このエントリを書き始めた頃の僕にとって、暗号通貨のことを語るのはとても簡単で、理にかなったことのように感じた。
その時の僕には、専門ブログから離れた雑記を書くはずのこのサイトで暗号通貨について語ることは、停留所で先に待っていた初老の紳士に次のバスの時刻を尋ねるのと同じくらい普通のことのように思えたのだ。ある種の啓示のようなものを見出していたと言っても良い。
しかし、完璧な啓示などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないように。
題材は何だって良かったのだ。本質的には何の関係もない。
暗号通貨あるいは仮想通貨という言葉を、君の好きなモス・バーガーのメニューに置き換えてもこの文章は何も変わらない。
僕と暗号通貨が出会ったのは、舐め終えたミント・キャンディの名残がいつまでも薄荷の香りを漂わせているような残暑の頃だった。
サラリー・マンとして働いていた僕のもとへ、暗号通貨は餌付けされた野良猫みたいにそっと寄り添ってきた。
精神病棟を描いた古い映画の中でこんなやり取りがあったことを覚えている。
「論文を公表してもクレージー、姿を隠してもクレージー。何が何だかさっぱりだ。確かに俺はイカれた科学者だ。けれど、それだけだ」
「正直に言うと、彼らは君のことをこう考えている"巨万の富を手に入れるための詭弁だ"ってね。君はどう思う?」
「俺がそんな男に見えるかい?」
「腹を割って話そうじゃないか。自分でそう思うかね?」
「全然思わない。俺は現代科学の生んだ天才だぜ」
「君にはしばらく入院してもらうよ。経過を観察し、必要な処置を取ることにする」
「院長、俺は百パーセント協力するぜ。診断のために、全面協力する。サトシ・ナカモトの正体は俺も知りたいからな」
そして彼は二度と出てこなかった。彼は風のように地球上から消えてしまうのだ。
誰も彼自身を責めるわけではないし、憎んでいるわけではない。
それでもみんなは彼を避け、結果的に彼の存在は永遠に失われてしまった。
暗号通貨を購入したことが正しい選択であったのかどうか、僕にはいまだに確信が持てない。
おそらくそれは、正しいとか正しくないとかいう基準では推しはかることのできない問題なのだろう。
世の中には正しくない選択が正しい結果をもたらすこともあるし、その逆もまたしかりだ。
だが僕はあの日暗号通貨を買ったことを後悔はしていなかった。その理由は二つある。
第一にどうせいつかは購入することになるし、第二に買っても買わなくても結果は同じだからだ。
この話を妻にしたら彼女は呆れたように言った。
「もう話はおしまい?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」と僕は言った。
もう彼女は何も言わなかった。ピラミッドの内部に何百年も閉じ込められたような空気で満ちたリビングでは、あらゆる生命が停止しているようだった。
僕は秋の落ち葉が浮かんだプールみたいにすっかり冷めたコーヒーに口をつけた。
そして代名詞のように扱われながら、村上春樹の文章には案外登場してこない言葉を僕は小さく呟いたのだった。
「やれやれ」
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