京都の舞妓がセクシー女優に転身したワケ「舞妓としては頑張っても上手くいかない葛藤があったけど」
2024年5月、一人の女性がセクシー女優としてデビューした。名は、賀川かのこ。京都府出身の22歳である。
——ここは正直に答えていただきたいのですが、本当に舞妓だったのですか?
「はい。中学を卒業してからずっと、舞妓をやっていました。実をいうとアイドルになりたいという夢があったんですけど、自分のポテンシャルでは現実的ではないのかなって。同じように華やかに見える世界の中で選ぶとしたら、私ができそうなお仕事は舞妓かな、と思ったんです」
——人前で踊ったり下積みもあったりすることを踏まえると、近しい方向性ではあるのかもしれませんが、かなり思いきりましたよね。
「それと、私は芯の強い女性に憧れていたんです。だから、若いうちに厳しいところで修行をしたいという考えがありました。
京都でいちばん厳しいところってどこだろう? と考えたら、それは花街。イコール舞妓という結論になったんです」
——高校進学という進路は最初から頭になかったのですか?
「そうですね。勉強は大人になってもいつでもできると思っていたし、その考えは今も変わっていないです。母からは特に反対されなかったのですが、父は堅実に生きて欲しいと思っていたようで『お願いだから高校には行ってくれ』と言われていました。
結局、父の承諾を得ずに舞妓になっちゃって、2年半くらい実家に帰っても無視し続けていたら、いつの間にか許されました(笑)」
——強い気概で始めた舞妓の仕事は、率直に言ってどうでしたか?
「始めた当初から『一生涯続けていくことは無理だろうな』とは感じていました。何しろ、芸事にまったくハマれなかったんです。私は舞踊に茶道、鼓(つづみ)などの鳴り物、お能くらいの最低限のことしかやりませんでした……他の子たちは三味線や笛なども習っていましたけど……」
——舞妓として売れっ子という立ち位置ではなかったのでしょうか?
「テレビやCMに出させていただいたりもしたので、運は良かった方ではあります。でも、ぶっちゃけていえば、大売れしてるわけではなかったですね(笑)。ある程度のところまではいけても、それ以上となると、実力として難しいものがありました。
本当の売れっ子になる子って、芸事が心から好きで、お稽古してるだけでも目が輝いているんですよ。私には、そこが欠けているのだと思います」
——舞妓さんの1日のスケジュールはどんな感じなのですか?
「まずは7時くらいに掃除機の音で目が覚めて、そのままお掃除をひたすらお手伝いするところから始まります。
それが終わったら朝ご飯で、9時から14時まではお稽古です。17時からお茶屋さんに伺って、深夜1時頃に帰宅。おしろいを落として就寝です」
——なかなかのハードスケジュールですね。休日はあるのでしょうか。
「公休は決められた日に月に2回……のはずが、うちの屋形の場合は先輩にあたるお姉さんの気まぐれで『今日休んでいいよ』って言われる感じですね。
休みの日はわりと実家に帰ることが多いんです。うちのお姉さん、オフの妹舞妓に花街の近くをフラフラされるのが嫌な人だったので、みんなほぼ強制的に帰らされるんですよ。私は京都出身なのでラクでしたけど、地方から来ている子たちは大変そうでした」
——“超縦社会”じゃないですか。しかも舞妓さんって、住み込みの共同生活ですよね?
「そうです。しかも、うちの屋形は舞妓同士がぜんぜん仲良くなかったんですよ(笑)。
お稽古の時間を教えてもらえないこともあったし、芸事の練習もぜんぜん見てもらえない。お客様の前では仲良くしていましたけど、実際はバチバチの世界でした」
——辞めたくなりませんでしたか?
「社会に出たことがなかったので、職場というのはこんなものなのだろうと思っていました(笑)」
——ちなみに、昨今話題になったお客様と云々みたいなことって、本当にあるのですか?
「これは嘘偽りなく、まったく何もないです。うちの屋形はそういうことに対してめちゃくちゃ厳しくて、『芸は売っても身は売るな!』の精神でやっているんですよね。
だからなのか、私にはそういう情報や知識は何も入ってこなかったんですよ。お風呂入りなんて大昔の話だと思っていたので、ネットで騒がれていると知った時はすごく驚きました。たぶん街や屋形によって、その辺りの風潮はぜんぜん違うんじゃないかと思います」
実は彼女、これまでは京都で舞妓をしていたのだという。中学卒業直後から屋形に住み込み、真摯に芸事の修行に励んできた。そんな彼女が、いったいなぜ、セクシー女優の道を選んだのか? その答えの中に、舞妓という仕事の厳しさも垣間見られた。
中学卒業後、芸事の道へ
舞妓の世界は“超縦社会”!
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