2014/09/23

モノサシと土俵

僕のような小さいコンサル業にせよ、
税理士にせよ会計士にせよ、これからは自分の「土俵」が必要だと思っている。


それは大なり小なり同じ業務(同業者)がいる限り、
「ここが僕の土俵です」というPRが必要になると言う事だ。



それは唯一無二の「世界観」とも言える。



情報だけを売る商売なんてまさに死活問題である、
だって情報なんてものは、やがて共有される運命なのだから。



ひとかどの職人、いわばプロフェッショナルは全員がそれぞれ
なにかしらの「世界」を作っている気がする。



その世界の王はまさに自分であり、てっぺんにいると言う事だ。
世界の規模は様々だがそれは関係ない、問題は世界を「作っている」と言う事だ。



それは自分の「モノサシ」を手に入れる事である。



それぞれの世界を作ったプロフェッショナル達は
誰か他人の土俵に足を踏み入れる事はないし、他人をその土俵に入れようとはしない。



その「テリトリー」が明確にあって、
自分でそれを見つけられた人だけが、これから生き残って行く気がする。



それを見つけられないと、一時的に脚光を浴びる事はあるけれど、
いつかは消えゆく運命なのかもしれない。



コネもカネも信用も、2代目のように基盤もない僕の中には、
そんな緊張感がいつもある。



☞ ☞ ☞


人生にせよ、経営にせよ、よく「登山」と例えられるが
僕は今の仕事を「麓から登っていつか頂上へ・・・」とは思っていない。



すでに頂上にいるのであって、
その山に誰も登ってこれないように強固にする。それだけである。



とても小さなものだが、僕には「世界=モノサシ」があって、頂上にいる。
今はそれで十分だと思っている。



よって、仕事としての「構築支援業」では歩み寄るつもりだけれど、
「世界観」の部分については他人に受け入れられるよう、こっちから歩み寄るつもりは一切ない。



仏教では「自分のモノサシで人を裁くな」と言われる、
それには100%同感だ、しかし自分の中には確固たる「モノサシ」は必要である。



いけないのは自分のモノサシを使って「他人の世界を測る事」であって、
自分のモノサシを持ってはいけないのではない。



逆にそれがないと他人のモノサシや
世間のモノサシで測られる運命になる。



つまりモノサシは「自分仕様」と「世間仕様」の2つが必要なのだ。



僕は自己中心的に作られた世界でやっているから
良くも悪くも理解されない場合が多い。



しかし自分の世界を構築した相手とは、とてもスムーズに事が運ぶ。
また、そういった人が僕を一番上手に扱ってくれる。



☞ ☞ ☞


「料理の極意は火と味の加減だ」と言われている、
僕の世界観の一側面が、この「加減の定義」である。



加減は体系化できないので科学的ではないし、経済的でもない。
だからコンサルとしては完全な異端者である。



一般的なコンサルとは、欧米的な論理化と体系化による視覚化である。
僕の場合、目に見えない部分を感覚で掴むという「概念化」である。



リゾームは「積極的な概念化」である以上、これ抜きでは何もできない。
よって簡潔に説明することもできないし、そもそも言葉では伝えられない。



ただ言える事は見えない暗黙知こそが本質、という事である。
見えないといえば「センス」、これに近いかもしれない。



センスは生まれ持った才能である。
努力した結果得る事ができるようなものではない、
例えるなら「条件反射」や「直感」のようなものだ。



現役の長島選手が「来たボールをひっぱたくだけです」と言ったように、
本来それは分析もできなければ体系化もできない。



世界観が明確な人は体系化を二の次とする。
なぜなら本質はその裏側に隠れた部分だと思っているからだ。



その見えないものを、僕は「空間ごと」えぐり取とうとしている。
仰々しい言い方だが、端的に書けばそうなんだろう。



そんな手法だから多くからは敬遠される。
安心感を与えるシンボル(根拠)なんて持ってないから。



もちろんそれを作れと言えば作れる、
プロポーザルのような、分厚いあのタイプだ。



しかし蓋を開けてみれば全く使い物にならない。
そんなもの、結果が出て初めて意味を持つ「後出しジャンケン」にすぎない。




こんな風に考えているから「不思議なヤツ」だと言われるんだろうなぁ(笑)
ただ自分の土俵がある以上、そこを降りる気もないし、他人の土俵に上がる気もしない。



ただあと3年、40で結果がでなければ潔く辞めようと思っている。
ここでいう「結果」はあえて書かないが、たぶん不可能ではない。



3年後ってことは起業してまる6年、
6年やって届かなければ、それは僕に才能がなかった、と諦めもつくものだ。
才能がないのに「好きだから」と言う理由でやるのだけは避けたい。

2014/09/22

飼い慣らされた思考とプリコラージュ論



人類学という分野から構造主義を広めた
レヴィ・ストロース氏の「野生の思考」に
書かれているブリコラージュ論。それは
抽象的概念や専門用語などを使わずに
具体性、すなわち色、音、感情や感覚に訴えるものを対象とします。


知性の奥に潜む野生の思考構造、
氏は我々の揺らぐ感性に注目したんですね。


野生の思考/みすず書房

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野生と書くと語弊がありそうですが
我々はこういったことを日常経験しています。
例えばレシピに沿って作る料理ではなく、
冷蔵庫の中のあり合わせで作ることもブリコラージュです。


そんな即席、即興性は理論や設計を
基軸としたエンジニアとは対照的ですね。
一見無価値、無意味なものを「直感で」拾い上げ、
その寄せ集めで一つの「意味」を作り出すのです。


なるほど。多様な対象を差別(区別)する
ことなく「巻込む(統合)」と。プライマルな
全体観がなければこの思考はできないでしょう。
なんだか野蛮で知性のない、まるでジャングルに
住む原住民的な本能のようですがそれは個人の
経験を超えた非時間的な直接表現なのかもしれませんね。



☞ ☞


近代、飼育された思考(栽培された思考)が
現在の社会を動かしてきました。マス時代の
「マーケティング」や「ブランディング」などは
全てこの「飼いならされた思考」の産物でしょう。



しかしそれは「だれかの」設計者によって
植え付けられたもの。「飼育された思考」が
完成されればもはや異論が異論でなくなってしまい、
本人に無許可で行動や思考の「パターン」を頑強に
作り上げてしまいます。



私たちが思い込みによって排除していることは
たくさんあるということ。




自分の否定的な考えや選択肢を「まず疑うこと」が大事ですね。



「後記」


村上春樹氏の著書「ねむり」では
近代社会の中で制度化され、飼い馴らされ
劣化した「ねむり」をテーマにしています。
短編ながら「制度」を実にうまく表現してます。


(ネタバレになるんですが)本書の中の女性は
制度という檻から出る手段として17日間眠りませんでした。
結婚した事で眠らせていた「本音の自分」を取り戻す為、
つまり目覚める為に眠らなかったのでしょう。


睡眠を拒否するとは死を拒否すること。
ある意味現実逃避です。しかし彼女は
パターン化され劣化していく人生に対し
抵抗を必死に抵抗したのです。





2014/09/15

双六人生

こんばんわ、unreve坂口です。
4月に入りましたね。


学年が上がる人、卒業・入学する人。
社会人になる人、ならない人、それぞれだと思います。


ちなみに僕は18で社会人になったので、今年でもう20年。
早いものです(;^_^A
さて、学生さんなら志望校(企業)に合格(就職)できた、
会社員の場合なら、目指す役職になれれば成功と思いがちですが、


人生は双六(すごろく)ではありません。
生きている限り「あがり」なんてない、そうは思いませんか。



例えば大手企業で部長に昇進すれば
成功者のように見えますが、実際はどうでしょう。


生き馬の目を抜くような肩書き競争を勝ち抜いたとしても
自分がやりたい事が何一つできないのであれば、それは成功とは呼べません。


逆を言えば、例え小さくとも自分のやりたい事が
できている時点で、それは成功と呼べるのではないでしょうか。


世の中に不幸な成功者はたくさんいます。
つまり、成功とは主観と客観で大きく異なるのです。


☞ ☞

最近、天職という言葉をよく聞きます。
自由に好きな事をやれる、それが世間の言う天職かもしれません。

しかし、いざ「あなたのご自由に」と言われれば、
何をしてよいのやらさっぱり分からないのではないでしょうか。


かえってそれが、悩みになる方もいると思います。
今の仕事は合っているのか、これでいいのかさえ、よくわからない。


そんな事から「自分探し」が一時期流行しましたが、
どこかに「本当の自分」がいるのではありません。
自分とは探すものではなく気付くものだからです。

それと同じように、「天職探し」というのも
間違えば、「職業」「職種」に限られたものになってしまいます。


「天職を見つける」=「どの職業、どの職種がいいか」
というように、既存の選択肢を探すことだけに夢中になってしまうのです。


天職というのは、職業・職種ではありません。
自分が何をすることが楽しいのかを理解し、それを活かす事。


それがやがて天職と呼ぶに値するのではないでしょうか。


その為には、自分が何をすることが楽しいのかを
まず理解する事から始まります。



あなたは何をやっている時が楽しいと思いますか、
何をしている時が一番、幸せですか。



そこにヒントが隠されていると思いますよ。


2014/09/09

魅力と魔力



今宵はスーパームーンだそうな。




月はいつの時代も神秘的・美術的、
そして呪術的なシンボルであった。



いつの日か人類は月面に降り立つだろう、
その時、永続的であった月の神秘性は失われてしまうのだろうか。



今日はそんな小話でも。



人類が永遠に続くのではないとしたら/新潮社
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最近、上記の本をパラパラと読んでみた。


地球の有限性に対し、経済は無限性を前提にしている、
といった所から本題は入っている。


(ある意味)我々の世界は無限の可能性世界ではあるが、
住んでいる場所は限りがある、これには批判はないだろう。



マルチでもネズミでもなんでもそうだが、
西洋的なビジネスの前提には「無限∞」がある。


枯渇しようとしても、外部を内に取り込むことで、
さらなる発展飛躍となる、これがあちら側の言い分である。


なるほど、彼らからすれば願望は良き事であり、
自然は永遠に豊かであって、尽きる事はない、と。


多分、そう思いたいのだ。



そんな無限性は魅力的であり、魔力的でもある。



まるで月のようにその姿を変える。











もちろん、誰だって我慢はしたくない。
第一、我慢する生活はちっとも楽しくない。



それよりも楽しくダンスを踊ろうじゃないか、
例えそれが沈みゆく船中だとしても。



今までは、そんな楽観的原理でやってきたのだが、
それがただの願望だったと気付くより先に、
アメリカの経済は歪に膨れ上がり
借金は、すでに1.5京円を超えてしまっていた。



中国の中心部はもはや人が住めない状態となっている。
日本でもバブルは弾け飛んだ。



人類は、自力ではどうすることもできない所に
足を踏み入れてしまっているじゃないか。



それでも経済はリミッター解除を勧める。




「もっともっと!」、「まだまだ!」





☞ ☞



閑話休題
この本のテーマは「有限性」と人間の「欲望」の
積極的な肯定であり、哲学的な考察でもある。



よって様々な哲学者が登場する。
ホッブスにジョルジョ・アガンベン、見田宗介、


ヤスパースに吉本隆明に中沢新一に
アリストテレスまでと、その幅は広い。
(吉本隆明は個人的に好きじゃない)



贈与論が出てくる、軸の時代が出てくる。
自我から自己へと、個人のライフスタイルを変える
仏教的なものまで感じる。



なるほど、これはシステム云々ではなく
精神革命が著者のテーマかもしれない。



内容が複雑化するのも当然だろう。
言葉に出すため、悪戦苦闘しているのが伝わってくる。



☞ ☞



多分に、今が大転換の時代だからこそ、
我々は未確定から確定へと作り上げている最中なのだろう。



今日の満月はそんな我々の必死の変化を
気にも留めないんだろうな(笑)




2014/09/08

マニュアルパンチ

こんばんわ(^O^)/
unreveの坂口です。


年末から今年に入ってすでに成果報酬の案件が
5件、ツールが3件、プロジェクト支援が1件。
あと待ちが2件;;;;スイマセン。


さすがに頭から煙が出てきました
煙というよりも狼煙です・・・・・(x_x;)



助けてクマモン


ただ、「経営者と同じように考え、
同じ気持ちで支援する」がunreveの選ばれる理由なので、
手を抜かずに行きまっせo(^▽^)o


※連絡や対応が遅れる場合もありますので、
各クライアント様よしなに・・・・あせる



☞ ☞ ☞

さて、今日はマニュアルについての小話です^^




フランチャイズだけに限らず、
社会全体に「マニュアル」が横行しています。


「マニュアル」と「型」は似てて非なるもの、
型は主体性を伴いますが、マニュアルにはそれがありません。


確かに、マニュアル通りにやれば
責任を取る必要はありません。


上からしてみれば「言い訳」にもなります、
マニュアル通りにやっていた、ちゃんとマニュアルに従った・・・etc



これはある意味「思考の放棄」であって、
マニュアル管理社会がこのまま進んでしまえば、
我々の仕事の概念は機械と同じようになってしまいます。



例えば飲食店で「この料理、ちょっと薄味じゃない?」と、
お客さまから言われたとします。


そこで「いや、私達はマニュアル通りにやってますから
と言われたら場合、どう思うでしょうか。


僕が客ならまず耳を疑います。
多分、二度と足を運ぶ事はないでしょう
(もちろん、かなり薄味だったと思った場合ですよ)

☞ ☞ ☞


当然の事ですが、顧客から「味が薄い」と言われたら
まず全員で確かめますよね。


そして本当に薄いと感じたら顧客にお詫びし、
今後、分量を多くするはずです。
決して「こっちはマニュアル通りに~」とは言えない。


「マニュアル通りに」を正当化してしまっては
間違いなく、フランチャイズでは成功できません、
他の仕事でもそうですよね。



現在、そんな中途半端なシステムのせいで
本来の接客である「ケースバイケース」」ができていません。


接客がある業種に「お客様窓口」という部署は不要です。
本来窓口は現場であって、その場で解決しないと意味がありません。


譲歩して黙らせるなんてことをやっているから
鬱憤が晴れず、ネットで苦情を出しているのです。


☞ ☞ ☞


もちろん、中にはモンスタークレーマーもいます。
そんな人を相手にしては、従業員の身が持ちません。







鶏が先か卵が先かを言いだすなんてナンセンス、
大事なのは自ら判断できる力です。



接客とは文字通り「顧客に接する」という意味であり、
顧客の意図を判断し、決定すると言う事、



自分で判断するには当然「モラル」が必要ですし
基本的な「型枠」がないといけません。



言うまでもなく、その型とは暗黙知。
「形式・マニュアル主義」ではないのです。



自立と自律は時代のキーワードですよ(^O^)/




「最近の教育、押しつけばかりかも・・・」という方は
office unreveの公式ホームページ から、ぜひご連絡ください!


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