杉山清貴&オメガトライブが過ごす“青春”の季節 「ポンとやめたからこそ、40年後にこうやって集まれた」
杉山清貴&オメガトライブのWOWOW3カ月連続特集が決定した。
第1弾は9月16日にパシフィコ横浜国立大ホールで行われる『The end of 40th anniversary ~えっ、またやるの!?オメガトライブ~』の独占生中継。さらに10月6日には、MVを特集した「杉山清貴&オメガトライブ 40th Anniversary Music Video Collection」、11月にはメンバーインタビューやパシフィコ横浜公演のリハーサルからバックステージにまでカメラが密着したドキュメンタリー特番「杉山清貴&オメガトライブ The end of 40th anniversary Documentary Special」が放送・配信される。
ここ数年の世界的なシティポップの流行によって再び注目されている杉山清貴&オメガトライブ。今年の春に行われた全国ツアーでも充実したステージを繰り広げるなど、バンドとしても円熟期を迎えている。リアルサウンドでは、オリジナルメンバーの杉山清貴(Vo)、吉田健二(Gt)、高島信二(Gt)、大島孝夫(Ba)、西原俊次(Key)、サポートメンバーの大阪哲也(Key)、小川幸夫(Dr)、Juny-a(Per,Sax)にインタビュー。今年のツアーの振り返り、9月16日のパシフィコ横浜公演への意気込みなどについて語ってもらった。(森朋之)
結成から2年8カ月で解散「あのときの決断は正しかった」
ーー今年の3月から5月にかけて全国ツアー『杉山清貴&オメガトライブ〜FIRST FINALE TOUR 2024〜“LIVE EMOTION”』を開催。1985年に行われたラストツアーをオリジナルメンバーで再現するという内容でしたが、手ごたえはどうでしたか?
吉田健二(以下、吉田):食べ過ぎました(笑)。
全員:ハハハハハ!
吉田:(笑)。手ごたえ的には、ツアーの初日(3月9日:府中の森芸術劇場 どりーむホール)からすごかったですね。お客さんの熱量もすごくて、「これは東京特有なのかな」と思っていたんですけど、その後、どこに行っても同じような熱量を感じることができて。全国のみなさんが本当にオメガを待ってくれていたんだなというのが、ヒシヒシと伝わってきました。
ーー吉田さんは1985年のラストツアーには参加していないので、感慨深いものがあったのでは?
吉田:そうですね。(85年のツアーの)自分がいない映像が残ってるんですけど、今回は自分も映像に映ることができました(笑)。
大島孝夫(以下、大島):まさかここまでお客さんに喜んでいただけるとは思ってなかった、その一言ですね。ぜんぜん自覚がなかったんですけど、オメガトライブはどうやら売れていたみたいだなと(笑)。
高島:(笑)。
大島:当時も「どうやら売れてるみたいだ」くらいで、よくわかってなかったんですが(笑)。なので「こんなツアーを組んで、お客さんが20人くらいだったらどうしよう」と思っていたんですよ。でも、やってみたらみなさん本当に喜んでくれて。嬉しい驚きでした。
大阪哲也(以下、大阪):ひと言で言えば「とにかく楽しかった」に尽きますね。みんな、食べ過ぎ、飲み過ぎだろうと(笑)。あと「40年経っても、そのままできるんだな」と思いましたね。お客さんには申し訳ないんですけど、楽しさが勝ってしまって。
ーー「40年経っても、そのままできる」というのは演奏のことですか?
大阪:演奏がどうこうと言うより、関係性ですね。60歳過ぎても、中学、高校の頃のワサワサ感があって(笑)、それってすごいことだなってビックリして。ここまでやってきて良かったなと思いました。
ーーツアーの最終公演(5月31日:NHKホール)のMCで「当時の機材を使っていたら、壊れてしまった」とおっしゃってましたよね。
大阪:そうなんですよ。Roland D-50なんですが、音が出なくなったり、鳴りっぱなしになったり(笑)。
西原俊次(以下、西原):途中までちゃんと出てたんですけどね(笑)。
杉山清貴(以下、杉山):大変だったよね(笑)。ツアーの印象としては、「いいバンドだな」と思いました。集まったときの空気感もそうだし、音もまったく何の心配もなくて。若い頃はあんまりいいバンドだと思わなかったんですけど。
全員:ハハハハハ!
杉山:(笑)。やっぱりね、月日って大事なんだと思いました。これは冗談半分で言いますけど、(1985年に)ポンとやめたからこそ、40年後にこうやって集まれたのかなと。あのまま続けていたら、どこかで関係が悪くなったかもしれないしーーわからないですけどねーーあのときの決断は正しかったのかなって。
ーー杉山清貴&オメガトライブはデビューから解散までがわずか2年8カ月ですからね。確かに解散を決めたのはすごい決断だったと思います。
杉山:あの頃はちょうど20代半ばだったから、「30歳くらいでケジメをつけなきゃいけない」というのがあって。オメガトライブはプロデューサー(藤田浩一)や林哲司さんあってのバンドで、自分たちの意思で進めるわけじゃなかったんですよ。「この先どうなっちゃうのかな」という心配もあったし、だったら早いうちにケリを付けて、自分たちのやるべき道を見つけようと。そうやって解散に至ったんですけど、それは良かったのかなと今になれば思いますね。
ーーなるほど。西原さんはいかがでしたか?
西原:楽屋でもリハーサルでもそうなんですけど、20代の頃に戻っちゃうんですよ、雰囲気が。みんな60過ぎてるのに若返っちゃうというか。「ステージでは落ち着いてやれるのかな」と思っていても、結構ハチャメチャに弾いたり(笑)。
吉田:そうだね(笑)。
西原:もちろん、あの頃よりは落ち着いてるんですけど、みんなを見てると「こいつら、すげえな」と。当時よりも上手くなっている感じもあるし、すごくいい音でやらせてもらえて。最高でした。
小川幸夫(以下、小川):私は立ち位置がガッツリ違うんですけど(※オリジナルメンバーの廣石恵一が療養中のため、急遽、サポートドラムとして参加した)、何とも言えない夢物語というか、宝くじを当てたような感じでしたね。あらゆる不安を抱えてツアーのリハーサルに入ったんですけど、初日のお客さんの反応がすべてを語ってくれていたといいますか。公演の回数を重ねるなかでだんだん気持ちもラクになり、終盤は本当に楽しんでしまいました。
ーーオメガトライブの曲を演奏することで、気付いたことやわかったことはありますか?
小川:私が敬愛するドラムの大先輩(青山純)がレコーディングで叩いている楽曲がけっこうあるんですよ。その演奏を真似するだけで嬉しいし、フレーズも同じようにやりたくなって。それも個人的に楽しませていただきました。
高島信二(以下、高島):(小川は)立役者ですよ。
吉田:ツアーの最中にドラムセットをフルチェンジしてましたからね。
小川:最初に持ち込んだドラムがそれなりに年数が経っていたので、やってるうちに疲れた部分が出てきちゃって、これはまずいなと。ツアーの途中で『The Covers』(NHK BS)の収録があって、そのタイミングでドラムセットを変えたんですよ。せっかくだから、それをツアーにも還元したいなと。
高島:しっかり下を支えてくれました。ツアーに関しては、意外にも男性客が増えている気がして。年齢を重ねた方がノッてくれたり、声援をくださったり。僕らが(デビュー後)最初にやったコンサート会場は、渋谷にあった東横ホールだったんですよ。たぶん500人くらいのキャパで、無料のライブだったんですけど、ほとんどが女性で。
杉山:しかも中学生や高校生だよね。
高島:みんな制服着てるんですよ(笑)。曲が始まった瞬間にその子たちがバーッと前に押し寄せて、ギュウギュウになって。その印象がすごく強かったんですけど、今回は野太い男性の声で「最高だぞ!」なんて言ってくれて、異次元に来たみたいでした(笑)。
杉山:「上手い!」とか言ってくれてね(笑)。