あえて酒を控えていた、あるいは飲まなかった3人の戦国武将
近年、お酒を飲まなくなった若者が増えたという。健康を考えるならば、良いことなのかもしれない。戦国時代には酒を飲めなかった武将、節酒を心掛けていた武将がいたので、そのうち3人を紹介することにしよう。
◎織田信長(1534~1582)
フロイス『日本史』によると、信長は酒を飲まず、食事も節制していたという。健康には、随分と気を付けていたようだ。しかし、天正2年(1574)には酒宴を催し、浅井久政・長政父子と朝倉義景の首を薄濃(はくだみ)にしたという。
また、信長が明智光秀にパワハラをした逸話は数多くあるが、その中には飲酒を強要したものもある。信長が本当に酒を飲まなかったのかは証明されたわけではないが、家臣の手前酒宴を催すことがあっても、酒を飲まなかったのだろうか。
◎豊臣秀吉(1537~1598)
豊臣秀吉といえば、明るいイメージがあり、なんとなく酒好きだったような感じがしないわけではない。むろん、秀吉が酒好きだったのか、そうでなかったのかを示す史料はない。ただ、秀吉が大坂城内に掟を発布した際、飲酒を慎むよう命じた一文がある。
これにより、秀吉が酒を飲まなかったとか、節酒していたなどと断言できないが、自身も注意はしていたのだろう。酒がもたらす悪影響を考慮して、掟は発布されたと考えられる。ちなみに秀吉は養子の秀次に女性への接し方を注意しているが、それも同じことになろう。
◎毛利元就(1497~1571)
元就は父の弘元、兄の興元を過度な飲酒で亡くしていた。そもそも元就は健康への意識が高かったので、酒に対しては注意を払っていた。元就は、子の隆元に節酒を勧め、同時に酒で憂さを晴らすことはあってはならないと諭していたという。
また、元就は家臣に対しても、節酒を心掛けるよう呼び掛けた。酒を飲むと気が短くなり、余計なことを言ってしまうからである。『吉田物語』には、元就は下戸だったと書かれている。そのおかげか、元就は長寿を保ったのである。