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元人気セクシー女優の“今”。引退作に500万円のギャラ提示も「断っちゃいました」

 セクシー女優として活躍していた薫桜子を覚えているだろうか。2004年に人気絶頂の中で惜しまれつつも引退。その後は愛奏(あいかなで)に改名し、Vシネマや成人映画などに出演していた。2008年、第20回(2007年度)ピンク大賞にて女優賞を受賞。
愛奏

現在、新宿2丁目でBARを経営する愛奏さん

 彼女は今、どうしているのか? 新宿2丁目の奥深くに、その姿があった。

「正直、生きるためでした」

愛奏 現在は俳優業だけでなく、新宿2丁目で「Shrimp Bar Ebidon」を経営しながら焼売(シュウマイ)の移動販売もしている。そんな彼女の半生から聞いてみた。  2002年にデビューしたが、そもそもセクシー女優になったきっかけについては「正直、生きるためでした」と笑う。 「本当にお金目的といったら夢がないけど、稼ぎたくて始めたんです。他に理由はないかな」  当時はファストフード店でアルバイトしながら写真コンテストなどのモデルをしていたという。 「被写体はやったことがあったし、映画オタクでたくさんの演技を見ていたからセクシー女優になることにも抵抗はありませんでした」  ちょうど業界的に転換期を迎えていたが、「撮影はショー感覚だった」と愛さんは振り返る。 「最近の話を聞くと、ビックリしますね。撮影の内容がハードなうえに、ギャラも格段に安い。いい時期にセクシー女優をやっていたと改めて思います」

引退作に500万円のギャラ提示も「断っちゃいました」

愛奏 愛さんは2年ほど活動して引退。じつは、さまざまなメーカーから引退作のオファーがきたそうだが、首を縦にふらなかった。 「500万円というギャラの提示もありましたが、断っちゃいました。あの頃の私は、人生なめてるっていうか。いま思えば、引退作を撮っておけば……。だって、500万円を稼ぐって並大抵のことじゃない。もっと引退時期やギャラについて駆け引きすれば良かったのかも(笑)」  では、なぜ人気絶頂の時期に引退を選択したのだろうか? 「アダルト系の仕事だけを追うのがつまらなくなってしまったんですよ。まわりの女優さんを見ても、続ければ続けるほど、仕事の内容的にも精神的にもキツくなっているのは明らかだった。それで、私は“求められているうちに辞める”と決めていたんです」
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成り行きで店を始めることに…
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ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720

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