも。あれ、リゼ?」
「はいはい、師匠の愛しのリゼですよ」
呆れたような笑みを浮かべる少女。私は簀巻きの状態から縄の一部を魔法で焼き切り、右手を伸ばす。
触れられる。偽物じゃない。目を擦っても消えない。
間違いない、リゼだ、本物のリゼだ!!
「びえええええぇえええぇっ!!リゼええええええぇええぇええぇっ!!」
「あ、暴れないで下さい!物が、物が落ちる!ぶらんぶらんすな!凶暴な芋虫だな!?」
私は縄芋虫から蛹の過程を吹っ飛ばして羽化した。久しぶりのリゼだ、くんくん、良い匂いする。抱きついてみると、柔らかな身体が出迎えてくれる。そして、帰ってきたのだという実感を得て感無量になり、もう一度泣いた。
「もう何処にもいかないで…次は死ぬ…」
「はい、もうずっと一緒です」
死ねない私の冗談を聞き流して、リゼは慈しむように笑った。
それからの私はーーーまあ、リゼ依存症と言っても過言ではなかったと思う。
「師匠、いつまでこうしてれば良いんですか」
「うるさい。君は黙ってそうしてればいいんだ。ふへへ、リゼのにおいでいっぱい」
「まあ、可愛いから良しとしますか…」
一年半の旅行の代償。煮るなり焼くなりしろと言っていたのでその通りにしてやる。私は厄災認定された大魔女だぞ、怒らせたことを後悔させてやる。
とりあえず、君にはずっとあすなろ抱きさせてやる。あっ、そのぎゅっとするの良い、もっとして。
「次は正面からぎゅっとしろ。師匠命令だ」
「昔は威厳ある大魔女だからその喋り方だと思ってたんですけど、もう背伸びしてる子供にしか見えません」
「私はもう恥なんて捨てたんだ。生涯分のリゼを吸収しておかないと大変な事になると気付いた。さあ、早くぎゅっとしろ!」
「はいはい、ぎゅー!」
「ふへへ!」
あー良い。ぎゅっとされるの、凄く好きだ。リゼがここにいるっていう安心感が堪らない。たまに頭を撫でられると、余りの多福感に師匠としての威厳が無くなってしまいそうだ。
もう無い?寝言は寝てから言ってくれ、私は天才なんだぞ。あっ、喉撫でるのすき、もっとして。
それからはとにかく、毎日が幸せだった。
とは言っても、大したことはしていない。一緒に食事を摂って、一緒に家で読書して、外で散歩したり、新しい魔道具を画策してみたりして、た、たまにえっちな事をして。
「なあ、結局、あの一年半は何をしていたんだ?」
「秘密です。いつか分かりますよ」
ただこの質問にだけは絶対に答えてくれなかった。まさか、私を堕とすための策略だったとでも言うのかい?ふふふ、ならば大失敗だな。私は全く堕ちてな、あっ、手握られるのすき、もっとして。
げふん、幸せだから良いんだよ。何でも。
君と同じ匂いを感じて、君と同じ景色を見て、君と同じものを聴く。それだけで幸せで、一生このままなんだと信じられてしまうくらいに満ち足りていた。愛しい人といるだけで毎日が輝いて見える。
ーーーけれどどうしても、どうやっても残酷を知らされる日がある。
【天の星橋】
年に一度訪れる星の大幕。美しくて、綺麗で、リゼが喜ぶこの日が私は大嫌いだった。変わらない私と、変わっていく君、それをどうしようもなく思い知らされる。
君が好きな星空を眺める。ぎゅっと君の手を握ると、君も握り返してくれる。幸せだ。
君が好きな星空を眺める。ふと君の方を向くと、こちらへとはにかんでくれた。幸せだ。
君が好きな星空を眺める。ふと声をかけると、素敵です!と目を輝かせていた。幸せだ。
君が好きな星空を眺める。君を背後から抱きしめた。少しばかり細くなってしまったかい?もう少し食べた方が良い。
君が好きな星空を眺める。君の懐にすっぽりと収まってみた。頭を撫でてくれる、幸せだ。
君が好きな星空を眺める。君は体調不良だというのに大した根性だ。来年は万全の状態で挑もう、大丈夫、再来年も、その次もある。大丈夫。
………大丈夫。
君が好きな星空を眺める。君の手をぎゅっと握る。細くて、嗄れた手。
君が好きな星空を眺める。ふと君の方を向く。空がよく見えないらしいので、魔法で補助してやる。喜んでくれる。
君が好きな星空を眺める。杖をつく君を支えてやる。ほら、君の大好きな星空だ。また来年も、一緒に見よう。
君が好きな星空を眺める。今年は雨だから中止だ。大丈夫、君の体調が悪いからなんて理由じゃない。雨だから中止なんだ。空を晴らす魔法も、今日は体調不良なんだ。
君が好きな星空を眺める。君はもう動けない。だから、車椅子を押してやる。ほら、また来年も見よう。その次も、その次も、きっと、その次も…
ずっとずっと、二人でこの星空を眺めよう。
深い夜。
明日の夜、私はリゼと恒例の星見をする。
リゼは前日の夜にはいつになっても明日は天の星橋です!なんて喜んでいたのに、今日紡いだ言葉は全く別のものだった。
「ごめん、なさい。師匠」
「何を謝っているんだ君は。明日は天の星橋だ。謝っている暇があるんなら、さっさと寝て備えろ」
「そう、ですね。そうします」
「師匠」
「なんだい?」
「愛しています」
「私もだ」
「そして、勝負開始です。負けませんよ」
「……はい?」
たまに訳の分からない事を言い出すのは、老いぼれてからも変わっていない。リゼの変わっていない部分を見つけて、目を細める。
そうだ、きっと明日も変わらない。君と一緒に星空を眺めるんだ。
翌日。
君が好きな星空を眺める。隣に君は、もういない。
***
リゼが死んだ。
それは絶対に来る結末で、逃れられない運命だ。万象を揺れ動かす魔法でも、命を伸ばすことだけは出来ない。それは神のみわざで、地上の生物には許されない。
「君は、ずっと一緒に居てくれるんじゃなかったのかい?」
私はリゼの遺骨を埋めた墓標の前に立ち、恨めしげに刻まれたリゼの名を眺めた。
本当に恨んでいるわけじゃない、彼女と過ごした日々は本当に幸せだった。けれど、思ってしまう。あの日、君が私を見捨ててくれていれば、こんな胸が張り裂けそうにはならなかったんじゃないかと。
リゼが死んでから、視界に色がない。耳はノイズのかかったような音しか届けない。モノを食べても、何の味もしない。
「はは、こんな世界を、君は生きていけというのかい?」
悪い冗談だ。悪夢なら覚めて欲しい。
しかしどうにも否応なくここは現実のようで、私はまた一つ小さく絶望しながらフラフラと家の中に入っていった。
ああ、家の中も色がない。どんな色だったかももう忘れてーーー
「……あれ?」
ベッドの下に二つだけまだ色付いているものがあった。
「……なんだ?」
ベッドの下を弄り、色の正体を持ち上げる。それは、リゼの時間停止が付与してある一つの小さな木箱と一つの小さな鉄箱だった。
時間停止を付与された物体は、不変となる。しかし、私が触れた瞬間に片方の木箱の付与は解かれた。何が入っているのかと開けてみると、中には一枚の紙が入っていた。
【師匠がこれを読んでいる時には、私はもうこの世界にはいないと思います。師より先に逝く不肖な弟子を、どうかお許し下さい】
「遺書…か」
筆跡が力強く、少しばかり粗雑だった。最近、書かれたものではない。リゼマイスターの私の目によると、恐らく二十代前半のものだろう。
あの子、そんな若い時から遺書書いてたのか。ずっと一緒とか言いながら死ぬ気満々じゃないかぶっ殺すぞ。
そんな事を考えながら次の文面へと目を移した。
【っていうのはまあ置いといて】
「置いとくのか!?」
久しぶりに大きな声が出た。いや、そこそこ肝心なところだろうそこからは。実は君、先立ったことを大して悪いと思ってなくないか?
凪のような感情が揺らぐ。分からない、分からないけれど少しだけ視界に色が戻った気がした。
私は更に読み進める、何故か確信があった。このまま読み進めれば、リゼの最大の秘密がーーーあの一年半が解き明かされる。
そうだ、リゼは約束を破るような子じゃない。なら、この中にあるはずなんだ。リゼに繋がるものが、リゼが遺した、私を絶望から掬い上げる何かが。
【師匠、私、質問権八千個くらい残ってるんですよ!残したまま死ぬのももったいないので、全部行使して死にますね!それでは、第2094問目!】
「しつ、もんけん?」
そう言えばそんなものがあったな、と思い出す。私がリゼに課した制約。確かに、使われることなく残っている。
下に小さく【裏面に続く】と記載されていたので、私はそこで紙を裏返す。するとそこには、悪戯な筆跡で質問が書かれていた。
【Q2094 私は一年半の間。Q2095〜Q9999までを世界中に隠してきました。果たして師匠は、死ぬまでに全てに答え、Q10000の鉄箱を開き、私に勝利することが出来るでしょうか?】
「……なる、ほどな」
時間停止魔法。
壮大な計画。
一年半。
その目的を知った。
彼女が遺した挑戦状。世界中に隠された木箱を探して質問に答える。小さな箱だ。これを世界中からヒント無しで見つけ出すというのは、間違いなく骨が折れる。
【さあ、勝負開始です!師匠の生涯をかけないと攻略出来ない難易度に仕立て上げましたからね!余生をばっちり楽しんで下さい!】
「……はは、勝負ってこれのことか」
リゼの遺言の意味を理解する。間違いない、あいつ内心で絶対笑ってた。驚くだろうなぁ!とか考えてただろう。ああ驚いたよ畜生め。
鉄箱を見ると確かにQ10000と彫られている。9999まで答えれば、この鉄箱の時間停止も解けて中身が拝見できるようになるのだろう。まあ、無理やり解除しても良いのだが、流石にそれは味気ない。
荷物を纏める。
とりあえず、Q2094には答えておこう。
「私が勝つに決まってるだろう、馬鹿弟子」
色付いた世界を歩き始めた。長い長い旅路。
愛しい人が遺してくれた【目的】を追いかけて。
***
【Q2095 問題です!この箱は手に入れた順に中身がちゃんと番号順の問題になるようにされています、何故でしょう!】
恐らく時間停止が付与されている状態では箱の中身は空だ。しかし、時間停止が解除された瞬間に、弾かれていた転移の魔法が代替わりに発動するように仕組まれている。Q1482で教えた、魔法は二つ同時に行使できないというのを逆手に取り、時間停止が付与された木箱に転移を重ねることで時間停止の解除を転移のトリガーにしている。転移により亜空間に飛ばされた状態で固定されている問題紙は劣化することがない。よって、永久に朽ちない問題箱が完成する。
ふふふ、私ってやっぱり天才だな。
【Q2853 難易度の方、どうですか?師匠ならやれますよね?】
それ、八百個近く回収させた後に言うことか?まあとりあえず言わせてもらうと、鬼か君は。私じゃなかったら間違いなく百回以上は死んでいるぞ。いいか、火山の中に放り投げるのは隠すとは言わないんだ。あと、古の飛龍に喰わせるのもな。探すというよりかはなんか見つけた上で攻略する戦いみたいになってるぞ。
【Q3594 私の実家、イリュシアル王国って所にあるんですけど。滅びました?】
そういえば君、貴族の令嬢だったな。すっかり忘れていたよ。そして、質問内容が滅びました?な所に非常に悪意を感じる。確かに君の境遇を今思うと腹が煮えくりかえるな。しかしもう滅んでしまったから報復は出来ないが。というか、既に国が滅んだり栄えたりを何回も目にしている。千五百個見つけるのにもかなり時間がかかってしまったものだよ。
【Q4639 まだ大魔女の名は生きていますか?】
大魔女の名は生きているよ。しかし、御伽噺の中に出てくる伝説上の存在にされている。君には信じられないと思うが、魔法は徐々に衰退していって今では見る影も無いんだよ。だから、魔法使いなんて代物自体が御伽噺の産物で、同時に私の存在も幻だとされている。時代の流れとは怖いものだね。
【Q5893】
いや、私の似顔絵を描くな。質問はどうした。いや、それにしても上手いな君。何かと器用だったがまさかここまでとは。しかしだな、胸部に少し不満がある。私はもう少し大きいだろう。こんな絶壁みたいなことにはなっていないせめて小ぶりな丘くらいは【見栄張っちゃ駄目ですよ】何千年越しで心を読むのはやめろ。
【Q7493 最近、なんか楽しい事ありました?】
ふむ、楽しい事か。
すまーとふぉん、と言うのだけれどな。これは凄いぞ。何より内臓されているげーむ?とやらが凄く面白い。いつか、君とも対戦してみたいな。私の最強パーティで全力でお相手しよう。
【Q8643 その時代、どんな感じですか?きっと、私には想像もつかない事になってるんでしょうねー!】
ああ、私にも想像がつかなかった。
まさか人類が巨大ロボに搭乗して別の惑星へ向かう事になるなんてな。というのも、化学開発のせいで世界が割と存続の危機だ。移住先を探しているらしい。全く、持続可能のなんちゃらはどこに行ったんだ。
【Q9500 どうですか?あー、師匠に会いたい】
ネタ切れだろ。何がどうなのかを説明しろ説明を。心なしか文字に覇気が無いぞ。けど私に会いたいっていうのは嬉しいから許す。ふへへ。どう?と言われたら世界情勢を話すことになるのだが、うん、灰になったな。無事世界は滅んだよ。世界より私が長生きしてしまっている。生きてる中では最年長名乗って良いんじゃないだろうか。
あとなんか、最近よく眠くなる。不思議だ。
【Q9994 クリア出来そうですか?】
凄く眠い。こんなのは初めてだ。外見に変化は無いのだが、体が怠い。頭がガンガンする。そうか、きっとこれが……大丈夫だ、必ず、クリアする。大丈夫。はは、あれだけ時間など要らないと嘆いていた私が、時間に焦ることになるなんて飛んだ皮肉だ。
【Q9995 頑張って下さい、もう少し】
あはは、もう質問ですらないじゃないか。けど、ありがとう、がんばるよ。もうすこし、もうすこし。まだがんばれる。
【Q9996 あと少し、あと少しだけ、頑張れ、師匠】
わたしを、だれだと思ってるんだ。わたしは、てんさいだぞ。そして、君のししょうだ、まけるはず、ないだろう。
【Q9997 師匠】
なんだ。
【愛しています】
私もだ。
【Q9998 私は信じています。師匠を、信じています】
……………………あきら、めるか。
すすむ、んだ。はいつく、ばってでも。どれ、だけ、みじめ、でも。どれ、だけ、あわれでも。わた、しは、きみに、かちたいんだ。ぜっ、たいに、あきらめて、やるもんか。
【Q9999 おめでとうございます!本当に凄いです師匠!凄いなんてもんじゃないくらい凄いです!私、本気で勝ちに行ったつもりでした!】
最後の質問ーーーいや、もう質問の形を成していないが。私はそれを見て、一つ思うところがあった。
(なあ、リゼ………君、結構なクズだな……)
思えば私を絶望ルートに引っ張ったのもリゼだし、唐突な一年半出張で私の心はズタズタにされるし、その上で勝ちに来るし。いやね、私のためだとは分かってるんだよ?けどもう少しくらい手加減してくれても良かったよ?
だってほら、私にはもう両手が無い。
本当にギリギリだった。恐らく、もう数分もすれば私は完全に消えてしまうだろう。だから、その前に、私はQ10000の鉄箱へと視線を向かわせた。
鉄箱の時間停止が解かれていた。口で蓋を開く。
中には相変わらず一枚の紙が入れられていて、最期まで飾り気が無い。私は鉄箱を何とか転がして中身を地面へと飛び出せた。
そして、眼に映るQ10000。最期の、質問。
【Q10000 私は最期まで貴女の生きる意味でいられましたか?】
最後の質問にしては、なんて簡単な内容なのだろう。
こんなの、答えは決まっている。
だから、即答してやろう。
それがせめての意趣返し。
今の私に出来る、最大の君への感謝。
「ーーーーー。ーーーーーー。ーーーーーー、ーーーーーーーーーー」
小さく呟いた。誰にも、リゼにすら聞こえないように。だってこれは直接言いたい。誰よりもこの言葉を待ち望んでいるのは、きっと彼女だから。
未練は無くなった。だから、私は最期の願いを叶えるべく残った力を全て収束させて空へと撃ち放つ。
すると、暗雲が吹き飛び何百年振りに空を見る事が出来る。今日は、七月七日。空に、星の橋が架かる日。
君も好きな星空を眺める。もう身体は殆ど残っていなくて、君がいるはずもないのに、手を彷徨わせる。
けれど、不思議と私の手を取る人物がいた。驚いてそちらへと目をやると、君が笑っていた。何千年前と変わらない優しい笑みで。
『これからは、本当にずっと一緒です』
天の星橋は、輪廻の輪の一環だと言われている。長い長い間旅して摩耗した魂を回復させ、現世に送り戻されるのだとか。
だから、本当にずっとという訳ではない。
けれど、私は君の言葉に強く頷いた。
きっと、何度生まれ変わったって君に出逢って、そして君に恋をしよう。
だから、ずっと一緒だ。
私は君の手をぎゅっと握り返して、どこまでも続く星の道を歩いて行った。
*****
「…………ん、あ」
目を覚ました。永い夢を見ていた気がする。ずっとずっと、長い道を歩む。途方も無いほどに長い道。けれど、すごく幸せな時間の夢。
「どうしたんだい?理世、涙を流して。悲しい夢でも見ていたのかい?」
「あ…おはよ、匠。ううん、むしろ、凄い幸せだった。幸せすぎて涙出た」
「なんだそれは」
匠はーーー愛しい人は笑う。女の子同士だが、理世と匠は恋人同士だ。沢山の時間を一緒に過ごした仲で、お互いにお互いの事をよく知っている。
けれど膝枕されながら匠の顔を見あげた時、不思議な違和感があった。ずっと奥底に眠っている何かが掘り起こされるような感覚。
理世はそれに従って、言葉を紡いだ。
「分かんないけど、私達、もしかしたらずっと前から出逢っていたような気がして……るんですよ、師匠」
「ぶふっ、何だいそれは。変な敬語混じり、しかも私の事師匠って」
「あ、あれぇ?おかしいな。なんか今、匠のこと見た瞬間に師匠だぁ!って思っちゃったんだよね」
「………あれ、なんか私にも違和感が無い。理世、私になんかしたかい?話題の催眠魔法とやら?」
「そんな古代技術を私が使える訳ないでしょ」
二人して不思議な違和感に悩んでいたが、手掛かりもヒントも無い。きっと、夢の余韻が見せた幻だったのだろう。
そんな事より、理世は気になることがあった事を思い出した。はっとして辺りを見渡すと、床に一つの小さな立方体の鉄箱が置かれているのを見つけた
「そうだ!そんなことより、この箱だよ!」
「ああ、この箱だね。君が私に紹介するってその箱に触った瞬間に、君が寝落ちした訳だが」
「あ、あはは、そうだっけ?最近寝不足で…」
「はあ、気を付けておくれよ。して、それは何なんだい?」
「そう!これ、お母さんが倉庫の奥から見つけたの。でも開けらんないんだよ。鍵穴も無いし叩いても壊れないし」
「それで私を呼んだのかい?力になれそうにないんだが…」
「まあまあ、一人より二人ってことでさ。何か気付くこととかない?」
目を輝かせる理世に、そんなに期待されても困る匠は苦笑する。しかし、何が入っているか分からないブラックボックスというのは年甲斐も無く興奮してしまうものだ。
興味自体はあるので、匠はそっと触るとーーーあっさり、箱がぱかっと空いた。
「は?」
「え?」
二人して呆けた声を上げる。その後に、匠はジト目を理世へと向けた。
「開けられない箱?」
「いやいや!待って嘘じゃないって!本当に私がやった時は開かなかったんだって!」
「じゃあなんだい、私が触ったら開く仕組みでしたなんて訳でもあるまいし」
ブラックボックスはなかなか開かないからこそロマンがあるのに、触れただけで解錠なんて夢もクソもない。
悪戯だと思ったが、両手を振って嘘でない事を否定する理世に欺瞞の色は見えず、匠は首を傾げた。
「ま、まあ、空いたんなら良かったじゃん!中身見てみようよ!もしかしたら億万長者になれるかも!」
中には、一枚の紙だけが置かれている。理世はその紙を取り出した。
【A10000 遘√?逕溘″縺溘?√◎縺励※豁サ繧薙□縲ょ菅縺ッ譛?譛溘∪縺ァ遘√?逕溘″繧区э蜻ウ縺?縺」縺溘?】
「はい?何これ、昔の言葉かな…」
理世は意味不明な文字の羅列に、内心ガッカリしながら肩を落とす。宝の地図でもあれば、良かったのに。
「……あれ?」
ーーーしかし、匠はその文字列を見た瞬間、強烈な既視感を覚えた。
同時に内に広がる使命感。
ーーーそうだ、伝えなければいけない。その言葉は【彼女】に直接、【私】が伝えるのだと決めていたのだ。
だから、匠は隣の理世の肩を掴む。そして一言一句違えぬように、かつて【私】が伝えると誓った言葉を吐露した。
「私は生きた、そして死んだ。君は最期まで、私の生きる意味だった」
「え……?」
何かを言った。ぼんやりとそう感じた次の瞬間に、匠の意識は明瞭に帰ってきた。
「………あれ?ご、ごめん。なんか一瞬、意識が飛んでた。何か言ってたかい?」
「いや…なん、でも……ぐすっ、ないはず…なのに」
「わああ!?な、泣かないで!ご、ごめん!変なこと言ったなら謝るよ!」
「いや、ぐすっ、たくみは、わるくない……のに、なん、で、ぐす、なみだが、とまらない、よ…」
いきなり泣き出した理世に匠は慌てる。一瞬前に何を言ったんだと思い出そうとするが、もやがかかったように思い出せない。
しばしうんうん悩んでいると、ぐすり、と鼻水をすする音と共に理世が小さく呟いた。
「星空が、見たい」
「星空…?ああ、今日は確か天の星橋の日か。急にどうしたんだい?」
「なんか、無性に見たくなってきた」
「はあ」
理世にも匠にも、星空を眺めるようなロマンチストな趣味は無い。突然そんな事を言い出した理世に困惑するが、少しでも泣いてしまった彼女への励ましになるようにと、匠はベランダへと理世を連れ出した。
「……綺麗、こんなに綺麗だったっけ?」
「……ああ、なんだか、久しぶりに見たような気がする。
満点の星空。天の輝く大幕。
二人は、生まれて初めて見たという訳でもないのにどうしようもなく見惚れてしまった。
理世は不思議と天の星橋を見て思った。
ーーー巡り巡って、変わらない星空。何処までも続き、果てはない。あの星空が在り続けるのなら、何度でも巡り会うのだろう。
『ああ、ずっと一緒だ。何処までいっても、いつになっても』
理世は不思議な声を聞いた気がした。同時に無性に愛しい人と手を繋ぎたくなって、指を絡める。
君と好きな星空を眺める。この手は二度と、離さないと誓いながら。
本当に難しくて力不足を感じました。頭の中の物語を形にすることの難しさを思い知りました。
次・【長編百合ファンタジー】or【短編いちゃ百合】
→長編なら九月
→短編ならちょっと待ってね