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坂井瑠星騎手『ドレッドノータスの形見を胸に…心の中に強く残る京都大賞典』 /「さようなら京都競馬場特集」(4)

  • 2020年10月22日(木) 18時02分
ノンフィクションファイル

▲コントレイルに注目が集まる菊花賞に、僚馬サトノインプレッサで参戦 (C)netkeiba.com


京都競馬場開設100周年を迎える2025年の記念事業の一環として、今開催を最後に2024年3月までの大規模改修に入る京都競馬場。そこで、現在の京都競馬場の思い出を3名のジョッキーたちにお聞きします。

松山騎手、川田騎手に続いて登場するのは坂井瑠星騎手です。ドレッドノータスで制した京都大賞典は、自厩舎での重賞初勝利とあって、忘れられない一戦に。しかし、先月16日、ドレッドノータスは天へと召されました。同馬との思い出、京都競馬場の思い出…様々な思いを語ってくれました。

(取材・文=不破由妃子)

※このインタビューは電話取材で行いました。

4年前に見た豊さんの姿…まさか自分も同じ舞台で


──全138勝中、33勝を京都でマークしている瑠星騎手。なかでも印象的なのが、ドレッドノータスで勝利した2019年の京都大賞典です。あのレースにはどんな思い出がありますか?

坂井 自厩舎(矢作厩舎)の馬で初めて重賞を勝てたこともあり、僕にとってもすごく思い出深いレースです。本当は夏場も乗せていただく予定だったのですが、僕がケガをしてしまって。

──巴賞(5着)、函館記念(4着)、丹頂S(5着)は、菱田騎手の手綱でしたね。

坂井 はい。病院や海外からその走りを見ていました。復帰後、京都大賞典で乗せていただけることになって、夏に乗れなかったぶん、結果を出したいという気持ちが強かったです。去年は夏から秋にかけて本当に具合がよくて、力を出せる状態なのはわかっていました。ただ、まさか勝てるとは思っていませんでしたが。

──11番人気での大金星でしたね。レースは、好スタートから道中は内々3番手のポケット。絶好の位置取りに見えました。

坂井 レース前に矢作先生と作戦を立てるなかで、「逃げ馬の後ろしかない」という話をしていたんです。本当に狙った通りにその位置を取れて、すべてが上手くいったレースでした。

 ドレッドノータスは2015年の京都2歳Sを(武)豊さんで勝っているのですが、競馬学校生の頃にそのレースを見て、「かっこいいなぁ。いつか自分もあんなふうに勝ちたい」と思ったんです。

 そのときのことがすごく記憶に残っていたので、まさか4年後に自分がその馬に乗って、重賞を勝つなんて。僕のなかでは、今でもあの京都大賞典がドレッドノータスのベストパフォーマンスだったと思っています。

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