まるで集団自殺をしようとしている人類たち
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まるで集団自殺をしようとしている人類たち
毎日テレビのニュースを見ていても目を覆いたくなりますよね。
例えばオリンピックにしてもそうですよね…。
何の為のオリンピックなのか?
誰の為のオリンピックなのか?
完全なる商業主義…。
お金儲けの為にオリンピックを開催しようとしているという狂気。
ましてや、この大変な危機だと喧噪するコロナ禍の中で…。
そして政治は腐敗し、官僚たちの背信も続く…。
社会の上に立つものは自分の利益しか考えない…。
誰も国民の為になんか政治をしていない。
そんな狂った世界を見て、子供たちがどう育つだろうか?
そして誰もが自分の事しか考えなくなる社会。
最悪ですよね。
そして私たちはあきらめと共に不誠実に生きてはいないだろうか。
よってこの世界的な惨状を見て私には世界は「集団自殺する人類」だと観えるのです。
この世界を収めている人達は何がしたいのだろうか?
この日本を収めている人達はどうして世界の言いなりなのだろうか?
なぜ人類は集団自殺しようとしているのだろうか?
為政者たちは一体何がしたいのだろうか?
そんなシンプルな疑問が生まれて来ませんか?
いつ人類は目が覚めるのだろうか?
いつ私たちは夢から醒めるのだろうか?
いつ愛を持って生きることが出来るようになるのでしょうか?
こんな狂った時代を…私たちはどう生きるべきなのだろうか?
たとえ世界がどんな惨状であろうが、どんなに悲惨的であろうが、自分がどう生きるのか?
これだけは「自分で選択すること」が出来るのです。
生き方は自分で決めることが出来るのです。
惨状をどう捉えるのか?も決める事が出来るのです。
自分に選択権があるという事を忘れてはいけないのです。
なぜならば、自分に選択権が無いとするとそれは奴隷に他ならないからです。
私達は本来奴隷ではありません。
奴隷からの脱出が出来るからです。
それは私達一人一人が決める事が出来るのです。
今年をどう生きるのか?
今月をどう生きるのか?
今週を、今日をどう生きるのか?
そして「今」をどう生きるのか?なのです。
今の選択をどうするのか?の連続なのです。
自分に負けて間違った心を選択するのか?
誰かのせいにして間違った心を選択するのか?
もしくは自分の内側だけを見て正しい心を選択するのか?
誰のせいにもせず、自分をも責めずに正しい心を選択したいと願うのか?
私たちは希望を失ってはいけません。
世の中の惨状に付き合う必要はないからです。
それは映画のスクリーンと同じように幻想だからです。
立体的に見えていても、それは影絵と同じだからです。
見えるものに心奪われてはいけません。
自分を責めてもいけません。
それは分離を促進する為にあるのですから。
私たちは統合に向かわなければ絶対に心の安らぎを得ることはできません。
分離から統合へ。
あなたと私は同じなのですから。
一人一人気が付いた者から。
一緒に、一人一人、頑張りましょうね。
またコロナ禍明けにセミナーや懇親会などでお会いできます事楽しみにしておりますね。
ヴィジョン / Vision
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