みどり
みどりを引き取り一緒に暮らすようになってから、もうすぐ一年が経つ。
彼女は元々、母方の遠い親戚にあたる人間だ。
身寄りを亡くし、親戚をたらい回しにされた挙句、どこかの施設に入れられそうになっていたところを僕が名乗り出た。僕の唐突な発言に、親戚たちは皆目を丸くした。しかし、五十を越えて妻も子供もおらず、収入もそれなりに安定している僕が名乗り出たことで、体よく厄介払いができると考えたのだろう。これ幸いと、話はとんとん拍子に進み、気付けば僕らは義理の親子という形で収まっていた。
彼女を引き取った直後は、僕の言うことに一切耳を貸そうとせず、全くコミュニケーションを取ることができなかった。身内であるはずの人間からの冷たい扱いは、彼女の心に深い傷を負わせていたのだ。
僕自身も幼い頃に、父親と、生まれたばかりだった弟を交通事故で亡くしていた。女手ひとつで僕を育ててくれた母も数年前に他界した。だから彼女の境遇を他人事には思えなかった僕は、ひたむきに対話を試み、“家族”として接するよう試行錯誤を重ねながら努力した。その結果、当初は自分の殻に閉じ籠もっていた彼女も、徐々に心を開いてくれるようになった。
そして嬉しいことに、今では僕を「お兄ちゃん」なんて呼んで慕ってくれている。
当時は血縁関係の薄い彼女相手になぜここまで必死になるのか、自分でも分からなかった。しかし彼女を引き取り面倒を見ることは、大好きだった母を喪い、家族の愛情というものに飢えていた自分の為でもあったのだと今は思う。
会社の酒の席のことだ。一度酔った勢いで、同僚に彼女と暮らすようになった紆余曲折を掻い摘んで話したことがある。
僕の話を聞いて「ロリコンかよ」なんて赤い顔で笑った彼は、彼女の写真を見せた途端、急に押し黙ったかと思えば、そのまま取って付けたような理由をつけてそそくさと帰宅してしまった。何が気に障ったのか分からない。美しく着飾った姿を写したベストショットだったのに。
今日は日曜日。僕らは自家用車に乗り込み、以前から彼女が行きたがっていた遊園地へ出かけた。
残念ながら、ジェットコースターなど激しいアトラクションには制限に引っ掛かってしまい乗れなかった。けれど、観覧車や着ぐるみショーなどは一緒に楽しむことができた。観覧車に乗る際、気遣い手を貸してやっていると、気さくな感じの係員さんに「親子ですか? 楽しんで下さいね」と言われた。
僕と彼女の関係が世間にも親子として認められた気がして、なんだか無性に嬉しくなった。遊園地にいる間中、その言葉を思い出しては思わず顔が綻んでしまうのを抑えられなかった。彼女も終始笑顔だった。観覧車では空から見える景色に目を輝かせ、メリーゴーランドでは馬車の中からしきりに手を振っていた。
正直なところ、あまり休みを取れないので休日はゆっくりしたい気持ちもあったのだが、彼女の笑顔を見たらこのくらい安いものだと思えた。
帰りの車内では、すぐに船を漕ぎ始めた彼女の口から溢れた「お兄ちゃん、ありがとう」という不意打ちのような言葉に、嗚咽を堪えるのが大変だった。また行こうな、と僕は心の中で呟き微笑んだ。
本当に、とても楽しい休日だった。
人の一生は儚い。僕らもいつの日か、こうして笑い合うことができなくなってしまうだろう。
だから今のうちに、思い出をいっぱい、いっぱい作ろう。
助手席の小さな寝息を聴きながら、僕はハンドルを握る手に力を込めた。
我が家へ戻った僕は、溜まった仕事を片付けていた。
寝室の彼女に目を遣れば、はしゃぎ疲れたのか早くも穏やかな寝顔を見せている。車から降りる際に一度目を覚ましたのだが、瞼を持ち上げているのが辛そうな様子だったのでそのまま寝室へ促したのだった。
規則的に繰り返される寝息を聞きながら、僕は彼女と初めて出会った日のことを思い出していた。
「君の名前はなんて言うんだい?」
「わたし、みどり。……おじさんは、だあれ?」
小さく首を傾げるその仕草に、肋骨の内側を握られるような感覚を覚えた。
思えばあの時から、僕は彼女に魅入られていたのかもしれない。僕は部屋の電気を消すと、彼女のもとへ静かに向かう。
荒くなる呼吸を息を止めることで無理矢理抑えながら、縋りつくように彼女の横へ寝転がる。
「母さん……」
破滅の足音がひたひたと僕の耳朶を打った。思わず目をきつく閉じる。瞼の隙間から、堪え切れない涙がじわりと溢れてくる。母と同じ名の人に抱かれながら、僕は今夜も虚ろな幸福感に身を任せた。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓