「なんで僕は死ななければならなかったのか」事実を明らかに 小4児童死亡事故 9日に初公判 遺族の思い
HTB北海道ニュース
今年5月、登校中の小学4年生の男子児童が車にはねられて死亡した事故。運転していた男の初公判があす行われるのを前に遺族が思いを語りました。 本間壮惟記者) 「事故から一か月半が経った今でも現場には花が手向けられています」。 息子の倖さんはその朝も、いつものように自宅を出て学校に向かったといいます。 西田倖さんの父親) 「倖は私たち家族の中で3番目に生まれた子。本当に陽気だし、人を笑わせたり、楽しませる存在だった」。 5月16日、札幌市豊平区月寒東の交差点で小学4年生の西田倖さんが登校中に信号機のある横断歩道を渡っていたところ、右からきたワゴン車にはねられました。倖さんは腹部を強く打ち、その後搬送先の病院で死亡が確認されました。 西田倖さんの父親) 「泣きながら救急車に乗ったという風に聞いていたので、私の中ではけがをしたけれども、おそらく命に別状はないだろうと。また妻から電話がきて、その時にはもう、妻の第一声が「倖ダメだった」と。びっくり、絶句ですね。(頭が)真っ白になった」。 ワゴン車を運転していた豊平区の会社員・花田光夫被告(64)は過失運転致死の罪に問われています。警察の調べに対し「前を見ていなかった」と供述しています。花田被告がこの日起こした事故はこれだけではありません。 本間壮惟記者) 「男の子をはねた横断歩道からおよそ250m手前のこちらで、花田被告は物損事故を起こしていました」。 花田被告は倖さんをはねる直前、ポールと接触する物損事故を起こしていました。また関係者によりますと、事故前日にも札幌市内で別の事故を起こしていたということです。 起訴状によりますと花田被告は死亡事故を起こした日、運転前に持病の薬を飲んでいましたが、意識障害に陥る危険を認識しながら食事などをとらなかったため運転中に意識が低下し、青信号の横断歩道を渡る倖さんをはねたとされています。 倖さんの父親は、被害者参加人として9日の初公判に出席します。 西田倖さんの父親) 「伝えなければいけないと思うのは、突然命を失ってしまった倖の思いだと思う。倖の遺影と向き合って彼が何を訴えているのかを考えたときに、まずは「なんで僕は死ななければならなかったのか」という事実を明らかにしたいという思い。いつか自分も加害者になる可能性があると思う人たちが、どれだけ増えていくか、それが今回起きた悲惨な出来事を起こさないための一番最初のスタートラインじゃないかなと思う」。
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