古事記には景行天皇の6世孫である迦具漏比売(カグロ姫)が景行天皇の妃となり忍熊王の祖父を産む、さらには応神天皇の妃となり允恭天皇皇后の忍坂大中姫を産むという極めて不可解な系図がある。
筆者もどう解釈したらいいか長年悩んでいたが、ある程度説明可能な解を見つけたので、紹介する。
景行天皇6世孫カグロ姫に至る人物は以下の通り
⓪景行天皇
②息長田別王
③河派仲彦王(杙俣長彦王)
④飯野真黒姫(若建王妃)
(若建王は走水海で入水して果てた弟橘姫の子)
⑤スメイロ大中彦王
(天皇の弟という意味でここでは「皇大中彦王」と漢字を当てた)
⑥カグロ姫
となる。
ここで⑤皇大中彦王であるが、天皇の真ん中の弟という一般名詞に近い名前である。娘のカグロ姫がその天皇に嫁いでいる。天皇はおそらく景行天皇か応神天皇。
④は若建王妃である。若建王に近い名前として、若建彦すなわち四道将軍派遣時に吉備へ行った若彦建吉備津彦がいる。
『若建王ー皇大中彦王ーカグロ姫』が少なくとも二組いたと考えて、現在伝わる系図に当てはめると、以下のようになる。
皇大中彦王とした吉備武彦とカグロ姫とした稲目若郎女が兄妹だったり、カグロ姫とした弟姫真若姫が若ヌケニ派王妃だったりと、微妙な点もあるが、飯野真黒姫を吉備武彦の娘として、息長田別王を若建王と同一とすると、ある程度説明可能な系図になる。
単なるヒラメキで根拠薄弱だが、概ねこれでいいのではなかろうか。