「さて、今日は陰陽についてだったな」
「陰陽って言えば安陪晴明でしょ。
だから神道のイメージがあったんだ」
「神道も仏教と同様、多様に分かれている。
ちなみに、陰陽を取り入れてたのは垂加(神道)だ」
「神道にも色々あるんだね」
「提唱者は儒学者の山崎闇斎、垂加は
陰陽思想と朱子学がベースになっている」
「あっ、君の嫌いな朱子学(笑)」
「元は吉川神道だがね。話せば長くなるので止めるが
こういった思想は中国から入ってきたものだ。
しかも提唱者がいる時点で、神道と呼べない」
「そだね。自然派生、いつの間にか
作られたのが、神道だもんね」
「仏教もそうだが、勝手に思想解釈するから、
本質がどんどん見えなくなってくるのだ」
「生きてる間に幸福になることを
釈迦は教えてたのに、死後がメインになってるしね」
「神道だって似たようなものだよ。戦時中は
国家神道なんてもんがまかり通ったんだから」
「多分、見える形として
偶像化したかったんだろうね」
「天皇が人間宣言をした時点で、
その共同幻想は消えたのだが、ちょっと遅かったな」
☞☞
「話が逸れたけど、陰陽思想は
後から取り入れられ、編集されたってことだ」
「神道の性質上、色々混ざってしまうんだね。
ただ、そうなると何がオリジナルか分からなくなるよ」
「仕方ないことだ。今だって
仏教伝来以前の神道を答えられるのは
神官でも少ないと言うから」
「・・・・・・」
「ん、どうした」
「思ったんだけど、復古神道って排除原理じゃないの?
八百万なのに、他の神を否定してるわけだし」
「おっ、鋭い」
「もともとは、氏神の始祖を祀ってたわけじゃない。
集権化に伴って一つの神になるのは
どこの民族だって似たようなものだし・・・」
「今日はなかなか冴えてるな。
ちなみに、それは原始神道と呼ばれる」
「先祖崇拝も結局は偶像化なわけでしょ。
そう考えると、人の解釈がないものなんてないんじゃないの?」
「神道もまた、理性が介入していると言いたいんだな。
よしよし、今日は100点をやろう」
「偉そうに(笑)
だったらなんで、宣長さんは漢意を否定したのかな?」
「ここが大きなポイントだ。宣長は
ありのままで物を見、そして受け取る
古意を大事にしていたのだ」
「古意(いにしえこころ)?」
「そう。宣長は太陽こそ、神だとしたのだ。
太陽信仰じゃない、太陽そのものを、だ」
「それが、アマ・テラス?」
「おしゃれなカフェみたいな呼び方をするな」
「一神教の西洋と何が違うの?」
「勘違いしやすいところだな。
平田篤胤が完全に宗教化して、余計そうなった」
「そっち行ったらまた長くなるよ(笑)」
「失礼。この世のあらゆるものに恵みを与え、
育てることができるのは、何のおかげだ?」
「太陽。水とか空気とかもあるけど」
「つまり現実的に恵みをもたらす対象を
そのまま神として信仰したのが古意だ」
「一神教は観念的だってこと?」
「そ。一神教は創造主がいて、それが太陽や、
万物を作ったとしてるが、それって想像上の存在だろ」
「そうだね、誰も見たことがない」
「逆にありのままを現実から神の存在を
感じることができるのが古意だ、漢意ではこれができない」
「あー、理屈が出てくるもんね」
「一神教は漢意があるから、どうしても歪んでしまうのだ。
ありのままを、ありのままとして信仰できない」
「だから観念的な漢意を持った宗教は対立するんだね」
「それぞれが観念的な人工神を作ってるからな。
そして、その神性には証拠がない」
「聖書では何でもできるのにね」
☞☞
「つまり宣長は神道を通じて、昔から
日本人に備わっているあり方を発見したのだ」
「それが自然崇敬や謙虚の心なんだね」
「これが中国みたいな歴史だと、
時代と共に文化の根幹ごと入れ替わる。
だから民衆はアイデンティティや信仰対象が分からないのだ」
「自分たちに都合が良ければ
なんでも良くなってくるんだね」
「利害が一致すれば味方だという思想は
こういった歴史によって、育まれてきたのかもしれないな」
「歴史が人を作るのは間違いないね。
ていうか、陰陽の話はもう終わりなの?」
「いや、終わりじゃないよ。
古事記を見れば分かることだが、
この国は陰陽ではなく、「あいだ」があるのだ」
「知ってる!ツクヨミでしょ」
「次回はそれをテーマにするか。
これとリゾーム派生はリンクしているしな」